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口直しの恋。 作者:山本 風碧

本編

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17 まるで数学みたいな

 瑞生の自室は二階にあるせいで、夏の日差しを受けてすさまじい熱を溜め込んでいる。この家にエアコンはないが、グリーンカーテンのお陰か、広い庭のお陰か、一階ならばなんとか生きていける気温が保たれているのだった。
 薄暗さが心地よい居間で、瑞生は落ち着きなく歩きまわる。仕事がとてもじゃないが手に付かなくて、下に降りてきたはいいが、することがないととたん彼女のことを考えてしまう。

「あんた、ほんとなんばしよっとね。ぐずぐずぐずぐず……男ならもっとしゃんとしんさいよ」

 キッチンで新聞を読んでいた母が老眼鏡を外し、視線をを上げた。

「そげんぐずぐすしよったら、また・・逃げられるよ」
「またってなんや」

 母の少々きつい方言はすぐに移ってしまう。苦々しく思いながらも瑞生は反論する。

「こんあいだ、良平が言いよったよ。あんた、高校の時からずぅっと好きな人がおるって。馬鹿やねえ、なら父ちゃん母ちゃんのこととかいいけん、さっさと東京に追いかけていけばよかったんよ。どうせ良平がおるんやし、長男やけんって、こっちにとどまる必要とか、なんもなかったんよ?」

 全部お見通しだったらしいと瑞生は密かに嘆息する。だが、読まれすぎるのも気まずくて、小さく反論する。

「そんなんやない。単に向こうの大学受からんかっただけやし」

「変にレベル上げすぎたからやろ。別に浪人しても良かったんやけんね」

 その話は瑞生の中では終わった話だった。過去を振り返っても何もならない。瑞生は今の自分に満足している。――ただひとつの後悔を除いて。
 蒸し返すのは嫌で話をそらす。

「――っていうか、ろくな仕事してない男は、結婚とか出来ん」
「非常勤でも立派な仕事やし、あんた、どこにでも仕事あるやんね」
「あるにはあるけど……ないといえばないし」

 畳み掛けるように言われ、反論が難しくなってきて瑞生はだんだん小声になってくる。昔から母には頭が全く上がらないのだ。

「ほら、さっさ東京に仕事探して行ってこんね。そういうのに女は弱いんやけんね。わたしも父ちゃんも孫がさっさと見たいんよ」

 瑞生は苦笑いをする。この母は事あるごとに、二人の息子に女性の落とし方を叩き込んできた。というより、父がどうやって母を落としたのかを、その駆け引きを覚えるくらいに聞かされた。つまりは惚気話だ。恥ずかしくないのだろうかと今なら思うけれど、当時は稚すぎてそれが普通だと思っていた。そのおかげもあって、いつの間にか瑞生と良平はそのテクニックとやらを実行していたりする。

(追いかけていけ、か)

 母が言うなら間違いなく効果的なのだろう。だが、現実的なところのある彼女が、仕事を捨てて追いかけてきた男を受け入れるとはとても思えないし、……なにより、瑞生は今、彼女の気持ちがどこにあるのかもわからないのだ。

(あれは遊びだったのか?)

 そんなわけない、と瑞生は全力で否定する。彼女はそんな女じゃない。隙あらば友達の線を越えようとする瑞生を牽制し続けた、真面目で潔癖な女性だ。

(でも――ってことは?)

 答は一つしかない気がして、瑞生はにわかに動揺する。

(もし俺が信じる通りならば)

 『浜田加奈子』が彼の好きになった女性であるならば――彼女の気持ちは、行動から簡単に導き出せるのだ。

(彼女は好きな男・・・・としか、寝ない)

 まるで数学みたいだと、瑞生は思う。
 呆然とする彼に、母が顎で電話を示す。

「知っとるんやろ、番号」

 敵わないな――そう思いながら、瑞生は居間を出る。さすがに母に話を聞かれるのは勘弁して欲しかった。
 サウナのような自室へ戻ると、スマホのアドレス帳を探る。
 そして以前手に入れた浜田家の番号をタップした。


 *


 東京に戻った翌日のこと。わたしは新宿駅に求職活動へと向かっていた。
 明大前駅で京王井の頭線から京王線に乗り換える。ホームは平日の昼間だというのに賑わっていて、田舎との差異を実感する。福岡ならば必ず座れる時間だけれど、ここでは無理かもしれないと思った。
 失業保険をもらうためには、最低でも月二回の求職活動が必須となる。一回は初回講習受講で大丈夫そう。もう一つはセミナー受講で大丈夫かと思っていたが、いつもやっているものではないらしく、その上予約申し込みが必要だそうだ。失業保険認定日まで日がない。そのため、ひとまずできることをと調べて、少々急いで出向いたのだ。

 こんなゆるゆるな求職活動をしている時点で、本当は受給資格はないのかもしれない。
 だけど、あのまま東京にいては就職どころではなかったと思う。就職のことを考えられるほどには、心身ともに回復したのだから良しとしよう。これから頑張れば大丈夫……と自分に言い聞かせてホームに流れ込んできた電車に乗り込んだ。

 新宿駅は巷ではダンジョンのようだと言われている。一月ぶりにやってきて、そのとおりだと思った。田舎で地下といえばせいぜい一階だ。だがこの駅は、掘りに掘って地下七階まである。縦に長い空間で、人の波は止めどなく押し寄せてくる。波に飲まれて自分がどこにいるのかもわからない。
 ハローワークには、前回よりもかなり苦労して辿り着く。人の列に急かされて、息をつく間もなく、端末で仕事の検索をして求職活動が終了する。だけど、せっかくだからとその後、手元の求人票を元に、職員さんに相談をすることにした。失業保険は前の給料の六割ほどだ。残り四割が毎月赤字となれば、貯金がなくなってしまう。早く就職するに越したことはない。

「……プログラマー、じゃないんですか?」

 係の人は訝しげだ。
 私が検索して打ち出した企業情報の職種は事務職だったからだ。
 以前の職種、プログラマで検索したのだけれど、残業なしにチェックを入れるとヒットしなかった。製造工程に当たるプログラムは、ソフト分野ではプロジェクトの下流だ。上流での遅れのしわ寄せが直撃する部分で、残業なしなどということはありえない。
 体を壊してまでするプログラムが好きかと自分に問いかけてみるけれど、答は否だった。たまたま内定をもらえた企業に流されるままに就職してしまったけれど、わたしはここですでに悪手を打っていたらしいと気付かされる。

「前の仕事が体力的に辛かったので……体を壊さない程度に働ける所が良いんです」
「せっかくスキルがあるのに、もったいないねえ。大分給料下がるけど」
「やっぱり、そうですよね……」

 それでも、わたしは頷く。これからはもらった給料に見合った生活をすればいい、そう思ったのだ。
 せめて人間らしい生活をしたい。一月の田舎暮らしのおかげか、わたしはそう強く望むようになってしまっていた。
 幾つか紹介してもらうが、結局条件に合うものは見つからなかった。
 それでも認定は無事に済み、ホッとしつつわたしはハローワークを出た。と、そのとき、電話がブルリと震えた。
 着信は拓巳からだった。今朝、メールを打っていたからその件だろう。

『こっち帰ってきたんだろ? 話あるって、なに? 仕事決まったとか?』
「ううん、まだ求職活動中。今新宿のハローワークにいるよ。拓巳、いつ時間取れる?」

 がっかりした空気が流れ、拓巳が落胆を隠さずに言った。

『……今週末ならなんとか』
「あ、じゃあわたしもあわせて金曜に新宿出てくるし」
『じゃあ七時に、んー……その辺スタバあったろ。そこにするか』

 後ろを振り向くとたしかにスタバが見える。拓巳の職場は九段下にある。よく知ってるなあと思いつつ、わたしは答えた。

「わかった」

 電話を切る。スタバをしばし見つめる。ガラス張りのコーヒーショップは、外から客の顔が見えるほどに開放感にあふれていた。その明るい店構えに苦笑いをする。
 ここじゃあとても別れ話はできないな、と。
 ――こんな場所を指定した拓巳は、きっと、わたしから告げられる言葉など想像もしないのだろうなと思った。
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