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田中のアトリエ ~年齢イコール彼女いない歴の錬金術師~ 作者:金髪ロリ文庫

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学園都市 四

活動報告を更新いたしました。
 エステルちゃんに啖呵を切って翌日。

 学園都市の中央に充てがわれた来賓室では、当初の予定通りJCと醤油顔によるレポート作業が行われていた。おおよそ主題から結論に向かうまでの筋道は立ったので、後は肉付きをしてゆく作業が待っている。

「レポートの骨組みはできましたね」

「これ本当に全部埋めるのか?」

「ええ、当然です。その為の材料をこれから集めに行きましょう」

「あ、ありえない……」

 途中途中でエディタ先生のアドバイスも貰ったので、きっと上手くゆくだろう。

「もう少し控えめでもいいじゃん」

「この手の作文は引用の数でインパクトを与えることも大切ですよ。数が多ければそれなりに読んで貰えますし、レビューとしての価値も生まれます。教員によっては努力を評価してくれる場合もあるでしょう」

「だからって、こんな本みたいなレポート、絶対に無理だし……」

 一度は気張ってみせたJCだが、一晩経ったことで、じわりじわりとやる気が後退して思える。実家の没落から発するニート堕ちは、こちらが想像した以上に彼女の精神を駄目にしているのだろう。

 このまま堕ちに堕ちて、売女属性を手に入れた彼女も見てみたい。

 ただ、今はエステルちゃんとの勝負を優先しよう。

「そういうことなら、実際にポーションを作ってみてはどうだ?」

 ここへ来て、不意にエディタ先生からご提案が。

 昨日と同様、いつの間にやら醤油顔の部屋までやって来たかと思えば、ソファーに腰を落ち着けており、お茶など啜っている。ちなみにベッドの上には、ゴロゴロと転がるゴッゴルちゃんの姿も確認できる。相変わらずパンツは窺えない。

 二人とも別に自室が与えられているのだが、日中はこちらに多く見られる。

「なるほど、それは良いかもしれませんね」

「はぁ? なんでわざわざそんなことするんだよ。めんどくさい」

「ポーション作りの経験はありますか?」

「あるわけないだろ?」

「それなら一度くらいは、経験しておいても損はありませんよ」

「嫌だよ。私は錬金術師なんて地味な将来は望んじゃいない。今回のレポートだって課題だからやってるに過ぎないんだ。ポーション作りとか、魔力に乏しいやつが食いつなぐ為にやるような仕事だし? そんなの絶対に御免だからな」

 全力でエディタ先生をディスりに来ているな。

「ほう? それはまた随分な偏見だな……」

 ほら、怒っちゃった。

 金髪ロリムチムチ先生が激おこプンプン丸だ。

「当然だろ? 錬金術なんて今更流行らないね」

「だったら貴様はなにになりたいんだ?」

「そんなの決まってるさ。私は将来、殲滅系の魔法使いになる。大地を揺るがすほどの大魔法を連発して、それこそドラゴンさえも一撃で倒してしまうような、暗黒大陸でも通用する、そういう存在になりたいんだ」

「ふぅん? 大魔法……な?」

「な、なんだよっ!?」

 JCの主張を鼻で笑うエディタ先生。

 年甲斐もなく大人げないところも愛らしいぜ。

「大地を揺るがすことが可能な魔法は、確かに人の身に行使可能なモノであっても、幾つか存在している。だが、これを連発するだけの素質が貴様にはあるのか? 戦場では魔道具の補助に頼った大魔法ほど無様なものはないぞ」

「そ、素質は努力で伸ばせばいいじゃん!」

「努力?」

「そうだよ、ちゃんと努力していれば、いつかは必ず使えるようになる!」

「それをポーション一つ作ることさえ渋るヤツが言うのか?」

「ぐっ……」

 痛いところを突かれて、酷く悔しそうな表情となるいじめられっ子。背中に垂れた黒髪のツインテールがプルプルと怒りに震えている。憤りを覚える表情も、これまた可愛らしい。歳相応の幼さを感じさせる素直な反応がセンセの胸に心地よく響く。

 一方で最高に大人げないエディタ先生キラキラ輝いている。

 年下の少女を論破して清々しいお顔だ。

 放っておいたら喧嘩になってしまいそうなので、ここいらで仲裁に入るとしよう。まさか取っ組み合いになるとは思わないけれど、これ以上、部屋の雰囲気を悪くするのは憚られる。皆で仲良くポーション作りたいじゃんね。

「学園都市ではそういったのが人気なのですか?」

「き、決まってるだろ? たしかペニー帝国でも、ビッチ家のシアンとか言う貴族の娘が、十代中頃で魔法騎士団の副団長になったとか、以前、噂話に聞いたことがある」

「よくご存知ですね」

 姫ビッチってば、意外と有名人なのな。

「あ、それとペニー帝国だったら、やっぱり外せないのはファーレン閣下だよ! あの人のには憧れる。あの人こそ、私の憧れる魔法使いそのものだ!」

「なるほど」

 語るJCの表情が途端に活き活きと。

 ただ、あのオッサンの凄さは魔法使い云々というより、魔法に関係した知識や技術に対する裾野の広さと、それを実社会で運用するフットワークの軽さだと思う。居室の防音から飛空艇まで、自らの手で作り上げてしまうDIY精神は、きっと誰も敵わない。

 ただまあ、少女のいたいけな夢を壊してやる必要はないので黙っておこう。

「だから、錬金術なんて流行らないもの、一生懸命になっても仕方ないんだよ。そう、だから努力することに意味だってない! そう考えたら、ほら、私の主張の方が合理的で優れているじゃないか!」

 しかしながら、なにかにつけて怠けようとするのは頂けないな。

 これに限っては是正が必要だろう。

「たしかに錬金術は地味かもしれません」

「だろっ!?」

「ですが、地味には地味なりの楽しさがありますよ」

「絶対につまらない!」

「そこまで仰るのであれば、やはり自らの手で確認して頂きたいところですね」

「っ……」

 有無を言わさず話を元の路線に戻すと、JCの顔は嫌そうに歪んだ。

 エディタ先生からのご提案だ。これは既に決定事項である。

 また、実際に手を動かして実験を行ったという過程は、レポートを作成する上で、相応の評価点となるだろう。このいじめられっ子とは、今回限りの付き合いかも知れない。ただ、こうして出会ったのも何かの縁だ。多少なりとも良い方向へ向かうよう先を示してあげたい。

「という訳で、本日の予定はポーション作りです。いいですね?」

「絶対につまらない。絶対につまらないって……」

 ぶつぶつと不平不満を繰り返すいじめられっ子。

 甚だ不服らしいい。

 だがしかし、決して拒否権は与えてやらないのだぜ。



◇◆◇



 ニート娘と共に学園都市の中央を出発した。

 エディタ先生とゴッゴルちゃんも一緒だ。

 ペニー帝国の首都カリス界隈ならまだしも、見ず知らずの土地とあっては、先生の案内こそ唯一の道標である。つい先日には建物の中ですら迷子になった。そうした実績を鑑みれば、必須と称しても過言ではない。

 ところで道案内と言えば、自然と思い起こされるのは導きの幼女さん。ただ、彼女は首都カリス在住である。ここ最近会っていないけど、元気にしているだろうか。首都を長らく離れていた都合、少なからず恋しい気持ちが湧いてふつふつと。

「こっちだ」

 先導するエディタ先生よりお声が掛かる。

 これに導かれる形で、我々は学園都市の街を歩む。

「ちょ、ちょっと、どこまで歩くつもりだよっ!?」

 居室を発って既に数十分ばかりが経過している。

 JCの口からは、先程より弱音ばかりが漏れてグチグチと。世間のいじめられっ子がそうであるよう、出不精が祟ってか運動不足も甚だしいよう。ハァハァと息を荒くして肩を上下せている。

 その気持ち、凄くよく分かる。

 自身こちらへ訪れて直後は、運動不足から来る息切れに苦労した。薬草を取りに森へ入った時とか、相当にしんどかった。今でこそ首都カリスを行ったり来たりしているうちに慣れたけれど、慣れるまでは大変だった。

「すぐに着く。もう少しだ」

 一方、同じ出不精でも、エディタ先生は意外と健脚である。

 これがハイなエルフの身体能力か。

 高耐久力ロリータからの顔面騎乗位という可能性が垣間見えるな。

「あったあった。そこの店だ」

 ホクホク顔の先生が指し示す先、そこには軒先に古めかしい看板の建てられた、雑貨屋と思しき店舗が確認できる。随分と年季が入って思える建物は総石造りの二階建て。パッと見た感じ、建坪三十平米ほどと小さめだ。

 ヨボヨボのお婆ちゃんとか住んでいそうな、とても可愛らしいお宅である。

「こちらは?」

「この辺りの店だと、ここが一番に具合がいいんだよ」

「なるほど」

 お店で間違いないようだ。

 多分、ポーションの材料とか売っているんだろう。

「ここで一通り揃えるぞ」

「分かりました」

 我先にとお店に向かってゆくエディタ先生。

 一方でJCはと言えば、殊更に顔を顰めて甚だ不満気である。

「なんだよここ、めちゃくちゃボロいし……」

 ただ、今更逃げ出す意気地もないみたいで、大人しくその後に続く。そんな二人を眺めながら、自らもまた入店。カランコロン、ドアの開け閉めに応じて、乾いた鈴の音が鳴っては、我々を歓迎してくれた。

 そうした最中のこと、敷居をまたいだところで、隣からゴッゴルちゃんの気配が消えた。後ろを振り返れば、軒先に立ったまま、こちらを眺める彼女の姿が。相変わらずな眼差しで、先行する我々をジッと見つめている。

「ロコロコさん?」

 なにか良くない気配でも読んだのだろうか。

 深読みしたところで、続くところ真意を知る。

「狭いから外で待ってる」

「分かりました。ありがとうございます」

 店内は建坪に相応の狭さだ。四名が収まったところで、少なからず窮屈な気分を覚える。秋葉原あたりの雑居ビルに店を構えた雑貨屋の類を想像すればドンピシャである。だからだろう、先生に気を利かせたゴッゴルちゃんは屋外で待つそうな。

 ええ子や。

「すぐに戻りますので」

「分かった」

 褐色ロリータに別れを告げて、意識は店内へ。



◇◆◇



 エディタ先生宅のアトリエとドッコイな風景の店内、カウンター越しには店員の姿がある。パッと見た感じ、二十代中頃と思しき女性である。しかしながら、そのピンと尖ったお耳を鑑みるに、実年齢は三桁余裕と見受けられるエルフさんだ。

 ゆったりとしたローブを着用している為、身体のラインは碌に窺えない。それでもはっきりと分かる胸の膨らみが非常に魅力的である。顔立ちもおっとりとしたお姉さん系であって、豊満な肉体との相性は抜群だ。

 サイドに結られて首の脇から胸元に垂れた亜麻色のおさげが印象的。

 そんな彼女に先生は酷く驚いた様子で受け答え。

「ロシオン草が売り切れだと?」

「ええ、申し訳ないけれど、一つも余っていないの」

「あれが売り切れるなど、滅多なことではないな?」

「バクガイ教授がバブル魔法の研究で買い占めていったよ」

「……そうか」

 誰だよ、バクガイ教授。

 迷惑なヤツもいたものだ。

「あちこち回っているみたいだから、きっと、どこの店も似たようなものじゃないかしら? 腕に自身があるなら、次の入荷を待つより、自分で取りに行った方が早いわね」

「分かった」

「ごめんなさいね」

「いや、そういうことなら仕方がない」

 コミュ症のエディタ先生が小気味良く言葉を交わす点から、店員の彼女とは少なからず面識があるのだろう。率先してこちらのお店に足を運んだ点からも窺える。同じエルフの部族の、みたいな間柄だったりするのだろうか。

「面倒だが自分たちで取りに向かうとしよう」

「気をつけてね。とは言っても、貴方なら問題ないとは思うけれど」

「いや、今の私は……」

 オットリ系お姉さんの言葉を受けて顔を顰める金髪ロリムチムチ先生。

 その表情は学園都市を訪れて直後に眺めた姿を思い起こされる。

「どうしたの?」

「な、なんでもないっ! 気にするなっ」

「そう? もしも落ち着いたら、また店の方に寄ってくれると嬉しいわね」

「そうだな、まあ、いつか気が向いたらな」

「ええ、待ってるわ」

 一頻りを語ったところで、店員さんの意識がこちらに向かう。

 先生の背後に並ぶこと、醤油顔といじめられっ子に視線がチラリと。

「ところで、そちらが今の貴方のパーティーかしら?」

「あ、あぁ、まあ、そんなところだ」

「ふぅん? また何か面白いことをしているの? 気になるわね」

「さぁな」

「あら、連れないわねぇ。久しぶりに会ったのに」

 先生とトークしながらも、先程よりお姉さんの眼差しがチラリ、チラリ、こちらに向けられている。少なからず疑念の入り混じって思える彼女の表情は、間違いなく醤油顔の存在を意識してのことだろう。やはりモンゴロイドは目立つ。

 先生の方からご紹介もないので、ここは大人しくしているのが良さそうだ。

「それじゃあ、失礼したな」

「あら、もう帰っちゃうの?」

「目的の品がないのでは、長居したところで仕方がないだろう」

「せっかく来たのだから、少しくらいゆっくりしていけば良いのに」

「今は他にやることがあるんだよ」

「残念」

「じゃあな」

 そうこうするうちに二人のやり取りは終えられて、早々に店を後とすることになった。カウンター越し、豊満エルフのお姉さんに会釈を一つ。先導するよう歩みだしたエディタ先生の後に続いた。



◇◆◇



 さて、目的の材料を手に入れ損ねた我々は学園都市を発つことしばし、郊外に所在する森の一角までやって来た。お店のお姉さんから頂戴したアドバイスに従い、残すところ一つ、ロシオン草とやらを採集する為だ。

 距離にして街から十数キロ程だろうか。

 移動時間短縮の為、道中は飛行魔法でひとっ飛びである。

「な、なかなかやるじゃないかっ! いい年して脛かじりのくせにっ!」

 どうやら飛行魔法にはそれなりに自信があったらしい。結構な勢いで我先にと飛んでいた。それでも到着する頃にはハァハァと息を荒くしているから、世間一般における飛行魔法とは、きっとそういうものなのだろう。

 一方で今この瞬間、彼女以外の誰もが涼しい顔だ。おかげでJCの我々を見つめる眼差しが、幾分か色を違えて思える。多少は見直して貰えたかなと期待してしまう。ただまあ、大半は苛立ちなのだろうな。

「こっちだ。ロシオン草は森の奥まった場所で、日陰を好む傾向がある」

「なるほど」

 森の只中、エディタ先生から薀蓄を頂戴しつつ歩む。

 またいつ必要になるとも知れないので覚えておこう。

 先生と一緒の活動は勉強になるなぁ。

「ふん、普通なら店で買えるものだし。覚えたところで意味なんてないなっ」

 一方でJCの上から目線はどうにかならないものか。

 完全に性格が根暗ニートのそれだ。

 露骨にアダルト用途の安っぽい生地で作られたセーラー服を着せて公道を歩かせたい。

「今まさに役に立っているではないですか」

「そ、それはそうかもしれないけど、そんなレアケースの為に、いちいち覚えるなんてナンセンスだね! エルフみたいな長寿の連中はまだいいさ。けど、私たち人間は寿命が短いんだ。ものを覚えるにも効率的に進めるべきなんだよ」

「まあ、たしかにその主張には一理ありますが……」

「ほらみろ、私の言ったとおりじゃん!」

 論破されてしまったぜ。

 くそう、なんかちょっと悔しいぞ。

 自慢気に揺れる黒髪ツインテールを両手に掴んでイラマチオさせたい。

「そもそもオッサンの場合、いい年した大人が学校の生徒とか、もう少しちゃんと人生設計した方がいいんじゃないのか? 今はまだ余裕があったとしても、親の金だっていつまで残ってるとも分からないし」

 しかもなんか、めっちゃ見下されてる。

 完全にこの子の中では穀潰し扱いだな。

「覚えたい知識を覚えればいい。場合によっては他で補う手段もある」

 おっと、先生から恰好に良い台詞が飛んできたぞ。

 最高にクールだぜ。

「……ふん、錬金術師なんて底辺職の癖して偉そうに」

「だが、経験だけは自分のモノでなければならない。履き違えるなよ?」

「教師でもないのに説教かよ?」

「…………」

 ただ、ニート娘の心には届かなかったようだ。

 残念である。

 とかなんとか、パーティーの雰囲気は終始よろしくないまま、それでも我々は森を歩みゆく。唯一、幸いである点があるとすれば、今回の探検はゴッゴルちゃんが一緒なので、そこまで周囲を警戒せずに済んでいる。

 悟って良し、バトって良し、当初想像した以上に有能な褐色ロリータである。

 ちなみにそんなゴッゴル族の読心能力を考慮して、我々の布陣はと言えば、前方を自分とロコロコちゃんが先行する形だ。その後方、槍が届かないほどの距離を隔てて、エディタ先生とJCが続く。

 そうしてしばらくを歩んだ頃合のこと。

「……なにかある」

 不意に立ち止まったゴッゴルちゃんが口を開いた。

 何かとは何だろう。

 自然と他の面々もまた歩みを止めて、彼女が見つめる先に注目する。そこは木々に周囲を囲まれて、幾らばかりか傾斜付いた地肌である。特にこれといってめぼしい物はない。ゴッゴルちゃんには何が見えているのだろうか。

「なにかが向こう側にいる」

「向こう側、ですか?」

「意志が弱い。思考が酷く不安定」

 なるほど、どうやら誰かの心を読んだようだ。

 ただ、普段とは幾分か反応が異なる。

「もしかして、相手が人ではないのですか?」

「多くの場合で下等な生き物」

「なるほど」

 よく分からないけれど、なにかしら生き物がいるらしい。

 読むほどの心を伴わない程度に知能の低い生き物なのだろう。もしかして冬眠中のクマとか、そういう系だろうか。可能性としては高い。なにせ彼女が見つめる先は地面の向こう側であるからして。

 だとすれば、ここは無視するのが一番だろう。こちらの世界の野生生物は凶悪なのが多いから、わざわざ叩いて起こすこともない。万が一、高レベルモンスターなど掘り当てた日には目も当てられない。

 なんて考えていたら、すぐ傍らでJCが吠えた。

「ブラストウィンドっ!」

「なっ……」

 止める間もなかった。

 衝撃波が巻き起こり、ゴッゴルちゃんの指摘した辺りを吹き飛ばす。

 地肌が吹き飛んだ先、土砂の下より姿を現したのは扉だ。大地に対して三十度ほどの角度で設えられている。魔法を受けてだろう、少しばかり表面が凹んでいる。人か人に類するものの手に設けられたことは間違いない。金属製の重厚な作りの一枚だった。

「これはまた随分な発見ですね……」

「気配が消えた」

 どうやらゴッゴルちゃんは、この地下に向けて設えられた扉の向こう側に、何某かの気配を読んだようである。ただ、それも今し方にJCが放った魔法で逃げていったのか、消えてしまったらしい。一枚挟んで向こう側に空間が広がっていることは間違いない。

 なるほどなるほど、冒険の香りがしてくるぞ。

「……遺跡、でしょうか?」

 自然と暗黒大陸に見つけた魔族の施設が思い起こされる。森林の一角、崩れた山肌の合間に隠れるよう、数メートルばかり奥まった場所にドアを眺める。指摘されなければ絶対に気付けなかっただろう。

「このような場所に遺跡だと?」

 我々の下、近づいてきたエディタ先生が問う。

「ご存知ありませんか?」

「少なくとも私は知らないな」

「なるほど」

 学園都市フリークな先生が知らないとなると、さて、どうしたものか。

 都市内に設けることが難しい危険な施設を郊外へ秘密裏に、みたいな感じでマッドテイストな教授の一人や二人、存在したとしてもおかしくはない。位置関係的に未開拓のダンジョンという線は薄そうだし、下手に足を踏み入れては危険な感じ。

 ただ、そうしたこちらの思惑など知らず、声を上げたのがJCである。

「い、遺跡とか凄いじゃんっ!」

 甚だ興奮した様子で声を上げた。

 遺跡という単語がキーワードであったよう。

 頭部が揺れるに応じて、黒髪のツインテールが元気良く揺れる。十代前半の若々しい毛並みは、毛先を跳ねさせることもなく、艶やかに、滑らかに。金髪率の高い異世界の人種事情を思うと、黒髪の良さを改めて認識だろうか。

 ぶっかけたい。

「そうですか?」

「決まってるだろ!? は、入ってみようぜっ、なかに!」

「いや、流石にそれは……」

 警報装置とか付いてたらどうするんだよ。

 学園都市なんて好奇心旺盛な連中ばかりが好んで住んている街の近郊だ。間違いなく関係者の所有物だろう。思い返せば上に被さっていた土砂からは植物の類も生えていなかったし、十中八九で隠してあった系だろ。

 だが、冒険したいお年頃の乙女はフルスロットル。

「おいおいオッサン、まさかいい年して怖気づいたのか?」

「…………」

 煽られてるわ。俺、最高に煽られてるわ。

 そこまで言われたら仕方がない。

 中年野郎の本気、ちゃんと見せてあげないとな。

「分かりました。調査に向かいましょう」

「だよな! 分かってるじゃんセンセッ!」

 やった、センセ呼ばわり嬉しい。

 黒髪ツインテールっ子からセンセ呼ばわり、いと嬉し。

 ブサメン教師の使い方、そっちこそ良く分かってるじゃん。

 現役学生っぽい感じのノリが最高だぜ。

「お、おいっ!」

 声を上げるエディタ先生には申し訳ないけれど、実は自身もまた少なからずドキワクしている。だって遺跡だもの。ダンジョンだもの。

 なんとなく先は見えいている。けれど、それでも美少女のアドベンチャーを思えば、男の子の大切なところが興奮してしまうだろ。



◇◆◇



 ポーションの材料集めも半端のまま、我々は遺跡に突入した。

 ここでパーティーの布陣を確認だ。向かって先頭に立つのがゴッゴルちゃん。読心能力と圧倒的身体能力により、大半の面倒は彼女の手により防がれるだろう。これに続くこと、槍が届かないほどの距離を置いてエディタ先生と黒髪ツインテールっ子。

 その後ろ数メートルの地点に醤油顔といった塩梅だ。

 完璧である。

「遺跡って、こ、こんなに暗いんだな……」

 ボソリ、少なからず緊張した様子でJCが呟いた。

 彼女が指摘したとおり、他に光源の存在しない史跡内は、数十メートルを歩めば真っ暗闇だ。自分が浮かべた小型のファイアボールと、ゴッゴルちゃんとエディタ先生が浮かべた正統派っぽい照明魔法が、行く先を照らす明かりとなる。

 ここは一つ、大人の風格という奴を示してみようか。

「遺跡と名のつくような場所は、どこもこんなものですよ。苦労なく普通に歩めるだけ、まだマシだと思います。地下に伸びている遺跡の場合、浸水しているケースも少なくありませんからね」

 実際には遺跡の探検経験なんて全然ないけれどな。

 暗黒大陸で眺めたマゾ魔族の管理物件が唯一だ。

「そ、そうなのか……」

 そうした大人の汚さなど知らず、無垢なJCは感心した様子を見せる。

 出来る冒険者としてポイント稼いだ予感。

「学園都市と目と鼻の先という位置取りで尚且つ、出入り口のドアが容易に開いた点から鑑みるに、直近で人の手が入っているのは間違いあるまい。遺跡というよりは隔離施設のようなものだろう。モンスターより罠の類に注意するべきだな」

 おうふ、先生からも講釈を頂戴した。

 そうだよな。罠とかあるかもだよな。

「罠って……」

「落とし穴やガスの類であればまだ良いが、魔法の類を仕込まれていたら厄介だ。特に悲惨なのは身動きを封じる類の魔法だな。身体を固められたところで、じわりじわり、生きたままゆっくりと圧殺を試みる罠は非常によく見られる」

「なっ……なんだよ、それで脅してるつもりか?」

「後はそうだな、同じく魔法で身体を滑車や歯車に固定したところで、回転運動から壁面に摩り下ろさせるような罠も、これと並んで多く見られる。罠というのは多くの場合で侵入者を威圧する為のものだから、必然的に性悪なものが揃うんだ」

「っ……」

 殊更に緊張を増したJCに先生が追い打ちをかける。

 錬金術をディスられたの、割と根に持っているのかもしれない。

「どうした? 顔が強張っているぞ?」

「べ、べつに緊張なんてしてないしっ!」

「そうか? なら先頭を歩んでみるといい。少しは冒険を楽しんだらどうだ? 将来は大魔法使いなのだろう? 罠の一つや二つに怯んでいては、暗黒大陸でドラゴン退治など、夢のまた夢じゃないか?」

「それはっ、そ、そのっ……」

 ただでさえ青白いニート娘の顔が、殊更に真っ青となる。

 流石に可哀想かも。

 だって俺も普通に怖かったもの。人肉擦りおろし。

「まあまあ、今日のところはロコロコさんにお任せしましょう」

 暗黒大陸産の彼女なら、罠の一つや二つは容易に壊して進めるだろう。万が一にも学園の生徒さんに怪我をさせては大変である。今の自身の立ち位置はペニー帝国からの大使である。流石に無茶はできない。

 などと多少ばかり気遣いの心を見せたところ。

「っていうかオッサンさ、一番後ろとかセコくないか? なぁ?」

「え?」

 ニート娘がこちらに向かい、声も大きく語ってみせる。

「女に前を歩かせて自分だけ後ろからとか最高に情けないよな……」

「そう言われてしまうと、まあ、返す言葉もない訳ですが」

 これでも一応、ケツ持ちの気分で備えているんだけれどな。

 まあいいか。

 JC可愛いし。

 適当を語りつつ、和気藹々と遺跡を進むこと幾らばかりか。

 不意にゴッゴルちゃんがアラートを発した。

「……なにか来る」

 ボソリ、ダウナー系ボイスで呟かれた数瞬の後。

 通路の向こう側から、凄まじい勢いで何かが迫ってきた。

 十メートルも進めば真っ暗な同所だから、細かいところまで確認することは敵わない。ただ、それなりに大きさのある、およそ友好的とは思えないフォルムの生き物が、こちらに向かい走ってくる様子が窺えた。四足歩行。

 臨戦態勢だ。

「エディタさんは彼女をお願いします」

「あ、おいっ!」

 飛行魔法で身体を浮かせて、最後尾から最前線にひとっ飛び。

 ゴッゴルちゃんの傍らへ並ぶ。

 それと同時に相手もまた、我々一団と接触だ。

 ファイアボールの輝きに照らされた姿は、モンスターと称するに相応しいもの。四足の肉食獣を思わせる体躯の背中には鳥類を思わせる羽が生えている。尻からは尾の代わりにヘビのような生き物が伸びており、これが何故か背中に齧りついている。

 およそ真っ当な生き物とは程遠い不出来な姿格好である。

更に腹部からは内蔵のようなものが飛び出して、垂れた先が地べたに引きづられるから、既に満身創痍を絵に描いたよう。それでも闘争本能は大したもので、フルシュシュシューと荒々しい息遣いにこちらを睨んでいる。

「っ……」

 そんな相手からの初撃を受けたのは、ゴッゴルちゃんだった。

 大きく開かれた口

 迫る異形の牙。

 サーベルタイガーっぽい二本の凸。

 これを数歩ばかり前に踏み出した彼女の両手が掴んでいた。

「ロコロコさんっ!」

 スゲェ。戦うロリータ格好いい。

 体格差からして数倍の開きがあるのに、全く怯んだ様子がない。

 無表情でキャッチしちゃってる。

「……大丈夫」

「そ、そうですか?」

「うん」

 やばい、惚れた。威力系クールっ子カッコ可愛い過ぎる。

 守られたい系男子の心を鷲掴みだわ。

 完全にギュッと掴まれちゃったわ。ギュッと。

 力づくで無理矢理抱かれたい。

「……それ言い方を変えただけ」

「いえ、あの……ま、まあ、そうなんですが……」

 冷静なツッコミをありがとうございます。

 どうやら余裕があるのは間違いなさそうだ。

 などとロコロコちゃんに惚れなおしていた最中のこと。

「大丈夫ですかっ!?」

 モンスターの現れた側より、更に何者かの気配が生まれた。

 届けられた声は、どこか耳に覚えのある響きだろうか。

 かと思えば次の瞬間、暗がりから飛行魔法に身を飛ばして現れたのは、おう、ピーちゃんだ。ピーちゃんがすっ飛んできたぞ。いつぞやのローブ姿だ。その裾をはたはたと激しく靡かせながらの登場だ。

「そのまま捉えていて下さいっ!」

 吠えるに応じて、正面に伸ばされたピーちゃんの腕が輝きを放つ。

 モンスターの足元に魔法陣が。

 何事かと身を強ばらせた我々の目前、円形より光の柱が立ち上った。

 対象を包み込むよう、地面から天井に向かって、ズンッて感じ。

 暗がりに慣れた我々は、唐突に与えられた眩い輝きから自然と瞳を細める羽目となる。幾分か狭まった視界の只中、光の柱に飲み込まれたモンスターはと言えば、ギャース、悲鳴じみた方向を上げると共に、肉体を崩してゆく。

 羽がもげて、尻尾が落ちて、内臓がドロドロと。

 効果は抜群の様子。

 数秒ほどを照射したところで、その姿は元の形を失った。酔っぱらいが吐き散らかした嘔吐物、或いは下水に溜まった汚泥のよう。眩さに下がっていた瞼が元の高さを取り戻す頃には、完全に姿を変えていた。

 辛うじてゴッゴルちゃんの掴む牙が残る程度だろうか。

「大丈夫ですかっ!?」

 飛行魔法を解いて、地に足を落ち着けるピーちゃん。

 そんな彼に状況をお伺い。

「ピーコックさん、これは一体……」

「おそらくキメラの類ですね」

「キメラ、ですか?」

「やはりな……」

 疑問に首を傾げる醤油顔とは対照的、納得の表情を見せるエディタ先生。一方でJCは倒れたモンスターの亡骸に怯えている。唯一、ゴッゴルちゃんだけが平素と変わらず、いつものジト目で一連のやり取りを眺めている。

「ええ、どうやらこちらの施設で、不法な研究が行われていたようです。僕も通報を受けて訪れたのですが、このような実験体が随所に見られました」

「このようなバケモノが他にもいるのですか」

「そうなのです。非常に危険ですから、皆さんは急いでお戻り下さい」

「たしかにそれは危険ですね。急いだほうが良さそうです」

「ええ、そのとおりです」

 自分とゴッゴルちゃんだけならまだしも、今回はエディタ先生やJCが一緒である。下手に足を踏み入れて怪我をしては大変だ。ここは素直に従うべきだろう。

「そ、そうだよな! よく分からない遺跡に長居は良くないって!」

 幸い、一番こだわりを持っていた子が、露骨にも帰りたがっている。

 そもそも我々の当初の目的は遺跡の探検ではなく、ポーションの材料集めである。元よりそう深く足を踏み入れる予定はなかった。せいぜい半刻ばかり探検して、JCのモチベーションアップを図れれば、などと考えた程度である。

 これ幸いと同所を脱することにした。



◇◆◇



【ソフィアちゃん視点】

 本日、私は久しぶりのメイド業に精を出しております。

 ここのところ机に向かい書類仕事に従事していたおりました都合、本業の方が完全に疎かとなっておりました。例えば掃除の類など、毎日の手入れが基本ですから、数日ばかりを離れた限りであっても、随所に埃や汚れが溜まり始めています。

 数日前に縦ロールさまがお出かけになられて以後、そのお相手という雑務がなくなり、幾らか早く帳簿が片付くようになりました。そこで空いた時間を本来の業務に向けるべく考えた次第にございます。

 机仕事に凝り固まった身体を動かすのは、例え理由が掃除であっても、なかなか気持ちが良いものですね。やはり私としては、机に向かってじっとしているより、あれこれ動き回っている方が向いていると思います。

「次はエステルさんのお部屋を掃除しましょうか」

 街がオープンして以来、なにかと忙しくあった為、こうして皆様のお部屋を周らせて頂くのは久しぶりです。ちなみにエルフさんのお部屋は、かなり汚かったですね。ずっと篭もられていたようで、食器の類があちらこちらに放置されておりました。

「失礼します」

 既に部屋主はいらっしゃらないとは理解しても、一応、お声掛けなどしてから入らせて頂きます。ドアを越えた先、室内は当然もぬけの殻です。エステルさまが出て行ってから人の手は入っていないようで、生活の跡が随所に見受けられます。

 ベッドの上に放られたガウンだとか、椅子に掛けられたタオルだとか。

 特に目に付いたのは、デスクの上に散らばった大量の紙面と、そこから生まれただろう、クシャクシャと丸められた紙くずに一杯となったゴミ箱です。そう言えば以前、エステルさまは本を書かれるのだと宣言していらっしゃいました。

 なるほど、どうやら本当に書かれていたようですね。

「…………」

 お部屋に入らせて頂き、後手にドアをパタンと閉めました。自然と歩みが向かった先はデスクです。卓上に乗った紙面は大半が真っ白でした。恐らく書き終えた原稿に関しては、首都へ持ち帰られたのでしょう。

 ただ、書きし損じたものに関しては、こちらに残されたままのようですね。

「…………」

 ちょっと気になります

 いいえ、凄く気になります。

「……ゴ、ゴミ箱に入りきらないゴミがありますねっ」

 ゴミ箱の傍ら、丸まって転がる紙に手を伸ばします。

 ゆっくりとシワを伸ばしてゆくと、想像したとおり、こちらにはインクの跡がありました。段々と顕になってゆくのは、綺麗に書き込まれた文字の並びです。エステルさま、とても字がお上手です。

 やがて、そこに示された文章が読み取れるまでに、紙面は平らを取り戻します。

 私の瞳は自然と左右に動いで、これを追い掛けてしまいます。



【第二巻:ドラゴン退治の章 すべてを終えて】

 数日に渡るドラゴン退治から戻り、私は宿屋の一室で身を休めていた。話をしたいというアレンにも下がって貰い、一人でベッドに突っ伏していた。全ては連日に渡るあれやこれやを自らの胸の内、整理する為である。

 冒険者になりたいと思い至ったには、諸々の理由がある。

 退屈な学園での日々に嫌気がさしたのが一つ。学んだ魔法を使ってみたいと思ったのも一つ。自らの実力をパパに示したかったのもまた一つ。他にも些末な理由は両手に数えきれないほど、あれこれと存在している。

 そうした自らの周囲に対する不満の現れが、友人知人を誘って始めた冒険者だった。いや、今この瞬間に至っては、それが冒険者などではなく、俗にいう冒険者ごっこであったのだと、正しく理解することができる。

 そう。ごっこだった。

 ハイオークを前としてショーツに尿を漏らしたのも、全てはごっこが所以。だから、まさかドラゴン退治だなんて、完全に想定外だった。それこそ英雄譚に眺める勇者のような行い。ペニー帝国でもドラゴンスレイヤーを称する者は片手に数えるほどだ。

 その一柱に自らが担がれている事実が、今となっては納得がゆかない。見ていたばかりとは言わない。シアンから学んだ魔法を全力で叩き込んでやった。これまでにない出来栄えだと、太鼓判を押せるだけの一撃だった。

 けれど、それでもドラゴンに与えた影響は些末なもの。

 ファーレン卿が与えたダメージは大したものだった。

 彼ならばドラゴンスレイヤーも然り。

 けれども、それさえも霞む世界が、私の目前にはあった。

 目的であったレッドドラゴンが倒れて後、姿を現したエンシェントドラゴンはと言えば、人智を超えた生き物であった。あまりにも強大で、これは死んだなと思った。どうせ皆で死んでしまうのなら、アレンには後ろだけでなく前も与えておけばよかったと後悔した。その存在を目の当たりとしては、パパへの畏怖も霞む。それほど圧倒的だった。

 誰も彼もが言葉を失っていた。

 そうした驚愕の只中、彼だけが一歩を踏み出した。

 以後は、なんというか、見たこともない応酬の始まりだった。

 思い出しただけで、股間が疼く。

 格好良かった。

 自然と彼との触れ合いを一つ一つ振り返ってしまう。

 飛空艇で助けられた時、少し濡れた。

 誰もが必死で、自らの身を案ずるに過ごしていたところ、彼だけが飛び出して、この身を抱いてくれた。大して筋肉も感じられない、中年太りした肉体が、酷く印象的だった。その腕の内は思ったより暖かだった。

 ドラゴン戦で、囮を引き受けて空を飛び回る姿に、やや濡れた。

 飛行魔法はピンきりだ。浮かぶだけならば誰でも叶う一方で、鳥のように休みなく飛び回ることは、凡そ人には不可能と言われている。それをやってのけたのだ。正直、凄かった。憧れた。

 エンシェントドラゴンに立ち向かう姿に、かなり濡れた。

 相手は我々がぺぺ山へ向かうのに利用した飛空艇より、尚のこと大きかった。そんな巨大なモンスターに対して、なんら怯むことなく一歩を踏み出した姿は、未だ記憶に新しい。だから、私が人質に取られて、なすがままにされる姿に、心が痛んだ。

 申し訳ないばかり。

 けれど、彼は負けなかった。

 更にどうしたことか、驚いたことに圧倒してみせたのだ。決して倒れることはなく、敵に手を出すこともなく、立ち続けてみせたのだ。それも今まで一欠片の笑顔すら渋ってきた私などの為に、恨み言の一つさえ口にすることなく。

 おかげでグチョグチョになった。

 今もグチョグチョだ。

 彼を思うだけで、お汁が溢れて止まらない。

 格好良かった。

 本当に格好良かった。

 もう、もう、こんなの、どうしようもないじゃないの。

 自室で一人、ここ数日の出来事を思い起こしては高ぶっている。自然と意識は彼の大切なところを思い起こす。記憶に焼き付いて離れない。首都カリスに戻ってから、毎晩のように夢に見ている。自然と涎が口の中に溢れてきてしまう。

 格好良くないけれど、格好いい。

 どうしようもなく求めてしまう。

 アレンに感じていたものとは、根本的に異なる大きな情動だ。

 もしも彼が私の内側を彼が突いたのなら、どれほど心地よいだろう。

 そう考えるだけ、頭が狂ってしまいそうだった。

 私は愛されることに慣れている。愛されることが普通だった。贔屓目に見ても、大した貴族の娘だから、常に自分が求められる側だった。

 だから、思った。

 そんな私が求めるべきは、この男なのだと。これからは求める側に回ってゆくのだと、強く理解した。彼の子供を孕みたいと、心の底から願った。

 あぁ、気持ちいい。

 書いている途中なのに、なのに。

 お、おほぉぉおおおおおおおおお。

 大きな声が出てしまった。

 隣の部屋のシアンには聞こえたかもしれない。

 でも、それがどうでも良いと思うほど、最高に気持ちが良かった。

 結婚したい。妊娠したい。あの人の子供が、欲しい。

 欲しくて欲しくて気が狂ってしまいそう……



 文字は途中で掠れて、文章は最後まで至ることなく終えられていました。恐らく、そのタイミングでクシャッとされたのでしょう。紙面にはエステルさまの愛が、あまりにも情熱的な愛が溢れておりました。

 思わず私も、おほぉぉしてしまいそうな気分になりました。

「…………」

 しかしながら、それで尚も足りないのか、紙面の末尾には「ボツ」との記載があり、これを補則するよう「彼に対する愛が足りない」との記載がありました。第三者的には十分過ぎるほど迸っていると思うのですが、どうやらご本人は語り足りなかったようです。

「……タナカさん、エステルさまは凄いですよ」

 私のご主人様は本当に罪作りな方ですね。

 大貴族の娘さんをここまで入れ込ませておいて、生殺しだなんて。

 本当に酷い人ですよ。

 エステルさまが可哀想です。

「…………」

 他に幾つも丸められて転がる原稿を、私は一つ一つ拾い、申し訳ないとは思いつつ、確認して行きました。そのどれもこれもは、エステルさまがタナカさんに向けた、愛の独白に占められておりました。

 どれもボツと示されていますが、だとしても、彼女の胸の内を理解するには十分過ぎるほどの文章でありました。この一つでもタナカさんが目の当たりとしたのなら、もしかしたら、今という未来は変わっていたかも知れませんね。

「…………」

 こちらの手記、大変に恐縮ですがお預かりさせて頂きます、エステルさま。

 ところで後ろの穴って、本当に気持ちが良いものなのでしょうか。
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