第543話 事故物件(2)
「うわっ、いきなりシャンデリアが落ちてくるとか、危ないな」
正面から「ごめんくださーい」と堂々の入館を果たした俺達は、エントランスのど真ん中でいきなり頭上からシャンデリアが落下してくるというアクシデントに見舞われた。
重い金属製のシャンデリアは、当たれば痛いじゃ済まない物理的攻撃力。一応は屋敷の備品、というか設備、にあたる照明器具だから、ぶっ叩いて払いのけるのは気が引けたから、俺はそのまま左腕を伸ばしてキャッチした。
これくらいの重さなら、別に『炎の魔王』に頼らなくても、受け止めるくらいはできる。両手を使えれば、もっと楽だったんだが。
「廃墟になってから、結構な年数が経過していますからね」
「床が抜けたりしないように、気を付けないとな」
改めて、老朽化した廃墟の恐ろしさを認識しながら、俺は茨が絡みついたような洒落たデザインのシャンデリアを、そっとエントランスホールの床に置いておいた。
「それで、解呪するにはどうすればいいんだ?」
「呪いの中枢となっている男爵の怨念を探しましょう。恐らく、悪霊のように人の姿をしているかと」
それは分かりやすいな。呪いの話のように、俺達が屋敷内を逃げる男爵をとっ捕まえてやろうってことだ。
「折角ですので、一階から順に部屋を回ってみませんか」
「男爵の居場所は目星がつくけど……そうだな、念のために全部回っておこう」
ついでに、本当にこの館が俺達の住処に相応しい物件かどうか、実地で確かめてやろうじゃないか。
「では、まずはそこの食堂から」
「ああ、ここから先は、呪いが攻撃を仕掛けてくるかもしれないから、油断せずに行こう」
そうですね、とフィオナと気を引き締め合って、俺達は向かって左側にある食堂へと踏み込んだ。
「こ、これはっ!?」
そこには、荒れ果てて埃っぽい広間ではなく、かぐわしい朝食の香りが漂う、小奇麗な食堂であった。
「どういうことだ、料理が並んでいるぞ」
「シンプルなメニューですが、美味しそうですね」
そのままフィオナが席について食べ始めるんじゃないかというほど、完璧に朝食が長テーブルの上にズラズラと並べられている。
卵と燻製肉を焼いたメインに、バケットに盛られた柔らかそうな白パンの山。スプーンですくって食べる平皿に満たされたスープと、透き通った紅色のお茶で満たされたカップからは、濛々と湯気が上がり、これらの料理が出来たててあることを示していた。
今にも寝起きの貴族様が朝食をとりにやってきそうな雰囲気。
ここは間違いなく十年以上廃墟だった館だが……なんだか、幽霊船の話みたいだ。用意はされていて、人だけがいない。
「どうするんだ、これ――」
と、訝しげに食堂を眺めていた次の瞬間、テーブルに並んだナイフとフォークが浮かび上がり、俺とフィオナに向かって飛んできた。魔剣みたいだな。
「ふぅ」
避けようか、叩き落とそうか、俺が一瞬悩んでいるところで、フィオナが先手を打って火を噴いた。
魔法の杖もなにもなく、ただ、軽く息を吹きかけるように口から「ふぅ」と小さく呼気をもらすと、それだけで紅蓮の壁が目の前に現れる。
燃え盛る炎の盾を前に、正面から飛び込んできたナイフとフォークはあえなく消し炭となった。
「下級の幻術ですね」
「ああ、言われてみれば……そうだな、これ、幻だな」
よくよく目を細めて観察してみると、爽やかな朝の食堂の風景が、黒々と歪んで行く。一度それと気づけば、もうそこには想像通りの荒れ果てた廃墟の一室しか見えなくなった。
テーブルの上に出来立ての料理など一皿もなく、埃だけが降り積もり、火の消えた燭台がぽつんと置かれているだけ。
「特に、異常はないようですね」
「次に行くか」
館にかかった呪いのヤツも、まだまだ軽いジャブのつもりなのか。特に殺す気がないような弱い呪いの力しか、この食堂では見られなかった。
「どうやら、一階は大したことはないようです」
「そうだな」
順調に一階の探索は終わる。特筆するべき強敵が現れることもなければ、残虐なトラップなどもない。
せいぜい、廊下にあったランプがいきなり火炎放射を浴びせてきたことと、応接室の鎧兜が動き出したくらいだった。
俺は冒険者装備じゃなくても『蒼炎の守護』は身につけているから、ちょっとくらい火を噴き付けられたところで焦げ目の一つもつきはしない。勿論、人間としての炎耐性がカンストする勢いで火属性の扱いに長けたフィオナなら、ただの火炎なんて冷たい水しぶきがかかるよりも刺激が少ない。
俺とフィオナは火炎放射をとくにどうこうすることもなく、そのまま浴びっぱなしのまま廊下を通りぬけた。自分の体よりも、こんなに炎が出て火事にならないのか、壁に焦げ跡残ったらいやだな、くらいのことしか思わなかった。
あと、動く鎧はウロウロされると邪魔くさいので、魔手の鎖で縛りつけ、元通りのインテリアにしておいてやった。
「この絨毯、なんだか足に絡んでくるんですけど。汚いですね」
「今の内に処分しといた方がよくないか?」
「そうですね、どうせこんなの捨てるしかないですし」
埃まみれの赤絨毯は、その場でフィオナが焼却処分。床に焦げ跡も残さず、絨毯だけを綺麗に焼き払ったフィオナ、もしかして、ちょっと魔力制御が上達しているのだろうか。
器用になった彼女に密かに感心しながら、俺達は探索を進める。
「いよいよ、地下室だな」
地下室は、館の東側にくっついた塔から続いている。他に入り口はない。
「はい。見取り図で構造は把握していますが、やはり実際に見てみないことには始まりません」
自分の工房が出来るかどうかのフィオナは、気合いを入れて塔の螺旋階段を下りて行った。
「おお、ホントに結構広いな」
階段を下りた先には、地下通路が伸びて、その途中に幾つかの扉がある。
「ここがワインセラーのようです」
「一番下の拷問部屋だかに続くのは、そこだったよな」
地下一階部分の部屋は基本的に屋敷で使う冷蔵室や倉庫として利用されていたらしい。そして、男爵が邪悪な生贄の儀式をしていたのは、生贄保管庫であるワインセラーの奥にある階段から続く、唯一の地下二階部屋。
「はい、行きましょう」
そうして、フィオナは意気揚々とワインセラーへと踏み込んだ、次の瞬間。
「おっ、扉が閉じたぞ。自動ドアか」
「それは便利ですね」
ひとりでに木の扉は閉じられ、カチャリと音をたててロックまでしてくれていた。まぁ、すぐ戻って来るから、開けっ放しの方がいいんだけど。
「なぁフィオナ、樽からワイン漏れてないか?」
「どうせアレも幻でしょう」
「そうだな。全部の樽からワインが一斉に漏れ出すなんて、あるわけないもんな」
気が付けば、積み上がった樽の他にも、壁のタイルの隙間や亀裂から、ドバドバと派手に真っ赤な血みたいなワインが噴き出た。ワインはどんどん水位を増して、あっというまにワインセラーを満たしていく。
けれど、別に気にすることはない。俺はすでに腰のあたりまでジャブジャブとワインの池に浸っているが、水気の感触はまったくない。どれだけリアルに見えても所詮は単なる幻だ。
「おや、クロノさん、この扉、鍵がかかっています。お願いしてもいいですか?」
「ああ、鍵なんて新しいのを付け直せばいいからな」
地下二階へ通じる奥の扉までやってきた時には、もうゴボゴボと水中に沈んだ状態になっていた。けれど、幻のワインで溺れるほど間抜けではない。
俺はワインの水中で赤みががった視界の中で、ドアノブを強引に押し切って、扉を開いた。こういう時、力持ちだと便利だな。
扉が開くと、もう幻術の意味はないと悟ったのか、ワインの海はきれいさっぱり消えてなくなった。
さて、これでいよいよ本命の地下二階へと到着だ。
「……クロノさん、ここ、いいですね」
「オオォ……アァ……」
「ああ、思ったよりも綺麗だな」
「アァ……イタイィ……」
階段を下りた先にある生贄部屋は、もっと血塗れでドロドロと恐ろしい雰囲気かと思いきや、ほとんどもぬけの空だった。シミ一つない灰色の綺麗な石材の壁が四方を囲むのみ。
広さも十分。これなら、すぐにでも荷物を運びこんで、工房を設営できそうだ。
「やはり、私の見立ては確かでした」
「タスケテ……アァ……」
「そうだな、いい感じじゃないか」
「ウッ……ウゥ……クルシイ……」
どうやら、これでいよいよ本決まりといったところか。フィオナはいつもの無表情ながらも、そこはかとなく満足そうな雰囲気だ。
「ウワァアア……」
「ところでクロノさん」
「イタイ……イタイヨ……」
「何だ?」
「この部屋、ちょっと怨念の声がうるさくありません?」
「やっぱりフィオナもそう思うか……仕方ない、軽く黒化かけて黙らせておくか」
アルザスの冒険者ギルドを丸ごと黒化した俺にとっては、たかだか部屋一つくらいを染め上げるのに、さして苦労はしない。
灰色の石壁は、あっという間に黒ペンキを思う様にぶちまけたように真っ黒な黒色魔力に染まり切る。そうして壁の色を勝手に塗り替えてから、俺達は地下室を後にした。
「残るは、二階だけですね」
「ああ、もう面倒だから、先に男爵の部屋で解呪済ませておくか?」
「そうしましょう」
また怨霊による騒音問題みたいなことが起こっても困る。流石の俺でも、この館全てに黒化をしかけるとなれば、手間も時間もかかる。
先に男爵の悪霊を退治すれば、妙な幻の嫌がらせや、勝手に家具が動き出すこともなくなるだろう。
俺達は勇んで男爵が待つだろう彼の私室に向かって突き進む。
どうやら向こうもこっちの動きを察知したのか、道中はやたらめったらにモノが飛んでくる。アンティークの剣などの刃物をはじめ、高そうな壺や、重い額縁に入った絵画。他には子供のオモチャみたいな人形やデカい鏡、椅子などといった家具も普通に飛んできて、結構危なかった。
全く、当たったら痛いじゃないか。痣ができたらどうする。
「よし、ここで間違いないな」
「はい」
どうにかポルターガイスト祭りを乗り越えて、突入前の最終確認を済ませる。
俺はさっさとウザったい男爵の呪いを断ち切るべく、躊躇せずに鍵のかかったドアを蹴破り踏み込んだ。
「クックック……ヨウコソ、勇敢ナル客人ヨ」
部屋の中には、シルクハットを被って燕尾服を着た、一人の男の影があった。仄暗い、紫がかったオーラを全身に纏わせるその姿は、間違いなく闇の原色魔力で動く悪霊そのものであった。
「コトゴトク我ガ試練ヲ超エタノハ見事ダ。君達ハ最高ノ生贄トナルダロ――」
「魔弾」
先手必勝。男爵ゴーストは何か言っているようだが、下手に詠唱でもされて攻撃魔法を撃たれたら厄介だ。攻撃する間も与えず、速やかに叩くのが吉。
「グホォアアっ!?」
俺の放った弾丸は真っ直ぐ駆け抜け、高らかにご高説を賜っている男爵へと命中。どの程度の効果があるか不安ではあったが、物理的にフルヒットしたみたいに、男爵は魔弾の衝撃を真正面に喰らって仰向けにぶっ倒れた。
「闇によく似た黒色魔力だから、直接的に干渉できるのでしょう」
「アイツも半分くらい実体化しているようだしな」
悪霊との戦いは機動実験以来だが、おおよその対応策は確立済み。実体化した悪霊はこちらの物理的な攻撃も通るが、肉体を形成するほど濃密な魔力を内包しているために、どれも強力なアンデッドとなる。
半ば実体化している男爵のゴーストも、このまま放置し続けていれば、リッチのように危険で強力な存在へと進化を果たしたかもしれない。
だが、男爵の野望も、今日ここで終わりだ。
「クロノさん、逃がさないでください」
「おう、魔手」
たまらずといった様子で、慌てて起き上がり背中を向ける無様な男爵ゴーストに、俺はジャラジャラと伸ばす漆黒の鎖で絡め取る。やはり魔手は、敵を捕らえるのに便利だ。
幽霊でも脱出不能な黒色魔力の鎖に全身をきつく拘束されて、男爵は再び床を転がる。
「焼き払います」
フィオナが一歩前に出ると、そっとシーっと静かにさせるジェスチャーみたいに、右手の人差し指一本だけたてる。
すると、指先に金色に煌めく火が灯る。黄金色の蝋燭といった感じか。
「ふぅ」
そして、またしても軽く息を金色の火にふきつけると、それは黄金の火炎放射と化して身動きの取れない男爵を襲った。
「アアアっ! 馬鹿ナっ! 何故、コンナ……ナジェェエエエエエっ!!」
耳をつんざくような絶叫を残し、男爵の悪霊は金色の炎に焼かれて浄化された。
「お、館の雰囲気がちょっと軽くなった気がするな」
「ええ、これで普通の廃墟となったのでしょう」
なんだかんだで、ちょっとしたダンジョン攻略みたいに探索してきたお蔭で、この館に俺もちょっと愛着みたいなのが湧き始めた。最初は呪いのついた屋敷なんて流石に御免だと思ったが……うん、こうして浄化されたのなら、そんなに悪い物件じゃあないだろう。何より、激安だし。
「よし、フィオナ。それじゃあ、この館を買おうか」
「はい、クロノさん」
俺はフィオナの手をとって、大きな満足感と共に、館を後にした。
9999万クラン。金貨一括払いで、俺は夢のマイホームを手に入れたのだった。