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鈍器系男子の運命論 作者:野谷トオル

5 純情メルヘン進行形

22/25

21 届かないラブレターを書いていた。


***

 夕焼け色の個室は、ゆっくりと揺れる。
 互いに向かい合って座り、そして互いが無言だった。
 いつもの勢いで真壁がベラベラ喋り出すとばかり思っていた。しかし、彼は俯いて千花と目すら合わせようとしないので、困惑してしまう。
 外の景色は、何か変わったものがあるわけでもなく、いつもより向こうの景色が見えるだけだ。
 なにも感慨深いものもない。
 きっと、かわいい少女ならば感嘆の声のひとつもあげたことだろう。
 千花は可愛い少女ではない。だから何もいわないまま、ぼんやりと観覧車の窓を見ていた。

「観覧車に乗ったのは初めてだ」

 いままで、何も言葉を発していなかった真壁がぽつりとコボす。
 千花は窓に向けていた目線を外して、真壁を見つめたが、彼は何も感じていないような表情で窓をみたままだった。

「なにもないんだな」
「観覧車よりも、展望台の方がもう少し楽かもしれません。飽きたら帰れますし」
「確かにそうだな」

 何を考えているのかわからない。そんな返事を繰り返して返される。
 遠くを見つめる怜悧な瞳は、どこか現実味がなかった。彼の美しい容貌と相俟って何処か浮き世場慣れした雰囲気を漂わせている。

「本当に、何も変わらないんだな」
「あの……真壁さんは、観覧車になにがあると思ってたんですか?」
「さあ?ただ、なんとなく乗ってみたかったんだ。乗ってみれば、なにか分かる気がしてただけだ。」
「なにか、ですか……」
「心の靄が晴れるような気がしてた。でも、そうでもないみたいだ……」

 そういって真壁は千花の方を向いて、苦笑していた。
 彼が何を思って、観覧車に乗りたかったのか、なんとなく分かったような気でいた。でも、本当は違うのかもしれない。

「タイトルは思い出せないんだが、本の中で観覧車の話があったんだ。有名じゃないし、ずいぶんと前の本だったから、貴女は知らないかもしれない」
「どんな話なんですか?」
「観覧車の中のラストシーンで、幽霊だか天使の女の子が消える話なんだ。」
「それって……あの、もしかして……」
「大学時代に、その本を読んだとき、いつか俺は観覧車で“彼女”が消える姿を、好めで見るんだと思っていた。」

 存在しないから、見えるわけないのに……そういって真壁は、手を合わせ、うなだれた。可視化など出来るわけないのに、ずっと心の中の少女の面影を彼は追いかけていたのかもしれない。
 心底、純粋という言葉では片づけられない、危険な男だ。

「実際にいないのは心の片隅で理解していたさ。大学の在学中は、実際に手紙を書いたりもして、贈り物も探した。その贈り物を買うためにバイトも始めた。結婚する気だったし、結婚資金をためるつもりだったんだ」

 幻想とは結婚できない。
 それを、目の前の男は理解しているのだろうか……素っ頓狂な彼の発想に悪寒が走った。感情の色のない瞳で"彼女”の話をする真壁はどうみても異常だ。変だ。

「それでも楽しかったんだ。幸せだった。満ち足りていたんだ。」

 感情の色のない瞳で"彼女”の話をする真壁はどうみても異常だ。
 変だ。
 何を考えているのか、どういう思考をしているのか、千花の頭の想像力の遥か先をいっている。

「大学を卒業して、出版社に就職した。ようやく、自立出来ると思って、婚約指輪を買おうとした。でも、指輪のサイズがわからず、苦労したことを今も覚えている。」
「当たり前じゃないですか……」

 何を言っているのか、全然分からない。

「だって、いないもの。」

 千花は真壁の異常性に耐えきれず思わず本音を漏らしてしまった。
 マズイ、と真壁を慌ててみる。
 しかし、彼はぼんやりと頂上に向かいつつある景色を見ているだけで表情が逆光で見えない。

「嗚呼、そうだ。“彼女”は存在しない。」

 色のない声は、ただ音を発しているだけだと思いたい。

「だから存在に矛盾が生じ始めた。存在を疑うようになった。」

 ゴンドラを動かす機械音が耳にこびり付いて、恐怖を増していた。

「それでも“彼女”を失いたくなくて……手紙を書き続けた。でも、その頃から夢を見なくなったんだ。段々、眠れなくなった。」

 真壁の話を聞いていると頭がおかしくなりそうだ。

「それでも俺は“彼女”の存在を信じていたから、愛していたから、顔も知らない作り出した幻想を探してた。」

 千花にはひとつも彼の話が理解できないのだ。
 もっと解決策もあっただろうし向き合う機会なんていくらでもあった。
 千花じゃない誰かが、幻想を打ち消していてもおかしくない。
 それでも真壁は夢の中の住人でいたのだ、非現実の世界で生きていたのだ。
 彼の上司である南も知らなかったと、気づかなかったと言っていた。真壁も上手に隠していたのかもしれない。
 マトモな真壁と、異常な真壁の両方を、彼は切り替えて操っていたのかもしれない。
 本当の真壁は夢の世界にいた。
 そういう認識だったのかもしれない。
 とんだ化け物だ。

「でも、あの子は居ないんだ。それを……貴女が教えてくれた。」

 千花は鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。

「千花さんが、ジワジワと捻り潰して一瞬で消し去ったんだ。俺には衝撃だった。あんなにしがみついていたのに一瞬だったから」

 もう消えてる。
 そう言ったのだ、ならばどうして真壁は一人で、いや、千花と観覧車に乗ろうと思ったのだ。
 心の靄が晴れないのはどうしてだ。
 不思議で仕方なかった。
 真壁は千花の聞きたかった事が、手に取るようにわかったかのように話を続けた。

「最後に“彼女”の思い出に浸りたかったのかもしれない。思い描いてた最後は、どうなったのか見てみたかったんだ。それを、一人で感じる勇気がなかっただけかも知れない。だから、貴女と乗りたかったんだ。勇気が欲しかったんだ。」
「そう、ですか…」
「彼女の名前も容姿も、昔出会った女の子から取った。彼女を作り出す前に会った迷子の子、俺より十は下で泣いてたのに俺と話したらすぐに笑って、最後につまらない人だなんて言うような子だ。千花さんによく面影が似ていたし名前も同じだった、見つけたと思ったのかもしれない重ねたのかもしれない」

 気づけば観覧車は頂上に上っていて、外は夜景になっていた。
 観覧車の小屋に備え付けられた電気が付き、初め真壁の表情が見えた。
 憑き物が落ちたように穏やかに笑っていて、千花じゃない千花をじっと見ていた。

「“彼女”が居てくれたから、俺は幸せだった。ずっと愛してた、もう俺は“彼女”を愛せない、でも“彼女”を信じた俺は、もう居ない。本物じゃなかったけれど、この感情は本物だった。とても不思議な気分だ」
「…愛してくれて、ありがとう」

 彼女がそう言っているような気がしたけれど、なぜ千花はその言葉を付け加えなかったのかは分からない。
 それは、なんだかとても陳腐な言葉のように聞こえた。
 それでも、千花がひねりだした真壁への言葉は、こんなものしかでてこなかった。
 彼女を消し去った彼への報いになるのかは、定かではない。
 いつのまにか感情移入をしていたのか、それとも、彼の異常性への恐怖心なのか、千花はポロポロと涙を溢れさせて真壁を見ていた。
 あんなに気味悪がって聞いていた話なのに、真壁の思いを感じて、千花は涙を流している。
 目の前の男の笑顔が美しすぎたからだろうか?
 それとも人の大切な物を消し去った後悔が今更やってきたから?
 考えても理由はわからない。それでも、千花は泣いているのだ。
 ぽろぽろと、真壁の目の前で泣いていた。
 千花が泣くのは何年ぶりだろう、全く思い出せない。
 そういえばずっと泣いていない。
 いつからだろう?嗚呼、だめだ。泣くのは好きじゃない。
 だから泣いた記憶はすぐに消してしまう。

「ありがとう」

 そういって優しく笑う真壁の笑顔は美しかった。
 なんだか、千花が千花ではないような感覚に引きづられている。
 近づく真壁の唇に、吸い込まれていく。
 唇を許したのは、決して千花ではなく、どことなく千花の中に入り込んできた“彼女”だと思っていただきたい。

「こんな俺ですが、これから、貴女に恋をしても良いですか?」
「勝手に、してください」

 そんな許可、だしたところでなんだというのだ。楽しそうな真壁の笑顔を見て、千花はすぐに顔を逸らした。
 頭の片隅でファーストキスだったと後悔する。
 しかし、これは千花のしたキスではないのでノーカウントだと頭の中で繰り返すのだった。


***


 届かないラブレターを書いていた。
 何度も何度も、届かないラブレターを書いていた。
 宛先のないラブレターを書いていたのだ。

 それは一種の明晰夢で、ありきたりな悩みや不安を夢にぶつけているだけだった。
 ただ"つまらない人”とワードに打ち込まれたような、きっちりとした書体の文字が夢の中でも印象的で仕方なかった。
 きっと、あれは自己評価の暗示だったのかもしれない。
 祖母の家の近くで、偶然であった少女と物語の少女を重ねていた。
 真っ赤なワンピースに笑わない表情。
 ぼんやりとした瞳。
 妙に大人びた言葉と口調。
 全てが物語りめいていた少女が頭からこびりついて離れなかっただけだ。
 どうしても、夢の中の彼女が欲しかったのかもしれない。
 もしくは、ずっとこんな風に誰かとふれあいたかっただけなのかもしれない。
 つまらない人間でも、どうにでもなれるように、失った青春を取り戻そうと必死に喘いでいただけなのだ。
 幼い少女と、彼女を重ねた。ただそれだけだったのかもしれない。
 少女をチカと感じたのは反射的で、運命だと先走ってしまっただけなのかもしれない。
 それでも、夕焼けに照らされた彼女を見た瞬間に思うのだ。
 届かないラブレターを送る相手は彼女しかいないのだと、何度も何度も、思ってしまうのだ。
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