挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
31/61

第30話

 「……まだやっていたのか。」
 食堂に入って来た三人のうち、一番背の高い人物が口を開いた。細身の体型ではあるが、低めの声も体つきも、男性のものに違いない。ただ、とても綺麗な人だとアスティは思った。
 色白の肌に切れ長の目、そして、男性にしては少し長めの艶やかな銀色の髪——色褪せたブロンドなのだろうが、前髪の間から覗く青い瞳の色を映してか、青みがかった銀色にも見える不思議な髪色をしていた。
「遅せえぞ、レイシー。」
 ゴートンは椅子に座ったまま首だけ振り向けて声を上げた。明らかにその人に向けられた言葉だったが、その人——レイシーは、僅かに顔を歪めただけで、何も答えず、真っ直ぐにアスティに向かってきた。
「……はじめまして。アスティです。」
 向かってきたレイシーに、アスティは緊張気味に声を掛けた。
 当然、レイシーからも挨拶が返って来るものと思っていたのだが、予想に反し、レイシーは無言でアスティの脇を通り過ぎる。
「……え?」
 一瞥さえされず、アスティは驚いて振り返り、レイシーの背を見つめる。声が聞こえなかったわけではないはずだ。ゴートンやイニスも驚いているようで、戸惑いの表情を浮かべながらレイシーの後ろ姿を追っていた。
「ああ、ごめんね、ごめんね! 今のレイシーはちょっと気が立ってるんだよ。」
 気まずい空気を打ち破ったのは、早口の声だった。アスティが振り向くと、三人組のうちの一人、小柄で小太りの男が困ったような笑顔を浮かべながら跳ねて来る。ぼさぼさのくせっ毛に、小柄で丸っこい体型、ぴょこぴょこと歩く姿はさながら小動物のようだ。
「あ、僕はバウンス。で、あれがレイシー。」
 小太りの男——バウンスは早口で言い、アスティの背後で料理を取り分けている白衣の男を指さした。
「それでこっちが……。」
「カロナ。王宮騎士団の白衣の天使よ。」
 アスティが、バウンスの振り向き見上げた先へ視線を移すと、三人組の三人目——長い髪を頭の左右で二つに束ねた快活そうな女性がウィンクした。
「天使様……ですか?」
 アスティはきょとんとして首を傾げた。確かに、彼女——カロナが身に付けている真っ白な服は神聖な印象を与えるものだ。レイシーとバウンスが羽織っている白衣は医師の着るそれに似ているが、カロナの服は膝上丈のワンピースで、清楚な印象ながらも女性らしい体の線をはっきりと出している。
「……ああ、そこは突っ込まないであげて。」
 バウンスが苦笑しながら漏らし、カロナが不満そうにバウンスを睨み付ける。
「まあ、とりあえずよろしくってことで。」
「あ、はい、よろしく……お願いします。」
 バウンスはポンポンとアスティの肩を叩くと、アスティの返答を最後まで聞くことなく、料理の載ったテーブルへぴょこぴょこと駆け寄って行った。
「ご飯っ、ご飯っ。」
 嬉しそうな声を上げ、どうやらお腹が空いているらしい。
「……ふーん、あんたが噂のアスティってわけね。」
 アスティがぼんやりとバウンスの背中を見送っていると、カロナがアスティの顔を覗き込むように顔を近付けてきた。
「こういうのがイニス団長の好みって言うのはちょっと意外だけど、まあ、私の敵じゃあないわね。問題なしだわ。」
 カロナは顎先に片手を添えながら呟く。
「……え?」
「あ、でも、一応忠告はしておくわ。レイシー様には手出ししないように! 絶対に、よ!」
 カロナはアスティの眼前に人差し指を突き立てて顔を寄せると、押し殺した声で言った。その真剣な表情に気圧されて、アスティが意味の分からないまま「はい。」と答える。
「素直でいい子ね! じゃ、私もご飯にしようっと!」
 カロナは満足そうににこりと笑い、機嫌よく跳ねたかと思うと、料理の載ったテーブルに駆け寄り、レイシーに何やら熱心に話し掛け始めた。ただ、レイシーの方は特段それに答えているようにも見えず、カロナの話を聞いているのかも怪しい様子だ。
「……だから言っただろう? ここは曲者揃いだって。」
 ゴートンが近付いてきて、レイシーたちを横目に笑った。確かに、三人とも独特な雰囲気の持ち主だ。アスティはゴートンに苦笑いを返す。
「そう言えば、バウンスさんたちは皆さんのような黒い制服ではないですね。もしかして、お医者さんなんですか?」
 バウンスたちを眺めながら、アスティは素朴な疑問を口にした。
「いや、レイシーとバウンスは化学部門の所属の科学者だよ。白衣は実験用の作業着だ。あいつらも基本は俺たちと同じ黒の制服だよ。ただ、バウンスはともかく、レイシーが制服着てんのはほとんど見たことがねえけどな。黒は嫌いだとか単なるわがままのくせに、先代は認めていただの何だのって……ムカつくだろ?」
 ゴートンは当然のように同意を求めてきたが、アスティには彼らがどんな服を着ていても特段腹を立てる理由はない。制服を着ないことが規則違反だと言うのなら、望ましいことではないとは思うが、似たような理由で独自スタイルを貫いている人物は確か他にもいたはずだ。
 アスティは相変わらず黙々と食事を続けているナウルをちらりと見た。
「ちょっとばかし騎士団での経歴が長いからって調子に乗ってやがるんだ。」
 ゴートンが腕組みをしながらレイシーたちに向かって言う。ゴートンの声は元々大きく、声を潜める風でもないから、きっと本人にも聞こえていると思うのだが、レイシーが振り向く気配はない。
「まあまあ、騎士団員としての経歴が長いのは事実なわけですし、先輩は敬わないと……。」
「馬鹿言うな! 人間としての経歴は俺の方が長ぇんだよ!」
 ゴートンを宥めようと近付いてきたヨルンが一喝された。腕組みをしたままそっぽを向いたゴートンは不機嫌そうだが、ヨルンは困ったようにため息を吐いて笑った。
「ちなみにね、カロナの白い服は正規の制服だよ。医療部門所属の看護師さんだからね、彼女は。」
 ゴートンを宥めることを諦めたのか、ヨルンはアスティに言った。
「看護師さん? あの……お医者さんのお手伝いをする人ですか?」
 アスティは恐々と聞き返した。かつて東の森に往診に来ていた医師は、しばしば助手らしき女性を連れていた。彼女のことは、今でもよく覚えている。
 恰幅のよいその女性は、いつも年老いた医師に代わって重そうな鞄を持っていた。そして、村の広場に着くと医師の指示に従って手早く準備を整え、村の子供たちを一列に並べると、彼らの腕にぶすりと太い針を刺したのだ。まだ幼かったアスティも例外ではなく、その跡はまだ微かに左腕に残っている。それが病気を予防するために必要なものだったということを今では理解しているが、できれば思い出したくない記憶だ。アスティはカロナを見つめながら、その時の痛みが蘇るような気がして、右手で左腕を押さえ込んだ。
 言われてみれば、確かに、カロナの白い服は、あの時の彼女が着ていたものに似ている。もっとも、カロナのワンピースの丈は、アスティの腕に針を刺した女性が着ていたものよりもだいぶ短いような気はするが。
「そうだよ。まあ、カロナに『お医者さんの手伝い』なんて言うと、『ただの手伝いとは違う!』って叱られちゃうけどね。」
 ヨルンは苦笑しながらそう付け足したが、なぜ叱られてしまうのか分からなくて、アスティは首を傾げた。
「最近は看護師の業務も幅広くなっていて、『お医者さんの手伝い』に留まらない独自の仕事もしてるからさ。特に、今の医療部門はカロナが仕切っていて、医者の方がカロナの手伝いをしているようなものだしね。」
 ヨルンが付け足した。
「それは、カロナさんが医療部門の部門長ってことですか?」
「ううん。王宮騎士団の医療部門長は国王陛下の主治医である侍医が兼任することになってるんだ。ただ、今の侍医は高齢だから、事実上、騎士団専属の看護師であるカロナが医療部門を統率してるってわけ。まあ、本来なら、今の侍医には引退してもらって若い医師を侍医に任命するところなんだけど、とある事情のために騎士団の医療部門は慢性的な人手不足に陥っててね……。優秀な看護師であるカロナに頼らざるを得ない状況なんだよね。」
 ヨルンは一通り説明し、ため息を吐く。ヨルンが意味深に説明に織り交ぜた言葉が気になって、アスティは聞き返した。
「とある事情って……?」
「医学部首席卒業の期待の新人が気まぐれで医師免許を取り損ねるようなバカだったことよ!」
 ヨルンに代わってアスティの問いに答えたのはカロナの声だ。カロナはこちらに背を向けたまま、テーブルの上の料理を取り皿に盛っているが、アスティたちの話は聞こえていたらしい。
「期待の新人って……?」
 アスティが聞き返すもカロナは答えてくれず、困ってヨルンを見ると、ヨルンは食堂の隅で相変わらず黙々と食事を続けているナウルを見つめていた。
 要するに、期待の新人というのはナウルのことなのだろう。確か、ナウルは王立大学医学部を首席で卒業しているとイニスが言っていた。ナウルの所属部門をはっきりと聞いた記憶はないが、きっとナウルは医療部門で活躍することを期待されて騎士団に入ったのだろう。しかし、ナウルは国家試験をサボって医師免許を取り損ね、医師の仕事をすることはできない。本来なら、ナウルが新たに侍医になるべきところ、それができずに困っているということに違いない。
「悪いな、カロナ。若手医師の紹介を王立病院に依頼してはいるんだが、王立病院も優秀な人材は手放したくないとみえてなかなか人を出してもらえないんだ。」
 イニスが申し訳なさそうに口を挟んだ。
「あ、いえ、イニス団長のせいでは……。諸悪の根元は全て、気まぐれで医師免許を取り損ねたそこの大バカ者にありますから!」
 カロナはイニスに向かって慌てて手を振り、ナウルを指さした。
「なんや、ひどい言い種やなあ。俺が免許持ってへんのはとうの昔から分かっとることやん。未だに欠員補充がされへんのは今の騎士団長に優秀な人材を集めるだけの人望があらへんからやろ?」
 ナウルは食べ終えた皿とフォークをテーブルに置くと、口元をぬぐいながら笑う。
「なあ?」
 ナウルがイニスを見、イニスは視線を落として小さくため息を吐いた。
「何開き直ってんのよ! そもそも、あんたがいつか国家試験を受けて免許を取ると思ったからこそ、リスティアさんはあんたが試験をすっぽかしたと分かった後もあんたの採用を取り消さなかったし、イニス団長だってあんたをクビにしないで待っててあげてるんでしょうが!」
 カロナが腰に両手を当てて、ナウルを叱責する。
「そんなん俺は別に頼んでへんもん。」
 ナウルはグラスにマリイヤ・ジュースを注ぎながらカロナに答えた。
「最っ低ー!」
 カロナが叫ぶが、ナウルは意に介することもなく、テーブルの上の料理に手を伸ばしている。
「まあまあ、医師免許はなくても、ナウルさんはそれなりに騎士団に貢献してくれているわけですから。」
 ヨルンがポンポンとカロナの肩を叩きながら宥めた。
「どう貢献してるって言うのよ? 立番だって新人に押しつけて、働いてるとこなんかろくに見たことないんだけど?」
 カロナが疑わしげな視線をヨルンに向ける。
「うーん……でも、何だかんだムードメーカーと言うか、女性に優しいって評判ですよ。」
「女性に優しい? だったら私の仕事が減るようにさっさと免許を取ってほしいわ。結局、何の仕事もしてないじゃない、あいつ。」
 カロナがむすっとして呟く。
「あ、でもほら、もてないゴートン部門長やジェイスに女性を紹介してくれたりはしてますよ!」
 ヨルンがポンッと手を叩いて答えると、ジェイスとゴートンが激しくせき込んだ。
「……最低ね……。」
 カロナの冷ややかな視線がジェイスとゴートンに向けられる。
「何でだよ! 別にいいだろ、紹介してもらうくらい! どこぞの誰かさんと違って、俺たちには勝手に寄って来てくれるような尻軽女はいねぇんだよ!」
 ゴートンが立ち上がり、カロナに向かって抗議する。
「ちょっと! 尻軽女って誰のことよ!」
「別に特定の誰かのことを言ったつもりはねえが、自覚あんなら否定はしねぇよ。」
「何ですって!? そんなんだからもてないのよ、この変態おやじ!」
「誰が変態だ! てか、俺はまだおやじ呼ばわりされるような年じゃねぇ!」
 カロナとゴートンの言い争いが始まり、側にいたジェイスが慌てて仲裁に入る。
「まあまあ二人とも落ち着いて……。」
「うるさいっ!」
 カロナとゴートンの両方から怒鳴りつけられ、ジェイスが凍り付いたように動きを止める。
「……全くくだらんな。そんなことより、レイシー。お前たち三人揃って随分と遅かったじゃないか。まさかお前たちまで夜間警備に駆り出されてたわけでもないのだろう?」
 突然、カーディアルがレイシーに向かって口を開いた。論争中のカロナが「レイシー」の言葉に反応するようにぴたりと口を閉じ、くるりとゴートンに背を向ける。突然相手にされなくなったゴートンは不満そうで、しつこくカロナに突っかかって行こうとするが、何とかジェイスが押さえ込んだ。
「外壁の崩落現場で採取した試料の分析に時間が掛かった。」
 レイシーはテーブルの上の料理を取りながら、視線を向けることなく端的に答える。
「結果を報告してもらえるか?」
 イニスが求めると、レイシーは小さくため息を吐き、口を開いた。
「外壁の崩落現場で採取した試料から、可塑性爆薬の成分を検出した。C4型の可能性が高いが、現場は騎士団が演習場としても利用している場所に近い。C4型は騎士団の備品である弾薬類にも用いられていて、試料に含まれていた火薬成分が犯行に使われたものだという確証はない。採取できた試料は微量な上、砂礫と混合されて成分組成からの同定は困難だ。従って、製造元を辿ることは不可能。以上だ。」
 レイシーは早口で言いながら、テーブルの上の御馳走を乱暴に取り皿に盛って行く。
「おいおい、そりゃ結局何も分かんねえってことじゃねえか。散々時間を掛けておきながら、もうちょっとましな報告ねえのかよ。」
 呆れたように声を上げたのはゴートンだ。
「一応、国内で流通している主要製品との照合も試みたんだけどね。」
 ゴートンの要求を引き取ったのはバウンスだ。
「成分組成が一番近いのは、民生用として爆破解体なんかにも使われている製品だと思う。ただ、土木部門でも使ったことのある製品だから、騎士団で過去に使ったものが混じったって説も有力だけどね。仮にそれが犯行で使われたものだとしても、国内流通量が最大の大手メーカーの製品だから、ここから被疑者を絞り込むのは結構難しいと思うよ。」
 バウンスは料理を取る手を止め、丁寧に補足した。
「そうか。ありがとう。」
 イニスがレイシーとバウンスに向かって言う。
「どういたしまして。」
 バウンスが答えたが、レイシーは黙ったまま、一定のペースを保って料理を取り皿に盛り続けている。
「あれ? 珍しいですね、レイシー様がそんなに食べるなんて。ずっと研究室に籠もりきりだったから、よほどお腹が空いてたんですね!」
 ゴートンから離れてレイシーの隣に立ったカロナが、明るい声を上げた。レイシーの皿には、既に少々欲張り過ぎに思えるほどの料理が盛られている。
 レイシーは、カロナの指摘で初めて自分の取り皿に盛られた料理の量に気づいたかのように、ぴたりと動きを止め、じっと取り皿に視線を視線を落とした。
「研究室に戻る。」
 数秒後、レイシーは突然、料理を載せた取り皿をテーブルに置くと、くるりとテーブルに背を向けた。
「え? レイシー様? ご飯は?」
 カロナが振り返って問うが、レイシーは食堂の出入り口に向かって歩き出し、答えない。
「……ああ、もうっ。研究が大事なのは分かりますけど、だめですよ、ちゃんと食べなきゃ!」
 カロナは慌ててテーブルの上のかごの中からフォークを二本掴み、レイシーがテーブルの上に残したお皿と自分のお皿を器用に左腕に載せて、小走りにレイシーを追った。
 レイシーが食堂を出て、続いてカロナが閉じようとする扉の隙間に体を滑り込ませるようにして出て行った。
「ったく、もう少し愛想よくできんのかね、あいつは。」
 ゴートンがため息混じりに漏らした。「あいつ」というのは、たぶんレイシーのことだろう。
「まあまあ……。」
 ヨルンがゴートンのグラスにマリイヤジュースを継ぎ足しながら宥める。
「何より俺が気に食わないのは、あんな奴が騎士団一の美形と言われて女どもにちやほやされることだ!」
 ゴートンが拳をテーブルに打ちつけて言った。
「へえ、珍しく意見が合うね。僕もその点については同意するよ。」
 ジェイスやヨルンが呆れたような笑みを見せる中、ゴートンに賛同の意を示したのはバウンスだった。
「髪色はともかく、顔のパーツはレイシーよりもイニスさんの方がよほど整ってると僕も思う。」
「……いや、その意見には俺は賛同し難いんだが。」
 ゴートンが怪訝そうな表情で返す。
「そう?」
 バウンスは料理を更に盛りながら振り返りもせずに言った。アスティがイニスを振り返ると、イニスは困ったような表情で眉間に皺を寄せている。
「でも、確かに、情報部門の女性の間ではイニス団長って人気高いんだよね?」
「ええ。」
 ヨルンの問いに、キュエリが頷く。
「そりゃ、情報部門の連中にとっちゃ四次元定理を証明した天才数学者ってだけで神様みたいなもんだからだろ?」
 ゴートンが呆れた口調で言った。
「神様? イニスさんってそんなにすごい方なんですか?」
 アスティは思わず聞き返した。国王の部屋の前でのユミリエールとイニスの会話から、イニスの頭の良さは理解していたつもりだが、神様に例えられるほどとなれば相当なものに違いない。
「イニスさんが大学時代に証明した四次元定理は長い間多くの数学者が証明しようと努力していたもので、数学史における近年最大の発見って言われてるんだ。最新のコンピュータ技術にも応用されているしね。イニスさんは王宮のセキュリティ・システムも開発しているし、情報処理分野の第一人者なんだよ。」
「私にとっても、尊敬する科学者の一人です。」
 ヨルンの説明にキュエリが言い添えて、アスティは「はあ……。」とため息を漏らすしかなかった。
 イニスが優秀な人だと言うことは理解していたし、国一番の剣士ということや王宮騎士団長という要職にあることも含めて、すごい人なのだとは思っていた。しかし、たぶん、実際のイニスはアスティが思っている以上にすごい人なのだ。
 いや、イニスだけではない。ゴートンやカーディアルも、ヨルンやジェイスも、この王宮騎士団の人々はみんな、並々ならぬ人に違いないのだ。めまいがしそうなほどに。
 それがどうして、トールクや多くの国民から「悪魔の巣窟」などと呼ばれているのだろう。こうして王宮騎士団の人々と話してみれば、確かにちょっと個性的な人たちではあるが、みんな悪い人には思えない。レイシーとは直接言葉を交わせなかったが、多少気難しい人のような気はしたものの、悪い人とは思えなかった。
「あー、もう納得いかねえ。どうして最近の女どもはああいう軟弱な男を支持するんだ!」
「そりゃあ、お前みたいなのが傍にいると暑苦しいからだろう。」
 カーディアルがさらりと言い、ゴートンが顔を引きつらせた。再び言い争いが始まりそうな予感がする。
「カーディアル……レイシーの野郎もムカつくが、お前がいても飯がまずくなる。とっとと帰れ!」
 ゴートンはマリイヤジュースを飲みながら悪態をついた。
「断る。私はまだ全然飲み足りんのだ!」
 カーディアルが胸を張って宣言すると、ゴートンは不機嫌そうに顔をしかめ、大きく肩を落として大げさにため息を吐く。ここで喧嘩を始めても意味がないと諦めたようだ。
「……つーか、宿所組じゃねぇお前が何でここにいるんだよ。」
 不満そうながらも、いくらか穏やかな声でゴートンが言った。
「ヨルンにパーティをするからと誘われたからに決まっているだろう。うまい酒があると聞いたからな。」
 カーディアルは嬉しそうな笑みをこぼすと、テーブルの上の新しい酒瓶を手に取った。先ほどイニスに飲酒を止められたことは、すっかり忘れているらしい。
「この大酒飲みめ。せっかくの一人娘がこんなんとは、クローム議長も可哀想に。」
 ゴートンがテーブルに頬杖を突きながら呆れた様子で言った。
「クローム議長?」
「カーディアル部門長のお父さんだよ。エウレール議会の議長なんだ。」
「ああ見えて、カーディアル部門長は結構な名家の御令嬢ってわけ。意外だろ?」
 ヨルンの説明を引き継ぎ、ジェイスがアスティの耳元に囁いた。
「大人の付き合いに酒は必須だからな。飲めるに越したことはない!」
「……女の大酒飲みは可愛くねえんだよ。」
 楽しそうなカーディアルを前に、ゴートンがうんざりした表情を浮かべる。
「それだから、お前は原始人なんだ。美味い酒に男も女もあるか! ……お、こいつはブルドーの当たり年じゃないか。こんなところでお目にかかれるとは……よし、ヨルン、一本付き合え!」
 カーディアルは好みのお酒を見つけたのか、嬉しそうに声を上げてヨルンを手招きした。
「……早く帰れ。」
 ゴートンは小声で呟き、マリイヤジュースを口に運ぶ。
「そういやぁ、お前も何でここにいるんだよ、バウンス?」
 ゴートンが黙々と料理を取り皿に持っているバウンスに声を掛けた。
「僕はこの宿所の住人だよ? 夕食を取るために食堂に来るのは当然でしょ。」
 バウンスはテーブルの上の料理を丁寧に取り皿に盛りながら端的に答える。
「そうじゃなくて、お前も王都の一等地に実家の豪邸があんだろう? なのに何でわざわざ宿所住まいなんかしてんのかってことだ。」
 ゴートンの重ねての問いに、アスティは首を傾げた。
「豪邸……?」
「バウンスさんのお家も結構な名家なんだよ。おじいさんがエウレール一の大企業になってる自動車メーカーの創業者で。今はバウンスさんのお母さんが社長をしてるけど、前社長のお父さんは与党の有力政治家、産業大臣として入閣してる。」
「王宮騎士団はエリート中のエリートの集まりだから、結構いるんだ、名家の子息がさ。レイシーさんなんかその筆頭。あの人はちょっとやんごとなきお方だから。」
 ヨルンの解説に、ジェイスが難しい顔をして補足する。
「やんごとなき……?」
「名家中の名家ってこと。」
 ヨルンは声を潜めて言った。
「別に……ここの方が食事がおいしいから。」
 バウンスはゴートンに答え、おかずを一通り盛った取り皿を片手に動きを止める。テーブルを見下ろしながら次に取るべき料理を決めかねているようだ。
「ここの方がおいしいって、お前の家、わざわざ世界各国から集めた料理人を雇って毎晩豪華なフルコース用意してんだろ? こないだ週刊誌に載ってたぞ。」
「そういうのが嫌なんだよ、僕は。世界中の珍味を集めただの何だのって、無駄に豪華さばかり競って……そんな成金の見栄だけで作られた料理が本当においしいと思う? 僕はね、こういう素朴な料理の方が好きなの。特に、マリアンヌの作る具沢山なスープがね。」
 きょろきょろとテーブルを見回していたバウンスは、そう言って一旦取り皿をテーブルに置くと、スープカップを手に取った。丁寧にスープをよそい、満足そうに微笑む。
「ところで、デザートはないの?」
 テーブルの上をきょろきょろと見回しながらバウンスがマリアンヌに尋ねた。
「今、チェルベリーパイを焼いているところですわ。」
「すぐに焼ける?」
 マリアンヌの答えにバウンスが聞き返す。
「焼き立てを召し上がっていただこうと、先程オーブンに入れたところですから、もうしばらく……。焼き上がりましたらお部屋にお持ちいたしましょうか?」
「うん、そうして。一応、三つ。レイシーとカロナの分も。」
「かしこまりました。」
「じゃあ、僕も研究室で食べるから、皆さんはごゆっくり。」
 バウンスは左手にスープカップを持ったまま、テーブルの上のかごに入っていたスプーンとフォークを一本ずつ右手で掴むと、料理を山盛りに載せた取り皿と一緒に器用に持った。
「よろしければ、こちらをお使いいただいても……。」
 マリアンヌが慌てて水差しの載っていたトレイをバウンスに差し出した。
「ああ、ありがとう。」
 バウンスはカップとお皿を差し出されたトレーに載せると、すたすたと食堂の入り口へ歩いていく。皆の視線が静かにバウンスの背中を追う。バウンスが食堂を出て、扉がパタンと音を立てて閉まると、ふっと空気が緩んだ。
「ったく、相変わらず付き合い悪いぜ、化学部門の連中はよ。」
 ゴートンが頭をかきながら吐き捨てる。
「人一倍研究熱心な方々の集まりですから。」
 キュエリが宥めるように言い、微笑んだ。
「研究熱心ねぇ……要は、関心事は研究だけで他人のことには興味ありませんってんだろ? 俺は、あいつらのそういう態度が気に食わねぇんだ! お高く止まりやがって!」
「でも、バウンスさんは気さくな方ですよ。僕、こないだおやつ分けてもらいましたし。」
 ゴートンの苛立ちとは対照的なのんびりした声で、ヨルンが言った。
「……お前なあ、おやつなんかで懐柔されてんじゃねえぞ。」
「えー。いい人ですよ、バウンスさん。いつもレイシーさんと研究室にこもってるからあんまり話したことなかったんですけど。色んなおやつ持ってて……。」
 ゴートンが呆れたようにため息を吐くが、ヨルンはにこにこと微笑んで答える。
「……そうか。とりあえず、お前はおやつから離れろ。つーか、俺が気に入らねぇのはレイシーなんだよ、レイシー!」
 ゴートンは苛立たしげに立ち上がると、テーブルの上の酒瓶——先ほどカーディアルが開けた「ブルドーの当たり年」の瓶だ——を掴み、自分のグラスへ注ごうとする。先ほどからずっとマリイヤジュースを飲んでいたのだが、再び酒に切り替えるらしい。
「ちょっと育ちがいいからって俺たち庶民を見下してやがるんだ!」
「まあまあ。」
 ヨルンはゴートンを宥めながら、ゴートンが手にしていた酒瓶にそっと手を添え、ゴートンに代わってゴートンのグラスに酒を注いだ。
「とにかく、俺は騎士団の中であいつが一番気に食わん!」
 ゴートンは叫び、ヨルンに注いでもらった酒を一気に呷る。
「……うまいな、これ。」
 空になったグラスを手に、ゴートンがきょとんとして呟いた。
「お酒に関しては、カーディアル部門長の選定眼は確かですから。」
「安酒を大量に飲むだけのバカとは違うんでな。」
 ヨルンが微笑んでゴートンのグラスに酒を注ぎ足し、カーディアルが勝ち誇ったような笑みを見せる。
「……ああ、やっぱりムカつく具合ではお前もレイシーといい勝負だったな。」
 ゴートンはカーディアルに向かって顔を引きつらせながら言ったが、注ぎ足された酒には満足そうに口を付け、透明なグラスの中でカーディアルの髪色と同じ真っ赤な酒が艶っぽく揺れた。

最新の執筆状況(更新予定)等はTwitter(@ayaki_ryu)で呟いています。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ