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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第19話 王宮前広場の喧騒

 アスティは、イニスについて長い廊下を歩いた。窓から差し込む夕日が、真紅の絨毯を一層赤く染めている。
 廊下にはイニスとアスティのほかに人影も見えず、しんと静まり返っていたが、外からは賑やかなリズムが響いていた。太鼓を打ち鳴らし、多くの人が声を張り上げているようだ。
「賑やかですね。」
 アスティは窓の外を見ながら感想を述べたが、窓の外には広い庭園が広がっているだけで、賑やかな音を響かせている人々の姿は見えない。
「金曜の夜だからな。」
 イニスが呟くように答えた。
「お祭りですか?」
 アスティはイニスを見上げて尋ねた。
「いや……まあ、祭りのようなものだが。」
 アスティの問いに、イニスはいったん否定の答えを返したものの、曖昧に語尾を濁した。
「自分の目で確かめてみればいい。表に回れば嫌でも目に入る。」
 イニスの口振りからすると、この賑やかな音はイニスにとって楽しいものではないのだろう。
(イニスさんはお祭り嫌いなのかな。)
 アスティは、かつての東の森の例祭を思わせる賑やかな響きに胸を高鳴らせたが、イニスは憂鬱げな表情のまま、廊下の端に隠れるようにあった狭い階段を下りていく。階段を下った先には、最初にアスティがこの建物に入った時とは異なる小さな扉があった。
 イニスが扉を押し開けると、耳に届く音は一気に大きくなり、人々の言葉がはっきりと聞き取れるようになった。
 大きな音に反応して、キーロもアスティの肩で声を上げる。
 ——ドンドンドン!
「開発反対!」
「はんたーい!」
 ——ドンドンドン!
「自然を守れ!」
「守れー!」
 ——ドンドンドン ピピィーッ!
 イニスに続いて扉をくぐり、庭へ出たアスティは、イニスの憂鬱げな表情の意味を理解した。人々が叫んでいる言葉は、普通の祭りの文句ではない。東の森で、アスティたち森の民が神に捧げていた祈りの言葉とは明らかに違う種類のものだ。
「イニスさん、これって……。」
 アスティはイニスを見上げながら恐る恐る尋ねた。
「反政府勢力の抗議活動デモだよ。ここ最近、毎週金曜日になると王宮前広場に集まってくる。」
「反政府勢力……。」
 アスティはイニスの言葉を繰り返した。
 反政府勢力と言うことは、政府の人間であるイニスにとっては対立関係に立つ人々だということだ。
「反政府勢力と言っても、王宮広場での抗議活動に参加している連中は基本的に穏健派だ。お前にとっては志を同じくする仲間なんじゃないか?」
 イニスは笑みを浮かべたが、どこか突き放すような言いぶりにアスティは不安を覚えた。
「……せっかくの機会なんだ、表に回ってしっかり見ればいい。抗議活動自体は政府の許可を得て行われているものだし、混乱防止のための警備要員も配置してる。心配は要らない。」
 アスティが黙っていると、イニスはそう言って先を歩き始めた。
 アスティが心配していたのは抗議活動による混乱などではなく、先ほどからほとんどアスティと目を合わせようとしないイニスの態度の方だったが、だからこそ、イニスの勧めを断ることもできず、慌ててイニスを追い掛けた。
 歩くに連れ、人々の抗議の声は大きくなり、はっきりと聞こえるようになる。
 繊細な彫刻や植木が並んだ庭園の先に、一際大きな門が見えたが、イニスはそちらとは反対の方向へ足を向けた。王宮を取り囲む外壁の隅に、アスティが最初に王宮の敷地に足を踏み入れた時と同じような小さな木戸があり、イニスは側に立つ兵士に挨拶をすると黙って扉をくぐる。
 イニスに続いて木戸をくぐったアスティは、眼前の光景に息を飲んだ。
 そこには、大きな人の流れがあった。皆、王宮を囲う外壁沿いの道を、制服を着た兵士たちに誘導されながら連なって歩いている。
「人がいっぱい……。」
 アスティは思わず呟いた。王宮の前の通りは特段商店も見当たらず、最初に王宮の裏の木戸を通った時にはほとんどすれ違う人もいなかったが、今は通りの半分を人が埋めている。
「毎週金曜の夕方に、王宮前広場で抗議活動が行われてる。このために国中から活動家が集まってくるんだ。」
 イニスはそう言うと、兵士たちが導く行列の隣を悠々と歩き出した。行列を作っている人々が不満そうな視線を向けていることに気付き、アスティは駆け足でイニスを追い掛け、その陰に隠れた。
 行列を辿っていくと、王宮の正面に着いた。
 人々の行列は反対方向から着た行列と一緒になって、王宮前の広場へと流れ込んでいる。彫刻の施された門柱の奥には、中央の塔に国旗を掲げた壮麗な建物がそびえている。
 王宮の裏から見た塔も十分立派だったが、正面から見た王宮の全体像はそれ以上のものだ。大勢の人がそこへ向かうように広場へと流れ込む様が、巨大な建物を一層偉大に演出している。
「はぐれないように気を付けろよ。」
 イニスはそう言って兵士が立つ入り口の脇から広場へと滑り込んだ。思わず足を止めて見上げていたアスティも、慌ててイニスを追いかける。
 広場に入ると、アスティは人混みに揉まれながらイニスについて歩いた。周囲の人に押され、息苦しささえ感じるほどだ。アスティは一瞬イニスを見失い、慌てて人混みをかき分けると、急に腕を掴まれて花壇の縁へと引き上げられた。
「大丈夫か?」
「あ……はい。何とか……。」
 イニスに見下ろされ、アスティは答えた。
 呼吸を整えながら周囲を見渡し、アスティは息を飲んだ。
 一段高い花壇の縁からは、広場全体の様子を見渡すことができ、ジヴルとナディのパン屋がある商店街で見たよりも大勢の人たちが広場にひしめき合っていた。所々で色鮮やかな旗も掲げられ、旗には「東の森の開発反対」とか「自然との共存を」といった文字が踊っている。
 男性も女性も、若者も老人も、様々な人々が王宮前に張り渡されたロープの向こう側で、王宮に向かって拳を突き上げながら叫んでいる。
「線より前に出ないで!」
「もう少し下がって!」
 人々を囲うようにロープを手にした兵士たちが群衆に向かって声を掛けているが、その声は人々の叫び声と彼らが打ち鳴らしている楽器の音にかき消され、ほとんど人々の耳には届いていないようだ。それでも、広場の中ではきちんと一定の秩序が保たれている。
「この人たちがみんな反政府勢力……?」
 アスティは思わず呟いた。人数の多さに対する驚きはもちろんあったが、目の前の人々がごく普通の人々にしか見えないことが驚きだった。
 イニスから聞いた限りでは、反政府勢力というのはもっと暴力的で恐ろしい人々なのだと思っていたからだ。
「広い意味ではな。ここに集まっているのはほとんどが穏健派。野党支持している普通の一般市民だよ。」
「悪い人たちじゃないんですね?」
 イニスの答えにアスティはほっとした。掲げられた旗の文字は、アスティの願いと同じだ。イニスが彼らをアスティにとっては「志を同じくする仲間」になるのではないかと言ったのも合点がいく。
「基本的にはな。」
 含みのある答えに、アスティはイニスを振り返った。
「抗議活動の主催者は野党の支持母体になっている市民活動団体だが、集まってきた奴の名前をいちいち確認しているわけじゃないからな。過激派の連中が紛れ込んでいても不思議じゃないし、穏健派と言っても、これだけの人間が集まっていれば、中には興奮して暴れ出す奴もいる。ふとしたきっかけで抗議活動が暴動に変わることだってあるんだ。」
 イニスの説明をアスティは黙って聞いていた。
「先月も一人、死者が出た。」
 イニスが続け、アスティは息を飲んだ。
「当日は、著名人の呼びかけで想定以上に多くの人が王宮前広場に集まり、混乱防止のために一時的に広場を閉鎖せざるを得なくなった。その結果、広場に入れなくなった男が、警備要員に広場へ入れろと文句を付けたのが事の発端だ。ただの苦情で済めば良かったが、男は自分の要求が通らないと分かると暴れ出し、手にしていたガラス瓶を振り上げて警備要員に殴り掛かった。男はすぐに近くにいた他の警備要員によって取り押さえられ、殴られた警備要員も軽い脳震盪と切り傷程度で済んだが……。」
 イニスの説明に、アスティは「え?」と声を上げて聞き返した。
「亡くなった人がいたんじゃないんですか?」
 イニスの最初の話では、死者が出ているはずだった。
「いたよ。警備要員は三人掛かりで男を取り押さえたが、大柄の男たちにのしかかられた男は嘔吐した直後に気を失い、そのまま押さえ込まれているうちに吐いたものを喉に詰まらせて窒息死した。元々酒に酔っていたらしい。持っていたガラス瓶も酒瓶だったからな。」
 イニスの答えに、アスティは何と返したらいいのか分からなかった。
「政府の弾圧を許すなー!」
「許すなー!」
 広場の隅に停められた車の屋根の上でリーダーらしき若い男が群衆を煽り、広場に集まった人々が口を揃えて男の呼び掛けに応える。人々の叫び声が少しずつ刺を持ち始めたように感じた。
 ふと、車の上の男がアスティたちのいる方へと顔を向けた。アスティは一瞬男と目があったような気がしたが、男はすぐに顔を背け、群衆に向かって叫んだ。
「無実の市民を殺す王宮騎士団は解散しろ!」
「解散しろー!」
 男が口にした言葉に、アスティは驚いて絶句した。恐る恐るイニスを見上げると、イニスは無表情で群衆を見つめている。
「反政府勢力にとって、体制護持を目的として組織されている王宮騎士団は批判対象の筆頭だ。別に驚くようなことじゃない。」
 イニスは群衆を見つめたまま言った。
「先月の事件も、野党系の一部の新聞社は騎士団が善良な市民に執拗に暴行を加えて殺害したと報じてる。」
「そんな……。」
 アスティは言葉を続けることができなかった。人が亡くなるという結果は重大で、たとえ最初に殴り掛かったのが男の方だとしても、それゆえ男が死んでもいいということにはならないだろう。だが、イニスの説明の通りなら、新聞報道は事実を正確に伝えてはいない。
「先月の事件はただの事故だ。たとえ警備要員のとった制圧方法が必ずしも適切ではなかったとしても、警備要員に殺意があったわけじゃない。そもそも、事件に対応した警備要員は陸軍所属の兵士で、騎士団員じゃないんだが……。」
 イニスは淡々と語り、アスティは唖然とした。
「……それは、新聞の記事が間違っていたということですか?」
 かつては東の森にも町の新聞が届けられていた。週に一回、数日遅れの配達ではあったが、大人たちが森の外の情報を得ようと熱心にそれを回し読んでいた光景はアスティの記憶にもある。多くの森の民が森を出て、いつの間にか定期的に届いていたはず新聞は届かなくなったが、それが本来、森の外の出来事に関する貴重かつ正確な情報源であることは知っている。
 しかし、王都の新聞は、この数年間、アスティやムリクが森の外の情報を得る手段としていたもの——移住を説得に来る役人や東の森を通る行商人との会話、そして時折届く森を出た親類からの手紙といったもの——よりも信頼の置けないものらしい。
「まあ、当日の広場の警備計画を承認したのはこの俺だからな。騎士団も百パーセント関係がないとは言えないが。」
 イニスがぼそりと付け足した。
「奴らに言わせれば、男が警備要員と揉めたのは警備計画が不十分で混乱を生じさせたせいだ。そして、そんな不十分な警備計画を承認した騎士団が事件の原因、諸悪の根源だということだろう。」
 イニスがやっと笑みを見せたが、その自嘲気味の笑みに穏やかな優しさはない。
 アスティは混乱していた。目の前の人々の主張の一部はアスティの主張と同じで、アスティはこんなにも多くの「仲間」がいたということを嬉しく思ったのに、イニスの話を聞くと、彼らが自分と同じ主張をしているということに違和感を覚える。彼らはアスティと全く同じではない。けれど、彼らがアスティと全く異なるわけでもない。
 政府への不満を叫ぶ彼らと一緒になって反政府勢力のリーダーらしき男に喝采を送る気にはなれなかったが、一方で、彼らに対するイニスの冷ややかな態度に共感し切ることもできなかった。
 キーロは人々の打ち鳴らす太鼓の音に合わせて機嫌よく歌っていたが、アスティはじゃれ付くキーロを撫でながらそっとそのくちばしを閉じさせた。

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