第401話 デートのお誘い
冥暗の月5日。その日、スパーダ政府から隣国ダイダロスを征服した十字軍なる勢力と戦争状態に突入する、という重大発表がなされた。
十字軍とは何者だ、竜王ガーヴィナルはどうした、と国民の間では多少の混乱があったものの、そこは長年に渡って都市国家群の盾という役割を果たし続けたスパーダである。戦争には慣れている、とばかりに、戦時体制への移行は割とスムーズに進んでいった。
相手がダイダロスだろうが十字軍だろうが、侵略者には一歩たりともスパーダの領地を踏ませぬという絶対防御の意志で、スパーダの街は俄かに騒がしくなっていく。
それはこの、上層区画に立つスパーダ冒険者ギルド本部も同じ。
本日の朝より、冒険者に向けて緊急クエストが発令された。
緊急クエスト・スパーダ軍第四隊『グラディエイター』隊員募集
報酬・正騎士に準ずる給金。戦功による特別褒賞。
期限・未定
依頼主・第52代スパーダ国王・レオンハルト・トリスタン・スパーダ
依頼内容・勇気ある冒険者諸君の参加を望む。我らがスパーダに、栄光の勝利を。
そのクエスト依頼書は、以前にダイダロスがスパーダへ侵攻してきた際と、全く同じ文面である。
依頼内容には詳しい説明がされていないが、そのレオンハルト国王陛下直筆の文面を、理解できないスパーダ国民はいない。
まずは参加。詳しい説明は、グラディエイターが結成した時に騎士団から通達される。この戦時緊急クエストの勝手を、スパーダの冒険者はよく知っているが故に、混乱は起きない。
起きないが、混雑はするのだった。
「はい! 次の人どうぞーっ!」
つい先月、スパーダ冒険者ギルド本部へと栄転となった真のエリート受付嬢エリナは、詰めかける冒険者の行列を必死に捌いていた。
目が回るほどの忙しさだが、本部はランク5とランク4の高位冒険者のみの利用だから、これでもまだマシな方である。古巣の学園地区支部だったら、有象無象の低ランカーで溢れ返っているだろう。
「緊急クエ――」
「はい、緊急クエストの受注ですね! それではギルドカードをお願いします!」
にこやかな営業スマイルは絶やさないが、いつもより早めのペースを心がけて進めていく。
今、目の前で立つのが鉄仮面で素顔を隠した全身黒づくめの怪しい風貌の男であっても、特に気にせず業務をこなしていく。いつもならアレコレと勘繰るところだが、とりあえずギルドカードが偽造じゃなければ何でもいいや、という気持ちで作業に集中。
ギルドカードの情報読み込み専用端末である水晶球を操作しながら、確認。ランク4でクラスはサムライ。名前はルド――あとの情報は、特に記憶に留める必要はなかった。
「――はい、クエストの受注は完了いたしました。詳細については、二階会議室にて説明会を随時開催しておりますので、どうぞご利用ください。それでは、御武運をお祈りしております!」
はい次の人―、と流れ作業の如く、ランク4の仮面サムライとサヨナラして、行列の消化に努めるエリナ。
だがしかし、次の人が現れたその時、完璧だったペースが乱れた。
「久しぶり、エリナ。ちょっと前に、アスベルから帰ったよ」
逞しい肉体を包み込む悪魔の黒コート。スパーダを震撼させた恐ろしげな容姿。だが、その中身は意外にも普通の青年であることを、エリナは知っている。
そんな、待ち焦がれた愛しの彼の姿が、そこにはあった。
「クロノ君っ!?」
どうしてここに――なんて間抜けなことを問おうとして、慌てて言葉を飲み込んだ。クロノはランク5冒険者で、前に受けたラストローズ討伐のクエストを終えたのなら、またこうしてギルドにやって来るのは当然の行動である。
というより、緊急クエストの発令された今なら、どんなグータラ冒険者でも、ギルドには顔を出すだろう。
「緊急クエストを受けたい。『エレメントマスター』のメンバー全員だ」
待ち焦がれた黒コートの彼は、いつにも増して冷たく鋭い声音で、三人分のギルドカードを提示した。
その真剣な様子に、エリナは受付嬢として仕事を果たすより他はなかった。ミスすることもなく、淡々と処理を終える。所要時間も、かなり短くすませた。
「はい、クエストの受注は完了いたしました」
「ありがとう」
どこか陰のある微笑みを浮かべるクロノに、エリナはただ目を奪われることしかできなかった。今日のクロノは、いつにも増してカッコいい。
あまりのトキメキに、そのエルフにしては大きく育ってくれた胸の奥にある心臓が、一つ鼓動を高鳴らせた。
「エリナ、忙しいかもしれないけど、良かったら俺と……」
え、なに、なんなの、ちょっと待って、この急展開は――と、クロノに見つめられながら内心パニくり始めるエリナ。だが、降り注ぐ真剣な赤黒二色の眼差しから、目を逸らすことができない。
これはもしかして、と期待が高鳴る。
ほんの僅かな沈黙。クロノは一度だけ悩むように目を閉じ、またすぐ開いてから、言葉の続きを口にした。
「デート、しないか」
「よろしくお願いしますっ!」
絶対に逃がさない、とばかりに飛び上がる勢いで席を立ったエリナは、クロノの手をがっしりと両手で掴んでいた。
素で驚いた、という表情のクロノを見て、後悔。 しまった、あまりの嬉しさにがっつきすぎた。
「そうか、ありがとう」
直後、歓喜。クロノの鋭い容貌に浮かぶ、あの温かく柔らかい笑みを見て、エリナは心の中で勝利の雄たけびをあげる。ふぉおおお! イエス! イエス! イエス!! 見た目はエルフ、心は発情期の獣人種であった。
「い、今からで、いいの?」
興奮のあまり、エリート受付嬢の自分がどもった上に、声が上ずる。恥ずかしい、と省みる余裕さえ、今の自分にはなかった。
「なるべく早い方が助かるけど、今からって、大丈夫なのか?」
「大丈夫! 全然、余裕で大丈夫だから!」
あまりに必死な対応である。これではもう、自分に憧れて顔を真っ赤にしながらクエストを受けにくるいたいけな男子学生冒険者を笑えない。
「そ、そうか……それじゃあ、待ってるから」
「うん! すぐに行くから待っててねクロノ君! 絶対、待っててね!」
幼児退行でもしたか、というほど幼稚な台詞しか出てこなかったエリナだが、その後の行動は素早かった。
クロノが去ると同時に『本日の受付は終了いたしました』の札を掲げて、「えーマジかよ、俺の番だったのにヒデぇ!」と言いたげな次の順番の冒険者を置き去りに、即効で奥へと引っ込んだ。
そして、上司であるギルドマスターの執務室の扉を蹴破る勢いで飛び込みむと同時に言い放つ。
「今から黒き悪夢の狂戦士を攻略してきます!」
あまりに唐突で不躾な受付嬢の態度に、初老のギルドマスターは厳しい表情で答えた。
「うむ、エリナ君、健闘を祈る!」
そうして、早退届けが受理されると同時に、モルジュラエキス配合の怪しいポーションを進呈された、エリナであった。
リリィとフィオナがスパーダへ帰り着いたのは、クロノに遅れること三日、冥暗の月4日のことであった。
スパーダで先に待つクロノが取り乱しているのではないかと不安ではあったが、いざ寮に戻ってみれば、淡々と戦準備を済ませつつあるクロノが、静かに迎えてくれた。どうやら、ウィルハルト王子が上手く説明なり説得なりをしてくれたようだ。
実際、クロノから事情を聞いてみれば、やはり今日明日中にでも十字軍が雪崩れ込んでくる、というほど切羽詰まった状況ではないというのが明らかになった。
アルザスの時とは違って余裕がある、と一安心するのは二人も同じ。
十字軍が要塞まで風雪に閉ざされた道を切り開くまでの時間を鑑みれば、武器のメンテナンスやアイテム類の補充といった戦準備を含めても、まだ、ほんの少しだけ時間的余裕が残された。
だからこそ、クロノは落ち着いていられたし、また、リリィもこんな提案をすることができた。
「――ねぇクロノ、知り合いに挨拶をしていくなら、今の内よ」
それは決して、リリィの嫌味ではない。クロノは友達が少ない。ついでに、知り合いも少ない。だが、ゼロではないのだ。
王立スパーダ神学校に通って、もうかれこれ三か月以上は経っている。出席する授業の教師をはじめ、よく利用する食堂や購買など、顔なじみと呼べる者は少なからず存在する。盗賊討伐の折に知己を得た騎士候補生のエディとシェンナのような者もいる。
「……そうだな」
リリィの提案を聞いたクロノは、少しだけ憂いを帯びた表情で頷いた。
アルザス戦もイスキア戦も、どちらも激しい死闘であったが、その始まりはあまりに唐突で、余計なことを考える暇はなかった。無論、死の覚悟だって、常にしていた。
だがしかし、これから戦争に赴こう、とはっきり認識する今の状況に置いては、自然と感傷的な気持ちになる。焦燥感を露わにしない静かな様子のクロノを見て、リリィはそういう感情を察することができただろう。テレパシーなどなくとも、それくらい理解できる。
故に、気持ちの整理と、純粋に礼儀として、お世話になった人々へのあいさつ回りというのは理に叶った行為であろう。
それは、二人のやり取りを黙って見ていたフィオナとしても、まぁ、今のクロノには必要なことだろうと納得していた――
「エリナ、忙しいかもしれないけど、良かったら俺と……デート、しないか」
と、クロノが麗しの受付嬢に向かって言い放つ、今、この時までは。
「حرق أعدائنا ، سحقت ، ميتز، ضربة قاسية الحارقة(我が敵を焼き、砕き、滅す、灼熱の鉄槌と成せ)――火炎ブレ――」
「ちょっと、待ちなさいよフィオナ」
詠唱と共に、肩から下げたディメンションポーチから『スピットファイア』を侍クラスが如き華麗な動作で抜刀しかけたフィオナを、リリィが体を張って止めた。
クロノプレゼンツの超高級白ワンピの私服フィオナに、横から抱き着く体勢の幼女リリィという図は、今から美人受付嬢を爆殺しにいく剣呑な雰囲気を感じさせない和やかなものに見えたらしく、幸いにも周囲の誰かが騒ぎ出すこともなかった。
「リリィさん、今クロノさんが何と言ったか、聞こえなかったんですか?」
ポーチに右手を突っ込んだまま、どんより濁った黄金の瞳で見下ろすフィオナ。アヴァロン貧民街の路地裏で、馬鹿なガキの顔面を杖でかき回してやった時と同じ目つきである。
「勿論、聞こえたに決まってるでしょ」
「だったら――」
「フィオナ、貴女もしかして、クロノのこと信用してないんじゃない?」
見下ろされているはずのリリィ。だが、見つめ返す翡翠の瞳は、取り乱す魔女の姿を見下していた。
「ど、どういう……意味、ですか……」
「ふふ、ごめんなさい。テレパシーのない貴女に言うにはイジワルだったわね」
すでに拘束する必要はないとばかりに、リリィは華麗なステップを一つ踏んで、フィオナの体から離れた。身に着けたいつものエンシェントビロードのワンピースの裾が、ふわりと舞い上がる。
「クロノを信じなさいってこと。貴女が心配するようなことは、何も起こらないわ」
あまりに自信に満ち溢れたリリィの言葉を前に、理性を失いかけたフィオナも、思わず目を白黒させて困惑する。
「で、でもですね……クロノさんが他の女性と……」
デートなんて、と口にするのも憚られるのか、フィオナは言い淀む。
そんな彼女の姿を、いっそ慈愛すら感じさせる優しい眼差しで見つめながら、リリィは言った。
「そんなに心配なら、こっそり後をつければいいじゃない」
「なるほど、了解です」
ストーキング行為をさも最良の選択であるかのように、フィオナはすんなりと受け入れた。いざという時は、実力行使で止めに入れると思えば、心にも余裕が生まれる。やはり、最善策。
「ただし、あの女が必要以上にクロノに触れない限り、手出ししちゃダメよ。下手に介入すると、余計な面倒事が起きるから」
と、釘をしっかり刺してから、リリィはもう一度素敵な笑顔を浮かべる。
「ともかく、クロノを信じて、二人の行く末を黙って見ていなさい。安心して、全て上手くいくから」
幼くも可憐な容貌に浮かぶ笑みは、見る者をことごとく魅了するほど。だがしかし、フィオナは背筋にうすら寒さを覚える。
ああ、やっぱり、この女は底が知れないですね、と。
2013年11月1日
前話のあとがき、にも書きましたが、第400話において致命的な矛盾が発生する文章を修正しました。多くの方から指摘を受け、恥ずかしいやら悔しいやら・・・以後、よく気を付けます。