郷愁と決別
「今日のご飯は、最高においしかったな」
私の肩の上で、蛇は上機嫌だ。
見つかった呪いを解くためにやってきた隣国で、たらふくそれを食べたせい。こちらからしたらやっかいな呪いだったけれど、蛇にとっては質量ともに最高だったらしい。
呪いに最高って言葉もどうかと思うけれど。
「これでしばらく食事をしなくても持つな」
しみじみとした口調で蛇は言う。
確かに、解呪魔法が効かないような呪いは滅多にない。
ちょっとした、私でも解呪出来るようなものならば、割と普通にあるけれど、それでは腹の足しにはならないらしい。
「後は、連盟に連絡して、滞在先で待っていてくれている護衛の騎士さんと合流して、おしまいだね」
最近の私と蛇は、国内に呪いが減ったせいで、陛下の許可の元、よその国から依頼を受けて出かけるということが増えている。
陛下はあまり私を外に出したくないようだけど、これが意外に金になるのと、他国に貸しをつくれるのとで、しぶしぶながらも許可が降りているのだ。
とはいっても、私は、見た目がどこにでもいそうな容姿で、しかも弱そうなので、他国へ出ても『偉大な魔法使い』だとばれることもない。何故か出回っている絵姿は、別人だしね。陛下が心配するほど、正体がばれる心配はないのだ。
呪いのことが無ければ、世界は割と平和なのである。
世界を安定させる神子が呪いにかかった、というような大きな出来事は、世界中の人を恐怖に陥れたけれど、それも過ぎ去ってしまえば、過去のこと。
日々を生きるのに忙しい大多数の人達は、事件自体を忘れてはいないのだろうが、いつまでもそれを引きずってはいられないという感じなのだろう。
その時世界を救ったとされる『魔法使い』と『精霊様』だって、いつのまにか噂が一人歩きして、本人たちとは似ても似つかないことになっているし、魔法使い自体は少ないけれど珍しいものでもないので、こうやって堂々と歩いていても、不審がられることはない。
本当に『魔法使い』と『精霊様』を奪い取ってやろうと思えば、私の姿なんてすぐに調べられることなんだろうけど、今のところ、こののほほんとした平和を失ってまで、あの国と争う国はないみたいだ。
もちろん、万が一ということもあるから、国外に出る時は、神殿から派遣された護衛の人がつく。
普段は神殿の警護をしている騎士さんは、以前蛇が呪いを解いたこともある、私よりもいくらか年上の女の人だ。
蛇を前にして平静を保てる人だから、というのが私のところに派遣された理由らしい。
もっとも、本人に言わせれば、平静を保っているわけではなく、子供の頃から爬虫類関係は平気だったからだということ。それに見たところ、あまり感情を表に出さないというか、神に祈る時と訓練の時と何かと戦っている時とご飯を食べている以外、ぼーっとしていて、何も考えてないように感じることもある。
それでも、私なんかよりもずっと強いし、他国のことにも詳しいから、護衛についてもらって助かっていた。
「クチナはお腹いっぱいだけれど、私はぺこぺこ。何か食べたいなあ」
「それなら、あの女を誘え。お前一人だと、危なっかしくって見ていられない」
失礼な。
たまに道を間違えたりするだけだし。別に知らない人についていったり、変な路地に入ったりはしないし。
「それに、仕事が終わるまでずっと待つような真面目な人間だ。気をつかえ」
確かに、真面目、というかどこか浮き世離れした彼女は、こちらが待っていてくださいといえば、律儀に動かずそこにいる。ご飯だって、ちゃんと食べているかどうかもわからない。
戦闘中は、あれだけ機敏で臨機応変なのに。
「どちらにしても、ご飯は皆で食べた方がおいしいしね」
あちこちから漂ってくるいい匂いを嗅ぎながら、何を食べようかと考える。
海辺が近いこの町は、魚介類がおいしい。
見たこともない魚や、変わった香辛料も多い。
そう思って足取り軽く滞在先を目指していたとき。
ふいに視線を感じた。
クチナも気がついたようで、『おい、変なヤツがこっちを見ている』と警告してくる。
平和だとはいえ、まったく悪い人がいないわけではない。ちょっと裏通りに入れば、楽をしてお金を得ようと絡んでくる人間もいるし、女性を襲うような人もいる。
ましてや、私は見た目が、弱そうな女性だ。
いざとなれば、魔法を使うという手もあるが、あまり大きな騒ぎにはしたくない。こんなことならば、護衛の騎士さんに、送り迎えをしてもらえばよかったと後悔しながら、私は足を早めた
その時だ。
「……!」
誰かが私の名前を呼ぶ。
それは、捨てた名前。
もうすでに、私のものではない名前だ。
思わず振り返ってしまったのは、失敗だったと思う。
道の真ん中で、驚きに目を見開いた男がいて、目があった。
それも、やはり、ここにいるはずのない人。
捨ててきてしまった人。
どうしてここに。
「……!」
もう一度名前を呼ばれ、私は駆けだした。その場から、少しでも離れるために。
「……リ。おい、リューリ」
耳元で囁く声で、私は我に返った。
全力でかけたせいか胸が苦しい。足も痛い。なにより、頭の中がぐるぐるして、気持ち悪い。
「どうした? あれは知り合いか?」
クチナも、あの声を聞いたのだろう。
いつになく気遣うような様子に、ようやく顔を上げることができる。
「知り合い……だった人」
ううん、知り合いなんて曖昧な関係じゃない。
もっとよく知っている人。
物心ついた時から私の側にいた、幼なじみの一人。
「私の、元婚約者」
それだけ言うのが精一杯だった。
「コンヤクシャ? というと、あれか。将来結婚の約束をした間柄だったってことか?」
「あー、うん、そう。そういう感じの相手」
「なんだ、その曖昧な言い方は」
だって、恋人同士というわけではないのだもの。
両方の父親が親友同士で、家も近かったから、私たちは幼なじみの関係だった。
お互いに兄弟はたくさんいたから、それぞれの兄弟を含めて、一緒になって遊んでいた仲でもある。
気心は知れていたし、私が生まれた町は、それほど大きくはなく、結婚も外の人間とすることは少なかった。ある程度大きくなれば、年が近い者同士で異性として意識するようになるのも当然のこと。
私自身も、なんとなく、幼なじみの誰かと結婚するのかな、と思ってはいたのだ。
ただ、友達や他の兄弟たちのように、私は積極的に誰かとつきあおうとはせず、親が心配していたのは事実。回りの兄弟たちが相手を決める中、いつまでもぐずぐずしている私に親が言ったのだ。
幼なじみの彼も、ちょうど独り身だから、まとまってしまえ、と。
少しばかり抵抗はしたけれど、まだ親の保護下にある身だし、いつまでも親の世話になるわけにはいかない。町にある学校へはあと一年通うことになっていて、その後は働くつもりだったけれど、一生一人で生きていくわけにはいかないのだから、と説得され、結局、私と彼は、婚約者同士となった。
そこまで嫌っていたわけでもなかったし、彼の方は、それなりに乗り気でもあったから、どんどん話は進んでいたように思う。
でも。
「逃げてきたんだよね」
吹き抜ける風が髪を揺らす。
その風が、今の住処である、城下を見下ろすお城の露台を思い出させる。
静かで、心地いいあの場所は、私のお気に入りだ。たくさんの人が行き来する城の回廊がよく見えるし、遠くには人々が生活する町がある。
確かにいろいろ制約はあるけれど、私は今住んでいるあの国が好きだ。
陛下のことも、蛇のことも、どこか優しい城の人たちも、世話をやいてくれる先輩方も。
居心地がいいあの場所にいることは、私は嫌じゃない。
呪いを解くために旅することも、苦痛じゃない。
生まれ育ったあの場所よりも、あの国で過ごした時間は短いけれど、それでも故郷よりも大事だと思えるようになってしまった。
だから、いまさら逃げてきた故郷に帰りたいとは思わない。
「彼のことは、嫌いじゃなかったんだ。優しくしてくれたし、大事に扱ってくれた」
だから、あのままいけば、当然のように、私と彼は結婚するはずだった。
彼が独り立ちすれば、当然そうなるのだと。
でも、一度だって、私から彼に好きだと言ったことはない。
何度かあった誘いに応じるのも、数回に一度。私から誘ったことも、なかったのだ。
そんな素っ気ない私を、彼は怒ったりしなかった。
旗からみれば、本当に婚約者同士か?と疑問に思われていたのではないかと思う。
だから、今でも不思議なのだ。どうして彼がそこまでして、私と結婚したがるのか。
両親との約束を、真面目に守っていたとも考えられるけれど、それならば別に私でなくともいい。少し年が離れているが、下の妹は愛らしく、気立てもよくて、彼のことも慕っていた。
お姉ちゃんの代わりに、私が結婚したい、と冗談で口にしたこともあった気がする。
地味で目立たない私に比べて、妹は彼と並んで立っていても見劣りしない容姿をしていたし、妹ではなくとも、町には綺麗な女の子はたくさんいた。
まあ、それは自分の中では、いいわけに過ぎなかったとわかっている。
結婚したくないことに、理由付けをして、納得しようとしていただけだ。
私が結婚したくない本当の理由は別にあったのだから。
「……魔法使いになりたかったんだ」
子供の頃からずっと。
初めてその存在を知った時から、私は何故か当たり前のように、描く自分の未来は、魔法使いだけだった。なりたい、というのとも違う。なるのだという強い意志。
家を捨てても、故郷を失っても、私は魔法使いとして生きたかった。
もう少し勇気があれば、もっと早い段階で家を飛び出していただろう。
後日、自分を拾ってくれた師匠でもある魔法使いに話したら、大抵の魔法使いはそうなのだと教えてくれた。
魔法使いには、そんなふうに、物事に対して偏った考え方をする人間が多いらしい。
偏屈だの、変わり者だの言われるのも、それが原因だ。
「一生ひどい女で構わない。それでも、魔法使いになりたかった」
故郷もいらない、幼なじみの愛情も必要ない。名前を捨てることにも、ためらいはなかった。
「それに、もう私は彼の知っている幼なじみの女の子じゃないよ。師匠から正式に『リューリ』って名前を貰ったときから、魔法使いになったんだ」
それでも、ひどい裏切り方をしたという自覚はあるから、心が苦しい。
両親と学校を出た後のことで大げんかして家出同然に飛び出したとき、彼は仕事で町にはいなかった。いいわけも、別れの言葉も、謝ることさえせず、いきなりいなくなった婚約者のことをどう思っただろう。
戻ってくれば、花嫁になるはずだった幼なじみが、行方不明だと知った時、彼は傷付いただろうか。裏切りだと怒っただろうか。
幼なじみとしては、大切な存在だったのだ。
あんな別れ方をしたかったわけじゃない。今の生き方を後悔していないけれど、罪悪感はずっと持ち続けている。
「まあ、俺としては」
つんつん、とクチナはその頭で、私のほっぺたをつついた。
「お前が、そこで結婚してなくてよかったと思うぞ。魔法使いでなかったら、俺と会うこともなかっただろう?」
「召喚されて、怒っていたんじゃなかったの?」
「怒っていたのは事実だが、極上の呪いを食べる機会を得られて、満足はしている」
クチナは、口は悪いけど、優しい。
本当は、思うことだっていっぱいあるだろうに、こうやって慰めてくれるのだ。
「お前は、俺とずっと一緒にいるんだろう? だったら、過去にグチグチいわず、俺のご飯のために、日々頑張ればいい」
「え、それ嬉しくない」
わざと拗ねてみせる。
本当に、機嫌を悪くしたわけじゃない。
クチナの慰めが嬉しかったけど、照れくさかっただけ。
ありがとう、と口の中でもごもご言うと、『声が小さい。もっとありがたがれ』と言われてしまった。
クチナらしさに、笑ってしまう。
「……そろそろ帰ろうか。きっと宿で、アッリがやきもきしてる」
真面目な女性騎士の顔を思い浮かべると、私は立ち上がった。
いつまでもここにいても仕方がない。とりあえず、宿には帰るべき。
「よし!」
私は杖を握りしめると、気合いをいれた。
クチナの言うとおり、悩んでいてもどうにもならない。気持ちを切り替えるためにも、一度宿に帰ろう。
いろいろ考えるのは、ご飯を食べたその後のこと。
そうだよね、クチナ。
「おかえり、リューリ。遅かったようだが、問題はなかったか?」
宿の部屋に戻ると、アッリが迎えてくれる。
「呪いに関しては、無事終了したよ。もう大丈夫。それより、遅くなってごめんなさい。夕食、まだなんじゃないの?」
律儀な護衛のことだから、これは絶対確実。
例え、どれだけ私が遅くなっても、彼女は待ち続ける。そんな人だとわかっているから、申し訳なくなる。
「あなたがいつ帰ってくるかわからなかったからな。武器の手入れもしておきたかったし、気にするな」
言われてみれば、床の上には、剣の手入れのための簡単な道具が並べてある。
「もう、外で食べるには遅すぎるかな。宿の料理でもいい?」
「かまわない。ここの料理はなかなかおいしい。少し香辛料がきついようだが、神殿の食事に比べると、な」
ふう、とめずらしく悲しげな表情をしたアッリに、私は苦笑した。
そうなのだ。
神殿では、質素倹約が美徳とされているため、食事が今ひとつらしい。食材は新鮮なのだが、味付けも薄く、基本的に煮る、焼くという調理法が中心なのだという。
初めて護衛についてくれた時、立ち寄ったお店で、めずらしい料理を無言でがつがつと食べていた姿は今でも忘れられない。クチナなどは、いい食べっぷりだと面白がっていたけれど、見目麗しい女性が、男性もびっくりな様子で食事をすれば、かなり人目を引く。
私など、見ているだけでお腹いっぱいになり、アッリにもう食べないのかという目で見られてしまった。
「食事は大切だぞ、リューリ。おいしくないものを食べさせられるほど、辛いことはない」
ずん、とお腹を反らして、クチナが言う。
気のせいか、お腹のあたりがふっくりと盛り上がっているような気がするけど、呪いって形があるんだろうか? 固形物じゃないわけだし、どういう原理でお腹がふくれるのか、中身が見てみたいような、見るのが恐いような……。
「……何故変な顔して、俺を見ている。うわ、どこを触っているんだ!」
ぷにぷにと、お腹を押すと、クチナがぐねぐねと体を動かした。
気持ち悪いのか、つぶらな瞳が半目になっている。
「なんとなく、この辺りが気になった」
クチナのさわり心地は悪くない。お腹の辺りは、意外に柔らかいのだ。
「……リューリ」
呆れたようなアッリの声で、私は手を止めた。
「そんなことより、夕食だ。私はお腹がすいた」
アッリの目は、すでに扉の方を向いている。
「ごめん。すぐに行こう」
クチナで遊んでいる場合じゃなかった。
私だって、お腹が空いていたのだ。
手早く支度をして、手にした杖に、クチナがぐるぐると巻き付くのを確認してから、私はアッリとともに、部屋を後にした。
「お腹が空いているという割には、あまり食事が進んでいないようだが」
自分の前に置かれたたくさんの料理をほとんど食べ尽くしたところで、アッリが私の手元を見て、そう尋ねてきた。
「ああ、うん。ちょっと悩み事があって」
「悩み事? めずらしいな」
めずらしいかなあ。結構いろいろ悩んでいること多いんだけど。
「ああ、違う。そういう意味じゃない」
私が眉間に皺を寄せたものだから、アッリは慌ててそう言った。
「悩んでいるのがめずらしいわけではなく、私の前でそういうことを口にしたのが珍しいという意味だったんだ」
アッリとのつきあいは、まだ短い。
何回か行動を共にして、最近ようやく打ち解け合ったのだ。
お互いを名前で呼びあうようになったのも、それほど前のことじゃない。悩み事どころか、私生活のことだって、知らないんだよね。
「うーん、アッリは、ずっと神殿で騎士をしているんだよね」
「そうだな。どうしたんだ、突然。それが悩み事に関係あるのか?」
「……恋したこと、あるのかなあって」
ぴしっと音がした気がした。
空気が凍った気もした。
私が発した言葉で、目の前の美人な騎士さんが、彫像のように固まっている。
「ア、アッリ?」
声をかけると、解凍したけれど、顔は険しいままだ。
「リューリ! あなたは恋しているのか? それは誰なのだ? まさか、そこらへんに落ちているようなつまらない男ではないだろうな」
「え、ち、違うけど」
「いいか、男というのは皆獣だ。隙あらば襲いかかろうとしている、野蛮な生き物なのだ! 神子様など、それでどれだけ苦労をされていることか……」
あれ?
なんだか、変な方向に話が行っていない?
確かに、神子様は綺麗な方だ。加えて、世界にとってとても重要な人でもある。神子は公にされていないが、実質的には結婚を許されているので、伴侶になりたいという人は多く、その中には、邪なことを考えていたり、自分の地位を上げるために神子様との婚姻を望んだりするものもいる……という話は、確か先輩魔法使いから聞いたんだっけ?
「神子様、大変なんだね」
普段はぼーっとしているアッリがこれだけ感情を露わにするくらいだ。きっと、神殿ではもっとぴりぴりしているんだろう。
今の神子様には、恋人と称される人はいない。
そのせいなのか、一度、神子が呪いを受けて、失われるかもしれないという危機が去った後、駄目でもともと、とりあえず神子に告白してみようという人間も増えたという。どうせ駄目なら、後悔しないようにあたって砕けろ、みたいな感覚らしい。
「我々神殿に仕える騎士は、外からやってくる、それらの対処にいつも頭を悩ませているのだ。それなのに、最近ではその騎士の中にも不埒なものがいて……」
あ、アッリの握りしめた拳が白くなっている。
よほど、思うことがあるらしい。
横で、杖に巻き付いたクチナの尻尾部分がぶるぶる震えている。きっと笑いをこらえているのだろう。
そういえば、クチナはしばらく神殿暮らしをしていたはずだから、もしかするとその辺りの攻防戦を見たことがあるのかもしれない。
「誤解のないように言っておくけれど、今私が恋しているわけじゃないからね」
延々と続きそうな神子様の周辺事情に苦笑しながらも、一応訂正しておく。
「そうなのか?」
「過去の婚約者と偶然会ってどうしようって悩んでいただけ」
「婚約者!? あなたには、そんな人がいたのか?」
そんなに驚くこと?
「そこまで、本格的な感じじゃなくて、なんとなく将来結婚する?的な感じの、婚約者。田舎の方ではよくあることだよ」
「その、元婚約者に会ったというのか?」
「そう、実はね」
ここまできたら、話してすっきりした方がいいのかも。
アッリなら、信用できる気がするし、他の人に、ほいほいと話したりしないだろう。もちろん、話したからといって、私は平気だけど。
「そうだな。率直な意見を言わせてもらえるならば」
話を聞き終わったアッリは真剣な顔を私に向ける。
「それは、どう考えても、リューリが悪い」
はい、ごもっともです。
「少なくとも、『婚約』という約束事をしたのなら、一方的にそれを破ってしまうのはよくないことだ」
その通りなので、言葉もない。
「とはいっても、今更やってしまったことは、取り消せない。リューリの話を聞く限り、あなたが失ったものも大きいようだからな」
故郷にはもう帰れないし、名前も捨てた。
それが代償といってしまえば、そうなんだけれど、捨てられた方はもっと傷付いただろう。
今まで考えないようにしていたけれど、確かに、私はひどいことをしている。そのことが原因で彼が人生を狂わせたとしたら、償っても償いきれないだろう。
「それに、これは個人的な意見だが」
控えめな口調で彼女は言う。
「貴方はちゃんと彼に気持ちを伝えたのか?」
「魔法使いになりたいから、一緒にはなれないかもしれないと、婚約する前に言った。それでも構わないって言ってた気がする」
「そうではなくて。好きではないことを口にしたのか?」
「それは……言ってない。そんなこと口に出来なかった」
だって、嫌いではなかったから。彼は、魔法使いになる勉強がしたいならすればいいとも言ってくれた。結婚も急がないから、その気になったらしようとも言った。
もっとも、実際、彼が認めてくれたとしても、魔法使いになるのは無理だっただろう。
私の故郷には魔法使いはおらず、弟子入りするならば、遠く離れた王都までいくか、魔法使い連盟の本部がある場所までいって、学校にいくかしかなかったのだ。
「ならば言うべきだった。望みがないことは言ってもらわないと、いつまでも引きずってしまう。そういうものだと思うぞ」
曖昧にごまかし続けていたから、結局こういうことになったと、アッリは言いたいのだろう。
正論すぎて、反論もできない。
「よし。この国にその男がいるなら、探そう」
「え?」
「向こうだって、あなたを探しているかもしれない」
「え?」
「そうと決まれば、明日に備えて、もう少し食事を取っておこう」
「えええ!?」
言ったとたん、アッリは店員を呼んで、料理の追加注文を始める。
「え、どういうこと。何がどうなっているの?」
特定の時以外、ぼーっとしているはずのアッリの変化に、私の方が戸惑う。
それに、幼なじみを探しにいくって、本気なの。
運ばれてきた料理を無言で食べ始めたアッリを見ながら、なんでこんなことに、と私は混乱した。
ついでに、杖の上で笑い続けているクチナの頭もぐりぐりしておいた。
笑いすぎだよ、クチナ。
翌日。
晴天なうえに、私の連れである一人と一匹は無駄に元気だった。
夕べ、幼なじみの特徴やら、名前やら、根掘り葉掘りと聞かれ、私だけがぐったりしている。
「さて、精霊殿。その婚約者とやらにあったのは、どの辺りだったか覚えているか」
「そうだな、あれは商店街の方―――特に屋台などが多く並んでいた通りだ」
「なるほど。中央広場から一本入ったあたりか」
しかも、私を置き去りに、話が進んでいる。
「あの時間帯にあの場所にいたというのなら、夕食を食べにうろついていたという可能性もあるな。もともと、リューリと出身地が同じだということだから、この国の人間ではないのだろうし」
腕を組んで、考え込むアッリは、やっぱりいつもとは全然違う。
これが本来の姿なのか、単にこういうことが好きなのか。どちらにしても、私はついていけていない。
「リューリ。夕べの話では、その婚約者の親は商人だったな。それを手伝っていて、町を留守にすることも多かったと」
「彼だけじゃなくて、あそこの兄弟は、みんなそんな感じだった」
彼だけが例外だったわけじゃないと思う。
小さい頃から、みんな将来は商人になるべく勉強をしていたし、旅が出来る年齢になると、父親について町の外へ行くことも増えた。
「だが、それだとおかしいぞ。リューリは、驚いたせいかあまり相手のことを見ていないようだったが、あの姿は商人というよりも、剣士か兵士という感じだった」
クチナは、動揺する私の横で、しっかり相手を確認していたらしい。
「彼は、剣を習っていたと思うよ。旅の途中では盗賊とかに会うこともあるし、身を守ることにもなるからって。剣術道場には、兄弟の中で一番熱心に通っていたはず」
「そうか。だが、俺が見た感じでは、アッリに似た服装だったな」
アッリは、身軽な旅装ではあるけれど、腰に佩いた剣は実用的なしっかりしたものだし、簡易な革製の胸当てや膝当てを身につけている。一見すると騎士には見えないが、醸し出す雰囲気は、剣を日常的に扱う職業のそれだ。
私だって、ありきたりの動きやすい服だけれど、いつも手放さない杖のせいで、回りは魔法使いだと推測するだろう。世の中、職業にそうような格好をしている人は、案外多いのだ。
もちろん、商人にだって、見た目が剣士みたいな人もいるから、何とも言えないわけだけれど。
でも、剣士みたいだった、か。
なんだか、ひっかかる気がする。
何か大事なことを忘れているような。
「とりあえず、商人にしても、剣士にしても、この国に滞在しているだけなら、どこかの宿にいる可能性は高いと思う」
知り合いの家に泊めるという場合もあるはずだけれど、一番に思いつくのは、アッリの言うとおり、宿だ。
問題は、ここには無数に宿があるということで。
ひとつひとつ探しても、見つかるかどうか。
「探しているうちに、ばったり会うかもしれない。昨日聞いた話からだと、向こうもあなたを探しているかもしれない」
でも、仕事で来たのだったら、日中はあまり暇がないんじゃないだろうか。
私の方は、報告以外は終わってしまったし、一日くらいなら、滞在を延ばしてもなんとかなる身だからいいけど。
「やってみるだけ、やってみよう。もう、後悔はしたくないだろう?」
真剣に問われ、私は頷いた。
そうだ、また前みたいに逃げたって、思いだすたびに、もやもやするだけだ。
「わかった。探してみよう」
いつまでもぐじぐじ悩むのも、私らしくないしね。
とりあえず手近な宿からと歩き出した私たちだけど、アッリの憶測が、現実のものになったのは、それからしばらく後のこと。
「……! やっと見つけた」
何件目かの宿屋を出た時、私はそう声をかけられた。
聞き覚えのありすぎる声に、私はようやく探し人が見つかったことに気付く。
「やっぱりヤルノだったんだ」
久しぶりに口にした名前に、相手もほっとしようにぎごちなく頷く。
そこにいるのは、随分とたくましくなった、元婚約者殿。
薄暗くなりかけていた時間帯でなく、明るい日差しの中で見ると、顔以外は随分と変わっていることに気がつく。
太くなった首と腕。腰回りもがっしりしていて、肌は日に焼けている。金属製の胸当ては随分使い込まれているし、腰に佩いているのは大剣。
どこからどう見ても、商人ではなく剣士だ。
「会えてよかった。絶対見間違いじゃないって思っていたんだ」
はにかんだような笑顔は、変わっていない。
同事に、申し訳なさと、罪悪感がわき上がってくる。でも、これはいい機会だ。謝るならば、とにかく今だ。
後ろに立っていたアッリが、『私は少し離れているから、ちゃんと話してこい』と背中を押してくれたのも大きい。
手に持っていた杖をぎゅっと握りしめると、先に巻き付くクチナ―――今は飾りに徹しているのか動かない―――を見つめ、大きく息を吸い込んだ。
「ごめんなさい、あなたを置いて町を飛び出して」
「すまない! 君を置いて、町を出て行って」
二人同事に頭を下げて、顔をあげて。互いの言葉にぽかんとする。
そのまま困惑した状態のままで、見つめ合った。
「え、捨てたのは私だよね?」
「いや、捨てたのは俺の方だ」
かみ合っていない。
「だって、あなたを残して、理由も告げず家出したんだよ。戻ってきたヤルノが傷付いたんじゃないかって」
変な顔された。
「ちょっと、待ってくれ。ええと、お前家出なんてしていたのか?」
「そう。将来のことでずっと父さんと揉めていたんだけど、修復不可能なほどの大げんかをしちゃって。もうこんな家にはいられないって、衝動的に家出した。でも、どうして私の家出のこと、知らないの?」
真面目な父さんのことだから、彼が帰ってきたならば、私が家出したことを隠さず正直に話すだろう。ごまかすなんてことは出来ない人だったもの。
「……お前、昔から無鉄砲なところがあったからな。じゃなくて」
彼は大げさに頭をかきむしり、天を仰いだ。
「お前こそ、知らなかったのか? 俺、父さんと将来のことで揉めて、旅先の宿をそのまま飛び出しちまったんだよ」
何それ。
全然聞いていないよ。家を出てから、あの町には帰っていなかったし。
「商人にならないっていったら、怒鳴られて、城で兵士になるっていったら、ぶん殴られた。で、そのまま親父のところを飛び出して、それ以来あの町には帰っていない」
状況は違うけど、やっていることは同じ?
「そういや、お前、魔法使いになったんだな。俺と同じか?」
「みたいだね」
彼も、なんとなくこちらの事情を察したらしい。
「ヤルノも、兵士なわけだよね……あ!」
思い出した。
そうだよ、さっき引っかかったのは、これだったんだ。
ヤルノは、ずっと言っていた。剣術道場から帰るたびに、将来剣を持つ職業につくんだって。
出来れば騎士がいいけれど、身分的には無理だから、城の兵士になろうと思うって。私が魔法使いになりたいって打ち明ける気になったのも、彼の夢を知っていたからだ。
「そうか、ヤルノ、ちゃんと夢を叶えたんだ」
「お前もだろ。ちょっと頼りなささそうだけどな」
「失礼な。これでも、一級魔法使いなんだからね。まだ、下っ端だけど」
『偉大な』って余計なものが付く羽目になったけれど、実際は新人の域を出たばかりの実力しかない、修行中の身だ。先輩方のように経験豊富な魔法使いになれるのは、まだ先のこと。
「俺も、この間、城の守備隊の小隊を任されるようになったばかりなんだ」
「すごいじゃない。その若さで、城勤めなんて」
私より年上だったとはいえ、まだ20代のはず。それなりの実力がなければ、役職はつかない。きっとヤルノには、コネもないだろうから、純粋に己の力でつかみ取ったんだと思う。
「それに、俺、他にも謝らないといけないんだよな。お前と結婚してもいいなんて言ったのは、魔法使いになりたいって言っていたからなんだ」
家族を除けば、その話をしていたのは、ヤルノだけだったはずだ。
両親は最初から真面目に聞いていなかったし、兄弟たちは本気にしていなかった。きちんと話を聞いてくれたのは、ヤルノだけで、結構いろんなことを話していた気がする。
「結婚したいくらいには、好きだったけど、同事に先延ばしにできるかもって打算もあった。どれだけ待たせてもお前文句言わなさそうだったし。まあ、兵士の俺でもいいっていうなら、それもありかなって思ってたわけだけど」
「こっちも同じだよ。あの時、あなたのことなんて、あまり深く考えてなかった。でなければ、私だって一応年頃の女の子だよ。早く結婚して、くらいは言っていたと思う」
友達や妹のようにね。
それがお互いになかったっていうのは、今考えてみると、二人とも、結婚に対して真摯には向き合っていなかったということだろう
本当の意味で『いつか結婚するかもしれない』程度の関係だったのだ。
捨てていける程度の、想いだったってこと。
「私たち、随分子供だったんだね」
夢だけが大事で、自分を大切に思ってくれている人のことなど、考えていなかったということを、今頃になって思い知らされる。
「まあな。俺も、軍に入って、自分がいかに親に守られていたかわかった」
目の前の幼なじみは、その眼差しも、落ち着いた口調も、私の知らないものだ。渋みも出てきているかもしれない。
私はどうだろう。
ちゃんと変われているだろうか。
彼の目に映る私は、まだ町にいたころの私のままなんだろうか。家出したまま、音信不通な時点で、だめなのかもしれないけど。
ため息をひとつつくと、それをみたヤルノが苦笑する。
「……いつか、二人で謝りにいくか? 両親に」
「いいね、それ。いつか、ね。親不孝者って、怒鳴られるかもしれない」
「俺は、殴られるかなあ。あの時の一発、痛かった」
そう言って、私たちは笑いあった。
何のわだかまりもしがらみもなかった小さな頃が思い出されて、私はほんの少し悲しい気持ちになる。
あの頃のように笑い合っても、私達が共に歩く未来はないだろう。
私を見るヤルノからは懐かしい者を見るような眼差ししかないし、私もそうだ。
お互いに、お互いのその後を知ろうとはしなかったのだ。罪悪感は持っていても、それを心の奥底に閉じ込めて見ない振りをしていた。
その時点で、私たちの道は分かたれてしまっている。
過去には戻れないのだ。
「話は済んだか?」
二人の会話が途切れたところで、離れていたアッリが戻ってきて声をかけてきた。
ヤルノは、突然話し掛けてきたアッリに対して、驚いたような顔をしたけれど、すぐに私の方を見て首を傾げた。
「お前の連れか?」
「そう。この町へは仕事絡みで来たんだけど、その関係の人」
ヤルノが眩しそうにアッリを見るのは、分かる気がする。
アッリは、美人なのだ。
「ええと、俺―――私はヤルノ・ハラッカです。こいつの幼なじみなんです」
急に畏まって『私』なんて言い出すヤルノに、吹き出してしまう。
だけど、『幼なじみ』かあ。もう、彼の中では、私はそういう思い出の人なんだろう。
「話は聞いている。私はアッリ・ヤーティネン、魔法使い殿の護衛として、この旅に同行している者だ」
アッリが私の魔法使いとしての名前を口にしなかったのは、良くも悪くも『リューリ』の名前が知れ渡っているからだろう。
もちろん、ありふれた名前だから、同じ名前の魔法使いがいてもおかしくないけれど、念のためだと思う。ヤルノと私の会話は聞こえていただろうから、彼が城勤めだとわかっているはずだ。
城にいれば、『異界から精霊を呼び出した偉大な魔法使い』の話だって聞いているだろう。
かつての名前は教えたけれど、私が呼ばないでほしいと言ったこともあって、無難な呼び方をしてくれたのも、アッリらしい。
実際、名前ではなく一般の人たちが敬意を込めて『魔法使い殿』と呼ぶことはよくあるのだ。
「あ、だとすると、アッリさんは剣士? 強そうだなあ」
「そういうあなたこそ、かなりの腕前に見える。手合わせしたいところだが、今の私は仕事中なのだ。個人的な戦いはできない」
ものすごく残念そうにアッリが言っている。
仕事絡みでなければ、喜んで相手をしそうな勢いだ。
「それは、残念。とはいっても、俺も仕事でこの国に来ているんだよな。用事は終わって、今日は一日自由行動できるとはいえ、他の連中もいるから、俺も無理だな」
ヤルノ、あなたもなの、と叫びそうになった。ヤルノもアッリと同じで、戦闘の時に生き生きする性格なんだろうか、
昔はもっと、穏やかで優しそうなおにいちゃんという感じだったのに。
悩みを嫌な顔ひとつ浮かべず聞いてくれた、お人好しの幼なじみだったのに。
剣の柄のいじりながら、楽しそうに戦闘談義を繰り広げているのは、本当に私の知っているヤルノなの。
杖の先に巻き付いた蛇の尻尾がぷるぷるしている。
また、笑いをこらえてるんだね、クチナ。
「連絡先を教えてくれよ。せっかく再会したんだからさ」
呆然と二人を見ていた私に、ヤルノが話し掛けてきた。
「え、あー。どうしよう」
今の私は王宮暮らしだ。だけど、まさかその場所を教えるわけにはいかない。
「あれ、困る?」
不思議そうに言われて、思わずアッリの方を見てしまった。
「ヤルノ殿。魔法使い殿は、仕事で移動されることが多いので、手紙など、すぐに届かないことが多いのだ」
「そ、そうそう。そうなの!」
アッリのどこか苦しいいいわけに、私は乗った。
「でも、時間がかかっても、家くらいには戻るだろ」
「そうなんだけどね。あ、そうだ。連盟―――魔法使い連盟宛に送ってくれれば、私に転送されるようにしておくから。それでどう?」
連盟には事情を話して、私の過去の名前で手紙が届くかもと言っておけば大丈夫だろう。
あそこも、私の事情は知っているので、特例ということで受けてくれると思うし。
「確かに、送った手紙をほったらかしにされるのは悲しいよな。お前がそれでいいなら、俺は構わない。あ、俺の連絡先も渡しておくからさ。落ち着いたら、二人で親に怒られに戻ろうぜ」
「そうだね。親不孝を謝りに行こうか」
その時、やっと過去の自分を少しだけ許せるのかもしれないと、思った。
何故かその後、昼間だというのに、再会を祝してとか、強い相手に出会った記念日とか、よくわからない理由をたくさん作ったアッリとヤルノの二人に引っ張られ、飲み会兼食事会というものに突入してしまった。
二人の信じられないくらいの飲みっぷりと食べっぷりに、目眩がしそうになる。
うん、個室を借りていてよかったかもしれない。
酔いつぶれた二人が起きるまで、他のお客の目にさらされるのは辛いもの。
「リューリ」
突っ伏して寝てしまった二人が動かないことを確かめてから、蛇が私に近づき、腕を伝って昇ってきた。
「いいのか、今のお前の本当のこと、何も話さずに」
「『異界から精霊を呼び出した偉大な魔法使い』になっちゃったってこと? そうだね、なんでだろう。あんまり知られたくないのは、それで畏まられたり距離を置かれたりするのが嫌だからかな」
一人歩きした名前の力は、大きい。ヤルノがその程度のことで、私を嫌ったりはしないとは思うけれど、今の彼は、故郷の国の兵士だ。私のことを知ってしまったことで、彼自身が厄介事に巻き込まれたりするのも、嫌だ。
「婚約者なんだろう」
「違うよ、『元』婚約者」
再会して、驚いて、話をして。
いまさら、互いに婚約者には戻れそうにない気がする。幼なじみとしては、懐かしくて好きだけれど、結婚するとなると、何か違う気がするんだもの。
「この男のことが、好きというわけではないのか?」
「好きだけど、恋愛じゃないのかもしれない。それに」
私は自分の肩に手を伸ばすと、蛇の体をつまんで持ち上げた。
そのまま両手で包み込むように掴むと、顔の前に持ってくる。
クチナのつぶらな瞳と、私の目の高さが一緒になって、見つめ合う形になった。
「私は、ずっとクチナと一緒にいるんだもの。そう約束したでしょ。それに、世界一の魔法使いになるためには、もっと修行しなくちゃいけないから、結婚なんてしてる暇ないよ。あ、もちろん、クチナが別の魔法使いがいいっていうなら別だけど」
「お前は、馬鹿だろう」
クチナの口から赤い舌が覗き、困ったように目元が下がった。
「前から思っていたが、一生、異世界の蛇と一緒にいると簡単に誓っちまうなんて、本当に馬鹿だ。どうするんだよ、将来、結婚したい相手とか出てきたら。蛇つきなんて、嫌われるぞ」
「私はそれでいいの。文句言うクチナ、嫌い」
きゅっと力を入れると、ぐえっと声がした。
「お、お前、それが一生一緒にいると言う相手にすることか! 本気で死にかかったぞ!」
「だって、クチナが馬鹿とかいうからねー」
私は、馬鹿じゃないもの。
勉強は、結構出来るほうだと思うし、呪文だってかなりの量を杖に覚えさせて、複数発動も5つまでなら簡単にできるようになったし。
うん、馬鹿じゃないよね。
「というか、お前酔っているんじゃないか。酒臭いぞ」
そうかも。
なんだか、私も眠くなってきたかも。普段あまり飲まないお酒、たくさん飲んだからかな。
「クチナ。私の側からいなくならないでね」
クチナは私の手から抜け出ると、膝の上にぽとんと落ちた。そのまま膝の上で丸くなり、私を見上げる。
「いなくなったりしないよ。他に行くところもないんだからな。お前に養ってもらうことに、決めているんだ」
えらそうに言っているけれど、これはクチナなりの優しさだ。
償っていかなければならないほどの罪をクチナに対してしてしまったというのに、そうやって私の気持ちをくんでくれる。
故郷は、もう私にとっては故郷じゃない。
親が許してくれても、家族が受け入れてくれても、戻ることはないのだろう。
しでかしてしまったことは、消えたりしないのだ。
だからこそ。
今度こそ、大事な存在は、裏切りたくない。
私を信じているといってくれたクチナを絶望させたくない。
椅子の背に身を預けるようにして目を瞑る。
クチナを守るためにも、もっと強くなろう。
そんな新たな願いとともに、私は眠りに落ちていった。
膝の上に感じる、わずかな重みを確かめながら―――。