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危機
作:勝目博



危機の始まり


  危機の始まり
          一
  
 港の倉庫街を走る一つの影、その影を追いかけるもう一つの影。遠くには、赤や黄色の光が幻想的に輝いていた。逃げる影は行き場を失い、壁際まで追い詰められた。追いかけていた影はゆっくりと、しかし確実にその影に近づいて行った。
「もう、逃げられないぞ、諦めろ」画面は、整った顔立ちの若い男の顔のアップに変わった。行き場を失ったもう一人の男は、懐から包丁を抜き出し身構え、唾を吐き出し大声で叫んだ。
「捕まってたまるか、てめえも殺してやる」男は肩で大きく息を吐きだした。男の眼は血走り、体全体が小さく震えていた。やがて意味不明の言葉を発しながら、追いかけてきた男に跳びかかろうと走り出した。しかし次の瞬間、画面は見慣れたアナウンサーの、緊張した顔を映し出した。
「緊急ニュースです。緊急臨時ニュースを伝えます。大変な事になりました。日本が、日本の国が無くなります。日本はアメリカに売り渡されました。日本がなくなります。繰り返し伝えます。日本が……」
見慣れたアナウンサーはうつむき、その声は途切れてしまった。画面は肩を震わす男の姿を静かに映し続けていた。そして突然、アナウンサー我を取り戻したように、いつもの声が流れてきた。
「尚、政府の人間の所在は今のところ掴めていません。一部の情報筋によれば、国外に逃亡したものと見られています。繰り返し伝えます…」必死に伝えようとするアナウンサーの声は、かすかに震えていた。
国の借金が天文学的数字にまで跳ね上がっていたのは、既に周知の事実であったが、まさか国を売り渡すまでとは、国民の誰が予想しただろうか。呆然とテレビを見ていた男の耳にアナウンサーの声が戻ってきた。
「日本は、来る新年と共に一つの州としてアメリカに組みこまれ、以後アメリカ政府の指揮下に置かれる予定であります。アメリカ政府の声明では、国民の皆さんに心配はまったく無いとの事ですが、ある程度の混乱は予想されます。冷静に行動するよう呼びかけると共に、全面的に協力するようにと、通達が届いております」二十一世紀に入って間もない年の十二月、特に寒い夜だった。
 その日、国会議事堂の前には、幾重にも人垣が作られ、口々に何やら叫んでいた。国内全ての機関は麻痺し、生命維持ラインまでもがストップしていた。エネルギー関係から交通機関、治安維持機関までもが完全に停止していた。その証拠に制服姿の警官や、消防士までもが人垣に紛れていた。不意に一人の警官と派手な服装の青年とが、殴り合いの喧嘩をはじめた。数人が喧嘩に加わり小さな乱闘となったが、その騒ぎも一発の銃声で中断された。しばらくして胸から血を流した派手な服の青年が、数人に担がれ人垣から出てきた。青年はそのまま人垣のそとに放置された。警官は何事も無かったように、拳銃を握ったまま議事堂に向かい叫び始めた。その声を発端に人垣は怒鳴り声の大合唱へと変わっていったが、議事堂は静かに佇んで人々を見つめているだけだった。
 長田 輝も不安にかられ、議事堂前までやってきた一人だった。しかし、一部始終を見ていた輝は、全身に寒気を覚え、小さく首を振りながら青山通りに向かい歩き始めた。
「こんな事になっているとは…」目にした光景を思い出し、輝は嗚咽を覚えた。無精ひげを撫ぜてジャンパーの襟を立て、内ポケットからタバコの箱を取り出して中身を確認すると、輝は小さなため息をひとつついた。
「タバコは手に入るのかな」と他愛も無い不安がよぎった。一本を口にくわえてライターを探していると、鋭い視線を感じゆっくりと振り向いた。四十後半と思われる目の座った男が、じっと輝を見つめていた。初めは気が付かなかったが、男の興味はどうやらタバコにあるらしい。しかしどちらかと言えば、輝もヘビースモーカーの部類に入る。こんな状態ではこの先いつ手に入るか判らない貴重なタバコを、見ず知らずの男に分け与える気も無かった。
不意にガードレールに座っていた四十後半の男が立ち上がり、ゆっくりと輝に向かって歩き出した。輝は長身でスラリと手足が伸びてはいたが、けっして体格が良いとはいえなかった。自分自身では肉体派とは思ってなく、今までも喧嘩とは極力避けて通ってきた。仕方なしに口にくわえたタバコを右手に握り締めると、輝は足早にその場を立ち去った。
「タバコ一本で喧嘩にでもなったら馬鹿馬鹿しい」と輝は小さく呟いた。
青山通りは閑散としていた。車は一台も走っていなかった。代わりにガス欠で乗り捨てられたのか、車道のあちらこちらにドアを開け放った車が放置されていた。時々怒鳴るような声が聞こえてきたが、見渡す限りでは人影は見られなかった。渋谷方面にしばらく歩くと、一軒の商店が見え始めた。タバコの文字が書かれた看板が、歩道にせり出していた。足早に近づくと、ジュースの販売機とタバコの販売機だったが、既に壊され、ただの大きな箱と変わっていた。商店のシャッターもこじ開けられた痕が生々しく、覗いた店内は荒らされ放題だった。
青山一丁目の信号が見える頃には、周辺のショップは更に悲惨な姿をさらしていた。ウインドーのガラスは粉々に飛び散り、商品棚は床に崩れ落ち、商品という名のものは皆無であった。輝が例のニュースを見てから僅か三日後の事だった。
 輝は大学で将来の夢を見つけられなかった。経済学と世界史を専攻したが、輝にとっては何のメリットも見出せなかった。結局、卒業しても職を転々と変えていた。そんな時、無類の映画好きの輝は、面白くもない映画を見てがっくりした帰り道、ふと、自分で作れと思い、急いで筆を手にした。作ると言っても映画の監督でなく、輝は原作の方に興味を持った。はたして筆はどんどん進み、三日三晩書き続け、長編のSF小説が書きあがった。ただ、書くには書いたが、自分の実力は見当も付かなかった。そこで文学部にいた友人に試読してもらった。友人も今では有名出版社で編集の仕事をしていたが、思った以上に評価は散々だった。しかし輝はあきらめなかった。書き直しに半年以上費やし、やっと友人の評価が上がって来たが、友人からは冷たく「あきらめな」と突き放された。その後も何度も書き直し、また何件も出版社をまわり、ようやく興味を持たれ出版までこぎ着けた。小説家に早咲きも遅咲きもないが、その時、既に三十に手が届いていた。それから数年、今では小説家としてどうにか生活できるくらいになった輝は、ニュースが気にはなったがあまり深刻に捉えずに、心配無いとの言葉を信じ、書きかけの小説に没頭していた。何かに没頭するのは、輝の得意技だった。しかし前日の昼頃から電気が止まり、水道も止まってしまった。寒く暗い夜を迎えた輝は、虎ノ門のマンションから歩いてきた。マンションの周りは、普段でも都会には珍しく静かな住宅地だったが、今日は静かというよりも不気味な静寂に包まれていた。商店はシャッターを下ろし、車も走っていなかったが、商業地よりはマシだった。それほどまでにここは完全に破壊されていた。
遠くで数台のバイクの音が聞こえたと思うと、何処かで悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
しかしほかの人間はどうしたのだろうか、議事堂で見かけた人や、眼の座った四十後半の人以外に輝はまだ誰も見かけていなかった。ふと殺された青年の姿が脳裏に浮かんできた。
「悪夢では」と思う輝の頬に、木枯らしが容赦無く突き刺さる。
この三日間ほとんど眠らずにいた輝が、夢と思いたくなるほど、現実の世界は変貌していた。とにかく情報を仕入れたいと思い、あれこれ思案した結果、出版社に向かうことにした。輝がお世話になっている出版社は、渋谷の道玄坂を登ったところにある。
「一時間も歩けば着く距離だろう」と二、三歩足を進めたが、
「こんな時に会社に居る奴はいないよな」と、輝は自問自答した。それにもうじき暗くなるのも、輝の足を止めるのに十分な材料だった。それこそ夜になれば何が起こるか見当もつかず、更なる危険を感じずにはいられなかった。かといってマンションで、寒く眠れぬ夜を過ごす気にもなれなかった。
「駄目で元々だし、ほかの誰でもいいから話しを聞ければ」輝は小さく呟き歩き始めた。昼の短いこの時期、表参道に着く頃にはすっかり暗くなっていた。普段はネオン輝くこの道には、多くの人が集まってくる。しかし、今は月の光だけが唯一の照明装置だった。そしてやはりここでも、誰一人として目にする事は出来なかった。乗り捨てられた車の間を、縫うように歩いていき明治通りに差しかかった時、何台もの車が近づいてくるのが感じられた。重いエンジン音は明らかにトラックと判別できた。数個のヘッドライトは真直ぐに輝の方に向かって近づいてきた。と同時にヘッドライトの光りよりも強い光が、周りの建物をなめるように流れるのを、輝には確認できた。
「サーチライトみたいだな」トラックは全部で三台、低速で真直ぐ向かってくる。
「何か聞けるかも」輝はその場所でトラックを待つことにしたが、サーチライトの光が足元に差しかかった時、不意に腕を掴まれ、暗闇に引きずりこまれた。
「静かに!隠れなされ」老人とわかるその声は、恐怖に怯えているようだった。
理由は見当もつかないが、ともかく輝は老人の声に従い物陰に身を伏せた。それほど、その声には切迫したものが感じられた。三台のトラックはそのまま新宿方面に走り去っていった。サーチライトを縦横無尽に走らせながら。
「もういいじゃろう」身を屈めていた老人が起き上がった。
「何故、隠れるのですか」輝の問いに老人は驚いた。
「ほほほ、若いの、知らんのかね」
「はい、日本が売り渡されたということ意外は」輝は簡単に答えた。
「それでトラックが来ても隠れなかったのかね」老人は何かを納得したようだった。
「教えていただけませんか」輝は情報を求めてここまできたことや、昼間の出来事を簡単に説明した。
「うーむ、何から話せば良いやら」老人は暫く考えてから、話し始めた。
「さっきのトラックは米軍兵士じゃ。日本人狩りをしておる」
「日本人狩りですか」輝は驚きを隠せず、つい大きな声を出してしまった。
「これこれ、静かに、静かに」老人は続けた
「反アメリカ思考の人間だけじゃが、捕まると尋問など恐ろしい目に会うそうじゃ。勿論逃げればその場で射殺されてしまう」
「しかしまだアメリカになった訳でもないのに、何故アメリカ兵が日本で自由に振舞えるのですか」確かにまだ新年を迎えた訳ではなかった。
「それはじゃ、あのニュースの後各地で外人殺しが多発してな、日本を返せと。アメリカだけでなく、いろんな国の人間が殺された様じゃ。日本人には外人は皆同じに見えるからの。しかし日本の国家はバラバラ、警察も自衛隊も機能しなくなっていたからな。そこでやむなく、か、どうかは知らんがアメリカ兵が乗りこんで来た訳じゃ」一息ついてから老人は付け加えた。
「アメリカは予期していた様だった、こんな事態を。奴等はすぐに現れやがった、自動小銃ぶっ放して」前もって日本各地の米軍基地に、大量の兵士が配備されていたのだろうと更に付け加えた。
「じゃあ、皆さんどこかに隠れているのですか、アメリカ兵に見つからないように」輝は老人に尋ねた。
「特に夜の警備が厳しいが、昼間は皆動き回っているようじゃ。昼間あんたも見ただろう」
確かに烏合の衆には出くわしたが、都内で半日歩いた割には絶対数人数が少ない。
「見かけた事は見かけましたが、遭った人の数が」そこまで言うと老人が割りこんだ。
「確かに東京の人口は減っただろうな、金の有る奴は海外、特に東南アジアに集中して逃亡していきよった。まだまだ金が有れば贅沢な生活が送れるからな。金融機関は大変だったぞ、貯金を下ろす人間でごった返しじゃ。暴動騒ぎさ。それも仕方あるまい、なにしろ下ろしたくても銀行に金などない。しかし、新年になれば円に価値はなくなる。すでに大暴落しているだろうが、皆、逃げるため少しでも必要だった。とうとう銀行員までもが自分の銀行に金を出せと、大騒ぎじゃ」
「こんな状況ではしかたないでしょう。しかしそれだけでこんなに人口が減りますか」輝は尚も尋ねた。
「いや、都会を離れた者も大勢いるようじゃ。わしの知り合いも田舎の兄弟のところへ行ってしまっての、確かにここにいては食うにも困ってしまう。田舎に畑でも持っていれば食うには困らんし、ここよりは安全だろうといって出て行った」暫く沈黙が続いた後、老人は口を開いた。
「それに、だいぶ殺されたしの」
「アメリカ兵に殺されたのですか」
「それもあるが、日本人同士でも、ちょっとした事ですぐ殺し合いが始まるようになってしまった。完全にパニック状態だったよ。それともう一つ」一呼吸おいてから
「どうやら相当数の人間が、アメリカに対抗すべく組織を作り交戦しとるようじゃ」
「民間のゲリラですか」
「そんな生易しいものではない様じゃ。防衛庁の高官が作ったとか、警察幹部のお偉方の指示だとか、一応プロ集団と言うことらしい。武器もしっかり揃っているそうじゃ。そんな組織の人間は夜間、秘密裏に動くからの、人目には付かんよ、そのせいで夜間警備が厳しいのさ」老人は小さく笑った。
一通りの話を聞いた輝は落胆の色を隠せずにいたが、老人に別れを告げて明治通りを歩き始めた。老人から渋谷では反対組織と米兵が交戦中で、戦いの規模としては小さいが少々危険だと聞かされていた。しかし輝には一つの信念が動き出した。
「多分奴なら何か…」輝の担当の編集者、杉本隆行の事だが、ジャーナリストを目指す杉本が、こんなチャンスを逃すわけがない。必ず何か行動を起こすだろうと、改めて出版社に向かう事の意味を確認した。途中例のトラックが現れたが、素早く物陰に身を伏せてやり過ごした。輝の見たところ、確かに自動小銃を構えた米軍兵士が何人か乗っていた。そして渋谷の繁華街に近づくにつれ、乾いた銃声がビルの谷間にコダマし始めた。宮益坂と国道二四六号には、路線バスを繋げた長いバリケードが出来ていた。バリケードを横目に輝はJ R線のガード下をハチ公口へと進んだ。スクランブル交差点には、若い熱気の変わりに炎上する車が激しい熱量を発散していた。井の頭線のガード下には何台もの車が積み上げられ完全に塞がれていた。センター街も、本店通りもあちらこちらにバリケードが作られていた。そこかしこでビルが破壊され、壁は銃痕のアバタ面に変貌していた。忠犬ハチ公も、散歩中らしく土台のみがひっそりと残されていた。
「これが、渋谷。まるで戦場だ」
輝は昔に見た湾岸戦争のニュースを思い出し戦慄を覚えた。と同時に一瞬後悔したが慎重に身を屈めて進み始めるしかなかった。いつもなら五分程度のこの坂が、永久に続くと思える程遠く感じられた。時折聞こえる銃声に恐怖しながらも出版社まで後一歩というところで、心臓が口から飛び出るような衝撃が輝を襲った。何物かが路地から飛び出し輝に突進してきた。反動で尻餅をついた輝は小さな悲鳴を吐き出し、暫く身動き一つ出来なかった。ようやくの思いで瞬きをし、止まった呼吸を整え、目を凝らして良く見ると、赤い服の若い少女だと気づき輝は胸を撫で下ろした。その少女は震えて下を向いているだけだった。
「大丈夫」輝が静かに尋ねると、少女は輝の顔を見上げ泣き出した。
「助けて」その瞳は青く澄み、肌は透き通る程白く輝いていた。しかも吸いこまれそうな金髪と整った美しい顔は、輝の言葉を失わせるには十分だった。だが見とれているときではない、気を取り直し少女に尋ねた。
「どうしたんだい」少女はしきりに路地の方を気にしながら、早口で話し始めた。
「私、逃げた。追ってくる、殺される」先ほどの老人の言葉を思い出し、それだけで輝は理解し、懸命に説明する少女の手を掴むと、目の前のビルに飛び込んだ。ここが目的の出版社のあるビルだった。
いくら外人だとしても若い少女である。しかも誰かに追いかけられ、身の危険にさらされている。どんな理由があるにしろ、輝には知らん振りすることなど考えられなかった。二人は通路の奥の階段を静かに昇り始めた。出版社は三階のフロアだが、当然エレベーターは動いていない。階段は初体験だったが、出版社は何度も訪れ、勝手知る場所だった。ドアはしっかりと施錠されていたが、輝は少しも慌てずドア脇の植木蜂に手を突っ込んだ。そして一つの鍵を取り出し、少女に見せて小さく笑った。緊張に震えていた少女の顔に幾分笑顔に戻った気がした。

          ニ

 出版社内部は荒らされた形跡もなく、この前来た時と少しも変わっていなかった。ただ、無人である事を除かなくてはならなかった。少女は部屋の隅にうずくまり、じっと輝の様子を窺っていた。膝を抱えた少女の眼は、恐怖に満ち溢れていた。輝はふと、奥の給湯室の棚には、いつもなにかしらのお菓子が詰め込まれている事を思い出した。輝がクッキーとバウムクーヘンを手に戻ってくると、少女は一瞬身を引いたが、恐る恐るクッキーに手を伸ばした。輝は黙って少女を見ていた。やがてバウムクーヘンにも手を伸ばした。急いで食べたせいだろう、少女はのどに詰まらせ咳き込んだ。輝は優しく背中を叩いた。無事に飲み込め終えた少女は、輝に向かって頭を下げた。
「ありがとう、リサです」美しい顔には笑顔が似合うと、輝は心から思った。
「何があったか話してくれるかい」流暢な英語で尋ねたが、突然リサは声も無く泣き始めた。クッキーを持つ手を振るわせながら。
輝はどうして良いか判らず、ただしっかりとリサを抱きしめるしか無かった。やがて落ち着きを見せたリサの言葉は、輝を落胆させるには十分過ぎた。
「酷いことを、そんな事まで」リサの話によれば、貿易会社を営む父親が姿を消し、リサと母親は武装した日本人に何処かに連れていかれ、多くの外国人とともに監視されていた。そのうち母親や女性を別室で玩具にし始めたらしく、隙を見て数人で逃げ出したが、途中で何人かは殺されてしまったと、辛い体験を途切れ途切れに輝に語った。
「アメリカは間違っています、でも日本も間違っています。色々な国の人まで捕まっていました」リサはつい、持っていたクッキーを握りつぶしてしまった。輝がハンカチを渡そうとした時、ドアノブを回す音が聞こえてきた。アメリカ兵でも反対組織でもどちら側の人間に見つかったとしても、現状ではかなり不利な状態だと言わざるを得なかった。二人はデスクの蔭で身を強張らせた。鍵を差しこみロックの外れる音が静まり返った辺りに響いた。鍵を使うところなど、会社の人間かと思われたが、油断は出来なかった。武器は無い。輝はデスクの上からスタンプボックスを引き寄せ、いざとなったら投げつける覚悟でしっかりと胸に抱きこんだ。懐中電灯の灯りが部屋の中に差しこんできた。入ってきたのは一人だった。スタンプボックスを片手に輝は立ち上がり、相手を確認しようとした瞬間、聞きなれた声が耳に響いてきた。
「先生じゃないですか」なんとも懐かしい杉本の声だった。
「驚きました、先生。でも何でこんなところに」
「杉本君、とりあえず灯りを」懐中電灯の灯りが輝の目に突き刺さって顔の筋肉を強張らせていた。
「おっと、そうですね」杉本は慌てて電灯を消した。
輝は今までの経緯を簡単に話した。少女の部分を省いて。無論少女はまだ隠れていたが、暗闇の中、杉本は気づきもしなかった。
「そうでしたか」杉本は何度か頷いて、自分の経過と例のニュースの後、街が大変だった事を輝に話した。杉本の話では、基地問題が発端とのことだった。北朝鮮との兼ね合いもあり、軍備増強したいアメリカと縮小したい日本との間には大きな溝が生まれていた。やがて中国からの要請だろうか、エネルギーや漁業に親密な領土問題にも口を出し始めた。輝もここまでは知っていた。盛んに国会が開かれテレビでもしきりに中継を流していた。しかし、そんな時でも野党と与党の対立は激しく、野党欠席のまま審議が行われたり、憲法を変えたりとひどい中継を見たのを覚えていた。やがて与党議員は私利私欲のため、秘密裏にアメリカと条約を結び、さっさと日本から姿を消してしまった。結局、総理はアメリカの言いなりとなって、挙句の果てに日本を売り飛ばしてしまった。勿論そのあと総理を見たものはいなかった。
「他の人間はどうしたのだい」輝の問いかけに
「ほとんどの人は散り散りになって僕でもわかりません。ただこの先どうなるか見当もつきませんが、後の人々に真実を知ってもらいたくて、反対組織のインタビューでもと思い戻ってきました」と、杉本は答えた。
「君は反対組織ではないのだね」輝は何気なく尋ねた。
「当然ですよ、ジャーナリストはどちらにも加勢しません。常に中立で事実を伝える事が使命です。ただこんな場合…」まだ何か言おうとした杉本の言葉が、立ち上がった少女を見て途絶えてしまった。
「せ、先生、その子は…」驚いた杉本の言葉は、またも途切れてしまった。
「杉本君、座ってくれないか」輝が差し出した椅子に杉本は黙って腰を下ろし、輝と向かい合った。そして先ほど省いた少女の話と、虐待が行われている話を輝はゆっくりとだが確実に杉本に伝えた。
「そんな事が…異常だ」ややあって、杉本が口を開いた。
「今の現実事態、正常だとは思いませんが」確かに異常な事は輝も重々承知していた。
「取材という名目で探ってみましょうか。インタビューするつもりだったし、上手く潜り込めれば、なにか掴めるかもしれません」
「危険では無いのか」
「ジャーナリズムに危険は付き物です」杉本は笑って少女に尋ねた。
「探れるかどうか判らないが、頑張ってみるよ。場所はどこだい」リサの話では、東口のとあるデパートに陣取っているらしい。棚からカメラを持ち出し、杉本は輝にむかって真顔で声をかけた。
「ここに隠れていてください、誰も来ないでしょう」そして暗い廊下に出て行った。
「僕みたいな物好き以外はね」と一言残して。

          三

 辺りが白々明るくなりかけた頃、ドアをノックする音で輝は跳ね起きた。いつのまにかリサと肩寄せ合い眠っていたようだった。
「先生、僕です」杉本の声が小さくフロアに響いてきた。
「今、開ける」急いで扉に近寄り輝も小さく返事を返した。
「凄いですよ」部屋に入るなり杉本は早口で話始めた。
「しーっ、リサはまだ夢の中だ」輝は人差し指を口に近づけた。
「先生、あれは完全に軍隊ですよ、」声のトーンを落とし杉本は話を続けたが、子供みたいに声の張りは残っていた。
「武器も大量、兵隊も大勢です。どっから集めたのやら」
「彼らはなんと言っていた」杉本の話では
「日本は渡さない。その為断固戦う覚悟で我々は集まった。平和に酔いしれ戦う事を忘れてしまった政府、逃げ出した政治家どもに任せてはおけない、今まで日本は恵まれすぎていたから、こんな事態を招く結果になったのだ。軍国日本の復活だ」と
「リーダー格の男は自衛隊の人間でしょう、迷彩服を着ていました。われわれが日本を守らず誰が守るのだってね。腐敗した政府に変わってわれわれが国を動かすとも言っていました」
「捕虜の方は何か探れたかい」杉本はリサの方をちらりと見てから、更に声のトーンを落として話を続けた。
「どうやら本当の話しみたいです。三階まで写真撮影を許されましたが、上の階から女性の叫び声が聞こえてきました」
「どうしたものか」輝は頭を抱え考えこんでしまった。その時、突然けたたましくドアを叩く音が聞こえてきた。
「記者さんよー、居るだろ、ちょっと開けてくれねえか」驚いて起きたリサの口を塞ぎ抱き上げ、輝は咄嗟に奥の給湯室へと走りこんだ。杉本は二人の動きを目で追いながら、焦りながらもゆっくりとした口調で答えた。
「いますよ、今、開けます」
「早くしろ、蹴破るぞ」男の声が給湯室まで轟いてきた。恐怖に青ざめたリサを抱え、輝は途方に暮れていた。
「はいはい、ちょっと待ってくださいよ、開けますから」更にゆっくりとした口調で、杉本は男と対応していた。ふと、天井に点検口があるのに気づいた輝は、リサを天井裏へと押しこんだ。輝が給湯室から出てくるのを確認してから、杉本は静かにドアを開けた。
「いったい何事ですか」杉本の言葉を無視して、三人の屈強そうな男たちがライフルを構え、出版社の中に雪崩れ込んで来た。
「一応、メンバー以外は疑わないとな、スパイの可能性もあるし、後をつけさせてもらったのさ。出版社は間違いねえな」辺りを見回していた男の視線が、輝に向けられた。
「誰だ、そいつは」輝を見据えたまま、男は杉本に尋ねた。
「私同様、記者ですよ、日本が苦しめられている事を全世界に伝える為、一緒に立ち上がった仲間です。私たちの武器はカメラとペンですがね」もっともらしいデタラメを杉本は躊躇することなく語り始めた。いや、杉本には正直な気持ちだと輝は思った。
「私たちは、貴方達、いや、日本の味方です。日本が売り渡されるなんて許されない行為です。売る方も悪いが、買う方はもっと悪い。色々情報をお持ちでしょう、詳しく教えてくださいよ。皆さんの活躍を記事にしたいのです」杉本に自分達の正当性を指摘され、気分を良くした男は
「そうだ、我々は正しい道を進んでいるのだ、断固戦うぞ」と大声を張り上げた。
自分の大声に酔いしれ、更に気分を良くした男は、得意そうに話しを続けた。
「よし、詳しく教えてやる、さっきお前が見たのはほんの一部にすぎん、我々の組織は全国規模で活動している、今に外人どもを全員海に叩きこんでやるつもりだ。お前を専属の記者にしてもらえるように頼んでやる。そして思う存分我々の活躍を記録にしろ、ついて来い」ややあって
「お前も」と輝に向かい手招きをした。
ここで断れば疑われるだろうと、輝は喜び勇んで皆に同行することにした。

          四

 男達が去るのを待って、リサは天井裏から降りてきたが、どうしたらいいか皆目見当もつかなかった。十六才のリサには悪夢としか言いようが無い日々の中、唯一、輝と杉本との出会いが救いだった。しかしその二人とも離れ離れになってしまった。日本に来て五年、何一つ不自由無く暮らしてきたリサには、家族との別れや戦争など想像さえしなかった。大好きな両親の顔を思い浮かべ、瞳が涙に覆い尽くされた。突然激しい銃撃戦の音が轟いてきた。涙を拭いて恐る恐る窓から眼下を見下ろすと、ある一方に激しく銃弾を飛ばすアメリカ兵数人の姿が目に飛び込んだ。先ほど出て行った男達に向けられている事は、リサにも容易に想像できた。輝と杉本の笑顔がリサの脳裏に浮かんできた。
「助けたい」咄嗟にリサはドアを飛び出した。
「でもどうやって」階段を降りながら何の計画も無い事に気づいたリサは二階の踊り場で座り込んでしまった。銃声は激しさを増すばかりだった。音も徐々に近づいていた。
「どうしよう」頭を抱えるリサの耳に、走り寄る数人の足音が聞こえてきた。恐々覗き込むと、輝と杉本、そして二人に抱えられた大男だった。大男は腹から大量の血を流しながらも、何やら大声で叫んでいた。リサは大量の血を見てつい声を出してしまった。輝と杉本はリサに気づくと、大声で叫びながら階段に向かい走り出だした。
「早く逃げろ」二人が走り始めた瞬間、リサの耳に劈くような爆音が響いてきた。入り口付近は大きく崩れ、壁からは無数の鉄筋が剥き出しになり、途中から階段も消えうせていた。崩れた階段から階下を覗いたが何も見えない。リサは必死に辺りを見回したが、焼け爛れた床と壁しか目に入らなかったが、しかしその中に、真っ黒な人間の足だけが煙を上げているのが見えた。リサの頬に一筋の涙が伝った。
「リサ、大丈夫か」そんな時、輝の声が階下から聞こえてきた。二人は爆風で廊下の奥まで飛ばされていたが、幸いかすり傷程度で済んでいた。
「私、大丈夫」姿の見えない輝にリサは答えた。兵隊に見つかると殺されると思い、リサは辺りを見回し必死に考えた。その時涙を拭うリサの目に、壁に埋め込まれた大きな赤い箱が映し出された。勢い良く扉を開けると、幾重にも折り重なった消火用ホースが吊るされていた。
「これよ」ホースの先を思いきり引っ張り、崩れた階段にたれ下げた。
「早く来て」リサの声でホースがピーンと張られた。杉本、そして輝とホースをつたって昇ってきた。昇り終えると杉本は急いでホースを引き上げた。三人がホッと胸を撫で下ろした時、どかどかと軍足の音がビルに近づいてきた。息を殺し階下に耳を澄ませると、二言三言の英語が聞こえたが、直ぐにまた、どかどかと走り去って行った。リサは二人を交互に見つめて「アーメン、全員、バラバラになったそうよ」と、笑って見せた。そして二人の胸に飛び込んだ。ひとまずは安心できた。今この建物には、上に登る手段は無い。動かないエレベーターと崩れ落ちた階段が、三人を隔離し守ってくれていた。少なくとも今は…。
          五

 「本格化してきたな」窓から通りを伺いながら、輝は話しを続けた。
「暫くここに隠れていたほうが良さそうだな」既に銃声は止んでいたが予断は許されなかった。アメリカ兵も警備を強めるだろうと思われた。
「そのほうがいいでしょう」杉本も納得した様子だった。
「腕は大丈夫か」上着が破れ、血の滲んだシャツを見て輝は尋ねた。
「この程度、大丈夫です」リサは給湯室から急いでタオルを持ってきて、杉本の腕に巻き始めた。リサには自分が原因で怪我をしたと思えて仕方なかった。危険な眼にあわせてしまったと。
「ありがとう、リサ」リサは小さく頷き、顔を赤らめた。
「表はどうですか」輝に視線を移し杉本は尋ねた。
「まだ二、三人の兵隊がうろついているよ。だが大丈夫、こちらには見向きもしない」
そこに二人の日本人、あの男達の残りの二人が、銃を突き付けられ道路に連れてこられた。
そして突然の銃声と共に、二人はばたりと道路に倒れこんだ。
「あっ、」輝は思わず声を漏らしてしまった。
「どうしました」銃声に気づいた杉本とリサが、窓に近づいてきた。
「なんでもない」リサに見せる訳にはいかない。輝の言葉で何かを感じたらしく、杉本はリサを奥に連れていった。やがて兵隊達はいなくなってしまった。
「少し休むといい」輝は二人に告げると、ドアを開け廊下に出て行った。このビルの三階以上は事務所ばかりだが、下の階には小さな店が何件か入っていたのを思い出し、「役に立つものは無いか」と二階のフロアに降りて行った。小さな洋品店は荒らされた形跡も無く、静かにたたずんでいた。若い女の子用の服がガラス越しに見えたが、輝はためらいも無くドアを壊し、店内に入り物色をはじめた。勿論リサのためである。レジ脇の袋に数着の服を詰め込み、洋品店を後にした。隣は紳士服、厚手のコートを袋に詰め、フロアの奥の店へと移動した。小さな看板にはスポーツ用品の文字が入っていた。野球、サッカー、バスケット、どれも役に立ちそうも無かった。戻ろうとした時、ふとレジの後ろに目が止まった。登山用品の中にサバイバルナイフが鈍い光を放っていた。
「これは使える」ショーケースをこじ開けると、他にもロープやらランタン、固形燃料、レトルト食品、飲料水までもがご丁寧に並べてあった。普段二階に降りる事の無かった輝は、店の存在すら知らなかった。しかしこれほど感激したスポーツ用品店に、かつて出会った事が無かった。初めて野球のグローブを買いに行った店より。
「私だ」輝が静かにドアをノックすると、リサが顔を覗かせた。両手に袋をぶら下げた輝を確かめるとリサは笑顔になった。
「何ですか。その袋」奥から杉本が声をかけた。
「スポーツ用品店で、色々揃ったよ」
「スポーツ用品」暫く考えてから
「ああ、新しく出来た店です。何かいい物ありましたか」杉本は興味深そうに覗きこんできた。
「たいへんな収穫だよ」デスクに洋服の山を積み上げた。
「これはリサに」差し出された服を手にリサは大喜びだった。リサの服はあちらこちら破れ、襤褸切れと化していた。
「これは君に」コートを受け取り杉本も満足そうに微笑んだ。
「これが、スポーツ用品店での収穫。これから晩餐会と洒落込むぞ」もう一つの袋から取り出されたものを見て、リサも杉本も目を輝かせた。三人とも食事は久しぶりだった。中でも食後のコーヒーは、とてもインスタントとは思えず、三人の身体を芯から温めてくれた。満足したリサは今にも眠りにつきそうに舟をこいでいた。輝がやさしくコートを掛けると静かに寄り添い目を閉じた。
「彼女には残酷な現実ですね」リサをじっと見つめて杉本はため息をついた。リサを静かに横たえると輝はサバイバルナイフを取り出し
「一応持っていなさい」と、杉本に手渡した。
「この先どうなるのでしょうか、まだまだ殺し合いが続くのでしょうか」ナイフを見つめて杉本が呟いた。
「確かに戦闘は激化してきたが、アメリカも我々を滅ぼすつもりは無いだろう。それに新しい州が焼け野原では彼らも困るのではないか」
「確かにそうですね。日本人の技術や勤勉さは大方認めていますからね。根絶やしにするとは思えません。しかし反対組織は頑固です」
「杉本君の言う通りだ。簡単には諦めないだろう。なんと言われようが今まで日本を守ってきた連中だ、降伏もしないだろう」
「何でこうなったのでしょう」
「我々は政府を支持しないと言いつつ何もしなかった。政治家の好き勝手を野放しにした罰だよ。もっと早く国民が立ち上がるべきだったんだ」
「確かに批判するだけで何もしなかったのは、私達国民の落ち度でした。何か手を打っていればこんな事にはならずに済んだのでしょう」杉本は落胆の色を隠せなかった。
「とにかく、良く考えてから行動しよう。それと明日どうするかだ」
「やはり街中は危険でしょうし、いつまでもここにいる訳にはいかない。私の田舎なんかどうでしょう、軽井沢に両親がいるのですが、行ってみますか」
「遠いがここよりは安全だろうし、ご両親が一緒なら心強い。しかしまだ居られるのかね」
どこかに非難でもしているのではと輝は気になった。
「大丈夫です。山荘の管理をしているのですが、冬は閉めますので誰も来ないし、どこにも行くところは無いと思います」
「しかし、歩いては行けないぞ。それに途中リサが見つかると厄介だし、リサの両親の事も気がかりだ。どうにか助けたいが」
「車が手に入れば良いのですが。それに両親をこのままにしてリサが付いて来てくれるかも心配です。かといって助け出すのも至難の技でしょう」杉本の言葉を遮るようにまた例のトラックのエンジン音が聞こえてきた。
「あかりを」輝が言うのが早いか、杉本はランタンの明かりを吹き消した。
緊張の時間がゆっくりと進む中、二人は身動きせず全神経を耳に集めた。サーチライトの明りが音も無く窓を流れていったが、幸いトラックは停止することなく通り過ぎて行った。

          六

 時折聞こえる銃声で輝は目覚めた。やはり疲れたのだろうか、杉本はまだ寝息を立てていた。簡単な食事を用意して二人を起こした輝は、再びスポーツ用品店に向かった。大き目のナップザックに、店内に残っていた食料品や固形燃料など、手当たり次第に詰め込んだ。杉本もデスクやロッカーを片端に物色し始めた。ロッカーの一つから買い置きのタバコが見つかった時には大喜びだった。リサにはまだ「安全な場所に移動する」とだけしか話していなかった。とにかくここを離れるにあたって、役に立ちそうと判断したものを次々に袋に詰め込んでいった。リサは、じっと窓の外を見張っていた。何か異常があれば直ぐに二人に知らせるつもりで。その時数人の男が、銃を構えた日本人に追いたてられるように坂を登ってくるのが、窓の視界に入ってきた。追いたてられる男の中にリサが最も会いたかった顔があるのに気が付き、リサはつい叫んでしまった。ナップザックを背負って戻ってきた輝と、物色中だった杉本はリサに駈けよってきた。
「あそこにパパが」リサの指先は数人の外国人と、武装した日本人を差していた。
「お父さんがいるのか、あの中に」輝の問いに
「一番後ろ、黒のジャケットがパパ」リサは涙を浮かべて輝に向き直った。その眼は希望と絶望とが交じり合い、美しい青い瞳を曇らせていた。
「アジトの移動ですかね」間隔を開けて何人もの人間が坂を登ってきた。杉本の仮説はどうやら合っているようだった。
「昨日の銃撃戦のこともあるしな」輝は頷いた。
「とりあえず後をつけてみる。ここで待っていてくれ」
「僕も行きます。昨日彼らのアジトに行ったので、何人かの顔を覚えています。見つかっても不信に思われないよう、誤魔化します」杉本はすかさず答えた。
「それに一人では危険です」暫く考えてから輝はリサに向かって言い聞かせた。
「リサ、一人でも大丈夫だね。ちゃんと隠れて待っていられるね」
「私は大丈夫です。パパを助けて」リサは涙を堪えていた。
「きっと助け出す。心配しないで」リサを抱きしめると、杉本と目配せをした。
「行こう」輝の言葉に力強く頷くと、杉本は輝の後から廊下に向かった。リサも駆け出し二人の後に続いた。消火栓のホースを引き上げると、リサは窓から二人の行方を目で追い胸の前で十字を切った。

          七

 入り口辺りで身を潜め、輝と杉本は最後のグループの後をつけ始めた。およそ五十人はいるだろうか、四つのグループが身を屈め歩いていった。二人は物陰に身を隠しながら移動した。やがてホテル街に足を踏み入れた四つのグループは、それぞれ別のホテルへと吸い込まれて行った。二人は途方に暮れてしまった。最初のグループ、リサの父親のいるグループがどこに入ったのか、確認する事ができなかった。
「仕方ない、暫く張りこむか」輝が呟くと
「ここに隠れましょうか」と、一軒のカレーハウスを杉本が指差した。
店内は荒らされ放題でひどい有様だったが、表の寒さは十分凌げたし、三番目と最後のグループが入ったホテルの入り口が、しっかり視界に納まっていた。
「しかし変ですね。新しいアジトにこんなところを選びますか。バラバラだし動きづらいでしょう」杉本は考えこんでしまった。
「移動中なのかもしれんな。それとも一時的に非難したとか」輝の答えを待つように、トラックの低い唸りが響いてきた。
「隠れろ」二人はカウンターを越えキッチンへと滑りこんだ。今度のトラックは通り過ぎなかった。そして靴音が狭いホテル街の路地に踏み入ってきた。カウンター越しに表を覗うと、数十人のアメリカ兵が銃を構え、慎重に進む姿が目に飛び込んできた。
「このままでは見つかる」輝は杉本に伝えた。今度は杉本がカウンター越しに覗うと
「一軒一軒調べています。反対組織を追ってきたのでは」
「多分彼らが目的だろう。しかし我々もとにかく隠れなければ」輝は上を見上げたが、点検口どころか天井すら無かった。狭い店内に隠れる場所は一つもなかった。
二人は出来るだけ身を低くして、息を殺す事しか出来なかった。やがて扉が鈍く開く音が聞こえ、足音がカレーハウスの中に入ってきた。小さな店の中、見つかるのは時間の問題だった。兵隊がカウンターを覗こうとした時、外で激しい銃声が響き始めた。兵隊は慌てて踵を返すと、店から駆け出して行った。
「最後のグループが発見されたみたいだ。ホテルに向かって撃ちまくっている」カウンター越しに杉本に説明していた輝の鼻先を、流れ弾がかすめ飛んできた。おもわず仰け反る輝を杉本がしっかり支えた。
「大丈夫ですか」
「こんな体験はしたくないね」息を整えて輝は答えた。やがて突入した兵隊に最後のグループは鎮圧されてしまった。捕虜となっていた外国人は開放され、星印のトラックに向かっていった。安堵の笑みを浮かべながら。それから銃撃戦が起こるたびに、数人の外国人が開放されていった。四度目の銃撃戦の時、輝はまたもカウンター越しに表を覗った。リサの父親がいたグループに違いないと確信をもって。やがて銃声も止み頭に手を当てた日本人が数名、カレーハウスの前を、トラックに向かい追いたてられていた。兵隊達の乗ってきたトラックは満員となり走り去っていった。まだ数人の兵士が残っていたが、彼らは雑談をしてタバコを吹かしていた。しかしリサの父親の姿は確認出来なかった。
「撃たれてしまったのか」輝は不安を隠しきれなかった。
「どうですか」杉本が心配して声をかけた。
「どうもリサの父親の姿が見当たらない。逃げたのかそれとも」
「まさか」杉本も落胆した様子だった。リサの顔を思い浮かべ輝も肩を落とした。そんな時、兵士が一人の外国人を連れて店の中に入ってきた。怪我をしているらしい外国人は、リサがパパと呼んでいた男で黒いジャケットを羽織っていた。兵士は何か言い含めると、男を椅子に座らせ店を後にした。そして雑談する仲間に加わり、大声で笑い始めた。父親の無事な姿を見て安心したが、チャンスは今しか無いと、輝は隠れたまま男に声をかけた。出来るだけ流暢な英語を使い。
「リサと一緒です。騒がないで、静かに」男は声を出しそうになって、慌てて口を押さえた。突然聞かされた娘の名前と、姿の見えない男に緊張したが、ゆっくり辺りを見回し静かに答えた。
「リサだって、娘のリサか」
「そうです。貴方が父親だとリサから聞きました。とても元気です。今は保護しています」輝も声を殺し答えた。
「どこにいる、出できて娘に会わせてくれ」突然に娘の無事を知らされ、今にも泣き出しそうな声だった。
「勿論その為に追いやられる貴方がたをつけてきたのですから。ただ」輝は口篭もった。
「ただなんだね」その声は涙声になっていた。
「今は駄目です。今夜ここで会いましょう」姿を見せて騒がれたら、兵隊に蜂の巣にされてしまうだろう。少し脅かしをかける必要が輝にはあった。
「騒ぐと娘さんの命は保証出来ません。ここでの事も誰にもしゃべらないように」
少々ドスを聞かせた声で話したが、これは一か八かの賭けだった。騒がないとの確信は持てなかった。暫く沈黙が続いたのち、幸い男は静かに答えてくれた。
「多分私はどこかの基地に連れていかれるだろう。抜け出せないかも知れない。来ることが出来なければ、わたしの娘はどうなる」
どうやら賭けは成功したようだった。
「仕方ありません、三日間待ちましょう。三日後の午後十時この場所で、何とか方法を考えてここまで来てください。」
「判った、それまで娘を頼む、危害を加えないでくれ」
「大丈夫、私は味方です。安心してください。さあ、もう行って下さい」男は足を引きずり後ろ髪を引かれる想いで店から出ていった。丁度星印のトラックも姿をあらわしたところだった。残りの兵隊も全て引き上げるのを確認すると、輝は床に座りこんでしまった。あまり英語を得意としない杉本に事の粗筋を説明すると
「うまくやりましたね、先生見直しましたよ」いつもの杉本得意のおだてが飛び出した。
「とにかく戻りましょう。リサに報告しないと。無事だと聞いたら喜ぶぞ」杉本の方が余程嬉しそうだった。
事実、こんな状態で助かるとは思いもしなかった。杉本は意気揚揚と店を出たが、輝は今ごろになって足が震えだしたのに、始めて気が付いた。一人残されたリサはじっと窓に寄り添っていた。兵隊がトラックで通りすぎ、銃声が聞こえた時には心配で胸が破裂しそうだった。しかし二人の姿が遠くに見えた時、心の中に何かが芽生えたことをリサはまだ気づかずにいた。急いでホースを垂らし二人を迎えたリサは、二人の笑顔から良い結果が得られたことを汲み取り、輝に抱きついた。
「パパは無事なのね」リサの問いに
「三日後に会える」輝は静かに答えた。
「開放されたの」リサの質問に一部始終を伝えると、リサはつい輝に激しいキスをしてしまった。我に返ったリサは真っ赤な顔をして、給湯室に駈け込んだ。
「おやおや」杉本の言葉で、呆気に取られていた輝も
「余程嬉しかったのだろう」と、一つ咳をした。
「とにかく三日後まで、ここを動くわけには行かなくなった。見つからないように、十分気をつけるしかなさそうだ」輝がそう締めくくると
「無事に過ぎますように」と、杉本は両手を擦り合わせた。

          八
 
 銃声が激しくなる中、三人は身を寄せ合い、どうにか約束の日を迎える事が出来た。
「私が連れてくる。リサを頼むぞ」リサを抱きしめ、輝は出版社を後にした。
道玄坂の街並みは、二日の間に激しく変貌をとげていた。大破したビルの瓦礫が道路に散乱し、大地震にでも見舞われたかのように、街は廃墟と化していた。今まで居たビルを振り返り、「良く無事だったな」と、輝はつくづく感心した。暫く感心してみていた輝は一抹の不安を感じ、約束のカレーハウスへと足を速めた。しかし不安をよそに、小さな店は瓦礫の中にぽつんと佇んでいた。輝は時計を確認してから、約束の地へと足を踏み入れた。輝は身を隠し時が来るのをじっと待っていた。
「ちゃんと約束を守るだろうか」輝の不安を足音がかき消した。
「来てくれた」安堵の表情を浮かべる輝の顔が、一瞬凍りついた。
「ふたり…」輝の耳は、二つの足音をしっかりと捉えていた。全身から汗が噴出してきた。
輝はサバイバルナイフを取り出し身構えた。足音は尚も無言のまま近づいて来た。兵隊でも連れて来たのだろうか、そう思うと必死にナイフを握り締める手が小さく震え出した。
「誰かいますか」しかし予想と裏腹に、その声は女性の声だった。続いて男の声が店の中に静かに響いてきた。
「約束通り来ました。居ますか」その声は先日話した男と確信できる声だった。
「誰にも言わない約束では」兵隊では無いと冷静さを取り戻したが、輝は暗闇から姿を現すことなく、静かに答えた。
「すいません、私の家内です。娘が無事な事を黙っていられなくて」男は話を続けた。
「それに家内の協力なしでは、ここまで来る事が出来ませんでした」
「娘は、リサは無事なの」言われて見れば、リサの声と瓜二つだった。
「ええ、無事です。ちゃんと保護しています」尚も暗闇から声をかける輝に少々焦れたのか、
「早く会わせて、リサに会わせて」と、母親は興奮し始めた。
「出てきて、早く娘に会わせてくれ」父親も少々声を荒げ始めた。
「判りました、今出ていきますが、驚かないで下さい」輝は静かに立ち上がると、月明かりの中に姿をさらした。当然二人は驚きに身動き出来なかった。
「ジャップ……」やっとのことで声を出した父親は、妻を下がらせベルトから拳銃を抜き出した。
「貴様、騙したな」怒りに震える手で拳銃を輝に向けた。
「本当のことです。リサを預かっています。元気ですよ」出きる限り冷静を装い輝は微笑んだ。
「信じられるか、私達が、私達が今までどんな目に……」父親は涙を流しながら訴えた。云いたい事は十二分にわかっていた。
「お前達を許さない」今にも引き金が引かれる寸前
「パパ、本当よ」リサの声が辺りに静かに漂った。振り返る父親の目に、元気なリサの姿が飛び込んで来た。
「リサ」両親はリサに駈けより強く抱きしめた。
「心配になって来てみたのです。それにリサも待って居られなくて」抱き合う三人を見つめる輝の横に、杉本が歩み寄ってきた。
「実の所、感謝している。どうしようか困っていたところだった。リサの居場所を聞き出すまでは、殺しはしないと思ったがね」実際輝は至って冷静だった。何故かは分からないが。そして満足そうに抱き合う三人を見ていた。
「これで一安心ですね」
「いやまだ安心できない。とにかくここは危険だ」五人はとりあえず出版社へと向かい始めた。この隠れ家も随分と過ごしやすく改造されていた。他のフロアからソファベッドを持ちこみ、光が漏れないようにテントを張って、暖かいコーヒーはいつでも飲める状態だった。
「リサから全て聞きました。本当になんとお礼を言ったら良いのか」リサの父、リチャードは、輝を抱きしめた。
「これは家内のエリザベスです」
「輝さん本当にありがとう、それに申し訳無い態度をとったことを深くお詫びします」
リチャードに紹介されたエリザベスが、済まなそうな目で輝を見つめていた。
「こんな時ですから仕方ありません。どうか気にしないで下さい」輝の暖かい言葉に、エリザベスは何度も輝の手を握り、涙を流していた。
「これから君達は、二人はどうするつもりですか」リチャードの問いかけに
「とりあえず彼の田舎にでも行こうと思っています」と輝は杉本を見てからリチャードに答えた。
「しかし、いずれ兵隊たちが訪れていくでしょう。その時はどうするつもりですか」リチャードは二人の身を案じているようだった。
「私達は、兵士でもなく戦う事を知りません。その時は静かに身を委ねるでしょう」と言う輝の答えに
「私達と共に来ませんか。決して悪いようにはしません」とのリチャードの言葉に、エリザベスが付け加えるように続けた。
「今度は、私達が助ける番です。リサの恩人を見過ごす事は出来ません」
「お願い、一緒に来て」リサも加わり、輝と杉本の手を取って顔を交互に見つめた。
「しかし、私達が一緒だと、貴方達も危険な目に会うのでは無いですか」輝の問いに、リチャードが声を落として、静かに答えた。
「貴方方を信じて話しますが、これは重大な秘密です。私は普通に貿易を営む人間ですが、妻の父親は政府の人間です。しかもとても重要なポストに就いていて、大統領とも親しい間柄です。そのお蔭も有って今日ここまで来る事が出来ました。リサはたった一人の孫で、とても可愛がられています。きっと力になってくれると思います」輝は暫く考え込んだが、ひとつの結論に達した。
「皆で移動すれば目に付き易いでしょう。しかし貴方達も、ここを三人抜け出すのは難しいと思います。そして私達も危険だらけです。ならばお互い助け合って乗り越える事が、最善の策だと思います。一緒に行きましょう。どこまで行けば良いのですか」リチャードの目に希望の光が浮かび上がった。杉本も静かに頷き、輝に従う気持ちを固めていた。
「国会議事堂をご存知ですか。いまアメリカ軍の作戦本部になっていますが、そこの司令官は父の知り合いです。きっと助けてくれます」エリザベスにも促され、腰を挙げようとしたとき、また近くで銃声が轟いた。
「車でもあれば安心なのですが」銃声に耳を傾けながら、杉本が呟いた。
「私が手に入れてきます。妻と娘をこれ以上危険な目に合わせたくはない」リチャードは拳を握り立ち上がった。
「私も行きましょう。二人ならば何かと都合が良いでしょう」輝も立ち上がると、杉本も遅れまいと立ち上がった。
「君は二人のことを頼む。心配するな」輝は杉本を座らせた。
「私からもお願いします。家内と娘を頼みます」リチャードにも頼まれ、幾分機嫌を直した杉本は、ちいさな笑みを浮かべた。
「気を付けて下さい。お二人が戻られるまでしっかり守ります」
エリザベスは今生の別れを告げるように、リチャードと口付けを交わした。まだまだ日本人には慣れない習慣を見せられて、輝は思わず目をそらした。そんな輝にリサが飛びつき、唇を重ねてきた。慌てる輝をリサの両親はなにも言わず、ただ笑って見ていた。

          九

 輝とリチャードは暗がりの中、銃声のする方へと足を進めた。小さな戦場では数人のアメリカ兵が消防署に向かい、自動小銃を乱射していた。近くには例の星印のトラックが止められていた。幸いトラックには兵士の姿は無く、エンジンもかけられたままだった。
「私が行きます」リチャードは輝を残し、身を隠しながらトラックに近づいていった。輝はそんなリチャードの行動を、黙って見守っていた。リチャードがドアに手を掛けようとした時、トラックの後部から兵士が現れ銃を突き付けた。輝の見守る中二人は、何か会話を交わしていた。そのうち兵士は銃を下ろしリチャードをトラックに乗せ、消防署の方に姿を消して行った。トラックの窓から、握りこぶしに親指を立てた腕が出されたときに、輝は安堵のため息を漏らした。どうやら上手く誤魔化せたようだった。やがてトラックは急発進し暗闇の中へと消えていった。トラックが消えるのを確認してから、輝は静かに踵を返し闇と同化していった。隠れ家のビルまで輝が戻ると、物陰からリチャードが姿を現した。
「すみません。置き去りにして」不意に姿を現したリチャードに一瞬驚いたが、すぐに気を取り戻し、冷静に輝は答えた。
「大丈夫です。それより兵隊が現れた時には、正直、肝が潰れました」輝が言うと
「逃げ出してきたので助けて欲しいと頼んだら、兵士はあっさり信用しました。基地に連れていくからトラックに乗って待っていろと」少々自慢げにリチャードは片目をつむった。輝の顔にも笑顔がこぼれた。
「トラックは、建物の裏手に隠してあります。急いだほうがいいでしょう」リチャードに促され二人は隠れ家へと戻っていった。数分前に窓から二人の姿を確認していた杉本は、いらついた表情で階段の上で待っていた。
「杉本君、私だ」輝の声が聞こえると、待っていましたとばかりにホースを階下に垂れ下げた。
「どうしたのですか、姿が見えてから大分待ちましたよ」二人が登るなり、杉本は早口でしゃべり始めた。
「いやー悪い」そう言って輝は事の成り行きを話した。
「では、上手く手に入ったのですね」杉本は大いに喜んだ。
「支度しよう、直ぐここを出るぞ」輝の言葉で、杉本は出版社に飛び込んだ。その後、輝とリチャードは、留守番の二人から手厚い歓迎を浴びせられた。

          十

 トラックは五人を乗せ、荒れ果てた街を静かに進んでいった。助手席にリチャードを乗せ、輝がハンドルを握っていた。後部座席に三人は身を隠し、車の振動だけを感じていた。トラックに乗っているとはいえ、今の日本に安全な場所など無いに等しく、気を緩める訳にはいかなかった。原宿辺りに差し掛かった時、対向車線に二台の車のライトが近づいてきた。サーチライトの明りは無く、トラックよりも小さな車のようだったが、判断できなかった。助手席のリチャードはいち早く確認しようと、フロントガラスに近づき目を凝らしていた。その手にはトラックに積んであった米軍のヘルメットが握られていた。街燈の消えた街では対向車のライトに阻まれ、センターラインすら容易に判別出来ないでいたが、不意にリチャードがヘルメットをかぶせ叫んだ
「アメリカ兵です。何気なく通りすぎてください」
ヘルメットを目深にかぶり、輝は小さく頷いた。その車両は星印のついたジープで、三人の兵士がそれぞれ乗車していた。輝は言われた通りそのまますれ違った。それと同時にスピードを少し上げた。ジープの兵士の上げる手が輝の視界にも一瞬入ったが、後はミラーに映るバックライトのみが、相手の行動を知る唯一の情報源だった。
ミラーに集中し怪しまれずに済んだことを祈りながら、輝は更にスピードを上げていった。
突然、ミラーに映る赤いライトが一際光を発し、ミラーから消えうせた。輝はホッと溜息をついた。が、次の瞬間、今までより一段と強い光が、輝の目を串刺しにした。
「ユーターンしてきた、ばれたか」輝の言葉にいち早く反応したリチャードは窓から顔を出し、後方に目を凝らした。
「追って来ます。二台とも向かってきます」リチャードの切迫した声に、後部座席からエリザベスが叫んだ。
「お願い、止まって、攻撃されるわ」
「お前は、黙って隠れていなさい。まだ、攻撃された訳ではない」リチャードはエリザベスに言い聞かせ、素早く毛布をかぶせた。
「左車線を走ってください」リチャードの言うまま車線変更をすると、追ってくるライトは助手席側に移動した。ミラーの中のライトがパッシングをはじめた。
「スピードを落として、でも決して止まらないで下さい」リチャードには何か策があるらしく、輝は素直に従うことにした。リチャードはわざとヘルメットをはずし、きれいな金髪を窓からさらした。やがて追いついたジープの兵士はリチャードに叫び始めた。
「貴様民間人だな。車を止めろ」兵士の銃の狙いはしっかり定まっていた。
「私は医者だ。重症患者を運んでいる。撃たれたアメリカの将校だ」
「どこまで運ぶつもりだ」兵士は尚も叫んでいた。
「作戦本部だ、先導してくれ」リチャードも叫び返した。
「判った、先導する。しっかり付いて来てくれ」兵士を乗せたジープはトラックの前に移動して、徐々にスピードを上げていった。重症の将校と、作戦本部に向かうと言う事でどうやら信じたらしかったが、なによりリチャードが信用されたようだった。それからリチャードは輝に向かい静かに諭すように話し始めた。
「とりあえず、本部までは安全でしょう。問題は本部に着いてからです。私達は司令官の友人ですが、貴方方はまず捕まるでしょう。しかし必ず助けるよう司令官に頼みます。それまで我慢してください」
「リチャード、私は貴方を信じます。多分杉本も」
「はい、信じます」後部座席から杉本の小さな声が聞こえてきた。
「有難う、必ず助けます。リサを助けてくれたように」
「私も頑張る」今度はリサの声だった。
いつの間にかジープは一台になっていた。遠くでかすかに爆発音が聞こえたかと思うと、ジープがリチャードの横に並んできた。
「本部が攻撃されていて、向かう事が出来ない。有明の基地まで先導するが将校殿は大丈夫か」兵士に大声で尋ねられ、リチャードも大声で答えた。
「重症だがまだ大丈夫、今は安定している」リチャードは答えた。
「どうにか、もたせてくれ」
「とにかく、急いでくれ」リチャードの言葉にアメリカ兵は頷くとジープは東方に進路を変えた。
「有明には、知人はいません。どうしましょう」輝に向き直りリチャードが尋ねた。輝は暫く考えこんでから口を開いた。
「幸い今、ジープは一台ですね。どうにかまければいいのだが」
後部座席から杉本が起きだし呟いた。
「ここからだったら湾岸線の首都高速ですよね。ジャンクションで別れてしまえばいいですよ」
「それしか手がない様だ、気づかれない程度に距離を空けて付いて行こう」
案の定ジープは芝浦から高速に入っていった。こんなにも走りやすい首都高速は初めてだったが、時折止まっている乗り捨てられた車には、十分注意をする必要があった。
「さてどっちに向かうか」レインボーブリッジの上で輝が静寂を破った。
「そろそろ距離を空けるか」徐々にジープとの間隔が開いた時、ジープは有明ジャンクションを辰巳方面に滑りこんで行った。輝はぎりぎりまで左車線を走りそして叫んだ。
「つかまれ」その声と同時にトラックは大きく揺らぎ、右車線に飛びこんだ。アクセルを目一杯踏みこみ、東京港トンネルに向かって速度を上げていった。後方を見守っていたリチャードが嬉しそうに輝に伝えた。
「追ってきません。まだ追ってきません」
「しかし安心は出来ません、気づかれたら速度では到底ジープにはかなわないでしょう」輝は冷静に答えた。
「先生、大井で降りましょう、高速よりは見つかり難いでしょう」
「どこか隠れ場所を探すか」輝がそう言い、ふと港に目をやると、巨大な戦艦と航空母艦が目に入った。
「あれを見ろ、杉本君」輝の指を差した方向に目を向けた杉本は、しばらく言葉を失った。
「本気だ、奴等本気になっちまった」杉本の言葉と同時に、リチャードは頭を抱えてしまった。
「どうしたの」リサが後部座席から身を乗り出し輝に尋ねたが、輝は無言で海上を指差した。海上の物体を見たリサは、エリザベスに抱きつき泣き出した。
「どうなるの、これからどうなるの」無論エリザベスは何も語らず、ただリサを抱きしめるだけだった。大井で高速を降りた時、輝がまたも口火を切った。
「リチャード、貴方達を基地の近くまでお送りします。そこで分かれましょう。安全な基地はどこか知りませんか」
「あなた達はどうするのですか」リチャードは尋ねた。
「まだ判りませんが、私達が一緒だと貴方に危険が及ぶでしょう。アメリカ軍に保護してもらって下さい。そのほうが家族全員安全です」
「友人は作戦本部の司令官だけだが、私が説明すれば、どこの基地の責任者だって判ってもらえるはずです。一緒に行きましょう」リチャードの誘いに気持ちが揺らいだが、輝はきっぱりと断った。
「いえ、いいんです。日本はもう終わりでしょう。しかし私は日本人です。運命ならば共に終末を迎えたいのです。こんな国でも愛着がありますから」ひと呼吸おいて輝は話しを続けた。
「杉本君、君は一緒に行きなさい」突然の言葉に杉本は驚き、咄嗟に言い返した
「私は、先生と行きます」杉本の口調には断固としたものが感じられたが、輝は無視した。
「君は、ジャーナリストに成りたかったのだろう。アメリカの保護の元、立派にジャーナリズムを貫いて欲しい、そして世界に伝えて欲しい」
「それなら、尚更いけません。リチャードのお蔭で保護されても、完全な自由など無いでしょう。何も出来なくなります」杉本の考えは多分合っているだろう。アメリカ本土に送還される事は確実だと、輝にも想像できた。しかし杉本の命はどうしても助けたかった。
それほど彼はまだ若かった。暫くしてリサが口を挟んできた。
「ママ、おじいちゃんに頼めないの」
「おじいちゃんは今、ワシントンよ。連絡とれないわ」エリザベスの答えは簡単だが、リサを説得するには十分過ぎた。今、日本の通信システムは稼動停止の状態だった。
「軍の基地からなら連絡とれる」リチャードが何か閃いたらしく、リサとエリザベスに向き直った。
「今から言う事を、良く聞きなさい。お前達二人を基地に送って行く。そこからなんとしてもワシントンと連絡をとって欲しい」
「貴方はどうするの」リチャードの顔を見つめ、エリザベスは尋ねた。
「私は二人と行動を共にする」リチャードははっきりと答えた。
「ちょ、ちょっと待ってください」慌てて輝が口を挟むと、リチャードは静かに話し始めた。
「私に考えがあります。私を信じてください」リチャードは胸ポケットから手帳を取り出し何かを書き始めた。そして手帳から千切ったその紙をリサに渡し、ゆっくりと言い聞かすように話した。
「いいかねリサ、おじいちゃんに、書いてある通りに伝えなさい」リサは黙って頷き、ポケットに紙を詰め込んだ。そしてリチャードは輝と杉本を車から降ろし、ハンドルを握った。
「ここで隠れて待っていてください。必ず戻ってきます。それに燃料も入れないと」そう言い残すとトラックはゆっくり走り始めた。リサが窓から顔を出し何か言おうとしていたが、そのまま闇の中に消えて行った。

  他国介入の危機
 
          一

 リチャードの考えが読めない輝は、とにかく待つことしか出来なかった。だが、二人には確かな信頼関係が生まれていた。
「どこかに隠れて待つことにしよう」輝はいった。
「そうですね道路で待つわけにはいきませんよね」杉本はそう言って辺りを見回した。どうやら鮫洲駅の近くだと確認できた。
「あそこに、運転免許試験場があります。中に入りましょう」杉本の意見に従い、道路を渡ろうとしたとき、一発の銃声が辺りに轟いた。急いで戻りガードレールに身を隠すと、二発目の銃弾が目の前の道路にめりこんだ。
「アメリカ兵でしょうか」辺りを見回し杉本が小声で話しかけた。
「兵隊ならば、もっと正確に撃ってくるさ」輝が至って冷静なのに気づき、杉本は少し安心したようだった。単発の銃声は相手が一人だと言う事を物語っていた。
「反対組織の見張りか何かだろう」輝はそう言うと、両手を上げ道路に出て行った。
「戻ってください」杉本は輝の行動を止めようとしたが、輝は既に道路の半ばに達していた。しかし幸いに銃声は響かなかった。その代わり銃を構えた人影が、試験場の入り口に姿を現した。
「我々は日本人です」輝には確信があった。
「そこで止まれ」その人影は、輝が思った通りに日本語で話し始めた。
「ここで何をしている」しかしその声は、輝の予想に反し、か細い女性の声に感じられた。
「安全な場所を、探しています」輝の言葉に声の主はそっけなく答えた。
「安全な場所など、日本には無い。早々に立ち去りなさい」
「では貴方は、ここで何をしているのですか」輝は両手を上げたまま、徐々に近づいて行った。
「私の事などどうでもいい事だ。構わないでくれ」その影は二、三歩下がった。無理に男言葉を使うのが良く伝わった。
「だったら何故、撃ってきたのですか」輝は話しを止めなかった。
「その事は謝る」か細い声は銃を下ろした。
「一人ですか」輝がそう言う頃には、もう手の届くところまで近寄っていた。杉本も輝の直ぐ後ろに立っていた。
「彼は杉本、私は長田です。宜しく」差し出された手を見つめたまま、その人物はうつむき黙っていた。帽子を深くかぶり、顔の半分をマフラーで隠し分厚い迷彩柄のコートを羽織っていたが、女性の体型を隠す事は出来なかった。
「大丈夫、味方です」そんな輝の言葉に、怒りを発した人物は叫び始めた
「味方はいないわ、みんな敵よ」声色は完全に女性に戻っていた。
「敵、誰が敵なんだい」輝は静かに尋ねた。
「私以外、みんな敵よ、日本人も外人も無いわ」そう言うと、銃口を輝に向けた。
「何があったか知らないが、少なくとも君に危害を与えるつもりは無い。それでも私は君の言う敵かい」輝は、出来る限り優しく尋ねた。
「みんなそう言ったわ、味方だとね。あの日本人も、そしてあのロシア人も。だから私は、誰も信じない」そう答えると、引き金に掛かった指に力が入るのを、輝は素早く見抜いた。しかしその瞬間、気づかれずに近づいた杉本により銃を奪われ、その人物は門扉に押さえこまれた。杉本が素早く帽子とマフラーを剥ぎ取ると、月明かりの中見覚えのある顔が浮かんだ。まだ若いが、実力のある女優、木立 麗 がそこに立っていた。
「貴方は」輝は正直に驚いた。杉本も押さえこむのを止め、しばしボー然としていた。
「貴方達も、私を襲うのね。やはり敵よ」その目は憎しみに満ちていた。
「何もしません」輝は慌ててかぶりを振った。
「うそ、現に襲っているじゃない」とうとう女優は泣き出してしまった。
「参ったな」輝と杉本は顔を見合わせ、困惑してしまった。どうやら辛い目に合ったらしい事は、容易に想像できた。杉本はマフラーを巻きつけ、帽子を女優にかぶせた。それから輝に歩み寄り小声で話し始めた。
「何があったんですかね」泣きつづける女優に声を聞かれないようにしながら。
「分からん」輝も小声で答えた。すると、泣きつづけていた女優は静かに立ちあがり、涙を拭い毅然とした態度で、二人の元ヘと歩き始めた。
「好きにすればいいわ」その声はドラマの中の声と少しも変わらなかった。さすがは大物女優の貫禄だと輝は思ったが、とにかく誤解を解く必要があった。
「本当に何もしません。信じてください」しかし、女優の目から、憎しみの火は消えなかった。困り果てている輝を、女優はじっと見据えていた。すると、杉本が一歩女優に歩み寄った。と同時にその頬に平手打ちをかました。
「いいかげんにしたまえ。何があったか知らないが。私達は何もしない。信じなさい」杉本に平手打ちを受けた女優は、その場所に力なく座りこんでしまった。そして静かに話し始めた。
「本当に、本当に信じていいのね」
「ああ、信じていい」杉本は女優の側にしゃがみこみ、出来る限り優しく答えた。
「ありがとう、信じるわ」そう言うとまた涙を流し始めた。
「話してくれるかい」女優の涙を指で拭い、杉本は尋ねた。
「話さなくちゃダメ」女優は懇願する眼差しで杉本を見返した。
「話したくなければ、何も聞かない」杉本はいった。
「ありがとう」女優に小さな笑顔が戻った。
「とりあえず、中に入ろう」輝は二人を促し、先に試験場の建物に踏み入った。杉本は女優に寄り添いあとに続いた。待合室の中は静寂に包まれていた。時折聞こえるのは、吹きつける風が窓を揺らす音だけだった。長いすに女優を座らせると杉本は静かに尋ねた。
「一人で大変だったね」優しく話す杉本を見つめ、女優はゆっくり口を開いた。
「洋子です。本名は平凡でしょ」そして小さく笑った。
「いえ、いい名前です。実は貴方のファンです。叩いてすいません」杉本は深く頭を下げた。そんな杉本を洋子はじっと見ていたが、やがて静かに話し始めた。
「私はマネージャーと海外に脱出するつもりで、羽田に向かっていました。それまでプロダクションの事務所に、他のタレントさんと共に隠れていましたが、脱出する船が見つかり、羽田近くの多摩川まで移動中でした。十人ほどが一台のバンに乗っていました」洋子は大きく息を吐き出し、話しを続けた。
「そして、襲われました。武装した日本人が五人ほど、私達の乗った車を止め、中を検めました。ほとんどが売れているタレントだったので、驚いていましたが、一人の男が悪戯を始めました。それを皮切りに男たちに次々と路地に連れ込まれ乱暴されました。止めに入ったマネージャーは射殺され、恐怖に凍りついた私達は身を任せるしかありませんでした」洋子は流れ出た涙を拭こうともせず、話し続けた。
「満足しきった男たちは、笑いながら私を見下ろし仲間と雑談を始めました。男たちの目を盗み、無我夢中に走り始めました。他のタレント達もバラバラに走り出しましたが、男たちは諦めませんでした。男たちもバラバラに追いかけ始めました。あちらこちらで銃声や、悲鳴が聞こえましたが、私はとにかく走り続けました。私の耳には追いかけてくる足音がはっきりと聞こえていました。どこをどう走ったか判りませんが、気が付くと追いかける足音が聞こえなくなりました。疲れきった私は道路にうずくまり涙を流していました。そこに人間の頭を持った、兵隊の格好をした男が現れました。もう大丈夫、始末しました。味方です。と男は話し始めましたが、日本人ではありませんでした。男はロシア人だと言っていました。アメリカから日本を守る為に極秘に来たと」輝は話しの邪魔をしないように、二つ後ろの長いすに腰を下ろした。洋子の話しはまだ終わっていなかった。
「そのときの私は素っ裸の格好でしたが、ロシア人兵士は躊躇することなく私を抱きかかえ、建物に入りました。するとにやりと笑い、またも私は乱暴されました。長いすに押し倒され無理やり犯されました。疲れきった私には兵士に抵抗する事も出来ず、ただされるままになっていました。そんな時、兵士のベルトのナイフに気がつき抜き取りました。勿論戦う為ではなく、自ら命を絶とうと思い抜いたのでしたが、兵士には挑戦に見えたのでしょう。体を離すとしきりに挑発してきました。そのとき恐怖の気持ちが憎しみへと変わったのでしょう。気が付くとロシア人は床に倒れていました。胸にはナイフが刺さったまま息絶えていました。それがここです」洋子はやっと涙を拭い、杉本の手を引き事務所に案内した。そこには下半身裸の外人が横たわっていた。輝がナイフに手を掛けたが容易には抜けなかった。血は固まり、目を見開いた顔は真っ白に変色していた。
「いつの事ですか」輝の問いかけに、洋子は静かに答えた。
「三日前のことです」輝は頷きながら注意深く死体を観察した。
「認識票とか、何か身分証明になすものを見ましたか」輝の問いかけに、洋子はただ首を振っただけだった。輝はふと、杉本の肩に掛けられたライフルに目が止まった。ライフルを手に取り銃身の付け根に目を凝らすと、AKS74Uの文字が読み取れた。たしかロシア製の銃だと、前に見た資料に出ていた覚えがあった。それを見た洋子は、ベルトから拳銃を抜き輝に手渡した。その拳銃にはPSMの文字が刻まれていた。これもたしかロシア製の拳銃だったと、輝は記憶していた。
「確かにロシア製の武器だが、本当にロシア兵だと大変なことになるぞ。日本を舞台にアメリカとロシアが戦争を始めることになる」輝の言葉から、杉本と洋子は戦慄を覚えずにはいられなかった。
「この先どうなるの」先に口を開いたのは洋子だった。
「早く、逃げ出しましょう」杉本の言葉を輝が遮った。
「もし、本当に戦争になったら、どこにも逃げられない。全世界に飛び火するだろう。何とか阻止しなくては、われわれ、いや、全人類の滅亡につながってしまう」輝は言った。
「でも、どうやって。我々には戦う戦力も、武器も、知恵もありません」杉本に言われ、輝は考えこんでしまった。そしてゆっくりと口を開いた。
「とにかく、日本の組織と接触する事だ。そしてロシア兵のことを伝えなくては」
「リチャードはどうします」立ちあがった輝を止め、杉本は洋子に聞かれないように尋ねた。
「わたし一人で行ってくる。君は洋子さんとリチャードの帰りを待っていてくれ」輝も小声で答えた。
「危険です。信じてもらえないかも知れません」杉本は必死に止めようとした。
「どうせ日本と運命を共にしようと考えていたんだ。けど戦争だけはどうにか止めたい。人類の為にも。今度世界大戦が勃発すれば、どうなるか君にも想像がつくはずだ」輝の意思は固まっていた。今、東アジアは緊張の真っ只中にあった。ここで紛争が起これば、中国、北朝鮮までもがこの事態に便乗してくるのは目に見えていた。更にはアメリカの防衛戦略を快く思わないヨーロッパ諸国まで介入してきたら。輝の脳裏には人類滅亡のシナリオが具体的な形で浮かんできた。急がなくては、時間が無い。輝は焦る気持ちを押さえ洋子に尋ねた。
「思い出させて悪いが、君等が襲われた場所を教えてくれ」洋子は一息ついて答えた。
「確か品川駅を過ぎてからだと思います」
「ありがとう、とにかく行ってみる。リチャードが来たらこの事を伝えてくれ」
輝は拳銃だけを受け取り、試験場を後にした。幸い試験場には燃料の入った小型バイクが放置されていた。イグニッション部分を壊し、直結にすると、バイクは低い唸り声を上げた。勿論バイクの免許は持っていないが、思ったよりはスムースに走らせる事が出来た。
バイクのエンジン音は、闇夜の静寂を破り町を疾走した。交差点、曲がり角、いつアメリカ兵と出くわすか、恐怖しながらも輝はアクセルを吹かし続けた。接触したらなんと説明しよう、ロシア兵のことは知っているのか、と考えながら、人っ子一人いない街を走り続けた。そろそろ品川駅に着くだろうと思ったとき、輝は目の前の明るい光に照らされた。と同時に英語が飛び交った。英語ははっきりと停止命令を発していたが、ここで止まるわけにはいかなかった。商店街のわき道に滑りこみ、アクセルを全開に開いた。比較的広いアーケードの商店街は、やはり破壊され尽くしていた。通路にはガラスが散乱し、数えきれないゴミが撒き散らされていた。輝は仕方なくアクセルを戻した。バイクのエンジン音が幾分静かになると、耳障りなエンジン音が微かに聞こえてきた。そしてバックミラーに鋭い明りが映り始めた。慌てて振り向く輝の目に、猛スピードで追って来る車のライトが飛び込んできた。急いでアクセルを吹かしスピードを上げたが、目の前に現れたバリケードに気づくのが遅れ、横滑りのまま突っ込んでしまった。車はゴミを跳ね飛ばしどんどん近づいてきた。バイクの下から這い出した輝は、足の痛みに耐えながら、バリケードをよじ登り始めた。しかし捻挫したであろう左足は言う事を聞かず、容易に登る事が出来なかった。追跡者の車両は直ぐ目の前まで迫っていた。そしてブレーキの音と共に、数人のアメリカ兵が車から降りるのを、輝はバリケードに虫の様に張りつき、見守る羽目になった。車のライトに照らされ、まるで射撃の的にされたようだった。アメリカ兵は横一列に広がりゆっくり近づき、そして銃を構えた。問答無用、本当に射撃の的にするつもりらしかった。アメリカ兵は何も言わず、ただ低い笑い声を発しているだけだった。輝は全身から汗がどっと噴出すのを感じ取り、思わず目をつむった。「死ぬときはこんなものか、我ながらあっけないな」そんなことを考えていると、激しい銃声が辺りに鳴り響いた。ところが不思議と輝にはなにも感じられなかった。硬く閉じた目を恐る恐る開くと、アメリカ兵は全て通路に倒れていた。何がなんだかわからず、アメリカ兵を見つめる輝の身体が、不意に持ち上げられた。
「もう大丈夫だ」声の主は静かに囁いた。
「隊長、早く撤退しましょう」別の声が輝の耳に飛び込んできた。振り向く輝の目に、迷彩服姿の日本人がはっきりと映し出された。
「今の銃声は奴等にも聞こえただろう、新手が来る前に貴方も逃げたほうがいい」隊長と呼ばれる男は立ちあがりながら言ったが、輝を見て一瞬考え、そして「一緒にくるか」と、付け加えた。輝は何も言わずただ頷いた。無論、探していたとはいえなかった。ほかに三人の男たちがいたが、みな相当訓練されている事は輝にも伝わった。真っ暗な街中を音も立てずに移動する男たちに、足を引きずりながらも輝は必死について行った。商店街を抜け、国道に差し掛かった時、先頭の男が右手を上げた。合図と共に男たちは素早く物陰に身を隠した。輝は後ろを歩く男に抱えられ、建物の隙間へと引っ張りこまれた。やがて目の前の国道を、数台の車両が通りすぎて行った。
「どこまで行くのですか」輝は小声で男に尋ねた。
「もうすぐだ」男が答えた時、微かな口笛が聞こえてきた。
「さあ、いくぞ」男に促され建物の間から滑り出ると、男達はすでに前進を始めていた。そして一行は、地下へと続く暗い階段に姿を消して行った。都営三田線、白金高輪駅。暗がりの中、輝は微かに文字を確認する事ができた。先頭の男が懐中電灯に灯りをともした。あかりに照らし出された地下通路は、ほとんどそのままの原型を残していた。いつもは人々の行き交う通路に、足音だけが静寂を妨げていた。幾つかの階段をくだり、ホームにたどり着くと、男達は次々と線路に降り立った。枕木の通路を更に深いトンネルへと足を進めて行った。どの位歩いただろうか、やがて線路から伸びる横道へと、男達は入っていった。
真っ暗な細い通路を、輝は手探りで進んで行った。線路から百メートル程進んだ所に、小さな鉄製の扉が、灯りの中に浮かび上がった。先頭の男が扉を不規則に叩くと、鈍くきしんだ音と共に扉が動き始めた。輝はその光景に息を飲んだ。扉の向こうにはこうこうと灯りがともり、数百人の男達がひしめき合っていた。そして誰もが迷彩服に身を包んでいた。
武器を手入れする者、地図を見ながら話し合う者、煙草を吸っている者、寝ている者、良く見ると女性まで混じっていた。輝はしばしア然となったが、黙ってあとをついて行った。しばらく回りに気をとられたが、不意に隊長と呼ばれる男に素早く駈けより早口に尋ねた。
「こっ、ここはいったい」輝に振りかえり、男は答えた。
「驚くのも無理はありません。ここは国家機密の場所です。都市にはこんな場所がいくつかあります。皆さんが知らないだけの話です」輝は辺りを見回し更に尋ねた。
「ここで何をするのですか」前を見て歩きながら男は答えた。
「日本の国家保安局は、今回の事態に対処すべく行動を開始しました。逃げ出した政府の人間もいますが、大半の関係者はまだ日本にいます。我々のように隠れていますが、日本を守る為必死に戦っています」
「貴方達はやはり自衛隊の方ですか」
「自衛隊の中にも、国家保安局の存在すら知らない隊員がいます。と同時に色々な分野に関係者がいるのです。警察や民間の中にもいます。科学者や物理学者、医者など多岐にわたっています。有事の際には皆が集まります」男は新たなドアを開け、輝を促した。
「どうぞ、非難した民間の人達です」その部屋には、普段街で見かけるような男女が、肩を寄せ合い座りこんでいた。
「貴方同様、街で保護した人達です。安心してください」そう言うと、男は部屋を出ていこうとした。輝は慌てて男の腕を掴み、早口で話し始めた。
「ここの指揮官に合わせてください。とでも重要な事です」
「指揮官はとても忙しい。私で良ければ聞きますが」男は冷静に言葉を返した。
「急いで話さなければ。その為に私はきたのです。それにここでは…」輝はチラッとあたりを見回したが、気に留めている者はいなかった。皆、うつむき頭をうなだれているだけだった。男は一瞬ためらったが、ここで待つようにと一言残し、部屋をあとにした。
部屋の中では、すすり泣く声や、溜息混じりのひそひそ声が聞こえるだけだった。人々は絶望の淵に立たされた難民そのものだった。五分程して男が戻ってきた。
「こちらに」輝は男のあとに続いた。長い通路を更に奥へと進むと、大きな会議室だろうと思える部屋にたどり着いた。そこには見た事も無い機械が並び、世話しなく動く兵士と、数人の将校らしき人物が立っていた。部屋の中央のテーブルには、見るからに上級士官と分かる男達が席についていた。
「どうぞ腰掛けて」入り口付近の将校に促され、輝は椅子の一つに腰を下ろした。
「指揮官の山中です。何か重要な話があるとか?こんなときにはどんな些細な情報でも役に立つでしょう」正面の紳士然とした男が口を開いた。
「はい、東京湾で戦艦と空母を見ました」輝は簡単に答えた。
「それは我々も確認済みです。海の底にも同志はいるのです。あれを御覧なさい」壁にはめ込まれた日本地図に、無数の赤い点が光っていた。
「全て、同志です。心配なさらなくとも、必ずや現状を打開するつもりです」山中の言葉には自信が満ち溢れていた。
「生活に不自由があるでしょうが、ここにいれば安全です」
「ロシア人兵士のことは、ご存知ですか」輝は山中を見据え言葉を発した。徐々に山中の顔にかげりが浮かぶのを、輝は見逃さなかった。
「特殊部隊でしょう。認識票すら持っていませんでした」
「確かにロシア兵かね」山中の口は重かった。
「自ら話したそうです。それから」輝は腰から銃を取り出し、テーブルを滑らせた。
「ロシア製 PSM 拳銃、これを持っていました」山中は拳銃を手に取り、将校に渡した。その将校は一瞬に判断を下し、はっきりと頷いた。
「そのロシア兵はどうしたのかね」山中の問いに、輝は簡単に答えた。
「死にました」
「君が殺したのかね」
「いいえ」
「では、事故かね」暫く輝は考えてから、事の成り行きを山中に伝えた。
「すると、アメリカから日本を守る為来たと言うのか。信じられん」山中は腕組みをし、考えこんでしまった。
「どちらにしても、日本の中で大規模な戦闘が起きたら、しかも、アメリカとロシア、この二大国が始めたら、我々だけの問題では済まなくなり、全世界をも巻き込むでしょう。それだけはなんとしても避けなければなりません」輝の言葉には、何時になく力がこもっていた。山中はじっと上目使いに輝を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「我々としては、ロシアと共同してアメリカを駆逐したい。そうすれば日本の国は生き延びる、滅びずに済む。しかしロシアが日本の味方に付いたからと言って、アメリカも簡単には諦めないだろう。逆にチャンスとばかりにロシアにも戦闘を仕掛けるかもしれん。必然的に君の推測通りの結果になるだろう。とにかく私一人では答えを出せない。君には礼を言う、戻って休んでくれ、それと、この件はくれぐれも内密に」
「分かりました。でも、仲間の所に戻ります」輝が立ちあがると、隊長、と呼ばれていた男が部屋に入ってきた。そして山中はその男に言った。
「一緒に行って、彼の友人を保護してきたまえ」男は山中に敬礼を返すと、輝に向かって頷いた。歩きながら男は自己紹介を始めた。
「私は黒部といい、陸上自衛隊の特殊部隊に所属していました。報道のあった日からずっとここにいます」輝はゆっくりと手を差し伸べた。
「私は長田 輝と言います。小説を書いています」黒部は少し考えてから輝に言った。
「すいません。自分はあまり本を読まないので、存じ上げていません」
「構いません。どうにか食っていける程度の作家ですから」輝が小さく笑うと、黒部も微笑んだ。しかし輝は一人で戻りたかった。もしリチャードが戻ってきていたら、そう思うと黒部にいて欲しくなかった。

          二

 杉本は風の音にも、敏感に反応していた。
「神経が壊れる」杉本の独り言に、洋子は笑っていた。
「あら、人をたたく割には随分と弱気な事を言うのね」洋子に言われ、杉本は少々頭に来たが、その屈託の無い笑顔を見ていると、不思議と気持ちが落ちついた。
「そうですね、今は頑張って貴方を守らないといけないのに、恥ずかしい限りです」杉本が頭を掻く姿を、洋子は黙って見ていた。やがて洋子は杉本を見ながら話し始めた。
「二人はどこに行くつもりだったの。何か当てがあったのかしら」洋子に尋ねられ、リサの事など話してもいいものか、思案しながら杉本はためらいがちに答えた。
「実はある人と待ち合わせているのです。力になってくれると言うので」
「他にも誰か来るの、ここに」洋子は慌てて問いただした。
「いえ、この近くにです。でも安心して、我々の味方です」
「私の味方は、今は貴方達だけ。他の人は絶対に信用しないわ」洋子は自分に起きた出来事を思いだし、身を振るわせた。杉本には、洋子の気持ちが痛いほど分かったが、どうしても理解して欲しかった。
「ずっとここに居るわけにはいきません。誰かに力を借りなくてはならないのです。分って下さい。貴方を危険な目には合わせません」杉本は必死に説明しようとした。               
「その人達に会わなければ、今、私はここには居ません。私達二人にも、いろいろな事がありましたが、まだ元気に生きています。私の味方は、貴方の味方でもあります」そして今までの、一部始終を洋子に伝えた。相手がアメリカ人と知って、洋子は恐怖の色を顔に浮かべた。洋子は爪をかみ、暫く考えたが、やがて笑顔で杉本に言った。
「信じるわ、その人じゃ無くて、あ、な、た、を」杉本の鼻を指で突つき、話しを続けた。
「でももしも輝さんの出会った人が、私を襲った男だったら、また襲ったらどうする、私を守ってくれる」洋子に言われ杉本は即座に答えた。
「必ず守ります。命にかえても」
「じゃあ、二人で逃げましょう、お願い」洋子に言われ杉本は困ってしまった。返す言葉を捜していると、杉本の顔を覗き込み
「うそ、貴方を信用するわ。だから裏切らないでね」洋子は目一杯可愛さを強調した。
「誓います。貴方を裏切りません」杉本は直立不動で胸に手を当てた。そんな杉本を洋子はほほえましく思った。だが同時に疑問も湧き出した。
「でも、会ったばかりで何故そこまで言えるの」洋子は質問した。
「貴方は私を知らないが、私は貴方を知っています。何時もテレビで見ていました。好みの食べ物や、趣味も、特技も知っています。私にとっては初対面ではありません」杉本の答えは、洋子の気持ちを和らげるのに十分だった。
「ありがとう、本当にファンだったの。でも、ほとんど作り話よ、イメージが大切だってね。弾けもしないピアノが特技とか、したこともない料理が趣味とか、取材のたびに気がおもかったわ。」そう言うと洋子は、遠くを見つめた。それから静かに語り始めた。
「私がこの芸能界に入った時は、まだほんの子供だった。ただ監督の言われるままに動いていたのに、回りは私を褒めちぎった。今考えると馬鹿みたいだけど、いい気になっていたのね、私も。でも年頃になって分かったの、私みたいのはいくらでも居るって。落ちこんだなあ、その時は。でも一度でもスポットライトに浴びた人間は、なかなかその光から抜け出せないの。だから何でもしたわ、監督やスポンサーに気に入られるように、・・・そう何でも」杉本は黙って聞いていた。
「今度の事だって、生き残る手段としては、今までと何ら変わりのない事だったのよ。それなのに泣くなんて、恥ずかしいわ。泣くのは演技の中だけで十分なのに」洋子の頬に涙が細い光の河を残した。
「そう十分なのに、でも、でも悔しいの、こんな時だから余計悔しいの、お願いもう一度だけでいいから泣かせて」洋子は杉本の胸に額を埋め、声も無く泣いた。洋子の手は強く握られ、必死に悔しさに耐えているようだった。そんな洋子を、杉本は無言で強く抱きしめた。時がたち、二人は無意識のうちに、激しく唇を求め合った。

          三

 明るくなり始めた街を、輝と黒部は慎重に移動していた。
「昼間の行動は危険です。戻りますか」黒部の言葉を輝が遮った。
「仲間は常に危険です。私一人でも戻ります。貴方は帰って下さい」語尾を強めて言ったが、黒部は気にも止めない様子だった。
「では、しっかりとついて来て下さい。少々遠回りになりますが、できる限り安全な道を探します。それに加えて民間のゲリラ部隊も激しく戦っているようです」そう言うと、黒部は歩調を速めた。今では銃声も絶え間無く響くようになっていた。輝は慌てて黒部の服を掴み、崩れかけた建物へ引きずりこんだ。
「民間だって、同じ日本人でしょう。助けないのですか」輝の質問に、黒部は答えた。
「助けたくても、出来ません。彼らは我々の指揮下に入る事を拒み、すき放題、勝手気ままに活動しています。監視は付けていますが、取り締まりは出来ないのが現状です」
黒部の言葉で、輝は渋谷のゲリラを思い出していた。外国人を拉致し、玩具にしていた部隊の事を。輝が気を静めると黒部が話し始めた。
「貴方は運がよかった。昨夜、我々はあのアメリカ部隊を監視していた。そこに貴方が乗り込んできた。正直言って驚きました。しかし無謀な行動には、何か秘密があるのでは無いですか。司令官とどんな話しをしたのか、個人的に興味を引かれます」黒部には知らされていない様だった。しかし、これからいく所には、ロシア人の死体があり、武器があり、有名女優が輝の帰りを待っている。黒部だけには話す必要があった。
「日本には、どのくらい仲間が活動していますか」
「陸にも、海にも、至るところで展開しています。アメリカ軍の行動は常に監視され…」
「ロシア人は」黒部の言葉を輝は遮断した。
「ロシア人ですか」黒部は、輝が何を言うのか、見当も付かない様子だった。
「そう、ロシア人、しかも訓練された兵士です」崩れかけたビルが、砲撃に大きく震えた。
「いいえ、ロシア軍兵士は確認されていませんが、まさか」
「その、まさかです。日本国内に侵入しています。特殊部隊でしょう」
「でも、何故」黒部も、さすがに驚いた様子だった。
「一応は日本の味方だと云う事ですが、はっきりとは分かりません。私が話したわけではないのですが、ただ暗躍している事は事実です」輝の言葉に、黒部は何か納得したようだった。
「分かりました。とにかく急ぎましょう。お仲間のところへ」
「それと、何があっても驚かないで下さい」輝の言葉に、黒部は一瞬眉をひそめたが、ゆっくりと頷いた。
日中の移動には細心の注意が必要だった。どこでアメリカ兵と出会い頭で衝突するか、ましてやロシア兵まで暗躍しているとなれば、黒部の行動も自ずと慎重にならざるを得なかった。銃声、砲撃の音に混じって、多分軍用ヘリの音だろうか、バリバリと近づき、そして去っていった。いまや戦場は至るところで始まり、日増しに激しくなっていった。さらに、他国の介入が一層の拍車をかけているようだった。もしかしたらロシア軍は既に、民間のゲリラ部隊と接触しているかも知れない。少しでも危険を避けるため、商業地やオフィス街に比べ、さほど破壊されていない住宅地を、二人はゆっくりと進んでいった。静寂が流れる中、唯一、置き去りにされたであろう犬の鳴き声だけが響いていた。黒部の歩調も幾分早まったように感じられた。
「この辺には、多分誰もいないでしょう。前回の捜索の時には、確認されませんでした」
「前回とはいつですか」輝の問いに、黒部は簡単に答えた。
「二日前です」
「一軒、一軒調べたのですか」更なる問いに
「それは、無理です。ただ人の気配は、隠せるものではありません」と、黒部は答えた。その声には、訓練された兵士の自信が溢れていた。そんな黒部の言葉に輝は納得し、黙って黒部の後に従った。しかし住宅地が終わりを告げようとした時、黒部の足が突然止まった。前方には、またも大通りが見えてきた。黒部に身を伏せるよう指示され、輝の心臓は大きく鼓動し始め、辺りを見回した。しかし黒部の視線は、通りではなく、長い垣根に覆われた屋敷へと注がれていた。
「誰かいます。この中に」葉に覆われた垣根越しには、中の様子は確認出来ないが、黒部は気配を感じ取っているようだった。そしてゆっくり銃先を葉の間に差しこみ、静かに押し広げ、中の様子を確認しようと更に身を伏せた。
「カーテンが動いています。多分侵入者でしょう。気づかれる前に行きましょう。無駄な衝突は避けたほうがいいでしょう」
黒部が小声で輝に言うと、突如として垣根越しに初老の男が顔を覗かせた。
「人の家の前で、何、ブツブツ言っているんだ」その男の手にも、しっかりと拳銃が握られていた。黒部は一瞬にして男に振り向き、銃を向けた。
「なんだ、兵隊さんじゃねえかい、ご苦労さん」そう男は言うと、拳銃をそらせた。
「あんたは、ここで何をしている」黒部は銃をそらさず、男に尋ねた。
「何って、俺の家じゃ、文句は無いはずだが」男はにやりと笑った。
「しかし危険ですよ」黒部がそう言った時、通りから重く響くエンジン音が聞こえてきた。
「ほれ、そんなところで話しこんでいると、見つかるぞ。回って入って来い」男はそう言うと、裏手を指差し手招きをした。黒部と輝は素早く回り込み、裏手の格子戸に手を掛けた。芝生の手入れされた庭には、やはり銃を手にした、見るからに人相の悪い男達が三人いたが、不思議と二人を丁重に出迎えた。
「急いで中へ」一人の男に促され、勝手口から屋敷の中へと招かれた。広い母屋には幾つもの部屋があるようで、屋敷と呼ぶに相応しい佇まいだった。二人は応接間の奥へと通されたが、暗い座敷には座卓と、数点の美術品があるだけだった。おもむろに男が掛け軸に手を掛けると、どこかでロックの弾ける音が微かに聞き取れた。
「こちらへ」男が壁を押すと、漆喰の壁に小さく区切られた扉が出現し、そして音も無く開いた。男に続き、狭い階段を降りると、二十畳程の空間が二人の前に現れた。
「地下シェルターとは驚いただろう」先程の初老の男が、奥の椅子から笑いながら話しかけた。他にも十人ほどの武装した男達が、初老の男を囲むように立っていたが、とてもシロートには見えなかった。輝の顔には緊張の色が浮かんだが、黒部は冷静さを保っていた。
「ここは、元々わし等の武器庫に使っていた。勿論、核シェルターにもなっとる。言わば隠れ家、非難場所だな」初老の男は、二人に椅子を勧めた。
「わしは、中村ゆう者で、ある種の人間にはちょいと有名なんだが、知らんだろうな」輝と黒部は、椅子に腰掛けてから、じっと男を見つめた。
「すいません、存じ上げないのですが」輝が言うと、中村は大声で笑い出した。
「あんたは、間違い無く普通のお人の様じゃ、サラリーマンかい」
「いえ、物書きです」輝の言葉に、中村の目が光った。
「ほう、物書きかい、わし等の悪口も書くか」中村に言われ、輝は慌てて否定した。
「いえ、物語です。架空の物語です。ジャーナリストではありません」
「物語か、夢があっていい」中村は頷き、黒部に視線を移した。
「あんたは、自衛隊のようだが」
「陸上自衛隊です」黒部は、至って冷静に答えた。そして逆に中村に尋ねた。
「何故、非難しないのですか」
「ふん、どこへ逃げろと言うんだ。あんた等、国家の人間のせいでこうなったんだろう」
中村の目に、怒りの色が浮かんだが、直ぐに色褪せ消えていった。
「まあ、あんたに言っても仕方ない。とにかくわしには、まだこれだけの子分がおる。こいつ等を置いて逃げ出せまい。皆、行く所なんか無い。それに、対暴法で縛られた上、ただでさえ外人マフィアに手を焼いておるのに、今アメリカになったら、更に本土からも大量にやって来るだろう。わし等は食っていけん様になる。だから、微力ながらも抵抗する為に残っている。まして、それで死ねれば本望じゃ」それから中村は、他にもそんな団体がいることを黒部に話した。暫くしてから黒部が口を開いた。
「中村さん、貴方に頼みがある」
「国家権力がヤクザに何を頼むつもりじゃ」中村は笑っていたが、黒部は話しを続けた。
「どうにか組織をまとめてくれないだろうか」
「どう言うことだ」
「我々の相手は軍隊です。統制の取れた最強のアメリカ軍です。日本を守る為には個別に対抗しても勝てません。犬死するだけです」
「あんた名前は」中村は少し考えてから尋ねた。
「はい、黒部です」
「よし、黒部さん、あんたの言う事は良く分かる。しかしそれは無理な事だ。組織間の抗争には根深いものがある、一つにはなれん。第一誰が指揮を取るつもりじゃ」
「私達です」
「君ら二人か」驚いた様に中村は、二人を交互に見据えた。
「いえ、実は…」黒部は、国家保安局の実態や、活動を細かく中村に聞かせた。驚きながらも話を聞いていた中村が、突然笑い始めた。
「まだ日本も捨てたものでも無いな、そんな軍隊がおるとは」
「ですが人手が足りません。お願いです我々の指揮下に入る様、皆をまとめて下さい」黒部の声は、いつしか大きくなっていた。
「他人に指図されるのは性に合わんがいいだろう。こうなっては仕方あるまい。失敗するかもしれんがやる価値はある様じゃ、一般市民が戦っているのに、そっぽも向けないし、日本の未来の為団結するのは今しかないな」中村は、輝を見つめてから回りの男たちを見まわした。男たちは一斉に頷き、中村の意思に従う気持ちを固めた。軽い食事をだれた後、通信機を中村に預け、二人は屋敷をあとにした。街はあちらこちらから立ち上る煙に覆い尽くされ、午後の日差しを遮っていた。冬の凍てつく寒さは倍増し、街全体を震わせていた。

          十四

 杉本と洋子は肩寄せ合い、微動だにしなかった。その分二人の耳は研ぎ澄まされ、微かな音も聞き逃さなかった。しかし二人の顔には不安など無いようで、むしろ安堵の表情を浮かべていた。リチャードも輝も戻らずにいたが、杉本はこうして二人でいることに、不思議な幸せを感じていた。洋子も女優と言う殻を脱ぎ捨て一人の女となり、今を噛み締めていた。入り口からは死角になる場所のソファーに座り、壁にもたれ掛かっていた二人を、闇が支配し始めた時だった。扉の開く僅かな金属音に、杉本はいち早く反応し、自動小銃を構えた。洋子もナイフを片手に咄嗟に身構えた。
「杉本」闇の中、輝の声が小さく流れた。杉本は銃を下ろし死角より歩み出た。
「無事でしたか」そうは言ったもの、二つの影に思わず銃を構えた。
「大丈夫、こちら黒部さん。自衛隊の人間だ」輝の声に杉本は落ち着き、銃を下ろした。
「接触出来たのですか」
「ああ、聞いたら驚くぞ、とにかく奥へ」輝の言葉は、洋子には通じなかった。洋子はナイフを構え、じっと黒部を見据えていた。
「大変な目に会われたようで、しかし我々とは無関係です」黒部の言葉も、洋子の警戒を解くことは出来なかった。
「私はまだ貴方を信じません。味方は二人だけです」洋子の意思は固かった。黒部はジッポライターを取りだし、自分の顔を闇に浮かび上がらせた。
「この顔でしたか」
「分かりません。だって暗かったし、五人もいたので」しかし、洋子の気持ちも幾分落ち着いた様だった。
「洋子さん、とにかく奥へ」輝に言われ、洋子はナイフを下ろした。事務所で例の死体を見せられ、黒部は納得した様だった。そんな時、灯した明りの中で、洋子の姿を確認した黒部は、正直驚かされた。
「もしかして」黒部の言葉を、杉本が遮った。
「そうです。しかし、今は洋子です」黒部は咄嗟に状況を把握した。
「分かりました。洋子さん、よろしく」黒部の差し出した手を、洋子は握り返し答えた。
「私を見て驚いたのなら、例の悪党とは違う様ね」
「お目にかかれて光栄です」黒部も、洋子の味方と認められた様子だった。
「遅れまして、私は、杉本です」杉本の手を黒部は握り答えた。
「話しは聞いていました。有能な編集者だとか」杉本はテレながらも、輝を睨みつけた。
「ところで彼は」輝に小声で尋ねられたが、杉本は首を振るだけにした。
「そうか、まあ、話を聞いてくれ」輝の説明に、黒部が付け足す形で、話しは進んでいった。杉本は、驚きと、喜びの表情で聞き入っていた。が、根本的な疑問を感じていた。
「それで日本は救われるのでしょうか。戦いがエスカレートする事は無いのでしょうか」
「国家保安局が、ロシアをどう対処するのか、またアメリカがロシアの介入を知った時、どんな行動を起こすのか、予測不可能な状態でなんとも言えません」一息ついて、黒部は自信に満ちた表情で話しを続けた。
「ただこれは、明らかに侵略戦争だと言うことです」
「確かに日本は、アメリカになった訳ではありません。軍隊を他国に送れば侵略と見なされて当然です。極秘にですが、現にロシアも介入しています」杉本のジャーナリズム精神が頭をもたげ始めた。
「多分、近日中にも公式発表されるでしょう」黒部の言葉に、杉本はゆっくり頷いた。
「しかし、戦いを始め、外人の殺戮を始めたのは、日本人です」輝は、渋谷での出来事を思い出していた。リサの悲しげな目を忘れる事は出来なかった。
「それは、我々の判断の謝りでした。しかしこれを見てください」黒部は、一枚の印刷物を取り出し、輝に見せた。そこには日本語で(反乱軍諸君、速やかに武器を捨て、投降せよ、諸君に勝利は無い)と書かれていた。
「これは」輝が尋ねると
「三日前に撒かれた物です」と黒部は答えた。
「随分と威圧的な文章だな。内乱と思っているようだ」輝の言葉に、黒部は頷いた。
「アメリカ本土のラジオでは、国外向けに(内乱につき、手だし無用)と、伝えています。アメリカ国内では、反日感情が日増しに高まり、日系企業や、在米日本人、二世までにも被害が及んでいるようです」黒部の話しから、輝は虐待される日本人を思い浮かべた。
「戦場、つまり日本に来ている兵士や、ビジネスマンの家族ならば、大人しくアメリカに属さない日本人を恨むのも当然でしょう。しかし、内乱としてしまうのは早計ですね」
「他国による軍事介入を防ぐ為の、布石でしょう。しかし、EU諸国は、アメリカに不信感を持っている様です」黒部の言葉に、杉本が付け加えた。
「日本を手中に収めれば、大国アメリカが、更なる力を手に入れることは明白です。経済力、軍事力、アジアににらみを効かす前線基地、どれをとっても他国には脅威です。世界はアメリカの意志で動く様になるでしょう。大変危険な事です。EU諸国の懸念も当然でしょう。先生の言葉とおり、世界大戦になるのでは」
「そうならぬよう、平和的解決を望みましたが、武装解除をしなければ、話し合いには応じない、と回答が送られました。しかし、話し合いが決裂しても、武器を放棄したあとでは、二度と抵抗出来なくなります。それは、われわれの敗北と、日本の消滅を意味します」黒部は、きっぱりと答えたが、重い沈黙が辺りを包んだ。
「アジア諸国はどうでしょう」突然の輝の問いに、黒部は暫く考えた。
「アジア諸国の話しは聞き及んでいません。しかし私の考えでは、反アメリカ思想がつよいと思います。が、過去の日本に対する恨みも、現在も根強く残っています。多分、傍聴席に座るのではないかと思われます。ただ、北朝鮮は参戦するでしょう。問題はどちらにも付かず恐らく日本の侵略を考えてくるでしょう」黒部の答えに、輝は同意する様頷いた。
「やはり一刻も早く、アメリカ側と話し合いをするべきでしょう」輝は、そうは言ってみたものの、計画の一部も見出す事が出来なかった。そんな時、黒部のレシーバーに通信が入った。どうやら中村からの通信で、一通りの話を終えた後、黒部の顔に笑みが浮かんだ。
「一つの組織が味方になったようです。通信機を多量に持ってくる様頼まれました」
「よかったですね。早急に日本をまとめる為にも頑張って欲しいですね」黒部は頷くと
「一般のゲリラ組織も、まとめる事が大事です」と、輝に呟いた。
「私は本部に戻って報告をした後、中村さんのところへ行きます。ここでは危険でしょう、行きましょう」黒部の言葉に、輝は首を振った。
「私は残ります。ある人物と待ち合わせがあるので。杉本君は、洋子さんと共に行きなさい」輝に言われ、杉本は大きく頭を振った。
「私も残ります。戦闘が激化する中一人では危険です」輝は、杉本の言葉に大きく頷いた。
「そう、激化してきた。だからこそ洋子さんと行きなさい。ここから、本部までの道のりも、決して安全ではない。洋子さんを守る為にも」杉本は、暫く考えてから答えた。
「分かりました。しかし、決して無理をなさらぬ様、あとで合流しましょう」
「黒部さん、二人を頼みます」輝の言葉に、黒部は一礼を返した。
「では、これを持っていて下さい。予備の通信機です」黒部は、輝に通信機を渡すと、事務所を後にした。
「十分気を付けて」杉本は、それだけを言うと、輝と固い握手を交わした。洋子は、輝に向け深く頭を下げてから二人に続いた。それから辺りには完璧な闇と、静寂が訪れた。












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