第65話 悪魔
クロノはまず、一番村の外れで活動していた十字軍兵士三名を殺害した。
手にする呪いの武器『呪鉈「辻斬」』で、二人並んでいる兵士を背後から一閃、纏めて首を飛ばす。
突然の襲撃者、全身黒尽くめのクロノの姿を、残った一人がその視界に捉えた瞬間、脳天から股下まで一息に両断され、即死した。
クロノは、兵士が家を燃やす為に用意していた錬金油をそのまま使い、すでに息を引き取っているゴブリンの子供達の死体を、彼らの自宅ごと焼いた。
そうする以外に、マシな弔い方は思いつかなかった。
当然のように三人分の兵士の死体は処分せず、クロノは村の中心へ向かって進み始めた、姿を隠すことも無く、真っ直ぐと。
それから門に辿り着くまでの間に見つけた、いや、不審者のクロノを発見し襲い掛かってきた十字軍兵士を、クロノは片端から殺していった。
迫り来る者は大鉈で胴を薙ぎ払い、逃げる者は『魔弾』で頭を撃ち抜く。
兵士達が纏うチェインメイル程度ではどちらの攻撃も防ぐには全く足りず、自身に何が起こったのかよく分からないまま、皆一撃で絶命していった。
そうして、クロノが門へ辿り着いた頃に、村の中央に駐留する本隊が、何者かに攻撃を受けていることに漸く気がついた。
キルヴァンの元へ伝令が走ると同時、彼の命令が下るまでも無く、部隊長が即座に襲撃者の迎撃に動き始める。
しかし、魔術士の支援も無い、ただの歩兵でしか無い彼らの相手として、クロノはあまりに相性が悪かった。
何故なら、クロノの使う原初魔法、特に『魔弾』は、素の状態の人間を即死させるだけの威力を持つ弾丸を、凄まじい速度で連発することが可能だからだ。
それは正に機関銃の掃射と同じ威力を実現する。
クロノの真正面から、十字軍兵士が槍衾を成して迫ったその瞬間に、『魔弾』の真価は発揮した。
「『魔弾、全弾発射』」
クロノが発した千に及ぶ黒い弾丸が一斉に十字軍兵士へ襲い掛かる。
彼らがこの黒装束の魔法使いとの圧倒的な実力差と相性の悪さに気がつくころには、数多の死体が通りに転がるのだった。
「な、な、なんなんだよアイツは!?」
突如として村の門より姿を現した黒衣の魔術士により、自分の指揮する兵士達が一方的に殺戮されてゆく様を見た部隊長は、枯れかけた声で思わずそんな泣き言を口にしていた。
「くそっ、聞いてないぞ、あ、あんな化物がいるなんて――ひぃっ!」
己の部下を撃ち殺した謎の黒い攻撃魔法が、自分のすぐ傍を通り過ぎていく。
「た、隊長! 指示を!」
悲鳴のように命令を求める部下の声に、ほんの僅かな冷静さが部隊長に戻ってくる。
そう、槍衾を形成した歩兵部隊が、一人も敵に到達するまえにあっけなく撃ち殺される光景を見せ付けられ、恐怖と衝撃を覚えたのは自分だけでなく、この場に集う全員がそうだ。
「ゆ、弓だ! 弓を構えろ!」
再び槍を構えて正面から仕掛けることに反射的な恐怖を抱いた部隊長は、こちらも相手に接近せず攻撃できる手段を必然的に選択する。
相手は未だ道のど真ん中に立っている、遮蔽物は無し、撃ち殺すには格好の的である。
それに、こちらには未だ何十人もの兵が残っている、人数の差は圧倒的。
「そうだ、落ち着け、ヤツはどう見ても魔術士だ、前衛がいなければ魔法の行使に集中できん!」
魔術士が基本的に後ろに控えて攻撃を行うのは、冒険者も兵士も同じである。
そのセオリーに習えば、壁役となる戦士の一人も無しに単身で魔術士が現れたとなれば、最初の一撃くらいは与えられるだろうが、こちらの攻撃が始まれば満足に反撃はできないはずである。
防御魔法で防げるといっても、それは時間稼ぎに過ぎない。
「よし、放てぇ!」
号令の下、弦を引き絞って放たれた矢が黒衣の魔術士目掛けて飛ぶ。
空を切って飛ぶ鏃が敵へと届く前に、黒々とした、夜の闇をそのまま固めたかのような長方形の物体が射線を遮った。
だがその行動は予想通り、魔術士なら当然行使するだろう防御魔法によるガード。
矢は硬質な四角の闇に悉く弾かれるものの、
「怯むな! 撃ち続けろ!」
兵達は動揺することなく、必死に矢を連射する。
この黒い防御魔法は、矢の直撃を受けても傷一つつかないところを見ると、かなりの硬度をもっていることが分かる。
だが防御魔法の効果は永遠ではない、それどころかごく短いものであるのは兵士にとって周知の事実。
魔法の効果は現れたその瞬間から、魔力が空気中に霧散してゆく。
『永続』などに代表される魔力を保存する効果の魔法が施されない限り、魔法で作られた現象は長時間持続することが無い。
故に、どれほどの硬度を誇る防御魔法であっても、遅くとも数分の内に形状を保っていられず自壊を始める。
それを待たずとも、魔力が減少し硬度が低下すれば、矢を防ぐことはできなくなる、そしてそれはそう遠い未来の話では無い。
(そうだ、何を恐れることがある、魔術士がたった一人で出来る事などたかが知れている。トチ狂って我々に突撃してきたことを後悔しながら死ね!)
恐ろしい敵を前に、自身の勝利を確信した部隊長は、緊張と興奮でいびつに口を歪ませて笑う。
「よし、よし、いいぞ! このまま――」
と、言いかけた瞬間、敵が、黒衣の魔術士が動いた。
「と、突撃だとぉ!?」
そう、敵は何を思ったか、黒い盾を展開させたまま、そのまま真っ直ぐ走り始めた。
しかも、その速度は一般人のソレではない。
『速度強化』の支援魔法か『疾駆』の強化系武技を使っているかのように、人間の走る速度の限界を超えている。
「魔術士が単身で突撃など、馬鹿なことを――」
思わぬ相手の行動に動揺した部隊長は、凄まじい速度で距離を詰めてくる敵に対して、何らかの対処を命じることができない。
結果、そのまま兵達は矢を射掛け続けるのみ。
だが未だ矢を防ぐ硬度を持続させているシールドによって、一本たりともその身に届くことが無い。
「ぉおああああああ!!」
もう十メートルほどまでに迫った魔術士は吼える、その声は鼓膜にビリビリ響くほどの大声量。
その声、迫力、迸る殺気に対して、兵達は一瞬だが確かに怯んだ。
直後、身を守るシールドを消した敵は、左手に持つタクトを軽く一振りした。
ドドンッ!
連続的に弾けるような音と黒い閃光を伴って、超高速で飛来する何か。
それは黒色魔力に形作られた弾丸、その数は数えることなど無意味だと一目で分かるほどに膨大。
「「ぎゃあぁあ!」」
弾丸の嵐は最前列で弓を引いていた兵達に襲い掛かり、身に纏うサーコートとチェインメイルなど無いが如く着弾点を食い破る。
「け、剣を抜けぇえ!」
その命令を発した声は恐怖に慄き情けない事この上ない響きであったが、すでに弓が無意味になるほど距離を詰められたこの状況においては、的確な指示ではあった。
兵達が弓を投げ捨て、腰に差すブロードソードを引き抜く。
すでに敵は、あと一歩踏み込んで剣を振るえば届く距離。
恐怖を押し殺し、闘争本能を全開にした兵は決死の覚悟で斬りかかる。
だが、その振るわれた刃は届かない。
「跳んだっ!?」
地を駆けていたはずの敵は、間合いに入る直前に跳躍。
土の地面が凹むほど強い踏み込みと共に、黒のローブを翻して、軽々と兵達の頭上を跳び越してゆく。
「あ、あぁ――」
部隊長は気づいた、宙を舞う敵、その着地点は、自分の立つこの場所であると。
「الدرع منع الجليد――氷盾っ!」
彼の生涯においても最も早くスムーズに展開した氷の防御魔法は、
ドドンッ!
再び響いた黒い弾丸の攻撃から、見事にその身を守った。
「「ぐはぁあ!」」
しかし、自分の周囲に立つ兵達は、頭上から降らされた弾丸の雨によって、残らず地面に膝を屈する。
半分は即死、もう半分は重傷、とても剣を振るって応戦できる状態にない。
今この瞬間、部隊長の周囲半径3メートルには、彼の身を守る兵が一人もいなくなった。
「破ぁああああああああああああ!!」
透き通った氷の盾越しに、鬼のような形相の男が目に映る。
黒く禍々しい形状の鉈を振り上げ、全身から仄かに赤いオーラが立ち昇っている。
真っ直ぐ自分を射抜くその鋭い両目は燃える炎のように紅く輝き、とても正気でいるとは思えなかった。
「あ、あ、うぁあああああ!?」
上空より振り下ろされる、大きな鉈の一閃は、綺麗に氷の盾を両断。
重量感のある氷の塊が地に落ちると同時にバラバラと砕け散った。
その様を絶望と共に見ていた部隊長は、衝撃で腰を抜かし仰向けに地面へとへたり込んだ。
そして、目の前には『氷盾』を一刀の下に斬った、黒衣の魔術士。
「ひ……あ……た、助けてくれっ、お、同じ人間だろうっ!?」
「死ね」
一息に振り下ろされた鉈の刃は、右腕をあっさり斬り飛ばした。
吹き出る鮮血と共に苦痛と恐怖の絶叫が木霊する。
「死ねっ」
返す刀で、左腕を斬る。
チェインメイルの上に、腕には手甲を装備しているが、その防御力を上回る斬撃をうけ、あっさりと切断される。
「死ねっ!」
横薙ぎに振るわれる切り払いは、その一撃で両の足を膝から斬りおとした。
無惨に四肢を切断され、ショックに白目を向き、口から血の泡を吹き出す死に体の部隊長に向けて、最後の一撃が振るわれる。
「死ねぇええええええ!!」
硬いヘルムで守られた頭部、その脳天から真っ直ぐ振り下ろされた凶刃は、鋼鉄の装甲を断ち切り、頭蓋骨を割り、脳を蹂躙し、鼻を、口を、喉を過ぎて、胸元にいたるまで一直線に切り裂いた。
無造作に、ただ力任せに振り下ろされた一撃は、確実に、そして凄惨に一人の人間の息の根を止める。
「あ、悪魔だ……」
兵の誰かが呟いた。
未だ残る何十人もの兵士に囲まれた中心で、黒衣の男が無慈悲に自分達の隊長を惨殺したその姿は、‘悪魔’の形容を大げさと笑い飛ばせる者は一人もいなかった。
「に、逃げろっ!」
「悪魔だ! 逃げろぉお!」
口々に泣き言を叫び、隊列も何も無く、我先にと一目散に兵が逃げ出す。
部隊長は死に、その死後に指揮を引き継ぐべき副官もすでに背中を向けて走り出したこの状況にあって、逃げる兵を引き止める者は誰もいない。
「……待てよ」
否、ここに彼らを引き止めるものがただ一人。
「待て、逃げるなよ、お前ら」
呪いの鉈を手に、怒りに狂う黒衣の魔術士。
「お前ら全員殺さないと、仇にならねぇだろ」
狂化を象徴する、燃え盛る炎のように真赤な瞳が、逃げ出す兵の背中を睨む。
一人も逃すまいと、悪魔は、クロノは血の香るイルズの中心部へ向けて再び歩き始めた。