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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第26話 歓迎の宴

 部屋の鍵を掛けていたために一人遅れたアスティが食堂——と思われる——の前に到着すると、ナウルが後頭部を押さえて地面にうずくまっていた。
「全く……飯の前に余計な手間を掛けさせるな。」
 イニスは腰に差していたはずの剣を鞘ごと右手で掴んだまま、ナウルを見下ろしている。
「凶器使うなんて反則や……。」
 ナウルが涙目で呟くが、血が流れていないところを見ると、イニスは剣を抜いてはいないようだ。たぶん、鞘に入れたままの剣先でナウルの後頭部を小突いた程度だろう。その様子を目撃していないアスティにはそれがどの程度の強さの攻撃だったのかは分からないが、ナウルから直ちに反撃に出る意欲を奪う程度には強力なものだったに違いない。
「はい、じゃあどいてくださいね、ナウルさん。アスティさんがいらっしゃいましたから。」
 ジェイスがナウルの白衣を掴んで引っ張った。ナウルは後頭部を押さえたままうめき声を上げたが、抵抗せずにジェイスに引きずられて行く。どうやら、かなり痛むらしい。
「さあ、どうぞ。」
 ヨルンに促され、アスティはナウルに代わって扉の前に進み出た。
「私が開けていいんですか?」
 皆に囲まれて扉の前に立ったアスティは、妙に緊張して問い掛ける。
「もちろん!」
「思いっ切りどーんと開けちゃって。」
 ヨルンとジェイスが笑顔で答える。
「どーんと……ですか。」
 アスティはそっとドアノブのない木戸に手を伸ばし、言われたとおり、どーんと扉を押し開けた。
 ——パンパンパンッ。
 扉を開けた勢いでアスティが部屋に一歩踏み込むのと同時に、乾いた音が立て続けに響いた。銃声に似たその音に、アスティは思わず目を閉じて体をこわばらせたが、直後にアスティの耳に届いた音は、緊張感を打ち砕く賑やかな音楽だった。
「……え?」
 アスティがそっと目を開けると、眼前にひらひらと色紙の破片のようなものが舞っている。
 鼻腔をつく美味しそうな匂いを追えば、テーブルの上に山と載った御馳走があり、その先の壁には色鮮やかな花に囲まれた大きな垂れ幕が掛かっていた。
「アスティさん、ようこそ王宮騎士団へ!」
 ヨルンとジェイスが垂れ幕の文句を繰り返し、アスティを囲んだ。賑やかな音楽を背景に、ギムニクとマリアンヌが拍手を鳴らす。
「これって……。」
 アスティはぼんやりと部屋の中を見回しながら呟いた。
「どうです? この芸術的な壁の装飾! 急ごしらえながら、アスティさんを歓迎するために精一杯飾り付けてみました!」
 ヨルンが両手を広げて食堂の壁に付けられた派手な花を示す。紙や布を重ねて作った造花だろう。ギムニクの小屋に施されるはずだったヨルンの壁画と同様の強烈な印象の花ばかりだが、それがまだ「花」と認識できる点において、ギムニクの小屋の当初の設計図よりは落ち着いた印象になっている。アスティは何と感想を伝えたらいいか迷って、「はぁ……。」とため息のような返事を返した。
「ヨルンの悪趣味な壁の装飾はともかく、これ、びっくりしたろ? 自動式パーティー用クラッカー連射装置。扉を勢いよく開くと一斉に鳴るように仕組んだんだ。このためにわざわざ作ったんだぜ。」
 ジェイスが入り口の正面に置かれていた四角い箱を拾い上げて言う。
「ちょっと! 悪趣味ってどういう意味!?」
 ヨルンがジェイスに向かって抗議の声を上げたが、ギムニクがヨルンを押し退けるようにジェイスの前に進み出た。
「……こいつはひどい組立だな。ネジさえまともに締まってねえじゃねえか。」
 ギムニクはジェイスの手から四角い箱を取り上げて言う。確かに、ギムニクの言うとおり、四角い箱の蓋を留めているらしいネジがいくつか不自然に飛び出していた。
「……しゃあねえだろ、時間がなかったんだから。」
 ジェイスが口を突き出しながら言い、ギムニクの手から箱を奪い返す。
「んなこた言い訳になんねぇんだよ。限られた時間できっちり仕事を仕上げるのがプロってもんだ。こんないい加減な仕事する奴ぁクズだ、クズ。」
 ギムニクは腰に両手を当ててジェイスをなじった。
「……はいはい、どうせ俺はクズですよ。騎士団一出来の悪い部下ですよ。」
 ジェイスはギムニクの追及に一瞬怯み、それからふてくされたようにふいと横を向いた。
「……ちゃんと動いたんだからいいじゃねぇかよ。」
 ジェイスがぼそりと呟き、ギムニクが「何だって?」と苛立たしげに聞き返した。
「別にぃー……。」
 ジェイスは顔を背けたまま答えるが、その声は明らかに明らかに不満そうだ。
「ったく……。いいか? 機械ってのはな、一度動けばそれでいいってもんじゃねえ。簡単に壊れるのは論外、数千回に一回の誤作動でも欠陥品だ。役に立たないだけならまだしも、他人に思わぬ被害を与えちまうこともあるんだ。丁寧な仕上げは単に見た目のためだけじゃねえ……。」
「その機械が本来の性能を発揮できるよう一部も隙もなく完璧な仕事をした証明だ、だろ? もう何度も聞いてるよ。」
 ギムニクの台詞の終わりをジェイスが引き取ったが、静かにため息を吐いたジェイスに対し、ギムニクはよりいっそう怒りを爆発させたしい。
「分かってんだったらこんなクソみたいな仕事してんじゃねえ! そんながたつくような蓋じゃ埃が入って誤作動の原因になるだろうが。内部機構の据え付けも不十分だ。振動で部品同士がぶつかり合ったら壊れちまうぞ。」
「だから急いでたんだって! てめぇ隣で見てたろが!」
「時間は言い訳になんねえって言ってんだ! てか、師匠に向かっててめぇたぁどういう口の利き方だ!」
 ジェイスとギムニクは互いに怒鳴り合い、今にも取っ組み合いを始めそうな勢いだ。
「あ、あの……。」
 どうしていいか分からずに、アスティは二人に声を掛ける。
「まあまあ二人ともその辺にしてよ。アスティちゃんが困ってるから。」
 ヨルンがジェイスとギムニクの間に入って二人を引き離し、アスティに向かって微笑んだ。
「お、おお、悪いな、嬢ちゃん。この出来の悪い部下がクソみたいな仕事するからついカッとなって……。」
 ギムニクはアスティを振り返ると、白髪交じりの頭を掻きながらニカッと笑みを浮かべた。ジェイスはその後ろでヨルンに宥められながら、不満そうな表情を浮かべている。
「でも、すごいですね。銃声みたいな音や小さな色紙はその四角い箱から出てきたんですよね?」
 アスティはジェイスが手にしている箱を指差しながら尋ねた。
「ああ、市販のクラッカーを仕込んであるんだ。……って、クラッカーって分かる?」
 ジェイスに問われ、アスティは首を傾げる。
「こういう奴だよ!」
 ヨルンがジェイスとアスティの間に割り込み、小さな円錐形の物体を差し出した。頂点から短い紐が垂れている。
「この紐をぐっと引くと……。」
 ——パンッ!
 乾いた音とともに色紙が宙に舞った。
「……びっくりした?」
 ヨルンがにこりと笑って言う。
「お、お前、いきなり目の前でぶっ放すなよ! 寿命が縮んだ!」
 ジェイスが色紙にまみれながら怯えた表情でヨルンに抗議する。
「紐を引くと摩擦熱で火薬に火がついて、中の紙吹雪や紙テープが勢いよく飛び出す仕組みだよ。ジェイスの作った機械は、人間が紐を引く代わりにモーターで紐を巻き取ることで発射を自動化してるんだ。」
 ジェイスの抗議を無視してヨルンが説明してくれたが、どういう原理でそうなるのかはいまいちぴんと来ない。火薬に火が付くということは、この小さな円錐形の装置は、小さな爆弾のようなものなのかもしれない。何だかとても危険そうだが、ヨルンの話しぶりからすると基本的には安全なものなのだろう。
「すごいですねえ。」
 アスティはヨルンが手にしている円錐形とジェイスが抱えている四角い箱を交互に眺めた。四角い箱の上部には丸い穴がいくつか空いていて、きっとこの穴の数だけ、箱の中に円錐形のクラッカーが入っているのだろう。
「見た目はがらくたみてえなもんだけどさ、結構苦労したんだぜ。俺たちが食堂を出る時に作動しないように扉をゆっくり開いた時には反応しないようにしたり、人が手で紐を引く時の速度や角度と同じになるように調整したりさ。」
「ジェイスは機械部門の所属で機械いじりは専門なんだよ。特殊車両のエンジンとか、作業用の昇降機とか、色々作ってるんだよ。」
 ヨルンが言った。
「作ってるって言っても、俺はまだ組立作業の一部を任されてるだけだけどな。」
 ジェイスが照れくさそうに補足した。
「機械部門ってことはギムニクさんと一緒?」
「そ。大変不幸なことに、このおっさんが俺の直属の上司ってわけ。」
 アスティの問いに、ジェイスがおどけて答える。
「誰がおっさんだ! 師匠と呼べと言っただろうが!」
 ギムニクが怒鳴ったが、その表情はすぐに諦めたような笑顔に変わった。
「別に不幸なことはないだろう。ギムニクは一流の技術者だ。その下で学べるんだ、お前にとってはいい勉強になるはずだ。」
 真面目な表情で口を挟んだのはイニスだ。
「……いや、まあ……そう……なんです、けど……。」
 ジェイスが困ったように頭を掻きながらイニスに返す。
「全く、ほんまに空気読まれへんやっちゃな、お前は。」
 食堂の入り口にもたれて笑い声を漏らしたのはナウルだ。後頭部の痛みはもう大丈夫らしい。
「そない真面目なコメント、誰も求めてへんわ。」
 ナウルが言い、ジェイスが乾いた笑いを漏らす。イニスは一瞬むっとしたように顔をしかめたが、反論はしなかった。
「さあ、お喋りはこの辺にして、お食事をしながらアスティさんの歓迎会を始めましょう!」
 会話が途切れた隙を見計らうように、マリアンヌがポンッと手を打って言った。
「そうだね! ほら、みんなテーブルに着いて。アスティちゃんは飲み物はジュースでいいかな? 種類は色々あるんだけど、僕のおすすめは完熟マリイヤのフレッシュジュース! どう?」
 ヨルンはテーブルに駆け寄ると、グラスと濃いマリイヤ色の液体が入った瓶を取り上げ、アスティに掲げて見せた。
「じゃあ、それで。ありがとうございます。」
 アスティはヨルンからグラスを受け取り、ヨルンに差し出した。ヨルンが瓶を傾け、どろりとした濃厚そうなジュースがグラスへと注がれる。
「クエッ!」
 好物のマリイヤの香りに食欲を刺激されたのか、キーロがアスティの肩で鳴いた。
「大丈夫だよ、ちゃんとキーロの分も用意するからね。キーロはこっちのお皿に入れた方が飲みやすいかな。」
 ヨルンはアスティのグラスにマリイヤジュースを注ぎ終えると、テーブルの上に積み上げられていた深めの皿を取り、そこへマリイヤジュースを注いだ。
「ありがとうございます。」
 アスティがキーロに代わって礼を言うと、キーロも「クエッ!」と嬉しそうに鳴く。
 アスティはヨルンからマリイヤジュースの瓶を受け取ってヨルンのグラスに注ぎ返し、他の面々もそれぞれ好みの飲み物をグラスに注ぎ合った。
「それじゃあ皆さん、よろしいですか?」
 グラスを手に、ジェイスがこほんと咳払いをする。
「では、アスティさんに対する歓迎の心を込めて、また、お集まりの皆さんの御健勝を祈念して……乾杯!」
「かんぱーい!」
 銘々がグラスを高く掲げ、アスティもそれに倣った。
「それにしても、ずいぶん豪勢に用意したな。」
 一口口を付けたグラスをテーブルの端に置き、イニスがテーブルの上の料理の山を見つめて呟く。いささか呆れ気味の口調だが、無理もない。何しろ、五十人は入るであろう広い食堂の中央に置かれた大きなテーブルいっぱいに、様々な料理を山のように盛った大皿が並べられているのだ。どんなにみんながお腹を空かせているとしても、これを七人と一羽で食べきるのはなかなか大変なように思われた。
「この御馳走、全部マリアンヌさんがお一人で御用意されたんですか?」
 アスティは改めて驚きながらマリアンヌに問うた。
「まさか! こんなにたくさん一人では作れませんわ。宿所のお食事は王宮付きの料理人が用意しておりますのよ。献立を指示したのは私ですけれどもね。あと、この具沢山野菜スープも私が……。」
 そう言ってマリアンヌは細かな装飾が施された銀色の大きな丸鍋の蓋を開けた。ふわりと白い湯気が立ち、同時においしそうなスープの匂いが鼻腔をくすぐる。丸鍋の下には炎の絵が描かれた妙に分厚い鍋敷きが置かれているだけで薪を燃やしているわけでもないのに、ナウルの部屋での長いお喋りの間放置されていたはずの鍋の中のスープは、程良い温度を保っていたようだ。この鍋——あるいは鍋敷きも、王都の先駆的な発明品の一つなのだろうか。
「さあ、どうぞ。色々なお野菜を擦り潰して入れていますからね、栄養満点ですのよ!」
 マリアンヌがテーブルの上に積まれていたスープカップに特製スープを注ぎ、アスティに差し出した。
「ありがとうございます。」
 アスティは笑顔でカップを受け取り、一口飲んだ。
「あ……おいしい。」
 思うよりも早く言葉が口をついて出た。
「魚介類でだしを取っているんですよ。東の森では海の食材はあまり使わないでしょう? お口に合って良かったですわ。食後にはチェルベリーパイも御用意しておりますから、楽しみにしていてくださいね。」
 マリアンヌがにこりと微笑んで言う。
「なあなあ、俺にもスープ注いでや!」
 テーブルの反対側でナウルがフォークを掴んだままの右手を上げて叫んだ。ナウルの左手——と言うよりも左腕には、料理が山盛り載った取り皿が三枚、器用に載せられている。
「順番にお注ぎ致しますからお待ちください。先に、キーロ様の分を御用意いたしますからね。」
 マリアンヌが言うと、キーロが嬉しそうに鳴いた。
「アスティさん、こっちの煮込みもおいしいですよ!」
 ヨルンが取り皿に山盛りに載せた煮込み料理をアスティの眼前に差し出した。
「あ、ありがとうございます。」
 半ば押し付けられた皿を受け取り、アスティはヨルンに礼を言う。ヨルンは満足そうな笑みを見せながら、自分の分として別の取り皿確保したらしい料理をおいしそうに頬張っている。
 周囲を見渡せば、ジェイスはもちろん、ギムニクまでもが競うようにテーブルの上の料理を自分の取り皿に山と盛っていて、いずれの山も瞬く間に小さくなっていく。
 アスティは、みんながこの勢いで食べればテーブルの上の大量の料理も完食できそうな気がしてきた。
「しかし、これは料理の量に対して人数が少なすぎないか。二十人分はあるぞ。」
 ため息と共にアスティの期待を打ち消したのはイニスだ。冷静に考えれば、イニスのこの感覚の方が正常だろう。二十人分という見立ても控えめな方だ。
「他の皆さんはもうお食事を済まされたんですか? 騎士団の皆さんはこれで全員……じゃないですよね?」
 アスティはヨルンに尋ねた。宿所に着いてから、アスティが姿を見かけた王宮騎士団員はイニスたち五人だけだが、イニスと同じ黒色の制服の若者は王宮内で何人か見かけた。彼らも王宮騎士団の所属だろう。
「まさか! もっといるよ。全部で百五十人くらいかな?」
 ヨルンが答えながら首を傾げる。
「定員が百四十八、実員が百三十七だ。」
 ヨルンの曖昧な答えを正確に言い直したのはイニスだ。
「相変わらず数字に細かいやっちゃな。」
 ナウルがもぐもぐと口を動かしながら茶化すように口を挟んだ。イニスが不愉快そうに顔を歪めてナウルを睨み、アスティは慌てて会話を続ける。
「ずいぶんたくさんいらっしゃるんですね。」
 イニスの答えた数字はアスティの予想を遥かに上回っていた。宿所の中庭から見えた扉の数がせいぜい二十ほどだったことを踏まえると、二人一部屋で計算しても、宿所の定員は五十人にも行かないはずだ。
「皆さんこの宿所にお住まいなんですか?」
「ううん、この宿所で寝泊まりしてるのは騎士団員の半分もいないよ。ここは基本的に独身寮なんだ。結婚した人は出て行くし、独身の人でも王都に自宅がある人は自宅から通ってくるからね。」
「そこのおっさんも通いのはずなんだけどな。」
 ギムニクを指さしてジェイスがため息混じりに付け足した。
「一応、部門長にはこの宿所に一人部屋が割り当てられてるんだ。まあ、俺は自宅の方が気楽でいいからほとんど使わねぇが。」
「と言いつつ、いつもしっかり宿所の食堂でタダ飯食ってるけどな。」
 ジェイスが横目でギムニクを見ながら付け足し、肉団子を口へと放り込む。
「うるせえっ、独身男の一人暮らしで料理なんかしねぇんだよ。」
 ギムニクが肘でジェイスの腹を突き、ジェイスが慌てて口元を押さえた。飲み込みかけた肉団子が逆流したらしい。
「一人暮らしってことは、ギムニクさんは御家族はいらっしゃらないんですか?」
 アスティは思わず尋ねてしまった。見たところ、ギムニクの年齢は叔父のトールクよりも上のようだったし、とっくに結婚して子供どころか孫がいても不思議はないと思っていたのだ。
「ん? ああ、まあ……色々あってな。」
 ギムニクが頭を掻きながら笑った。
「色々って要するに、機械いじりに没頭しすぎて結婚目前だった幼なじみの恋人に愛想尽かされて、気が付けば引退目前のこの年まで独り者って話でしょ? 先輩から聞きましたよ、俺。」
 ジェイスが笑いながら突っ込みを入れる。
「うるせぇ! ってか、誰が引退目前だ! 俺はまだ五十前だ!」
 ギムニクが叫び、アスティはジェイスと共に「え?」と声を上げた。初めてギムニクに会った時、アスティはギムニクの年齢をムリクとそう変わらないくらいと見積もったのだが、五十前ならギムニクよりはだいぶ若いことになる。
「……またまたぁ、そんな十以上もサバ読んで通用するわけないじゃないっすか。」
 一瞬きょとんとしたジェイスが我に返り、ひらひらと手を振りながら笑う。
「サバなんか読んでねぇ、俺は正真正銘まだ四十八歳だ!」
 ギムニクが言い、ちらりとイニスに目線を向けた。ジェイスもその視線を追って、イニスを見る。
「採用時の書類が偽造でなければ、本人の言う通りだと思うが。」
 イニスが向けられた視線に答えるように言った。
「え、ええー!? だってこんな真っ白な髭のじいさん、六十過ぎにしか見えねえよ!」
 ジェイスがギムニクを指さしながら叫び、ギムニクが不満そうに顔をしかめる。
「昔は童顔で子供と間違えるなんて言われるくらいでしたのに、この十年程ですっかり老け込んじゃいましたわねえ、ギムニクは。」
 マリアンヌが頬に片手を当てながらしみじみとした口調で口を挟んだ。
「……出来の悪い部下が増えた心労だよ。」
 ギムニクが頭を掻きながらため息混じりに呟く。その顔には無数の皺が刻まれていて、それが白い髭と相まって彼を実年齢以上に年老いて見せているのは間違いなかった。ただ、ひとたび彼が熱っぽく自らの仕事について語り始めれば、くりくりとした丸い目が輝き、かつての幼顔を想像することは決して難しくはなかった。
「言っときますけど、俺が騎士団に入ったのは去年ですからね。俺のせいじゃないですよ? 初めて会った時、既におっさんの髪と髭は真っ白でした。」
 ジェイスが言うと、ギムニクが不満そうにジェイスを睨み付ける。
「カッコ付けて髭なんか伸ばすから余計に老けて見えるんですよ。」
 マリアンヌの容赦のない追い打ちに、ギムニクが顔をしかめ、渋々と口を開く。
「別にカッコ付けたわけじゃねぇ。仕事が忙しくて剃る暇もないうちにだなぁ……。」
「それってつまり、無精髭を伸ばし続けてここまで来たってことっすか? いくら何でも無精過ぎですよ。恋人に逃げられて婚期逃すのも無理ないっすね。」
 ジェイスが呆れた口調で言い被せた。
「うるせぇ! てめぇだって恋人なんかいねぇだろうが!」
 ギムニクがジェイスを怒鳴りつけるも、ジェイスは強気の笑顔を見せて胸を張った。
「俺、まだ若いですもん! これから見つけるんです! 今度、ナウルさんの紹介で王立病院の看護師さん紹介してもらうんですから! ねっ、ナウルさん!」
 ジェイスは同意を求めて笑顔でナウルを振り返る。
「……ん? 何の話や?」
 ナウルが料理を頬張りながら振り返った。
「王立病院の美人看護師を紹介してくれるって話です! こないだ立番交代した時に約束したでしょう?」
 ジェイスが慌ててテーブルを迂回してナウルに駆け寄る。
「んー……まあ、考えとくわ。」
 詰め寄ったジェイスに素っ気なく答え、ナウルは取り皿に山盛りにした料理をせっせと自分の口へ掻き込んでいる。
「考えてとくって……約束したんですからね! 俺もヨルンも楽しみにしてるんですから!」
「いや、僕は別に……。」
 ヨルンが遠慮がちに漏らすが、ジェイスの耳には届いていないのか、食べることに夢中なナウルに熱心に約束の経緯を説き始めた。
「……けっ、何が美人看護師だ。んな暇があったら仕事の一つでも覚えろってんだ。ろくに仕事も出来ねえ奴のとこに嫁ごうなんて物好きはいねぇんだよ。」
 ギムニクが悪態をついて吐き捨てる。
「それで? 宿所の他の奴らはどうしたんだ? 当直組を抜いてもまだいるだろう?」
 イニスがため息を一つ吐き、話題を元に戻した。これまでの話からすると、この宿所を使っているのは、王宮騎士団員百三十七人のうちの半分もいないということだが、それでも現在アスティの目の前にいる五人という人数は少なすぎる。
「イニスさんが夕方、あの外壁の崩壊事故を受けて警備を強化するようにと指示されたでしょう? それで、今夜は宿所の人間はほとんど警備に駆り出されちゃったんです。」
 ヨルンが答えた。
「ほとんどって……確かに警備強化の指示は出したが、全員出せと指示した覚えはないぞ。」
 イニスが怪訝そうに口を挟む。
「外の人たちがみんな定時で帰っちゃいましたから、残った宿所の人間はほぼ総出で……。」
「俺は定時前に各部門長に指示を出したはずだが。」
 イニスが怪訝そうに眉を顰める。
「まあ、週末ですし、家庭のある人はみんな帰りたがってて……。」
「仕事があるのに、いちいちそんなわがままを聞いていたら組織として回らない。」
 ヨルンの説明に被せるようにイニスが言った。落ち着いてはいるが強い口調で、ヨルンが気圧されたように体を縮こまらせる。
「ぼ、僕がみんなを帰したわけではなく、部門長が許可を……。」
 ヨルンが恐る恐る答えると、イニスが大きくため息を吐いた。
「念のため言っておくが、機械部門ウチは元々宿所住まいの奴がこいつぐれぇだからな。」
 ギムニクは顎で向かいのジェイスを示し、イニスに向かって言った。
「警備要員は指示通りに必要数を拠出したし、自宅に帰った奴にも待機命令は掛けてあるぞ。」
 ギムニクはフォークに刺した大きな肉塊を噛み切ってもしゃもしゃと口を動かす。
「それが当然だ。予備員を残さずに一度に全員夜勤に出すなんて普通じゃない。宿所の人間はほとんど土木部門の連中だっていうのに、何を考えてるんだ、ゴートンは……。」
 ため息混じりに呟いていたイニスが、急に食堂の入り口を振り返った。
「悪かったなあ、普通じゃなくてよぉ。」
 イニスの視線を追うと、食堂の入り口に背の高い男が一人立っていた。

最新の執筆状況(更新予定)等はTwitter(@ayaki_ryu)で呟いています。

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