第563話 決勝戦の舞台へ
「な、なんてことだ……」
眩い光が収まり、俺はまだ生きていることを幸運に思いながら、目を開けて周囲の様子を窺う。
そこで真っ先に目に飛び込んできたのは、遥か彼方まで一直線に続く破壊の跡。草木は軒並み蒸発し、大地は深く抉れる。山の中腹あたりから、幅十メートルほどの赤茶けた土砂の帯が伸びていた。
これは全て、セレーネの大灯台からぶっ放された魔力砲に作り出された光景だ。
「凄い威力でしたね」
隣で他人事のように言い放つ、フィオナ。確かにその通りだ。俺の『荷電粒子竜砲』が豆鉄砲に思えるほど。ビームの太さは何十倍もあったし、地平線まで届くほどの超射程だ。
自然の魔力をほんの少し借りるだけで、これほどの威力を叩き出せるのだから、本当に、人の身の矮小さってのを感じさせる。
「とりあえず、みんな無事で良かった」
「魔力砲の着弾点は、ちょうどアヴァロン軍が結界を展開させている地点から。灯台周辺に展開している私達は無傷」
フィオナよりも輪をかけて冷静に、サリエルが言う。
すぐにでも大灯台へ踏み込めるほど接近していたことが幸いした。ビームの発射地点は大灯台の天辺、地上百メートルほどの高さだ。流石に、すぐ足元から撃ちこめるような造りではない。
「けど、見事に結界は破られたな」
偶然、とは思うまい。古代の大砲を再起動させたカオシックリムなら、脱出に必要な突破口を開くために、しっかりと狙いを定めたに違いない。
灯台を広く囲う範囲で展開させた広域結界、その中枢たる大規模魔法陣と魔術士部隊の集まる儀式祭壇を、極太のプラズマビームが薙ぎ払い、跡形もなく消滅させていた。アヴァロン軍の被害は甚大だ。優秀な魔術士部隊に、高価な儀式装置や触媒などを丸ごと蒸発させられたのだから。
しかし、今は失ったものの大きさに嘆いている場合ではない。
ガァオオオオオオオオオオオオンっ!!
山を揺るがすほどの巨大な咆哮と共に、灯台から巨大な黒い影が飛び出す。満を持して、カオシックリムが騎士団の包囲を突破すべく、地上へと舞い降りた。
「――ちいっ、ここからだと狙えないか」
俺もフィオナも、速やかに攻撃魔法を叩き込めるよう銃と杖を構えはしたものの、カオシックリムの降り立った場所はちょうど大灯台の影となる。
すでに、散発的に攻撃魔法が炸裂する爆音や光の瞬きが見えるが、あんな程度では奴の歩みを止めることはできないだろう。
「急いで追うぞ!」
ここで逃がして堪るか。その思いよりも、俺には奴がセレーネの街を襲う危機感の方が強かった。
カオシックリムは一発逆転の大砲をぶっ放したが、これまで籠城してきたツケとして、かなりの空腹感に襲われているだろう。何十万、あるいは百万さえ超えるほどの人が一か所に集まる街など、無力な獲物が食い放題の餌場でしかない。
大灯台に集ったアヴァロンの精鋭軍団が、セレーネへ引き返すまでの時間に、奴はどれだけの人を喰らうか。あまりにおぞましい想像に、眩暈がしそうだ。
「来いっ! メリーっ!!」
魂を揺さぶるような重低音のいななきと共に、森の中から漆黒の不死馬が地獄の淵からやって来たかのような勢いで現れる。
今は一秒でも惜しい。メリーの足を止めることなく、すれ違いざまに手綱を掴み、そのまま飛び乗る。絶妙のタイミング。それも、俺が乗る一瞬だけ、速度を僅かに落としてくれた、彼女の気遣いがあってこそ。本当に良く出来た馬だ。
「ハアっ!」
そうして、俺は砲撃の跡を一直線に駆け抜けていくカオシックリムの背中を追いかけて、山道を転がるような勢いでメリーを走らせた。
「……くそ、あのヤロウ、足が速い」
メリーは少々の障害物などものともせずに、踏みつけ、飛び越え、駆け抜けていくが、なかなかカオシックリムとの距離は縮まらない。
思えば、ラースプンの時点で音もなく降って湧いたように現れたり、右腕を切り落とされる重傷を負っても、ほんの一瞬の隙をつくだけで逃げおおせたりと、巨体に似合わぬかなりの移動速度を誇っていた。ベースがあの肉体であれば、その驚異的な運動能力も健在。
獣のように四足で大地を行くカオシックリムは、チーターのような俊敏さを持って走り続ける。いくら無限のスタミナを誇る不死の馬でも、追いつける気がしない。
「――そこまでですわっ! 地獄より蘇りし、忌まわしき混沌の魔獣王!!」
高らかに響く、誰かとよく似た芸風の前口上。
無類の速さを発揮するカオシックリムに、それほどの余裕を持って追いつける者が、ここにいた。
「クリスの竜騎士部隊か! アイツ、ホントに副隊長だったんだな」
悠々と頭上を飛び交うのは、空の覇者を象徴する逞しい飛竜のシルエット。クリスが頑なに「私のセリヌンティウスちゃんは黒竜ですわっ!!」と言い張る、どう見ても茶色の鱗を持つ彼女を先頭にして、左右に僚機が広がる矢印のような飛行編隊でもって、地を駆けるカオシックリムへとどんどん迫っていく。
いくら足が早かろうと、地面を走っている以上はその地形に影響されざるを得ない。一直線に走ったとしても、起伏があればその分の距離は伸びる。そして、いくらモンスターらしい巨体を誇るカオシックリムでも、切り立った崖など最低限の障害物は避けて行かねばならない。
しかし、当たり前のことだが、空には何の障害物もありはしない。最短距離を真っ直ぐ行ける上に、ただでさえ高速の飛翔速度を誇る飛竜であれば、追いつけないはずがない。クリスも話していた通り、こういう時の為に、竜騎士部隊が駐留していたのだ。今こそ、彼らの出番。
クリスの部隊の他にも、複数の竜騎士の編隊が確認できる。なおも逃げ続けるカオシックリムに、これ以上の逃走を許さぬとばかりに、竜騎士達は素早く奴の頭上で包囲を完成させていく。
よし、このまま頭の上から一方的に攻撃魔法を雨あられと振らせれば、それで奴の足は止まる。後は、そのまま撃ちつづけるなり、突撃で仕留めるなり、好きに出来る。
いかん、このままでは俺の出番もなく、クリス達に手柄をとられてしまう――なんて、甘い考えが過った時だ。
カオシックリムの背中から、俄かに漆黒の翼が生える。
「まさかっ、飛べるのかっ!?」
そのまさか、ではなかった。
確かに、生えだした黒い翼はドラゴンに負けない力強い羽ばたきをもって、その場で飛び立つ。本体であるカオシックリムを地上に残し、その翼だけで――いや、ソレは鳥だった。巨大な鳥の姿、より正確にいうなら、鷲。
そして、俺はそのシルエットに、酷く懐かしさを覚える。あの形は、前に一度だけ見たことがあるからだ。
「ガルーダの分身体……パルティアの草原で食った奴か」
奴がひねり出したガルーダ、その黒色の正体は砂鉄で、翼の付け根や足の関節などの可動部からは、薄らと輝く水色が覗く。
どうにも、悪い予測ばかり当たるというものだ。
カオシックリムは、俺から横取りしたプライドジェムの核を食ったことで、本当にその能力を吸収していた。ガルーダの本体はスライムのような液状で構成されており、その上に自前の砂鉄でコーティングして強化しているのだ。おまけに、プライドジェムのコピーは割と大雑把な造りだったが、カオシックリム製のコピーガルーダはかなり精巧な出来。本物と見まがうばかりの完成度である。
羽ばたく漆黒の大鷲は、特徴的な鳴き声の代わりに、全身に紫電をみなぎらせてバチバチとスパーク音をあげていた。
飛行能力を持つ巨大な分身体。砂鉄の鎧と雷属性のオマケ付き。
さらに最悪なのは、そんなモンをカオシックリムは次々と背中から生み出していることだった。
「くっ!? 全騎散開! アレに近づいてはなりませんわ!」
竜騎士が炎を中心とした牽制の攻撃魔法を放ちながら、接触すればただでは済まない危険な電撃の気配を放つガルーダの分身体から逃れるように左右へと散る。集中するはずだった爆撃は四方八方へ散り、とてもカオシックリムの疾走を妨げるほどの火力足りえない。
空はすでに、何十もの分身ガルーダと竜騎士による乱戦に陥っている。万が一にも竜騎士部隊が全滅することはないだろうが、それでも、今しばらくは身動きがとれない。
結局、カオシックリムに追いすがるのは俺だけになってしまった。
しかし、俺と奴の間には確かな速度の差がある。このままいけば、完全に振り切られてしまう、というのは、きっとアイツも分かっているはず。
それでも、万難を排そうと考えたのか、それとも、ただのいやがらせか。奴はチラリと後ろを振り向き見るや、その獰猛な口元を吊り上げた嘲笑の表情をとると同時に、新たな分身体を繰り出した。
「今度はパルティアの弓騎兵かよ!」
俺が触手を作り出すのと同じように、カオシックリムの背中から透き通った青いゼリー状の塊が、ウネウネと気色の悪い動きでひねり出されると、そのまま分離。地上に落っこちて、勢いのままに転がるが、二転三転する間に見る間に膨れ上がってゆき、明確な形状をとる。
それは気が付けば、上半身は人間で、下半身は馬の体をもつケンタウルス族の姿と化していた。ご丁寧にも、左手にした短弓と身に着けた鎧兜は細部の装飾までしっかり再現してある。最後に、カオシックリムがまき散らしたであろう砂鉄が、嵐のように分身ケンタウルスの全身を覆いつくし、その身を守る黒鉄の鎧と化した。
そうして作り出された分身体は二十近い。偽りの弓騎兵部隊は横並びの陣形をもって、俺の眼前に立ちふさがるのだった。
「魔弾!」
遠距離攻撃で撃ちあうなら、これしかない。俺は素早く影空間より『ザ・グリード』を引き抜き、トリガーを引く。
対する分身ケンタウルスは、砂鉄を固めて形成した矢を、鋭く引き絞られた弓でもって一斉射。
交差する黒弾と黒矢。
人数の差は一対二十でも、連射性能の差は百倍以上だ。
全力全開で『ザ・グリード』をぶっ放しながら、正面に位置する分身体を粉砕。次々と速射される砂鉄の矢を交わしながら、一気に正面突破――しかし、その先に待ち構えている者こそが、カオシックリムの放った本命だと悟る。
目の前に立ちはだかる、黒い大盾の壁。円形の大きなラウンドシールドが整然と並び、隙間からは鋭い槍が飛び出す。互いが互いを庇い合い、その数と勇気でもって真正面から騎兵突撃を迎撃する、見事な密集陣形であった。
「スパーダの重装歩兵だとぉ!」
砂鉄によって黒に染まっている、という点を抜かせば、その姿はガラハド戦争で見た第一隊『ブレイブハート』の隊員そのもの。スパーダにおいて最高のエリート騎士とみなされる、重装歩兵の姿に相違なかった。
パルティアの弓騎兵といい、スパーダの重装歩兵といい、どうやらカオシックリムは人の軍隊も、その特性を理解した上で正確に記憶、コピーを作り出せるらしい。あの野郎、中に誰か入ってるんじゃないのか……そんな、あまりの狡猾さに対する悪態をつくよりも、今はこの凶悪なファランクスをどう突破するかに集中すべき。
幸い、奴らは等身大。俺とメリーならば、思い切りジャンプすれば飛び越せない高さでは――と、いうところで、立ち並ぶ最前列の兵の後ろから、ジャキンジャキンと長い槍が次々と生えだす。等間隔に斜めの角度で掲げられる穂先は、最後には垂直となり、文字通りに槍が林立する。
どうやら、二列目、三列目、とその先まで、奴はしっかり作り出していたようだ。
「ちくしょぉおおおっ!」
流石に、ここまで広い槍衾を作られれば飛び込めない。
慌てて手綱を引いて急停止。ガリガリと固い蹄が地面を抉るようにメリーが急制動をかけ、半ば放り出されそうになりながらも、俺はどうにか槍衾に正面衝突する直前で止まることに成功した。
さて、自ら無数の槍に飛び込む事故は防げても、この分身スパーダ兵をどうすべきか。奴らだってただの置物ではない。隊長の号令もないのに、全員が足並みを揃えて一歩を踏み出してきた。
こうなれば、足止めだと分かっていながらも、相手にするより他はない、と覚悟を決めた時に、ソレは振って来た。
「――『烈光槍』」
槍、と名はついていても、それは実質、雷だった。自然に発生する本物の雷と同じように、一筋の雷光を残して地上へ落ちる。それが何十、何百と、全てが同時に降り注ぐのだ。抜けるような青空を背景に万雷が轟く様は、晴天の霹靂という言葉を文字通りの意味だけで表していた。
「サリエルか!」
見上げてみれば、太陽の逆光を背に映る、一頭のペガサスのシルエット。
真っ逆さまに落ちるような急降下でもって、ペガサスのシロを駆るサリエルがファランクスのど真ん中に強行突入を果たした。
着地の衝撃か、それとも何らかの武技の発露か。ドっと激しい土煙が上がると同時に、偽りの重装備歩兵がゴロゴロと砂鉄とスライムの肉体とをまき散らしながら、何体も吹き飛び、転がり込んでくる。
「マスター、ここは私に任せて、カオシックリムを追ってください」
土煙が晴れた向こう側、堂々と地に立ち、漆黒の十字槍を携えたサリエルが前進を促してくれた。言うだけあって、ちゃんと俺の真正面に展開していた奴らは全て進路上から叩き出されている。
「いいのか、他にもコピーどもがそこら中にいるぞ」
カオシックリムがまき散らしたと思しきコピー軍団の影が、気が付けば四方八方に見える。ケンタウルスに重装備歩兵だけでなく、多様な装備の人影だ。
「問題ない。すぐにアヴァロン軍と他の冒険者も、この場で戦闘を始める」
「足止めは彼らに任せて、先を急ぎましょう。カオシックリムは私達の獲物です」
後ろから、マリーに跨ったフィオナも追いついてきた。
確かに、ここで悩む余地はないな。折角、他の奴らに先んじて俺達が動き出せたのだから、そのアドバンテージを最大限に生かそう。街で暴れられても困るが、カオシックリムを横取りされても困るのだ。
「ここは頼んだ、サリエル。行くぞ、フィオナ!」
「はい、クロノさん」
サリエルが黒き十字の穂先に赤黒い雷光を灯らせ、再び包囲網を狭めようと動き出した分身どもとぶつかり合うのと同時に、俺は再びメリーに鞭打ち、全力で駆け出す。
目の前からは、すぐにまた新手が立ち塞がるが、背後から飛んできた雷撃によって、穴が開く。やはり、サリエルの援護は優秀だ。アイツに任せておけば、ケンタウルスが俺達を追撃してくる心配もないだろう。
それからは、落し物のように点々と現れる各国の騎士を模した分身体を俺の弾丸とフィオナの火球で蹴散らしながら、一度も足を止めることなく駆け抜ける。
「ようやくセレーネが見えて来たな」
「クロノさん、あれ、城壁崩れてませんか?」
フィオナの言う通り、見事に城壁が崩れていた、というか、削れていた。その崩壊具合は、ちょうど幅10メートルほどの範囲だけ綺麗に壁が吹き飛んでいるという状態。勿論、地面には抉った痕がずっと続いている。
どうやらセレーネの大灯台からぶっ放されたビームは、セレーネの街まで届き、街中を
貫いていったようだ。
「……酷い有様だな」
崩れた城壁からそのまま街へ飛び込み、綺麗な石畳の道路の上を走らせる。
突如として街を襲った謎の砲撃によって、たった今、戦争が始まって敵国の兵士が街に雪崩れ込んできたかのような混乱状態だ。流石に、ビームがなぞっていった周辺には一目散に住民は逃げだして行ったようで、俺とフィオナが馬で進むのに問題はない。
だが、一つ向こう側の路地から聞こえてくる騒々しい声だけで、セレーネの混乱ぶりが窺い知れるというもの。街を守る兵士も、精鋭の大部隊がカオシックリムの元へ出向いていたから、油断していたのかもしれない。この騒ぎを早々に収められるかどうかは疑問だな。
「カオシックリムは?」
「アイツは……恐らく、あっちの方向だな」
サリエルほどではないが、俺の第六感だって捨てたものではない。アイツくらい強力なモンスターで、大暴れしている真っ最中ならそれなりに距離があっても薄ら気配は掴める。
「今、目も反応した。間違いない」
俺の気配察知が当たりであると保証するかのように、左目にキラリと光る赤い点が映る。いつものように、一度だけ光ってすぐ消えるが、決して見違えることはない。
「あそこは……なるほど、闘技場ですか」
広い通りまで出ると、奴の居所がハッキリと見通せた。真っ直ぐ続く道の先にどっかりと鎮座する、一際に巨大な円形の建物。セレーネコロシアムだ。
「一番、人が密集している場所に突っ込んで行ったのか」
最悪だ。騎士選抜は大人気のイベントだから、闘技場は満員御礼。何万もの人が一堂に会している。餓えたモンスターからすれば、涎が止まらないだろう。
「急ぐぞ、今だけで、もうどれだけ被害が出たか分からない」
サリエルを欠いた状態でカオシックリムへ挑むのは少しばかり不安だが、人命には変えられない。多少のリスクを背負ってでも、見捨てるには苦しすぎる人数があそこにはいる。
「……いえ、今から行って間に合うのは、クロノさんだけです。見てください、屋根が閉まり始めています」
そんな馬鹿なことがあるか、とは、現代の日本人である俺には言えない。
ゴウンゴウン、という音と共に、セレーネコロシアムの半分しかない屋根が、ゆっくりと閉まり始めていたのだ。巨大な屋根のパネルが、スムーズな動きでスライドしながら、少しずつ、開いた空間を閉ざしていく。
周囲から、俺達と同じく闘技場の異変に気付いた住民たちから驚きの声が次々と上がっている。そりゃあ、俺だって驚くが……なるほど、開閉式ドーム建築だったのか、という理解と納得の方が先に立つ。
日本にも、屋根が動いて開いたり閉じたりできるドームがある。確か福岡だったか。
古代に同じことを考える建築家がいたとは。やはり人間、考えることは皆同じということか。
「あの闘技場は古代のものですから、恐らく、閉じれば簡単に破壊はできません。カオシックリムは、誰にも邪魔されず、逃げられることもなく、全ての観客を食らいつくすでしょう」
フィオナの言葉に、俺の思考は一気に残酷な現実へ引き戻される。最悪の想定。しかし、このままでは絶対確実に訪れる、凄惨な未来の話だ。
たった一体のモンスターに、何万もの人が犠牲になる。そしてそれを、俺はただ外側から指をくわえて見ているだけ。背筋がゾっとする、どころの話ではない。
「行かないでください、クロノさん」
「……フィオナなら、止めてくれると思った」
俺が一人でカオシックリムに挑むのは、あまりに危険だ。すでに、一度負けている。
ここは、サリエルの到着を待ち、ついでに、引き返してきたアヴァロン軍の援護も待ち、奴が食事を終えて闘技場から出てくるまでに、万全の体勢を整えるべき。
フィオナは、最も確実で安全な提案をしてくれた。非の打ちどころもない、完璧な作戦。
「けど、ごめん。俺は行くよ」
見捨てられない。とてもじゃないが、俺には見捨てられない。
万を超える人の命。
そして何より、あそこにはきっと、ネルもカイも、俺の友達がいる。
「クロノさんなら、そう言うと思っていました」
「お見通しだな」
「彼女ですから」
敵わないな、と心の底から思う。
「行ってください」
「ありがとう、フィオナ――高速機動形態・移行」
メリーの背から下りると同時に、『暴君の鎧』が命令通りに動き出す。俺の魔力をグングンと吸い込みながら、混沌主機に火が入り、精霊推進は唸りを上げる。
見れば、すでに闘技場の屋根は十メートルも空きが残っていない。閉鎖完了するまで、あと三十秒くらいだろうか。
だが、俺ならギリギリ間に合う。ここから『飛べ』ば、滑り込めるはずだ。
第五の加護、発動。
「――『嵐の魔王』」
2016年7月1日
7月7日に新作の連載を始めます。『黒の魔王』の連載は変わりませんので、ご安心を。詳細については、先日の活動報告で書きましたので、興味があれば、そちらをお読みください。
これからは、新作の方も楽しんでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。