After snow
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
※※※※※
柔らかく優しい匂いのする布団に体を横たえながら、リサは母を見た。
「ねぇ、お母さん。寝る前のお話をして」
「そうね……。リサはどんな話がいいかしら? 怖いお化けの出る話? それとも可愛い妖精さんの話かしら?」
「ううん、リサね。お姫様の話がいい。白いお姫様の話」
母が優しく微笑んだのを見て、リサは安心して目を閉じる。寝る前の儀式のような光景だった。
「リサは本当に、この話が好きなのね。じゃあ、お話するから眠たくなったら寝てしまいなさいよ」
「は~い」
「昔、昔…………」
※※※※※
snow whiiteと呼ばれている女の子がいました。
お姫様の名前みたいですが、勿論その子はお姫様なんかではありません。
ただ、童話のお姫様のように真っ黒な髪と煌く瞳、そして真っ白な肌を持っていましたので、そう呼ばれていたのです。
その女の子はジプシーの民でした。
女の子は生まれたときから、お父さんとお母さん、それに数十人の仲間達と色々な国を旅していました。
ある国では占い師として。
またある国では音楽家として。
またある国ではダンサーとして。
国に合わせた歌を歌ったり踊ったり、そうして少しのお金が出来ると、また違う国へと旅に出ました。
ジプシーは決して一ヶ所には留まりません。
何故なら、彼らは孤高で自由を求める、さすらいの旅人だったからです。
女の子もそんな家族のような集団の中で次第に色々な特技を身につけました。
占いは勿論、色々な言葉の歌やダンス。
それは、一箇所に留まらないジプシーの民が生き残る糧であり技術でした。
さすらいの日々を送る中、女の子はどんどんと成長し、いつしか集団の中のスターになりました。
彼女が来ると知った国の人々は、その可憐な姿を一目みようと広場を十重二十重に囲みます。
「私を見に来たんだ」
最初の方こそ戸惑いがありましたが、彼女はいつしか人に取り囲まれるのに慣れてしまいました。
「気をつけなさい」と、お父さんやお母さんに言われても、有頂天になってしまった彼女は言う事を聞かなくなりました。それどころか、少しでもお金を稼ごうと一人でフラフラと貴族の屋敷へ出入りするようになりました。
それが、どんなに危険なことか、彼女には分かっていなかったのです。
ある寒い寒い冬の深夜。
貴族の屋敷で歌い、踊り、食べ、遊んだ彼女は降り続ける雪の中を自宅へ向かって歩みます。
星が綺麗な夜でした。
「あぁ。嫌だ嫌だ」
彼女はいつしかジプシーでの生活に満足出来なくなっていました。
移動式のテント生活に粗末な食事。
自分はもっともっと価値のある人間なのではないか? と思い始めていたのです。
何故なら、自分はsnow whiite――――お姫様なのだから。
先ほどまでいた貴族の屋敷を思い出します。
暖かい暖炉のある大広間に、大理石で出来た長いテーブル。その上には乗った煌びやかな銀の食器と豪華な食事。
人々は皆着飾って、大声をだすこともはやし立てることもなく談笑し、時折若い男女が清潔な広いバルコニーで愛を語り合っている。
自分も……と彼女は思いました。
私はあの中にいた貴族の女性たちの中でも一番に美しい。
それなのに何故、私はあの輪に入れないのだろうか?
いつもいつも、歌い踊らされるばかり。
若い貴族の男性は、高貴な女性に話しかけるのとは別の口調視線で私を見て笑う。
私こそ、私こそ、誰よりも尊い方から求愛されてもよいのではないだろうか?
そんな不満を抱えながら歩いていたせいでしょう。
彼女はいつもよりも、無用心になっていました。
ガサリと前方の茂みが揺れた、と思った瞬間、固いもので殴られ、意識を失ってしまったのです――――
気がつくと彼女は目隠しをされ、手足を縛られてガタガタと揺れる場所いました。
「何? 何なの!?」
パニックになった彼女は必死に手の紐を緩めようとしますが、きつくきつく縛られているのでしょう。緩むどころか益々と手首にきつく巻きついてきます。
「どうして?」
皇族、貴族でもない自分がどうしてこんな目に合うのか彼女には分かりませんでした。彼女を誘拐してもジプシーの民には払うお金などありません。
「お金じゃないなら……」
自分自身だろうか? と彼女は思いました。
お金持ちに売られ、奴隷のように働かせられるか、心も体も弄ばれるか。
そんな想像をして、彼女は震えました。
震えてやっと、自分の愚かさを知ったのです。
後ろ盾も力もないジプシーの自分がいい気になって目立ちすぎた、と。
ほんの少し美しいだけでチヤホヤされて舞い上がった罰があたったのだ、と思いました。
人はそれを「自業自得」というでしょうが、彼女は嫌でした。
たとえ罰でも、自分自身の自由を奪うものは許さない、と。
やはり彼女はジプシーの民でした。
苦痛よりも自由を失うことが怖かったのです。
ガタンと一度大きく揺れ、体が傾きました。
耳を澄ませばガラガラと車輪の回る音が聞こえてきます。
「馬車……の荷台?」
それならば一刻の猶予もありません。馬車は何よりも早く目的地に到着してしまいます。
自分を荷物のように運んで……。
「私は荷物じゃない! 孤高で誇り高きジプシーの民!!」
幼いころ、旅の途中で火を囲み、皆で歌った歌。
観客もいないのに、音楽を奏で皆で踊ったダンス。
楽しかった思い出が、彼女の心を揺れ動かしました。
「このまま自由を奪われるなら……いっそ……」
目隠しをされていても彼女は感じました。風を。外の世界の自由を。
「私は……自由だ!!!!」
彼女は手足を縛られたまま、走る荷馬車の外へ飛び出しました。
「うっ!」
雪が路面に積もっているとはいえ、走る馬車から飛び出した彼女は地面にしたたかに体を打ちつけられ、そこで意識を失いました。
※※※※※
「それで、そのお姫様はどうなったの?」
「まあリサ! まだ起きていたの? いつもならもう眠ってるのに……」
「うん、リサだってもう五歳だよ。もう少し起きていられる」
そう言いながらも、リサの目は今にも閉じてしまいそうです。
「お母さん、続きは?」
母は優しく優しくリサの頭を撫でました。
「続きは……リサよ」
「わ……た………し…………」
「そう、続きは貴女なのよ。さぁ、もう寝ましょうね」
リサの瞼はすっかりと閉じていました。
夢の世界へと旅立ったのでしょう。
※※※※※
「続きは貴女なのよ」
彼女はそう愛しい娘へと微笑みました。
その顔には年相応の皺が刻み込まれていましたが、昔と同様に白く美しく、無造作に束ねられている黒髪にも艶が残っていました。
あの後。
後先を考えず荷馬車から飛び降りた彼女でしたが、幸いにも誘拐犯人には見つからず、優しい見回りの騎士に保護されました。
その時に頭部を強く打ったせいでしょうか? 目覚めた彼女の記憶は抜け落ちていました。
自分の名も、どこから来たのかも分からない上、傷で体すら思うように動かなかった彼女は、優しい騎士様の家で静養させてもらいました。騎士様に縋るしか、その時はなかったのです。
優しい騎士様も、傷を負い、なおかつ記憶のない若い女を無闇に追い払ったりしませんでした。
彼女が騎士様の家で生活をしていた、そんな頃。
彼女がそんな目に遭ってると知らない、両親と仲間たちが「彼女は異国に売られた」との噂を聞き、急いで彼女を探しに他の国に旅立ってしまった、という話を聞いたのは、記憶が戻ったずっとずっと後の話でした。
傷も癒えず、記憶も混乱し、嘆き悲しむ彼女を励まし、慰め、時には叱咤しながら、ずっと側で見守っていてくれたのが、あの運命の夜、彼女を助けてくれた騎士様でした。
あの日。ケガをして記憶を失くしたのは、この人と出会うためだった。
徐々に徐々に記憶を取り戻しつつあった彼女はそう悟りました。
これは運命の神様のお導きに違いない、と。
そして美しい彼女と優しい騎士様は自然と夫婦になり、可愛い子供にも恵まれました。
下級騎士である夫との暮らしは、昔彼女が望んだような贅沢な物は一つもありませんでしたが、生きていく上で必要な物は全て揃っていました。
愛する優しい夫と、可愛い娘リサ。
『リサ』
そう名づけたのは彼女でした。
その意味を誰も知りません。
彼女の夫でさえ。
『リサ』
それは彼女が言葉を憶えた地で「私の神」を意味する名でした。
「リサ。リサ。私の希望、私の光」
彼女は眠る娘の頬にそっと口づけをして、ゆっくりと扉を閉めました。
※※※※※
snow whiiteは王子様に助けられ、可愛い子供にめぐり合い、優しい普通の家庭を持ちました。
これが本当のhappy end。
幸せな姫の物語。
ある有名な童話からのイメージで書きました。
共通プロローグ、初体験でしたが、とても楽しく勉強になりました。