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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第44話 ヤタイのタコハチ

 「あの……先ほどのエリーさんという方はナウルさんの恋人ですか?」
 ナウルと並んで歩きながら、アスティは小声で尋ねた。声を潜めたのは、二人の数歩後ろを歩いているイニスに気を遣ったからだ。先ほどのやり取りからして、イニスはエリーの話題を歓迎しないだろう。
「そないに見えた?」
 けらけらと笑いながら問い返してくるのは、否定の答えだろうか。アスティは戸惑いながら頷く。
「まぁ、恋人ってほどやあらへんけど……特別な関係、やね。」
 ナウルは笑う。曖昧な答えは、それ以上聞くなという意味だろうか。詳しく聞きたいとも思ったが、踏み込んでいいものか分からず、アスティは質問を変えた。
「エリーさんのお店って、何のお店なんですか?」
「知りたい?」
 またしてもナウルは質問に質問で返してくる。
「ええ、できれば……。無理にとは言いませんけど。」
 アスティが遠慮がちにナウルに返すと、ナウルはニッと笑みを浮かべた。
「お前が興味を持つような店じゃない。」
 突如、背後から割り込んできたのはイニスだ。明らかに不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。先ほどエリーの店を「いかがわしい店」と呼んでいたことからしても、イニスはエリーの店が気に入らないらしい。どうしてなのかは、よく分からないけれど。
「まあ、酒を飲まへんアスティちゃんにはあまり面白くないかもしれへんな。」
 ナウルが苦笑しつつ言葉を継ぐ。
「お酒を売っているお店なんですか?」
「んー、酒を売ってるっちゅうよりも、売っとるのはサービスやね。きれいなお姉ちゃんがぎょうさんおって、お酒を飲みながらもてなしてもらえるお店やねん。」
「へえ……。」
 先ほどのエリーのようなドレスを着た女性たちが集まっていなら、店内はさぞ華やかなのだろう。絵本で見た舞踏会のような雰囲気を想像して、アスティはわくわくした。
「私も行ってみたいです。」
 アスティが言うと、ナウルは一瞬目を丸くして、それからくつくつと笑った。
「そやね、百聞は一見に如かずやから、一度くらい行ってみた方がええ。お酒がおいしく飲めるようになったら一緒に行こか。」
 ナウルが言い、アスティは微笑んで頷いた。傍らでは、相変わらずイニスが顔をしかめている。イニスはお酒を飲まないようだから、お酒を出すお店は好きではないのかもしれない。イニスが華やかなドレスに心躍らせるような性格でないことは、先ほどのエリーに対する態度を見るまでもなく明らかだ。何しろ彼は、休日にもかかわらず仕事着である騎士団の黒い制服にきちんと身を包んでいるのだから。
 少し歩くと、再びおいしそうな匂いが漂ってきた。先ほどのお好み焼き店の匂いに似た香ばしい匂いだ。この近くにもお好み焼き店があるのだろうかと思いつつアスティが辺りを見回していると、目に入ったのは赤い奇妙な生き物だった。いや、正確には、赤い奇妙な生き物のように見えるもの——と、それを屋根に載せた車輪付きの小さな小屋だった。
「あった、あった! 今日も元気に営業中やな!」
 嬉しそうに声を上げたナウルの視線の先には、アスティが目に留めた赤い奇妙なものがあり、どうやらあれが次の目的地のようだ。
「あれは……何ですか?」
 アスティは戸惑いつつ、少しばかり歩みを遅めてナウルに尋ねた。
 と言うのも、屋根の上の赤い奇妙な生き物はくねくねと曲がった八本の脚とも腕とも分からぬものを持ち、頭はつるんと丸く、額に太い縄のようなものを巻き付けており、口をすぼめて突き出したその表情は怒っているようにも見える。脚のような腕のようなものはゆっくりと上下に動き、手招きをしているようにも見えなくはないが、不用意に近づけばそれに絡め取られてしまいそうだ。東の森では見たことのない生き物で、一見、絵本に出てきた恐ろしい怪物やお化けのようにも見える。
「たこ焼き屋のヤタイや。」
 ナウルはすぐに答えてくれたが、アスティは足を止めてじっと赤い奇妙な生き物を睨んだ。「たこ焼き」と言うのは「お好み焼き」の仲間のようにも聞こえるが、「ヤタイ」と言うがあの奇妙な生き物の名前だろうか。
「どうしたん?」
 足を止めたアスティをナウルが怪訝そうに覗き込む。
「あの赤いのがヤタイ……ですか?」
「そやで。」
「何かちょっと怖い……です。」
「怖い? 何で?」
 アスティがわずかに後ずさりながら答えると、ナウルが怪訝そうに首を傾げた。なぜと問われても、怖い理由を説明するのは難しい。強いて言うなら初めて見る生き物だからと言うことになるだろうか。それがナウルの求めている答えかどうかは分からないけれど。
「あの看板のせいだろ。見た目が不気味なんだよ。」
 アスティが答えに迷っていると、後ろからやって来たイニスが代わりに答えてくれた。
「看板? ああ、もしかしてタコハチのこと言うとるん?」
「タコハチ? あれはヤタイじゃないんですか?」
 アスティは混乱しながら思わず聞き返す。
「へ?」
 ナウルは一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに合点したようにポンッと手を打った。
「ああ、アスティちゃん、屋台っちゅうんはな、あの建物っちゅうか、車っちゅうか……あの店の形のことやねん。んで、タコハチは屋根の上の赤い奴で、あの店のマスコットキャラクターや! 俺がデザインして、動力装置も付けたんやで。おかげでエウレール一目立つ看板やって好評やねん。」
 ナウルはにこにこと笑いながら語る。
「マスコットキャラクター? 動力装置? ……ええと、それはつまり、あれはナウルさんが作ったもので、偽物のお化けということですか?」
「……え? お化け?」
 一瞬、ナウルの表情が凍り付いたのは、ナウルもお化けが怖いからだろうか。
「まあ、お化けにしか見えないだろうな。動きも不気味だし。」
 つまらなそうに漏らしたのはイニスだ。
「お前、さっきから不気味不気味てうっさいで! あの本物を忠実に再現した滑らかな動きの素晴らしさも分からんアホは黙っとれ! 不気味なんはお前の頭の方やっちゅうねん!」
 ナウルが早口に言い返すと、イニスが怯んだ。先ほど来、イニスが気にしているであろう頭——つまり髪の色について、ナウルが面と向かって不気味と言い切ったことにはアスティもぎょっとしたが、ナウルはそれを失言とは思っていないようで、得意げな笑みを浮かべながらアスティを振り返った。イニスは苦々しげに顔をしかめたものの、何を言い返すでもない。
「まあ、アスティちゃんは海に行ったことがあらへんのやから、タコを知らんのも無理はないわな。タコハチは、タコっちゅう海の生き物をモデルにしたんや。まあ、ほんまもんのタコは種類にもよるけど大体キーロと同じくらいの大きさやろか。海の底で貝や蟹なんかを食うとるだけで、全然怖い生き物やないんやで。」
 ナウルの説明に、アスティは改めてタコの看板を見つめる。この看板がどれほど本物のタコを忠実に模しているのか分からないが、八本の手足をくねらせる様は何とも奇妙としか言いようがない。キーロよりもずっと奇妙な生き物だ。海には色々な生き物がいると聞いたが、こんな奇妙な生き物までいるなんて……タコがお化けでないことにほっとしつつも、アスティは思わず眉を顰めた。
「よう見ると可愛ええやろ?」
 ナウルに同意を求められ、アスティはやむなく笑顔を作る。しかし、言われてみれば、奇妙な生き物ではあるが、それゆえに愛嬌があるような気もする。タコハチのすぼめた口は、最初、怒っているように見えたが、おどけているように見えなくもない。少なくとも、最初の「怖い」という感覚は消えた。そもそも、あのタコハチの動きが王都の先進技術によるもので、ただの人形と変わらないのであれば、現実のタコが例え凶暴な生き物だったとしても、目の前のタコハチがアスティに危害を加えるようなことはないだろう。
「タコの看板を掲げているってことは、あのお店はタコを売っているお店なんでしょうか?」
 アスティが問うと、ナウルはニヤリと笑い返し、「それは悪くない推理やで!」とアスティの背後に回った。
「ま、何が売られとるかは、近付いてよう見てや! ナウル様のお好み返し並みの妙技が見られんで!」
 ナウルは嬉しそうに言って、タコのタコハチの看板を掲げた屋台に向かってアスティの背を押す。「妙技」と言うことは、タコが曲芸でも披露しているのだろうか。
 アスティが首を傾げながら屋台に近付くにつれ、おいしそうな匂いが濃くなっていく。どうも匂いの発生源はこの屋台らしい。するとここもまたお好み焼きのお店なのだろうか。まさかタコがお好み焼きを焼いてくれるとか……? 八本もの手足があれば、複数のお好み焼きを同時にひっくり返すことも出来そうで、それは確かに「妙技」だろう。
 しかし、タコハチ看板の下の屋台を覗き込んだアスティが見たものは、お好み焼きを返すタコの妙技ではなかった。屋台の中には、タコハチと同じくつるんとした丸い頭に捻ったタオルを巻いた厳つい顔の男が一人いて、真剣な表情で眼前の鉄板を睨み付けている。鉄板の上にはお好み焼き——ではなく、それに似た、しかしお好み焼きよりもだいぶ小さな丸い生地が規則正しく並んでいた。
 ——クルックルッ。
 男が鉄板の上の半生の生地を素早く鉄串で突き刺す度に、平らに見えた生地がくるりと返り、小さな玉が増えていく。それは本当に一瞬の妙技で、気が付くと、鉄板の上には一口サイズの玉が並んでいた。こんがり焼き色が付き、とてもおいしそうだ。
「おもろいやろ?」
 アスティの背後から一緒に屋台の鉄板を覗き込んで来たナウルが言った。
「はい。こんなに簡単に丸い玉になっちゃうなんて、不思議です。」
 アスティがそうナウルに笑顔を向ける。
「簡単やない……。」
 突然、ぼそりと呟かれた太い声に驚いて、アスティはびくりと体を震せた。声の主は、しかめっ面で鉄板を睨み付けていた男だ。
「ご、ごめんなさい!」
 アスティは慌てて謝罪の言葉を述べた。男の「妙技」をアスティが「簡単」と言ってしまったことが男の機嫌を害したことは明らかだ。くるりと返って生地が丸まる様は簡単そうに見えるが、それは彼の技術力の高さゆえで、実際には決して簡単なことではないに違いない。もしアスティが挑戦したら、男のよう素早く玉を作ることは出来ないだろう。アスティとて、そのことに全く気が付いていなかったというわけではなく、「簡単に」と言ってしまったのはちょっとした言い間違いに近い。
「ああもう、いきなりビビらせんといてや。おっちゃんはその顔だけで十分怖いんやから、もうちょっと愛想良くせえへんと客が逃げてまうって前にも言うたやん。」
 ナウルが呆れたような口調で言うと、男が不愉快そうに眉を顰めた。ナウルの軽口が余計に男の機嫌を害したであろうことにアスティはびくびくとしていたのだが、男はそれ以上口を開かず、黙々と鉄板の上の生地を丸めていく。
「とりあえず、二舟ちょうだい。」
 明らかに怒っているらしい男の様子に構わず、ナウルはにこりと微笑んで男に告げた。気まずい空気にアスティがそわそわしていると、男は黙って木の薄皮を剥いで作られたらしいおもちゃの小舟のような形をした皿に丸い玉を八つほど載せ、その一つに短い木串を二つ突き刺してナウルに差し出す。
「ほい、アスティちゃんの分。」
 ナウルはにこりと笑って男から受け取った皿をアスティに差し出した。
「い、いいんでしょうか?」
 機嫌の悪そうな男の様子を窺いつつ、アスティはこわごわと皿を受け取る。
「もちろん! 今日は俺たちのおごりやで!」
 ナウルは言うが、アスティが気にしているのはそういう問題ではない。
「あ、このおっちゃんの顔が怖いんはいつものことやから気にせんでええよ。こう見えて、実は涙もろくてええ人やねんで!」
「余計なこと言うなや、阿呆。」
 ナウルがけらけらと笑いながら言うと、ぼそりと男が呟いた。ぶっきらぼうな言い方だが、照れくさそうに頬を染め、口元には微かに笑みが浮かんでいる。どうやらさほど怒ってはいないようだ。この店の看板のタコハチをデザインしたのもナウルだと聞いたし、男とナウルは多少の軽口が許容される程度には親しい仲なのだろう。
「ま、美味いもん作る奴に悪い奴はおらへんからな。っちゅうことで、早よ食べて。ここのたこ焼きは冷めてもうまいけど、一番ええのは出来立てのあつあつやで!」
 ナウルに促され、アスティは木串を摘み、ほんのりと湯気の立つたこ焼きを口に運んだ。
「はふ……ははふはふ……。」
 ナウルの言ったとおり、たこ焼きは出来立てのあつあつだ。噛むとふんわり柔らかく、生地がとろりと口の中に溢れる。
「どや、うまいやろ。」
 ナウルに問われ、アスティはもぐもぐと口を動かしながら頷いた。顔には自然と笑みが浮かぶ。
 ふと、とろみのある生地の中に、歯ごたえのあるものを感じた。お好み焼き屋で食べたミックス玉に入っていたイカに似ているような気もするが、それよりもさらに弾力がある。
「……中に何か入って……る?」
 アスティは口元に手を当て、首を傾げながら尋ねた。これはそのまま飲み込んでしまってもいいものだろうか。
「それがタコや! タコが入ってるからこその『たこ焼き』やねん。」
 ナウルの何でもない言いぶりからすると、弾力のある「タコ」はそのまま食べてしまって問題なさそうだ。未知の食べ物ゆえ、エルタワーでイニスが食べさせられた特製蜂蜜飴のような驚きの仕掛けが施されているのではないかと一瞬不安にもなったのだが、このたこ焼きを作ったのはナウルではなく屋台の男だから、心配は無用だろう。
「タコってこの上の……ですか?」
 アスティはタコを飲み込み、屋台の看板を見上げる。
「そ。タコの脚んとこやで。表面は香ばしく、中はふんわり柔らかく……とろみのある生地とタコの歯ごたえが絶妙な組み合わせやろ?」
 ナウルの問い掛けに、アスティは素直に頷いた。
「さっき食べたお好み焼きみたいにソース掛けて食べるたこ焼きもあるんやけど、この店のたこ焼きは生地に出汁が効いとるから、ソースなしで食べられるんや!」
 ナウルの解説を聞きながら、アスティはタコハチを見つめた。ナウルが本物を忠実に再現したというタコハチの滑らかな動きを見ていると、その脚が小さく切り刻まれてたこ焼きの中に入れられ、今は自分のお腹の中にあるのだという言うことに申し訳なさも覚えるが、たこ焼きにしてしまったからには美味しくいただくのが礼儀だろう。
 アスティはタコハチに小さく会釈して、犠牲になったタコへの感謝を心の中で唱えた。それから二つ目のたこ焼きを木串に刺して口へ運ぼうとした時、横からぬっと黄色いくちばしが割り込んできた。
「あっ!」
 アスティが声を上げた時には既に遅く、キーロはたこ焼きを一口に飲み込んでいた。
「クエッ!」
 キーロは満足そうに鳴き、次をせがむ。他人の食事を横取りしたことは褒められないが、アスティも大人しく肩に乗っていたキーロにたこ焼きを分けてあげることを忘れていたから、キーロばかりを責められない。アスティはキーロの要求通り、たこ焼きをもう一つ木串に刺して、くちばしの前に差し出してやった。
「キーロも気に入ったんやね? さすが賢い鳥や、味が分かるんやねぇ。」
 キーロの食べっぷりを見ながらナウルがうんうんと頷く。
「ほら、もう一舟出来たで。」
 屋台の男がナウルに声を掛け、たこ焼きの載った皿をもう一皿、左手に載せて差し出した。
「おう、おおきに。」
 ナウルが皿に手を伸ばすと、男はさっと左手を引っ込め、代わりに右手をナウルの目の前に突き出した。
「代金。」
 男がむすっとした表情でナウルに告げる。
「……おお、忘れとったわ!」
 一瞬、きょとんとしたナウルが、けらけらと笑いながら懐を探り始める。
「お前、そのまま忘れとこ思たやろ?」
「いややなあ、そんなわけあらへんて。俺は価値のあるもんにはちゃあんと金を出す男やで。」
 疑いの目を向ける男に気さくに返しつつ、ナウルが突然動きを止めた。
「あー……そや、後ろの黒いのがまとめて払うからそっちに請求してくれへん?」
 ナウルは男の左手からたこ焼きの載った皿を奪い取り、背後のイニスを指さした。
「はぁ?」
 呆れたような声を出したのはイニスだ。それもそうだろう、先ほどナウルは威勢良く「今日は俺のおごり」と——いや違う、ナウルは「俺たちのおごり」と言っていた。なるほどそう言うことかと感心するが、先ほどのお好み焼き屋でもイニスに支払いをしてもらったばかりだ。ここでもイニスに出してもらっては、「俺たちの」ではなく完全に「イニスの」おごりだ。
「あ、あの、それならここは私が……。」
 アスティが慌てて腰に下げた袋を覗き込む。屋台の柱に貼られた張り紙を見る限り、たこ焼きはそれほど高いものでもなさそうだし、たぶん、アスティの所持金でも賄えるだろう。
「いい。お前が出す必要はない。」
 イニスはアスティを制し、素早く屋台の男にお札を差し出した。
「まいどあり。」
 男としては代金を受け取ることができれば誰が支払おうと構わないのだろう。男はイニスが差し出した札を躊躇いなく受け取った。
「でも、さっきも……。」
 半ば強引に貧民街まで連れて来た上、イニスにばかり支払いを任せてしまうのはどうにも気が引ける。
「後できちんとナウルから取り返すよ。お好み焼き屋の分も合わせてな。」
 イニスは今度はきちんと男からお釣りを受け取り、いつの間にか屋台の脇に並んだ丸椅子に腰掛けて幸せそうにたこ焼きを頬張っているナウルを睨み付けた。
 王宮に戻ったら、この二人はきっとまた派手に喧嘩をするのだろう。困ったことだが、アスティが心配したところで結果が変わることもなさそうだ。アスティは小さくため息を吐いた。
 肩の上のキーロが次のたこ焼きを催促したので、アスティは木串に刺した一つをくちばしの前に差し出してやる。
 このままではキーロに全て食べられてしまうかもしれないと心配しつつ、アスティはもう一本の木串が刺さったままのたこ焼きを皿ごとイニスに差し出した。
「イニスさんもお一ついかがですか?」
 代金を支払ったのはイニスなのに、一つも食べられないのでは申し訳ない。
「いや、俺はいい。」
 イニスはアスティを振り返って短く答えた後、再び視線をナウルに向けた。
「必要ならあいつから貰う。」
 幸せそうにたこ焼きを頬張るナウルを睨み付けながら、イニスはそう述べたが、ナウルは次々とたこ焼きを口に放り込んでいる。これではイニスが分けて貰う前にナウルが一人で食べきってしまうのではないかとアスティが心配したのも束の間、ナウルは空っぽになったお皿と木串を掲げて声を上げた。
「んー、やっぱりここのたこ焼きは最高や! おっちゃん、おかわり!」
 屋台の男も呆れたような表情を見せ、それからちらりとイニスに視線を送る。追加分の代金を支払うのもイニスと見ているからだろう。
「俺は払わないからな。」
 男の視線に気づいたイニスは不満そうに顔をしかめ、ナウルに向かって言った。
「えー、何でぇ!? 俺はまだ全然腹ぺこやのに!」
 空の皿と木串を手に立ち上がったナウルが肩を落として不満そうに叫ぶ。
「理由が聞きたいのはこっちの方だ! 何で俺がお前の飯代を出さなきゃならないんだ!」
 イニスが声を荒らげると、ナウルはきょとんとして言い返した。
「そんなん、お前の方が給料高いからに決まっとるやん。」
 あまりにも「当然」と言わんばかりの態度に、一瞬、イニスが絶句する。
「……ふざけるな! お前の給料でも飯代くらい十分賄えるだろうが!」
 アスティの予想通り——しかし予想よりも少しばかり早く、二人の喧嘩が始まってしまった。
 どちらが悪いのかと問われれば、ナウルの言動の方に問題がありそうだが、イニスに食事代を出させているのはアスティも同じなので、ナウルを責め立てづらい。
 アスティが何と言って仲裁に入ろうか考えあぐねていると、ふと背後で砂を蹴る音がした。
「アスティちゃん、後ろ!」
 ナウルが声を上げると同時に、アスティも人の気配を感じて振り返ったのだが、それが誰かを確認する間もなく、アスティは体当たりを受けた。
「わっ!」
 驚いて声を上げると、キーロが肩から飛び上がり、アスティはそのまま地面に尻餅をつく。激しく砂の擦れる音がして、砂埃が舞った。
「あたた……。」
 反射的に両手を地面についたが、真っ先に着地したお尻が痛い。そして当然のことながら、手にしていたたこ焼きのお皿は地面にひっくり返っている。加えて、その隣ではなぜかナウルが地面に寝転がっていた。どうやら、派手な音を立てて地面に滑り込んだのは、アスティにぶつかって来た相手ではなく、ナウルらしい。
「はふふ、危ないとこやった……んぐむぐ……なぁ!」
 楽しそうな声で呟いたナウルの手には、たこ焼きが三つ載った皿がある。ナウルの分のたこ焼きはとっくに完食されていたはずだが、どうやらナウルは、アスティが空中に放り出したたこ焼きを見事に受け止めたらしい。ナウルの口がむぐむぐと動いているのは、その一つを口で受け止めたからだろう。
「アスティ、大丈夫か?」
 駆け寄って来たイニスが不安げに声を掛け、手を差し伸べてくれた。上空で羽ばたくキーロが不愉快そうに叫んでいる。突然ぶつかってきた相手に怒っているのだろうか。
「あ、はい。私は……。」
 アスティはイニスの手を取って立ち上がりながら周りを見るが、アスティにぶつかって来た人物の姿はない。あれだけ派手にぶつかって立ち止まりもしないというのは、よほど急いでいたのだろうか。
 服に付いた砂埃を払いながら、アスティはふと腰回りに違和感を覚えた。体当たりを受けた衝撃で痛めたわけではない。妙に腰が軽いような——そこまで考えて、はっと気が付いた。腰に下げていたはずの荷物がないのだ。足下を確認するが、落ちているのはひっくり返ったたこ焼きの皿だけだ。
「あれ、私の荷物はどこに……?」
 アスティが言い終えるよりも先に、イニスが舌打ち一つで駆け出していた。
「クエーッ!」
 キーロが甲高く鳴いてイニスの後を追うように滑空する。アスティには何が起きたのか分からない。戸惑いながらナウルを振り返ると、体を起こし、地面に座り込んだナウルがにこりと微笑んだ。
「荷物、見事に盗まれてもうたみたいやね。」
「ええっ!?」
 ナウルはのんびりとした口調で言うが、本当に盗まれたのだとしたらのんびりしている場合ではない。あの小袋には、アスティがムリクと共に貯めた僅かなお金だけではなく、亡き父から譲り受けた大切な横笛も入っているのだ。
 イニスは、アスティの荷物を盗んだ犯人を追いかけてくれたのだろうか。イニスを追ったキーロがアスティが体当たりを受けた直後から激しく鳴いていたのは、荷物が盗まれたことを知らせるためだったのかもしれない。彼らの行く先を見つめると、アスティの荷物らしき袋を小脇に抱えた少年が細い路地へ駆け込むのが見えた。
「ま、泥棒とっ捕まえるんもあいつの仕事やから、ここで待っとったらええんちゃう?」
 ナウルはアスティの分だったはずのたこ焼きを頬張りながら悠然と言うが、その提案に乗って大人しく待っていられるほどの余裕はアスティにはない。
「私も追いかけます! 大事な笛が入っているんです!」
 アスティはナウルに向かってそう叫ぶと、慌ててイニスとキーロの後を追った。

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