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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第37話 不思議な小部屋

 ガラス細工の吊り照明から少し離れた吹き抜けの脇に、銀色の扉が二つ並んでいた。いずれも取っ手が見当たらないところを見ると、自動扉なのだろう。
 ナウルが二つの扉の間にある三角形の出っ張りを押すと、右側の扉が開いた。
「ほな、いこか。」
 ナウルが先陣を切って扉の先へと足を踏み入れ、アスティに道を譲るように脇へ退いた。ナウルに続いて進み出たアスティは、扉の先が行き止まりであることに気付き、扉の手前で立ち止まる。
 奥の壁は闇色をしていたが、つるんとした表面はアスティの姿をうっすらと映し込んでいる。左右の壁も同様で、小部屋の先に別の扉があるというわけでもなさそうだ。
 物見塔の小部屋のような狭さだが、縦に伸びる梯子さえ見当たらない。恐る恐るその妙な小部屋へと足を踏み入れ、天井を見上げる。見上げた天井はアスティの背丈の倍あるかどうかの高さだが、そこだけは周囲の壁と違って青白い色をしていた。
「行き止まり……ですよね?」
 アスティはナウルに視線を送って尋ねる。
「そう思うやろ?」
 ナウルはニヤリと笑った。自信満々のナウルの顔を見る限り、きっとこの小部屋にも何か驚くべき仕掛けがあるに違いない。
 突然、わずかに床が沈んだような気がして、アスティはびくりと身体を震わせた。
「……どうした?」
 振り向くと、イニスが怪訝そうな顔をしている。
「あ、いえ……何でもないです。」
 何が怖いというわけではない。ただ、何となく不安が募る。狭いというだけではない。広さに関していえば、東の森でアスティが暮らしていたテントの中ときっとそう変わらない。家具が何一つ置かれていない分、この小部屋の方がゆとりがあるようにも感じる。
「ほな、出発や!」
 入ってきた扉の脇にはいくつもの四角形が数字と一緒に並んでいた。ナウルがそのうちの一つに触れると、ゆっくりと扉が閉まり始める。
 外からの光を失った小部屋はほの暗くなり、アスティはほとんど無意識のうちに手を伸ばしていた。
「アスティ?」
 呼び掛けられてはじめて、アスティは自分が隣のイニスの腕を掴んでいることに気付く。
「……す、すみません!」
 慌てて手を離したが、同時にふっと床がアスティを突き上げるように持ち上がった気がして、アスティは短い悲鳴と共に再びイニスの腕を今度は両手で掴んでしまった。
「揺れが怖いのか?」
 イニスが驚いた様子で見下ろしている。
「……す、少し……。」
 アスティは恥じらいながら答えた。
 イニスが何ら動じていないことからすると、ほんの少し床が揺れたことは、この場合、きっと大した問題ではない。東の森の大きな神木の枝に腰掛けている時、その枝が風に煽られて少しばかり揺れたとしても全く気にならないのと同じことだ。
 ——王都の床は時々ちょっと揺れる……そういうものなのかもしれない。
 ただ、頭ではそう理解していても、アスティにとって未知の存在であるこの狭い箱に漂う漠然とした不安は消えそうもなかった。出入り口が閉まり、ただ狭いという以上に、この小部屋にはほとんんど隙間が見当たらない。入り口の扉に取っ手はなく、何か良くないことが起こったときにすぐに逃げ出せるだろうか。
 不安定な床から伝わる微かな振動は続いていて、アスティは、突然床が抜けて深い落とし穴の底に落っこちてしまうのではないかなどと想像してしまう。
「ちょっと揺れるんは最初と最後だけや。全然怖いことあらへんで?」
 ナウルがあっけらかんとした表情で言った。その説明は、きっと正しいのだろう。それでも、得体の知れない「嫌な感じ」は消えない。いや、そもそも「最初と最後」というのはどういうことだろう。この小部屋でも、あのガラス細工の周りの吹き抜けのような演出があるのだろうか。
「ほれ、上見てみぃ。」
 ナウルが天井を指さし、アスティはイニスの腕を掴んだまま天井を見上げた。そこに、先ほどまで確かにあったはずの青白い天井はなかった。
 代わりに、満天の星空が広がっていた。
「……わぁ……。」
 紺碧の空に、小さな光が無数に瞬いている。ガラス張りの壁にもちらちらと光と影が映り、まるで星空に飛び込んだかのようだ。
「怖いことあらへんやろ?」
 ナウルが笑い、アスティは笑顔で頷き返した。見上げた星空は本物ではない。王都の技術で作り出された偽物の星たちだろう。それでも、小さな光は不安なアスティを励まし、歓迎するかのように瞬いていて、心の中の不安を一瞬で取り去ってくれた。
「グエッ!」
 突然、キーロが鳴いた。アスティの肩にとまったままブルッと身体を震わせている。少々機嫌が悪そうで、星空に感動して声を上げたわけではないらしい。
「どうしたの?」
 キーロに尋ねながら、アスティは不意に耳に違和感を覚えた。反射的に右手で右耳を押さえると、「どうした?」とイニスが尋ねて来た。辛うじて周囲の音は聞こえているが、耳の奥に何かが詰まっているような感じがする。
「耳ん中、変な感じするんやろ? 唾飲み込んだら治るで!」
 ナウルに言われたとおり、アスティはごくりと唾を飲み込んでみる。確かに違和感は軽減した。まだ少し、耳の奥に変な感じが残ってはいるけれど……。
「治ったやろ?」
「はい、まだ少し変ですけど。でも、どうして……。」
「急な気圧変化で内耳の空気圧が上手く調節でけへんとそうなるんや。外気圧が下がると耳ん中の空気が膨らんで、放っておくと耳が風船みたいにぷくぅっと膨れて、最後には破裂してまうんやで!」
 ナウルは面白そうに言ったが、耳が破裂してしまうというのは笑い事ではない。
「え……えぇ!?」
 アスティは慌てて両耳を押さえ、アスティの腕に押されたキーロが窮屈そうに鳴いた。唾を飲んで症状が軽減したとは言え、違和感はまだ完全には消えていない。この病気の仕組みは分からないが、唾を飲んだだけで完治したとも思えず、アスティの耳もぷくぅっと膨れて破裂してしまうかもしれない。
「そんなバカなことがあるか!」
 アスティが初めて聞く奇妙な病気の症状に青冷めていると、怒気を含んだ声が降ってきた。
「エルタワーのてっぺんに立っても地表との気圧差は五パーセントもないんだ。その程度の外気圧の減少じゃ耳が破裂するほど内耳の空気は膨らまない。人体は風船じゃないんだぞ。」
「……そんな怒らんでもええやん。ほんの冗談やのに。」
 ナウルがイニスに向かってぷくぅっと頬を膨らませた。気圧差とやらのせいではなさそうだ。
「アスティが本気にして怯えてるだろうが。冗談にしたって悪質だ。」
「ええと、あの……冗談って?」
 突然始まった二人の喧嘩に戸惑い、アスティは首を傾げながら聞き返した。
「内耳の違和感は高度による気圧差で……。」
「ぷくぅっと耳の中の空気が膨れとるだけや!」
 イニスの説明をナウルが引き継いだ。ナウルの説明は要素において当初と全く変わっていない気もするが、たぶん、イニスはナウルとは違う説明をしようとしていたはずだ。
「ぷくぅっと……?」
 アスティは耳を押さえて、ナウルの言葉を繰り返す。アスティは耳の中で膨らんでいく謎の玉を想像してみた。笑い話にしかならない絵だが、何だかどうにも気持ちが悪い。
「いずれにしても、すぐに慣れる。別に変な病気じゃない。」
 イニスがナウルを睨み付けながら言い、アスティはほっとした。
「まだ変な感じがしとるんやったら、ほれ、この飴ちゃん舐めとときぃ。ナウル様お手製のどんな奇病にも効く魔法の薬やで!」
 ナウルは白衣のポケットから何かを掴み出すと、アスティに向かって放り投げた。アスティは慌てて放られた小さな包みを両手で挟むように受け止める。
「魔法の薬……?」
 そっと両手を開きながら、アスティは呟いた。手の中に収まっていたのは、金色の星を散らしたような透明の紙に包まれた、親指の先ほどの大きさの濃い蜜色の玉だった。薬と言えば、アスティが馴染みのあるのは、苦い薬草を煎じた胃腸薬なのだが、それとはだいぶ雰囲気が違う。どちらかと言えば、昔、町に出掛けたトールクがお土産として持ってきた砂糖菓子に似ている。
「またお前はそういうくだらないホラ話を……。いい加減にしろよ、ただの飴玉だろう?」
 イニスが呆れた調子で吐き捨てた。
「けど、耳詰まりにはちゃあんと効くで。」
 ナウルがにこりと笑って言い、アスティはきょとんと首を傾げた。
「ま、おやつや、おやつ。遠足の必需品やて。」
 ナウルはそう言うと、もう一つ小さな包みをポケットから取り出し、広げると蜜色の玉を自分の口に放り込んだ。
「食べてみぃ、天然の蜂蜜集めて作ったんやで。」
 ナウルに促され、アスティは小さな包みを開き、蜜色の玉をそっと口の中に入れてみる。舌の上で転がすと、じわりと口の中に甘みが広がっていく。懐かしい味に、仄かな花の香りがした。
「うまいやろ?」
 ナウルの問い掛けに、アスティは頷く。
「クエッ!」
 アスティの肩で、キーロがくちばしを大きく開けて鳴いた。おいしいものなら自分にもよこせという意思表示だろう。
「おお、ちゃんとキーロの分もあんで。ほいっ。」
 ナウルは新しい包みから蜜色の玉を取り出すと、キーロに向かって放り投げた。キーロは大きなくちばしを開いてそれを受け止めると……ごくん、そのまま飲み込んだ。
「……うまかった?」
 ナウルの問いに、キーロは満足げに頷いてみせる。一口に飲み込むよりも時間を掛けて味わえばいいのにと思わないでもないが、キーロは大概の食べ物を丸飲みしてしまうから、アスティのように小さな玉を器用に口の中で転がして味わうことはそもそもできないのかもしれない。キーロ自身はそれで十分満足しているようだから、これでいいのだろう。
「どうしてもっちゅうなら、お前にも分けたろか?」
 ナウルがもう一つ包みを取り出してイニスの眼前に掲げたが、イニスはふんっと鼻を鳴らして顔を背けた。
「遠慮せんでも素直に欲しいって言ってええんやで?」
 ナウルはにこにこ顔のまま言い、丁寧に包みを開く。
「それはどうも。素直に断らせてもらうけどな!」
 そう言ってイニスが苛立たしげにナウルを振り返った時だった。ナウルがイニスの肩を片手で掴み、もう一方の手をイニスの口に押し当てる。虚を突かれたイニスは「あ。」と短い悲鳴を上げたかと思うと、突然、身体を折って激しく咳込んだ。どうやらナウルが蜜色の飴玉をイニスの口に無理矢理放り込み、イニスはそれをのどに詰まらせてしまったらしい。
「い、イニスさん!?」
 アスティが慌てて声を掛けると、イニスは片手でアスティを制し、俯いたまま数回咳込んだ。しばらくして少し落ち着いたのか、陰鬱な表情でのそりと立ち上がる。頬の膨らみを見ると、何とか喉の奥から飴玉を取り戻せたようだ。
「うまいやろ?」
 にこにこと笑いながらイニスに声を掛けるナウルに対し、イニスは無表情のままナウルに近付き、その胸ぐらを掴み上げる。
「……お前は俺を殺す気か!?」
「嫌やなぁ。ほんまに殺す気やったら、ちゃんと毒薬放り込んだるわ。」
 ナウルがけらけらと笑うと、ピポンという高い音が天井から降ってきて、イニスが諦めたようにナウルを突き放した。
「どうやらちょうど御到着みたいやな。」
 ナウルは嬉しそうに言い、襟元を糺す。
「御到着って、何が……?」
 聞き返したアスティに、ナウルが答えた。
「そらもちろん、俺たちが、や。」
 ナウルにウィンクされ、アスティはきょとんと首を傾げた。

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