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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第38話

 アスティが一瞬の浮遊感を覚えた後、小部屋の扉が再び静かに開かれた。
 閉塞的な環境から解放されたことにほっとしたのも束の間、アスティは眼前の見慣れない光景に首を傾げる。
 明らかに、この小部屋に入った時とは周囲の景色が違っていた。目の前にあったのは、吹き抜けの広場ではなく、艶やかな石の壁だ。その雰囲気は、むしろ王宮の廊下に似ている。
「これが自動昇降機や。」
 一番に小部屋を飛び出したナウルがくるりと振り返って得意げな笑みを見せた。
「簡単に言うたら、小さな箱を紐で吊り下げて上下させとるんや。それで、俺たちはあっちゅう間に最上階の展望フロアに御到着っちゅうわけ。」
「それは、誰かが私たちを引っ張り上げてくれたということですか?」
 ナウルの説明に、アスティは聞き返す。昔、東の森で、いとこのティムと一緒に樹上に秘密基地を作った時、木の枝にロープを掛けてその一端をかごに結び付け、もう一端を引っ張っておやつの果物を基地へと運び込んだことがあるが、それと似たような仕組みだろうか。アスティたち三人を乗せたこの箱を引っ張り上げるのはなかなか大変そうではあるけれど、そうだとすれば、小部屋の床が時折揺れた理由も納得が行く。この小部屋はずっと空中に浮かんでいたのだ。たぶん、今も。
「まあ、そういうこっちゃ。人力やのうて動力装置のおかげやけどな。」
 ナウルの説明を聞きながら、アスティを改めて不安を覚えた。ここが最上階ということは、つまり自分たちは今、あの地上から見上げたエルタワーのてっぺん近くにいて、自分たちがいるこの小部屋は空中にぶらりと吊されて浮かんでいるということだ。
「ここが……最上階……。」
 アスティはごくりと唾を飲む。
「もちろん、待望の景色は裏側や! アスティちゃんが見たら、そらもうびぃっくりの景色やさかい、覚悟しときぃ。」
 ナウルはアスティの腕を掴んで小部屋から引きずり出すと、つるつるした廊下を足早に進んだ。アスティは危うく転びそうになりながらナウルを追いかけたが、突然、ナウルが立ち止まり、掴まれていた手を離された。
「さあ、よう見てみぃ。」
 アスティがふらつきながら顔を上げると、一気に視界が開けた。
 空と大地の境界線を示す稜線がはっきりと見え、視線より下に、白雲がぽくぽくと浮いている。
 思わず、息を止めた。
「ここが、『この国の全てが見える場所』や!」
 両手を広げてナウルが宣言したとおり、確かに全てが見えた。
 あるべき壁はほぼ全面がガラス張りの窓になっていて、眼下にはアスティたちが歩いて来た王都の街並みがある。正面には王宮のある高台があり、その背後に聳える険しい山々は白い帽子を被っていた。右手には、豊かな森の緑が遥か青い山の麓まで広がっている。
「この先に、ちょっと緑が盛り上がっとるとこがあるんは分かるか?」
 ナウルが右手の森を指さし、アスティは大きなガラス窓に近づき、目を凝らした。山の麓まで広がる緑はまだらな陰影を描いているが、ナウルの指さしている場所がどこなのかは判然としない。
「この右手の森が東の森で、アスティちゃんのテントの近くにものっそいでっかい木ぃがあったやろ? それがあれや。」
 ナウルの言う「ものっそいでっかい木ぃ」は、きっと東の森の神木だろう。
「これで見たらいいんじゃないか?」
 不意にイニスがアスティの視界に入り込み、アスティの脇に置かれた小さな箱を叩いた。アスティの肩ほどの高さの支柱に載せられた四角い箱には、覗き穴のような丸が二つくっついている。
「これ……は?」
 アスティが聞き返すと、イニスは箱の中央に合った小さな切れ込みに硬貨を放り込んだ。
「覗けば分かる。」
 イニスに促され、アスティは四角い箱に額を付けて覗き穴を覗き込む。
「何が見える?」
 イニスに問われ、アスティは目を凝らしたが、見えたのはただ丸くくり貫かれた空色の面だけだった。何と言うほどのものは何も見えない。
「空……と言うか、空っぽです。」
 アスティはしょんぼりとして答え、四角い箱から額を離した。
「じゃあ、もう少し下だな。」
 イニスはそう言いながら、四角い箱の脇に付いたボタンを押している。
「これでもう一度。」
 アスティは首を傾げつつも、言われたとおりに四角い箱の中を覗き、思わず「あ。」と声を上げた。
「何が見えた?」
 笑みを含んだようなイニスの声に、アスティは勢いよく箱から額を離す。
「緑の木が見えました!」
 アスティの歓声に、イニスは柔らかな笑みを浮かべていた。
「これは電子双眼鏡。遠くの物をすぐ近くにあるかのように拡大して見せてくれる。」
「じゃあ、この中に見えたのは、この先の森の木なんですね。」
「そう。このボタンで操作すれば好きな場所を拡大して見ることができる。」
 イニスの説明を聞ききながら、アスティはボタンを操作して再び四角い箱を覗いた。
「上手くすれば、アスティちゃんのテントも見えるかもしれへんで。」
 ナウルに言われるまでもなく、アスティはそれを探そうとしたのだが、あいにく、東の森の方角に見えるのはこんもりとした緑ばかりで、アスティたちのテントは豊かな木々に隠されてしまっているようだ。
「うーん……。」
「無駄だと思うぞ。どんなに拡大しても、木の向こうにあるものまで透視できるわけじゃないからな。」
 イニスの呆れた声が降ってくる。
「……で、ですよね……。」
 少しがっかりしつつも、アスティは苦笑いして四角い箱——電子双眼鏡から額を離した。
「まあ、テント自体は見えへんかもしれへんけど、アスティちゃんの暮らしとった場所がどの辺かっちゅうんはちゃんと分かるで。」
 ナウルはにやりと笑い、アスティに代わって電子双眼鏡を覗き込んだ。
「まず……これが東の森で一番高い木。墓地の近くにあった奴や。」
 ナウルは電子双眼鏡を覗き込んだまま素早くボタンを操作すると、アスティに再び電子双眼鏡を覗き込むよう促す。
「……あ、これ、東の森の神木です!」
 電子双眼鏡を覗き込むと、緑の中に、特に濃い緑の葉を付けた木が周囲から頭一つ抜きん出ているのが分かった。堂々とした形は見間違えようもない。
「そんで、その東、右の方にマリイヤの木がある。見えるやろ?」
 ナウルがアスティの手の上から電子双眼鏡のボタンを操作し、アスティの眼前の映像がゆっくりと右へ動いていく。
「……あ、ありますっ、マリイヤの実がたくさん!」
 風にそよぐ緑の合間に、鮮やかなマリイヤ色がちらちらと輝いていた。
「そうすると、そこから南のムケイの木が集まっとるところ、だいたいこの辺がアスティちゃんのテントのあった辺りやね。」
 眼前の映像が下方へ動き、更にぐっと拡大されると、大きな切れ込みの入った特徴的なムケイの葉が見えた。
「なるほど……。」
 言われて見れば、四角い箱の奥にはムケイの葉以外にも見覚えのある木々が映し出されている。
「その推論は正しいのか?」
 イニスの怪訝そうな声に、アスティが電子双眼鏡から顔を離して見上げると、イニスが眉を顰めてナウルを睨んでいた。
「当ったり前や! ムケイの葉は特徴的やし、稀少種やから、あないにまとまって生えとる場所はそうあらへん。それぞれの木の位置関係は、東の森で見た俺の記憶とぴったり一致しとるで!」
 ナウルが自信ありげに答えると、イニスがため息を吐く。
「俺には、お前のその記憶自体が疑わしいんだがな。」
「ふんっ、お前がどない疑ぉても、俺の記憶の正しさはアスティちゃんが証明してくれるで! テントの近くにムケイの木ぃがいっぱいあったんも、大きな木ぃの墓地の東にマリイヤの木ぃがあったんも、間違いあらへんやろ?」
 ナウルはイニスを睨み付けた後、アスティの肩を掴んでにこりと微笑んだ。思いの外強く掴まれたことに驚きつつも、アスティはこくりとナウルに頷き返す。
「クエッ!」
 機嫌の良さそうなキーロの声も、ナウルに対する同意表明だろうか。確かに、高いところから見下ろす森の姿に関しては、アスティよりもキーロの方が詳しそうだ。
「ほれ、アスティちゃんにキーロまで俺の言うとおりや言うてんで!」
 ナウルは得意げに胸を張るが、イニスはつまらなそうにキーロを睨んでいる。キーロもイニスに睨まれたことに気付いたのか、その瞳の奥に不穏な光が宿った。
「ナ、ナウルさんは本当に森のことに詳しいですよね! 私、王都の人は森のことには興味がなくて、森のことなんて何も知らないんだって思っていました。」
 周囲に漂い出した緊張感に戸惑いながら、アスティは慌てて口を開いた。
「まあ、普通はそうやろね。」
 ナウルは頭の後ろで手を組み、けらけらと笑いながら答える。
「俺のような天才を除けば、王都の連中はマリイヤの葉とムケイの葉の区別も付かないアホばっかやしな?」
「ええっ!?」
 ナウルが同意を求めるようにイニスを見やり、アスティは思わず驚きの声を上げた。
 森の民であるアスティにとって、マリイヤの葉とムケイの葉は見比べるまでもなく明らかに異なるものだ。この二つの区別が付かない人がいるだなんて、いくら王都の人々が森の木々に馴染みがないとしても信じ難い。
「そんなことはない。王都の人間だってマリイヤとムケイの区別くらい付く。ムケイは、先月、政府が絶滅危惧種に指定してニュースにもなっていたしな。」
 イニスがやや苛立たしげな声で答えると、ナウルはぼんやりと外の景色を眺めながら「そうやろか。」などと独りごちる。
「こないだ、その絶滅危惧種の若木をあっさり手折ろうとする奴が俺の目の前におったんやけどな。」
 ナウルの独り言にイニスが微かに頬をひきつらせ、アスティは嫌な予感が現実にならぬよう、再び慌てて二人の会話に割り込んだ。
「あの、政府が絶滅危惧種に指定したって言うのは?」
「政府は、個体数が減って将来的にその種の個体が完全に失われる可能性が高い生物種を指定して優先的に種の保存に努めているんだ。先月、ムケイもその指定を受けた。」
 答えたのはイニスだ。
「ま、俺に言わせたら、ムケイの個体数はとうの昔から減少傾向や。西の森の亜種はほとんど絶滅しとるし、今更、絶滅危惧種に指定したところで手遅れやけどな。」
 ナウルが挑発的な笑みを見せて振り返り、イニスが眉を顰めた。
「手遅れでも、何もしないよりはましだろう。」
「どうやろね? 俺は、絶滅危惧種の指定なんて何もせんのと同じや思うとるで。絶滅危惧種の群生地やて便利な生活のためならみんな平気で潰してまうんやから。」
 ナウルは腰高の手すりにもたれながら天井を見上げる。この展望室の天井には、青空も、星空もない。のっぺりとした白の天井には、所々照明器具らしき棒が埋め込まれ、白々とした光を放っている。
「絶滅危惧種の保存については政府も積極的に研究している。ムケイについても、今後、種の保存に向けた積極的な取り組みが……。」
「ああ、ああ、そうやろね。」
 イニスの説明をナウルは投げやりに遮った。
「けど、結局、政府の言う種の保存っちゅうのは、植物園にサンプルを二、三本植えて、それが枯れたら冷凍保存しとった種を蒔いてまた育て直せばええっちゅう話や。そんなんやったら、希少動物の剥製を飾りたがるアホな金持ちと変わらへん。ただの道楽や。」
 きっぱりと言い切ったナウルに、イニスは何も言い返さない。
 些か早口で述べられたナウルの言葉の意味を、アスティは完全に理解できたわけではなかった。ただ、ナウルの言っていることはよく分かった。分かってしまった——。イニスが口を噤んだことの意味も。
「ま、王都の連中が考えることなんてその程度のもんっちゅうこちゃ。」
 ナウルはおどけた口調で付け加える。
「……お前だって王都の、政府の人間だろう。」
 絞り出すような声で、イニスが小さくこぼした。
「そやで?」
 ナウルが屈託のない笑顔をイニスに向ける。イニスは戸惑いの表情を浮かべた後、黙って視線を床に落とした。その体側で、両拳がきつく握られている。
 アスティは森の民だ。故郷の森を守るために、国王に直談判して東の森の開発をやめさせるために王都へ来た。だから、ナウルのように政府の開発行為を批判してくれる人は、アスティにとって貴重な味方だ。そもそも、アスティに国王への直談判という画期的な計画を勧めてくれたのもナウルだ。それでも、アスティは、イニスがナウルに何か言い返すことを願わずにはいられなかった。
「あ、あの……。」
 口火を切ったものの、その先が続かない。口にすべき言葉を見つけられず、アスティはそれを知らないことを心から悔しいと思った。
「ま、つまらん話はこんくらいにしとこか。」
 ナウルは何でもない風に再び口を開く。顔を上げ、ナウルを見つめたイニスの表情には、まだ戸惑いが残ったままだ。
「せっかく『この国の全てが見える場所』まで来たんやから、しっかり色々見てみんとな! 反対側から面白いもんが見えんねんで!」
 沈んだ空気をものともせず、ナウルはそう明るく宣言すると、アスティの腕を掴んだ。
「え?」
 ナウルに腕を引っ張られ、アスティは電子双眼鏡から引き離される。
「あ、あの……!」
 跳ねるように駆け出したナウルに引かれるまま、アスティはイニスの脇を通り抜けた。

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