ムキムキ漢女とヒョロヒョロ乙男
あるところに、ボディービルダーも羨むムッキムキの筋肉を持つ勇ましい漢女と吹けば飛びそうなヒョロッヒョロの白い肢体を持つゆるふわガーリー系美少女風の乙男がおりました。
漢女は名をジェニファーと言い、傭兵仲間からは「J」の呼び名で広く恐れ親しまれる兄貴的(けして姉御ではない)な存在でした。
また、乙男は名をロレンツィオと言い、男爵家の長男でありながら本物の乙女よりも乙女らしい趣味性格をしているせいで家族から見放されている孤独な存在でした。
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ある日の事。
家族どころか使用人にまで遠巻きにされている乙男は、趣味の裁縫に必要な刺繍糸を得るため貴族でありながらたった一人で町の商店まで買い出しに赴いておりました。
鮮やかな花のコサージュをあしらった、藁を編み込んで自作した小籠を細い腕に下げた乙男。
実に淑やかな所作で通りを歩く彼の姿を見た人々は、絵画から抜け出してきたかのようなその美しい光景に感嘆のため息を漏らします。
何とか買い物も終わり、上質の糸が手に入ったとご機嫌な帰り道での事。
どうにもどんくさい乙男は、何も無い平らな場所で唐突に躓いてしまいました。
「ひゃっ。」
反射的に、少女のような可愛らしい悲鳴が出てしまうのが乙男クオリティです。
ぎゅっと目を瞑って衝撃にそなえる乙男でしたが、どうしてか一向にその時は訪れません。
むしろ、温かくて柔らかい何かに包まれている様なそんな感覚がして、乙男は戸惑いました。
一人混乱していると、頭上から落ち着いた雰囲気の低くて耳に心地の良い声が降ってきました。
「…大丈夫か?」
ハッとして顔を上げれば、目の前に乙男を覗き込む筋骨隆々といった表現がピッタリの浅黒く逞しい肉体と、神秘的な紫の髪と瞳が美しい、それはそれは凛々しい顔を持った女性がおりました。
どうやら乙男はこのとても素敵な女性に助けられたようです。
そう理解した彼は、花が芽吹く様なフワリとした笑顔を向けてお礼を言います。
「ありがとうございます。助かりました。」
見た目だけでなく、自分を助けてくれたところから心根も素晴らしい女性なのだろうと想像した乙男はこの幸運を心から喜びました。
それから改めて確認すれば、漢女の身長がとても高いので抱きとめられた瞬間に自分が彼女の胸に顔を埋めてしまっていたのだという事実を知りました。
それに、今も背に腕を回されているままなので、乙男と彼女は抱き合うような形で密着しています。
その見た目と性格に惑わされがちですが、乙男も立派な男性であり、当然女体への興味は尽きることがありません。
しかし、今まで女性とろくに触れ合った経験の無い乙男は、羞恥から顔を真っ赤にさせて再び悲鳴を上げました。
「ひあああっ。ごっ、ごめんなさぃぃーっ。」
同時に彼女の腕から逃れ、乙男はそのまま両頬に手を当て走り去ってしまいました。
息も絶え絶えに家に戻った彼が、自作したウサギさんのぬいぐるみを抱いて『名前くらい聞いておけばよかった』と嘆き悲しんだ事実は、本人以外誰も知らない話。
一方、去って行く乙男を名残惜しげに眺めながら、漢女は胸の内で秘かに感動に打ち震えておりました。
(真珠のように白くスベスベとした肌に、天使のごとくフワフワとした金の巻き毛。
空のような水色の瞳はどこまでも澄みきって美しい。
柔らかそうでツヤのある形の良い桃色の唇と、そこから紡がれる鈴がなるような可憐な声。
抱き寄せた身体からは、香水なのか石鹸なのか元々の体臭であるのか分からないが、うっとりするほど上品で爽やかな甘い香りが漂ってくる。
そして、礼を述べる時に見せた輝くような笑顔。
恥ずかしさから頬を染め瞳を潤ませる純粋さ。
どんなに慌てても崩れない流れるような華麗な動作。
神が地上に与えた奇跡とは、かくもあろうか。
どれほど優れた芸術作品を前にしようと、これほどの魅力を感じる事はまず有り得まい。
あれは何だ?精霊か?聖女か?女神か?
…いや、違う。
あんなにも素晴らしい娘が女であるワケがない。
げんに胸も無かった。
あぁ、欲しい。アレが欲しい。常に傍に置いて愛で続けたい。あの無垢なる魂を穢したい。
どうにかして手に入れる方法は無いだろうか…。
もし自分のモノになったのなら、件の白い肌に余すところなく所有印を刻み付けてやるのに。
…素晴らしい。なんと、素晴らしい。
想像だけで、戦場を駆けまわるよりもなお興奮させられる。)
無表情の奥でとんだ妄想を繰り広げながら、漢女はその場から去って行きました。
彼女は常こそストイックなイメージで立ち回っておりますが、その裏はとんだムッツリ助平のド変態だったのです。
身近にいたのは趣味と真逆の漢女と同じような筋肉ダルマばかりであり、表情少なく寡黙な性質の彼女の嗜好を知る者は誰一人としておりません。
長い時を経て、ようやく心の底から欲する存在が現れた事で、漢女はその想いを熱く熱く燃えたぎらせたのでした。
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初めての出会いから一週間。
もう一度会いたいという欲求に駆られて、乙男はあの日から毎日大通りを訪れては漢女を探しておりました。
しかし、彼女は一向に見つかりません。
そのうえ、人見知りの気のある乙男は誰かに彼女の事を聞く事も出来ず、日数ばかりが無駄に過ぎて行ったのです。
けれど、それも今日までの話。
乙男が毎日外出していることを使用人から聞いた父親に、調子に乗るな恥を晒すなと叱られてしまったため、これ以上の捜索は打ち切らざるを得ない状況になってしまいました。
最後の望みと必死に彼女を探したのですが、結局この日も無駄足に終わってしまい、乙男はガックリと肩を落とします。
あの時の装いから察するに女性は流れの傭兵のようでしたので、一週間も経てばもう町にいない可能性が非常に高いのだという事は乙男も薄々知っていました。
諦めるには良い機会だったのだと、彼は無理やり自分を納得させてトボトボと帰路に着いたのでした。
自宅に戻った乙男は、自身の部屋のレースをふんだんにあしらった薄桃色のシーツを敷いたベッドに倒れ込んでさめざめと泣き始めました。
そして、現実の無情さに打ちのめされたメンタルまでも貧弱な彼は、その日から部屋に引きこもるようになってしまったのです。
家の者たちは、習慣であった買い物にすら出かけなくなった事をいぶかしみましたが、やがて彼が視界に入る機会が減ったのは良いことであると喜びました。
さて、その一方で、漢女は乙男とは違う現実的な方法で再会の努力をしていました。
まずは人を雇い、あの乙男がどこの誰であるのかその正体を探らせます。
彼がこの町に住む男爵家の長男ロレンツィオだと知った漢女は、次に彼の置かれている立場や家族構成に経済状況、それから年齢や趣味特技といった実に様々な情報をそれまでに得て来た多くの伝手を使って収集しました。
そうして集めた情報を元に、彼女は確実に乙男を手に入れるための策を脳内で巡らせていきます。
正確には、彼女の中では最終手段として攫ってでも手に入れる予定になっていたので、なるべく禍根の残らないやり口を考えていたにすぎないのですが…。
時おり妄想で彼を凌辱しつつ、ようやく手段が整ったのは、最初の出会いから約半月ほどが経過した頃でした。
彼を迎えに行くために颯爽と愛馬に跨る漢女に、事情を知る傭兵仲間よりからかいの言葉が飛び交います。
漢女はそんな姦しい彼らを尻目に、男爵の屋敷に向かい愛馬を走らせました。
荒くれ者が多く実力至上主義の傭兵たちに、ロレンツィオ自身の意思を案じ彼女の行為を咎めるようなマトモな思考を持った者など誰一人としておりませんでした。
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元々細かった食がさらに細くなり、外出も一切しなくなった乙男は今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気を身に纏っています。
ホゥと小さくため息を吐きながら窓から町を眺めていると、ふとこの家に向かって一頭の大きな漆黒の馬が駆けて来ました。
乙男は、その背に乗っている人物を見て驚きに目を見開きます。
「どうしてあの人がここに…?」
予想外の漢女の強襲に、乙男は動揺を隠せません。
動悸、息切れ、眩暈、発汗。
半ばパニックになりながら部屋の中を忙しなく動き回る乙男でしたが、彼が正気に戻った時にはすでにその身は漢女の腕の中に囲われていました。
「えっ。……………えぇっ!?」
一体、どれだけ呆けていたというのでしょうか。
いつの間にやら屋敷さえも飛び出して、馬上の人となっている乙男。
お腹周りには浅黒く逞しい腕がガッシリと巻きついており、彼が動こうとしてもビクともしません。
乙男が身じろぎした事で正気に返ったことが分かったのか、漢女は馬の速度を落として彼に話しかけました。
「ようやく意識が戻ったようだな…。
状況は理解しているか?」
見上げれば、そこにはずっと会いたかった漢女の凛々しい顔。
高貴な紫の瞳に捕らわれて、乙男はその白い頬をうっすらと朱色に染めながら、しどろもどろに答えます。
「いえっ、あの、それが、全然…。ごめんなさい。」
空色の瞳を潤ませて上目遣いに己を見てくる乙男に、漢女は無表情を保ちながら内心に沸くこの場で押し倒してしまいたい衝動を必死に堪えます。
攫う事すら厭わず無理やりにでも彼を手に入れようとしていた漢女ではありますが、だからと言って好いた相手に嫌われたいわけではありません。
「…謝る必要は無い。単に自分が貴方を身請けしたというだけだ。」
「み………えっと、それはどういう?」
しかし、漢女は直球でした。基本的に真面目で誠実な彼女に嘘をつくと言う選択肢はありません。
事実が彼を傷つけてしまう可能性は高かったのですが、彼女は自己を擁護することも彼の家族の態度を隠すこともなく坦々と語り始めます。
泣いてしまうかもしれないという彼女の予想を裏切って、乙男は少し淋しそうに笑っただけで、至極あっさりと家族に売られてしまった事実を受け入れました。
元々、疎まれ隠されるようにして生きてきた乙男です。
けして彼が家族を愛していないわけではありませんでしたが、家族に愛されていない事を知っていた乙男はそうされたことを責めようとは思いませんでした。
そんな事よりも、彼が今一番気になっているのはどうして彼女が乙男を買ったのかと言う事です。
男としての自分に全く自信のない乙男には当然の疑問でした。
「ところで、あの…貴女は…。」
少しばかり怖い気持ちで漢女にそれを尋ねようとすると、その言葉は途中で遮られてしまいました。
「ジェニファーだ。…あぁ。貴方の名は知っている。ロレンツィオ。
仲間内ではJで通っているが…そうだな。
貴方にはジェニーと呼んで欲しい。今は亡き家族だけに許していた愛称だ。」
相変わらずの無表情ではありましたが、家族の事を口にした時、彼女は一瞬だけ過去を懐かしむように目を細めます。
それを見た乙男は、どうしてか慰めてあげたい衝動に駆られたのでした。
「…そんな大切な呼び名を、本当に宜しいのでしょうか?」
「あぁ。構わない。」
「分かりました。ジェニーさん。」
乙男が名を呼ぶと、漢女は今度は嬉しそうに目を細めました。
そんな彼女の反応に気恥ずかしさを覚えて、彼は正面に向き直りながら先程できなかった質問を投げかけます。
「そっ、それであの、ジェニーさんはどうして私を?
私とジェニーさんが会ったのは、たった一度きり…ですよね?
いえ、そんな事より…気持ち悪くはないのですか。こんな…見た目も趣味も女の子みたいな…。」
自分で言いながら、段々と項垂れて行く乙男。
そんな彼に、彼女は少しだけ彼を抱く腕に力を込めて耳元に囁きました。
「………一目で惹かれた。どうしても欲しいと思った。
そんな貴方を気持ち悪くなど思うはずがない。」
「えっ…、あっ…。」
彼女の殺し文句に乙男は真っ赤になって俯いてしまいます。
己の意思に反してどこまでも熱くなっていく顔を両手で覆って、ひたすら羞恥に耐える乙男でした。
そんな耳まで赤くした彼の様子に漢女は内心で密かな手ごたえを感じ、このまま押せ押せで迫って行くことを決心しました。
彼女はこっそり人気のない場所へ馬を誘導しながら、乙男に静かに語りかけます。
「貴方を金で買った自分を、卑怯で横暴な人間だと思うかもしれない。
それに、自分は傭兵なんてヤクザな商売で生計を立てている見た目にも中身にも女らしさのカケラもない人間だ。
けれど、許されるならば…どうか、自分を貴方の伴侶にしてもらえないだろうか。」
自身を軽く卑下する事で優しい彼から同情を引こうという計算高さを発揮しつつ、しかし誠実な心で彼女は乙男に告白しました。
漢女の目論見通り、彼はハッとした表情で顔を上げて彼女の言葉を否定します。
「そんなっ!許すもなにも、ジェニーさんは悪い事なんてしていません!
むしろ、行き場の無かった私を必要としてくれて感謝しているくらいです!
見た目だって充分に女性らしいですし、貴女が傭兵だって私は全然構いません!
あっ…。でも、ジェニーさんみたいな素敵な人の伴侶だなんて…逆にこちらが分不相応というか。
本当に私なんかが宜しいのでしょうか?」
「否。貴方でなければいけないのだ。
それに、そう心配しなくても良い。自分が貴方に求める事はたった一つだ。」
「…それは一体?」
心配そうな顔で問いかけてくる乙男に、彼女は小さく唇の端を上げて笑いかけました。
初めて漢女の笑みを目にした彼は、ついついその表情に見惚れてしまいます。
完全に乙男が釣れた事を確信した漢女は、町外れの空き地に馬を残して彼をその傍らの林へと導きました。
漢女に対して全く警戒心を抱いていない彼は、まんまと…いえ、のこのこと彼女について行ってしまったのです。
林の奥の大きな木に乙男の背を押しつけるようにして、漢女は左手で彼の腕を掴み右手で彼の頬を包み込みつつ、それはもう至近距離で彼の空色の瞳を覗き込みながら言いました。
「ずっと傍にいて欲しい。自分が貴方に望む事はそれだけだ。」
「ジェニーさん…。」
「貴方を一生どんな障害からも守ると誓う。
だからどうか、自分と生涯を共にしては貰えないだろうか。」
不安そうに見つめてくる漢女に、乙男は今までで一番美しく、そして、天使のごとき慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら一滴の涙を零します。
「嬉しい。私も初めて出会ったあの時から、ずっと貴女をお慕いしていました。
こちらからもお願いします。ぜひ、私を貴女のお婿さんにしてください。」
「ロレンツィオ…。」
漢女はもう我慢しませんでした。
乙男のその柔らかそうな唇に己のそれを重ねて、幾度も幾度も角度を変えながら味わいます。
「…っふ……ん…ジェニ……さ……。」
次第に深みを増して行く口付けの合間に、乙男の甘い声が響きます。
想像を遥かに超える極上の感触に酔いしれて、漢女は彼の唇をいつまでも食み続けたのでした。
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それから数カ月後。
漢女の故郷の小さな村のそのまた小さな神殿で、二人はささやかな結婚式を挙げました。
もちろん、乙男が男性衣装、漢女が女性衣装です。
周囲の人間も漢女も絶対に逆の方がしっくり来るはずだとは思っていたのですが、乙男が『結婚式の衣装は私に作らせて下さい!きっと、ジェニーさんに似あう素敵なドレスを完成させてみせます!』と純粋無垢なる瞳でやる気を燃え上がらせていたので誰もそれを口には出来ませんでした。
結婚後は、乙男が気に入る土地を探して漢女が各地に所有している住処を巡る旅を始めます。
途中、乙男が様々な男性に性別を超えて本気で惚れられたり、それを漢女が力づくで退けたりといった困難を乗り越えつつ、二人はその生涯を閉じる最後の時まで睦まじく幸せに暮らしたのでした。
めでたし、めでたし。