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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第18話 辞去

 アスティがユミリエールの出て行った扉をぼんやりと眺めていると、誰かが大きなため息を吐いた。
 アスティが振り返ると、国王が立ち上がった。
「娘が失礼な態度を取ったね。申し訳ない。」
 国王はアスティに歩み寄り、軽く頭を下げた。
「いえ、そんな……。」
 アスティは恐縮し、慌てて左右に両手を振る。
「一人娘だからとつい甘やかしすぎてしまってね。あんな性格だが、年齢も近いようだし、仲良くしてやってくれないか。」
「もちろんです!」
 国王直々の頼みに、アスティは力強く答えた。国王に頼まれたからではない。長い間森の奥でムリクと二人きりで暮らしてきたアスティにとっても、ユミリエールは数少ない人間の友達になり得る存在だった。
「ありがとう。」
 国王の笑顔にアスティも微笑み返す。
「クエッ。」
 キーロが国王に答えるように、片翼を広げて鳴いた。
「お前もユミリエールと仲良くしてやってくれるのか?」
 国王が腰を屈めてキーロに視線を合わせると、キーロは胸を張って頷いた。
「賢い鳥だ。」
 国王がキーロの頭を撫でると、キーロはくしゅくしゅと顔を胸の羽毛に埋める。
 アスティは、国王の気さくな態度にほっとすると同時に、自分がここへ来た目的を思い出した。アスティは森を守るために、東の森の開発計画を取り消して、国を挙げて森の生き物たちを保護する方法を考えてもらうために、遙々王都までやって来たのだ。
「あの、国王陛下……。」
 アスティはキーロと遊んでいる国王に向かって口を開いた。国王がきょとんとしてアスティを見つめる。
「私、陛下にお願いしたいことが……。」
 アスティが真っ直ぐに国王を見据えて核心を口にしようとした時、アスティの眼前を黒い物が遮った。
「陛下、報告も済みましたので、我々はこれで……。」
 イニスは後ろ手にアスティを押しやりながら、国王に向かって言った。
「ああ、そうか。外壁の件はお前に任せる。これ以上騒ぎが大きくなることのないよう気を付けてくれ。次の事件などもってのほかだ。」
 国王はイニスに向かって強い口調で言い、イニスは頭を下げた。
「然るべく対応いたします。」
 イニスは一歩下がるとアスティの肩を掴んで無理矢理アスティを部屋の出入り口へと向かわせた。
「あ、あの、私……。」
 国王陛下と話をさせてほしい——そういうつもりでイニスを見上げたが、イニスはアスティと目を合わせようとせず、アスティの背中を強く押して部屋を出るよう促した。
「いくぞ、ナウル。」
 イニスがナウルを振り返って言うと、ナウルはへらへらと笑いながら頭を掻く。
「いやぁ、俺はまだ陛下と……。」
「いくぞ!」
 イニスはナウルの言葉を遮ると同時にナウルの腕を掴んで引っ張った。よろけたナウルの背をイニスが突き飛ばし、アスティはナウルに押される形で部屋の外へ押し出された。
「新しい情報が見つかり次第、改めて御報告させていただきます。」
 イニスは部屋の出入り口で振り返り、国王に向かってそう述べると、素早く扉を閉めた。
「俺はまだ話すことがあるっちゅうたのに!」
「うるさい!」
 ナウルが抗議の声を上げたが、イニスは一喝すると同時にナウルを蹴飛ばした。ナウルが二重扉の間から応接間へと転がり出て、アスティも応接間へ出た。
「暴力反対!」
 転がったナウルが床に腰を下ろしたまま叫ぶが、イニスは答えず、応接間へ出ると後ろ手に二重扉を閉めた。イニスの表情は明らかに不機嫌そうだが、その原因が何なのかはよく分からない。アスティは黙ってイニスを見つめていた。
 気まずい沈黙が流れる。
「イニス、お前、どういうつもりや?」
 沈黙を打ち破ったのはナウルだった。床から立ち上がり、白衣の裾を叩きながら、ナウルがイニスを見据えた。
「せっかくアスティちゃんが陛下と話そうとしとったのに、わざと遮りよって……。アスティちゃんが何のために王都まで来たか忘れたんとちゃうやろな?」
 ナウルの声はいつもより低く、いささか不機嫌そうに響く。
「今日、俺がアスティを陛下に引き合わせたのは王宮に滞在させる許可を得るためだ。勝手な話をされては困る。」
 イニスはきっぱりと言い切ったが、アスティが王都へ来たのは国王に直接東の森の保護を訴え、国王を説得するためだ。国王と話ができないのでは、東の森を離れて遥々王都まで来た意味がない。
「でも……。」
 アスティの言葉を、イニスは遮った。
「アスティ、お前には分からないだろうが、本来、国王陛下はお前のような身分の者と直接話をすることはない。俺はお前を俺の客人として王宮に招いた以上、お前が陛下に対して無礼な振る舞いをすれば俺の責任になる。立場を弁えてくれ。」
 イニスの表情は硬く、笑みはない。イニスの言うとおり、アスティには分からなかった。
「……話をしようとしたことが、無礼な振る舞いですか?」
 アスティはイニスを見据えて問い返した。それはアスティにとって純粋な疑問ではあったが、思わず語尾に力がこもったのは、「お前には分からない」というイニスの見下すような態度に対する反発を含んでいたからだ。
「ああ。王宮内でも国王陛下と直接話のできる人間は限られている。陛下は気さくな方だが、だからと言って、庶民がむやみに話し掛けるのは失礼だ。」
 イニスは無表情で答えた。このイニスの説明は、アスティの疑問を解消するものではない。アスティは納得できなかったが、どう問い返せば満足な説明をしてもらえるのか分からなかった。
「ほんまにそれだけなん?」
 ナウルが挑発的な笑みを浮かべながらイニスに問うた。
「どういう意味だ?」
 ナウルの問いに、イニスが聞き返す。
「もしかしたら、アスティちゃんが陛下を説得して東の森の開発計画が止まってまうと、お前としても不都合なことがあるんとちゃうかなあと思うてな。」
 ナウルは独り言のように呟きつつ、イニスの様子を探るように視線を向けた。
「俺は政策の当否に興味はない。」
 イニスは表情を変えずにナウルに答える。
「ふうん……ま、ええわ。お前は国王が黒や言うたら純白のドレスも黒や言う奴やからな。」
 ナウルはイニスに向かって微笑んだが、イニスは苦々しげな表情で視線を逸らした。
「まぁ、そもそも初対面の小娘がいきなり国の政策に反対を唱えたところで、国王がまともに取り合うとも思わへんし……。いずれ俺がちゃんと仲介したるから、今日は我慢しいや!」
 ナウルはそう言うとアスティの背中を思い切り叩いた。
「まずは王宮見学でもして情報を集めることやな。」
「情報?」
「そ。情報収集。敵を知り、己を知れば百戦危うからずっちゅう諺もあるやろ。大事な頼み事をするんやから、国王陛下の好物を調べて手土産に持参するくらいはせんとな! ……あ、ちなみに、俺の好物は天然物のマリイヤやで!」
 ナウルはそう言うと一人でけらけらと笑った。自分の好物はマリイヤだとわざわざ宣言したのは、それを手土産として自分のところへ持ってこいという意味だろうか。
「ま、そういうことやから、イニスはしっかりアスティちゃんに王宮を案内したってや!」
 ナウルは不機嫌そうなイニスの肩を叩いた。
「……お前は来ないのか?」
 イニスが驚いた表情でナウルに聞き返すと、ナウルはにこりと微笑む。
「一緒に行った方がええ?」
 問い返されたイニスはしばらく考え込むように沈黙した後、きっぱりとナウルに告げた。
「……いや、全く。」
「ほんなら俺は、遠慮なくキーロに振られた可哀想な姫様を慰めに行ってくるわ。」
 ナウルはそう言うと白衣の裾を翻しながらくるりと回り、イニスとアスティに背を向けた。
「お前が行ってもユミリエールを怒らせるだけだと思うが。」
 イニスが眉間にしわを寄せながら、ナウルの背中に呆れた声で投げかける。
「泣かせるよりは怒らせる方がましや。独り寂しく泣いとる女の子を放っとくんは紳士道に反するで。」
 ナウルは首だけ振り返ってそう言うと、片手を上げてひらひらと振りながら応接間を出て行った。
 アスティの隣でイニスが大きく息を吐いた。
「さっきまで自分がアスティを案内するって大騒ぎしたくせに、何なんだ、あいつは……。」
「でも、ユミリエール姫を心配して、わざわざ様子を見に行くなんて、優しいですよね、ナウルさん。」
 ナウルの選択はアスティにとっても意外だった。ナウルは、ユミリエールを本人を前にしてさえ「わがまま姫」と公言してはばからないし、この短時間の間にもナウルとユミリエールは散々言い争いをしていたが、ナウルはユミリエールを嫌っているわけではないようだ。度々言い争いをしていたキーロとムリクのように、案外、良いコンビなのかもしれない。
「どうだか。王宮内を案内して回るのが面倒になっただけじゃないのか。あいつは仕事も飽きたと言って放り出す常習犯だからな。」
 イニスが呆れた様子で吐き捨てた。
「そんなこと……。」
 ないですよ、と言い掛けてやめた。イニスはアスティよりも普段のナウルをよく知っている。ナウルの気まぐれは、東の森で数日間を共にしただけでも何度か目にしているし、イニスの言い分には十分説得力があった。
「いったん宿所に荷物を置いてから王宮内を案内しよう。」
 イニスはアスティに背を向けると、応接間のテーブルに置いていた焼き立ての——と言うにはナディとジヴルの店を出てからだいぶ経ってしまった気もするが——パンの入った紙袋を抱えた。
「はい。」
 アスティは素直に頷いたが、同時にイニスがぴたりと動きを止めた。
「……荷物?」
 イニスはアスティの返事を聞いていないのか、自ら発した言葉を不自然に繰り返した。
「……あいつ……!」
 イニスは軽く舌打ちしたかと思うと、突然駆け出して応接間を飛び出した。アスティも慌てて自分の分のパンが入った紙袋を掴み、イニスの後を追いかける。
「……ナウル、ちょっと待て!」
 応接間を飛び出したイニスが、長い廊下の先に向かって叫んだ。
 イニスの声に反応し、廊下の先の人影がゆっくりと振り返る。逆光のせいもあって顔はよく見えないが、背格好からして、それがナウルであることは間違いない。
「なんやー?」
 振り返ったナウルが脳天気に返事をした。
「お前、アスティの荷物はどうした?」
 ナウルに駆け寄ったイニスがそう尋ねるのを聞いて、アスティはやっとイニスが慌てていた理由を理解した。
 東の森を出た時、アスティの荷物はナウルに預けられていた。しかし、今、ナウルの両手にアスティの荷物はない。思い出してみると、もうだいぶ前からナウルは手ぶらだったようにも思う。
「荷物? ああ、それなら重たいから途中で置いてきたで。」
 ナウルがイニスに向かって平然と答えるの聞き、アスティは青ざめた。ナウルに預けていたずた袋には、これまで少しずつ貯めてきたお金が全て入っているのだ。
「はぁ!? 置いてきたってどこに!?」
「ギムニクのとこや。騎士団の宿所に運んで貰うようちゃんと頼んでおいたで。仕事が速いやろ?」
 慌てるイニスに対し、ナウルは余裕の笑みを浮かべる。アスティは自分の荷物が途中の道端に捨て置かれたわけではないと分かってほっと息を吐き、側の壁に手をついてもたれた。
「ちゅうわけやから、アスティちゃんの案内、よろしく頼むで。」
 ナウルはイニスとアスティに背を向けると、片手を上げて廊下の先へ姿を消した。
「……悪いな、アスティ、驚かせて。」
 イニスがアスティを振り返った。その表情にはいくらか疲れが浮かんでいる。
「いえ。ギムニクさんが預かってくださったのなら大丈夫……ですよね?」
 アスティはイニスを見上げ、念のための確認だと思いながらも恐る恐る尋ねた。
「ああ。正確には預かったわけではなくて押しつけられたんだろうが、ギムニクなら途中で放り出したりはしない。あいつと違ってな。」
 イニスはひきつった笑みを浮かべながら答え、アスティは乾いた笑いを返した。
「その紙袋が邪魔じゃなければ、このまま王宮内を見て回るか? のんびりしていると夕食の時間になっちまうし。」
 イニスはアスティが抱えていたパンの入った紙袋を指差した後、右耳の携帯端末装置モバイル・ギアに触れた。イニスの眼前に、数字が浮かび上がり、末尾の数字が一つずつ大きくなっていく。現在時刻が表示されているらしい。
 東の森にも時計はあったが、森の民は時刻に関してはあまり厳密ではなかった。日の出と共に目覚めて朝食をとり、太陽が頭上に昇る頃には昼食の支度を始める。空が夕焼けに染まる頃には焚き火をして夕食の支度を始め、食事が終われば眠るだけだ。時に焚き火を囲んで夜遅くまで語り合うこともあったが、何時になったら何をするという細かい決まりはなかった。
 王都に暮らす人々はそうではなく、一分一秒を律儀に数えながら生活しているらしいことは、度々東の森を訪れていた役人たちがやたらと時間を気にしていたから知っている。
 廊下の先の美しい装飾が施された窓からは、赤い光が射し込んでおり、もう夕暮れだ。森の民の大雑把な時間感覚でも、そろそろ夕食の支度を始める時間であることは間違いない。おやつにナディとジヴルの店でパンを食べたから、ものすごくお腹が空いているというわけではないがが、できることなら明るいうちに色々見ておきたかった。
「はい、お願いします。」
 アスティはイニスの提案に同意して微笑んだ。
「じゃあ、まずは王宮の正門から見てみるか。さっきは裏側しか見てないだろう?」
 そう言ってイニスが先に歩き出し、アスティは慌ててその後を追い掛けた。

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