第540話 試練を超えし者
「……沼が消えとる」
フィオナは出現したコピー軍団を一掃すべく、躊躇なく『黄金太陽』をぶっ放した。地上に落ちてきた太陽は沼のちょうど真ん中あたりで炸裂。ぼんやりと並び立つ鈍重なコピー共を、跡形もなく消し去ったのだった。
ひとしきり爆風と熱波とが収まると、俺の目の前にはスライムどころか、沼地そのものがクレーターと化して虚しい焦げ跡を晒す。沼一つ分の水量は瞬時に蒸発し、ここにはもう一滴たりとも水気はなくなっていた。
「確保完了です。後は任せます」
ふぅ、と一仕事終えたみたいに息を吐きながら、フィオナは帽子から取り出した魔力回復ポーションをスポーツドリンクみたいにガブ飲みし始めた。
今は『黄金太陽』一発でぶっ倒れるほど魔力を消耗しないが、それでもかなりの量をつぎ込むことに変わりはない。作戦のバックアップを考えれば、要所での補給は重要である。
「サリエル、準備を始めてくれ。方向は分かるか?」
「プライドジェムは現在、隠蔽等の固有魔法は使用していません。これほどの気配なら、十キロ先でも探知可能。この距離で見誤ることはありません」
それって森に入った時点で気配は掴んでるってことだよな。第六感の鋭さなら、サリエルには完敗だ。
「俺とフィオナは周囲を警戒する。早めに頼む」
「はい、マスター。四十秒で仕上げます」
サリエルはシロ同様、使徒時代からの相棒である十字槍、『聖十字槍』改め『反逆十字槍』を右手に、もう片方には太い巻物を持って、迷うことなく森のある方向へ向き直る。
サリエルが見つめる先は、うん、間違いなくプライドジェムがどっかりと構えている地点に相違ない。神様の保証である、試練の赤い光点が、俺の左目にもその方向にはっきりと見えるからな。
「準備完了です」
「おお、きっかり四十秒だ」
兜のディスプレイがデジタル式の時計みたいなのを表示してくれたお蔭で、正確な秒数のカウントはできていた。別に、ケチをつけるつもりで数えていたわけではない。勝手に表示されたのだ。
「ヒツギだって四十秒くらい数えられますぅ!」
そういう意味じゃないだろ。
ともかく、くだらないお喋りはその辺にしておこうか。ここからはミスの許されない一発勝負の上に、ほとんどぶっつけ本番の大博打だからな。
「やってくれ、サリエル」
了承の意と共に、サリエルは槍を構えた。
彼女の足元には、竜皮紙のスクロールが一本の道のように広げられている。距離にしておよそ十メートルといったところだろうか。
「وأتطلع للعدو」
聞き覚えのない旋律で、サリエルの詠唱が始まる。
歌うように流麗な彼女の声に呼応して、スクロールの紙面と、槍の石突で地面に直接書き込んだ急造の追加術式がぼんやりと光り始める。以前は白い光、だったのだろう。今は、どこか妖しい紫の輝きが、地面に広がる魔法陣を彩っていた。
「أبدأ حساب البالستية」
詠唱の二節目に入ると、サリエルはいよいよスクロールの上に一歩を踏み出す。進む足取りは軽やかで、足音一つ立てることはない。
「وسوف أقوم بتعديل عدد من البيئة」
魔法陣の輝きは一歩ごとに増して行き、今やバリバリと紫電がそこかしこで散るほどになっている。
スクロールの中ほどまで歩みを進めたところで、その動きは急変。右手に握る槍を滑らかに一回転。逆手へと持ち替え、そのまま、担ぐような恰好。 そして、一気に駆けだす。
「وسوف تعديله مرة أخرى الباليستية」
そこから先は、あっという間。たかだか五メートルほどの距離など、瞬く間に踏破してしまう。
いよいよ激しく、魔法陣からは光が迸り、そして――
「إعداد الغايات النار」
掲げた十字の穂先に、神に刃向う黒き雷光が灯る。黒と紅、二色の閃光に彩られた、黒色魔力による雷だ。
一点に収束された膨大な電力を宿した黒き十字槍を、ついにスクロールの端まで辿り着いたサリエルが、思い切り振りかぶった。
その瞬間、小さく華奢な体でありながらも、荒れ狂うドラゴンのような力強さを俺は感じた。そして、納得する。
ああ、なるほど。これならアルザス要塞から投げても、ガラハド要塞まで届くだろう、と。
「――『天雷槍』」
放たれる、サリエルの超長射程を誇るオリジナル武技。聖なる光の代わりに、禍々しい雷光を宿し、『反逆十字槍』が飛翔する。万雷を束ねたような雷鳴を残し、深い森の中を一直線に駆け抜けていった。
「着弾確認」
「よし、これで道は開けたな」
森の木々と、そこかしこに大量に潜んでいただろうスライムの全てを、黒き雷が消し去り、俺の前にはぽっかりと空洞のように開けている。まるで、巨大な旅客機がこの森に胴体着陸を決めて、地面ごとガリガリ削っていったかのような有様だ。
槍一本でこれほどの破壊をもたらせるとは、やはり、サリエルは使徒の力を失っても、化け物のままだと実感させられる。今は味方で、本当に良かったと素直に思えるね。
「行くぞ、ミリア。上手く合わせてくれ」
「――混沌主機・解放、精霊推進・起動、高速機動形態・移行」
鎧へとこれまでよりも倍、いや三倍近い勢いで俺の魔力が吸い取られていくのを実感する。もっとも、ウルスラのドレイン攻撃に比べれば微々たるものであるから、この状態でもそれなりの時間は戦闘状態を維持できるだろう。まぁ、俺もキプロスにドレインされてピンチになってた頃よりかは、魔力量も増大しているし、魔法的な意味でもまだまだ成長期なのだ。
「う、やっぱり、この奇妙な浮遊感には慣れないな」
ただでさえ大して重さを感じさせない鎧が、今やその重量を完全に忘れ去ったかのようにフワリと軽くなる。一歩踏み込むだけで、何メートルも進めそうな感覚。
とんでもない速さで駆け出していけそうな気がすると共に、一歩踏み誤ればあらぬ方向へすっ飛んで行きそうな恐ろしさも感じる。
しかし、これに慣れないと、自在に高速移動はできない。
この状態でブースターを噴かせれば、俺がミリアとやり合った時みたいに、前進は勿論、慣性を無視したようなピーキーな機動も可能となる。しかし、俺にはまだまだその制御が習熟できていない。
まぁ、ブースト移動を駆使しなくても、生身と同じ程度には走って飛んで跳ねてはできるから、今すぐ戦闘に支障をきたすことはないからマシだろう。
とりあえず、今は直進だけできれば、それでいい。
「さぁ、行くぞ――」
準備は整った。フィオナがスタート地点を確保し、サリエルが道を開く。そして、マクシミリアンという鋼鉄を纏い、俺は今、一発の砲弾と化す。
「――飛べ『嵐の魔王』」
第五の加護、発動。
刹那、視界がブレる。駆け出したあまりの速さに、凄まじい勢いで周囲の景色が流れて行く。一拍遅れて、背面のメインブースターが轟々と唸りを上げているのが聞こえてくる。
きっと、フィオナ達には正しくロケットが飛んで行くように、ブースターから真紅の燐光を噴射してぶっ飛ぶ俺の姿が見えたことだろう。
つまり、これが作戦。超絶的な速度強化の効果を発揮する第五の加護『嵐の魔王』の速さで、一瞬の内に距離を詰め、プライドジェムが何かする前に痛烈な一撃を叩き込んで勝負を決めようというものだ。一発でカタがつくならば、他の冒険者にもつけいる隙を与えない。緊急クエストの報酬も、これで俺達の総取りだ。
「くっ……ぐぅ……」
しかし、俺のハッピーな考えを嘲笑うかのように、今にも体がバラバラになりそうな圧力が叩きつけられる。別に、攻撃を受けたわけじゃあない。これがいわゆる、Gがかかる、というヤツだろう。
風属性を司る『嵐の魔王』は、予想していた通り、速度を強化させる加護だ。
だが、実際に走ってみれば、その効果は想像以上。実際に何キロ出ているのかは不明だが、少なくとも並みの速度強化系の武技や魔法の重ねがけでも到底及ばない速度に達しているのは間違いない。極めれば、どこまで速くなるのか、まだまだ想像がつかないほど。
無論、効果は最高速度だけに留まらない。サリエルが使徒だった時のように、すでに一歩目からほとんどトップスピードに達するほどの加速力も、この加護はもたらしてくれる。普通の人は勿論、動体視力に自信のある剣士でも、単純な素早さ故に俺の姿を追い切れないかもしれない。
ただし、恐ろしいほどに制御がきかない。『暴君の鎧』のブースターがなくても、発動させれば生身に直接、ロケットエンジン背負ってぶっ飛んでいるような感覚となる。とんでもない暴れ馬。第五の加護、コイツは、これまでにも増して、習熟して制御できるようにならなければ、使い物にならないだろう。
それでも戦いにおいて、スピードというのはパワーと並んで重要なファクターだ。これまでも、俺の速さが足りずに苦戦した記憶も少なくない。
しかしながら、今の俺には敵を翻弄する、強力な攻撃を回避する、などといった部分でスピードに頼ることはしない。
今、必要なのは、超絶的な速さによってもたらされる破壊力だ。ようするに、突進である。
「ぐ、おぉおおおおおおおっ!」
走り始めて、二秒か、三秒か。すぐに、目標は見えてくる。
山のような巨体、なんていえばグラトニーオクトと同じか。プライドジェムの姿は、そうだな、湖がそのまま動き出したような、といった感じだろうか。
全体像としては、ただひたすらにスライムを巨大化させたような扁平な丸っこい姿をしている。色も水色で、スライムが群れているだけのようにも思えた。見た目的に、これまでの試練モンスターの中では一番普通な感じだな。
そんな風にちょっと呑気な感想を抱けるのは、今のヤツはサリエルのキツい一撃をどてっ腹にくらい、肉体が大きく抉れているからだ。
プライドジェムの体はひたすらに巨大なスライムだが、俺のコピーと同じように、数多の武具を体内に吸収していた。さながら、お宝を貯め込むドラゴンのようだが、雑多な一塊となって体内に浮いているから、何というか、ごみ山にしか見えないな。
しかし、このごみ山がコアを守る鎧にもなっているようだ。ちょうど真ん中辺りにあるし、コアも他の位置には見えないから、あの中にあると考えて間違いないだろう。
プライドジェムの肉体構造はおおむね、こちらの予想通り。ならば、このまま行かせてもらおう。
「――『炎の魔王』」
「高速機動形態解除、衝撃吸収機構起動」
そびえ立つようなプライドジェムの巨躯はもう目の前。サリエルのお蔭で障害物はないし、他の分裂体も吹き飛び、おまけにヤツの本体もかなり抉れている。あとは、勢いのまま飛び込んで、コアを貰い受けるのみ。
『嵐の魔王』を解除し、攻撃用の『炎の魔王』へと切り替えるが、一度ついた超加速はそう簡単に止まりはしない。この脆弱なスライムの肉体を突破するだけの勢いは、もう十分についている。
砲弾のように飛び込んできた俺に、どうにかこのタイミングで反応したのか、抉れた本体部分が俄かに波打ち、蠢き始める。
ソレは一瞬の間に、俺の姿を模したコピーを捻り出そうとするが――もう、遅い。
「『憤怒の拳』っ!」
上半身まで出かかっていたコピーの顔面に、紅蓮の一撃を叩き込む。手ごたえはほとんど感じない。しかし、拳に秘めた灼熱の破壊力は確かに解放された。
吹き荒ぶ爆風。黒煙ではなく真っ白い蒸気なのは、ほとんど水分であるスライムの肉体が大量かつ瞬時に蒸発したからこその反応だろう。瞬間的に、俺の視界は白い闇で閉ざされる。
見えなくても、自分の体は加速した勢いのまま前へ前へとどんどん進んで、というより、ぶっ飛んでいるのが分かる。
いかん。プライドジェムに一撃をぶちかますことには成功したが、思ったよりも勢いが弱まらない。これ、着地の時ってどうすりゃいいんだ。
「そのための衝撃吸収機構らしいですよ?」
さらっと頭の片隅で、ヒツギが疑問に答えてくれる。
それって、この鎧の内側にある気色悪い人肉ゼリーみたいなヤツのことだよな。これの量を一時的に増加、さらに活性化させることで物理的な衝撃を大きく吸収する能力があると前に聞いたが、それって、つまり……
「凄ぉーい、これなら頭から転んでも安心ですぅ!」
やっぱり、と思うと同時に、俺の全身に強い衝撃が走る。濛々と煙る蒸気のせいで視界がゼロだが、今正に地面に叩きつけられたということは理解できる。
流石にこれだけの勢いと、武技を繰り出した直後の体勢、それでいて視界も封じられては、俺のバランス感覚と身体制御だけで華麗な着地を実現させるには能力不足であった。
「うぐぅ……目が回りそうだ」
普通なら吐いてる。
俺としても、これまでに経験したことがないほど、かなり激しく大地を転がったからな。何本かの木々をへし折って、最後は立派な大木にぶち当たってようやく動きは止まってくれた。
とりあえず、体には痛みも痺れも感じない。システム・オールグリーンというべきか。
「きゅうー、ヒツギはもうダメですぅー」
メイドシステムだけレッドアラートが点灯しているようだが、まぁ、今回は出番がないからそのままでいいや。
「それより、プライドジェムはどうなった」
「敵性反応、消失。無力化確認」
ちょっとフラつきながら立ち上がると、すかさずミリアが教えてくれた。
「おお、やったな」
俺の目の前には、コアを失い膨大な水量を誇るプライドジェムの肉体がドロドロと崩壊を始めた光景が広がる。丸い肉体は横から砲弾をぶち込まれたように、大穴を開けて貫通しており、コアを守る武具の壁もあえなく吹き飛び、その大半が単なる鉄クズと化していた。
周囲に生える背の高い木々に届くほど高く盛り上がった円形の肉体は、スライムの体が溶けだしたことでどんどん低くなっていく。まるで、ここにあったというただの池へと戻っていくような崩れ方であった。
スライムとは思えない壮大な死に様であるが、今はそんなことよりも、コアの行方の方が気になる。まさか、勢い余って木端微塵に砕け散ってしまったってことはないと思うが……
「目標索敵――感アリ、十一時方向、距離約7メートル」
ピコーン、という機械的な発信音と共に、視界の端に赤い矢印が灯る。矢印の根元には、何やら古代語で一言書かれているが、残念ながら俺には全く読めない。でも、ターゲットとか目標物、みたいな感じの表記であろうことは想像がつく。
字は読めなくても便利な注目機能によって、俺はすぐに地面の上に転がっている、大きな青い結晶を発見することができた。
「アレが『傲慢の核』で間違いなさそうだな」
青、というよりも藍というべき深い色合いの宝玉だ。バレーボールくらいはある。体がデカい分、それに比例してコアも大きくなるようだ。
プライドジェムのコアは通常のスライムのものと比べ、かなり頑強にできている。結構な衝撃を伴って肉体から飛び出してきたというのに、磨き抜かれた球のような表面には傷一つついちゃいない。
魔力の気配をハッキリと感じ取れることから、コイツはまだ生きている。次の瞬間には、通常サイズのスライム体が再生して活動を再開し始めてもおかしくない雰囲気。
とりあえず、ミリアは無力化していると保証しているが……スロウスギルみたいに死に体のところで起死回生の不意打ちなんぞ喰らっては堪らない。やはり、完全にトドメを刺してから、回収を考えよう。
そうして、この頑強なコアに傷を入れるためには、最高の切れ味を誇る鉈がいいか、それとも魔力吸収できる悪食がいいか、ちょっと悩みながら一歩を踏み出した、その時だ。
「……今、揺れた?」
その問いは、地震大国日本に住まう者なら、一度は口にしたことがあるだろう。地面にかすかな揺れを感じた時、もしかして震度一か、それとも気のせいか。確かめるために、思わず聞いてしまう。
「うん、やっぱり揺れたよね」とか「え、何も感じなかったけど」とか、そんな体感的な答えが往々にして返って来るものだが――
「警告、不明ノ敵性反応ヲ確認。危険度判定――極大」
緊急地震速報並みに緊張感に溢れた声が俺の脳内に木霊する。アナウンサーのミリアがくれたありがたい警告に同意するよりも先に、俺の体が反応した。
すでに地面の揺れは加速度的に増して行き、揺れを感じるどころか、そろそろ立っているのも怪しくなるほどの大きさと化す。
その時、俺のとった決断は、すぐ目の前に転がるコアを拾うというものではなく、その場を全力で飛び退く、というものだ。
惜しくはある。だが、後悔はしない。ここで飛ばなければ、地中より出でようとしている何者かによって、足元という死角からの奇襲を受けることになるのだから。
ガォオアアアアアアアっ!!
耳をつんざかんばかりの咆哮と共に、土砂の飛沫が舞い上がる。泥のカーテンの隙間から、俺は懐かしい姿をそこに見た。
「アイツは……ラースプンっ!?」
狼のような鋭く獰猛な面構えに、特徴的な長い耳。そして、膨れ上がった筋肉の鎧に、フサフサの毛皮で覆われた、正しく魔獣と呼ぶべき巨躯。そのシルエットは忘れもしない、第一の試練の相手となった、憤怒の魔獣、ラースプンである。
十年に一度現れるかどうかという、稀少な突然変異のモンスターのはず。まさか、こんなに早く新たな一体が出現するとは――という考えは、最も特徴的なヤツの右腕を見て、誤りだったと悟る。
「コイツは、サフィールの野郎が逃がしやがったアンデッドの方か」
今や懐かしく感じるが、つい半年ほど前のイスキア古城での戦い。あの時、『ウイングロード』はモンスター軍団の大将であるグリードゴアを仕留めるべく、城を出て奇襲を仕掛けたとウィルから聞いた。
勿論、彼らの作戦が失敗に終わったことは、グリードゴアを討伐した俺自身がよく知っている。ともかく、『ウイングロード』はグリードゴアを襲った時、サフィールの操るラースプンのアンデッドを例の寄生能力によって奪い取られてしまった。強力な寄生ラースプンを相手に『ウイングロード』はその場で虚しくも足止めを食らう。どうにかネロだけは離脱して城まで戻ってきたのは、俺も知ってのとおりである。
戦いの後、駆けつけてきたリリィとフィオナから、寄生ラースプンは逃げ去ったと聞いた。恐らく、タイミング的に俺がグリードゴア、もといスロウスギルを倒した直後のことだろう。
その時は、親玉をやられたから逃げ出した、くらいにしか考えなかった。元々の体はアンデッドだし、何より、スロウスギルが死んだ以上、分身体もそう長く生きられるとは思えない。実際、その後にラースプンによる被害もなければ、目撃情報さえなかった。
しかし、それは間違いだったことが、今この瞬間に証明されてしまった。
現れたラースプン、その右腕は、聖銀の如き色艶に光沢を放つ、白銀の機械腕だ。俺が切り落としてやった右腕の代わりに、サフィールが所持していた古代のゴーレムと思しき機械の椀部を装着したのだとウィルが話していたのを覚えている。
サフィールがアンデッドとして行使していた時は、ただひたすらに頑強な鋼鉄の義手として機能していたと言っていたが……今は、磨き抜かれた白銀の色合いに、『ザ・グリード』のブラスターモードみたいに鮮やかな紫色のラインが走っている。おまけに、腕の周囲にはバチバチと紫電が散っており、そこに膨大な電力が宿っていることを物語っていた。
どういうワケか、今のラースプンは古代のゴーレムアームに秘められた機能を解放しているようだ。まさか、山奥に籠って修行していたワケでもあるまいに。
だとしても、何故、今このタイミングでこんな場所にピンポイントで現れたのか……その理由を、モンスターが人の言葉で語るはずもない。
だが、俺には分かった。
「おい、プン公。お前、横取りを狙ってやがったな」
天に向かって高々と掲げられたラースプンの右手には、深い藍色の光を放つ『傲慢の核』ががっしりと握られている。
脇目も振らず地中から飛び出し、転がっていた核を掴み取ったのだ。偶然のはずもなく、最初からコイツは地面の中で狙っていたとしか思えない行動結果だ。
俺がかけた言葉の意味を分かっているのかいないのか、ともかく、ヤツは反応を示した。目的のお宝を手にした勝者の余裕、とでもいうように、ゆっくりとこちらへと振り返る。
グルグル、ゲッゲッゲェエ――そんな声で、ラースプンが笑った、ような気がした。
正面を向いたヤツの顔は、前に見た時と少し違う。俺と同じような、オッドアイだった。右目はスロウスギルの雷属性を反映したような紫色。左目は、ラースプン本来の赤色。
顔も違えば、体にも変化があった。俺が右腕を切ったから、アイツはもう強大な炎属性を生み出す核となる真紅の結晶『憤怒の拳』は存在しない。しかし、俺が神へと捧げた炎の宝玉を、再び奴は生み出していた。機械の右腕の反対、生身のままである左手の甲に、あの時と同じ……いや、さらに一回りは大きいだろう『憤怒の拳』が、確かに埋め込まれていた。
コイツは前に戦った通常のラースプンよりも、強い。そう確信させるには、十分な姿だ。
ヤツはもう、ただラースプンの体をパラサイトの分身体が乗っ取っただけの存在ではない。眼の前に堂々と立ちはだかる赤い巨躯からは、濃密な魔力の気配と、そして、静かな呪いの香りがする。
俺の手で瀕死まで追い込まれ、逃げた先であっけなく『ウイングロード』に討伐されたラースプン。その後、サフィールの手によりアンデッドとして使役され、最後にはパラサイトに乗っ取られる。きっとこれらの経験によって、ラースプン本来の怨念と、死せる肉体を動かすシステムたるパラサイトとが複雑に混じり合い、呪われし自我が誕生した。
だから、コイツは最早、ラースプンでもスロウスギルでもない。
第一の試練である炎と、第二第三の試練となる雷と土、そして今、第六の試練の水を手に入れた。
憤怒の化身は、さらに三つの大罪を重ねて、全く別の『何か』へと進化を果たしたのだ。
「俺のこと、覚えてるか?」
返答はない。あるはずもない。
しかし、ヤツは見せつけるように、横取りした『傲慢の核』を食った。ベロリと長い舌の上に落ちた藍色の宝玉は、そのまま一口で飲み込まれていった。
やはり、取り込もうというのか。プライドジェムの力を。
「悪いが、ソイツを譲るわけにはいかないな」
いいや、コレはもう俺様のモノだ。そう言いたげに、燃え盛る大岩のような巨躯を揺らして、俺のほうへとにじり寄る。
一歩、二歩。ヤツが踏み込む度に、黒い靄のようなモノが視界にチラつく。三歩目にして、ソレははっきりと形をとって現れた。
「砂鉄、か……やっぱり、グリードゴアの能力も持ってるのか」
鉄壁にして変幻自在の防御力となる、黒き砂鉄の装甲。俺を苦しめたグリードゴア自慢の鎧が、ラースプンの赤い体を覆い尽くしていく。『暴君の鎧』を纏う俺に対抗するように、奴もまた、漆黒の全身鎧を着こんでみせたのだった。
「上等だ、相手になってやる――『炎の魔王』」
真っ向勝負、受けて立つ。そう言わんばかりに、ヤツは悠然と間合いに踏込みながら、黒い砂鉄装甲の上から、燃えるような赤いオーラを迸らせる左腕を高らかに振り上げる。
繰り出す技は互いに同じ。全身全霊をかけた、渾身のストレートパンチ。
「――『憤怒の拳』っ!!」