川姫
その川には、伝説があった。忘れ去られかけた伝説があった。
夕方、影が長く伸びるとき、その川の畔を歩いてはいけない。決して川岸を見てはいけない……。川姫様が出るから……。
伝説はそこで終わっている。川姫様が誰なのか、それからどうなるのか、その先は誰も知らない。
「つまらない話だから皆忘れちゃったんだよ。きっと」
友達のユージの言葉に、僕は曖昧にうなずいた。
「伝説なんて、うそだよね」
僕は気が気じゃなかった。今は夕方で、僕達はその川の近くを歩いていたから。
もっと早くに野球を止めて帰れば良かった。 びくびくしている僕をユージが叱るように励ましてくれた。
「うそだから伝説っていうんだよ。マコトの怖がり。二人だから大丈夫だよ。ヘンな奴が出たらさ、やっつけちゃおうぜ、二人で」
もうすぐその川がみえてくる。やっぱり怖いものは怖い。僕はユージにぴったりくっついた。
「マコト、歩きにくいよ。少しはなれろよ」「だって、怖いんだよー」
ユージは苦笑いして川岸を見やった。
「なにが怖いもんか。ほら、振り向いても何もないじゃん。……ん、あれ?おいマコト、見てみろよ」
ユージの指差す先に女の子がいた。座り込んでいる。
この薄暗いなか、何をしてるんだろう。気になり、声をかけた。
「どうしたんだー?誰かに叱られたのか?」
女の子は首を振った。
「それじゃ、探し物?」
こんどはゆっくり頷いた。その動作がひどく寂しそうに見えたのか、ユージはぽつっと呟いた。
「一緒に探してやろうぜ。かわいそうだ」
僕達は急いで川岸におりた。
「ずっと、探し物してたの?」
女の子はただ悲しそうにうつむいている。
「一緒に探してやるよ。何だい? 探し物って」
女の子はしばらく黙っていた。そしてしばらくして、
「ト……モ……ダ……チ」
ゆっくりと顔をあげた。
血の気がない白い顔。ほっぺにも、唇にも赤いところが全くなかった。
「ヒッ…!」
この子は生きてる人間じゃない。お化けだ…!
これが伝説だったんだ。僕はユージの手を掴み、逃げた。逃げるときに一度振り向いたけど、お化けは追ってくる様子はなかった。
ただ色のない唇を歪めて笑っていた。
次の日からユージは学校を休むようになった。あれはやっぱりユージにもショックだったんだろうか。もう三日も来ていない。僕は見舞いにいくことにした。
「マコト君、よく来てくれたわね」
おばさんは少しやつれたみたいだ。泣いていた。
「あの子ったら三日前から『川に行きたい』って、ずっと。夜中に抜け出そうともしたのよ。訳を聞いても話してくれないし……。昨日からはご飯も食べてないの」
川に行きたい? 怖いとか、通りたくないっていうんならわかる。だけど何で……?
「ユージ、僕だよ。入るよ」
ユージはうずくまっていた。まるであの川のお化けみたいだ。
「……川に、行きたいんだ」
「それはおばさんから聞いたよ。どうして?」
ユージは唇を震わせた。
「あの女の子にまた会いたいんだよ。目を瞑ってもあの子の顔が浮かぶんだ」
「ユージ! お前、取り憑かれてるんだよ」
ユージは色を失った唇を歪めて笑った。逃げるときに見た、あのお化けと同じ笑い方だ。
「お……おかしいよ。ユージ」
「おかしい? バカ言うなよ。お前だってあの子に会いたいと思ってるくせに」
その言葉を最後にユージはけたたましく笑い出した。笑い声はいつまでも続いた。おばさんが慌てて飛んでくるまで……。
数日後、ユージはいなくなった。
沢山の人がユージを探してくれた。あの川の底もさらってみた。
だけど何も出てこなかった。
「玄関に靴はあったのよ。あの子ったら裸足でどこにいったのかしら……」
本当のことは、僕だけが知っている。
ユージはあの女の子のトモダチになったんだ。生きながらお化けになったんだ。
僕にはわかる。だって僕もまた、あの女の子が忘れられなくなっているのだから。近いうちに、早ければ明日にでも、僕はお化けになるのだろう。
そのときを想い、色のなくなりはじめた唇で、僕は笑った。