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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第43話 いとしのエリー

 その後の食事は和やかに進んだ。
 先に焼き上がった豚玉のお好み焼きを食べながら、ナウルが三枚目のミックス玉を焼いてくれた。
 イニスが焼いたイカ玉はナウルの強い勧めでアスティの口には入らなかったのだが、イカ玉に入っていた白い具材はミックス玉にも入っていて、独特の歯ごたえをアスティは興味深く味わった。イカという海に暮らす生き物の肉を刻んだものらしいのだが、そのイカという生き物は柔らかな体を持ち、水中で魚のように素早く泳げる上、足が十本もあると言う。ナウルがその姿をお好み焼きの生地の上にソースで描いてくれたのだが、それがその生き物の奇妙さを正確に表したものなのか、あるいはナウルの素晴らしい芸術センスによって誇張されたものなのか、アスティにはよく分からなかった。
「どや? お好み焼き、うまかったやろ?」
 ナウルに問われ、アスティは素直に頷いた。焼きたてのお好み焼きは外側はこんがりと焼けて香ばしく、内側はふっくらとしていて、たっぷり掛かった甘口のソースもナウルの言うとおり、ご飯が進む味だ。
 キーロも小皿の上で冷ました数切れをぺとりと平らげ、満足げにしている。
「そやろ、そやろ。まぁ、おいしいお好み焼きが食べたくなったらいつでもこのナウル名人に声掛けてや! 変な意地張って自己流で作ろうとすると、せっかくの素材もおいしくなくなってまうからな!」
 ナウルのあからさまな当てつけに、イニスが隣で顔をしかめるが、アスティに出来るのは、乾いた笑いを浮かべてその場をやり過ごすことだけだ。
「さてと……おっちゃん、お勘定!」
 コップに残っていた水を飲み干し、ナウルが店の奥に向かって手を挙げた。その声に、アスティは慌てて腰に下げた袋を覗く。中には、東の森を通る行商に工芸品や収集した果実を売って少しずつ貯めた硬貨が入っているのだが、果たしてこれで足りるだろうか。王都ではあらゆるものが高い価格で取引されるのだと東の森を通る行商から聞いていた。事実、彼らが持って来る王都の品物は時にものすごく高価で、アスティたちにはとても買えないようなものもたくさんあった。
 アスティの予想どおり、店の奥から出てきた店主が告げた金額は決して安くはなかった。三人と一羽分の合計金額のようだが、そうだとすると、アスティが払うべき金額はいくらだろう。とっさのことに頭が回らず、アスティは唸りながら、腰の袋の硬貨のうち、なるべく大きなものを選んで取り出した。
「あ、アスティちゃんはお金出さんでええよ。今日は俺の奢りや。」
 ナウルが笑いながら言った。
「え? でも……。」
「俺がこの店選んで連れて来たんやし、おいしくお好み焼き食べてくれればそれでええねん。」
 ナウルは案内役を務めた上に名人技でおいしいお好み焼きを焼いてくれたのだから、その分、アスティが食事を御馳走するくらいはしたいところだが、ここで厚意を無碍にするのも憚られる。アスティは素直に礼を述べることにした。
「ありがとうございます。」
「ええよ、ええよ……あ、お前はしっかり払えや、イニス。」
 ナウルはアスティににこにこと笑顔を向けた後、イニスに向かって言い放つ。イニスは不満そうな表情を浮かべつつも、懐から金具に挟まれた二つ折りの紙束を取り出すと、そこから一枚を引き抜いて無言でナウルに差し出した。
 国王の肖像が描かれたその紙を、アスティは何度か見たことがある。行商人の売り上げ箱に硬貨に混じって入っていたそれは、「お札」と呼ばれる大きいお金だ。磨けば光る硬貨と比べると、ちょっと複雑な模様が描かれたただの紙にも見えるそれは、硬貨よりもずっと価値のあるもので、紙に書かれた数字がその紙の価値を表しているらしい。イニスが差し出した紙に書かれた桁数を数えると、今し方、店主が告げた金額の倍以上の価値がありそうだった。アスティの腰の袋に入っている全財産よりも多いかもしれない。
 アスティが驚きと感心を持ってお札を見つめていると、ナウルはイニスから受け取ったお札をそのまま店主の男に手渡した。
「ほな、これで。釣りは要らへんから。」
 ナウルはそう言い添えて、店主に向かってにこりと微笑む。残りの札束を懐に仕舞い戻していたイニスが、一瞬驚いたように顔を上げた。
「いや、そういうわけにはいかへんて。いくら何でも多過ぎや。」
 店主も戸惑いの表情を浮かべるて受け取ったお札を突き返そうとするが、ナウルは「ええから、ええから。」とそれを押し返して立ち上がる。
「俺らのせいでせっかくの大口客逃してもうたやろ? 営業妨害したお詫びや、とっといて。ほんで、次に来た時にはちょっとサービスしてや。」
 ナウルは店主の肩を軽く叩き、ウィンクする。
「まあ、そない言うことなら……。」
 店主が渋々という風で前掛けのポケットにお札を納めると、ナウルは満足げに「ごっそさん。」と答えて店主に背を向けた。
「おおきにな。」
 店主の声に、ナウルは片手を上げて答え、店を出て行く。アスティはしばらく二人のやり取りをぼんやりと見つめていた。ナウルは先程、ここは自分の奢りだとアスティに言ったのだが、食事代として店主の手に渡ったのは、イニスが出したお札だけだ。イニスが自分の分以上に支払った額を、ナウルは後でイニスに支払うつもりなのかもしれないが、むしろこれは、イニスが全員分の食事を奢ってくれたと考えた方がいいのではないだろうか。
 何かおかしいな、と思ってアスティが首を傾げていると、不意に名前を呼ばれた。
「アスティ?」
 イニスが怪訝そうにアスティの顔を覗き込んでいる。
「あ、すみませんっ。」
 アスティは慌てて席を立った。アスティが席を立たなければ、奥の席に座ったイニスは出られないのだ。
「ごちそうさまでした。」
 アスティは店主に向かってぺこりと頭を下げると、イニスと共に店を出た。
「さーて、どないしよかっかなぁ。」
 店を出ると、ナウルがぐーっと伸びをして空を見上げている。
 アスティも何となく空を見上げると、青空を白い雲が流れていた。店の中で一応は大人しくしていたキーロは、やっと解放されたとばかりにアスティの肩から飛び立ち、旋回を始める。
「あの、イニスさん……お代、ありがとうございました。」
 イニスがアスティの隣に並び、アスティは、イニスに向かってぺこりと頭を下げた。後でナウルが返すにせよ、一時的にイニスがみんなの食事代を支払ってくれたことは間違いない。そのことについては、きちんとお礼を述べるべきだと思った。
「ああ、まあ……別に。」
 イニスが面倒くさそうに答える。
「よっしゃ、決めたで!」
 突然、ナウルが叫んだ。
「やっぱりお好み焼きを食べたら、次はあれいかなあかんやろ! な?」
 ナウルはにこりと笑ってアスティを振り返る。ナウルの言う「あれ」が何なのか分からず、アスティは首を傾げるしかない。
「おい……どこに連れて行く気か知らないが、食事が済んだならとっとと王宮に戻って……。」
「何言うてんねん! あんくらい、食べたうちに入らへんわ。アスティちゃんやてまだ腹ぺこやろ?」
 呆れた様子でナウルに声を掛けたイニスの声を遮って、ナウルがアスティに問う。腹ぺこというほどではないが、アスティの分になるはずだったお好み焼きのうち数切れはキーロに食べられてしまったし、こんもり盛られたご飯も、物足りなそうにしていたナウルに半分分けてしまったから、先ほどのお好み焼きは一食分としてはやや少なめではあった。
 アスティの分のご飯も食べたナウルが「食べたうちに入らへん」と言うのは若干解せないところもあるのだが、昨晩の宴会でのナウルの食べっぷりを思い出せば、確かにあれでは足りないだろう。
 アスティが曖昧な微笑を浮かべていると、ナウルはアスティの手首を掴み、引き寄せる。
「とにかく、せっかくここまで来たんやから、色々見て回らんと損やで! その土地のことをちゃんと知りたいんやったら、まずはその土地のもんを片っ端から食べて食べてまくるこっちゃ! なぜなら、食は生活の基本やからや!」
 ナウルは分かるようで分からない理屈を言うと、アスティの手首を掴んだまま跳ねるように駆け出——そうとしたのだが、その首根っこをイニスが掴んで引き留めた。
「あ、イニスは独りで王宮に戻っても構へんで。」
 やむなく足を止めたナウルは、笑顔で首だけ振り向かせ、イニスに告げる。
「遠慮しておくよ。お前に任せられないから、俺はここまでついて来たんだ。」
 イニスは答え、ナウルの首根っこを離した。
「さよか。ほんなら、邪魔せんようについて来ぃや。」
 ナウルはイニスを睨み付けながら乱れた襟元を糺し、アスティの手を握り直して歩き始める。
「早よ行こ、早よ行こ。」
 ナウルに手を引かれ、アスティも歩き出した。キーロが一旦上空でアスティたちを追い抜き、再び舞い戻ってアスティの肩に着地する。
 ナウルに引かれてしばらく通りを歩いていると、突然、細く薄暗い脇道から高い声で呼び止められた。
「あら、ナウルじゃない!」
 振り向くと、一見この貧民街には不釣り合いとも思える上品なドレスをまとった若い女が脇道の奥から姿を見せる。
「おおう、エリー。久しぶりやね!」
 アスティと共に振り向いたナウルが笑顔を向けた。どうやら彼女もナウルの知り合いらしい。
「本当にそうよ。最近全然お店に顔出してくれないんだもの、死んじゃったのかと思ってたわ!」
 ナウルがエリーと呼んだ女は、ナウルに駆け寄ると腕をナウルの首に回して抱きついた。ナウルは一瞬驚いた表情を見せてよろめいたが、エリーの背に腕を回し、彼女の長い髪を優しく撫でる。
 二人の間に漂う空気は、親しげ——を通り越して、あまりにも親密そうで、アスティは戸惑いながら後じさった。振り向けば、イニスが不機嫌そうに眉を顰めている。
「色々忙しかってん。エリーは相変わらず綺麗やね?」
 ナウルは穏やかな表情でエリーに問うた。
「ありがとう。ねぇ、今日はお店来てくれるの? また新しいお客さん紹介してくれるならサービスしてあげる。」
 エリーはナウルの耳元で囁くように言い、ちらりとイニスに視線を向ける。会話の内容からすると、どうやらナウルはエリーの店の常連客らしい。二人の親しげな様子からして、単に店員と客というだけの間柄でもないようだが、もしかすると、ナウルがこれからアスティたちを連れて行こうとしているのは、エリーの店なのかもしれない。エリーの店が飲食店であるならばの話だけれど。
「きちんとお代さえ払ってくれればうちは悪魔だって歓迎するわよ、騎士団長さん。」
 エリーが柔らかな笑みをイニスに見せた。やはり王都の人々にとってイニスが王宮騎士団長であることは一目で分かることらしい。エリーは「歓迎する」と口にしたが、「悪魔」と呼ばれて嬉しいはずもない。イニスは何も答えなかったが、眉間にいっそう深いしわを刻んで視線を逸らした。
「んー……そうしたいとこやけど、今日はあかんねん。まだ色々仕事が残っとるんや。」
 ナウルは逡巡するような様子を見せた後、困ったように微笑んだ。どうやら、エリーの店で昼食の続きを取るのではないかというアスティの予想は外れらしい。
「珍しい、ナウルが仕事だなんて。どんな悪巧みしてるの?」
 エリーが微笑んでナウルに問うと、ナウルが苦笑した。
「悪巧みなんかやないて。今日は彼女に王都を案内せなあかんねん。」
 ナウルがアスティを振り向くと、エリーはナウルに抱きついたまま、ナウルの肩越しに興味深げな視線を寄越す。
「……何なの、この子。私のお店に来ないでこんなちんちくりんに熱を上げてるわけ?」
 エリーは怪訝そうに眉を顰め、押し退けるようにナウルから離れた。
「ちんちくりん……?」
 アスティは顔をひきつらせながら聞き返した。聞き慣れない言葉だが、肯定的な意味合いでないことは分かる。アスティが、近付いてきたエリーを戸惑いながら見つめていると、エリーはアスティの周りをぐるりと回って前後左右から観察し始めた。
「……胸もお尻もぺったんこ! 完全にお子様体型じゃない。」
 最後の一言に、アスティは一瞬頭を殴られたような気がしたが、何と言い返せばいいか分からずに乾いた笑みを浮かべるしかない。
 確かに、目の前のエリーと比べれば、アスティは完全に「子供」だ。
 エリーの薄緑色のドレスは、柔らかな素材で仕立てられ、エリーの体に寄り添って女性的な体の線を強調していた。袖や裾を飾る薄手の生地はきめ細やかな白肌を透かし、彼女が歩く度に裾の大きな切れ込みから白い太股が覗く。アスティが着ている東の森の伝統柄のワンピースは亡き母の服の布地を叔母のメリルが仕立て直してくれたものでアスティのお気に入りだったけれど、エリーのドレスはずっと都会的で洗練されたものに見えた。
「んーまあ、顔立ちは悪くないから化粧して飾りたてれば少しはマシになるかもしれないけど。」
 エリーはアスティの正面に立つと、ぐっと顔を寄せて来た。アスティが反射的に俯いて視線を逸らすと、大きく開いたエリーの胸元から柔らかそうな膨らみが二つ、アスティを見上げている。
 ふわりと立ち上る甘い香りにアスティが一瞬めまいを覚えた時、二人の間に黒い腕が割り込んだ。顔を上げ、エリーと顔を見合わせる。きょとんとして首を傾げ、割り込んできた腕を辿りながら見上げると、背後に立ったイニスが不機嫌そうにエリーを睨みつけていた。
「イニスさん……。」
 ぼんやりしているとイニスに肩を押され、アスティはイニスの背に回り込むように後じさった。
「あんたが用のあるのはナウルだろう? こいつは俺の連れだ、近付くな。」
 イニスがエリーに向かって言い放つ。
「あら、そうなの? 悪魔のくせに子供っぽい趣味してるのね。」
 エリーは小首を傾げながらイニスを見上げ、挑発的な笑みを見せた。イニスは眉を顰め、顔を背ける。言い争いを避けたいのだろう。
「ふふっ、悪魔も近くで見ると結構男前じゃない。ねえ、うちのお店に来ない? 特別サービスしてあげる。」
 そう言ってエリーはイニスの腕を取り、体を寄せた。イニスとは初対面らしいにもかかわらず、ずいぶんと馴れ馴れしい態度だ。アスティはエリーがイニスを繰り返し「悪魔」と呼ぶことが気になって、せめてその点についてだけでも一言抗議すべきではないか思案したのも束の間、突然、イニスが声を荒らげた。
「……気安く触るな!」
 イニスがエリーを振り払うように身を捩ると、体勢を崩したエリーが短い悲鳴を上げてよろめいた。
「あ……!」
 転びそうになったエリーに、アスティは思わず手を伸ばすが、間に合わない。
「……っと! 全く……俺を差し置いて他の男なんか口説こうとするからやで。」
 地面に倒れ掛けたエリーの体を支えたのはナウルだった。エリーの悲鳴に一瞬慌てたような顔を見せたイニスが、ほっとしたように小さく肩を下げる。
「浮気した罰や。」
 ナウルは窘めるように言い、エリーを真っ直ぐ地面に立たせた。
「浮気じゃないわ、営業活動よ! この一ヶ月、ナウルが全然お店に顔出してくれないせいで私のお給料、減らされちゃったんだから!」
 エリーはしっかりと地面に立つと、ナウルに向き直り、頬を膨らませて抗議する。
「しゃあないやん、色々忙しかったんやて……。」
 ナウルは頭を掻きつつ苦笑する。
「ねぇ、今度はいつ来てくれるの?」
 エリーは再びナウルにもたれ掛かりながら甘ったるい声で尋ねた。
「給料が入ったらや。今、金欠やねん。」
 ナウルがにこりと笑って答えると、エリーが眉を顰める。
「どうせまたくだらないもの買い込んでるんでしょう? ナウルは私のことより、変ながらくたの方が大事なんだから!」
 エリーはナウルを突き飛ばし、腕組みをしてぷんっとそっぽを向いた。
「そんなことあらへんよ。そもそも俺が買い込んどるもんはがらくたやあらへんし。」
 ナウルが宥めるように言うと、エリーは不満そうな表情でナウルを見つめる。
「しっかし、昼間っから随分めかしこんどるやん。仕事の時間にはまだ早いんちゃう?」
 ナウルはエリーの不満そうな視線に構わず、エリーの髪に手を伸ばし、指先を絡めながらのんびりと言う。
「デートの約束があるの。エルタワーに本社のある新興企業の若社長よ。最近お店によく来てくれるから、サービスしてあげようと思って。」
 エリーはナウルの手を振り払うように肩に掛かった髪を背中へ流し、弾んだ声で言う。
「ふーん……。」
 今度はナウルの方がつまらなそうな顔をした。
「妬いてるの?」
「そやね。」
 ナウルは不満げな表情で短く返す。
「今夜ナウルがお店に来てくれるなら、そっちはキャンセルしてもいいわよ?」
「そやから今日は無理て言うたやん。」
 ナウルがため息混じりに答え、エリーが再び不満そうに頬を膨らませた。
「あ、あの……私の案内なら別の日でも構わないのでエリーさんのお店に行っていただいても……。」
 アスティはおずおずとナウルに申し出た。
「ああ、ええねん、ええねん。どうせ今日は金あらへんし。」
 ナウルはけらけらと笑いながら顔の前で手を振った。その隣では、エリーがいっそう不満そうに頬を膨らませている。
「給料入ったらちゃんと遊びに行ったるから、それまでぼんくらの若社長に貢がせてしっかり稼いどきや。」
 ナウルはそう言うとエリーの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ナウルが来ない間にそのぼんくら社長に見初められて結婚しちゃうかも。」
 エリーは煩わしげにナウルの手を押し退けたが、その表情は幾分か和らいでいる。不満そうではあるが、本気で怒っているという風ではない。
「そしたら玉の輿やね。……けど、そないぼんくらより俺の方が魅力的やろ?」
 ナウルは片手でエリーの顎を軽く持ち上げ、柔らかな笑みを浮かべてエリーを見つめた。エリーの頬が微かに紅潮し、エリーは恍惚とした表情を浮かべる。
「来月はちゃんと来てね。絶対よ?」
 エリーはせがむようにナウルの両手を取った。
「おう、約束や。」
 ナウルが答えると、エリーは嬉しそうに笑顔を見せ、素早く自分の唇をナウルの唇に押し当てる。
「……じゃあね。」
 いらずらっぽい笑みを浮かべ、エリーはドレスの裾を翻すと、アスティたちが歩いて来た方向へ通りを小走りに駆けて行った。
 エリーの背中を見送りながら、ナウルはぺろりと舌を出して唇を舐めた。前髪を掻き上げ、一瞬見せた困ったような表情はすぐに柔らかな微笑みに変わる。
「転ばんように気ぃ付けやー。」
 遠ざかるエリーの背中に向けてナウルが掛けた声は、妙に間が抜けて聞こえた。
「……お前、まだあんないかがわしい店に出入りするつもりか?」
 にこにことエリーを見送るナウルの背中を睨みつけながら、イニスがこぼす。
「別に、俺が休みの日にどこへ行こうと誰と付き合おうと俺の勝手やん。お前はいかがわしい店や言うけど、エリーの店はちゃんと営業許可を受けとる、合法や。」
 ナウルはエリーを見送りながら、振り向かずに答えた。
「表向きはな。あの手の店が裏で何をやっているか……。」
 イニスがため息混じりにこぼすと、ナウルはイニスを振り返り、ふんっと鼻を鳴らした。
「アホらしい。問題がある言うんやったら法律の通りに取り締まればええねん。それができひんのは、法律違反になる悪いことがないか、誰かさんが法律の通りに取り締まると都合が悪いお偉いさんの言いなりになっとるせいとちゃうの? 自分の無能を棚に上げて説教するなんや、傲慢もええとこやで。」
 ナウルの反論に、イニスはむっとした表情で眉を顰める。
「……娼婦なんかに入れ込んで、恥ずかしくないのか。」
 そう質したイニスの声音は、苛立ちの気配と共にぞっとするほど冷たい響きを含んでいた。
「全っ然! っちゅうか、エリーは娼婦やのうてホステスや。間違えんといてくれる?」
 ナウルは明るい声で答えて笑みを浮かべたが、イニスに向ける視線は冷ややかだ。対するイニスは、何か言いたげな表情を浮かべつつも、黙ってナウルを睨み返す。
「全く……お前が中の(もん)に手ぇ出すな言うから、こっちはわざわざ外で遊んどるっちゅうのに。」
 ナウルは肩を竦めながらやれやれとため息を吐いた。
「代わりに外で遊べと言った覚えはない。」
 イニスがむすっとしてナウルに返すと、ナウルが突然、地団駄を踏んだ。
「ああもう、お前は全然分かってへん! 男と女が結び付くんは生物としての自然な営みやろが!」
 そこで一息吐き、ナウルはイニスの眼前に人差し指を突き立てる。
「……ええか? 俺ら普通の男は、お前のようにお国のためや言うて人生の楽しみを捨てた阿呆とは違うねんで!」
 ナウルの力強い言い切りに気圧されたらしいイニスは、両目を見開いたまま右足を引いた。それから悔しそうに口を一文字に結んで視線を斜めに落とす。完全にナウルが押し切った形だ。
 二人の間に漂う気まずい空気には不安が募るが、既に今日だけでも似たようなやり取りを何度も見ていることを思い出せば、一々気に病むことでもないのだろう。
「アスティちゃん! ほら、早よ行こ! 腹ぺこやろ?」
 先を歩き始めたナウルが振り返り、笑顔で呼び掛ける。アスティがイニスを振り返ると、イニスは小さくため息を吐いて歩き出し、アスティはイニスと共にナウルを追いかけた。

最新の執筆状況(更新予定)等はTwitter(@ayaki_ryu)で呟いています。

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