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エウレールの森の民 作者:アヤキリュウ
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第14話 侍女長マリアンヌ

 アスティは、落ち着かない気持ちで長い廊下をイニスとナウル、そしてユミリエールの後について歩いていた。
 床から柱、天井まで、王宮の豪華な造りも気になったが、それ以上に、ユミリエールの肩に乗っているキーロが心配だった。
「東の森はほんまに稀少植物の宝庫やで! 西の森ではとっくに絶滅したと思われとった花の群生地もあってん!」
 ナウルは先ほどからアスティの数歩先を歩くユミリエールとイニスの間に割り込みながら、一生懸命に東の森の調査結果を報告している。
「それは結構なことね。」
 ナウルの熱心さとは対照的に、ユミリエールはいかにも迷惑そうな表情浮かべ、ナウルを追い払うように手のひらをひらひらと動かした。キーロは大人しくユミリエールの肩に乗っている。
「ちなみに、この髪飾りはその貴重な花の形を針金細工で忠実に再現したもんなんやで。」
 ナウルは前髪を留めている髪飾りを指さして言う。
「それ、自分で作ったの?」
 ユミリエールが聞き返す。
「もちろんや! 可愛ええやろ? 姫様にもお揃いで作ったろか?」
「結構よ。あまりにもダサいから、あの小娘の趣味かと思ったわ。」
 冷たく言い放ったユミリエールの視線が一瞬アスティを向き、アスティは歩みを止めた。
「……に、似合ってへん?」
 ユミリエールの一言に一瞬凍り付いたナウルが泣きそうな顔でアスティを振り返る。
「わ、私は可愛いと思いますけど……。」
 突然の振りにアスティが精一杯の答えを絞り出すと、ナウルの表情がぱっと華やいだ。
「あー、やっぱりアスティちゃんは素直でええなあ! どっかのひねくれた姫様とは大違いや!」
 ナウルは両手を広げてアスティに歩み寄ると、両腕でぎゅっと抱きしめた。
「な、ナウルさん……!?」
 ——ドドカッ。
 アスティが驚いて声を上げるとほぼ同時に、鈍い音が二重に響いてナウルが床に崩れ落ちた。
「いい加減にしろよ、ナウル。」
「誰と大違いですって……?」
 ナウル崩れ落ちたナウルの後ろでは、不機嫌そうなイニスとユミリエールがナウルを見下ろしている。
 ナウルの胸に顔を埋めていたアスティには何が起きたのかさっぱり分からなかったのだが、ナウルの白衣の背にはっきりと残る大小二つの足跡を見るに、二人がナウルの背中を思い切りけ飛ばしたと見るのが正解のような気がする。しかし、イニスはともかく、王女であるユミリエールが他人の背中を蹴り飛ばすなどということがあるものだろうか。アスティには《お姫様》がそんな乱暴なことをするとはとても思えなかった。
「大丈夫か、アスティ。」
「えっと……私は大丈夫……ですけど。」
 イニスの問いに答えながら、アスティは足下に崩れ落ちたままのナウルを見下ろした。どう考えても、大丈夫そうでないのはナウルの方だ。
「しばらくそこで寝かしておきましょう。その方が静かでいいわ。」
 ユミリエールは、床に倒れ込んだまま微動だにしないナウルを見下ろしながら言った後、隣に立つイニスの腕に自分の腕を絡めながらイニスを見上げた。
「ねぇ、イニス?」
 可愛らしい仕草と微笑みは絵本の中のお姫様と同じで、思わずアスティも見とれてしまう。
「……その御意見に関しては同感ですね。」
 イニスは見上げるユミリエールをしばしの間見つめ返した後、小さくため息を吐いて答える。
「決まりね。ナウルはここに置いておいて、早く二人でお父様の所へ行きましょう。」
 ユミリエールがイニスの腕を掴んだまま方向転換すると、二人はナウルとアスティを置き去りにして長い廊下を歩いていく。
 数メートル先で、不意にイニスが振り返った。
「どうした、アスティ? 早く来い。」
 イニスに呼ばれ、アスティは驚いた。ユミリエールが「二人で」といった以上、自分がついて行ってはいけないのだろうと思っていた。現に、イニスの隣のユミリエールは不満げな表情でアスティを睨んでいるのだが、イニスに「来い」と言われた以上、行きませんと断るわけにもいかない。そもそも、アスティが王都に来たのは国王に会って話をするためだ。イニスがこれから国王に会うというこの貴重な機会を逃すわけにはいかない。
「はいっ。」
 アスティがそうイニスに答え、二人を追いかけるべく駆け出したその瞬間、床から持ち上げた右足首が突然床へと引き戻された。
「ひゃっ!」
 危うく転びそうになったアスティは驚いて声を上げた。恐る恐る足下を見ると、ナウルが僅かに体を起こしている。
「お、置いてかんといて……。」
 よろよろとナウルが起き上がり、アスティは慌ててナウルの体を支えた。
「残念ね。せっかく静かになったと思ったのに。」
 イニスと共に立ち止まってこちらを見ているユミリエールが呟く。
「二人揃って蹴り飛ばすなんてあんまりや! 特に姫様の蹴りは反則やで! 思い切りヒール刺さりよった!」
 立ち上がったナウルがユミリエールを指さしながら叫ぶ。
「……あら、何の話かしら? 王女の私が人を蹴り飛ばすなんてそんな乱暴なことするわけないじゃない? この鳥がつついたんじゃなくて?」
 ユミリエールが肩に載せたキーロを指さしながら言い、アスティはなるほどそうかもしれないと納得した。何しろ、キーロには王都への道中、イニスを散々つつきまわした前科がある。
 キーロはユミリエールの証言を理解しているのかいないのか、面白そうに「クエッ。」と鳴いた。
「……いずれにしても自業自得だ。行くぞ。」
 イニスがきびすを返して歩き出すと、ユミリエールは勝ち誇ったような笑みを見せてイニスの腕を取った。
「……全く、とんでもない姫様や。」
 アスティは腰をさすりながら歩き出したナウルを支えつつ、イニスとユミリエールの後を追った。

 長い廊下を進み、一際豪華な装飾の施された扉の前で、ユミリエールとイニスが足を止めた。
「お父様はお部屋にいらっしゃるかしら?」
 ユミリエールが呟くように言い、イニスが扉に手を伸ばし掛けたその瞬間、扉が内側へ開き、イニスの手が空を切った。
「あら、ごめんなさい。」
 部屋の中からティーポットが現れ、空中に浮かぶ盆の上でゆらゆらと揺れながら、イニスに向かって一言詫びた——ようにアスティには見えたのだが、すぐに扉の陰から中年の女性が顔を出し、ティーポットを載せた盆はきちんと彼女の手に支えられていた。
「まあ、噂をすれば、ユミリエール姫にイニス様、ナウル様まで皆様お揃いで。」
 部屋から出てきた女性はティーポットを載せた盆を体の正面に抱え直した。
「噂? 何の噂だ? マリアンヌ。」
 イニスが聞き返す。マリアンヌというのが、この女性の名前だろう。足下を隠す長いワンピースに白いエプロンを着けたその女性は、四十歳前後と思われた。
「いえ、大したことじゃございませんのよ。先ほど騎士団の宿所の方へ参りましたら、イニス様とナウル様が東の森の調査からお戻りになられたと騎士団の皆様がお話しになっていたものですから……。早速、国王陛下に東の森での調査結果の御報告でございますか? でも、あいにく、国王陛下はただ今オーヴェルジーニ様と御会談中でございますのよ。」
 イニスの問いにマリアンヌはややぎこちなく答え、話題を変えるように早口で問い返し、説明した。
「首相が来てるのか?」
 イニスの表情が強ばった。オーヴェルジーニの名前は、アスティも聞いたことがある。かつて東の森へ立ち退き要請にやってきた役人がしばしば口にした名前だ。具体的に何をしている人なのかはよく知らないが、とにかく王都では立派な地位にある偉い人らしく、「オーヴェルジーニ首相の御提案」だとか「オーヴェルジーニ様の御配慮」だとかいう言葉を役人たちはよく口にし、彼の名前の入った書簡がしばしばムリク宛に届けられていた。
「ええ。何でも王宮外壁の崩落事故について重要なお話があるとかで、奥のお部屋に。御会談が終わりましたら御連絡致しましょうか?」
 マリアンヌが遠慮がちに答える。
「いや、俺もちょうどその件で陛下に話があるんだ。同席したい。」
「左様でございますか……。」
 イニスの申し出に、マリアンヌは少し考えるようにそぶりを見せ、躊躇いがちに続けた。
「オーヴェルジーニ様は陛下と二人きりでお話したいと申しておられましたが……。」
「それならなおのこと、俺は同席させてほしい。取り次いでくれ。」
 イニスが強い口調で告げると、マリアンヌは頭を下げながら「畏まりました。」と述べた。
「でも……そちらのお嬢様も御一緒に御面会なさりますの? 初めてお目に掛かりますわね?」
 マリアンヌはイニスの背後をのぞき込むように首を傾げ、怪訝そうな表情でアスティを見つめた。
「ああ、彼女は……。」
「姫様の初めてのお友達や!」
 アスティを振り返ったイニスの言葉を遮って、ナウルが口を挟む。
「ちょ……何言ってるのよ!」
 ユミリエールがナウルの服の袖を掴んで声を上げ、ナウルは「まあまあ……!」と言いいながらそのままユミリエールを抱き寄せた。
「そうしとった方が色々都合がええねんから。」
 ナウルがユミリエールの耳元に囁くように言い、ユミリエールがナウルの顔を押し離しながら低い声で返す。
「私の都合は全然よくないわ……!」
 ユミリエールとナウルのやり取りはマリアンヌの耳には届いていないようで、マリアンヌはしばらくぽかんとしてアスティを見つめた後、ゆっくりと表情を緩めた。
「まあ……まあまあ! ユミリエール様にお友達が!」
 マリアンヌはポットを載せたお盆をイニスに押しつけるように預け、ポンッと両手を打った。
「私、嬉しゅうございます。婚約者にグラスの水を浴びせた挙げ句蹴り飛ばすような乱暴な姫様とお友達になってくださる方がいらっしゃるなんて!」
 マリアンヌはアスティに近づくと両手でアスティの手をしっかりと握った。
「ちょっと、マリアンヌ! あなたまで何言って……。」
 ナウルとの言い争いを続けていたユミリエールが、慌ててマリアンヌの肩を掴む。
「え? ユミリエール姫、婚約者がいらっしゃるんですか?」
 アスティはマリアンヌの言葉に驚き、ユミリエールを見つめて問うた。
「アスティ……聞き返すポイントはそこか?」
 ポットの載ったお盆を手にしたイニスにため息混じりで問われ、アスティは「え?」と聞き返してイニスを見上げる。
「……昔の話よ。それも、お父様が勝手に決めただけだわ。会ってみたらどうしようもなく頭の悪い男だったから、破談にしてやったの。」
 ユミリエールは肩に掛かった髪を後ろへ払いながら吐き捨てるように言った。
「私が話をした限り、そこまでひどくはありませんでしたけどね。」
 イニスがぼそりと呟く。
「でも、あいつ、四次元定理を証明できなかったわ!」
 ユミリエールは両腕を組み、不満そうに漏らす。
「十四歳の少年でしたからね。専門家でもないのに四次元定理の正確な証明は普通できませんよ。殿下だって証明文を丸暗記しただけで理解してはいらっしゃらなかったと思いますが……。」
「丸暗記だろうが何だろうが、正解は正解よ。それに、あなたはできたじゃない。あなたが王立大学の卒業論文を書いたのは十四歳の時でしょう?」
 ユミリエールはふんっと鼻を鳴らして顔を背けたかと思うと、再びゆっくりとイニスを振り返って問い返した。
「俺はそれを専門に勉強してましたからね……。」
 イニスが平然と答えるが、アスティには「四次元定理」を証明することがどれほど難しいものなのかはもちろん、「四次元定理」の意味さえよく分からない。辛うじて分かったのは、どうやらイニスは自分よりもずっと頭がよさそうだということだけである。
「臣下より頭の悪い夫なんて、王室の恥だわ。」
「それを言ったら、あなたと結婚できる人間はいなくなりますよ。王宮騎士団はエウレール一の専門家集団なんですから。」
 イニスがため息を吐いた。
「いいわよ、結婚なんてしないもの!」
「なあなあ、そやったら、騎士団一頭のええ俺と結婚せぇへん?」
 ナウルが自分を指さしながらユミリエールに問う。
「は?」
「俺の方がイニスより学校の成績も良かったし、計算しかでけへんイニスよりずーっと頭ええで!」
 眉を顰めてナウルを振り返ったユミリエールに、ナウルはにこにこと笑みを見せながら自慢げに言う。
「寝言は寝てから言いなさい!」
 ユミリエールがぴしゃりと言い切ると、ナウルはしょんぼりとしてしゃがみ込み、ふかふかの絨毯に指先を埋めながらぐるぐると絵を描き始めた。
「何や、何や……俺かて四次元定理の証明くらい知ってんねんでー……。」
 ナウルはぶつぶつと呟きながら絨毯に数式を書き連ねているが、イニスもユミリエールもその相手をする気はないらしい。アスティはナウルに慰めの言葉を掛けるべきか迷いつつ、黙ってナウルを見下ろしていた。
「ああ、もう、ごめんなさいね!」
 マリアンヌがアスティの手を一層強く握り、アスティは視線をナウルからマリアンヌに戻す。
「ユミリエール様はいつもこんな具合ですけど、どうか見捨てずに仲良くして差し上げてくださいませ!」
 マリアンヌの話からすると、どうやら本当にユミリエールにはこれまで友達がいなかったようだ。アスティにとって、自分がお姫様の最初の友達だということはとても光栄なことに思えたが、マリアンヌの喜びようとその背後の不満そうなユミリエールの視線との落差に戸惑い、アスティはただ黙って曖昧な表情を浮かべていた。
「ああ、でも、どうしましょう! ユミリエール様にお友達だなんて! 陛下への御報告がお済みになりましたら、ユミリエール様のお部屋でお喋りとか? とっておきのお菓子とお茶を御用意いたしますわ。」
 マリアンヌはアスティの手を離すと、イニスに預けていたお盆を奪うように取り戻し、嬉しそうに声を上げた。
「いや、お茶やお菓子は用意しなくていい。その代わり、騎士団の宿所の空き部屋を一つ片づけておいてくれないか。彼女にはしばらく王宮に滞在してもらう。」
 イニスが落ち着いた口調でマリアンヌに告げた。
「あら、ユミリエール様のお友達なら、貴賓室を御用意いたしますわ。」
「いや、元は俺の客人だ。堅苦しいもてなしも必要ない。」
「イニス様の……お客人……?」
 イニスの説明に、マリアンヌが改めてじっとアスティを見た。
「……ああ、ああ、なるほど! あなたがジェイスさんの話していらしたアスティさんね! そう、あなたがイニス様の! まあ、まあ、まあ……なんてお可愛らしいこと! とてもお似合いでいらっしゃいますわ!」
 マリアンヌは再びポットを載せたお盆をイニスに押しつけて両手を打った。
「あ、申し遅れましたが、私、侍女長のマリアンヌと申します。マリアと呼んでいただいても結構ですのよ。」
 マリアンヌはスカートの裾を持ち上げながら右足を一歩後ろへ引き、恭しく腰を屈めて頭を下げた。
「あ、アスティです。よろしくお願いします。」
 アスティも慌ててぺこりと頭を下げる。
「あら、でも、イニス様のお連れ様なのにユミリエール様のお友達だなんて……ユミリエール様!」
 突然、マリアンヌが悲鳴に近い声を上げた。
「な、何よ!?」
 呼ばれたユミリエールも驚いた表情を見せて固まる。
「……ユミリエール様もやっと大人になられたのですね! マリアンヌ、本当に嬉しゅうございます。今日はお祝い事がいっぱいで、今夜は御馳走を用意しなければなりませんね! 早速腕によりを掛けて御用意させていただきます!」
 そう言うと、マリアンヌはお盆をイニスから奪い取り、くるりと一回転すると廊下を歩いていく。
「あ、おい、取り次ぎは……。」
 イニスは早足で立ち去るマリアンヌの背に向かって呼び掛けたが、マリアンヌが振り返る気配はなく、イニスは諦めた様子でため息を吐いた。
「仕方ない。とりあえず中に入るか……。」
 そう言いながらイニスは豪華な扉を押し開いた。

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