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ディープインパクト(3)
49、闇照らす月光

「俺の勝ちだ!! 召喚王!!」

「ぐぅ……」

 先程まで魔法によって黄金に光っていた剣はボロボロと砂のように崩れていた。
 折れたのではない。何度も大剣を受けていた剣が魔法によって圧縮された空間の圧力に耐え切れなかったのだ。
 壁を越えてバラギと交錯した瞬間、剣は相手の大剣に触れると一瞬だけ拮抗した後に崩れ始め、武器を失った俺はバラギによって左足を深くえぐられた。

「その傷じゃあもう動けないだろう。大人しく首を差し出せ!」

 もはや手元にあるのは先程まで剣だった物の残骸のみ。対して敵の手には未だに大剣が握られている。
 もはやリーチの差がどうこうという問題ではない。このままじゃ俺は一方的に殺されてしまう!

(なにか……何か武器はないのか!?)

 前線から離れているとはいえここは3週間前の戦いでも戦場になった地域だ。そこらを探せば武器の一つや二つは……。

「うっ……こんなものしかないのか……」

 辺りを必死に探してようやく見つけたのは細長い"赤錆あかさびかたまり"。恐らくは三週間前の戦で使われた剣だったのだろう。血糊を拭かれないまま三週間夜露よつゆに放置された剣は元の形が判別できないほどの錆と幾分かの泥に覆われていた。

 だがどんなものでも無いよりはマシだ。

 俺は飛びつくようにして錆びた剣を拾いあげた。
 さっきまで使っていた騎士剣と比べて軽くてリーチが短い。これ片手剣か? 一度使ったことがあるが、いつも使っている騎士剣は重い両手剣であるためどうもしっくりこない。じゃあせめて切れ味を、と思い少しでも錆を剥がそうと剣をこすってみるが、錆は芯まで達しているらしく全く取れる気配が無い。
 選択肢は無かったとはいえ本当、どうしようもない武器を拾ってしまった。

「フン、人生最後の武器がそれか。そこまでサビが酷いと木剣の方がまだマシだな!」

「畜生、せめて錆だけでもどうにか……ん?」

 俺は性懲りも無く剣を擦っていたが、またしても戦場よりも遠くからドンドンッという花火のような音が聞こえてきた。音のする方に目を凝らすが遠すぎるのか何も見えてこない。魔法……じゃないな。魔法反響も無いし。
 俺と同じ方角を見ていたバラギも得体の知れない音に不気味さを感じたようで、眉を顰めて虚空を睨みつけていた。

「クソッ、嫌な予感がしてきやがる。とっととコイツを殺してしまわねぇと……<鉄山・剛石・鉄血、火に鍛えられしヒトの似姿よ!>――"黒鉄くろがねの戦棍"!!」

 バラギは自分の大剣を両手で奉げるように持ち上げ、またしても鍵呪文を唱えた。
 鍵呪文と使用者の意志に従い周囲の大地から真っ黒な砂――恐らくは砂鉄だ――が吸い寄せられるように大剣に集まる。大剣は見る見るうちに黒い砂で埋め尽くされ、バラギの手の中で柱の黒く柱のように巨大な六角棒となった。

「何故なんだ? あんな風に楽々魔法を使えるなんて……」

 バラギが魔法を覚えたのは俺と同じ日だったはずだ。なのに何故こいつだけが魔術師になれた? 一体何が俺に足りない?

「その発想が甘いってんだよ召喚王!! 俺はこの力を使うために猛特訓した。何度も魔法反動の痛みに耐え、垂れ流すだけだった"意志の力"をコントロールできるようになった! 全ては仲間と祖国のためだ!! あくまで一人のお前に俺が背負う物なんて見えるわけがないだろう!?」

「くっ……」

 雄たけびと同時に今度はバラギがこちらへ飛び込んでくる。六角棒に姿を変えた大剣が唸りを上げ、俺の頭を叩き割らんと突き出される。
 避けきれないと思った俺は錆びた剣を持ち上げて頭部を守ろうとしたが、錆びた剣は六角棒を一撃すら耐えることもできずにギィィィという鈍い音を立てて"く"の字型に曲がってしまった。
 不完全に攻撃を受けた俺は大きく体勢を崩す。
 だからすぐに立ち直したバラギがプロペラのように六角棒を振り回して水平に胴を薙ぎ払っても反応することができなかった。

「がぁっ! ハァ――――」

 内臓がかき混ぜられたような衝撃が胴体を突き抜けた。
 痛みで胴体を庇いたかったが、バラギは息もつかせずに棍を振るい、俺は今度は左肩とコメカミを殴りつけられる。超重量の鈍器を受けて今度は左肩がメリメリと悲鳴を上げ、コメカミの衝撃は意識を真っ白に染め上げた。

「ぐ……っ! ギャッ! がぁ!!」

 続く激痛。更に激痛、激痛。

 防げない。避けられもしない。
 守るために剣を上げようとすれば肘を打たれ、避けようと動けば黒い柱は容赦無く両足をなぎ払いにくる。
 結果、俺は腕、喉、肩。次々と飛んでくる連続攻撃を避けることもできずに全てまともに受けてしまった。

「ぐぁぁぁぁぁっ!!」

「ハァーーーー!! これで、仕舞いだぁぁ!!」

 なす術無く攻撃を受け続ける俺に対してバラギは蛮声とともに今まで最大級の打撃の嵐を起こす。
 剣を構え懸命に戦棍の軌道を見極めようとしたが、バラギが放ったのは戦棍ではなく巨大な丸太のような足だ。低く鋭い弧を描いたバラギの爪先は高く構えていた俺の剣を難なく素通りし、左足の傷口を深く抉った。

「ぎゃっ!?」

 悶絶し、倒れこんだところに次は膝蹴りが腹部を打ち抜く。胃が危険なほど圧迫され、体の奥から胃液と血が混ざったものが込み上げる。

(やっぱり――こいつ、戦うのがうまい!?)

 大振りだが極めて強力な"黒鉄くろがねの戦棍"の攻撃と、鋭く容赦なく急所を狙ってくるバラギの手足。どちらか一つでも俺を殺すには十分だというのに、バラギは二つをこれ以上無いほど巧みに操ってくる。
 目の前にいる人間が双振りの鎌を操る死神に見えて背筋が寒くなった。恐怖が、体を支配し始めた。

(駄目だ! このままでは一方的に殺される――――!!)

 体が固まったのはほんの一瞬、弾かれたように正気に戻った俺は死に物狂いで剣を振るう。ろくに目測もせずに振った剣だったが意外にも、バラギの反応が遅れたおかげでひたいに鋭い傷を作ることができた。

「やっ――」

 急所に近く、流血も多い傷。これで少しは時間が――
 だが、バラギは後退さがらなかった。怯みもしない。ただ獲物を見る獣のように獰猛な笑みを浮かべているだけだ。

「"やった"とでも言いたかったのか? いいのかよ、自分の足元を留守にして――よぉ!!」

 バラギが不意打ちで六角棒を振り下ろす。とっさに急所全てを庇おうとするが――

「え? あ、が――――――ッ!?」

 激痛が走ったのは右足の爪先。体の中心線や急所を守るためにあえて見過ごしていた右足にバラギの巨大な戦棍が叩きつけられていた。五本の指や足の甲の骨が無残にもへし折られる。
 人体の中でも指先や目に匹敵するほど神経が集まった爪先への攻撃は、胸や腹など及びも付かないほどの痛みを脳へともたらした。

「オラアアアアアアアア!!!」

 だが絶叫を上げる間も無く今度はバラギの拳が真上から襲い掛かる。
 何が起こったかもわからないまま、目から火花が出たような衝撃が頭頂に炸裂した。痛みは少ないが脳に強力な圧力が加えられたことにより一時的に無防備な状態を晒してしまう。
 よろめいた俺にトドメを刺すべく、バラギは戦棍を野球のバットのように構え、全身の筋肉をバネに使った戦棍の強烈なフルスイングを放った。

「逝っちまええええぇぇぇ!!!」

 胸に強烈なインパクト。呼吸と同時に、心臓すらも止まり視界が地平線を中心にグルグルと回る。
 自分が吹き飛ばされたのだと分かったのは右肩から地面に激突し口に血以外の――土の味を感じたときだった。

「ゴッ……はぁ……はぁ」

 何度も何度も頭部に攻撃を受けて視界や意識にモヤがかかっている。強い衝撃を受けた心臓は不整脈を打っているし、全身の感覚ぼやけて全身は雷でが落ちたかのようにビリビリ痺れて指一本動かせない有様だった。
 どれほど考えても、もはや反撃などできる状態では無い。

(……もう駄目だ。トドメが来る……)

 だが最後の一瞬は来なかった。

「ハァー、ハァー、てめえ……これだけやってまだ生きてやがるのか? クソッ、どんな体してやがんだ……」

「……? ゴホッ、ゴホッ!」

 憎まれ口を叩いてやろうと思うが口からはせきと血が出るだけでうまく喋れない。それでも力を振り絞りなんとか上半身を起こした。

 バラギは顔中から汗を流し戦棍を支えにしてゼェゼェと大きく息を乱していた。半月前に大怪我を負ったばかり中年には、戦棍や大剣といった巨大な武器を担ぎながら連続攻撃を行うにはあまりにも重すぎたのだ。
 だが状況は変わらない。もはや一歩たりとも動けず死を待つしかない俺と、あと一分もしないうちに体力を回復するであろうバラギ。
 絶望しかない状況でファントムが駆け寄ってきた。
 
――修司! 今しか無いわ。逃げましょう!

 彼女ファントムには先程までのせきたてるような感じは無い。恐らく死の恐怖を受けて自己の防衛本能を優先させたのだろう。

――私に体を貸しなさい。あんたには無理でも私ならこのロートルを振り切れる。

 いつかの倉庫でのようにファントムが俺に手を差し伸べる。

「逃げ……る?」

――そうよ。私達は絶対に生き延びる。そのために逃げるの。

「あ、ああ……」

 死にたくない一心で彼女の手を取ろうとしたが、ふと自分の中にそれを躊躇する気持ちが湧き上がるのを感じた。
 魔法は発動の際に使用者の中で最も強い心の力を消費する。野心、戦意、勇気、etc……。消費され"意志の力"となった心は使用者から消える。
 俺は"英雄になりたい""勝利が欲しい"という野心の限りを魔法に込めて消費した。だから……もうバラギと戦う意志はない。逃げる事に躊躇などするわけがない。
 そもそも勝利に拘るのなら何故自分は奇襲を受けた時点で戦闘を放棄せず、こんなにも抵抗しようとしたのだろうか?

――だったら逃げましょうよ! 剣なんか捨てて! バラギも絶叫隊スクリーマーもいない安全な場所へ!

「剣……?」

 ファントムに言われ、初めて自分が錆びて折れ曲がったみすぼらしい剣をまだ握っている事に気が付いた。
 もはや俺の中のどこにも戦意も無く、体も動かない。自分はまさしくこの剣と同じ状態にある。
 なるほど。ファントムの言うとおりだ。確かに折れ曲がった剣などもはや役に立たない。だがそうと理解していても何故か右手の指は剣を離そうとしなかった。

――早く手を伸ばして! 私に委ねるのよ! ここは逃げて、あいつは後であの三人に戦わせましょう!

 何か大切なことを思い出せないままフラフラと、彼女に手を伸ばす。手がファントムに触れた。

――いいわ、今度こそ、私があなたを守ってあげる。

 彼女に支配権移るのと同時にチンッと音がして首から何かが滑り落ちた。

(これは――ペンダント?)

 支配権が移り彼女に触れた手から何もかもが反転していく。黒い霧がまたしても俺の体を覆った。
 彼女はすぐさま抉られた傷口からの出血を止めて、殴られて動かなくなっていた手足を神経をバイパスすることで再び動きを取り戻した。人間業ではない。まさにファントムが体を操るからこそできる魔法のごとき身体操作だった。

 ファントムは"応急修理"を終え俺を意識の奥底に押し込めると、黒い霧を纏わせながら限界だったはずの体を器用に操って立ち上がった。

『さっ、グズグズしないで逃げましょう』

「てめぇ……っ! まだ動けたのか!?」

『お生憎様。ここはあなたの勝ちにしておいてあげるわ。私達はこんなところで死にたくないのよ』

「女の声……?」

 バラギとファントムの会話など一切意識に入れずに視界に入っている青い宝石の入ったペンダントを凝視する。
 大切なペンダント……そう……そうだ。
 これはティアがかけてくれた魔法だ。暖かい真心を伝える言葉の魔法。あの夜から俺の心の中には俺以外の人間がいたのを思い出した。

『さあ、逃げるわよ!』

 ファントムがポイっと右手を後ろへ振り邪魔な剣を捨てようとする。だが、右手は支配者の意志に反して決して剣を離そうとしなかった。

『え? ……あれ?』

(ずっと戦っていたんだ……ティアだけじゃない。皆が心の中にいたから俺は戦えていた)

『何? 何なの? どうしてこんなことが……!?』

 肉体を司る存在が己の右手を動かせない。ファントムはひどくうろたえた。

「何なんだお前は!? 何故あれだけ殴って死なない? 何故立てる? それにその女の声……悪霊でも乗り移ってるってのか!?」

 ファントムに奪われ、氷に閉ざされていたようだった意識と体の繋がりが戻り始める。
 唯一抵抗を続けていた俺の右手は剣を握ったまま俺の顔の周辺の黒い霧を掴み取り、引きちぎった。まず視界と声が戻った。 

「……わかったよ、皆。……俺、ようやくわかった」

 右手は胸、左手、腹と次々に黒い霧を引き剥がしファントムの支配下だった体を俺の元へ取り戻していく。
 半分以上の支配権を失ったことでファントムは俺の体から弾き出され数メートル先で再び少女の形を取った。

――修司! 何をする気なの!? 無茶よ!

 絶叫するファントムからついに全身の感覚を取り戻し、俺は再び折れ曲がった剣を構えた。

「また雰囲気が変わった……。テメェ、一体なんなんだ?」

「ここにいる俺だけが俺じゃない。俺が空っぽでも俺にはまだティアの心がある! リグレッタやアンの心も! 皆はまだ俺一緒にと戦っている! 俺はずっと彼女達と一緒に戦っていたんだ!」

 だから立てた。バラギの恐ろしい攻撃を何度だって耐えることができた。
 この異世界での辛い事も恐ろしい事も、全て俺を中から支えてくれる人達がいたから乗り越えられた。

 総身に漲るのはかつて無いほど強い"意志の力"。今まで魔法を使ったどんな時よりも強い魔法の光。
 バラギの目に初めて恐怖の感情が宿った。
 だが戦闘の最中に、それもここまで有利な状況でそんな感情を認められるわけが無い。すぐに迷い振り切ると獣のように歯を剥き出しにして吼えた。

「逃げようとした卑怯者風情が! 万全の状態でもかなわなかったってのに、そんなガラクタの剣で魔法を唱えたってどうにかなるもんか! 俺が何度だって跳ね返してやる!」

「俺はもう逃げない! 負けもしない! 今度こそお前に勝つ!! 今度こそキスレヴに勝って……俺の女を守るんだ! おおおおおぉぉぉぉぉ!! <―輝界、虚空、支配― 聞け! 空乃間の王の声を!―>」

 今までに無くはっきりと意志の力を感じ取りながら鍵呪文を唱える。同時に脳裏に鐘の鳴るような音声。

<―汝、我が主にはあらねどもわずかな勇気を示したり―>

 突如、今まで単なる錆の塊だったはず剣が真っ赤に燃え上がって、まとわり付いていた錆や泥を蒸発させた。吹き上げる炎は汚れを落とすのみならず折れ曲がっていた刀身を元のルビーで宝飾された煌びやかな姿に戻す。

「ルビーがついた剣……フレイムタン!? 嘘っ、あのボロ剣が!?」

 あまりの展開に剣を握っていた俺も驚いた。
 フレイムタンといえば三週間前のあの戦闘でリグレッタが失くしたと言っていた王家の剣だ。
 そういえば……以前確かに教えてもらった。
 玉剣とは魔法の力を持った武器であり、折れても曲がっても魔術師が<意志>を通すたびに打ちたての新品のように蘇る、と。

「あの錆の塊がトルゴレオ王家の玉剣フロレスだとっ!? 馬鹿な!? こんな偶然があるもんか!! こんな運命――――認められるわけねぇだろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 バラギも相当に驚いたようだが、それでも戦意が萎えることはない。
 先程と同じように俺の周りには黄金の光が、奴の周りには急速に地中の鉄が集まり始める。

「<―鉄山・剛石・鉄血・火に鍛えられしヒトの生命よ!―>――――"鋼鉄の堅城アンチシージ"!!」

 叩き付けた戦棍からは先程の倍近い分厚さと高さの鉄の壁が現れる。
 だが既に魔法は俺の物になった。今の俺には意志の力を感じ取れるおかげで魔法が発動する工程がわかる。
 力を操り、あいつに勝てる魔法を組み上げられる!

「――――――――"焔剣の流星群(フレア・ストリーム)"!!」

 新たに組み上げた魔法が今までより大きな光の弾丸を生み出して機関銃のように射出する。弾丸は今までの"星屑の鉄槌"が一斉に殺到したのに対して、俺の周囲から一撃ずつ残像を引いて加速し重い衝撃音と深いクレーターを鉄の壁に穿っていった。 

――ギィィン! ギィィン!

 20発、30発と光弾を受け城壁のように分厚い鉄の壁が赤熱し、破片を飛び散らせる。
 そして最後の10発の弾丸がついに無敵の鉄壁を貫通して大穴が開いた瞬間――――その影から黒い戦棍(・・・・)が神速の速さで突き出された。

「てめぇの魔法はとっくに見切った!! 死ねっ 召喚王!!」

 戦棍の高さは丁度先程壁を破った俺の頭があった位置。今までで二度、この魔法を受けて生き延びたバラギは俺の魔法が起こす瞬間移動という現象を完璧に把握していた。
 タイミングも角度も寸分の狂い無く突き出された超重量の凶器は、コンマ一秒の後に俺の額の皮膚を裂き、頭蓋骨を砕き、脳漿をブチ撒ける。

――――そう、今までの魔法ならば

「――――なっ!? いないだとっ!?」

 戦棍が初めて虚空を切った。
 バラギの視界に入ったのは、弾丸に砕かれて宙を舞う巨大な鉄の瓦礫と空間の残滓である金色の粒子のみ。正面にはいない。見える範囲には(・・・・・)どこにもいない。
 一体どこに、という言葉が喉を出掛かった時、バラキは己が隻眼であることを思い出した。

「まさかっ!?」

 余所見は一瞬。バラギの驚愕で見開かれた眼が俺の目と合ったのはほんの刹那。
 だがその瞬間に壁の正面からバラギの死角に転移していた俺は体ごとフレイムタンを突き出す。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 ルビーで煌く剣の切っ先は肋骨をすり抜け人体の核である心臓を貫いていた。

「……………………」

「……………………」

 光も、音も止まった。
 お互いが魔法を唱えてから僅か数秒の攻防。最後の交錯も一秒に満たない短い時間だ。だが俺は闘いの中でこの瞬間ほど時間の流れを遅く感じたことは無かった。

「……………………」

「……………………ハァ。あーあ、負けちまった」

 空を仰ぐようにして心臓を貫かれたバラギが言った。
 そしてその一言が鍵だったかのように、凍りついた時間が溶けて再び動き始める。砕かれ舞い散った鉄の瓦礫が鈍い音をさせながら降り注ぎ、圧縮空間である光の粒子は土埃と共に風に紛れて拡散していった。

「ケッ、まさか殺し合いの最中に"糞餓鬼"が"男"になるなんてな…………あーあ、ツイてねぇ。死ぬんならせめて…………祖国の土を……踏んで…………」

 グラリとバラギの体が後ろへ傾く。俺は剣を抜く事も倒れる体を支える事もできずに両手を離した。倒れたバラギの体には墓標のようにフレイムタンが刺さっている。

「ハァ、ハァ……か、勝った……のか? 俺、こいつに勝てたのか……?」

 俺は未だに自分が生きている事実を信じられず、ブルブルと震える手とバラギの死体を見比べる。バラギは完全に死んでいた。
 トルゴレオに来てからもう何人も危めているはずなのに、バラギを殺したという事実は特別に重く感じられる。
 何故? と考えてコイツが今までで初めて会話をしながら殺した相手だという事に気が付いた。

「これでよかったんだよな……? こいつは悪人じゃなかったけど……やらなきゃこっちがやられていた。戦争、だから」

 仕方ない。これが戦争だ。
 それに今の俺には悩んでいる暇は無い。
 今すぐにでもアンを助けて絶叫隊スクリーマーに襲われているトルゴレオ軍を救わなくてはなくてはならない。

 ネックレスを拾い足を引き摺るようにしてバラギの元へ行きフレイムタンを引き抜いた時、またしてもドンッドンッと花火のような爆音が戦場に響いた。今度はかなり近い。
 驚いて音源を捜すとソレはレオスの平原の北側から、新たに戦場に出現した二万人以上の集団から響いている。彼らの軍には車輪をつけた大きな鉄筒――まさしく俺が欲した大砲が何台も火を噴いていた。

「北部の援軍……――ッ! 大砲が完成していたのか!」

 俺が巨大な火縄銃"アンキシェッタ5号"を見て大砲の知識を与えたのは約一ヶ月前。アンの父親のメルコヴ男爵は短期間にあんな僅かなヒントだけで大砲を完成させたらしい。

"オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!"

 予想よりもかなり早い、だが待ち望んでいた援軍の到着に絶叫隊と戦っていた南部の貴族軍は勝ち鬨をあげていた。北部の軍はこれからキスレヴの本隊を背後から叩き始めるだろう。絶叫隊にはさっきまでの勢いが無くなっているし、南部の貴族軍も士気を盛り返している。
 なんにせよ、これでトルゴレオ軍の勝利は揺ぎ無いものとなった。

「勝った……今度こそ俺は勝ったのか……!」

 二つの勝利だ(・・・・・・)。俺はバラギに打ち勝ち、キスレヴ軍にも勝った。
 俺は俺をこの世界に呼んだ皆の期待にようやく応えることができたのだ!

「シュージ様ー! シュージ様ー!」

「アン、無事だったか!」

 俺が呆然としながら大砲の音がする方を眺めていると先に敵を倒していたらしいアンが駆け寄ってきた。アンは腕に少し傷を負っていたが俺に比べたら些細な掠り傷といえる物だ。
 俺は両手を大きく広げて彼女を迎え入れる。気も大きくなっていたし、自分がようやく一人前になった事を伝えたかった。

「なあ、聞いてくれよアン! 俺、ついに魔ほ――グェッ! 痛たたたたっ!?」

「シュージ様の馬鹿、バカバカバカバカ!!」

 俺の妄想通りに胸に飛び込んできたアンはしかし抱きしめるのではなく、怒りながら両手でドンドンと俺の胸を連打した。

「あなたは大馬鹿です! どうしてわざわざ一対一で敵の魔術師と戦ったんですか!? あなた、正気ですか!?」

「え、あ、いや、戦いたくて戦った訳じゃ……」

「知ってますよぅ! 天幕で何があったのかはティアちゃんが魔法で伝えてくれました。おかしいと思ってあなたを探しに行ったら後方なのに小隊に襲い掛かられて……ああもう! まさか私のせいであなたがこんなに傷つけられるなんて……! 私が足止めをされて、あなたが魔術師と戦っていると気付いた時、私がどんなに心配したかわかりますか!?」 

 アンが胸の中で滝のように涙を流して叫びながら胸をドンドンと一層激しく叩いた。
 女がこうなったら、男が何を言っても勝てる気がしない。それでも一応は反撃を試みなくては。

「お、俺だってアンが心配だったんだよ! 怪我したって聞いたし、大きな火柱だって上がってたじゃないか」

「私はトルゴレオで一番の魔術師です! あなたが私を信じていてくれる限り私は誰にも負けません!」

 彼女ははっきりと言い切ったが、それでも涙は止まっていなかった。

「でも……でもどんなに強くても、いくら魔法があってもあなたが死んでしまっては何にもならないんです! だからお願い。お願いだからもう二度と私のために危険な真似はしないで! 私があなたのために死ぬのは構わないけど、もしもあなたが私のために死ぬようなことがあれば……私、きっと気が触れてしまうわ」

 アンの強い光を放つ目はいつかのリグレッタに同じことを言われたのを思い出させる。あの時はリグレッタの迫力に押されて何も言えなかった。でも今は――
 俺はアンの細い体をギュッと抱きしめた。

「ごめん、アン。そのお願いは聞けない」

「そんなぁっ!」

「俺さ、強くなりたいんだ。まずは自分の身を守れるようになって、アンやリグレッタやティアを守れるようになって、ラスティとかアダスとか、知り合いも守れるようになって、トルゴレオの国民を守れるようになって……身近な人からできるだけ守れるようになりたいんだ。だからアンのお願いは聞けない。無理はしないけれど……俺、多分これからも無茶はする」

 アンは俺の言葉を聞いて一層激しく泣いた。グジュグジュと破れたシャツに涙を擦り付ける。どうしようも無いのでしばらくそのまま抱き続けていたが、やがて泣き止んだアンが顔を上げた。
 ポロポロと涙をこぼす琥珀色の瞳が閉じられる。ピンクで瑞々《みずみず》しい唇がふるふると震えながら突き出されたかと思うと、アンはスッと背伸びして唇を重ねた。
 機嫌を直してくれたのかな? と思いそのまま目を閉じようとしたが、彼女が唇を重ねてきた目的はキスではなかった。

っ!」

 俺の下唇に吸い付いたアンは犬歯で俺の唇を少し噛み切ったのだ。ブツッという音がして血が口内に流れ込む。
 唇を離したアンは人差し指を使い、俺の血で自分に口紅を施した。 

「もうっ……にくい人……」

 ……どうやらアンなりの怒りの表現だったようだ。
 艶やかなピンク色だった唇を紅に変えて、こちらを恨めしげに見つめるアンは普段の少女らしい様子とは違い、雪女や吸血鬼を連想するような妖しい雰囲気を纏っている。
 俺は意味が分からないながらも、女性の恐ろしさを目の当たりにして背筋がゾクゾクと震えた。

「ご、ごめん……」

「……もういいです。今ので許します。それよりそろそろ本陣に戻りましょう。シュージ様の怪我の手当てをしないと」

 さっきまでの黒いオーラはどこへ行ったのか。アンは一瞬だけ俯いて顔を隠したかと思えば、涙も血化粧も無くなっていつもの笑顔のアンに戻っていた。

「ああ、戻ろうか」

 本陣に向かう前にもう一度バラギの死体を振り返った。
 コイツは末期に"祖国の土を踏みたい"と言っていた。
 俺もできることなら死人の気持ちは汲んで故郷で埋葬してやりたいが、実際問題として何千もの死体を隣の国まで運んで葬るのは不可能だ。せめて生きてさえいれば国に帰すこと位はできるんだけどな……。
 ちらりと戦況を見やると、キスレヴ軍は戦場では勢いを盛り返した南部の軍と北部の援軍によって完全に包囲されながらまだ抵抗を続けていた。
 意外だった。
 さすがにここまで包囲されては今更何か何か策があったとしても意味が無い。彼らの行動は皆殺しにしてくださいと言っているようなものだ。

「なあ、キスレヴ軍の奴らはなんであんなに粘るんだ? もう勝負は決まっただろう?」

 アンは目を細めて戦場をよく観察しながら答えた。

「多分、降伏を受け入れてもらえないんだと思います。彼らは侵略者ですし、諸侯軍の貴族達からすれば彼らは家族や友人の仇ですから。あそこにいるトルゴレオ軍は皆、勇気や忠誠ではなく恨みや怨念をぶつけるために戦っているんですよ」

「恨みや怨念をぶつけてるって……それじゃ、俺達がやっているのは戦争じゃなくてただの虐殺じゃないか!!」

「ええ、ええ、その通りです。でも貴族達にはどうしてもこの一ヶ月で溜まった鬱憤を晴らす必要があるんです。今止めたら、今度はあなたが酷く恨まれますよ」

 アンの口調はとても真面目で大げさに言っているようには聞こえない。恐らく戦場の貴族は彼女が言った通りの感情を持っているのだろう。

「………………」

 俺は自分の手を見て、最後にもう一度バラギの死体を見下ろして、決意を固めた。

「アン、魔法でティアと北部の司令官に俺の命令を伝えてくれ。全軍は直ちに戦闘を中止。軍使を送ってキスレヴを降伏させるように、と」

「本当によろしいんですか、シュージ様?」

「……いいんだ。俺が人を殺したのはあくまで戦争のためだ。殺人がしたいわけじゃない。どんな恨みでも受けるから、彼らの祖国の土を踏ませてやってくれ」






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