挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
2/61

第1話

 「うーんっ、今日もいい天気!」
 エウレール王国の東の森の民、少女アスティは両拳を空に突き上げ、伸びをした。
 青空に輝く太陽は青々と茂る木の葉の下に無数の輝く粒を落とし、風は涼しげな音を奏でながら通り抜けていく。初夏の訪れを感じさせる爽やかな朝だ。
 不意にアスティの頭上を影が覆った。アスティが見上げると、影の正体はぐるりとアスティの頭上で旋回し、微かな羽ばたきの音と共にアスティの肩に降りた。大きな黄色のくちばしと黒い翼を持つ派手な鳥だ。
「おはよう、キーロ!」
 アスティはその鳥の名を呼び、微笑み掛ける。数ヶ月前に、アスティが森の奥で保護したのがこのキーロだった。アスティの目の前で突然墜落した鳥は、特段怪我をしているわけでもなく、すぐに元気に飛び回るようになったのだが、なぜか森に帰へ帰ろうとせず、今ではアスティの家族の一員のようになっている。
 このことについて、アスティの祖父ムリクは、森の生き物は人に支配されるべきではないと主張してたびたび不満を漏らすのだが、毎朝、朝食にキーロの好物であるマリイヤの実を用意しているのは、内心ではキーロの存在を喜んでいるからだろう。
「アスティ。何をしとるんだ。まだ朝食の用意をしとらんのか。」
 木立の奥から声が掛かり、朝の散歩を終えたらしいムリクが、赤みを帯びた濃い黄色に熟したマリイヤの実を抱えて姿を現した。
「クエッ!」
 マリイヤの実を視界に捕らえたキーロが嬉しそうな声を上げて羽ばたき、ムリクの元へと飛んでいく。
「こ、これ、わしをつつくでない! ……全く、行儀のなっとらん鳥だ!」
 ムリクはキーロを叱りつけるが、どこか嬉しそうでもある。
 アスティはそんなムリクとキーロの様子にくすくすと小さな笑い声を立てながら、昨日のうちに集めておいた枯れ枝で火起こしの準備を始めた。
 アスティはもう二年以上もの間、この森で祖父のムリクと二人で暮らしている。
 二人が暮らすテントの周囲には、かつて二十以上の世帯からなる集落があった。しかし、王都を中心とした都市開発が進み、森で伝統的な暮らしを営んできた森の民の多くは、森を出て都市へと移住した。特に、十年前に先代国王が出した科学技術振興令はそれを推奨した。それまで細々と狩猟採集生活を営んでいた森の民に、役人が各集落を回って科学技術を学ぶよう説き、王都の大学で優秀な成績を納めた者には政府高官としての地位と高額の報酬を約束したのだ。そうして王都に集まった若者に生活の場を与えるため、政府は次々と森を切り拓いて都市を拡大した。そして、住処を奪われた森の生き物は急速にその数を減らし、狩猟採集を基本として生活していた森の民は、森から必要な食料を得ることさえ難しくなった。そうして、さらに多くの森の民が都市へと移り住んだ。
 だが、アスティとムリクは未だにこの森で森の民としての伝統的な暮らしを続けている。時々、政府の役人が訪ねてきて、ムリクに王都への移住を勧めるが、ムリクは頑として首を縦に振らない。この集落の長老であり、森の守護者でもあるムリクは、死ぬまで森を守り続けると決めていた。
 森の守護者とは、東の森の集落全てを束ねる長であり、森の神の声を聴き、森を守る役目を負う聖職者だ。もっとも、都市の拡大に伴って東の森はその面積の縮小を強いられた上、森の民の多くが都市部へ移住して、今やエウレールの東の森に残る集落はアスティとムリクが暮らすこの集落——と呼ぶにはあまりにも小さい一張りのテント——のみなのであるが。
 アスティの両親は、アスティが七歳の時に森の中で獣に襲われて亡くなった。
 本来、森の生き物は森の民を襲わない。森の民は食料を得るために狩りを行うが、決して必要以上に命を奪うことはしないし、人は彼らにとって本来的には食料ではない。ただ、当時は、政府が科学技術振興令が出て各地で都市開発を進めており、その影響で森の生き物は深刻な餌不足に陥っていた。本来、森の民を襲わないはずの獣が、空腹ゆえに攻撃性を増していた可能性は高い。
 とは言え、事件後、アスティの両親を襲った獣は見つかっておらず、二人の死の真相は必ずしも解明されてはいない。森の奥で見つかった二人の遺体に獣に噛みきられたような痕があったことから、獣に襲われたのだろうと判断したにすぎないのだ。
 それゆえムリクは、息子夫婦の死について、森を切り拓いて開発を進めたい政府が森の守護者——すなわち東の森の長である息子を獣に襲われたように見せかけて殺害したのではないかと当初から疑っており、今でもそう信じている。仮に二人が獣に襲われたのだとしても、その遠因は政府の開発計画にあるのだから、いずれにしても、息子夫婦の死は政府の責任だとムリクは考えていた。ムリクが政府の勧奨に応じず、決して都市へ移住しようとしないのは、政府に対する不信感と反発が奥底にあるからでもある。
 当時、ムリクは既に息子に森の守護者としての地位を譲っていた。もっとも、森の守護者の地位は必ずしも世襲されるものではなく、前任者が死亡したり、在任者が退位を申し出ると、後任は選挙によって選ばれることとなっていた。高齢を理由に森の守護者を退くこととしたムリクの後を継いだのがムリクの息子だったのは、公正な選挙の結果である。
 しかし、一度、森の守護者としての地位を退いたムリクが再びその地位に就くこととなったのは、アスティの父親の死後にその地位を引き継いだ者が続々と森を出て都市へ移住してしまい、他に候補者がいなかったからだ。森の守護者になるには成人していなければならず、エウレールでの成人年齢は、女男ともに十六歳と定められていた。
 アスティはちょうど一週間前に十六歳の誕生日を迎えたところで、近々ムリクから森の守護者としての地位を引き継ぐことになるだろう。東の森の民が既にアスティとムリクの二人に限られている現状では、ムリクが森の守護者の地位を退けば、アスティは自動的に森の守護者に任じられるのだ。
 アスティは長いことその日を心待ちにしていた。東の森の長の地位や権力を望んでいるわけではない。幼い頃から祖父や父の森の守護者としての働きを見ていたアスティには、それが決して楽な仕事ではなく、国王のような権力を持つ職でもないことは分かっていた。しかし、だからこそ、アスティは森の守護者である父や祖父を尊敬し、その職に憧れていた。ただ、アスティが森の守護者になりたいと強く思った一番の理由は、森の守護者は神の声を聴くことができるという伝説のためだ。エウレールの森には目に見えぬ偉大なるもの——都市の住民は普通それを神と呼ぶらしい——が存在し、森とそこで暮らす生き物を見守っているとされていた。森の守護者は、その神の声を聴いて森の秩序維持に努めるのだ。
 伝承によれば、森の神の声は厳かで優しく、この世のものとは思えないほど美しいと言われている。神は常に言葉を発するわけではなく、森の守護者と言えども、その任期中に一度聞けるかどうかという貴重なものだ。ムリクは若い時分に一度だけその声を聴いたことがあり、頭の中に直接響いてくるようなその声は本当に美しく、暖かな光に包まれているような不思議な心地がしたとアスティに語った。
 アスティはその美しい神の声を聴いてみたかった。
 その声は、アスティが七歳の誕生日に父から貰った横笛の音色よりも美しいだろうか。アスティはしばしば森の中で笛を吹きながら、夢想するのだった。

 アスティが鼻歌交じりに朝食の雑炊をかき混ぜていると、爽やかな朝には不釣り合いな乾いた音が響いた。銃声だ。
 森の奥で鳥たちが騒がしい悲鳴をあげ、それに呼応するようにキーロも叫ぶ。
「またか! あの恥知らずの密猟者どもめ!」
 ムリクが顔をしかめてすっと立ち上がった。
「今度こそ成敗してくれる!」
 ムリクはテントの脇に立てかけていた杖を手に取ると、銃声が聞こえた方へと駆けていく。
「おじいちゃん、待って! 危ないよ!」
 アスティはムリクの背に声を掛けたが、ムリクは既に木立の奥へと消えていた。
「……もうっ、お腹空いてるのにっ!」
 アスティはようやくできあがった雑炊をその場に残し、キーロと共にムリクを追いかけた。
 おそらく、というよりも、ほぼ間違いなく、銃声は都市からやって来た密猟者のものだろう。最近、都市部では森の貴重な生き物を剥製にして飾ったり、ペットとして飼ったりすることが流行っているらしい。希少動物の捕獲は国の法律で禁止されているが、それゆえ、貴重性が増し、高く売れるのだと、先日、ムリクが捕まえた密猟者の若者が語っていた。
 密猟者から森の生き物を守るのも、森の守護者の仕事だ。だが、高齢のムリクには少々荷の重い仕事ではある。そもそも、都市部から来る密猟者たちは、銃を初めとして、国の最先端の科学技術を用いた武器を持っている。一方、伝統的な暮らしを営む森の民が使える武器は槍と弓矢、小型のナイフがせいぜいで、それも基本的には狩りのためのもの、人間相手には使えない。森の守護者は国の許可を得た正規の取締官とは違うため、密猟者と言えども下手に怪我は負わせられないのだ。
 加えて、相手にする密猟者は犯罪者である。人間でも獣でも、怪我をさせようが殺そうが知ったことではないという者も少なくない。それを相手に木製の杖一本で立ち向かうのだから、アスティがムリクを止めようとするのは当然だ。もちろん、止めても無駄だということは知っている。アスティ自身、いずれムリクの後を継いで森の守護者となれば、ムリクと同じようにほとんど丸腰で彼らを相手にせねばならないのだ。それでも、高齢のムリクにはあまり無茶をしてほしくない。そう言うと、ムリクは必ず「年寄り扱いするでない!」と怒るのだが。

最新の執筆状況(更新予定)等はTwitter(@ayaki_ryu)で呟いています。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ