第399話 第四隊『グラディエイター』
スパーダへ帰り着いたのは、一年の最後の月である冥暗の月へと丁度移り変わった1日のことである。
不死馬のメリーが不眠不休で走り続けられるのをいいことに、俺ははやる心のままにアスベル・スパーダ間を全力疾走の連続完徹で駆け抜けた。お蔭で、行きは12日間かかった行程を、帰りは6日間と半分に短縮することができた。
俺達がアスベル山脈でラストローズの相手をしている間に、スパーダにも本格的な冬が到来したようだ。およそ三週間ぶりに戻ったスパーダの街並みは薄らと雪化粧が施されていた。帰り着いた今日この日も、夜の街へしんしんと粉雪が降り注いでいる。
街道も雪道になってさえいなければ、もう一日か半日は行程を短縮できたんだが……まぁ、そんなことにケチをつけても仕方がない。
ともかく、この超短縮行程は俺とメリーだからこそ可能な荒業であった。真っ当に休息を必要とするリリィとフィオナは置いてきぼりに……というより、二人が「先にスパーダへ行って」と俺の背中を押してくれたから、実行できたのだ。本当に、どこまでも気持ちを汲んでくれる二人には、頭が上がらない。
ともかく、今はついに起こってしまった究極の問題についてだ。
「送られた手紙は読んだ。それでも、早くより詳しい状況を知りたくてな……十字軍は今、どこまで来ている」
「まぁ待て、落ち着けクロノ、我が魂の盟友よ」
いつもの大げさな口調ながらも、真剣さの滲み出る表情でウィルが答えた。俺とウィルは今、寮のラウンジにて向かい合わせで席についている。
「まずは茶の一杯でも飲んだらどうだ。夜通しこの雪道を駆けてきたのだ、体も冷えているであろう」
ウィルの傍らには勿論、護衛メイドのセリアが控えている。そんな彼女から、つい先ほど、熱いお茶を出してもらった。飲むと落ち着く香りらしい。
果たして、その効果のお蔭か、俺は「何をそんな悠長なことを」と怒鳴ることはしなかった。
そうだ、まずは落ち着け。俺の言葉を信じてくれるウィルだからこそ、スパーダの誰よりも、十字軍の危機感については理解してくれているはずだ。
「……すまない、ウィル」
オススメのお茶を一口飲み、そう言葉に出してみれば、確かに少しだけ心の焦りが静まったように感じられた。
「なに、気にするな。これだけで本当に落ち着ける汝の心が、強いだけのことよ」
「いや……それに、こんな夜中にすぐ出てきてもらったしな」
「はっはっは、それこそ気にするには及ばぬぞ」
スパーダに帰り着いて早々、こうしてウィルと会って事情を聞ける状況に至っているのは、これも全て彼の準備のお蔭である。
俺がスパーダの正門を、イスキアへ救出に飛び出す時と同じくらいの勢いで通り抜けたその時、すでにセリアが待ち構えていたのだ。
俺の到着をどうやって知ったのか、どれだけの時間待っていたのか、どれも不明であるが、ともかく、こうしてすぐにセリアによって主であるウィルへ帰還の報が即座に届けられることとなった。ウィルは幹部候補生用の男子寮に住んでいるから、呼べばすぐに俺の寮へとやって来れる。同じ神学校の敷地内、徒歩五分もかからん。
それにしても、正門を潜って一時間もしない内に、こうして事情説明の準備が整うとは、ウィルの手際の良さに驚くことしきりである。イスキアの籠城を乗り切った手腕は、伊達ではないな。
「さて、まずは十字軍の襲来予想について話そうか」
俺は静かにうなずいて、その先を促した。
「実のところ、十字軍の本隊は未だアルザス砦より出てはおらぬのだ」
かといって、こんな手紙をよこした以上、空想でもなければ、早とちりでもないのだろう。それでは果たして、何を持って十字軍がスパーダへの侵攻に踏み切ったと断定したのか。
「除雪を始めたのだ。ダイダロスと我が国を繋ぐ唯一のルートである、ガラハド山脈の横断街道をな」
雪の降り積もる冬が到来したのは、スパーダだけでなく、十字軍が占領したダイダロスでも同じ。
地理的にはむしろ、ダイダロス側の方が積雪量は多いそうだ。日本海側と太平洋側で雪の量に違いが出る日本と同じ原理である。高いガラハド山脈が、雪雲を遮る壁となる。
「今の時期ならば、ちょうどガラハド要塞のあたりまで、すっかり雪に覆われているのだが、十字軍はそこをわざわざ道を切り開いている真っ最中なのだ」
何ともご苦労なことである。
聞けば、雪を操る固有魔法を持つドルトスの亜種を除雪車代わりに利用しているらしい。他にも、ドルトス亜種と同じく雪を直接操作できる氷魔術師や、炎と熱で雪を融かす炎魔術師なども投入されているのが確認されたという。流石に、兵士がスコップで雪かきするだけでは無理があるようだ。
ガラハド要塞には現在、スパーダでもトップクラスの召喚術士が駐留しており、鳥の使い魔を放って警戒・索敵を行っている。その使い魔が直接目視で除雪の様子を確認したのだから、誤報の可能性もないとウィルは語った。
「今のうちに、その除雪部隊を攻撃するわけにはいかないのか?」
「残念ながら、それは無理なのだ。理由は二つ」
一つは、単純に攻めるスパーダ側もまた、雪で道が閉ざされていること。
向こう側がえっちらおっちら雪をかき分けて進んできているのだ、こっちだって同じように除雪しなければ進軍は不可能である。ちょっと考えれば、すぐに無理だと分かることだった。
「二つ目は、外交的な理由である。スパーダがダイダロス領へ先制攻撃することを、アヴァロンをはじめとした同盟国がよしとせぬのだ」
スパーダはパンドラ大陸中部にひしめく都市国家内の一つである、というのはイルズ村で冒険者やってた頃から知っている情報だ。そして、この都市国家群は互いに同盟関係を結ぶことで、長らく平和の時を保ってきたということも。
かつてダイダロスを支配した竜王ガーヴィナルは、大陸統一の野心を堂々と掲げてくれたお蔭で、都市国家群にとって何とも分かりやすい共通の敵となってくれた。ほどよく外敵がいてくれた方が、内もまとまりやすい。
だが、ガーヴィナルが倒れ、正体不明の十字軍を名乗る勢力がダイダロス領を征服したことで、都市国家間でもその対応について意見の食い違い、見解の相違が起こっているようだ。
「俺から言わせれば、悠長に対策を議論してられるほど甘い敵じゃあないんだが」
「残念ながら、実際に矛を合わせねば、その実力も危機感も認識せぬだろう」
ぶっちゃけ、アヴァロンが平和ボケしているのが原因だ、とウィルは言うが……なんにせよ、今ここで危機感の薄い同盟国の姿勢を非難しても仕方がない。
「それじゃあ、このまま大人しく攻めてくるのを待つだけか」
「なぁに、そう悪い対応ではなかろう。難攻不落のガラハド要塞へ、向こうからわざわざ仕掛けてきてくれるというのだからな」
こちらの最も防備の硬いところへ来てくれる、というのは防衛する上で重要なアドバンテージである。敵が来てくれなければ、どんな堅固な要塞も無用の長物。
そういう意味で、スパーダのガラハド要塞は防衛するにあたって最高の立地である。ここを通らねばスパーダへは侵入できない。あとは北か南へ遥か大陸を大回りして来るか、空を飛んでくるしか、ダイダロス側からスパーダへ至るルートは存在しない。
「まぁ、確かにな……」
焦る自分の心を、なんとか言い聞かせて納得に努める。アルザスの時よりはマシな状況だろう、と。
「十字軍が要塞まで辿り着くのに、あとどれくらいかかる?」
「そうさな、このままのペースで行けば、一ヶ月はかかる。どんなに早くとも、二週間はかかるであろう」
十字軍がスパーダへ攻め込むにあたって、奴らはアルザスの占領部隊とは桁違いの規模を誇る大軍団でやって来るだろう。
当たり前の話だが、動く人数が増えれば、その分だけ進軍速度は落ちる。一万、十万なんて人数になれば、もう移動するだけで一大事業だ。避難民を逃した時は、最低でも一週間は時間稼ぎが必要という予定だった。その数はおよそ一万人、十字軍は確実にこれを上回る人数を擁しているだろう。
おまけに、今は雪で道が閉ざされているという状況。子供や老人、病人のいない軍隊が進むとはいえ、これほどの悪条件が重なれば、やはり二週間以上かかるのは当然の帰結か。
というか、もうアイツら雪崩にでも巻き込まれて勝手に全滅してくれねーかな……いや、希望的観測を持つのが最も危険だ。ここはもういっそ、新たな使徒のスーパーパワーで明日にでも十字軍本隊が要塞に到着、というくらいの心構えでいるべきだろう。
いや、まさか、いくら使徒でもそんな真似はできないよな……?
「なぁウィル、要塞で攻城戦が始まった時、ここ(スパーダ)の守りはどうなる?」
軍隊ごと転移、というのはいくらなんでも不可能だろうと思えるが、使徒本人だけ、あるいは極少人数だけならワープやテレポートなんていった能力が行使できる可能性は十分にある。
つまりは、第十一使徒ミサがいつの間にか俺達の背後に現れていた、というあの状況を懸念しているのだ。そもそも、ミサがどうやってあの場に現れていたかというのも、思えば全く不明なのである。アイツが本当にテレポートしてきた可能性はゼロじゃあないのだ。
「無論、最低限の防備にはなるが……事前に街中には敵が潜伏していて、ということも戦争であれば起こりうる。多少の騒ぎが起こったところで、容易に鎮圧できる程度の備えはある、心配は無用だ」
ああ、なるほど、使徒ではなくても、スパイとかテロリストのような存在をきちんと想定しているってことか。
いくらなんでも、こうして一つの国家として存続している以上、戦時における相応の対策ってのは心得ているのだろう。
「後顧の憂いや周辺国家の動向などといったものは、気にする必要はない。集中すべきなのは、ただ、目の前に迫る敵だけである」
結局は、その一点に戻ってくる。スパーダ軍は本当に、十字軍を撃退できるか否か。
いいや、例え無理だったとしても、勝たせるのだ。その為に、手に入れた加護だろう。
「それじゃあウィル、俺はどう戦うべきだ?」
「そう逸るなクロノよ」
表向きは諌める台詞だが、ウィルの顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「今すぐ、ガラハド要塞へ出向くべきではない。まずは戦の準備が、今の汝には必要であろう」
全くその通り。準備どころか、リリィとフィオナさえいないのだ。三人そろって『エレメントマスター』である、俺一人だったら、その戦力は三分の一以下。
「これはスパーダにおける今後の動きだが、近い内にスパーダ政府からは戦時体制移行の広報が、冒険者ギルドでは緊急クエストが発令される」
思えば、これまでスパーダではダイダロス滅亡や十字軍襲来の情報は全く流布されていなかった。
突如として出現した十字軍が、全くコンタクトのとれない未知の勢力である、というのが情報封鎖の主な原因だろう。そもそも、情報を公開しように、伝えるべきネタが皆無なのである。
しかし、こうして実際に軍を出すという行動に出た以上は、もう完全に敵性勢力と断定せざるをえない。もしかすれば、スパーダとしてもギリギリまで和平交渉の道を探っていたのかもしれないが、事ここに至っては、戦うより他はない。
「緊急クエストというと、スパーダの全ての冒険者を強制的に徴兵するってことか?」
「いや、戦時における徴兵目的の緊急クエストの場合は、通常よりも強制力は落ちる」
つまり、そこそこのキャンセル料を払えば、あっさりと断れるってことだ。
緊急クエストは、基本的に断ることのできない、冒険者の義務といった面が強いシステムである。だからこそ、断るには結構な額のキャンセル料を課される。
しかし、戦時だからこそ通常よりも厳しくすべきでは、と思うのは素人考えだ。
「冒険者には他国の出身者や流れ者が多い。国民でない以上、兵役を課す権利が政府にはないのでな、仕方あるまい」
冒険者の自由を守る、というほどじゃないが、要するに下手に徴兵すれば他国から非難される恐れがあるから、あまり強制させられないってことだ。それに冒険者ギルドだって、国を超えて絶対的に冒険者を従属させることのできる組織でもない。
もっとも、スパーダ人の冒険者ならば、この緊急クエストを断ったとしても、普通に国民として徴兵される可能性は残るが。
「まぁ、俺達は断るつもりはないからそれでいいが」
緊急クエストを受けるだけで参戦できる、というのは分かりやすくていい。いつもと同じ。ゴブリンを駆除するように、人の皮を被った悪魔どもを殺し尽くしてやればいいのだ。
「うむ、そうして緊急クエストを受けた冒険者は、臨時に創設されるスパーダ軍第四隊『グラディエイター』と呼ばれる部隊へ編入され、我が軍の指揮下へ入るのだ」
剣闘士の名を冠するのは、スパーダ建国期に剣闘士を中心とした部隊が編制され、大活躍したからだという。
以降、伝統文化として今も多数存在するプロ剣闘士は勿論、冒険者といった騎士団以外の戦力を、一つの傭兵部隊としてまとめるための制度となったらしい。
「クロノも表向きは『グラディエイター』に所属ということとなる」
「……表向き?」
「実際は、戦場にて単独行動を許される遊撃部隊として扱うよう、我が父レオンハルトに進言するつもりである。いいや、必ずや約束を取り付けると、ここに宣言しよう!」
固く握り拳を作って熱く叫ぶウィル。こういうのって、何というか……ありがた迷惑、って言うんだろうな。
「いや、俺達だけ特別扱いってのは、その……軍としてどうなんだ、というか、大丈夫なのか?」
「スパーダ騎士の指揮権を与えるというワケでもあるまいに、何をそんなに気にしておる。誰に邪魔だてされることなく、存分に戦場で暴れられるというだけのことよ」
そりゃまぁ、変な上官が出しゃばって意味不明な作戦命令に従事させられちゃ困るが。
だからといって、あんまり勝手な行動をすると、軍全体を危機に陥れたりってこともあるんじゃないだろうか。ほら、ウィルにも身近な例えがあるだろ。
「どの道、グラディエイターは遊撃任務が主となる。正規の騎士ではないが故、鋼の規律で縛り付けることはできぬ」
「城に籠っての防衛戦じゃ、勝手に門を開いて突撃するわけにもいかないんじゃないか?」
「だが、城壁を飛び下りて敵中に突っ込むのは禁止されておらんぞ」
俺ならそれが出来る、とか期待するようなキラキラした眼差しを向けるのは止めてくれ。むしろ、敵の攻撃に耐えて防御に徹する方が得意なんだが俺は。アルザスで砲撃喰らった時だって、大人しく黒化ギルドに引っ込んでいられたし。
「それに、汝の他にも、ランク5パーティにはそういった扱いが許されるところもある」
冒険者もランク5と極まってくると、普通とは違うぶっ飛んだ野郎も多くなるらしい。そういう奴らには下手に協調性を期待するよりも、自由に動いて敵を減らしてくれる方が効率良い、ということなんだろう。
「いや待て、俺達は一応、スパーダ軍の作戦に合わせるくらいの正気はあるからな」
「あるのか? 狂戦士クラスなのに?」
「あるに決まってんだろ!? っていうか俺の本当のクラスは黒魔法使いだ!」
「え? あれ? 黒き悪夢の狂戦士と自ら名乗ったのではなかったか?」
「名乗ってねーよ! ウィルが勝手に名付けたんだろ!?」
あれーそうだっけー? と本気で不思議そうな顔をするウィルに、一発ビンタでも張ってやりたい衝動に駆られる。
だがしかし、ウィルはイスキア古城であの天使なネルにビンタ喰らった上に、愛用の片眼鏡がぶっ飛んで紛失するという目にあっている。その不幸に免じて、ここは許しておいてやろう。
「ともかく、汝は何も遠慮する必要はないということだ。『エレメントマスター』の実力はすでに証明されておる、これもランク5冒険者として当然の権利として、受け取っておくがよい」
まぁ、軍として問題がないというのなら、俺としても気にする部分はない。これでありがた迷惑が、純粋に「ありがとう」となった。
「それじゃあ、俺達はグラディエイターとして召集されるまでの間に、戦準備をしっかり整えとけばいいってことだな」
ああ、準備する時間があるって、何て幸せなことなんだろう。
欲を言えば、加護の試練を全て達成するまで時間が欲しかったが。流石に、そこまで都合よく十字軍が待ってくれるとは、ハナから思っちゃいなかった。
七つの内の四つと、半分以上をクリアしただけ、上等な方だろう。
「時にクロノよ、此度の戦、汝には密かな策があると小耳にはさんだのだが――」
フォーメーション『逆十字』の情報を、リリィとフィオナが漏らすはずがない。となると……シモンか。
まぁ、ウィルになら話しても問題はないだろう。むしろ、この機会にこそ知っておいてもらった方が良い。
「ああ、それじゃあ聞かせてやる。これは使徒を殺すための、いいや、第七使徒サリエルを殺すためだけに編み出した作戦だ」
これが決まったのは、今から二ヶ月ほど前に遡る。
イスキアから帰還し、勲章を授かってランク5に上がり、加護の実験相手としてフィオナがリッチ討伐のクエストを受注した、その翌日、蒼月の月10日のことである――
2013年10月21日
大変申し訳ありませんが、次回から週1回金曜日のみの更新とさせていただきます。
これまで、何とか週2ペースを維持できていましたが、いよいよ残りのストックが心もとなくなってきましたので、ここでペースを落とさざるをえませんでした。
実は、書籍の第二巻の発売が決定しました。すでに、二巻の原稿は完成しているのですが、これを仕上げる一ヶ月半ほどの間は、全く連載版の原稿は手つかずとなったので、ストックを食いつぶすことになりました。一巻の時も同様に、同じだけの期間、連載版に手をかけられませんでしたが、あの時はまだ何とか週2ペースでも大丈夫な量がありましたが、流石に今回で限界を迎えることとなりました。
ついでに、あまり詳しい個人の事情を語るつもりはありませんが、私自身、一日中執筆に時間を割ける身分ではありませんので、これまで以上に執筆量を増やすことも難しいです。自分の生活の中で、書ける時間というのは限られていますが、それでも、せめて連載は週1回よりは落としたくないので、このペースで頑張りたいと思います。
それでは、これからも『黒の魔王』をよろしくお願いいたします。