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口直しの恋。 作者:山本 風碧

番外編/後日談

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思い立ったが吉日

 夏休みが明けると、瑞生には日常が戻ってきた。
 まだ暑さはそこかしこに残っているけれど、空は一気に秋めいていた。
 今年の夏、瑞生は突然東から舞い戻ってきた嵐に翻弄された。様々な熱を巻き込んで、勢力を拡大して上陸した、嵐に。
 だが夏の嵐が過ぎ去れば、現実が一気に押し寄せた。
 職場には学生も戻ったし、その上、嵐の間に溜め込んだ仕事は膨大だった。
 ポスドクには年に何回かひどく忙しくなる時期がある。それは専門分野によって違うだろうし、――これはどんな仕事にも言えることだけれども――そもそも計画的に研究を進められていればいいだけのこと。
 だが、結果、瑞生は電話口でうめく羽目になっていた。

「加奈子さん、ごめん、その日は――っていうか、今月は学会あって、あんまり昼間は時間取れない」

 加奈子からの電話は、デートの誘いだった。ホテルでのランチビュッフェ。ランチということは、昼間ということで、普通社会人であれば、昼間は仕事に行っているものである。
 そして、瑞生の職場は郊外の大学なので、気軽に福岡市内に出ていくことが出来ないのであった。

「そっかぁ……お仕事なら、しょうがないよね」

 彼女の声が曇っている気がして、瑞生は口を開きかけた。――が、すぐにつぐむ。

(ダメだ、)

 彼女の両親への挨拶は、瑞生の仕事が落ち着いた、来月に行くことになっている。
 だが、もう毎日でも会いたいから、すぐにでも二人で住み始めてしまいたいというのが本音。瑞生は夏休み、東京であまりにも濃厚なバカンスを過ごしてしまったため、帰ってきてからの差異に耐えられなかったのだ。家に彼女がいないという現実に耐えられなくて、母や、幸せそうな弟への八つ当たりをこらえるのに必死だった。
 だけれども、同棲は――大分理解が進んだとは言っても――社会人としてはそこまで推奨されない行為だ。ふたりとも一人暮らしならば、経済的時間的理由で同居に踏み込む事はあるだろうけれど、不幸なことに瑞生たちはどちらも実家ぐらし。家を借りなければ同棲は出来ない。そして家を借りるくらいならば、将来を真剣に考えている二人は手順を確実に踏むべきである。

 その辺の考えは瑞生以上にカタイ彼女も同じであろうし、瑞生が手順を間違えれば、軽蔑の視線を受けることになるかもしれないと思った。

(あー……なんか情けね)

 思いが通じる以前、瑞生はあえて彼女に嫌われるような言動を取った。一度振られているのだ。怖いものなどなかったし、とにかく無関心から一歩踏み出したかったからだ。彼女に関わることを許されない地味な男が、どうすれば彼女の心に食い込めるのか。精一杯考えた結果の行動だった。
 だが今は、彼女に嫌われるのは耐えられない。彼女を失うことが怖くてたらまない。
 臆病な自分を彼女は笑うだろうか。不安がよぎったとたん、

「大丈夫だよ。わたしも就職活動頑張らないといけないから」

 気丈に明るい声が返ってきて、瑞生はホッとしながらも、実物を腕に抱くことの出来ない物足りなさに密かにため息を吐く。すると、

「じゃあ、夜、なら……会える?」

 いきなり来た変化球に瑞生は思わずむせそうになった。

「あ、っていっても、泊まりはだめだけど! この間遅くなってから、ちょっと怪しまれてて」

 大人なんだから、あんまり干渉しないでほしいんだけどね……と彼女は残念そうに、申し訳なさそうに漏らす。

「でも、ちょっとでも、顔みたいなって」

 彼女が可愛らしくて愛おしい。たまらないと思った。

「……ごめん、」
「あ、無理ならいいの!」
「いや、……顔だけ見るのだけじゃちょっと収まりません」

 正直に漏らすと、彼女はホッとしたように「無理、じゃなくてよかった」とつぶやいた後、瑞生の言葉を吟味したのか、少し照れたように黙り込んだ。だが、やがて、彼女はぽつりと言った。

「あの、ね」
「うん」
「もう、さっさと一緒に住んじゃえないかなって」
「うん……え?」

 予想外の提案に瑞生は目を見開いた。

「あ、もちろん、お互いの両親にはちゃんと話をして、からだよ。だけど、真剣だって言えば、結婚式前でもわかってくれると思う」

 瑞生は手元のスケジュールを確認し、目をつぶる。今月のスケジュールはほとんど予定で埋め尽くされている。――けれど時間は作れるものだ。
 頭のなかで、予定を組み替える。月末の学会は動かせないが、他の予定で動かせるものは動かして隙間を作る。

「わかった」

 すぐに答えると、彼女は「え?」と電話の向こうで固まる。

「もう来月まで待てないから、さっさと挨拶に行きます。お父さんとお母さんの予定聞いて教えてくれる?」

 スーツをクリーニングに出して、靴を磨いて。
 頭のなかで計画を立てていて、「なんか、瑞生の行動って基本、《思い立ったが吉日》だよね」という声に我に返る。
 一人突っ走ってしまったことに気がついて、一度立ち止まる。

「だめ?」
「ううん。わたし、瑞生のそういうところ……かなり好きかもしれません」

 そう言われて、瑞生は明日にでも挨拶に行きたい、心からそう思った。
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