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田中のアトリエ ~年齢イコール彼女いない歴の錬金術師~ 作者:金髪ロリ文庫

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学技会 四

【ソフィアちゃん視点】

 私は現在、学園の応接室にご一緒させて頂いております。

 同所には他にファーレン様とエルフさん、リディア・ナンヌッツィ様、それとドラゴンさんがいらっしゃいます。昨日にファーレン様が提案されたエルフ様とナンヌッツィ様のお顔合わせの席ですね。

 私とエルフさん、ドラゴンさんの並びで三人がけのソファーに腰掛けており、この対面にファーレン様とナンヌッツィ様が向かい合いとなる形です。ソファーテーブルには今し方にメイドさんが持ってきてくださったお茶とお菓子が並びます。

 お菓子は主にドラゴンさんのご機嫌取り用でしょうか。彼女の前に限り、山盛りです。どれも値の張りそうな代物ばかりで、その、ちょっと……いいえ、かなり羨ましいです。見ていると口の中でヨダレが溢れてきますよ。

「ファーレン様、こ、こちらの方々は……」

「うむ。貴様の研究を先行していた優秀な錬金術士だ」

 エルフさんを視線に指し示してファーレン様がおっしゃいました。

「っ……」

 応じて、ビクリ、ナンヌッツィ様の肩が震えます。眉がピクリと動く様子を私は見逃しませんでしたよ。やはり、いつだか耳とした独り言は本当だったようですね。

 しかしながら、他の方々が今し方の彼女の反応に疑問を覚えることはないでしょう。全ては私の胸の内ばかりです。知る余地のないところというやつです。

「その、なんだ、さ、昨日の発表は素晴らしいものだった」

 紹介を受けたところでエルフさんが口を開きました。

 粗暴な語り言葉使いとは裏腹にどこかぎこちない語り口調です。

 やはり人付き合いが苦手なようですね。

「ファーレン様からご紹介となる方より、このような場まで設けて頂いた上、お褒めの言葉まで頂戴いたしましては、私としても大変に恐縮です。ありがとうございます」

 対してリディア・ナンヌッツィ様は平静を取り戻してお受け答えです。

「実は私もペサリ草の効能については研究を行っていてだな……」

 挨拶から早々、エルフさんが肩から下げていた鞄をゴソゴソとやり始めました。小柄な彼女に対して、少し大きめの鞄ですね。ショルダーバッグです。実用本位なデザインながらも、肩紐の根本あたりに花をあしらった革製の飾りがついています。

 小さな女の子がお使いに向かった商店の前であたふたしているような感じが、とてもかわいらしいです。なんかこう、後ろからギュって抱きしめたくなる可愛らしさがひしひしと。これで私より遥かに年上というのが、もう、エルフという種族は反則です。

 間近で魅せつけられると、思わず人間を辞めたくなりますよね。

「あった、これだっ」

 鞄からお目当てを探し当てたエルフさんが笑みとともに言いました。

 その手に差し出されたのは一冊の書籍です。

 親指を二つ重ねた程度の厚みがあり、少なからず年季が入って思えます。

「……私と、貧乏?」

「た、たたたた、タイトルは気にしないでくれっ!」

 ナンヌッツィ様からの問い掛けを受けて、エルフさんのお顔が真っ赤です。

 おそらくは彼女自身の著作なのでしょう。

「赤い付箋の張ってあるページだ」

「では、失礼して……」

 書籍を受け取ったナンヌッツィ様がページを捲ります。

 指示されたとおり付箋の付けられた辺りです。

 これにさらり目を通したところで、彼女の表情がピシリ、強張りました。

「ど、どうだろうか?」

「……ええ、た、確かに、これは私の研究に通じるところがありますね」

「だろうっ!? 私の研究を更に発展した形だ。結晶化の導入から続く、カスの実を触媒とした加圧と再加水による含有上限の向上へ至る試みは、あぁ、奇跡のような気付きであった。素晴らしい研究だったと思う!」

 ファーレン様に同様、エルフさんもまた魔法の徒といった感じですね。口調こそぎこちないながらも、語る調子は少なからず興奮して思えます。ご自身の研究の先を他の方の研究に見つけられた点が嬉しいのでしょうか。瞳がキラキラしてます。

 それが例えば料理のレシピであったのならば、或いは私もエルフさんと同じように、見知らぬ誰かに同調していたかも知れません。共通した趣味を持っているというのは、ええ、とても良いことだと思います。

「そこで一つ、そちらの今後を思えば訂正したい箇所がある」

「……と言いますと?」

「ペサリ草の色素を蒸留する際、ファイアボールを用いただろう?」

「え、えぇ、そうですね。用いました」

「あれは何の為だ?」

「それは、え、あの、そ、その……」

 言いよどむナンヌッツィ様。

 少しばかりを躊躇したところで、思い切ったように続けられました。

「ファイアボールから発せられる熱がペサリ草の色素に影響するのよ」

「ああ、その一点に関して、理解が誤っている」

「っ!?」

 途端、ナンヌッツィ様の表情がこれでもかと固まりました。

「蒸留の最中にあるペサリ草の色素は、ファイアボールの発する熱に反応したんじゃない。熱とともに発せられる光に反応したのだ。私はこれを暗室での実験により確たるものと判断した。詳細は青い付箋のページを読んで欲しい」

「……わ、わかり、ましたわ」

 ナンヌッツィ様、強張る表情が段々と青くなってゆきます。

 付箋と同じですね。

 一方でエルフさんのウキウキ具合といったら、もう、可愛いです。

 なんでしょう、この可愛らしさは。

 同じ女として悔しいですよ。

「たしかに、この結果は……」

「良ければそちらの今後の研究に役立ててもらいたい。あぁ、その本は既に行き先が決まっているので譲渡する訳にはいかないが、この場で読むならば一向に構わない。どうか覚えていって欲しい」

「…………」

 本を持つナンヌッツィ様の手が震えています。

 事情を知らない人にはまるで及びの付かないところでしょう。

 これは勝手な推測ですが、今の彼女は何故に自分がファーレン様から、このような場に呼び出されたのか、その一点に対して、絶対的に誤った解釈から、ひたすらに怯えていらっしゃること間違いありません。

 もしも自分が同じ立場にあったのなら、間違いなく怯えます。

 エルフさんの研究がどういったものかは知れません。ただ、その至るところが自らの他所様より拝借した成果に通じるとあっては、無駄に疑心暗鬼を生ずるのが人間という生き物の弱いところです。

 これはもしかしたら、もしかするのかもしれません。メイドとは弱い生き物です。勝負に出るならば、確実に勝てる瞬間を狙わねばなりません。相手が貴族様とあっては尚更です。平民に求められるのはどんなときも一撃必殺なのです。

「……どうした、体調が悪いのか?」

 ファーレン様がナンヌッツィ様に気遣いを見せます。

「い、いえっ……」

「そうか? であれば良いが」

「…………」

 雲行きが怪しくなってまいりました。

 私は平民代表として、どこへアプローチを掛けるべきでしょうか。ナンヌッツィ様に直接、というのはアウトですね。そうなるとやはりファーレン様でしょうか。

 …………。

 それは非常に恐ろしいですね。冷静に考えてみれば証拠なんて何もありませんし。あぁ、やはりこれがメイドの限界なのでしょうか。自重したくなりました。

 田中さんだったら、このようなとき、どうするでしょうか。

「…………」

 ふと脳裏に思い浮かんだ彼の顔に問い掛けてみます。すると、彼はいつもの飄々とした笑みで、私の悩みに答えてくださりました。

 ソフィアさん、お茶のおかわりをお願いします。濃い目で。

「…………」

 そうですね。

 濃い目、好きですよね。こっちも色々と入れられるから大好きです。

 やっぱり私は一介のメイド風情、飯屋の娘。

 過ぎた行いは身を滅ぼします。

 それは避けなければなりません。

 このような場で貴族様を非難して競り負けたとあっては、打首は免れません。また、そこへ至るまでにも、言葉には言い表せないような辛い目に遭う筈です。

 私がまだ幼い頃、お酒の勢いで貴族様に絡んだ伯父さんがいました。彼は生きたまま全身の皮を剥かれた上、穴という穴に熱した杭を打ち込まれて、市中晒しとなりました。

 半日を街の広場に生きながらえて、延々うめき声を上げ続けた伯父さんの姿は、今も何気ない拍子に脳裏へ思い浮かぶ確かな記憶です。忘れられません。

「…………」

 お墓まで持ってゆきましょう。今後、ナンヌッツィ様がどれほど出世されようと、私には関係のないことです。そうですね。それが良いですね。

 私には一銭の得もありませんし。しかも、これが叶ったところで、救われるのは見ず知らずの誰かです。その当人も救われたことを理解できるか否か。

「ふむ。もしも私が紹介した錬金術士の言葉に異論があるのであれば、場所を私の研究室に移しても構わない。実際に自らの手で試すことから理解は更に深まるだろう。ほかならぬ自身もまた、この目で確認したいと強く思う」

「いえ、け、決して異論がある訳ではありませんがっ……」

 …………。

 あぁ、私はなんと愚かな人間なのでしょう。

 口は自然と動いておりました。

「……あの、ファ、ファーレン様」

「なんだ?」

 お声をかけて早々、ギロリ、ファーレン様に睨まれました。

 魔法談義を邪魔するな、叱咤されているような気分になります。というか、事実としてそのように捉えられていることでしょう。朗らかな笑みから一点、表情が急転直下の不機嫌モードですよ。

「その、あ、あの……」

 きっとタナカさんに影響されたのです。

 まことに勝手なお話ですが、恨みますよ、タナカさん。

 私は貴方の自由奔放な振る舞いを見てしまったから――――。

「先程の、な、ナンヌッツィ様の発表ですが、本当にナンヌッツィ様ご自身による発見が元となっているのでしょうか? ご確認を申し上げたいのですが……」

「……なんだと?」

「っ……」

 また睨まれました。

 さっきよりも強く睨まれました。怖いです。漏らしそうです。膝がガクガクと震えています。普段より強く震えております。

「み、みみ、みなさまも御存知の通り、ペサリ草というのは、私のような卑しい身分には親しみのあるものであっても、貴族様方には縁遠い植物かと思いますっ」

「だからどうしたというのだ」

「先ほどにそちらの、え、エルフの方がご案内された書物の背表紙にも記載されていたように、貴族様が飲用を前提として研究をされるには、いささか抵抗の大きい研究としてお見受け致しましたところ……」

「学のない者は口を開くな。ペサリ草は学園内でも試薬として利用されている。これを目とした者が、その存在を研究の対象として考えたところで、なんら違和感はない。真に魔導の徒とあらば、仮に貴族であってもこれを口とすることに抵抗はないだろう」

 断言されてしまいました。

 そんなの知らなかったです。ペサリ草といえば、私の実家にも庭の隅の方に生えてます。いつも起床間もないお父さんから、朝一番、濃い目のオシッコをその身に受けて葉を揺らすのが、我が家のペサリ草の位置づけです。

 キーワードは濃い目、濃い目です。

 私はなにを考えているのでしょう、恐怖から混乱してきました。

「え、あの、そ、それは……」

 これではむしろ、ナンヌッツィ様を安心させるばかりです。

 あぁ、やはり私は愚かでした。

 きっとタナカさんだったら、もっと上手くやりましたよね。

 間違いありません。

 そんな気がします。

「まさか、貴様はこの者が不正を働いたと言うのか?」

「…………」

「ファーレン様、そちらのメイドは何者なのでしょうか?」

 案の定、落ち着きを取り戻したナンヌッツィ様が問われます。

 ほんの僅か口元に浮かんだ笑みが、非常に恨めしいです。

「それは、その、なんだ、私の知り合いのメイドだ」

「ということは見た目に違わず平民なのですよね?」

「……うむ」

「平民から自らの研究成果を否定されるような日が訪れるとは夢にも思いませんでした。このような屈辱、まさか学園の理事を務めるファーレン様が、お見逃しになるのでしょうか? どうしても伺いたく思います」

「ああ、貴様の言うことは理解できる」

「ファーレン様、そう仰って下さるのであれば、このメイドの身柄を私に頂戴できませんでしょうか。姿から鑑みるに学園のメイドとお見受けいたします。学園理事であらせられる方の采配を頂きたく切に願います」

 ファーレン様の視線が私とナンヌッツィ様の間で行ったり来たりです。。

 これならまだドラゴンさんの背中に揺られている時の方がマシでしたね。

 あぁ、さようならです。この世界に。

 平民としての生に。

「貴様の言うことは尤もだ。だがしかし、そのメイドはすこしばかり特別でな。私の一存では動かせぬ。決して無碍にはせぬが故、少しばかり時間を待つのだ」

「そ、そこまでなのですか? 大伯爵であらせられるファーレン様がっ……」

「詳しいところは伝えられぬ。だが、学園で教鞭を執る貴様の意向を無視することは、このファーレン、同理事として絶対にせぬと誓おう」

「ファーレン様がそこまで仰るのであれば」

「すまないな」

「いえ。ですが過去に我々の研究成果を侮辱した平民は、鞭打ちの上に市中引き回しとなりました。どうか私の感じた屈辱をご理解して頂けたらと」

「う、うむ。ではそのように……」

 あぁ。

 もしかして、ファーレン様に庇われたのでしょうか。

 そうですよね。

 間違いなくタナカさんを気遣っての発言でしょう。

 そこに私という存在はありません。

「…………」

 なんか、悔しいですね。

 タナカさんに影響されて、失敗して、タナカさんの影響で、救われて。

 はい。悔しいです。

 悔しいですよ。

 タナカさん。悔しいです。

「お、おい、なんだ?」

 一方で一変して場の空気が変化したことに慌てるのがエルフさんです。他の面々へ忙しく視線を動かしながら、途端に落ち着きをなくしたよう慌て始めました。

「よく分からんが、きょきょ、今日のところは、こ、これで……」

 場を収めようと必死ですねエルフさん。

 なんでそんなに可愛く慌てられるんですか。

 もう。もう。

 こっちは足の震えが止まりません。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。



◇◆◇



【ソフィアちゃん視点】

 ファーレン様の取り成しにより、エルフさんとナンヌッツィ様のお顔合わせはお開きとなりました。しかしながら、それではさようなら、とならないのが、貴族様に逆らってしまった平民の身の上です。

 後悔ばかりが身を苛みます。

 私はどうしてあのようなことを口としてしまったのでしょう。

 ここ最近、自身より遥かに身分の高い方ばかりと、行動を共にすること度々。そうした背景も手伝い、少なからず勘違いしてしまったようです。特にタナカさんと一緒にいると、自分まで偉くなったような気になってしまいます。

 私なんかでも、なにか大きなことができるのではないか、なんて。

「碌に魔導の知識すら伴わない者が、これを極めるべく日々を切磋琢磨する者を陥れんとした所業、私は学園の長として無視する訳にはゆかない。更に相手は貴族で貴様は平民だ。最低でも二桁の鞭打ちは避けられないと思え」

 場所は変わらず学園の応接室です。

 その場にナンヌッツィ様とエルフさんを除いた三名が残ります。

 ファーレン様、ドラゴンさん、私です。

「……はい」

「とは言え、貴様はヤツのメイドだ……」

 いつだか学園寮の食堂でタナカさんやエステル様に助けていただいた際とは状況が異なります。今回は完全に身から出た錆となります。しかも相手は学園に籍を置く優秀な研究者を兼ねられる貴族様です。

 考えれば考えるほどに胸の鼓動が強くなってきます。

「そもそも何故にあのようなことを口とした?」

「いえ、あ、あの……それは……」

 じっと正面から見つめられます。

 ただでさえ怖いファーレン様のお顔が今は八割増で怖いです。

「言え」

「は、はひぃっ!」

 素直にお伝えします。

 洗いざらい白状いたします。

「いいい、い、以前に学園の教員棟へ足を運ぶ機会があったのですが、そ、その際に先程の貴族様のお部屋から、あの方のお声が漏れてまいりまして、その語られているところが、その……先程のような形でありまして……」

「それは本当か? 我が身可愛さに嘘を言っているのではなかろうな?」

「め、めっそうもありませんっ!」

 ソファーから立ち上がって頭を下げます。

「たしかに、たしかにナンヌッツィ様のお声であらせられましたっ!」

「証拠はあるのか? 聞き間違えではないのか? 顔は見たのか?」

「いえ、そ、その、証拠のようなものは、あの……」

「あれでナンヌッツィは真面目な女だ。不正を働くような性格ではない。出自が平民である点も手伝い、細かなことに良く気がつく。今回の研究もヤツの生い立ちを思えば、極めて自然なものだと私は考えている」

「…………」

 あ、頭を上げることができません。

 どのようなお言葉が続けられるのか、恐ろしくてなりません。腰を折った姿勢のまま、じっと身を強ばらせたまま耐えます。汗だったり、鼻水だったり、涙だったり、全身の穴というあなから汁が出ています。もうなんかグショグショです。

 言われてみれば、お顔を確認しておりませんでした。声の調子も、そうですよ、私が耳としたものと違っているかも知れません。というか、そうに違いありません。だとしたら、私はなんということをしてしまったのでしょう。

 恐れ多くも貴族様に、貴族様に。

 あああああ。

 あああああああああ。

 どれほどの間を硬直していたでしょうか。

 ややあって、ファーレン様が呟かれました。

「まあ、いずれにせよヤツの留守中に決めることはできん」

「……た、タナカさん、でしょうか?」

 少しだけ頭を上げて、お声を掛けさせて頂きます。

「そうだ」

「…………」

 やはり、タナカさんなのですね。

 彼なのですね。

 もちろん、決して超えられるとは思いません。

 並び立つことさえも。

 でも、せめて、同じ元平民として、その背を追うくらいは。

 くらいは。

 なんて、出しゃばり過ぎた結果が、今の自身です。

「しかし、そうなると殊更に早く、ヤツとの場を作らねばならん。一体どこで何をやっているというのだ。あの飛行魔法の練度を思えば、この街に居るか否かも怪しい。まさか暗黒大陸まで足を伸ばしているのではないだろうな……」

 ファーレン様がブツブツと独り言を呟き始めました。

「…………」

 私にはこれを黙って見つめる他にありません。

 このままタナカさんが見つからなければ、私の身柄もずっと保留になったりするのでしょうか。であれば、どうか、どうか、タナカさん。このまま世界を股に掛けた大旅行を楽しんでいてください。何卒、何卒。

 そうした只中の出来事です。

 応接室の外から声が届けられました。

「ファーレン様、タナカという方の居場所が判明しました」

 早いですよ。

 どうして判明しちゃったんですか。

「なんだとっ!? 入れっ!」

 ファーレン様が声も大きく吠えられました。

 応じて部屋のドアが開き、廊下の側から人が現れました。一人は学園の職員と思しき男性です。中肉中背、これといって特徴のない顔立ちの制服姿は、恐らく私と同じ平民の出自でしょう。

 そして、彼の隣にかなり大きな背丈の男性が立ちます。同じ大柄な体格の持ち主でも、ゴンザレスさんたちを目の当たりとした後だと、ひょろっとした印象を受けます。肉付きの違いですね。姿格好からお国に使える役人の方と思われます。

「こちらの下級役人が、カリスを発つタナカ様を確認したそうです」

「ご、ご紹介にあずかりましては恐悦至極にございます。ファーレン様におかれましては益々の健啖、市井にまで轟くこと伺う次第にあり……」

「くだらない挨拶はいらんっ! 貴様は何者だっ!」

「申し訳ありませんっ!」

 甚だ緊張した様子で頭を下げるお役人さん。

「わ、私はタナカ領で役人を務めさせて頂いております、名をノイマンと申します」

「……タナカ領、だと?」

 彼が続くところを口とした途端、ファーレン様の顔が訝しげに歪みました。

「はいっ……」

「なんだそれは。ヤツに関係したものか?」

 これを目の当たりとして、お役人さんの表情が恐怖に固まりました。

 大慌て、そのフォローに回ったのが、彼を連れてきた職員さんです。

「ふぁ、ファーレン様、ご存知ありませんでしょうか? ここ最近、王宮で噂の平民男爵でございます。つい先日に陛下より領土を下賜されたことで、昨今、フィッツクラレンス子爵と合わせて話題の人物となっております」

「……なるほど、リチャードの娘が本当にやりおったか」

「ご、ご存知ありませんでしたでしょうか?」

「ここ最近は学技会の支度に忙しかった。それに私は王宮の下らないまつりごとはかりごとが嫌いだ。その為もあって情報が入ってこなかったのだろう」

「そうであらせられましたか」

 しかめっ面のまま、右手の平に顔を覆うファーレン様です。

 そこはかとなく漂うのはしてやられた感です。

 もしかしたらファーレン様はファーレン様で、今の状況に苦労されているのかもしれません。そこに私という存在が、タナカさんという要因を巻き込んで、色々とご面倒を掛けてしまっているような。

 そう考えると、なんかもう、色々と申し訳ない気分になります。

「それでタナカはどこへ向かったのだ? タナカ領というのはどこにある」

「は、はい、タナカ男爵は現在、ご自身の領土に向かわれております。場所はつい一昨日、ペニー帝国との紛争において戦場となったラジウス平原です。この度の紛争において我がペニー帝国の領土となりました」

「……ラジウス平原だと?」

「はい」

「貴様は私をバカにしているのか? あのような場所に何がある」

「め、め、滅相もございませんっ! タナカ男爵が陛下より下賜された領土は、他ならぬラジウス平原となります。これに嘘偽りはございませんっ!」

 ファーレン様の顔が殊更に顰められました。

 役人さん、顔色が真っ青です。

「ファーレン様、この役人の言葉に相違はございません。タナカ男爵に下賜された領土はラジウス平原となります。先のお話はこうした背景も多分に影響しております」

「……そうか」

 お部屋の雰囲気が最悪です。

 とてもギスギスしてます。

 このまま窓から飛び降りて、死んでしまいたいです。

 鞭打ち、打首、どちらも痛そうです。絶対に痛いです。

「陛下はなにを考えていらっしゃるのだ……」

 はぁと重いため息と共にファーレン様がおっしゃられました。

「分かった。状況は理解した。下がっても良いぞ」

「はっ!」

「あ、ありがとうございます」

 少しばかり熟れた調子で敬礼を行う職員さんと、一方でカチンコチンなまま、酷く萎縮した様子に挨拶をする役人さんとが非常に対照的ですね。お二人は連れ立つよう、応接室を後とされました。

 パタン、ドアが閉じられます。

 足音は歩みも早く過ぎて、すぐに聞こえなくなりました。

 これを確認したところで、ファーレン様がため息を一つ。

「ラジウス平原となると、首都からでは数日を要するな。もう少し早く気づいていれば、伝令の一つも飛ばすことができたろうに。まったくヤツのフットワークの軽さは信じられんな。気づけば遠くに過ぎている」

 以前、タナカさんもファーレン様に対して、同じような呟きを漏らしていました。

 似たもの同士というやつでしょうか。

 少しだけ心がほっこりします。

 いえ、ほっこりしてどうするのですか。

 今は自分の身の上がそれどころじゃありません。これはもう本格的に国外脱出を考えるべきでしょう。二桁の鞭打ちなど、部位によっては肉が削げ落ちて骨が見えるくらい酷いものです。その最中や終わって直後に死んでしまう人も多いそうです。

『なんだ、またヤツはどこかへ行ってしまったのか』

 ふと、ドラゴンさんが呟かれました。

 これまで黙ってお菓子を食べていた彼女です。

「うむ、そのようだ」

『ふんっ。あっちへいったり、こっちへいったり、落ち着きのない男だ』

「…………」

 そんな彼女の姿を目の当たりとして、ファーレン様、何やら閃いた予感です。

 ハッとした表情となり口を開かれました。

「いや待て、ドラゴンの翼であれば、或いは一日とかからずに辿り着けるのではないか? ラジウス平原とトリクリスとを半刻と掛からずに結んだ、その素晴らしい翼ならば」

『なんだ? まさか、貴様も理解するのか? この私の翼の良さを。ヤツさえ超える、この圧倒的な翼の素晴らしいところをっ』

「う、うむ。ここ最近、私も理解しはじめたところだ」

『そうかそうかっ! 伊達に何度も目の当たりとしていない訳だなっ』

 ドラゴンさん、急に嬉しそうです。

 褒められるのが好きなんでしょうか。

「……そこでひとつ、相談があるのだが」

『相談?』

「あの男、タナカの下へと向かっては貰えないだろうか?」

『……あぁ?』

 ですが、ファーレン様、だからと言って、そんなに急がなくても。

「我々では決して不可能なところだ。エンシェントドラゴンの翼を持ってして、初めて達することができる極地に他ならない」

『つまりなんだ? 私を使いっ走りに使うつもりか?』

「もしもこれが叶ったのならば、あの者も多大な感謝を貴様に向けるだろう。これは私がこの命を賭けてして、間違いないと伝えるところだ」

『……ほ、ほぅ?』

 ピクピク、ドラゴンさんの眉が反応を見せます。

「やってはくれないか? ラジウス平原……先の紛争が行われた平原、或いはトリクリスの街まで向かい、そこでヤツに一言、メイドの危地だと伝えるだけでよい」

『たしかに件の草原とを短時間に行き来することは、あぁ、人の身には不可能だろうな。我が翼あってこその偉業だろう。それはヤツも認めているところ。間違いない』

「どうか、頼まれてはくれないか? その翼で」

『ふんっ。こういった時ばかり調子がよいな? ニンゲン』

「難しいだろうか?」

『良いだろう。あの者に貸しを与える絶好の機会だ。やってやろうではないか。この素晴らしき翼を用いてなっ!』

「うむ。助かる」

 満更でもない表情のドラゴンさん。

 エンシェントドラゴンという存在は、とても長生きで、私たち人間などと比較しても遥かに頭の良い生き物だと以前にファーレン様が仰っておりました。ここ数日の付き合いながら、私もそのご意見は正しいものと、何気ないやり取りに感じておりました。

 それで尚もこうして、私たちの都合に付き合って下さるのは、やはりタナカさんの影響が大きいのでしょう。或いは長らくお一人に過ごされていた都合、他者との交流に憧れを持たれていらっしゃるのか。

 いずれにせよ、どこか落ち着きを失くして、そわそわし始めたドラゴンさんが可愛くて困ります。定期的にあの大きなお姿を確認しないと、出会って当初に与えられた、彼女の元来の威厳が、自らの内側に失われてしまいそうで怖いですね。

 いやいや、今はそんなことを考えている場合ではありません。

 私もその翼のお世話となるべきでは?

 こっそりお隣の国まで乗せて頂くのが、正解のような気がします。



◇◆◇



 街づくりを初めて幾日か。

 最初に作った壁の内側に建物を設けるスペースが無くなった都合、現在はその外側に対して更なる建造を進めている。作業は急ピッチ。施設面積の拡充を図るべく、ここ数日は禄に睡眠すら取っていない。

 ただ、それでも決して辛いとは思えない、このワクワク感はどうだ。

「また一棟、素敵なお風呂屋さんを作ってしまった……」

 目前に眺めるのは地上四階建ての建造物だ。これまでは二階建てばかりであった都合、現時点において界隈では最も背の高い建物となる。各階へ至るには階段がちゃんと設けられており、これに併設する形で水回りも然り。

 達成感が半端ない。

 パッと見た感じ、ロールプレイングゲームに出てくる塔みたい。純ストーンウォール製である都合、四角柱っぽさは拭えない点が少なからず野暮ったいが。あとでゴンザレスに頼んで飾り枠くらいは入れて貰おうか。そうすれば多少は見れるようになるだろう。

「……よし、次だ」

 考えたところ、ちょうど良いところで声が掛かった。

「おいおいおい、この辺りは昨日まで更地だったと思うんだがな?」

 正門を超えて、壁の向こう側からゴンザレスがやってきた。

 傍らには他に仲間だろうマッチョが数名ばかり並ぶ。

「もう少しばかり施設面積を広げようと思います」

「……本気かよ?」

「はい、本気です。ゴンザレスさんや黄昏の団の皆さんには苦労を掛けてしまうとは思いますが、すみません、どうか一ヶ月だけ付き合ってやってはくれませんか?」

「いや別にそれはどうでも良いんだけど、タナカさんは大丈夫なのかよ?」

「私ですか?」

「朝から晩まで魔法を使いっぱなしだろうが。うちの連中に確認したが、普通じゃねぇって言ってたぞ。それだけ連発したら、口から泡を吹いてぶっ倒れるってよ」

「あぁ……その、なんというか、魔法云々に関してはお気遣いなく」

「そ、そうかよ? ま、まあ、他ならぬアンタ自身が言うなら良いけどよぉ」

「ところで何かご用ですか?」

「おう、そうだよ。ご用だぜ? 言われた通りのものを用意させた」

 ゴンザレスが目配せをすると共に、彼の傍らに立っていたマッチョ連中がそれぞれ、腕に抱く大きな革袋を我々の正面にドサリと置いた。その口からは内側に紫色の固形物がぎっしりと収まっている。

 素晴らしいぞ。発注通りだ。

 なかなかやるじゃないか黄昏の団め。

「ありがとうございます。確かにお願いしたとおりのようで」

「ペサリ草の色素だったか? アンタはこれを何に使うんだ?」

「それは今晩のお風呂のお楽しみですね」

「風呂? 風呂をどうするつもりだよ……」

 いつだか学園で行われた試験の折、アドリブ精製してしまったペサリ草の固形粉末。それを黄昏の団の手先器用組に頼み込んで大量に用意して貰った。原材料はどこにでも生えている都合、釜戸さえストーンウォールに作ってしまえば、後は簡単であったよう。

「今回の作戦の要と称しても過言ではない代物です」

「まあ、アンタが言うなら間違いはないんだろうな」

「そういっていただけると非常に助かります。ありがとうございます」

「それじゃあ、俺たちは壁の中で建物の施工に戻るぜ? やってみると存外に面白くてな。仕事自体は冒険者として駆け出しのそれだが、自分たちの手で町が出来上がっていく達成感ってやつは、これでなかなか癖になるもんがある」

「了解です。それでは引き続きよろしくお願いしますね」

「おうよ、任せとけっ」

 クランの仲間を引き連れて、建物の連なる界隈へと戻ってゆくゴンザレス。

 その背中を見送ったところで、さて、こちらは回復魔法の時間である。

 今晩あたり黄昏の団の連中を相手に効果の程を確認するとしよう。万が一にも粉末タイプが癒やしパワーを備えていなかったら、他に手を考えなければならないからな。多分、大丈夫だとは思うのだけれど。

「よし……」

 ペサリ草の色素、粉末固形タイプの詰まった革袋を正面において癒しの構え。

 適当に両腕を正面へ突き出すと共に、ラムネもどきへ向かい回復魔法を発動だ。

 一回、二回、三回。

 何度も。

 幾回も。

 やがて八十七回を重ねた辺りで、袋の内側から光があふれ始めた。

 以前、生のペサリ草に対して行った際は、同じ回復魔法でも三桁必要だった。幾分か回数が減って思える。これが魔力容量の違いというやつだろうか。固形粉末としたことが影響していると見た。

 ただまあ、いずれにせよ普通に考えたら、甚だ実用的じゃない。

 風呂の湯を気持良くする為に、瀕死の重症を八十七回治せるだけ回復魔法を連打とか、とてもブルジョアジーな気配を感じる。この世界における回復魔法の需要と供給の関係を鑑みるに、大凡真っ当でない行いだ。

「まあいいか」

 そうは言っても金貨五十枚の為だ。奴隷堕ちしてエステルちゃんに飼育エンドとか、正直言って非常に気になるし、おちんちんで精一杯ご奉仕したいけれど、それは最後の手段である。絶望の先に待つ快楽というヤツだ。

 今はもう少し前向きに努力しよう。

 ゴンザレスの言葉じゃないが、思ったよりも街作りが面白いのだ。

「入浴剤はこれで良しとして、建物の方を頑張らないと間に合わないんだよな……」

 まだまだ建て足りない。

 湯船面積が。

 それに立派な道路を作りたい。広場だってもっとあっても良いのではなかろうか。飲食店も無ければ困るだろう。宿泊施設だって必要だ。必要な屋根の数は両手両足の指を全て使っても足りない。けれど、欲するところを想像することが苦ではない。

「ストォォォオンウォォォォル!」

 次は宿屋を建てるわ。

 アレンが心置きなく乱交できる、壁の厚い宿屋を建てちゃうんだわ。



◇◆◇



【ソフィアちゃん視点】

 つい先日、学技会での一件から以後、酷く胸が痛みます。全身の強張りが取れず、夜も碌に眠れません。どこで何をしていても、気持ちが張り詰めたまま、他に頭を使うことも難しい有り様です。その内側に在るのは、ただただ、焦りと恐怖ばかりです。

「…………」

 今は学園寮のダイニングで、貴族様用の晩ごはんを頂いております。

 本来であれば至福の時間です。

 けれど今晩は、その味も満足に感じることが出来ません。

「……死にたくないです」

 脳裏に浮かぶのは、ひたすらに自らの行く末がばかりです。

 何気なく意識が無いたのは、手にした金属製の食器具です。止めておけば良いのに、一度気になってしまうと、自らの内側に溜まった恐怖心を抑えることはできません。或いはこれを発散させる為の行為でしょうか。

 ダイニングの椅子より立ち上がり、キッチンへ向かいます。

 そこには調理用のコンロが設けられております。これに火を入れると共に、手にしたフォークの先を炎の中へと差し入れました。しばらくを待つと表面がほんの僅かばかり赤らみました。デニス鉱で打たれた食器具は熱に強いので、この程度では溶けません。

 指先に摘むあたりが温まってきたところでコンロから引き抜きます。

「…………」

 十分に熱せられた食器具です。伯父さんはこれよりも尚のこと、熱くて、硬くて、太い金属の棒を、全身の穴という穴に突き入れられておりました。果たしてそれは、どれほど辛い仕打ちであったのでしょうか。

 わかりません。

 いつだかペペ山で、ドラゴンさんと戦われていた、タナカさんの姿を思い起こします。飄々とした平素の振る舞いから、自然と忘れてしまいそうになりますが、彼もまた非常に痛い思いをされていた筈です。普通に燃やされていらっしゃいました。

 であれば、私も少しは耐えられたり、するのでしょうか。

「…………」

 おもむろにフォークを手の甲に押し当てます。

「っ……」

 肌に金属の硬さを感じるまもなく、熱からの痛みに全身が震えました。

 小さくジュウという音が響きました。

 同時に取り落としてしまったフォークが、カラン、乾いた音を経てて床に落ちます。これに気遣う余裕など皆無です。私は膝を曲げて、背中を丸めて、焼いた手を庇うよう、その場にしゃがみ込みました。

 偶然、落ちたフォークを膝で踏みつけてしまい。

「ギャァっ!」

 二度痛いです。

 転げました。

 手の甲と膝とを庇うよう身を丸めて、ゴロンゴロンとのた打ち回ります。何をやっているんでしょうか私は。あまりにも愚か過ぎます。愚か過ぎますよ。これじゃあ悲劇というより喜劇じゃないですか。

 でも、当人は至って真面目だったのですよ。悩んでいたんです。

「ああっ、ああぁぁ……」

 痛いです。

 痛いですよもう。涙とか滲んでますし。

「うぐっ……うぅ……」

 想像した以上に、ずっとずっと、痛いです。

 手も膝もズキズキです。

 そりゃそうですよ。

 家で父親の手伝いをするに差し当たり、調理場に火傷を負ったことだって少なからずあります。そのいずれもは非常に痛いものでした。わざわざこうして確認するまでもなく、熱は痛くて辛いものなのです。

 そして、死ぬときは今以上に、もっともっと痛い筈なのです。

「…………」

 全身の震えが止まりません。

 焼けた肌がジクジクと気持ちの悪い痛みを伝えます。

 こんな気持ちの悪い真似を素面に行うほど、今の自分は腐ってます。

 もしも一昨日の自身が目の当たりとしたのなら、声を上げて笑うでしょう。

 でも、これが現実なのです。

「し、死にたくないです……」

 後悔ばかりが身を苛みます。どうして、どうして私は貴族様に逆らうような真似をしてしまったのでしょう。考えだすと、色々な感情が溢れてきて、他の一切合財が手につかなくなってしまいます。

 今の痛みが全身に与えられたのなら。

 考えただけで、もう、いっそ、先に死んでしまいたくなります。寮の窓から飛び降りたら、もう少し楽に死ねるような気がします。ええ、その方が遥かに、きっと、今の私にとってはより良い未来に思えます。

「…………」

 悔しさが恐怖に負けてしまいました。

 これが挫けるということなのでしょう。

 圧倒的ですね。

 一人きりになると、特に。

 手の甲に浮かび上がったフォークの形を残す火傷を眺めて、何をするでもなく呆然と時間を過ごします。痛みはどこまでも鮮明であって、殊更に不安を駆り立ててくれます。これ、きっと痕が残りますよね。馬鹿なことをしました。

 でも、死んでしまったら、何もかもがそれっきりです。

 逃げましょうか。

 今晩辺り、何もかも捨てて。

 いつだかドラゴン退治の折に頂戴した金貨も、まだ大半が手付かずのまま残っています。ペニー帝国を脱することが出来たのなら、或いは他にやりようは幾らでもあるのではないでしょうか。

 なんて邪な考えを抱いたのが良くなかったのかも知れません。

 不意に部屋に響く声がありました。

「今戻ったわっ! ソフィアは居るかしらっ!?」

 エステル様です。

 エステル様の元気な声が聞こえてきました。

 彼女は合鍵を持っていらっしゃるので、自由にタナカさんのお部屋に出入りすることが出来ます。普段であれば声が聞こえたところで、すぐさま玄関に向かい飛び出すのですが、今日に限っては、それだけの気力が湧きません。

 挫けてしまった人間はあまりにも無気力なのです。

「ソフィアっ! ソフィアっ!? 居ないのかしら……」

 ドタバタと賑やかな足音を経ててリビングの方までいらっしゃいました。

 やがて、そのお顔が開かれたままのドア越し、廊下からキッチンを覗かれました。当然、そこに座り込んだ私の姿は丸見えでしょう。本来ならば絶対にお見せしてはならない、とてもとても恥ずかしい格好を晒しております。

 床に座り込むなんてはしたないです。

 ただ、立ち上がるだけの根性も湧いてこないのです。

「……ソフィア? どうかしたの?」

「い、いえ……」

「どこか悪くしたの? ちょっと、大丈夫? 顔色が悪いわよ」

「大丈夫です。すみません……」

 あれこれと問われて、今更ながらに立ち上がります。

 一連の様子を眺めて、エステル様は訝しげな表情に尋ねられました。

「その手、どうしたの? 火傷かしら?」

「っ……」

 指摘されて、咄嗟、背後に腕を回すよう隠します。

「ちょっと見せてみなさい。彼のような芸当は叶わないけれど、簡単な回復魔法なら私も使えるわ。小さな火傷程度であれば治してあげられるわよ」

「いえ、だ、大丈夫ですっ! お気になさらずにっ」

「隠したということは、大丈夫ではないのでしょう? 見せなさい」

「ですがっ……」

「これは命令よ?」

「ぅ……」

 そう言われると弱いのが、平民という生き物です。

 相手は貴族様です。

 火傷の痕をエステル様に晒す羽目となりました。

「……貴方、これ、どうやって付けたのよ?」

「いえ、あ、あの……」

「随分と不自然な焼き痕じゃない」

「…………」

 その特徴的な痕は言い訳のしようもありません。

 フォークの凸の数だけ、綺麗に線が走ってしまっています。

「ま、まさか、他に誰か、いつか私の時のようにならず者がっ!?」

 途端、エステル様の目元が釣り上がります。

「ち、違いますっ! 違うんですっ!」

「それならどうしてっ!」

「それは、そ、その……」

「詳しい話を聞かせて貰えないかしら? それとも私と貴方の仲というのは、私が思っていたよりも浅いものだったのかしら? だとすれば、それはとても悲しいことだわ」

「…………」

 親身になって下さるエステル様、やさしいです。

 あまりにも不安で、不安で、不安で、不安ばかりであったからでしょう。ふと差し伸べられた手に、これ幸いと縋りついてしまった自分は酷く卑しい生き物です。

 そういう女が大嫌いだった筈なのに、今は自分がまさにです。

 だからこそ田中さんに憧れたというのに。

 気づけばツラツラと、昨日の出来事をエステル様にお伝えしている、惨めな平民の娘がおりました。反発へと至った当初の気概など皆無です。

 なんて醜い生き物でしょう。

 目指すところとは正反対ですね。

 ただ、それでもエステル様は、静かに耳を傾けて下さりました。場所はリビング。なんとエステル様が自ら、私の分までお茶を煎れて下さった上でのお話です。

 あまりにも嬉しくて、嬉しくて、途中で涙が零れそうになりました。

 やがて一頻りを話したところで――――。

「どこかで聞いたような……というより、見たような話ね」

 ボソリ、少しばかり低い声色に呟かれました。

「……え?」

「その相手の貴族、名前をリディア・ナンヌッツィで間違いないかしら?」

「は、はい、間違いありませんっ」

「そう」

 瞳を閉じて、少しばかり考えを巡らせていらっしゃる様子のエステル様。

 私はこれを見つめて、続くところを大人しく待ちます。

「今回は以前のように簡単な話で終えられるとは思えないわ。学技会はファーレン卿の管理下にあるし、相手貴族も然り。尚且つ、貴方の正当性を示すだけの証拠は、貴方の証言しか存在していない」

「……はい」

「私もファーレン卿と事を構えるつもりはないの。何より学園での出来事に関して、間に彼の判断が入っているのであれば、滅多なことはないと思うわ。些か魔法に偏った価値観の持ち主だけれど、誤った判断を下すとは思わないから」

「…………」

 エステル様にまで言われてしまいました。

 やはり、これは本格的に国外逃亡しかないような気がします。女一人での旅は相当な危険が伴いますから、いずれにせよピンチには違いありません。とは言え、必ず訪れる死を前としては、僅かでも可能性を見出したいものです。

 云々、今後の予定を巡って色々と考えておりました。

 しかしながら、続くところエステル様から与えられたのは、それらを全て打ち払うだけのお言葉でした。

「けれど、私は貴方の言葉を信じるわ」

「え、エステルさま?」

「ソフィが聞いたと言うのであれば、私が聞いたも同じことよ」

「……あの、よ、よろしいの、ですか? 私のような平民の言葉など……」

「貴方が平民であることは事実だけれど、同時に私のお友達でしょう?」

「っ……」

「お友達のピンチなら、それを助けるのが、この世の道理というものよ」

「あ、あっ、あっ、ありがとうございますっ……」

 エステルさま、やさしいです。

 最高です。

 惚れちゃいますようもう。

 涙とか鼻水とか、なんかたくさん、お汁が溢れてしまいます。

「それに貴方の話には、私も少なからず思うところがあるわ」

「エステルさまも、ですか?」

「もう少し詳しく学技会での様子を教えてもらえないかしら?」

「わ、分かりましたっ!」

 エステル様に促されるまま、私は一昨日の出来事を事細か、学技会での発表に至るまでをお伝えです。分からないところも多々ありましたが、自らの命が掛かっていることもあり、必死になってご説明させて頂きました。

 そうして、鞭打ち宣告より翌日の晩は過ぎてゆきました。
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