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黒の魔王  作者: 菱影代理
第20章:色欲の世界
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第392話 罠を食い破る牙

「――ぐはっ!?」

 鋭い痛みが体を駆け抜け、俺の意識は一気に覚醒した。

 薄暗い洞窟。寒い――そう、ここは、アスベル山脈にある、ラストローズの巣だ。

「ぐおおぉ痛ってぇ……けど、助かったぜ、悪食」

 俺の左肩には今、『餓狼剣「悪食」』の刃が食い込んでいる。

 足元から伸びる影から、海面を跳ねるシャチのように剣先が飛び出して。そう、自ら『影空間シャドウゲート』を食い破り、俺に一太刀を浴びせたのだ。

「いや……進化したんなら、もう、ただの悪食じゃあないか」

 影から伸びる大剣の刃は、その色も形状も、大きく変化を遂げている。

 最も特徴的なのは、刃が中ほどから大きく裂け、鋏のように――否、大口を開く獣のあぎとのように、上下に開かれていることだ。

 俺の左肩は先端が別れた刃によって、ちょうど挟み込まれるように傷を受けている。さながら、本物の『混沌魔獣カオスイーター』が牙を突き立てているかのようだ。

 レギンさんがあえて悪食だけ修理しなかったのは、この進化の方向性を予見していたからなのだろう。グリードゴアの砂鉄大剣によって貫かれた刃の腹は、ただの傷痕ではなく、より多くの獲物を喰らうための口となったのだ。

 その最初の獲物は俺。あるいは、使い手たる俺の血と肉と魔力を喰らったことで、今この瞬間に『進化』を果たしのかもしれない。

 開いた刃の内側は鋸のようにギザギザと荒く鋭い形状となり、一度触れれば肉に食い込む。今まさに、そこから凄まじい勢いで血と魔力を啜られているのを感じた。

 根本から切っ先まで漆黒に染まりきった刀身には、『絶怨鉈「首断」』とよく似た赤いラインが浮かび上がっている。俺の力を吸い上げる度に、ドクドクと血管のように脈打つ。

 流石にこれ以上、ドレインを喰らうのはヤバい。折角復活したのに、倒れてしまっては元も子もない。

 これは久しぶりに、俺の唯一の回復魔法『肉体補填』の出番だな。

 黒色魔力のゼリーで傷口を埋める前に、まずは噛みついた剣を引き剥がさなければならないが――

「――いつまで噛みついてるですかこのバカ犬! さっさとご主人様のお手手に戻りやがれですぅー!」

 脳内が揺れるってほどにやかましく叫びながら、ヒツギが俺の代わりに暴走気味な悪食を制御してくれた。

 『影空間シャドウゲート』の底から、バインドアーツたる漆黒の鎖を何本も伸ばし、牙を剥く悪食の刀身を絡め取る。

 ギチギチと唸るように鎖の戒めに抵抗する悪食。本当に剣そのものが獣となったようだな。しかし、もうこれ以上は俺の身へ牙の刃を喰い込ませることはできない。

 今のヒツギは、俺からダイレクトに魔力を受け取り、そのパワーにはブーストがかかっている。このまま力づくで、引っぺがすことさえ可能だ。

 夢の中じゃ抑えきることはできなったが、今は違う。そう、夢の中、とは。

「ヒツギもありがとな、お前が悪食を連れてきてくれたんだろ」

「ふわぁー! ご主人様に褒められちゃいましたぁー!」

 ああ、全く、今回ばかりは本当によくやってくれた。ヒツギが現れなければ、俺は現実世界に戻ってくることはできなかったのは間違いない。

 これは何かお礼、いや、この場合はご褒美とでも言うべきなのだろうか。ともかく、この大活躍の恩は返さないと、ご主人様の名が廃る。

「最高のメイドだ、ヒツギ」

 幸せの絶頂、とばかりにヒツギがキャーと叫びながら、俺の手に悪食を戻してくれた。

 鎖の触手によって無理矢理引き剥がされた生ける大剣は、そのまま中空でガジガジと口を開閉しつつも、ついに動きようがない柄を俺の手によって握られる。

 こうして改めて握ってみれば、そろそろ手に馴染んできたように思えた以前の悪食と、同じグリップ感だ。

 刃の方は随分と見た目が変化してしまったが、この柄だけは、ヴァルカンが長年愛用してきたものと変わりはない。

 思うに、今回の進化は刀身である『混沌魔獣カオスイーター』の牙そのものが大きく能力と呪いの意志を伸ばし、全く変化はみられない柄の部分だけは、変わらずにヴァルカンの思いが宿っているように感じる。

 この手に伝わる感触が、俺に訴えかける――もっと敵を食い殺せ、進化した悪食は餓えている、俺も、餓えている――そう感じたのは、きっと気のせいなんかじゃない。

「ああ、いいぜ、もっと、もっと喰らわせてやるよ! この『暴食牙剣ぼうしょくがけん極悪食ごくあくじき」』が!」

 唸りを上げる刃を反転、逆手に持ち替え、そのまま足元に思い切り突き立てる。コイツにはまず、俺の半身を縛る戒めを食い破ってもらう。

 目覚めた俺の体は、ちょうど膝のあたりまで透き通った氷に覆われていたのだ。足先がすっかり冷えて、感覚が少しばかり麻痺している。

 極悪食の切っ先は、足枷のように俺の両足を覆う氷塊を木端微塵に吹き飛ばす。脆いガラス細工のように、キラキラと砕け散った破片がまき散らされながら、俺の足に自由が戻ってくる。

「あと少しで、俺も氷像の仲間入りだったな……しかし、三人そろって見事に罠にかかるとは、情けない……」

 ラストローズの淫夢から目覚めた今の俺は、この巧妙に仕掛けられた罠のカラクリを全て理解できていた。

 俺達はラストローズ本体が、隠れて接近し、不意打ち気味に即効性の幻術を仕掛けてくるのでは、という奇襲を警戒していた。だが、それは全く的外れの予想。

 ラストローズは、もう最初から俺達の前へ姿を現し、気づかれないよう徐々に、少しずつ、ゆっくりと、幻術をかけていったのだ。

 そう、洞窟の壁面に走る茨、これこそがラストローズの正体である。より正確に言うならば、本体から無数に伸びる手足、触手といった末端組織だが。

 コイツの凄いところは、魔力による直接的な魔法効果を発してはいない点だ。これ単体では、本当に単なる植物と同じ、何の特殊能力も宿らない、ただの蔦にすぎない。

 一見すれば、自然に洞窟内に生い茂ったように見えるが――これこそ、ラストローズが全て計算づくで配置した模様。すなわち、睡眠誘導の『魔法陣』なのだ。魔法というより、催眠術といった方が適切だろうか。

 ここへ入った冒険者は、灯りを照らして周囲を警戒しながら進んで行く。灯火トーチの光でぼんやりと浮かび上がる茨の文様、それを注視せず、ただ視界の一部に入れ続けるだけで、少しずつ、だが、確実に意識を蝕んで行くのだ。

 視覚情報のみで効果を発揮する仕組みであるが故、魔法発動の際に発生する魔力の気配などは一切ない。ただ目の前に描かれているだけなのだから。

 俺がどれだけ鋭く気配察知しようとも、リリィがテレパシーの警戒網を発しようと、無駄なこと。そこに察知するべき異常は存在していない。

 すでにソレと分かっていれば、引っかかることはない脆弱な催眠トリックなのだが、気づかなければ、確実に堕ちる。

 そして一度、あの素晴らしい夢の世界へ足を踏み入れば、己の意志だけで戻ってくることは不可能――少なくとも、俺にはできなかった。

「リリィもフィオナも捕まるとはな……今回は本当に危なかった……」

 振り返り見れば、そこには腰の辺りまで氷の浸食が進んでいる二人の姿があった。リリィもフィオナも安らかな寝顔。一体どんな幸せな夢を見ているのだろうか。

 これがベッドの上にあるのだったら、起こすのは躊躇するところだが、この眠りは命を落とす甘い罠。

 極悪食を振るって、俺と同じように氷の戒めを破壊する。

 切っ先が軽く触れただけで砕け散るのは、純粋に破壊力があるのではなく、この氷がドレイン効果を秘めた氷魔法だからに違いない。

 この洞窟はラストローズの巣、というよりも、腹の中といっても過言ではないほど、ヤツの支配が行き届いている。

 淫夢によって行動不能にした後は、この氷魔法によって氷漬けにし、徐々に生命力を奪って己の糧とするのだろう。全て吸われれば、これまで見てきた氷像のように、衣服や装備はそのままに、体だけ骨となって果てる。

 だが、その死をここにいる誰もが、喜んで受け入れていったことだろう。

 そういえば、ラストローズを倒した神官の男が「あの時、私も仲間と共にラストローズに殺されれば良かった」と死の間際に語った、とジミーさんから聞いたな。

「そりゃあ、理想の世界だったからな……」

 ラストローズが生み出す、夢。あの完全世界を形成する能力は、他でもない、精神感応テレパシーである。

 茨の魔法陣は、冒険者を眠らせるだけの効果を発揮する。睡眠という無防備な状態になってから、ラストローズが宿す強力なテレパシー能力で脳内ハッキングを仕掛けてくるのだ。

 その効果はまず、人の記憶や願望といったものをスキャンするところから始まる。何が好きか、嫌いか、楽しい思い出、苦しい経験、トラウマ、欲望――その、全てをだ。

 完全に個人の記憶を掌握した上で、当人が最も望む理想かつ、現実的な世界を夢として構成する。

 あまりに突拍子もない妄想を具現化すれば、異常を察知される。些細な違和感でも、夢を覚ます要因になりかねない。幻術というのはデリケートな技なのだ。

 だからこそラストローズは慎重に、本人の記憶からアウトとセーフの線引きを判断しながら、甘い夢の生活を見せ続けるのだ。

 そして一度ハマれば、もう抜け出せない。自分から「この幸せがいつまでも続きますように」と願うようになるが故に。

 俺の場合、その瞬間はきっと、白崎さんが泊まりに来る日の夜、彼女とその、なんだ……いたしてしまった時となっただろう。そこまで進んでいれば、ヒツギと悪食が現れても、手遅れだったかもしれない。

 全く恥ずかしい、童貞の妄想世界である。白崎さんに告白された時点で、夢だと気付けよ俺の馬鹿。本当にもう、馬鹿なんだからっ!

「そういえば、二人は大丈夫……だよな?」

 氷の枷を砕き、倒れ込む二人を抱きとめた俺は、その顔に浮かぶ満足気な寝顔に一抹の不安を覚えないでもない。目覚めた時に、夢と現実の落差のあまり錯乱することがあるかも……いや、今は考えても仕方ない。

 そう、今は一刻も早く、ラストローズの討伐を果たさねばならないのだから。

「テレパシーのお蔭で、お前のネタはもう全部分かってんだ――よっ!」

 口を閉ざした極悪食は、以前よりも一回り大きな刀身となる。完全に大剣へと形状を戻してから、洞窟の壁へと叩き付けた。

 狙ったのは、弧を描く壁の内側。内側なら、別にどこでもいい。なぜなら、この洞窟は完全な円形で繋がっているのだから。

 ラストローズの本体は、その中央の空間に座しているのだ。

「よし、開いた」

 一見すれば、外側と変わらぬ頑強な岩壁に思えるが、その装甲は存外に薄い。洞窟が円形というより、最初は巨大な円形空間で、擬装用の内壁を後から作り上げたというのが正解だ。

 催眠、幻術、テレパシーに加えて洞窟建築とは、何とも多才なモンスターである。流石はランク5だ。

 ガラガラと崩れ去った内壁、その向こうは真っ暗で、夜目の効く俺でも何も見えない。ラストローズはそもそも視覚を必要としないため、暗闇でも問題ないのだろう。

「幻術の罠は破った、居場所も特定した、本体に特別な戦闘能力はない……」

 俺がここまでラストローズの情報を確信しているのは、俺もまた、ラストローズの記憶を垣間見たからだ。

 ヒツギと悪食の介入によって、夢の幻術が破られそうになったラストローズは、俺により一層のテレパシーのハッキングを仕掛けて、対応策を講じようとした。

 白崎さんが急に超人的な強さを発揮してヒツギと戦い始めたのは――ああ、そうだ、あの動きは、俺の知る限り最強の人物を模倣したに違いない。

 第七使徒、サリエル。

 ヒツギと偽白崎さんの戦いは、ダイダロスの城壁前で俺とサリエルが戦ったワンシーンの再現だった。

 正面、側面、脳天から襲い掛かる魔剣(ソード-アーツ)を、槍とサギタで捌き、密着状態で交わすパイルバンカーと相殺の攻防。バジリスクの骨針による奇襲は省かれたが、一連の流れは、ほぼ同じ。

 本当に、よく記憶を読まれている……そして、だからこそ、俺もヤツの記憶を読めたのだが。

 テレパシーも、ちょっとしたショックで解除される幻術と同じく、割とデリケートな能力だ。いつもリリィが万能に使っているから忘れがちだが、意外とリスキーな面を併せ持っている。

 その最たる例が『逆干渉バックドア』である。

 テレパシーを仕掛けている相手から、逆に干渉されて記憶や感情を読まれる現象だ。

 自分がテレパシー能力者であったなら、意識的に『逆干渉バックドア』を仕掛けることも可能。能力者でなかったとしても、テレパシーを仕掛けた本人が意図せずに妨害されたり中断といったアクシデントに見舞われた場合、制御が効かず、勝手に自分の情報が相手に流出したりするのだ。

 さらに、より強力なテレパシーの力が制御を失って周囲に拡散すると、術者と相手だけでなく、近くにいる人物も無差別に巻き込み、記憶の混線が起こったりする『強制干渉オーバーフロー』と呼ばれるパターンもあるらしい。その混乱の度合いが行き過ぎると最悪、記憶喪失や人格豹変といった重い後遺症が起こることも。

 ちなみにこれらの情報は、リリィではなくネルの個人授業で教えてもらったことである。まさかこんな時に知識が役に立つとは。ネルは一体、どれだけ俺の事を助けてくれるんだろう。またプリンでも買って行ってあげよう。

 それでまぁ、今回、俺の身に起こったのは、この『逆干渉バックドア』である。

 ラストローズの完璧なテレパシー能力だったが、どんな魔法でも喰らう悪食能力の介入を受け、唐突に乱されてしまったのだ。

 ヒツギが悪食を選んだのはたまたまじゃない。魔力を吸収する悪食でなければ、俺を惑わす夢の世界を破壊できなかった。他の武器で切り付け、ただ痛みを与えるだけでは決して目覚めなかっただろう。

 そうして、全てを思い出し、偽物の白崎さん諸共、自分を悪食に喰わせた瞬間、『逆干渉バックドア』は発動した。

 生まれてこの方、一度たりとも破られなかった催眠とテレパシーの混合幻術である。ラストローズは、乱された技を制御する術を生まれながらに持ち得てはいなかった。そして、それを獲得する経験もなかったのだ。

 三十年以上、この洞窟で同じ方法で捕食行動を続けたラストローズにある記憶など、己が持ち得る生態の情報より他はない。

 そうやって俺は、肩に走る痛みで目覚めるまでの刹那の間に、怒涛のように流れ込んできた情報を受け取ったのである。自信を持って言える、今の俺は世界で一番ラストローズの生態に詳しいと。

 そこまで分かっていながら、そう、この淫夢に溺れることがどれだけ幸せな死をもたらしてくれるか、理解していながら、それでも俺は、ラストローズを倒す決意は揺るがない。

 もしかしたら、俺も死に際には「ラストローズに殺されていれば良かった」と後悔を口にするかもしれない。再びサリエルに返り討ちにあったりした時なんか、本当に言いそうである。

「それでも俺は……力が欲しい」

 さぁ、だから寄越せ、ラストローズ。

 この俺に、使徒を倒す力となる、第四の加護を。

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