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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第29話 新しい家族

 それから、宴会は和やかに進んだ。
「お、グラスが空いてるな、アスティ。ほれ、飲め。」
 ゴートンが酒の入った瓶を片手に近づいてきた。
「あ、私はお酒は……。」
 アスティは慌てて自分のグラスを引き寄せる。
「なんだ、まだ未成年か?」
「い、いえ、成人はしてますけど……。」
「なら遠慮するな、飲め飲め!」
 ゴートンは右手に酒瓶を掲げながら左手でテーブルの上の空いたグラスを掴むと、アスティの眼前に押しつけるように差し出した。
「あ、でも……お酒はあまり得意じゃなくて……。」
 東の森の民はめったに酒を飲まない。神事のための果実酒は集落ごとに一瓶漬けてあるが、神事以外ではたまの祝い事に供されるくらいで、今年成人したばかりのアスティが酒を口にしたのはこの間の誕生日をムリクと祝った時だけだ。東の森の伝統の果実酒は決して強い酒ではないのだが、甘さにつられてジュース感覚で飲んでいたらいつの間にか目が回っていた。
 ムリクによると、アスティの父も酒には弱かったそうで、体質的に合わないのだろうから口を付けるだけにしてあまり飲まないようにとその時忠告された。以来、テントの奥にしまい込まれた果実酒には手を付けていない。
 今日の歓迎会に供されている酒は東の森の果実酒とはだいぶ違う種類のようで、グラスに顔を近付けただけでむわっとする独特の臭気があった。一度口を付けてはみたが、だいぶ渋く、おいしいとは言いがたい。
「酒なんて慣れだ、慣れ! ぐいっと一気に飲んでみろ、楽しいから!」
 ゴートンは新しいグラスになみなみと赤紫色の液体を注ぎ、アスティに差し出した。「おいしい」ではなく「楽しい」と言うのは、味についてはゴートンもあまり気に入っていないということなのだろうか。誕生日の翌日の気持ちの悪さを思い出すと、あまり「楽しい」ことにもならない気がして、アスティは迷った。
「ほれ、ぐいっと!」
 ゴートンにグラスを突き出され、アスティはやむなく差し出された新しいグラスを受け取った。とは言え、このまま言われた通りにグラスの中身を一気に飲み干す勇気はない。アスティがためらっていると、突然、アスティが手のひらに包んでいたグラスが宙に浮いた。いや、正確には、誰かの手で宙へと持ち上げられたのだ。
「ゴートン、無理強いするな。」
 頭上からの声に振り向くと。イニスがアスティのグラスを掴んで立っていた。イニスはグラスを返すようにゴートンに差し出す。
「じゃあ、お前が代わりに飲め!」
 ゴートンは差し出されたグラスを押し返し、イニスに言う。
「俺は酒は飲まない。お前たち部門長が揃って潰れた上に、俺まで酔っていたら緊急時に対応できないからな。」
 イニスは冷めた表情でゴートンに答え、ゴートンが受け取らないグラスをテーブルの上に置いた。
「おいおい、バカにすんなよ。このくれぇの酒で潰れるほど俺はヤワじゃねぇ!」
 ゴートンはイニスがテーブルに置いたグラスを手に取ると、一気に呷った。
「……ぷはーっ! ほれ見ろ、どうだ!」
 ゴートンは空にしたグラスをテーブルの上に置くと、自慢げにイニスに向かって胸を張る。無表情でゴートンを見つめていたイニスは、小さくため息を吐くとアスティを見下ろして口を開いた。
「……アスティ。酒は無理に飲まなくていい。勧められても断れ。こいつらに合わせて飲むと体を壊すぞ。」
「は、はい……。」
 イニスの忠告に、アスティは素直に頷いて答える。
「けっ、酒の一つも飲めねぇ奴が騎士団長とはな。笑っちまうぜ。」
 ゴートンがイニスに向かって挑発するように吐き捨てた。
「俺は飲めないんじゃない。飲まないだけだ。」
 イニスはゴートンの挑発には乗らず、静かに返す。
「どっちでも同じだっつーの。上司と部下は杯酌み交わして信頼関係を深めるもんだ。なあ、ヨルン?」
 ゴートンが振り返ると、ヨルンが両手に酒瓶を掲げて控えていた。
「はいっ! ゴートン部門長、次はこっちの新製品なんかいかがです? 天然マリイヤを使った果実酒、おいしいですよ。」
 ヨルンが右手に持った酒瓶を差し出して言う。
「果実酒だぁ? んな甘ったるいのじゃなくてもっとガツンと来る奴にしろ、ガツンと!」
「じゃあ、こっちの蒸留酒ですかね。」
 言いながら、ヨルンは右手の瓶をテーブルの上に置くと、手早く左手に持っていた瓶の栓を抜き、ゴートンの空いたグラスになみなみと注いだ。
「よし、俺が注いでやる。お前も飲め。」
 ゴートンはヨルンから蒸留酒の瓶を受け取り、代わりにテーブルの上の新しいグラスをヨルンに差し出した。
「ありがとうございます。」
 ヨルンは躊躇いなくグラスを受け取り、ゴートンがグラスから溢れそうなほどに酒を注ぐ。
 ヨルンはこぼれそうな酒に慌てて口を寄せ、満足そうに笑顔を見せた。どうやらヨルンはアスティと違ってお酒が得意らしい。
 先ほどまでヨルンと並んで酒を飲んでいたギムニクは、顔を赤くして足取りもおぼつかず、テーブルの反対側でマリアンヌに飲み過ぎだと窘められているが、ヨルンに様子の変化は見られない。アスティが見ていた限り、ヨルンはギムニクよりも速いペースで次々とグラスを空にしていたから、飲んだ酒の量はギムニクよりもずっと多いはずなのだが……。
 別のテーブルでは、先ほどまでジェイスと飲酒量を競っていたカーディアルが、酒瓶を片手に、今度はナウルに絡んでいる。止めに入るのは、やはりキュエリの役目のようだ。
「みなさん、仲良しなんですね。」
 アスティは賑やかな食堂内を見回しながら呟いた。
「仲良し……かねぇ? 俺、さっき、そこでにこにこ酒飲んでる奴に殺され掛かったんだけど。」
 カーディアルから解放されたジェイスがふらふらと寄って来て、ヨルンの向かいに腰を下ろした。
「やだなあ、人聞きの悪いこと言わないでよ。ジェイスは僕のおかげで息を吹き返したわけで、僕はジェイスの命を救ったんだよ?」
 ヨルンは笑いながらジェイスに言い、おいしそうに酒の入ったグラスに口を付ける。
「……命を救われなきゃいけないはめになったのは誰のせいだ?」
「そりゃあ、カーディアル部門長に悪口を言って怒らせちゃったジェイスの自業自得って奴じゃないかな?」
 ヨルンはテーブルの上の素揚げされた薄切り野菜に手を伸ばしながらジェイスに答えた。 
「……納得いかねぇ……。」
 ジェイスはヨルンが手を伸ばした薄切り野菜を皿ごと自分のそばへ素早く引き寄せ、不満そうに漏らす。料理を掴み損ねたヨルンは不敵な笑みを浮かべると椅子から腰を浮かし、ジェイスが抱え込んだ皿からごっそりと薄切り野菜を掴み取った。
「あっ……。」
 ジェイスの目の前の皿には小さな欠片しか残らず、ジェイスが眉間を寄せて目の前のヨルンを睨み付けた。ヨルンは自分の取り皿に移し変えた薄切り野菜を満足そうに摘んでいる。
 ジェイスが自分の分を取り返そうと立ち上がって手を伸ばしたが、ヨルンはそれを阻むべくジェイスの手首を掴んだ。するとジェイスがもう一方の手をヨルンの皿に伸ばし、ヨルンももう一方の手でそれを防ぐ。かくして、テーブルを挟んでにらみ合いと押し合いが始まった。
 アスティが戸惑いながら二人の様子を眺めていると、ゴートンがため息を吐きながらひらひらと手を振った。「放っておけ。」という意味らしい。
「飲むか? マリイヤジュース。」
 ゴートンはヨルンとジェイスから離れて椅子に腰を下ろすと、テーブルの上のジュース瓶を手に取ってアスティに示した。
「……はい!」
 アスティは微笑んでゴートンの隣席に腰を下ろし、グラスを差し出す。
「……まあ、御覧の通り、騎士団の人間はみんな変わり者ばっかだ。驚いたろう?」
 ゴートンはジュース瓶を傾けながら言った。
「はい、少し……。でも、嬉しいです。」
「嬉しい?」
 アスティが答えると、ゴートンがきょとんとして聞き返した。
「森の民の多くが森を出て行って、ずっと祖父と二人きりでしたから。こうやってたくさんの人と夕食を共にできるのが嬉しいんです。」
 アスティは笑顔で答えた。大勢の人と話し、笑い、食事を共にする——東の森でイニスとナウルの二人と過ごした三日間と同じだ。誰かと過ごす時間はこんなにも楽しい。人数が多ければ多いほど。
「そうか……。」
 ゴートンは呟くように漏らし、自分のグラスに口を付けた。
 ゴートンの口調が沈んで、アスティは悪いことを言ってしまっただろうかと不安になった。そもそも、森の民の多くがが森を離れたのは、東の森の開発計画のために政府が移住勧奨を行ったからだ。アスティの発言にその意図はなかったが、開発計画の責任者であるゴートンを責めるように受け取られたかもしれない。
 しかし、ゴートンはすぐに明るい口調で続けた。
「まあ、今夜ここにいない連中も曲者揃いだからな。楽しんでいられるのも今のうちだぜ。遠からず、うんざりすることになる。」
「ゴートンさんは、うんざりされてるんですか?」
 アスティがきょとんとして尋ねると、ゴートンはにやりと笑みを見せた。
「ああ、毎日のようにうんざりしてるぜ。冗談の通じないくそ真面目な上司と顔を合わせる度にな。」
 ゴートンは隣のイニスを親指で指し示しながら言い、イニスが顔をしかめる。
「とは言え、宿所にいると休みの日も含めて毎日顔を合わせちまうからな。うんざりしながらも互いに上手くやっていく方法を覚えることになる。何だかんだで、みんな家族みたいなもんだよ、ここの連中は。」
 投げやりな口調だったが、「家族」という言葉の響きには確かな温もりがあった。
「素敵ですね。」
 アスティが微笑んで感想を述べると、ゴートンは照れたように視線を背けた。
「ってことは、つまり今日からこの宿所の一員になるアスティさんも、僕たちの家族ってことですよね!」
 突然、ジェイスと押し合いをしていたヨルンが両手を引っ込め、ポンッと手を叩いた。支えを失ったジェイスは顔面からテーブルに倒れ込んでいる。
「私も……家族?」
「うん。もちろんキーロもね!」
 ヨルンがアスティの肩に留まっているキーロの頭を撫で、キーロが嬉しそうに声を上げた。
「……まあ、ヨルンにしてはいいこと言ったな。」
 ジェイスが鼻を押さえながら顔を上げた。
「じゃあ、改めて……。」
 ヨルンはにこりと微笑むと、コホンと一つ咳払いをして、グラスを掲げた。
「新しい家族にかんぱーい!」
「かんぱーい!」
 ヨルンの呼び掛けに周囲の声が揃い、アスティもグラスを掲げる。
 笑顔と笑い声に包まれて、アスティはかつての活気に満ちた東の森の集落を思い出した。優しく懐かしい、とても幸せな時間——。
「それにしても、ヨルンが今夜はパーティだと張り切って言い触らしていた割には人数が少ないな?」
 不意に、カーディアルが切り出した。先ほどまで、カーディアルは手にした酒瓶の中身を無理矢理ナウルのグラスに注いでしきりに勧めていたのだが、乾杯の間にナウルに逃げられてしまったらしい。逃げ出したナウルは、テーブルの反対側でせっせと食事を再開している。お喋りのナウルがここしばらく大人しいのは、ずっと食べ続けているせいだ。
 ナウルがよく食べることには東の森で一緒に過ごした時からアスティも気づいていたが、ここまでとは思っていなかった。きっと、東の森でアスティがナウルに提供した食事の量は彼には全く足りていなかったのだろう。今、ナウルがお喋りもそこそこに食べ続けているのは、その不足分を補うために違いない。
「そりゃああれだ、どこぞの冷酷な騎士団長様が緊急対応で疲弊してる部下たちに徹夜での警備強化なんか指示したせいだ。」
 ゴートンがイニスを横目に言った。
「あの状況で警備を強化しないという選択肢はない。」
 イニスが真面目な表情で反論する。
「俺は、警備を強化するなと言ったつもりはないぜ。強化の仕方は一つじゃねぇってだけの話だ。」
 ゴートンが挑発するように返すと、イニスは物言いたげに顔を顰めつつも押し黙った。
「まあ、夜勤の皆さんも交代で食事は取られるでしょうし、一通り声は掛けていますから、きっともう少ししたら休憩がてら顔を出してくれますよ。」
 ヨルンが二人の間に入って宥めるように言った。
「そうじゃないと張り合いがないな。あの根性なしでは相手にならん。」
 カーディアルはそう言いながら顎でジェイスを指し示し、ナウルのために注いだはずの酒を呷った。アスティには、ジェイスよりもむしろカーディアルの方が酔っぱらっているように見えるのだが、彼女はまだ飲み足りないらしい。
「根性なしって……俺はただ、カーディアル部門長ほど無謀になれないだけですよ。」
 気怠そうにテーブルに体を預けていたジェイスが呆れた口調で言った。既に空になっているジェイスのグラスを見てヨルンが酒瓶を手にしたが、ジェイスはそれを断ってテーブルの上の水差しを手に取る。
「……全く。部下の鍛え方が足りないぞ、ギムニク?」
 カーディアルはジェイスの反論に耳を傾ける風もなく、振り返ってきょろきょろと辺りを見回した。ギムニクの姿を探しているらしい。
 カーディアルと視線が合い、アスティはギムニクの居場所を教えるようにゆっくりと壁際へ視線をずらした。ギムニクはマリアンヌが止めるのも聞かずに再びヨルンの隣で飲み始め、その後、アスティが気づいた時には壁にもたれて眠っていた。
「……なんだ、ギムニクはもう潰れたのか。だらしがないな、最年長のくせに!」
 カーディアルは、ふらふらとした足取りでギムニクに近づくと、しゃがみ込んでピシピシとギムニクの頬を叩く。
「そこは、最年長だから、なんじゃないですか?」
 そう言ってヨルンがカーディアルに近づいた。
「ギムニクさんはもう寝かしておいてあげましょうよ。代わりに僕がお相手しますから。ね?」
 ヨルンは開けたての酒瓶を手に、カーディアルに微笑みかける。
「ヨルンの奴も相当だな。ギムニクを潰した上にまだ飲むのか……。」
 いつの間にか酒をやめてアスティと一緒にマリイヤジュースを飲んでいるゴートンが呆れた口調で言った。
「ふむ……じゃあもう一戦、二人でジェイスを鍛えてやるとするか!」
 カーディアルは立ち上がり、ヨルンにグラスを差し出しながら言った。
「いや、俺はもう無理ですから……。」
 ジェイスが慌てて立ち上がり、水の入ったグラスを手にカーディアルに背を向ける。
「こら、逃げるな!」
 カーディアルは腕を伸ばしてジェイスの襟首を掴むと、首に腕を回して無理矢理ジェイスを隣に座らせた。
「なんでまた俺なんすか! ヨルンがいれば十分でしょ。」
 カーディアルに抱え込まれながらジェイスが抗議の声を上げる。
「大丈夫、大丈夫。見たとこジェイスはまだまだ行けるから! たまには最後まで付き合ってよ!」
 ヨルンが大瓶を抱えながらにこりと微笑むと、ジェイスの顔が青ざめた。
「最後までって、お前の最後まで付き合ったら、俺はそれこそ本当に最期になると思うんだけど……。」
「このお酒、高いけどすごく美味しいんだよ。せっかく開けたんだから、飲まなきゃもったいないよ。」
 ヨルンは微笑みをたたえながらジェイスの手から水の入ったグラスを奪い、新しいグラスに深紅のお酒を注いでジェイスに差し出す。
「だ、誰か代わってください……。」
 ジェイスが縋るような視線をナウルやゴートンに向けたが、ナウルは黙々と食事を続け、ゴートンは気まずそうに顔を背けてマリイヤジュースを飲んでいる。
「カーディアル、お前はもうそれくらいにしておけ。」
 ため息混じりにカーディアルに声を掛けたのはイニスだ。ジェイスがほっとした表情を見せると同時に、振り返ったカーディアルが不満げな目でイニスを睨む。
「……っ。」
 ——キィ……。
 カーディアルが口を開いて何か言い掛けると同時に、入り口の扉が微かな音を立てた。
「あ、ちょうど良いところに……。」
 入り口を振り返ったヨルンが嬉しそうに声を上げ、姿を現したのは、騎士団の黒い制服——ではなく、白い服を着た三人組だった。

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