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田中のアトリエ ~年齢イコール彼女いない歴の錬金術師~ 作者:金髪ロリ文庫
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寮生活 一


【ソフィアちゃん視点】

 昼食後、寮の廊下を歩んでいた際の出来事でした。

 朝方に干しておいたタナカさんの洗濯物を回収に向かう道すがら、曲がり角の先からヒソヒソと、年若い女性の声が聞こえてきたのです。内緒話など良くある話ですが、ここは場所が場所なので、立ち回りも気を遣う必要があります。

 下手に一歩を進み出て、万が一にも相手が貴族様であっては非常に危険です。反射的に足は止まり、物陰から様子を窺うこととしました。他に人気もなく物静かな日中帯の学生寮ですから、自然とやり取りは私の耳にも入ってきました。

「それは本当ですか? い、幾らなんでも暗殺だなんて……」

「本当よ。お父様が話しているの聞いちゃったんだもの」

「で、ですが、フィッツクラレンス家のお嬢様なのですよね?」

「それだけ上の方から指示が来ているということでしょう」

「……そんな」

「これも聞いた話なのだけれど、どうやら彼女へ下賜された領土に色々と利権があったようね。恐らく当人はおろか、これをお与えになった殿下もご存じないことだと思うわ。或いは意図的に隠されていたとか」

「で、でも、あそこは大した土地でないと、私の父も言ってましたっ! 隣国に接している都合、人と物の流通はありますが、領土としては広さがありませんし、土地が痩せてるため作物の取れ高も少なく、管理の手間ばかり面倒な土地だと」

「うふふ、そこから先は流石の私も教えてあげることはできないわね」

「っ……」

 貴族様がお二人、密談のご様子です。

 共に女子生徒ですね。

「一応、私と貴方の仲だから、忠告だけはしておくわ。ドラゴンスレイヤーだか何だか知らないけれど、下らない流行にあまり入れ込むと、いつか大きな火傷をするわよ」

「…………」

「あの子の不幸は、学生の身分にありながら、不相応な地位を与えられた点かしら?」

「あ、あの、リリシアさま……」

「ちなみに今なら、貴方、私の派閥に迎えてあげても良いわよ」

「っ……」

 こういうの、私、初めて見ました。貴族の師弟の派閥争いってやつですね。少なからず憧れていた節があるので、生で見られて嬉しいです。

 この手のやり取りは市井の舞台劇でも必ずシーンに上がりますからね。

 しかしながら、如何せんお話の内容が穏やかでありません。フィッツクラレンス家のお嬢様と言えば、つい先日、私もドラゴン退治の一件でお目に掛かりました。

「…………」

 まさか本当の話なのでしょうか。

 あの方が暗殺されるところなど、想像できないのですが。

 ドラゴン相手に啖呵を切る胆力は伊達でないと思います。

「それじゃあ、私は失礼するわね」

「あ、ま、待って下さいっ! リリシアさまっ!」

「明日にでも返事を貰えるかしら?」

「っ……」

 一方的に言いつけて、お一方が歩み去って行きました。向かう先は私が立つ側とは反対だったので、メイド風情としては、ホッと一息でしょうか。

 残されたもうお一方もまた、しばらくを悩んだところで、スカートを翻しては何処へとも駆け足に去って行きました。

 どうやら無事にやり過ごせたようです。

 万が一に備えて更に幾らばかりか待ってみましたが、他に人の訪れる気配もありませんでした。私の判断は間違っていなかったようですね。良かったです。

「…………」

 今し方に耳とした問答には、当然、色々と思うところがあります。

 ただ、こういうのは聞かなかったことにするのが一番です。

 私のような平民にどうこう出来る世界ではないのです。下手に関わっては、いの一番に処分されるのがメイドという身分です。私が好きな本にも書いてありました。王宮におけるメイドの命とは、食卓に並んだスプーンより軽いのだと。

 ここは王宮ではありませんが、きっと似たようなものでしょう。

「…………」

 だからきっと、見て見ぬ振りをするのが一番に正しいのです。

 それに今は他にやるべきことが沢山あります。

 ええ、そうです。

 タナカさんの洗濯物を取り込まなければなりませんから。

「……そうですね。急ぎましょう」

 少しばかり歩みを早くして、私は干し場へと向かいました。

 干し場は学生寮から出てしばらく歩んだところにあります。一応、各寮に専用のスペースが設けられており、ここの寮に付随する干し場はその中でも一等に広くて利便性が良いのだと伺いました。

 確かにとても使いやすく作られています。

 貴族様の利用される空間だけでなく、使用人の関わる施設にまで気配りの行き届いた設計となっているようです。どのような方が行ったのかは知れませんが、下々の者としては嬉しい限りですね。

 タナカさんの臭い下着を洗うにしても、多少は気分良く洗えるというものです。

「さて、さっさと取り込んでしまいま……」

 幾つも並ぶ干し竿の一つに向かいます。

 当然、今日はお日様の具合も良く、カラカラに乾いた衣服を想定しておりました。

 しかしながら、私の目に飛び込んで来たのは、地に落ちて足跡だらけになったタナカさんの衣服でした。洗う前よりも汚くなっています。

 人の手により行われたことは間違いありません。

「…………」

 ふっと思い浮かんだのは、今朝、廊下にぶつかり口論となったメイドでしょうか。学園へ出向してから数日の身の上、仮に犯人がいるとすれば、彼女くらいしか思い当たる節がありません。これだから年を召した方は嫌いなのです。やることなすこと陰湿です。

「……内緒で一緒に洗った私の服は無事のようですね」

 質の良い洗剤を利用できるとあって、ついつい洗ってしまいました。

 流石は貴族様御用達の品、こちらは非常に綺麗な仕上がりです。

 とは言え当面、自分の服をここで洗うのは避けた方が良さそうですね。

「…………」

 空を見上げれば、残すところ下がるばかりのお日様が窺えます。

 今から洗っても今日中には乾かないかも知れません。

 部屋の中に干して臭くなっても困りますし、今日のところは断念でしょうか。

「明日、まとめて洗いましょう」

 それが良さそうですね。

 地に落ちたタナカさんの衣服を回収して、私は部屋に戻ることとしました。



◇◆◇



 アレンとの問答を終えた俺は、街へ出たついでに衣服や下着、生活雑貨の類いを買い込むこととした。これまでに買い込んだ大半をエディタ先生宅において来てしまったので、その辺りはゼロからのスタートというやつだ。

 学生寮に住まう学生としては、同所専属だというメイドさんにお願いするのが、正しい調達フローなのだろう。だが、ソフィアちゃんとの良好な交友関係を思えば、この程度は自ら行うのが良いだろうと判断した次第である。

 それに何よりファンタジーな世界でするお買い物は、想像した以上に楽しい。どれもこれも目新しいから、思わず無駄遣いをしてしまうよ店員さん。ソフィアちゃんへのお土産だけでも、袋一つ膨らんでいる。

 ドラゴンの一件で暖まった懐具合も手伝い、あっちこっちと店を巡ること半日ばかり。回復魔法を用いれば足は疲れ知らず。おかげで帰宅する頃には日も落ちて、完全に夜の態となっていた。あと小一時間もすれば就寝時刻だろうか。

「ただいまー」

 玄関を抜けて先、多少ばかりの廊下を経てリビングへと至る。

 そこで俺は想定外の手合いに遭遇だ。

「お、遅かったじゃないっ」

「……どうして貴方がここに?」

 何故かエステルちゃんがご在宅である。

 一瞬、部屋を間違えたかと思った。けれど、傍らには金髪ロリータの為に茶請けの用意などしているソフィアちゃんの姿もあるから、それはないだろう。

「同級生と交友を深めるのは学園の生徒として、と、当然じゃないかしら?」

「だとしても夜遅くに異性の部屋を訪れるのは健全じゃないですよ」

「えっ? あっ、えっ、あのっ、そ、そういうのがお好みかしらっ!?」

「…………」

 途端、顔を真っ赤にする金髪ロリータ。

 チラチラと視線がこちらの下半身へ向けられる。

 やばい、勃起しそう。

 異性からの視線って、ここまで露骨に分かるものなのね。

「ソフィアさんも一緒ですから、万が一にも起こり得ませんね」

「あの、わ、私でしたら、すぐに部屋へ引っ込みますが……」

「ソフィアさん、そこは気を利かせる必要などありませんから」

 どうすんだよこれ。

 いよいよ俺の聖なるソーセージが、ロリビッチのダークネス・アワビへ飲み込まれてしまうのか。これ以上を誘惑されては、童貞風情が長らく耐えられるとは到底思えない。

 しかし、これに耐えなければ俺の人生からソフィアちゃんルートが失われてしまう。メイド服姿の彼女に日々を白い目でジロジロと見つめられながら生活する毎日だなんて。

「……それはそれでアリだな」

 冷静なところが正しい判断を下す。

 とは言え、エステルちゃんの穴は一度ハマったが最後、地獄への片道切符だ。

 彼女のパパさんに情事がバレようものなら、ペニー帝国での生活は失われたも同然である。一人娘との話だし、或いは隣国へ逃げた程度では追っ手が来るかも知れない。それは健康で文化的な生活を所望する市民には些か敷居が高い。

 なによりメイドさんともお別れしなければならなくなる。

 もしも迫ってくるのがソフィアちゃんだったら、あぁ、俺は何の迷いもなく朝から晩までずっとパコパコしまくりの受精させまくりの責任取りまくりで、日々を彼女の為に一生懸働きまくりの人間ATM爆誕となったろう。

 まくりもまくりだ。

 世の中、上手くいかないものである。

「あ、貴方が望むなら、私は別に三人でしても……」

「ぶっ……」

 なんとぅっ!?

 これこそサキュバスの血が為せる技かっ!

 すっげぇグッと来た。心が打ち震えた。

 震度九、マグニチュード八コンマ二七〇。

「フィッツクラレンス様、そ、それだけはご勘弁ください……」

 が、超絶嫌そうな顔でソフィアちゃんに拒否された。

 ルート攻略はまだまだ遠いな。

「別にエステルで良いわ。姓は呼びにくいでしょう?」

「え? あ、あの……」

「嫌なら強制はしないけれど」

「いえ、お、お気遣いをありがとうございます。エステル様」

「貴方は彼のメイドだから特別よ! 共に戦った戦友でもあるのだしっ!」

「は、はい……」

 どうやら多少なりとも交流があったらしい二人。先日までのドラゴン退治の折、飛空艇の中やペペ山での待ち時間に言葉を交わす機会があったのだろう。

 俺は船室に引き籠っていたり、クリスティーナにフルボッコされていたりと、彼女たちから離れていた時間が長いので詳しいところは知れないが。

「あの、エステルさま……」

「なにかしら?」

「あ、後で少しお話ししたいことが、あるのですが」

「ここではダメなの?」

「……はい」

「そう? 分かったわ」

 しかも意外と仲が良さそうなツンデレロリと面食いメイド。

 これを微笑ましいと感じてしまうのは、俺が彼女らと比較して年を重ねている為だろう。保護者意識というやつだ。もしもこの場にエディタ先生が同席していたら、或いは同意してくれるだろうか。あの人、見た目と実年齢がスーパー離れてるし。

 とは言え、あまり長らく彼女を部屋に留めておくのは良くない。

 今後、アレンとエステルちゃんが仲直りした際、俺という存在が介在した事実を二人に意識させることは、主に前者の心象を悪くする。彼は下半身のフリーダム具合を除けば非常に人格優れた人物であるからして、今後とも良い関係を続けていきたい。

 だからこそ、エステルちゃんとの不用意な接触は避けるべきだ。

 ということで進言を一つ。

「ところで、そろそろ自室に戻りませんか? アレンさんも貴方の心配をしておりました。あまり不用意に私の部屋を訪れるべきではないと思うのですが」

「アレンは関係ないわ」

「本当にそうでしょうか?」

「ええ、そうよ」

「しかしですね、彼はあんなにも貴方のことを愛している訳で……」

 昼にも思った。

 どうして俺は必死になって、イケメンとビッチの間を取り持っているのか。

 ちょっと悲しくなってきたわ。

 すると、どうしたことか。彼女は感極まった様子に続けた。

「私はアレンのことをなんとも思っていないわ。そして、これを他の誰よりも正しく伝えたいと思う相手が、そ、その、あ、あ、あっ、貴方なのだからっ!」

「…………」

 アレンのヤツ、こんな可愛い子に、こんな可愛いこと、いつも囁かれてたのか?

 有り得ないだろ。

 今のとか、本格的にヤバい。

 異性から潤んだ瞳に見つめられた経験なんて初めてだわ。

 思わず心が満ち足りて、もの凄く優しい気分になってしまったわ。

 性欲すら引っ込む悦びだわ。

「ソフィアさん、エステルさんにお茶のお替わりをお願いできますか?」

「え? よろしいのですか?」

「はい。たまにはそういう気分に浸りたくなることもあるでしょう」

「……わかりました」

 致し方なし、少しくらいは我慢してあげるとしよう。

 どうせ二、三日も経てば、再びイケメンの下へ羽ばたいてゆく渡り鳥ちゃんさ。今という時間はちょっとした羽休め。きっと愚痴る相手が欲しいだけなのだ。ただ、このツンデレは性格がねじ曲がっているから、それが今のような形で落ち着いているに違いない。

 私だけを見てくれないと不倫しちゃうぞ、みたいな。

 どうせ一週間もすれば、また舌打ちするようになるさ。

「お持ちしました」

「ありがとう、ソフィア」

「い、いえ……」

 優雅に茶をしばく金髪ロリータ傷心系。

 こうして眺める分には大した害もないし、良しとしよう。二人きりにならなければ、なんてことはない。自室で会う際には、自制の意味でも必ずソフィアちゃんを伴うことにしよう。ソフィアちゃんさえ一緒なら俺は常に紳士でいられる。

「あら? これって、どこかで飲んだような気がするのだけれど……」

「あ、そのお茶はタナカさんが取り寄せられたものです」

「そうなの?」

 エステルちゃんに問われる。

 別に隠すようなことでもないので素直に答えた。

「えぇ、以前に学園のカフェで口にしてから気に入っておりまして」

「あ……」

「如何しました?」

 金髪ロリータの表情が何やら驚いたように強ばる。

「そ、それって、も、もも、も、もしかして学内で貴方と出会った店かしら?」

「覚えてましたか」

「そんな、あの時のお茶だなんて……そんな、わ、私……」

「…………」

 予期せず金髪ロリータの弱いところをお茶の一杯がクリティカルヒットの予感。

 ソフィアちゃん共々、今度はどうしたとばかり続くところに生唾をゴクリ。

「もしかして口に合いませんでしたか? であれば別のものを……」

「いいえ、とても美味しいわ。それはもうゴクゴクと飲んでしまうわ」

「あ、ちょっ……」

 自ら語るところに偽りなく、煎れ立ての熱々を一息に飲み干す金髪ロリータの喉が誇る耐久力はサキュバス由来で間違いあるまい。過酷なイラマチオにも耐えうるよう設計されているのだろう。流石の淫乱属性だ。

 数秒と掛からずカップは空となった。

 カツン、上品な立ち振る舞いでソーサへ器を戻しては一声。

「ソフィア、お替わりをお願いできないかしら?」

「はひっ、わ、わ、分かりましたっ」

 怯えるソフィアちゃんに速攻でお替わりを注文である。

 彼女は甚く戦いた様子で、駆け足にキッチンへと向かっていった。

「……あの、口の中は大丈夫ですか?」

「私も今日からこのお茶が大好きよ」

 ニコリ、良い笑みで返された。

「そ、それはなによりで」

 良いところのお嬢さんが考えることはよく分からない。

 まあ、当人が良いと言うのだから良しとしようか。

「ところで、もう食事は済ませてしまったかしら?」

「いえ、まだですが」

「そ、それなら、私の部屋で一緒に……」

 両手の指を挟んだ上で、太股を摺り合わせながらのご提案。

 会心の上目遣いが迸る。童貞マインドにダメージ五千。

 嘗て無いモジモジ具合を披露するエステルちゃんからの問い掛け。

 その最中に事は起こった。

 パァンと甲高い音と共に窓ガラスが割れた。同時にカーテンを切り裂いて何者かがリビングへと侵入してきたのである。音が響いてから、侵入者がダイニングに所在する我々の下まで辿り付くは一瞬の出来事だった。

「っ!?」

「なっ……」

 我が家のティータイムに飛び込んで来たのは、全身黒尽くめの手合いである。男性とも女性とも知れない。唯一、確かに判断が出来るのは、その手に握られた刃物がエステルちゃんを狙っているということだ。

 まさかのサプライズに我々はフィーバーだ。

「エステルさんっ!」

 反射的にエステルちゃんへ持続型の回復魔法を掛ける。

 掛け値無しの全力。

 本気。

 或いはクリスティーナ戦以上の入魂。

 MPがゴッソリと持って行かれる感覚。

 フラっときた。

 然りとて万が一なんて嫌すぎる。

 それに以前、自分は彼女に偉そうな口を叩いてしまった。どんな時でも助けるとか、誰が相手でも助けるとか。であれば、一度でも口にした約束は守らないと駄目だろう。信用問題である。

 っていうか、連日に渡り結婚してと連呼されたら、仮に結婚しなくても、それくらい義務である。むしろこんなブサメンに構って下さりありがとうございます。ちくしょう、貫通済みの癖に可愛いんだよう。

「取ったっ」

 黒尽くめが呟く。どうやら男性であったよう、野太い声が響いて聞こえた。

 手にした刃物は深々と、彼女の首筋に突き立てられていた。

 刃先は黒く塗られている。毒の類いだろうか。

 かひゅっと短い呼吸の音に混じって、大量の血液がエステルちゃんの可愛らしい口から、切断された首から、一挙に吐き出される。大凡、人が負っては助かること叶わない大怪我だろう。出血量からして持って数秒、ショック死は免れまい。

 皮膚が大きく破れたことで、一瞬、首が太くなったような錯覚を得る。

 これはもう駄目かもと、思わないでもない。

 だがしかし、神様印の回復魔法を舐めちゃいけない。

 その効能は自らもまた命を救われることドラゴン相手に幾百回と。

「あっ、がっ……はっ……」

 悶えるエステルちゃんに変化が訪れる。

 凶器が引き抜かれると同時に吹き出す鮮血。真っ赤なそれがリビングを赤一色に染め上げる。大量の出血。けれど、彼女は決して倒れない。自らの足に一歩を踏み止まるだけの余裕を得る。

 こちとら全力だからな。万が一にも倒れさせてはなるものか。

「っ……あっ、あ……あ……あれ、な、に、これ……」

 瞬く間に膜無し少女の傷口が塞がってゆく。断絶した血管が下の形を取り戻し、出血は早々に失われて、破られた皮膚が下の艶と張りを取り戻せば、そこには裂傷の後など微塵として窺えない。残るのは血液の濡れだけだ。

 ざまぁみろ。

 これは侵入者も驚愕。

 その間に俺は動いて、正体不明の黒尽くめに魔法をお見舞いだ。

「ふんぬっ!」

 決まった。

 ファイヤボール決まった。

 バレーボール大の火球が飛び出して、男の膝から下を即座に蒸発させる。

「ぎゃぁああああああああああああ」

 酷たらしい悲鳴が一室に響き渡った。

 支えを失った身体はドサリ、その場に倒れる。肉が溶けて血管を塞いだのだろう。出血こそ大した量ではない。事情を確認するにせよ当分は保つだろう。しかしながら、痛みは相応であったよう、晒す表情は苦痛に深く歪んでいる。

「エステルさん、大丈夫ですかっ!」

 男の傍ら、金髪ロリータの下へと駆けつける。

 急な出血にふらついていた彼女の身体を胸中に抱き留めた。

「あっ……」

 洩れる金髪ロリ吐息。

 それは想像した以上に軽くて、尚且つ、与えられるぽにゃぽにゃと柔らかな肉の感触は、異性の胴体に触れたのだという事実を否応なく意識させる。

 服の生地越しに感じる暖かな体温を意識して、凄い勢いでドキドキしてきたぞこのやろう。ロリッ子の体温が高いって本当だったんだなちくしょうポカポカだ。

「呼吸は行えますか? 息苦しさはありませんか?」

「え、えぇ……これが、貴方の回復魔法……」

「意識はハッキリしていますか? 視界は滲んでいたりしませんか?」

「あなたの素敵な顔が近くにある。よく見えるわ。凄くかっこいい……」

「どうやら視界に混濁があるようですね……」

 些か気掛かりな回答だけれど、一命を取り留めたのは確かだろう。

 であれば後はどうとでもなる。

 良かった。いやもう本当、マジでビビったわ。

 お化け屋敷で急に飛び出してくるタイプのお化け級にビビったから。

「あの……、あ、あ、ありが、とう」

「いえいえ、どう致しまして。エスエルさんが無事で何よりです」

「……わたし、が?」

「ええ」

「そんな……私なんて、貴方と比べたら……」

 意識も確かに答える様子へ安堵を覚える。

「…………」

「…………」

 一頻りを他人行儀なやり取り。

 都合、ややあって会話に間が空いたところで、慌て調子に先方が続ける。

 ハッと何やら気づいた様子だ。

 それまでとは一変して、酷く覚束ない振る舞いで。

「つ、つつ、次は絶対に! 必ず貴方の手は煩わせないからっ! や、役に立ってみせるからっ! 貴方の役にっ! だからっ、あ、あ、あのっ……そのっ……」

 語る顔は真っ赤。

 感謝や謝罪の言葉にも増して、自らの有用性を訴えるエステルちゃん。

 一連の様子は、下手にあれこれ感謝の言葉を並べられるより、遙かに胸に響いて、なんというか、こんなに健気な子だったっけ? 思わないでもない。

 ここまで良い子に惚れられていながら、アレンのヤツはどうして他へ現を抜かせるのか、私にはまるで理解ができませぬ。

 或いは自身がヤリチンであったのなら、世界は円満な帰結を迎えたろうか。

「あの、な、なにか凄い音がってっ……えっ!?」

 そうこうする間にキッチンからソフィアちゃんが戻って来た。両手に支えられた盆の上、湯気を上げるカップが一つちょこんと乗っかる。

 彼女はリビングの惨状を目の当たりとして、悲鳴染みた声を上げた。

「な、ど、どどどど、どうなっているんですかっ!? あのっ! ま、真っ赤じゃないですかっ! 血っ! 血がっ! エステル様? エステル様ぁっ!?」

 彼女の指摘通り、我が家のリビングは血で真っ赤だった。

 その出元となるエステルちゃんも、事情を知らぬ者が見れば大怪我を負って思える。

「事情の説明は後でします。まずはそこの男を……」

 エステルちゃんの肩越し、倒れた男へと視線をやる。

 すると、どうしたことか、彼は手にした刃物を自らの首へ向けて。

「くっ、はぁっ……」

 エステルちゃんに対して行ったのと同様、今まさに突き刺し、抉り、ただでさえ真っ赤なリビングを殊更に赤く染め上げてくれた。

 金髪ロリの血液だけならば、後でペロペロすることも魅力的な選択だったろうに、野郎ブレンドじゃあそれも叶わない。なんて勿体ないことをしてくれたんだ。

「…………」

 多少ばかり痙攣を繰り返した後、男の身体は早々に動かなくなる。

 やられる前にやられろの精神。どうやら自殺されてしまった模様。

 大した鉄砲玉根性だろう。

「この場合、どこへ連絡を取れば良いのでしょうか?」

「い、いえ、あの、わ、私に聞かれましても……」

 ものの試しとメイドであるソフィアちゃんに尋ねてみたところ、今にも泣き出しそうな顔で狼狽された限り。流石にこの手の騒動はマニュアルにないようだ。

「とりあえず、エステルさんを部屋へお連れしましょうか」

 エステルちゃんちのメイドさんにお伺いを立てることとした。



◇◆◇



 場所をエステルちゃん部屋に移して一頻り。

「も、申し訳ありませんでしたっ!」

 我が家と同じ間取り、リビングの中央、ソフィアちゃんが真っ青な顔で土下座をキメていた。彼女の正面にはソファーに腰掛けて、湯に湿った髪をバスタオルに拭うエステルちゃんの姿がある。

 その背後には彼女の行いを手伝うよう、他にタオルを手にして髪を拭うソフィアちゃんとは別、この部屋お付きだろうメイドさんの姿が。残る若干一名、俺はと言えば、これを正面から別にソファーへ腰掛けて眺めている。

「別に構わないわっ」

「ですが、そ、その、私は……」

 なんでもソフィアちゃん、エステルちゃんが何某かに狙われていた事実を学生の噂話に耳としていた模様。これを当人に知らせることなく過ごしていたことを、つい今し方に自ら口としては、こうして頭を垂れている。

「っていうか、それも私に黙っていればバレなかったんじゃないの?」

「いえ、ですが、その……」

「もしかして、私に話があるというのは、このことだったのかしら?」

「……はい」

「つまり貴方は私に告げる意志が、元よりあったということよね?」

「は、はい」

「それなら謝る必要などないわ。むしろ、どうして私が狙われたのか、貴方は貴重な情報を持って来てくれた。感謝こそすれど非難するなどお門違いだわ」

「エステルさま……」

 安堵の表情を浮かべるソフィアちゃん。

 彼女の口から伝えられたのは襲撃の予報と、その理由である。前者は既に過ぎた事実である一方、後者は我々が今何よりも欲しているところであった。

 なんでもエステルちゃんが王様より下賜された領土を巡る利権が根底にあったよう。しかし、大貴族の娘に対して刺客とか、想像した以上に貴族という生き物は過激だな。

 そして、この部屋にもまた、過激な貴族の娘が一人。

「しかし、この私の命を狙うなんて、誰だか知らないけれど良い度胸ね」

 ニィと口元を大きくつり上げて、なにやら楽しげな表情を浮かべてみせる金髪ロリータ。つい先程に殺されかけたというのに、全く怯えた様子が無い。

 思えばドラゴンを前にして、いの一番に特攻してみせたのも彼女だ。

 俺なんかより余程のこと度胸がある。

 貴族というのは、これくらい肝が据わっていないと務まらないのかもしれない。

「レベッカ」

「はい、お嬢様」

「このことはお父様に言わないで頂戴」

「……よろしいのですか?」

「私はフィッツクラレンスの娘よ? この程度、自分で解決してみせるわ。でなければ、いつになったら冒険者に戻れるか分かったものじゃないじゃない」

「しかし、これで終わりとは限りませんが」

「終わり? 終ってしまっては困るわねっ! 次は確実に捕らえて、首謀者を吐かせてみせるわ。この私に楯突いたこと、必ず後悔させるわ!」

 伊達にアレンやゾフィーちゃんを巻き込んで冒険者していない。

 負けん気の強いお嬢様である。

 ところで、彼女のお付きのメイドさん、名前をレベッカさんというらしい。シニヨンのよく似合う知的でクールな眼差しは、メイドで在りながら同時に秘書足り得る気配をビンビンに放って思える。

 更にソフィアちゃんを圧倒するボリュームの胸、ムッチリと肉を湛えた尻。一方で引き締まった腰回りと相まっては、マッハ即尺ご奉仕からの激しいバックに生中出しを一時間五万円でも惜しくないな。

 いや、十万までなら出せる。

 二回戦はこちらが疲弊したところ、女性優位での騎乗位にガッツリ絞られるようなネチっこくも激しい腰使いを希望だ。ああ、最後にはメイドさん属性を存分に発揮したご奉仕特濃フェラをメガネ装着の上、上目遣いプラスでお願いしたい。

 込み込み総額二十万。

 いいだろう。

 お願いします。

「ちょっと、貴方、どうした?」

「え?」

「レベッカになにか気になるところでもあったかしら?」

「あ、いいえ、なんでもないです。お気になさらず」

 いかん。見とれてしまった。

 主戦場はロリだが、巨乳もイケるハイブリッドなのだよ。俺は。

「とりあえず、今晩は私が警備に立ちます」

 誰に何を言われるまでもなく、先んじて立候補する。

「え、警備って……」

 これには流石の金髪ロリータも酷く驚いた様子で問い返す。

 今まで適当にあしらってきたが所以だろう。

「寝室にはリビングと違い窓がありません。ですので侵入があるとすれば、壁を破壊でもしない限り、ドアからとなるでしょう。部屋の中に入れろとは言いませんので、すみませんが、今日のところは私を廊下に立たせて下さい」

 割と真面目にお願いしてみる。

 約束は約束だ。

 例え一方的な宣言であったとしても、最後まで守らなければならない。

「それは承諾出来ませ……」

「わ、分かったわっ!」

 レベッカさんが何か言おうとしたところで、エステルちゃんが吠えた。

「別に、へ、部屋の中でも良いわっ! ベッドの中でもっ! なんなら、わ、わわわ、私のなかだって、一向に構わないのだからっ! 果ててしまってもっ!」

「いえ、廊下で結構ですよ」

 どんだけシたいんだよこのロリビッチ。

 そんなに欲求不満ならさっさとアレンと仲直りすれば良いだろうに。

「廊下に一晩中? そんなの大変じゃないっ! 疲れてしまうわ!」

「ですが確実です」

「ベッドの方が、や、柔らかいわよっ! それに、い、い、いろいろできるし……」

 俺なんかを見つめてくれるエステルちゃんの目がオヤジだ。

 餓えに餓えた中年オヤジの目だ。

 これを目の当たりとしては、レベッカさんも彼女の容態を理解したよう。

「分かりました。タナカさん、でよろしかったでしょうか?」

「あ、はい」

「お手数ですが朝までエリザベス様の護衛をお願い致します。もちろん、部屋では私も万が一に備えますので、そこのところをご理解して頂ければと」

「貴方の主人を傷つけるような真似はしませんよ」

「今はその言葉を信じさせて頂きます」

 どうやら彼女はエステルちゃんの貞操を大切に思っているよう。

 まさか既に男の味を覚えているとは夢にも思うまい。

 不憫なメイドさんだ。

「ちょっと待ちなさいっ! 私はなんら構わないのよっ!? ねぇっ!?」

 そんなこんなで今晩は徹夜決定である。

 最近、やたらと過酷なライフサイクルが増えた気がする。



◇◆◇



【ソフィアちゃん視点】

 エステルさまへの襲撃から一夜が過ぎました。流石に一晩で幾度も襲われることはなく、最初の騒動以後は取り立てて何事もなく朝は訪れました。今日も雲一つない快晴、洗濯物が良く乾きそうな日和です。

 タナカさんは一晩を寝ずの番に過ごして、今は自室に眠っています。エステル様は授業に向かわれました。ちなみにレベッカさんも一緒です。なんでも彼女は元ランクAの冒険者とのことで、メイドの他に護衛としてもピカイチとのお話でした。

 これは心配というより純粋な疑問なのですが、タナカさん、授業に出席しなくても大丈夫なのでしょうか? 私が寮へ訪れて以降、一度も出席された感じがありません。毎日、帰宅の折には街の露店で購入したと思しきお土産を下さるので間違いありません。

 ちゃんと卒業できるのか甚だ疑問ですね。

 まるで道楽で学園に通っているようです。

 如何に上流貴族様の為の学校とは言え、そのあたりは非常に厳しいらしく、無学な学生はどれだけ偉い方の師弟だろうとも落第するのだと、私も噂に聞いた覚えがあります。なんでも学園に大きな力を持つ貴族様の意向だとか。

「…………」

 まあ、いずれにせよ私のような一介のメイドには無関係なお話ですね。

 それよりも今はご飯です。ご飯。

「今日もメイドは身分に不相応なご飯を頂きましょう」

 現在、私は寮の廊下を歩いています。両手には車輪の付いた金属製のワゴン。本来であればメイドが主人の為に押すものですが、これを私は自分の為に押しています。ワゴンの上には皿へ盛られた豪勢な料理が所狭しと並んでおります。

 寮の一階にある厨房へ食事を取りに向かった帰り道ですね。

「もしも家だったら、今頃はお客さんが入り始めた頃でしょうか……」

 何気なく呟いては、ここ数日を離れる実家を思い起こします。

 私が抜けて店はちゃんとまわるのでしょうか。

「…………」

 いいえ、考えたところで意味はありません。

 ああも簡単に実の娘を余所へ放り出した親のことなど、ええ、そうですとも、心配などしてやるものですか。先日には父親から借り受けたブーツを着用したことが原因で、足の病気を貰ってしまいました。連日、痒くて痒くて堪りません。

「えぇ、知りませんとも」

 少なからず不快な気持ちになったところ、これを払拭するべく、少しばかり歩調を早めては自室を目指します。流石に今日はタナカさんも昼食の席には現れないでしょう。部屋を出る際に、ちらり様子を窺ったところ、深く眠っていました。

「こうして運んでいるだけでも、良い匂いが漂ってきますね」

 堪りません。

 今日のご飯も美味しそうです。

 流石は貴族様向けのご飯ですね。

 悠々自適に頂く美味しいご飯こそ、この仕事の醍醐味だと私は思います。そうです。それこそが学園メイドの至福なのでしょう。他の方はどうだか知れませんが、私にとっては間違いありません。

 自然とワゴンを押す手にも力が入るというものです。

 そうした最中の出来事でした。

「っ……」

 不意に通りの角から、自分と同じメイド姿の誰かが飛び出してきました。

 咄嗟、両手に押すサービスカートを引きます。ギリギリのところでお昼ご飯を守りました。他方、相手は飛び出した勢いを殺しきれず、そのまま正面に転がっていきました。顔から床に突っ込む形です。とても痛そうです。

「……あの、大丈夫ですか?」

 まさか無視する訳にもいかないので、それとなく声を掛けます。

 すると、その顔はこちらも見知った相手でした。

「あっ……」

 いつだか私と身体をぶつけて、廊下に洗濯物を撒き散らしたオバサンです。

「……ちょっと、貴方」

「な、なんでしょうか?」

 彼女は鬼のような形相に起き上がり、私の下へ歩み寄って来ました。

「新入りの癖に随分とデカイ顔をしてくれているじゃない」

「…………」

 なんの捻りもありません。

 きっと擦り剥いた額の傷が、彼女を直情的にさせているのでしょう。血が滲んでいます。ここの寮は壁も床も総石造りですから、転ぶと痛いのですよね。随分と擦れたようで、尾を引きそうな怪我に思えます。

 今のは出会い頭の衝突というより、あからさまに体当たりでした。

 自業自得ですよね。

「ちょっと、何か言ったらどうなの?」

「あの、わ、私は仕事中ですので……」

 この手のヒス持ちオバサンは関わるだけ馬鹿を見る手合いです。

 早々に場を後とすべく、ワゴンを押す手に力を込めます。

 すると、車輪の前に彼女の足が差し出されました。

 厚みのある革靴に引っかかり、それ以上を前に進めなくなります。

「貴方も私とお揃いにして上げるわ」

「え?」

 オバサンが急に動きました。

 片足にワゴンを止めたまま、もう一歩の足が脇からこちらへ向かい、大きく踏み出されます。何事かと驚いている間、彼女の腕が大きく振り上げられました。

 あ、これ殴られるな、って思いました。

 避けようとも考えましたが、身体は動きませんでした。

 瞬く間に迫った平手は、パァン、小気味良い音を立てて私の頬を叩きました。想像した以上に勢いが付いており、蹈鞴を踏んでしまいます。

「っ……」

 危うく倒れるところでした。

 ワゴンに縋るよう腕に力を込めて、危ういところに堪えます。食器の上に乗っていた蓋がずれて、盆の上に外れ落ちました。スープものが大きく湯面を揺らしては、あぁ、ちょっとですがこぼれました。

「ふんっ、覚えてなさい? この私に逆らったこと、必ず後悔させてあげるわ」

 オバサンは一発を与えて満足したのか、すぐに去って行きました。或いは誰かに見咎められるのを恐れたのかも知れません。如何にメイドとしての経歴が長かろうが、学園におけるヒエラルキーは最底辺に違いありませんから。目くそ鼻くそというやつですね。

 故に苛めの類いはヒッソリと陰湿に行われるのです。

「……い、痛い、ですね……」

 小走りに去って行くオバサンの背を、廊下の角に見送りました。

 ジンワリと熱を持って疼く頬を片手に撫でます。

 同時、鼻の奥から溢れ出した熱いものが、勢い良く穴から噴出しました。

 鼻血です。

「っ!?」

 それは不幸にもワゴンの上に乗っていた料理へ向かいました。よりによってホワイトソースに作られたシチューへと垂れてポタポタと。あぁ、なんということでしょう。白の上に赤が斑となり浮いています。

「…………」

 あのオバサン、許せません。

 私の唯一の楽しみをこんな形で奪うなんて。

 悔しいです。悔しすぎます。

「…………」

 とりあえず、これは部屋に持ち帰りましょう。

 その上でもう一度、お替わりを貰いに向かうのが良いです。ワゴンに湯気を上げる料理を乗せたまま、調理場へUターンしたのでは不自然でしょう。そこに血液が付着していたら要らぬ誤解を受けそうです。

 当面はタナカさんが大食らいという設定を通すべきですね。

 鼻からの出血をエプロンの裾に抑えつつ、私は自室へと急ぎました。



◇◆◇



【ソフィアちゃん視点】

 大変です。部屋に戻ると、タナカさんが起きていらっしゃいました。

 更に彼は昼食を所望しておりました。朝食を食べずに眠られたので、当然といえば当然でしょうか。私の前でもクーと無駄に可愛らしい腹の音を聞かせてくれたりして、ちょっとイラッときました。だって私より可愛い音でした。私のはグギューと鳴きます。

 だから、そんな彼が昼食を運ぶワゴンを目の当たりとしては、続くところ、話の流れなど決まっております。ええ、そうなんです。そういうことなのです。困ったことに廃棄予定だった私の鼻血入りのシチューが、今まさにタナカさんのお口へと。

「ん? これなんか変わった味ですね」

「は、はい……」

「このホワイトソースの上に乗ったアクセントが面白いと思いませんか?」

「はいぃ……」

 タナカさんが、わざわざシチューの上に垂れた血を、スプーンの先に掬って口に運びます。せめて周りの白いところも一緒に食べてくれたのなら、少しはごまかしも利くでしょうに、流石にこれではバレてしまいそうです。

 主人に血入りの食事を出したことが知れたら、きっと大変な騒ぎになります。メイドの身分であれば、問答無用で処刑されてしまってもおかしくありません。少なくとも私の知っているメイドとはそういったものです。

「なんとも不思議な味ですね」

「そ、そうでしょうか?」

「どこかで口にしたことがあるような……」

「…………」

 味を確かめるよう、またスプーンが私の血に。血に。

 あぁ、タナカさんに血を、飲まれてしまっています。

「…………」

「あの……私の顔に何かついていたり、するのでしょうか?」

「いえ、な、なんでもないですっ! す、す、すみません」

「……そうですか?」

 ついつい向かいの席、彼の顔を凝視してしまいました。

 昨日に同様、タナカさんからは昼食に同席を誘われました。しかしながら、もう一食を食堂へ取りに向かっては、シチューの差違が発覚してしまいます。仕方なく、私は既に食事を終えた後である旨、お伝えすることで乗り切りました。

 斑シチューはタナカさんの分として確保したのだと訴えた次第です。

 かなりギリギリな言い訳でしょう。だって冷めてしまいます。

 しかし、素直な彼はこれを非常に喜んでくれました。それはもう無邪気なほど。徹頭徹尾、騙してしまっている状況が、少なからず申し訳ないと思いつつも、既に口としてしまったシチューのアクセントの出所をお伝えする勇気が私にはありませんでした。

 ちなみに自身はといえば、正面の席に腰掛けて空腹を茶の湯に濁しています。

「このシチュー、とても美味しいですね」

「っ……」

 また、タナカさんが私の血を口へ運びました。

 ああぁ、私の血が、また、彼のお腹の中に下ってゆきます。

 その光景を目の当たりとしていると――――。

「…………」

 なんでしょう、この感覚は。

 タナカさんが私の血液を口にする都度、胸の内がじゅんと熱く疼くのを感じます。イケないことである筈なのに、それを好ましく思っている自分が、確かに存在するのです。顔がカッカとして頬の熱くなるのを感じます。

 あのオバサンに殴られたせいでしょうか。

 いえ、痛みは既に引いています。

 であれば、この興奮は一体、どこから与えられるものなのか。

 粗相がバレることを恐れ、焦っているのでしょうか。

 いいえ、むしろこの心地は、もっと別の、他の好ましい何か。

「あの……ソフィアさん? 少し良いでしょうか」

「はっ、はひっ! なんでしょうかっ!?」

 急に声を掛けられて驚きました。

 食卓から顔を上げたタナカさんが、私をジッと見つめていました。

「無理に食事の席へ誘った手前、こういうことを言うのは申し訳ないのですが、疲れているのであれば、今日のところはお休みされた方が良いのではと。残っている家事の類いは私の方で済ませておきますから」

「いえ、あの、べ、別に、そういう訳では……」

 いけません、色々と顔に出ていたようです。

「そうですか?」

「は、はいっ」

「であれば良いのですが、昨日の今日ですから、ソフィアさんも心が緊張されているのだと思います。この部屋にいる限り、二度の昨晩のような不幸は起こさせませんので、どうか安心して休んで頂けたらと」

「…………」

 どうやらタナカさん、私を気遣ってくれているようです。思い起こしてみれば、彼は意外と細かなところまで気の利く人ですよね。ドラゴン退治の道中でも、あれこれと面倒を見て貰った覚えがあります。

 一方で私はと言えば、斑シチューの事で頭がいっぱいでした。エステル様には申し訳ないのですが、今この瞬間に限っては、昨晩の一件など完全に頭から離れておりました。この部屋で人が一人死んだことすらもスッカリでした。

 あ、ちなみに掃除は専門の人が魔法でやってくれたので、部屋は綺麗です。

「いえ、あの、ほ、本当にだいじょうぶですので……」

「では辛くなったらすぐに仰って下さい。お願いします」

「……は、はい。ありがとう、ございます」

 なんでしょう、この罪悪感を感じると共に、もっと沢山、タナカさんのシチューにポタポタしておけば良かったと後悔している自身の浅ましさは。

 色々と堪らないのです。

 タナカさんは自分が何を食べさせられているのか、まるで気付いていません。

 そう、本当に何も知らないのです。

 メイドである私が用意した食事に一切の疑いなく手をつけているのです。

「あの、もし食べ足りないようであれば、私の分も食べますか?」

「いえっ、け、結構ですっ!」

「……そう、ですか」

 私が食べても意味がないのです。

 タナカさんが食べるから、意味があるんです。そう、あの大きなドラゴンすらも倒して見せたタナカさんが、何も知らずに私の血などを、美味しい美味しいと口にしているから、こんなにも私は胸が疼いてしまうのです。

 飲食店の娘としてはあるまじき心象です。

 あぁ、本当、これはどうしたことでしょう。

 凄く興奮します。

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