第383話 アスベル山脈
一面の銀世界、とはよくいったものである。抜けるような青空と、初冬の日差しを受けてキラキラと輝く雪原。鮮やかなブルーと煌めくホワイトの対比が目に眩しい。
スパーダでは秋の終りといった時期だが、俺は一足先に真冬の大地へ足を踏み入れていた。
アヴァロン領の最北端にある、アスベル山脈。ウイングロードと思わぬ出会いを果たしたギルドを経ってから二時間、ここはもういつモンスターが出現してもおかしくないダンジョン指定の地域だ。
「流石に、冷えるな……」
太陽の光が燦々と降り注ぐ快晴だが、晴れている方がかえって気温が下がることもある。温度計は持ち合わせてないが、今の気温は確実に零度を下回ってはいるだろう。
「リリィは寒くないか?」
「だいじょうぶー」
と返事をしたのは白毛のプンプン――ではなく、普段は寝間着として使われている白プンローブを着用したリリィである。
魔法生物である妖精は寒暖に強い、というより、影響を受けない。リリィは半人半魔だが、その特性を半分は受け継いでいるので、人間に比べればかなり気温差には強い。それでも一応、耐寒装備にしようという感じだ。
しっかり被ったローブのウサ耳を揺らしながら、心待ちにした遠足へやって来た幼稚園児のようにリリィは元気で歩き回っている。
「フィオナはどうだ?」
「問題ありません。雪山のダンジョンは何度か経験もありますし」
流石はフィオナ、冒険者としては先輩である。寒冷地用の装備もすでに持っていたようで、いつもの魔女ローブよりも厚手で、ファーがモフモフとしている温かそうなものを着こんでいる。ローブというより、純粋に毛皮のコートと呼んでもいいだろう。
足元の装備も万全なようで、普段はローファーだが、今は膝近くまである長いブーツを履いている。重厚な革製に見えるが、不思議とその靴底は雪の上にふんわり軽やかに乗り、決して足を深みへ沈めない。
そのカラクリは、浮遊という魔法の効果だ。リリィが今も履いている『フェアリーダンスシューズ』にも組み込まれた浮遊の魔法は、こういった脆い足場でこそ真価を発揮する。最上級のものとなると、水面でも歩いて走ってホップステップジャンプできるらしい。
そこまでじゃないにしても、ふんわり降り積もったパウダースノーの上でもスイスイ歩ける便利な効果があるなら、普段から履けばいいじゃんフィオナ、と言ったら、こう返された。
「凄く蒸れるので、あまり履きたくないのです」
ああ、フィオナも女の子なんだな、と実感させられた解答だった。
ともかく、この雪山を歩くのに便利な浮遊付きの靴、これを俺だけが持っていないことを、今まさに後悔していたりもする。脚力にまかせて、雪をかき分け突き進む。
「クロノさんは、寒くないのですか?」
いつもの装備で大丈夫か? とでも言いたげな視線のフィオナだが、俺はやせ我慢でもなんでもなく、素直に「問題ない」と答えられる。
「ああ、寒いのも暑いのも、かなり耐えられるように出来てるから」
俺の体も普通の人間とは違うのだ。恐らくは、リリィと同じ程度に寒暖の影響を受けないような調整がされている。
実際、今のマイナス気温の変化は感じられても、凍えたりはしない。若干、肌寒さを感じるか、という程度だ。
「でも、見習いローブのままなのは、どうかと思いますけど」
うわ、悪魔の抱擁に着替えるの忘れてた……
着替えてみると、肌寒さもすっかり消えました。流石は真の装備。耐寒機能もばっちりだ。俺が脱いだ見習いローブを受け取って、綺麗に畳んで帽子へしまい込むフィオナから、ちょっと呆れたような視線を受けて、恥ずかしい。
そんなこんなで、『エレメントマスター』初の雪山登山は俺だけがささやかなうっかりをするだけで、順調に進んでいく。
目指すラストローズの洞窟は、人跡未踏の山脈奥地でもなければ、ランク5モンスターの縄張り近辺でもない、山の中腹といった辺りにある。
もっとも、このアスベル山脈がランク5に指定されるのは、他にも理由があるのだが――まぁ、今回の俺達には関係ないので置いておこう。
ともかく、麓から中腹にかけた一定の標高までは、強くてもランク3のモンスターしか出現しないので、中堅ランクの冒険者でも活動するに支障はない。新人から一歩抜けたか、くらいのレベルでも麓までなら程よいエリアとなるだろう。
洞窟にある付近は、これまでも多くの人々が行き来している、つまり、詳しくマッピングされているということである。幸いにも、俺もリリィもフィオナも方向音痴ではなく、きちんと地図の読み方は心得ているので、正確なマップを持っていながら遭難、何てことにはならない。
「このまま進めば、日没前には洞窟まで行けそうだな」
「それは難しいのではないでしょうか」
俺の推測を速攻で否定されるが、それに対して質問も反論もない。あるのはただ、理解と納得のみ。
「ダンジョンだからな、モンスターと会わないわけないよな」
「むむーっ! いっぱい気配がするよ!」
そう、今まさに俺達は、アスベルの雪山に住まうモンスターと、最初のエンカウントを果たそうとしていたのだ。
ここは見晴らしの良い緩やかな斜面となっている。鬱蒼と生い茂る針葉樹の森は遥か先で、隠れて接近できるだけの遮蔽物は何もない。さらに、この快晴では視界を遮るホワイトアウトなど起こるはずもなく、周囲一帯は勿論、上空からの接近も即座に察知することができる。
しかし、俺達の周りに敵影は一切見えない。それでも、この肌を刺すように感じる冷たい魔力の気配から、敵がすぐそこまで迫っているのは間違いない。
どこだ、どこから現れる――その時、先頭を歩む俺の手前、およそ五メートルの地点が突如として隆起する。分厚い雪の層を突き破って、地中からモンスターが飛び出した――かと思ったが、そこに現れたのは大きな雪だるまであった。
「え、何このスノーメン……」
全長は二メートルほどもある、ずんぐりとした人型の雪像だ。頭はスイカのように大きな真ん丸で、顔面には二つの点と線が凹んで目と口らしきものを再現している。
そして、全く同じデザインの雪男どもが、次々と周囲から現れる。雪の斜面からボコボコと、タケノコでも生えるように、十体、二十体――三十を前に、俺は数えるのをやめた。ざっと見て、軽く百は超えているのだから。
「氷の元素精霊ですね」
珍しくもないと言わんばかりに、フィオナがサラっと正体を言い当てる。
元素精霊は、自然発生した原色魔力が塊となった時に誕生する、代表的な魔法生物の一種である。弱いものは、クラゲのように半透明の球体が空中をユラユラ漂ったりしているだけだが、魔力密度が高くなると、よりはっきりとした姿をとるようになったり、この雪だるまのように、その属性と親和性の高い物質を媒介として、物理的な肉体を得るようになったりするのだ。
有名な例でいえば、自然発生するアンデッドやゴーレム。それぞれ闇属性のダーク・エレメンタル、土属性のテラ・エレメンタルが死体と岩に取りつくことによって誕生する。
ついでに、どう考えても野生生物が生息するに相応しくない遺跡系のダンジョンなどにも、どうして数多くのモンスターが存在しているのかといえば、魔力の濃い環境下においては、このエレメンタルが大量に自然発生するので、それらがプランクトンのように食物連鎖の最底辺を形成してくれるからだ。
自然のモンスター界にとってなくてはならない重要なエレメンタルであるが、冒険者にとっては単なる敵でしかない。
しかも、これほどの群れとなると、ランク1に属されていても手間のかかる相手となる。
「どうしますかクロノさん? 足は遅いと思うので、簡単に抜けられると思いますけど」
「いや、試し撃ちにはちょうどいい相手だから、俺に任せてくれないか」
きっと今の俺は、キザったらしい笑みを浮かべているだろう。それでも、ニヤリとせずにはいられないだろう、男なら!
「『ザ・グリード』、機関銃形態」
純白の雪の上に黒々と伸びる俺の影、そこから現れるのは漆黒の重砲。構え、装填、発射準備完了までに、三秒もかからない。
「喰らいやがれ、掃射!」
六連装の銃身がキュラキュラ音を立てて高速回転を始め、銃口の先に立つ無数の白い人影を粉砕せんと火を噴いた。
鉛玉と変わらぬ硬度を誇る俺の疑似完全被鋼弾は、エレメンタルが形成する脆い雪の体など易々と撃ち砕く。一発かするだけで腕が飛び、足が崩れる。ど真ん中に命中すれば、そのまま四散五裂。
たった一発で即死級の威力である、そんなものが毎分二千発という、本物のガトリングガンと同等の発射速度が実現されているのだ。
この黒い銃火の嵐を前に、雪だるまどもに成す術などない。
「はぁ……はぁ……どうだっ!」
瞬く間に殲滅が完了する。四方を包囲されていても、時計回りに順番に撃っていくだけで次々と崩れ去ってゆくのだ。鈍足な雪だるまなど、単なる的でしかなかった。
だがしかし、俺の息が自然と上がっているように、実はちょっと疲れている。事実として、毎分二千発の連射ができているのかどうかは不明なのだが、それでも全力で黒色魔力の弾丸を生成するのに集中しなければ、とてもリロードが追いつかないほどだった。
これはもう少し、発射速度を落とした方が良いかもしれない。凄まじい連発数がある分、外れた弾の数も多い。
それにしたって、今までの掃射とは格段に連射が効いている。恐らく、『ブラックバリスタ・レプリカ』を使用するよりも、こっちの方が連射力も威力も優れている。やはり、専用に作った武器というのは、凄い効果を発揮するんだな。
「クロノさん、何だか息切れしてますけど、もしかして体調が悪いんですか?」
『ザ・グリード』の素晴らしい性能に感動している矢先に、これである。
「いや待て、ちょっと待ってくれ。今の激しい攻撃を見て言うべきことはそこなのか?」
「激しかったんですか?」
真顔で問い返されると、不安になる。落ち着け、もっと自分に自信を持てよ。
「は、激しかったよ」
「え? だっていつものフルバーストと同じじゃないですか」
「違うよ! 全然違うよ! 連射数とか威力とか桁外れに上がってるから!?」
「はぁ」
俺の必死の訴えに対して、フィオナは全く理解を示してくれない。ちくしょう、聡明なリリィなら違いを分かってくれるはず!
「んー?」
あ、これダメなパターンだ。リリィってば全然話の趣旨を理解してない顔してるもん。
「あれ、クロノさん、ひょっとして、ちょっと拗ねてます?」
そんなに顔に出ていたのだろうか。いや、ちょっとショックだったのは否定しまい。そこは素直に受け止めよう。
だが決して、俺は女々しくも拗ねてなどいない。
「まさか。よく考えれば、シモンならまだしも、銃撃の素人であるリリィとフィオナにこの違いを分かってもらおうと思った俺が浅はかだったんだ」
「む、そこはかとなく侮られている気がします」
「リリィはちゃんと違いの分かるオンナだよ!」
「まぁまぁ、邪推しないでくれ。二人には是非、もっと俺の派手な技を見てから評価して欲しいんだ」
『黄金太陽』のフィオナと『星墜』のリリィを前に「派手な技」と大口を叩くだけの自信が、今の俺にはある。
ついでに、その技を喰らわせるにちょうどいい的もこれから現れるみたいだしな。実に都合がいい、まるで俺のデモンストレーションに大自然が協力してくれているかのようだ。
今度こそカッコいいとこ見せるぜ、と意気込みながら、俺は腰だめに構えた『ザ・グリード』の銃口を下方へと向けた。
「それでは、あの大きな『上級氷元素精霊』の相手も、クロノさんにお任せしましょう」
「クロノがんばってー!」
リリィの可愛らしい黄色い声援をかき消すように、怒涛の雪飛沫を噴き上げながら、フィオナの言う『上級氷元素精霊』が現れた。
その姿は一言で表すなら、鯨。
グリードゴアもかくやという雪の巨体が、まるで海の底から浮上するように雪原へ姿を現したのだ。その肉体はついさっき倒したスノーメンズと全く同じ、ただ雪を集めて固めただけの単純な構成でしかないが、やはりデカいというだけで存在感に圧倒される。
コイツの出現位置が下方の山麓側で良かった。もしも遥か頭上の山頂側からやって来られたら、身じろぎ一つで巻き起こる雪崩によって押し流されてしまうところだ。
もっとも、グズグズしている暇はない。鯨の巨大雪像は俺達を呑み込もうと、猛然と斜面を泳ぎ登ってきている。
大波に乗るように周囲の雪をうねらせ、掻き分けながら突進してくる様は圧巻の一言に尽きる。おまけとばかりに、鯨の潮吹きを真似ているのか、小山のような背中から氷の粒を轟々と噴き上げていた。
「一撃で止められないと、このままぶつかってしまいますね」
「大丈夫だ、一発で十分――」
全く危機感を覚えてないような平坦な口調でかけらえたフィオナの注意に答えつつ、このデカブツを吹き飛ばす準備を始める。
まずは魔力充填。右手の銃把と左手に握ったフォアグリップから、第三の加護によって生み出される疑似雷属性を、黒化するように思うさま流し込む。
内部に刻まれた魔力伝導の術式によって、スムーズに集約されていくのを感じる。向かう先は勿論、スロウスギルの頭蓋骨。
生前は人様の体を乗っ取って怠惰に過ごしたんだ、今こそ精一杯に働きやがれ。
さて、働くといえば、もう一人、頑張ってもらいたいヤツがいる。
「出番だヒツギ、銃身換装! 雷砲形態!」
「はぁーい! お任せくださいご主人様!」
元気な返事が脳内に響くと共に、長大なガトリングガンが作る影の内より黒い鎖が何本も湧き出た。その先端は鳥の足のような三本の鉤爪となっており、ヒツギのヤル気を示すようにガチガチと稼働する。
第二の加護による疑似土属性のお蔭で、弾丸以外の形状も今までより作りやすくなっている。この鉤爪は硬度は勿論、稼働も滑らか、素晴らしい出来栄えだ。
「手順は覚えてるな?」
「勿論です、お利口さんなヒツギは予習復習もバッチリなのですよ!」
俺はレギンさんから、懇切丁寧に銃身交換の説明を受けたが、戦闘中、両手が塞がっている時でも換装できるよう、ヒツギにも教え込んでおいたのである。
そもそも呪いの意志に記憶力と学習能力があるのかどうかは疑問だが、ヒツギ本人が「出来るっ!」と言うからには、やってやれないことはないのだろう。
さぁ、ご主人様に練習の成果を見せてくれ!
「えーっとぉ、これが、うーんと……あれぇ……」
何とも不安になる独り言を俺の頭の中へ駄々漏れにしつつも、どうにかこうにか換装作業は進む。
六連装の銃身を取り外し、入れ替えるように影から浮上するのは大口径の長砲身。ベースは同じグリードメタルの黒だが、闇夜に走る雷のように、淡く輝く紫電のラインが砲身の左右に浮かび上がっている。
これが本体と繋がれば――
「クロノさん、手間取っているようでしたら私が先に撃ってしまいますよ?」
「も、もうちょっと待ってくれ」
当方に迎撃準備ありとばかりに『スピットファイア』を手にするフィオナ。もしかして俺の火力って信用されてな――いや、ここはパーティとして万全のフォロー体勢をとってくれているということだろう。緊張せずにやってくれ、という好意に違いない。
「クロノまだー?」
「おいヒツギ早くしろ! このままじゃ俺の見せ場が――」
「できましたご主人様! 発射準備完了でーっす!」
よし、よくやった、でかしたぞヒツギ。見事に銃身の交換を終え、ちょうど雷魔力の充填も完了する。あとはトリガーを引くのみ。
狙いはつける必要もない。なぜなら、迫り来る雪の鯨はもう五十メートルを切っている。目見当で撃ったとしても、あんなデカい的を外すわけがない。
「――『荷電粒子砲』発射っ!」
そうして俺は、渾身の一撃をドヤ顔で撃ったのだった。