第384話 幻術対策
俺の『荷電粒子砲』は、見事に『上級氷元素精霊』を撃ち砕いた。リリィの本気ビームに勝るとも劣らない、紫電の奔流はあっさり鯨型の胴を貫く。それどころか、凍れる巨体を瞬時に蒸発、消滅させたのだ。
二人に見せた中で、これ以上ないほど派手な攻撃魔法であったのは間違いない。俺自身、本命であるスロウスギルの指で作られた特殊弾丸ナシでも、これほどの威力が出るとは思わなかったくらいだ。
試し撃ちとしては大成功――だがしかし、である。
「クロノさん、ちょっと派手な攻撃魔法が撃てるようになって浮かれてしまうのは分かりますけど、周囲に迷惑をかけてしまうのは如何なものかと思います」
「はい、すいません」
俺は雪の上で正座をして、うなだれていた。
「もし下に人がいたら、どうするんですか」
「調子に乗ってました、深く反省しています」
ちょっと考えれば分かることだった。
脆い雪の鯨をオーバーキルした『荷電粒子砲』は当然、残った威力がこの白銀の大地へと炸裂する。巻き起こる大爆発、迸る熱風。そして次に起こったのは、雪崩であった。
あっ!? と思った時にはもう遅い。静かな湖面を思わせる雪原は、ドドドと轟音を上げながら大波となって動き出す。鯨の巨体が飛び出した時よりさらに激しい雪上のうねりは、濛々と真っ白い雪煙を噴き上げて、重力に従い山麓目がけて流れ行く。
勿論、その大自然が生み出す怒涛の大波を止める術など、あるはずもない。
うわー、やっちまった。茫然とそう思いながら、俺は迫力満点な雪崩が荒れ狂う様を眺めていることしかできなかった。
そして始まる、フィオナのお説教。俺のテンションは急降下。これがイスキアの英雄、ランク5冒険者の姿である。そろそろ泣いてもいいですか。
「ですが、雪山ダンジョンで雪崩を発生させてしまうのはよくあることなので、そんなに気にしなくてもいいですよ。私だってソロなら気にしませんし」
散々、人への迷惑やら冒険者のマナーやらを語った最後に、フィオナがしれっと言い放つ。
「気にしないのかよ!?」
「だって私、魔法の制御はちょっとだけ苦手ですし」
雪山の雪崩どころか、山間部のダンジョンでは崖崩れや土砂崩れを、洞窟や遺跡系では崩落、などなど、あらゆる人為的な災害級迷惑行為を大爆発によって引き起こしてきたと、何故か自慢げに語るフィオナ。
「今だからこそ、あえて言わせてもらおう。そりゃ誰もパーティ組んでくれないわ」
「ええ、ですから今の私は、これでも色々と気を付けているんですよ」
パーティの危険もそうだが、発生させた迷惑行為によって被害をこうむった同業者や一般人が続出した場合、当然ギルドから何らかのお咎めが発生する。最悪、ギルドカードと共に冒険者資格剥奪、そのまま豚箱あるいは断頭台行きの即死コンボだってありうる。
「俺達も名前は売れてしまったからな、今までより気を付けないといけないかもな」
改めて反省しつつ、俺達は雪山行進を再開した。
ちなみに、元素精霊系のモンスターは倒しても金にならない。倒せば霞のように消えてしまう、つまり討伐の証である部位が存在しないからだ。
上級元素精霊にまでなれば、スライムの核のように魔力の結晶が生成されるらしいが、今回倒した鯨から回収するのは不可能だろう。荷電粒子砲の威力で消滅したか、残っていても、雪崩で流されていっただろうし。
得るモノがないどころか、説教くらうレベルの失態を晒した俺だが、それでも試し撃ちは成功したからよしとしよう。そういうことに、しておいてくれ。
それからは、まぁダンジョンを進むという意味では、順調だった。出現するモンスターにイレギュラーなものはなく、勿論、苦戦もしない。
氷元素精霊のスノーメンズは華麗にスルーし、雪山仕様なドルトス亜種はリリィの光線集中砲火にあっけなく沈み、空から奇襲を仕掛ける白毛のハーピィはフィオナが焼き鳥にしてくれた。
白プンプンの群れが現れた時なんかは、白プンローブ装備のリリィが「もしかしたら仲間だと思われるかも?」と実験的に近づいてみたりもした。まぁ、雪玉を投げつけられて追い返されるという結果に終わったが。その直後、リリィのビームによってプンプン共が悲鳴をあげながら散り散りに針葉樹の森へと逃げ去って行ったのは、言うまでもないだろう。
なんだかんだで、それなりのエンカウント率である。雪山といっても、モンスターの活動は活発なようだ。プンプンとかどう見ても熊のくせに、冬眠どころか雪合戦して遊んでる始末。なんなんだアイツら。絶対、中に人が入ってるだろ。
ともかく、こんなに出てくるならリリィの『生ける屍』に相手させてもよかったかもしれない。今回は進行ペースを重視して三人だけで進むという方針だったが、この先に控えるのはほぼ正体不明のランク5モンスター、色欲のラストローズである。少しでも消耗を避ける、という意味においては、ペースが落ちても僕に任せるのも悪くなかったかもしれない。
そんなことを、山中で一泊したテントの中で話したが、もう目的地は目と鼻の先まで来ているので、やはりこのまま三人で進むと決まった。
野営している最中も、たまにモンスターが近づく気配を察知しただけで、実際に襲われることはなかったので、実に静かな夜を過ごせた。
そうして、明くる凍土の月24日。今日こそラストローズ討伐を果たすべく、洞窟に向かって出発する。
「そういえば、フィオナってサキュバスと戦ったことがあるんだったよな」
「ええ、昔に何度か。シンクレアの遺跡系ダンジョンに、稀に出現するモンスターでした」
ゴブリンやオークなど、地球のファンタジーでお馴染みの種族がこの異世界で存在しているように、例に漏れず『サキュバス』という男心をくすぐる素敵なモンスターも存在している。
凄いところは、見事に期待を裏切らず、本当にサキュバスは美しい女性の姿をしている、という点だ。当然、男の精気を吸う、という特徴もそのまま。
「サキュバスは女性でも惑わすほどの魅了や誘惑の幻術を使いますけど、やはり男性と比べれば効果は格段に落ちるので、大した脅威ではなかったですね。私が術にかからないと悟ると、さっさと逃げていきましたし」
ただ襲って殺す、という単純な行動原理ではないが故、サキュバスは野生のモンスターでも高い知能を持っている。ギルドではランク4モンスターに分類されている。
出現の情報が広まると、毎回バカな冒険者が殺到するのだとか。だからこそ、余計に被害が広がる。
「幻術って、俺も使われたことは何度かあるけど、未だによく分からないんだが」
これも機動実験での経験である。残念ながらサキュバスのお相手はさせてもらえなかったが、悪霊の中には感覚を狂わせたり、精神を惑わせたりといった妙な効果を持つ魔法をくらったことがあるのだ。
もっとも、どれも戦闘続行を致命的に阻害するほど大きな効果はなかったので、そのままパイルバンカーでブッ飛ばしてやったが。
「人の精神に対する攻撃、効果のあるものが幻術とまとめて呼ばれていますね。状態異常も含むので、魅了や支配は系統的には幻術よりです。有名なのは、強制的に悪夢や幻覚を見せる、というものがあります」
基本的に精神攻撃は、外部からの刺激に弱い。例えば、相手に悪夢を見せる幻術。それを敵にかけることに成功しても、仲間がいて小突かれたり水をかけられたり、なんてすれば、すぐに目覚めてしまうのだ。
睡眠と併用すれば、叩かれてもすぐ目覚めることはないだろうが、それでも対策が存在しないわけでもない。
「寄生はどうなんだ?」
「意志まで乗っ取るという結果はよく似ていますが、別系統ですね。クロノさんの話を聞く限り、スロウスギルは本体がそのまま乗り込んでくるようなので、支配力もそこらの幻術とは比べ物にならないほど強力だったでしょう」
「ああ、とても俺の意識だけじゃ抵抗できなかった」
「クロノの頭は普通の人間とは比べ物にならないほど精神負荷への耐性が高いのよ。それでも防げなかったというなら、本当に強かったのね。流石はランク5といったところかしら」
リリィがわざわざ大人の意識を戻して話に入ってきた。存在感を主張するように、俺のコートの裾をギュっと握っているから、ひょっとして話に入れなくて寂しかったのだろうか。
可愛い、じゃなくて、ちょうど意見を求めようと思っていたところだ。
「テレパシーは幻術系なのか?」
「テレパシーは、幻術の基礎的な能力の一種よ。トラウマを強制的に思い出させる精神攻撃、っていうのも有名でしょ?」
その通り、とフィオナが頷く。俺もくらったことはないが、容易に想像がつく。何ともえげつない攻撃だ。過酷な人体実験生活と、仲間を殺された経験を持つ俺としては、絶対にくらいたくない。
「リリィはできるのか?」
「私には無理ね。テレパシーの出力は強力だけど、そういう使い方に特化はしていないから、感情を読み取るのと、記憶を探るくらいが限界よ」
それでも十分に恐ろしい効果だが。プライバシーなどあってないようなものだ。
「安心して、クロノの頭は耐性が高いから読み取れないし、フォオナも精神防護してあるから」
「いや、少しくらい読まれたって、俺はリリィを信頼してるから、大丈夫だ」
「うふふ、ありがとっ!」
笑顔で腰元に飛びつくリリィ。大人な意識でも、やっぱりリリィは可愛いのだ。フードのウサ耳がゆらゆら揺れてる。
「けど、目に見えない攻撃をしかけてくる相手ってのは、やっぱ不安だな」
「できるだけの対策はしてあるので、これ以上は悩んでも仕方ないでしょう」
ネルがメンバーにいれば、と思うのは贅沢に過ぎるだろうな。実際、フィオナの言うとおり、可能な限りの対策はしてある。
ラストローズはこれまで、その姿を一切見せずに冒険者を始末している。ジミーさんが最初に洞窟を発見した時も、三人組は「モンスターに襲われている」などの発言は全くなかったと証言している。
考えられるのは、ラストローズは非常に高い隠密性をもっていることだ。接近も幻術をしかけていることにも気づかせないほどに。
「幻術を実戦で使うのに難しい点は、術者は相手に姿を見せるほど接近しなければいけないというものです」
状態異常系の幻術であれば、普通の攻撃魔法のように相手へ飛ばして効果をぶつけるというのが主流だ。毒のように液状であったり、テレパシーのように目に見えなかったりもするが、それでも何かしら魔法の効果を秘めた現象を相手にぶつけるという構図に変わりはない。
ラストローズは桃色のガスを洞窟に発生させるというが、正にこの例にあてはまるだろう。もっとも、ガス発生の前に冒険者は狂ったといっていたので、幻から覚醒させないための強化手段に過ぎないかもしれないが。
「俺の直感とリリィのテレパシーで索敵すれば、どんなに上手く身を隠しても接近されれば気づくくらいはできる……はずだよな」
スーさん並みの隠形を発揮されたとしても、流石に全力で警戒していれば察知くらいはできる。SF作品でお馴染みな光学迷彩のように、完全に視覚的な隠蔽ができたとしても同じことだ。第六感というのは、そう簡単には誤魔化せない。
「問題なのは、一目見ただけで完全にはまってしまうほど強力な幻術を使う場合でしょう」
だが、ラストローズの能力はこのパターンの可能性が最も高いと俺達は予想している。
幻術は魔法効果をぶつける以外にも、催眠術のように視覚的、聴覚的に特定の光や波長を訴えかけることで幻惑へ誘導するタイプも存在する。
もし、カメラのフラッシュのようなものを一度浴びせるだけで幻惑の世界へ引きずり込める技があったとすれば、これによる最初の不意打ち一発だけで勝負は決まってしまう。
最悪なのは、隠密性に優れる上に、即効性の幻術を持っている、というものだ。だが、ランク5という危険度を鑑みると、この能力を併せ持っていると考えるのが妥当だろう。
「今回はきっと、一瞬の勝負になるな」
故に、俺達のラストローズ対策は単純。まず、俺とリリィで接近を警戒する。少しでも異変を察知すれば、そこに向かってフィオナがぶっ放す、というものだ。
いるかもしれないし、いないかもしれない。でもとりあえず攻撃を加えて、ラストローズが飛び出す前に仕留める可能性を作るのだ。
幻術を得意とするなら、ラストローズ本体はスロウスギルと同じく弱いはず。サキュバスはエルフやヴァンパイアと並んで魔力の高い種族とされるが、幻術特化ならば、攻撃魔法を使えたとしても中級が精々だろう。三人そろっていれば、それくらいの攻撃力は大した脅威ではない。正面切っての戦いは、むしろ望むところだ。
「――あっ、クロノ、洞窟あったよ!」
先頭を『フェアリーダンスシューズ』の効果でスケートを滑るように雪上を進んでいたリリィが、ついに発見の報告をしてくれた。
膝くらいまで埋まる雪をドカドカと跳ねのけながら、俺もリリィの隣に並んで示された方向を見る。
そこにあるのは、行く手を阻むように垂直に切り立った断崖絶壁。雪と氷で覆われた岩の壁は、如何にも険しい雪山に相応しいロケーションだが、素直に感心している場合ではない。
洞窟は、すぐに見つけることができた。大きくも小さくもない、取り立てて目立った特徴があるわけではないが、これに間違いない。この大きな崖に穿たれた洞窟がそれ一つだけ、間違いようはない。
地図と照らし合わせて見ても、やはりこの崖の場所と特徴が一致する。ここが目的地、ラストロ-ズの巣である。
「よし、それじゃあ行こうか」