第396話 その一報
凍土の月25日。昼過ぎには下山を完了し、アスベル村へと帰り着いたら、何やら妙に騒がしかった。
緊急クエストが発令されたような剣呑な雰囲気ではない、もっとこう、お祭りでも開催しているかのような、賑やかな様子である。
「まさか、俺達がラストローズを討伐したのを祝ってる……わけはないよな」
そもそも、まだ冒険者ギルドにクエスト成功の報告だってしてないのだ。村人が喜ぶ情報は流れていない。
それに、ラストローズはランク5モンスターであるが、自ら動かない以上、村そのものに被害は全くない。放っておこうが、討伐されようが、彼らには関わりのない存在だ。
「でも、モンスターの討伐を祝っているような雰囲気ではありますよね」
白い雪が屋根に厚く降り積もった木造の家や商店が立ち並ぶアスベル村のメインストリートを歩いていれば、フィオナの言うとおり、そんな感じは察せられる。
温かそうな毛皮のコートをまとった村人達は、口々に「これで安心だ」とか「こんなに早く終わるとは」などと、満足そうな笑みを浮かべながら語り合っていた。道行く子供たちは、モンスター役と冒険者役に分かれて、何やら討伐クエストごっこに興じているし。
「まぁ、ウイングロードだろうな」
「そういえば、アレも討伐クエストを受けていたというような話を聞いたような気がしますけど……何でしたっけ?」
何だったかな、と俺も思い出そうとしたその時、正解が目の前に示された。
村の中央広場へ到着し、そのすぐ正面に冒険者ギルドは建っている。イルズ村と同じような作りである。
その広場のど真ん中に、巨大なモンスターの死骸が、村人達に討伐を証明するように吊し上げられていたのだ。
「うわ、凄いデカい狼だな……」
「あーっ、リリィ知ってるよ、アレねー銀狼って言うんだよー!」
そうだ、そういえばネロは「フェンリル討伐」と言っていたな。
リリィが自慢げに説明しながら指差す先には、白銀の毛並みを持つ狼の巨躯が晒されている。高い木組みの台から、首と前足に太い縄をかけられ、バンザイするような恰好で吊るされている。
頭から尻まで、およそ五メートルといったところだろうか。尻尾は狐よりもフサフサと長大で、台の高さが足りずに半ばからは地面に垂れている。
これ見よがしに死骸を晒されているが、フェンリルの毛並みは死してなお艶やかで美しく、陽光を照り返す雪原のようにキラキラと輝いて見えた。
「銀狼はシンクレアでも有名なモンスターですよ。大きさから見て、まだ成長途中のようですが、ランク5に届く強さはあるかと」
「詳しいな、戦ったことはあるのか?」
「いえ、見たことしかないですね。子供の頃に、先生が成体を相手に一人で戦っているのを、かまくらの中でオレンジを食べながら観戦していた思い出があります」
何だ、その大晦日に格闘番組を見ながらミカン食ってるみたいなくつろぎっぷりは。いやでも、フィオナの先生というのなら、それくらい余裕をもてる実力者なのも当然といったところか。
「それにしても、ウイングロードはかなり上手く倒したようだな」
フェンリルには血糊などの汚れはほとんど見当たらない。明確にそれと分かる傷痕は二か所だけ。
一つは、致命傷と思われる眉間。その大きさからいって、ネロが刀で突き刺したのだと推測できる。全くブレがない、鮮やかな手並みが窺える。
もう一つは、腹部に走った一筋の裂傷。こっちはカイが斬ったのだろう、剛力で一気に、といった感じだ。ネロとは対照的であるが、力強さを感じる強力な一撃だったに違いない。
「クロノさんだったら、四肢切断して首を落としてましたよね」
どんだけ残虐な殺し方だよ……と反論したいところだが、俺ならやっていただろう。
恐らく高い機動力を持つと思われるフェンリル、まずは動きを封じるために足を狙う。次に、確実にトドメを刺すために首を断つ。
「いや、今なら落とした頭を木端微塵に砕くとこまでやるわ」
首を落とした後に、反撃されたことが何度あったことか。サイードもグリードゴアも、大人しく死んではくれなかった。本当に、とんでもないヤツらだ。
「なるほど、クロノさんもいよいよ狂戦士として目覚めたということですか」
「待て、俺は今でもクラスは――」
黒魔法使いのつもりだ、と釈明しようとしたその時だった。
「あーっ! クロノくーん!」
と、聞き覚えのある甘く麗しい声音で俺の名を呼ばれた。
声の方を振り向き見れば、そこには勿論、ゆったりした白い法衣に身を包んだ白翼のヒーリングプリンセスが――
「むむーっ!」
「きゃん!?」
いつものように、リリィのフラッシュを喰らって怯んでいた。
「だ、大丈夫かネル?」
「……はい、大丈夫ですよ、クロノくん」
ちょっとよろめきながら苦しい笑顔のネルを前に、ガルルーと唸りを上げる勢いのリリィを抑えつける。
「クロノさん、早くギルドへ報告しに行きましょう」
袖をグイグイ引っ張って強く訴えかけるフィオナ。まるで、ネルの登場を全く無視するかのような急かしぶりである。
「お、おい、そんな急がなくても――」
「それではお姫様、サヨウナラ」
「そうですか、それじゃあ私も一緒にギルドへ行きますね。私も用があったので、ちょうどよかったです」
晴れやかな笑顔で言い放ったネルの返事を受けて、フィオナの動きが硬直した。俺の袖を引く力が止まる。
「……クロノさん、ギルドは後回しにして、先にご飯を食べに行きましょうか」
あっさりと意見を翻す、何の悪気もなく、いつもの無表情でしれっと。
だが、俺は見てしまった。フィオナの細い眉が一瞬、ピクリと歪んだことに。
これ、もしかしなくても、怒ってるよね。
「お食事にするのですか? それでは、オススメの美味しいお店を知っているので、案内しますよ」
フェンリル討伐の報酬もあるから奢ってもいい、と太っ腹なことを、やはりネルは天使の笑みで言い返した。
その笑顔の迫力を前に、ギルドに用があったんじゃないのか、と俺はツッコめない。
「ああ、そう、そうですか……」
そして、もう一度フィオナの顔へと視線を戻したその時、背筋が凍りついた。そこにあるのは、輝きを失った金色の双眸。
猫獣人の死体へ一心不乱に杖を振り下ろし続ける少女の姿が、脳裏によぎった。
「消え――」
「フィオナっ!」
咄嗟に口を抑えた。俺の手で、フィオナを。割と全力で。これ以上は、一言も言わせてはならない。
突然の暴挙に、フィオナはよほど驚きだったのか、黄金の目をパチパチさせながら「んーんー」と呻き声を漏らす。
これで正気に戻った、というより、意識の矛先を逸らしたというべきか。
「すまん、けど、ちょっと落ち着け」
小声で囁きかけながら、ネルには少々わざとらしすぎるほどに背中を向けて「今ちょっと取り込んでます」と無言のアピール。
フィオナの口をふさぐのに、キャッチしていたリリィをリリースしてしまったが、とりあえず今の空気を読んで大人しくしてくれている。今、問題なのはフィオナだと幼女なりに理解しているのだろう。
「クロノさんこそ、あの女に馴れ馴れしくさせすぎではないですか」
「近づきすぎるなってのは分かってる、けど、ここで酷い対応する方が危険だろう」
フィオナは「さっさと消え失せろって言ってんだよこのアマ」という旨の発言をしかけていたに違いない。
俺が止める間もなく売り言葉に買い言葉になってしまったが、いささか軽率にすぎると、パーティのリーダーとして指摘せざるを得ない。
ネルを警戒する最大の理由は、その身分なのだから。
「それに、ここはスパーダじゃなくてアヴァロンの領内だ。神学校じゃ見逃されても、ここじゃどんな不用意な一言でしょっ引かれるか分からない」
「それは……そうですけど……」
俺としては普通にネルとお喋りを楽しみたい気持ちはあるのだが、不用意な接触は避けるという方針になっている。だからこそ、フィオナもここまで過剰に反応しているに違いない。
しかしながら、こんな対応では本末転倒である。ネルを避けるのは危険回避の手段であって、目的そのものではないのだから。
そういう意味で、現代魔法の授業だけは特別に認めてもらっているにすぎない。王族に近づく危険性よりも、加護を使いこなす方がメリットしては大きいが故に。
「ここは俺に任せろ。リリィとフィオナは先にギルドへ行ってくれ。俺が一人で上手く話を切り上げて、この場でネルと別れる。それでどうだ?」
そんなワケで、俺はこんなネルという友人を半ば裏切るような提案をする羽目になる。
いざ口にすると、結構な罪悪感と自己嫌悪が……だがしかし、これが身分制度の弊害ってヤツなんだろうな。
そんな現代日本人ならではの葛藤など知らないフィオナは、むむむ、と考え込む素振り。悩んではいるが、これは脈ありだ。彼女も分かっているだろう、これが現状で最も穏便に事をすませる方法であると。
「制限時間は十分よ、クロノ。それ以上は待てない」
悩める魔女に代わって答えたのは、大人の考えを持つ妖精だった。つまり、意識だけを戻したリリィである。
「十分か……もう少し長くてもいいんじゃないのか?」
少しくらいネルとお喋りしたってバチはあたらないと思うのだが。
「ウイングロードのメンバーを足止めするなら、十分が限界よ」
「オーケー、分かった、何としても十分以内に切り上げる」
危ない、完全にウイングロード、ひいては過保護気味なお兄様の存在を失念していた。
これで俺とネルのツーショットを見られたら、今度は何と言ってイチャモンつけられるか分かったもんじゃない。
だからこそ、もしこの場にネロ含むメンバーが接近した場合、適当に声をかけて時間稼ぎをするという保険をリリィはかけてくれたのだ。
流石は大人なリリィ、完璧なフォローである。
「じゃあ、またすぐ後で――クロノっ! リリィ、先にギルド行ってるね!」
そして、完璧に無邪気な幼女演技を見せて、フィオナを引っ張ってこの場の離脱を計るリリィ。
それにしても、恐ろしいまでの切り替わりようである……本当にリリィ、いつもの幼女モードは演技じゃないよな?
「あ、ちょっとリリィさん……」
まだ納得できずに渋々、といった様子だが、魔女ローブの裾を無邪気な笑顔で掴むリリィに引きずられるようにフィオナも歩き出す。
そうして、三回くらいこっちをチラチラと振り返りながらも、二人は雪の積もったアスベル村冒険者ギルドへと消えていった。
やれやれ、ネルと話をするだけでひと騒動である。
「ごめんなネル、フィオナもまだちょっと、何というか……警戒してるみたいなんだ」
「いえ、私は全然、気にしてないので、クロノくんがあやまらないでください」
やはり笑顔で返してくれるネルは、マジで天使である。
一応、こっちの話は小声だったから聞こえてはいないはずだが、実は全部知った上でも尚、笑って受け入れてくれるんじゃないかと思えるほどに眩しく感じる。
「冒険者の中には、王族や貴族というだけで毛嫌いするような方もいますし、よくあることですから」
少なくとも「よくあること」と簡単に割り切れるほどには、慣れているのだろう。何というか、お姫さまってのも大変なんだな……
「そんなことよりも、久しぶりにクロノくんと二人になれて、私……その、ちょっと、嬉しい……です」
ネルの白い頬にさっと朱が差す。モジモジと実に恥ずかしそうな様子。
そのあからさまに恋する乙女みたいな反応と台詞に、一瞬ドキっとするが――大丈夫だ、俺は変に誤解せず、きちんとネルの気持ちが分かる男だぜ。
「最近はずっとリリィが一緒だったし、ネルには気を遣わせてしまったよな」
そう、これは仲の良い友人はいるが、そいつの別に仲良くもない友人も同じ場にいて、ちょっと気まずい、みたいな雰囲気のことである。友達の友達は、友達じゃないだろう。
俺も高校の頃には、よく経験したものだ。
友人の雑賀は、俺と違って広く交友関係を持つタイプだったから、教室外で話すと大抵、他のクラスの友人や知り合いも寄ってくる。他には文芸部でも、仲の良い部員と話してる時に、ソイツが白崎さんに話題をふって話の輪に入れた時とか。白崎さんも白崎さんで、俺が怖いなら無理して付き合わなくてもよかったのに……と、罪悪感を抱きつつもぎこちない会話をした思い出が。
ふと、こんなことを思い出すのも、ラストローズの夢のせいだろうか。
ともかく、俺には今のネルの立場で感じるだろう、この微妙な心境というのがよく分かるのである。確かに、この気持ちは嬉しくもあり、恥ずかしくもある。
「いえ、そんな……」
俺の理解のある言葉に、嬉しそうにさらにモジモジし始めるネル。友人の気持ちをきちんと分かってやれるって、大切なことだな。
さて、それじゃあこの微妙な気持ちを追求するのは止めて、さっさと話題の転換を図るべきである、友として。
「なぁネル、フェンリル討伐はどうだった?」
思えば、冒険者という同業者の友人とクエストの話、なんていうのは初めてである。シモンは研究職メインだし、ウィルは王子様。どちらもクエストの経験こそあるが、生粋の冒険者ではない。
この大都市スパーダにおいて、一人たりとも交流のある冒険者が俺にはいないのだ。そう考えると……うわ、俺ってマジで友達どころか、知り合いも少ない……
「そうですね、強力なモンスターでしたけど、準備も対策もしっかりできていたので、特に苦戦することもなかったですよ」
こっちは準備も対策もしっかりしたつもりだったけど、あっさりと絶体絶命のピンチに陥りましたよっと。とてもじゃないが、恥ずかしくて言えない。
自慢するでもなんでもなく、至極当然の結果でしたと言わんばかりのネルを前に、俺は「なるほど、流石だな」とか適当な相槌を打ちながら、ポーカーフェイスを維持するので精一杯である。
「それにしても、村は随分と盛り上がってるみたいだけど」
「このフェンリル討伐は、もう少しで緊急クエストになるところだったんですよ」
緊急クエスト、という単語に一瞬ドキリとする。
だが、直後に続くネルの淡々とした説明を聞きながら、すぐに落ち着きを取り戻す。フェンリル討伐は、イスキア救出やアルザス防衛のように、あまりに例外的かつ緊急性の高いものではなかったからだ。
話としては、本来はアスベル山脈の奥地から出てこないはずのフェンリルが、何故か人里近くの麓に姿を現し、散発的な襲撃を繰り返すようになったということらしい。
フェンリルはこのアスベル村は勿論、首都アヴァロン方面へ続く南の街道と隣国ウインダムへ至る北の街道、二つのルート上でも姿を現したのだという。移動中の旅人や商人の荷馬車が襲われる、という定番の被害である。
この異世界ではよくある、とはいっても、実際に襲われれば堪ったものではない。これがスライムやゴブリンの群れが、というなら適当な冒険者に依頼すれば即日解決だったろう。しかし、暴れるのがアスベル山脈で二番目に強いランク5モンスター銀狼とくれば、そう簡単にはいかない。
そこで、噂に名高いウイングロードが討伐に名乗りをあげてくれたとなれば、そりゃあ村人の期待も高まるってなもんだろう。そして、彼らは見事に応えたというわけだ。
「全く、凄い活躍ぶりだ、敵わないよ」
「いえ、運が良かっただけですよ」
単なる謙遜という以上に、純粋に恵まれた戦闘条件でもあったのだ。
真っ当に銀狼を討伐しようと思ったら、その生息域であるアスベル山脈の奥地まで赴かなければならない。ラストローズのいた洞窟なんかは、山脈の序盤も序盤である。あの山を越え、さらにもう三つか四つの山を越えた先に、アスベル山脈の中央部にして最奥、ランク5の超危険地帯が広がっているのだ。
正直、モンスターがいなくても、そこへ行って帰って来るだけで命がけとなる、遠く険しい雪山行軍になるだろう。
「村の近くまで下りてこなければ、このクエストを受けることはありませんでした。私達でも、アスベルの最奥を踏破することはできないので」
敬愛する兄貴と、頼れるパーティメンバーを誇っているネルでも、そう断言するだけの理由が、アスベル山脈にはあるのだ。そう、ただ険しいという以上に、もっと、決定的な理由が。
「流石にウイングロードも『凍結領域』には敵わないか」
アスベル山脈では、加護の効果が消失する地域が存在するのだ。その場所が『凍結領域』と呼ばれる、正しく、加護が凍結される領域。
ランク5冒険者なら、持っていて当たり前となる強力な加護の力を、その場所に限ってはほとんど発揮できない。加護が強ければ強いほど、より大きな弱体化の影響が及ぶ。
「はい、私達のメンバーには、氷属性に親和性の高い加護を授かっている方はいませんので」
『凍結領域』で唯一の例外となるのは、この氷属性系統の能力を授かる者だけである。消失を免れるだけでなく、むしろ、強化されるといってもよい。
これは『凍結領域』によって加護が制限されるというより、その場所があまりに氷の原色魔力が濃すぎるが故に、その他の属性が大いに阻害される、魔法的な自然現象の一環と解釈すべきである。
場所によって漂う原色魔力の違い、濃さ、というのは、俺も今までの冒険者歴で何度も経験している。別に冒険者でなくとも、少しでも魔力の素養があって、その気配を感じ取れる者なら、普通に生活している中で気づける感覚だ。
海には水の、火山には火の、そして雪山には氷の原色魔力が濃くなる。俺の経験で例えるならば『復活の地下墳墓』なんかが、暗く淀んだ濃い闇の原色魔力を感じ取れた。
そういう場所では、行使する魔法の効果や威力が変化したり、また、術者の体調にも影響したりするものだ。勿論、加護の能力も変化したりする。妙に調子が良かったり悪かったり。冒険者の、というより、パンドラにおける世間一般の常識レベルの話である。
勿論、そのダンジョンがどんな魔力で満ちているのかいないのか、というのは、重要な情報の一つであり、ギルドで調べれば一発で分かるくらい基礎的なものでもある。
異世界において、よく知られた魔法の自然現象・法則であるのだが、加護にまで影響を及ぼすほど大きくなると、この『凍結領域』のように、特別な呼び名がついたりするのだ。
特に、加護消失という特性は極めて重大な影響であるため、ソレが確認された場所はほとんど例外なくランク5のダンジョン指定がされる。
消失と同時に、効果の発揮が許される属性・系統の非常に強力な能力を持つモンスターも存在するというのも危険度が高い大きな理由の一つ。むしろ、モンスター自身が加護でも使っているんじゃないか、という説も魔術士学会の中ではあるらしい。
その論理がさらに発展して、加護消失系の効果が出るのは、その地に縁のある神々が、自らに関わりのあるモノ以外の加護の発現を許さないからだ、というのもある。
事実、明確に出身地や伝説となった土地が知られている場合、その場所では特に大きな加護の効果が得られる。これは妖精の森の光の泉において、リリィがそこでのみ元の姿に自然に戻れる、というのが俺にとっては最も身近な例だ。
なので、あながち非現実的な暴論というワケでもないのだが……まぁ、加護消失が果たして自然現象の延長にあるのか、神の意志が介入しているのか、どちらであっても、そういう現象が発生するという現実に何ら変わりはない。
そして、今の俺にとっては、その事実があるだけで良いのだ。つまり、俺の持つ加護が強まる場所も存在するということ。翻って、あの白き神の加護が弱まる場所もまた、存在するかもしれないということなのだから。
「私達も、きちんと身の丈にあったクエストを選んでいるんですよ。ランク5だと讃えられても、やっていることは普通の冒険者とそう変わりはないですから」
朗らかに微笑むネルの顔には、過信や慢心といった色は全く見られない。どこまでも謙虚な姿勢でいられるネルは一体、どんな教育を受けてきたのかと今更ながら気になったりする。少なくとも、アヴァロンのお姫様育成方法はずば抜けていることは間違いない。
「それでも、こうしてスマートにクエストをこなしているんだから、凄いもんだよ。俺達だったら、ここまで綺麗にはいかないと思う」
「いえ、そんな……もしクロノくんが同じクエストを受けていたら、もっと上手くクリアしたと思いますよ」
それは、いくらなんでも買いかぶりすぎってものだ。俺ならフェンリルを四肢切断の上に頭部完全破壊を決めている。今ここで吊るされてるように、綺麗な殺し方はできない。
と、そこまでは口にしないが「いや、そんなことないよ」と曖昧に否定の返事。これで心からの謙遜で言えたのなら、多少はカッコいいのだが。
「クロノくん、このフェンリルが暴れた原因が何だったか、分かりますか?」
「ん、そうだな……寄生されたとか?」
真っ先に思いついたのは、それしかなかった。というか、これ以外は浮かんでこない。
そんな抜群のインパクトを残してくれた怠惰なアイツは、今や俺の武器パーツとして働く毎日である。働いたら負け、ではなく、負けたから働いているのだ。
「うふふ、違いますね、ちょっと惜しいですけど」
全く的外れで笑われたか、と思ったが、まさか「惜しい」とくるとは。
操られている、という点は正しかったのだろうか。だとすれば、邪悪な魔術師がフェンリルを意のままに操って村を襲わせる――って、ソレはないか。これが正解だったら、もっと大事になっているだろう。
「じゃあ、正解は?」
「呪いの武器です」
聞けば、ネル達がフェンリルと遭遇した時、本来なら白銀に煌めくはずの毛並みが黒ずんでおり、その身からはドス黒いオーラが噴き出していたという。
邪悪な念にとり憑かれているとは、治癒術士のネルでなくとも、一目瞭然だ。
「倒した後に、お腹の中から一本の剣が出てきました。とても綺麗な装飾が施された見事なレイピアなんですけど、これが、とても強力な呪いの武器でした」
恐らく、俺のような呪いの武器使いが、そのカースドレイピアを引っ提げてフェンリルに挑んだのだろう。そして、あえなく敗れて餌となる。
だが、体内に取り込んでしまった『呪い』に、フェンリルは負けてしまったようだ。
「なるほど、何ともはた迷惑な……」
呪いの武器が忌避される実例を目の当たりにしたものだ。俺としては頼れる存在であるのだが、こういう話を聞くと、改めて危険性を再認識させられる。
「ですから、呪いの武器を完璧に制御できるクロノくんだったら、もっと上手く倒せたんじゃないかなって」
「まぁ、制御はできるけど、解呪できるってワケでもないからな」
俺のことだし、実際に戦ったら何だかんだで大いに苦戦しそうである。もっとも、リリィとフィオナがいれば負ける気はしないが。正面から戦えば、エレメントマスターは負けないんだからねっ!
「あ、良かったらクロノくん、そのレイピアを差し上げましょうか?」
「え、いいのか?」
いや、よくないだろう。
呪いの武器とはいえ、売れば幾らかにはなる、というか、モルドレッド商会に持っていけば、結構な値段で買い取ってくれるに違いない。どうせ来年の『呪物剣闘大会』で「あのフェンリルを狂わせ、アスベルを恐怖のどん底に陥れた呪われし云々」と派手に宣伝しながら使うのだろう。
「勿論ですよ、ウチには使いこなせる人はいませんし」
果たしてそうだろうか、サフィールあたりは使えそうな気もするけどな。僕じゃなくて、普通に本人が。
ともかく、そうでないとしても、間違いなく金になる戦利品を、冒険者としては簡単に受け取るわけにはいない気がする。
「いや、流石に遠慮するよ。そういえば、ネルには貰ってばかりだし、今回はむしろ俺の方が何か返すべきじゃないかと思うんだ」
俺の方だって、ラストローズ討伐の報酬が入るしな。とアピールもしておく。
オマケとして、あの洞窟で命を落とした冒険者達の装備品だってある。回収は後々、ギルドにそこそこの費用を払って代行してもらうことになるが。それでも、結構な追加報酬だ。
潤いまくった俺の財布に、プレゼント代をケチるという文字は存在しない。
「えっ! そ、そんな、クロノくんの方からプレゼントなんて……私……」
台詞だけで読めば「迷惑だからいらんわ」という風に見えるが、これを赤く染まった頬に両手のひらを当てて「キャー!」みたいにしているリアクションとセットであるならば、いくらなんでも喜んでいる、と断定できる。
ついでにトレードマークたる背中の羽もバサバサと激しく稼働し、そのまま飛んでくんじゃないかってほどだ。
お姫様のネルならば、プレゼントを貰うという行為そのものは数えきれないほど経験あるだろうが、これが真にプライベートで友人から、というシチュエーションでは初めてなんじゃないだろうか。
普通に憧れるお姫様、とはベタな設定だが……いざ目の前でこんな反応されると、何ともグっとくる。
「それじゃあ、スパーダに帰ったら何か探して――」
と、ネルに甘いことを言ったのが悪かったのだろうか。
「――クロノっ!」
「うおっ、リリィ!?」
突如として、背後から鋭く俺の名を呼ぶリリィの声を浴びた。お姫様への対応を誤ったか、と戦々恐々としつつも振り返り見れば――
「どうした、リリィ」
姿が少女に戻っている。
白プンローブのまま体が大きくなるのだから、丈が膝上まで上がって白い生足が露わとなってちょっとセクシーだが、そんなことよりも気にするべきなのは、リリィの顔だ。
その表情は真剣そのもの。リリィとはこの異世界で最も長い付き合いだ、一目見れば、分かる。リリィが今、どれだけ本気なのかと。
俺も表情を引き締め、ネルへの対応も忘れて、ただ、リリィの言葉に集中する。
「ギルドに、クロノ宛ての手紙が届いていたわ。差出人は、レオンハルト国王陛下」
リリィが手渡してくれた白い封筒には、王冠に二本の剣が交差するスパーダ国旗の紋章が赤い封蝋で押されていた。
これのスタンプバージョンは、『大闘技場』の医務室で見た。そう、ウィルが発した緊急クエスト依頼書。
封がされたままということは、リリィもまだ明けて中身を確認してはいない。だが、そこには如何なる情報が秘められているか、すでに察しているようである。
それは、俺も同じだ。封蝋を開ける手が、少し震えた。
中に入っているのは、一枚の手紙。その白い紙面に踊る文字を目で追う毎に、俺の顔から冷や汗が噴き出るのが、いやにはっきりと感じた。
「……何て、書かれてあるの?」
落ち着いた声音で、リリィが問う。
俺も同じように、冷静に答えた。心臓が、痛いほどに脈打っているが、それでも、端的にその内容を、伝えた。
「――十字軍が、動いた」
第20章はこれで完結です。
さて、いよいよ二年ぶりくらいに十字軍が動き始めてくれたようです。惨敗を喫したアルザスの戦いより、クロノが再び十字軍に挑む!
それでは、次章もお楽しみに。