第534話 マスター
「おかえりなさいませ、ご主人様、フィオナ様」
何故か『暴君の鎧』は着っぱなしのまま、フィオナとの買い物デートをつつがなく終えて、ほどよい時間に本日の治療を終えたであろうサリエルを迎えに神殿へ戻ってみれば、これである。
サリエルは閑散とした待合室の椅子にポツンと一人で座って待っていて、俺とフィオナが戻った時の第一声は、何とも突っ込みどころ満載だ。
「あー、えっと、そのマスターってのは何だ? 俺のこと?」
「はい」
サリエルらしい、無感情にして無遠慮な真紅の視線が真っ直ぐに突き刺さる。そこに、躊躇も後悔もないという、強い意思を感じるのは気のせいだろうか。
「そんな、別に形から入らなくてもいいと思うんだが」
「そうするべき、と神託を賜っている」
なにソレ、フリーシアの入れ知恵ってこと? でもそういえば、彼女もミアちゃんのこと「マスターっ!」って絶叫していたな。エルロード帝国の騎士としては、由緒正しいご主人様呼びなのだろうか。
「それに、マスターと呼ぶのは黒乃真央の好みでもあると、記憶にある」
「はぁ?」
なにソレ、どこ情報? どこ情報よソレ? 俺はそんな恥ずかしい好みを晒したことなんて、あるはずない――
「文芸部の部誌に掲載されていた作品では、高い頻度で主人公を「マスター」と呼ぶ従順なメイドの少女が登場している」
「やめるぉおおおおおおおおおおおっ!!」
魔力全開。漆黒の暗黒物質装甲に真紅のラインを浮かばせて、俺はサリエルの体を掴み上げ、頭突きするような勢いで顔を寄せる。
「頼む、マジでお願いだから、そういう話はしないでくれ」
「……申し訳ありません。機密情報であるとの認識がなかった」
「ああ、そうだ、これは最重要の機密情報だ。絶対、誰にも、言うな」
「はい、マスター」
戦闘終了。『暴君の鎧』待機モード。サリエルも抱っこ状態から、再び椅子へと下ろしてやる。そっと、優しく、何事もなかったかのように。
「クロノさん、今のは?」
「何が?」
「文芸部の主人公がメイドでマスターがどうこうと言っていましたけど」
「ああ、気にするな、昔の話だ」
その通り、今や遥か昔の話だよ。俺が痛いライトノベルを日夜量産していた高校時代は。まだ一年くらい前だけど。
いわゆる黒歴史、だとは思っていない。俺は自分の作品にはどれも思い入れはあるし、心から面白いと思って書いていた。だから、後悔はしていない。ラノベ執筆は、俺の青春の全てだ。
でも、だからといって、その内容を人前で暴露されるのは恥ずかしい。まして、相手は一般人どころか、異世界人である。フィオナに俺が変な趣味だと思われて、「クロノさん、そういう人だったんですね。私、ショックです」とか言われて別れ話を持ちかけられたら、あまりの絶望にミリアと同じく『暴君の鎧』に引き籠ってしまうかもしれん。
「はぁ、そうですか……それで、いいんですか?」
「うーん、まぁ、神様がそれで呼べって言ったなら、その方がいいんじゃないか」
「分かりました。クロノさんをマスターと呼ぶことを許します、サリエル」
「ありがとうございます、フィオナ様」
どうしてそこで許可を出すのが本人じゃなくてフィオナなのかという点に、突っ込んだらダメか。
「私のことは奥様と呼んでもいいですよ」
うお、もしかして、と思ったが……フィオナとはやっぱり、結婚を前提としたお付き合いをさせていただいてます、ってことなのか。そのことについては特に否やはないのだが、何だ、その、いきなり意識すると緊張する。
「はい、奥様」
「あ、やっぱりいいです。今はまだ、恋人気分を味わっていたいので」
ソロソロと俺の頑強なガントレットにフィオナが腕を絡ませて、体を寄せてくる。おい、気を付けろよフィオナ。このガントレット、棘とかついてるぞ。
「とりあえず、サリエルには自分で動けるように義手と義足の代わりになる鎧を買って来たから、使ってくれ」
「ありがとうございます、マスター」
「帰りは自分の足で歩いてください。もう二度と、クロノさんに背負わせることなどないように」
「はい、フィオナ様」
フィオナの釘の差し方が厳しい。だが、奴隷に対してはまだまだ優しい方なのか。俺には、彼女がどういうラインでサリエルを許すか許さないか線引きしているのか分からない。何気ないことで、いきなり激怒でもするんじゃないのかと、二人のやり取りを見ていると不安になってくる。
サリエルよりも俺の方がフィオナの一言、一挙一動にビビっていそうだ。
彼女に対する不安などまるで感じてないかのような平静を装い、俺はとりあえずサリエル用の鎧を影から取り出した。
女性用にサイズ調整された籠手と具足は、グラトニーオクト戦でしばらく身に着けていた重騎士のモノよりかなり細く見えるが、別にこれで戦闘しようってワケではないから特に問題はないだろう。実際、ほどほどに安いヤツを買ってきたから、質的にも大したものじゃないのは間違いない。
「――紫電黒化」
サリエルは俺と同じように、すでにして使い慣れた様子で黒化を施し、ただの金属パーツを己の手足と化していた。
「どうだ?」
「はい、可動に問題はありません」
鋼の義足で立ち上がり、右手を掲げて掌を握ったり開いたりして、具合を確かめるサリエル。その動きは、まるで本物の手足が中に入っているかのように滑らかだ。
もし、俺の手足が欠けたとして、コイツと同じように黒化で動かせるようになるだろうか。そもそも疑似雷属性を用いた『紫電黒化』は、俺も真似できるかどうか試してはいない。サリエルに黒魔法を教わる時が来ないよう、頑張ろう。
「この後は、どうする予定ですか?」
「うーん、日没までは、まだ少し時間はあるけど……」
正直、今日はもうあまり出歩きたい気分ではない。朝から王城に出向いて、緊張の戦功交渉をすれば、昼にはパンドラ神殿で儀式、そしてその後は呪いの鎧とガチンコバトルである。体力的にはまだ元気だが、精神的にはぐったりだ。
「では、サリエルの冒険者登録だけ済ませて、帰りましょうか」
「ああ、そうか、サリエルもしておいた方がいいんだよな」
レオンハルト王直々に、次の戦でサリエルを戦わせろ、というご命令を受けている。早いとこ冒険者身分にしておいた方がいいだろう。
「まさか、お前が『エレメントマスター』の四人目のメンバーになるとはな」
そう思えば、どことなく感慨深いものがある。
「正式にメンバー入りさせるのは、サリエルのランクが上がってからですね。それまでは、ソロで活動してもらいます」
「ソロって、それは……いいのか?」
二つ以上の意味である。いくらサリエルの身分が正式に認められたとはいえ、いきなり一人で外に放り出すのは如何なものか。
「私もクロノさんも、彼女一人のお世話にかまけていられるほど、暇ではありません。次の戦いにも、備えなければいけないでしょう。もしかしたら、今度はもうリリィさんの力は借りられないかもしれないのですよ」
確かに、『暴君の鎧』を手に入れて浮かれている場合ではない。
サリエルは戦力的にはこれ以上ないほど申し分ない人材ではあるが、その信頼度はリリィとは比べるべくもないだろう。
「それに、自分の分は自分で稼いでもらわないと。奴隷だろうと騎士だろうと、クロノさんにはサリエルを養わなければならない義務などありませんから」
「確かに、自分で稼げるようになるに越したことはないけど……」
フィオナの言い分はそれなりに筋が通っている。しかし、殊更にサリエルを突き放すような物言いに、そこはかとない不安も感じる。
「心配する必要はありませんよ。私達が見ていなくても、サリエルに監視はつくでしょうから」
スパーダのアサシン部隊とかが、見えないところで、こっそりと。まぁ、しばらくはそうなるだろうな。
監視がついている、と思えばあまりいい気はしないが、事情が事情なだけあって、仕方がないとあきらめもつく。それに、向こうもプロだ。こっちがあえて探そうとしなければ、気配の一つも掴むことはできないだろう。
「とりあえず、ギルドに確認して、許可が出ればサリエルにはソロでやってもらおう。それでいいな?」
「はい、マスター。冒険者の活動について、概要は把握している。任務の遂行に問題はありません」
でも近い内に、サリエルと組んで適当な討伐クエストはやってみたいな。五体満足になったコイツがどれほどのものか、肩を並べて戦って確認したい。
フィオナはあんまりいい顔はしなさそうだけど、反対もしないだろう。俺とサリエルが二人きりでクエストに行くなんて状況は許さないだろうし、俺もそんなことをする勇気はない。
「それじゃあ、行くか」
「あ、そういえばクロノさん、私、今回の報奨金が出たら、欲しいモノがあるのですけど」
「フィオナが欲しいモノなんて、珍しいな。何だ?」
「はい、家が欲しいです」
それは、道すがら話すような、軽い相談じゃないよな、フィオナ。思った以上にデカい買い物の話を切り出されて、俺はこの日、眠るまで頭を悩ませることになるのだった。
何故だろう。スパーダに帰ってから、まるで心が休まらない……
翌日。清水の月7日。今朝もやはり、リリィは帰って来ていない。
だが、とりあえずサリエルの身元はスパーダ政府によって保証されたことで、当面の心配事は解決された。今日の目覚めは、昨日よりも少しばかり爽やかであった。
「おはようございます、マスター」
朝の支度を整えてラウンジに出ると、修道服にエプロン姿のサリエルが出迎えてくれる。手には大きな丸いお盆を持ち、その上では熱々のスープとトーストが濛々と湯気を上げていた。
「おはようございます、クロノさん」
「おはよう、フィオナ、サリエル。もう起きていたのか」
「ええ、出かける予定でしたので」
そう答えながらお茶を嗜む姿は、深窓のご令嬢といってもおかしくないほど優雅。ドンブリみたいなデカいスープの器と、何枚重ねだよってほどのトーストが盛られた皿をサリエルに持ってこさせているのも、それはそれで様になっているのだから美形ってのは凄い。
給仕に「ありがとう」の一言もなく、「まぁまぁですね」とか言ってるフィオナと、恭しくお辞儀をしてキッチンに戻って行くサリエルの姿は、もう何年もそうしてきたかのように自然に感じさせる。ただ俺だけが、この新しい朝の日常の一コマに、ひたすら違和感を覚えているのみにすぎない。
「その内、慣れるもんなのかな……」
サリエルは奴隷という立場であるからして、その扱いは日常生活においては家事全般を任されるメイドのようなものにしよう、と昨日、寮に帰って来てからフィオナとの間で取り決められた。
これまで三ヶ月ほどの間、サリエルとは普通に生活を送っていた俺からすると、メイド扱いなのは酷く戸惑いを覚えるものであるが……立場と状況を考えると、これが最善なのかとも思う。とりあえず、サリエルにも家事という日々の仕事ができて手持無沙汰ってこともないだろうし。
「マスター、朝食は」
「ああ、俺は……スープだけでいい」
そういえば、サリエルの手料理を食べるのって初めてだな。お味の方はどうなんだ、とちょっと不安になるが、フィオナが特にケチをつけず黙々と食べているところをみると、それなりに美味しくはあるのだろう。
「フィオナは今日、どうするんだ?」
「まだ入用の物は色々とあるので、買い物にいきましょう。それと、良い物件も探さなければいけませんから」
それはアレか、俺も一緒に行く前提の予定だろうか。
「俺は、ちょっとだけでも授業に顔を出そうかと思ったんだけど」
「もう、ここを卒業しても良い頃合いではないでしょうか」
寂しいけれど、一理ある。俺も何だかんだでそこそこの授業には出たし、現代魔法と有名な流派の武技なども、そのイロハくらいは覚えたつもりだ。勿論、それらはあくまで知識でのことであり、俺が実際に使えるわけではない。
「そうかもな」
「ええ、次の戦いに備えるためには、これまでとはまた別の行動が必要だと思います。クロノさんの加護も、残すところあと二つ……今までよりも、優先して試練のモンスターを探すというのも手でしょう」
いっそスパーダを離れて、他の国でも探してみるのもいいだろう。
ひとまずは十字軍を撃退したので、明日明後日ですぐさま攻め込んでくるというほど以前のような逼迫した状況でもない。ある程度は猶予を見て、これまではできなかった、より時間をかけた準備計画も実行可能だ。
「家が欲しいのは、もっとしっかりした拠点がいるからか」
「ええ、まとまった時間がとれそうですから。私も魔女らしく工房の一つでも持って、ゆっくり魔法の研究をしたいのです」
なるほど、流石はフィオナ。ただ二人の愛の巣が欲しいから、なんていう浮ついた理由だけで言い出したわけじゃなかったのだな。
「それなら、ちょっと気合い入れて探すとするか――っと、ありがとなサリエル。いただきます」
そこで、静かにスープが差し出される。見た目としては、俺がスパーダに帰った当日に作ったベーコンと葉野菜のスープに似ている。具材も調味料もキッチンにあったものを利用した無難な感じ、といったところか。
「うん、普通に美味い」
「お口にあったようで、何よりです」
さして嬉しくもないようにお決まりな返事をくれるサリエル。味の方は、少なくとも俺が作るよりも美味しく感じるから、ひとまず、料理はお任せできそうで一安心だ。
「イチから料理を教える手間が省けたのは僥倖ですね」
フィオナは今日もサリエルに冷たい。できれば、俺が棘のある言い方に慣れるよりも、彼女の方が柔らかくなってほしいと切に願っている。
「サリエルは今日から、一人で街を歩かせようと思います」
「えっ、一緒に連れていくんじゃないのか?」
「恋人同士のデートにメイド連れなど、無粋もいいところですよ」
あ、今ちょっと不機嫌になった。
「そういう問題じゃないだろ。昨日の今日で、いきなり外出を許可するのはどうなんだ?」
「冒険者登録はすでに済ませたのですから、街中どころか、ダンジョンにだって行けますよ」
確かに、昨日、サリエルは無事に冒険者登録を終えている。ギルドの方からスパーダ軍に問い合わせてみても、問題ない、との許可がとれている。だから、サリエルの修道服の下には、きちんとアイアンプレートのギルドカードがぶら下がっているのだ。
「三十万クラン渡すので、それで必要な装備を整えてもらいます。あと、夕飯の材料も」
冒険者の装備と夕飯の買い出しを同時並行でやらせるとは、中々の難易度である。厳しい、やはりフィオナ、厳しいぞ。
「……まぁ、それもいいか。俺だって別に、サリエルを過保護にしたいワケじゃないからな」
「決まりですね。では、お茶のお代わりを」
「はい、フィオナ様」
鋼の具足なのに、全く足音を立てずにサリエルは再びキッチンへと引っ込んで行く。俺達の話を聞いてはいたから、とりあえず今の決定に文句はないのだろう。いや、サリエルの立場じゃ、どんな意見にもケチなどつけられるはずもないか。
「ところでクロノさん、今日はもう一つ、調べ物もしたいと思っていまして」
フィオナが調べ物、なんて言い出すとは珍しい。何か、と問えば、彼女は懐から一冊の本を取り出した。
サイズは小さめだが、そこそこの厚さがある。小ぶりの辞書のようだ。装丁はどこにでもありそうな、茶色い革製で特に目立ったところはない。
「何かの魔道書か?」
「聖書です」
その答えに一瞬、思考が凍る。
しかし、フィオナが聖書と呼んだ本をハラリとめくって見せたページには、ちょっと前まで毎日目を通して、見慣れてしまった文字の羅列を俺は見つけてしまった。
「創世記、第一章、光の天地創造……」
それから、ズラズラと目次に並ぶ大袈裟なタイトルの数々。そのどれもが、俺には見覚えのあるものだった。
そして、俺自身が所持するニコライ司祭の遺品である聖書は『影空間』の中に放り込んだまま。つまり、このスパーダという国にある十字教の聖書は、その一冊限りということ。
だが、存在しないはずの聖書が、ここにあった。
「この聖書は、昨日、鎧を襲撃した男が所持していたものです」
それとなく、近くにあった死体を調べたら見つかった、とのこと。さりげなく死体漁りを済ませているフィオナの盗賊スキルが気になるが、今はどうでもいい。
「アイツらは十字軍のスパイだってのか?」
「いいえ、十字軍の手の者であれば、あんな無意味で目立つ行動はしないでしょう」
聖書を持つ=十字教徒、といっても過言ではないが、確かに、スパイであればあの襲撃にこれといって意味は見いだせない。あの時の襲撃は、奴らの発言から察するに、どうも『呪い』という存在が自分達の教義に反する邪悪なものだから問答無用で排除しよう、という過激派テロのように見えた。
十字教徒でも呪いがついたモノを見れば、同じように破壊なり浄化なりしようとするだろうが、あれほど後先考えずに行うほどでもない。
「それなら……聖書そのものが、スパーダに出回っているということか」
「はい、それを確かめるのが、今日の調べ物ですよ」
思わぬところで、スパーダに忍び寄っていた白い影の存在に、俺は温かいスープを飲んでもうすら寒い感覚しか覚えなかった。
2015年12月11日
すでにご存じの方もいると思いますが、活動報告を更新しました。
とある感想で、あとがき、でも更新した旨を知らせて欲しい、とのご意見があったので、これからはこうしてお知らせしようかと思います。
私は基本的に、活動報告は自分の作品に関わる内容のみとしております。書籍についての情報、感想で多かった質問などの解答、本編の内容の蛇足的な説明、ヤンデレ理論、などなど。
これまで読んだ事ないわ、という方も、この機会に読んでいただければ幸いです。