第367話 神学校の噂・蒼月の月
翌日。蒼月の月8日、昼休み。俺は餓えた学生諸君でごった返す神学校本校舎の食堂にやって来た。昨日の昼に断念した食堂豪遊を今こそ実行するというワケではなく、単純に人と待ち合わせているからだ。
壁にかかった『七人の戦女神』、魔王様の嫁が七人も描かれた華やかでいて勇壮な絵画を背景に、約束の人物が俺よりも先に席へとついているのを確認した。
「ふっ、来たか……我らが運命の交差は避けられぬと知ってはいるが、再開の時を待ちわびていたぞ」
「よう、ウィル」
足を組み、腕を組み、如何にも意味ありげな俯き加減で座っているのは、一昨日の祝勝パーティー以来に顔を合わせるウィルだ。
すぐ傍らには、相変わらず気配を消して静かにたたずむメイドのセリアが控えている。いつものすまし顔で軽い会釈をしてくれた後、そそくさと俺の分のお茶を用意し始める。
俺が着席し、最初の話題を切り出す時にはもう、芳しい香りを発する飴色のお茶が目の前で湯気を発していた。凄い早業である。やっぱりこの人、プロのメイドさんだ。
「はぁ、コソコソしなきゃ食堂で大人しく昼食もとれないなんて、面倒な身分になったもんだよ」
「はっはっは、それも英雄の宿命! ネロがランク5に上がった時も、そうして見習いローブを着こんでいたものよ」
うんざりしつつも、俺は久しぶりに袖を通した見習い魔術師ローブ、そのフードを頭から外せない。
昨日、親衛隊にからまれた反省を生かして、俺はしばらく目立たないような恰好で学校生活を過ごすことに決めた。
それにしても、フィオナに実験用にくれてやったコイツをもう一度着る羽目になるとは思わなかった。別にそこまで思い入れのある品ではないのだが――
「ちょっと手を加えてみたので、着心地を確かめて欲しいのです。どうぞ、しばらく、最低でも三日は着用してみてください」
なんて言われて差し出されれば、着ざるをえない。
フィオナの匂いがかすかに残っていて、実はちょっと恥ずかしい。まぁ、今日一日着こんでいれば消えるだろう。
なんにしろ、コイツはしばらく借りることになりそうだな。フィオナに返す時はちゃんと洗濯しておこう。
「俺もネロ王子みたく、女の子にキャーキャー言われるだけなら、こんな恰好しなくてもいいんだけどな」
困ったことに、俺を見てキャーキャーいうのは決して黄色い悲鳴ではなく、恐怖からくるガチの悲鳴である。ヘレンの怯えきった表情が、中々脳裏から離れない。
今まで何人も人を殺してはきたが、女の子を泣かせたことはなかった。結構ショックだったりする。
「ランク5の称号は特別である故、有象無象の女どころか、国からも冒険者ギルドからも注目されるものよ――しかしながらクロノよ、そなたには早くも面白い噂が流されておるようだな」
ニヤリ、とちょっとやらしい顔でそう切り出したウィルに、嫌な予感が走る。
「それってまさか、昨日、俺がアヴァロン貴族の女の子を闘技場で襲ったとか何とか……だったり?」
「白昼の悪夢、闘技場の狂える凌辱劇――黒き悪夢の狂戦士、アヴァロンの女子留学生を手籠めに」
バサリ、とテーブルの上にウィルが広げたのは一枚の記事。語った台詞と同じ煽り文句がデカデカと記載され、おまけにギラついた赤い目の黒い大男が、可愛らしい女の子の服をビリビリに破って覆いかぶさろうとしているシーンのイラストまで。
「な、何だよコレは……」
「安心せよ、スパーダの広報誌ではない。これは神学校の報道委員会が発行している学内誌で、今代はゴシップ好きでガセネタに誇張記事ばかりと有名だ」
見れば、発行の日付は今日。学生のくせに、昨日の出来事をこうも早く記事にしてバラまくとは……恐ろしいヤツらだ。
「俺に真相を問いたださなくて、いいのか?」
「襲われた女子生徒、記事では名前こそ伏せられているが、アヴァロン十二貴族、アズラエル家の長女ヘレンであろう。彼女がネル姫様親衛隊の隊長であることはあまりに有名。で、あるからして、イスキア古城の一件でネル姫との仲が噂される汝を粛清のターゲットに選んだことは、想像に難くない。全く、帰って早々に災難であったな」
「ありがとう、ウィル」
感謝の言葉しか出てこない。ああ、信頼されているって、何て素晴らしいことだろう。
「けど、このままじゃ俺、本当に犯人扱いになるんじゃないのか?」
ウィルは信じてくれるが、世間様が信じてくれるとは限らない。
昨日の段階では大丈夫だろう、とは思ったが、ゴシップ記事とはいえ目の当たりにすれば、不安にもなる。
「噂くらいは立つであろうが……ふっ、自ら仕掛けた決闘に敗北した者の言い訳など、スパーダ人は聞く耳など持たぬ」
ヘレンら親衛隊が俺に決闘をふっかけた、という事実確認はできているらしい。まぁ、白昼堂々と絡まれたからな。目撃者がいないはずがない。闘技場周辺に集った野次馬もそういう認識だった、とサフィールの言葉からも推測できたしな。
そして、自ら仕掛けた、しかも多勢で、という状況は明らかにフェアではない。これで敗北したのなら、むしろ殺されようが犯されようが文句は言うなよ――というのが、スパーダ人の感性であるらしい。
野蛮、というより、闘技場における決闘行為を神聖視する文化のようだ。勝者が絶対。敗者は生殺与奪を握られるのは当たり前。例え学生同士の模擬選ルールであったとしても、決闘と名のつく以上、そういうことになるらしい。
恐らく、アヴァロン人のヘレンにはそこまでの認識はなかったに違いない。
「それに、新たにランク5となった者を貶る噂が流れる、というのもよくあるものなのだ。この一件も、他に数多流される根も葉もない噂話と一緒になって、その内に忘れ去られるであろう」
「そうか、ちょっと安心したよ」
ぶっちゃけ、かなり安心した。もしかしたら本当に冤罪で豚箱行きかも……と割と真剣に考えたりもしたのだ。杞憂で済んで、本当に良かった。
「ところで……あの天才剣士、カイを倒したというのは本当なのか?」
目をキラキラさせながら問うウィル。ふっ、いいだろう、期待通りの答えをしてくれる!
「ああ、一撃で倒した」
「おおおっ! 真であったかっ!!」
うおー! と興奮する反応は予想していたが、思った以上に激しいリアクションに、格好つけて「一撃で~」と答えたことが急に恥ずかしくなってくる。
「ま、まぁ一撃で倒しはしたんだけど、俺もギリギリだったというか――」
「いや、みなまで言わずともよい! 分かっている、我はしかと分かっておるぞ。ランク5という隔絶した実力者同士の決闘、それは、研ぎ澄まされた一撃を交わし、刹那の間に勝負が決することがあるという……つまり、そういうことなのだろう」
「うん、まぁ、大体そんな感じだな」
フィオナみたいな適当な返事しか俺にはできなかった。加護も実力の内、とは理解しているが、カイの倒し方はどうにも騙し討ち的なイメージが拭いきれない。だからといって、正々堂々、剣技と武技だけでもう一度決闘、なんていうのは絶対に御免だが。
「しかし、あのカイをたったの一撃で倒すとは、如何に我といえども、汝がグリードゴアを倒すのを目にしていなければ、俄かには信じがたいことであったぞ」
「凄いパワーとスピードだったからな。おまけに勘もいい」
「なにより、あの男はタフなのだ。去年、カイとの決闘に勝利したネロはヘトヘトになっておったからな。幾ら攻撃しても倒れない、何度も立ち上がってくる、キリがない、面倒くさい、もう二度とやるか、とボヤいていたな」
うん、やっぱり再戦は御免だな。
俺も『炎の魔王』でのストレートパンチがクリーンヒットしていなければ、泥沼の肉弾戦に突入していたに違いない。
模擬戦だから下手に殺傷力のある攻撃ができないってこともあるが、それでもカイのタフさは十分に感じられた。ガトリングバーストをズンズンと突っ切ってくるのは、ちょっとした恐怖だったぜ。
「そういえば、サフィールはどうなんだ?」
「んん? 彼女はただカイとの決闘を観戦していただけではないのか?」
なるほど、やっぱり俺に殺人レベルのちょっかいをかけたことは、全く公になっていないか。分かってはいたが、しれっと秘密にされているとちょっとイラっとくる。
もっとも、俺としては命をガチで狙われたことを秘密にしておく理由など全くない。俺の言葉を信じてくれる友人には、洗いざらい打ち明けて怒りを共有してもらおう。
「いいや、あの女はとんでもないヤツだったぞ――」
そうして、やや私怨の入り混じった説明を語って聞かせる。
「ふむ、フルミスリルのアンデッド騎士といえば、彼女が持つ最強の僕であるな。その殺意は本物であるぞ」
「あの不意打ちは本当に死ぬかと思った」
「うーむ、流石はハイドラの天才児が作り上げし究極アンデッドのターちゃんよ。黒き悪夢の狂戦士に命の危機を感じさせるとは、やはりランク5の実力は伊達ではないな」
悔しいが、彼女の実力は実際に矛を交えた以上、認めざるを得ない。だがしかし、そんなことより気になるワードが。
「ターちゃんて、なに?」
「あのアンデッド騎士の名前よ。正式名称はタキオン、だが、サフィールはターちゃんと呼んでおる。恐らく、正しい名前を憶えているのは……この我だけであろう。彼女は命名に無頓着なところがあるのでな」
そんな適当で大丈夫なのかよ、とは思うが、まぁ、彼女の頭のイカれ具合はそれとなく垣間見えたし。天才というのは、えてしてそういうものなのかもしれない。
「何にしろ、サフィールは狡猾さではウイングロードの中でも、否、この王立スパーダ神学校の中でも、一番であるに違いない。流石に、平時においては暗殺の真似事はするまいが……ダンジョンの中などでは、何を仕掛けてくるやもしれぬ。努々、油断せぬように気を引き締めるべきであろう」
「ああ、全くだよ」
とりあえず、クエスト中には気を付けようと思う。ダンジョン内で死ねば、全てモンスターのせいにできるからな。もし次があるなら、こっちも殺す気で反撃しないといけない。
まぁ、流石にサフィールも四六時中に俺をつけ狙うほど暇ではないことを祈ろう。
「ところでクロノよ、我は最も聞きたいことがあるのだが、よいだろうか」
再び神妙な顔でそう切り出したウィルに、俺は「な、なんだよ?」と答えることしかできない。何も後ろめたいことは抱えてはいないつもりだが、いざあらたまって聞かれると、ちょっと不安が。
「……ネル姫との間に、何があったのだ?」
ああ、そのことか。なるほど、それは確かに気になるだろう。
変に疑われている、というよりも、つい先日にリリィとフィオナによる恐怖のエレメンマスター緊急会議を経験したせいで、むしろ気楽に感じる。
俺が王族に対して無警戒すぎた、という失点を除けば、彼女との関係を語るに憚ることは何もない。
「ああ、そうだな、ネルとは――」
そうして、最初の出会いである紅炎の月3日、立ち往生するメリーを助けてもらったことから、イスキアでの戦いまで、順に説明していく。
その間に、気を利かせてくれたセリアが、俺とウィルの昼食をとってきてくれたりした。
二人とも同じ、ドルトスのハンバーグ定食。ウィルはちょっと複雑な顔でドルトス肉を食べていたのだが、イスキアの戦いで何か因縁でもできたのだろうか。
そうして、あらかた料理を平らげた辺りで、俺とネルの思い出語りは終わりを迎えた。
「そうか……なるほど、ネル姫が汝にこだわる理由が、よく分かった」
「ああ、大事な友達だからな」
「ん?」
「え?」
「あ、いや、そうだな、友達だな。まだ出会って間もないが大切な友人関係、そういう認識なのだな、クロノよ」
「当然だろ。俺もたまに気があるんじゃないかと勘違いしそうになるけど、キッパリとお友達宣言されてるし、ネルは優しいから誰にでもあんな感じなんだろ」
「う、うむ」
ウィルは肯定の返事をくれるが、何故か視線が逸れている。その先にあるのは、セリアのクールな青い瞳。それは一体、何のアイコンタクトなんだよ。
「ところでウィル、ネルのことなんだけど、まだ体調は良くならないのか? イスキアで倒れてから、今も臥せったままだと聞いているんだが」
入院こそしていないようだが、女子寮の部屋で静養を続けて面会謝絶状態だというのは聞き及んでいる。特に調べようとしなくても、自然に耳に入ってくるほどには、ネルの不調は噂となって神学校に流れている。
「ふむ、やはり心配であるか」
「当たり前だろ。イスキアまで行ったのはネルの意志だけど、俺に責任の一端があることは事実だしな」
「だからネロにも一発殴られた、と」
自己満足、といえばそれまでの行為だとは思うがな。それでも理解はしてくれているのか、ウィルは否定の言葉を語ることはなかった。
「して、ネル姫の容体であるが、どうやら肉体的には何ら問題はない健康体であるらしい。つまり、精神的な問題ということだ」
「……イスキアの戦いは大勝利だったのに、何がそんなにショックだったんだ?」
そう、今回は凱旋パレードに勲章授与、祝勝パーティーが催されるほど、誰もが認める勝利だった。イルズ村やアルザス戦とは違う、俺達は確かに人々を救うことができたのだ。
だが、現実にネルは寝込んだまま。兄貴が殴りかかってくるほど、親衛隊長がリンチをしかけてくるほど、彼女は深刻な病状にある。
「うむ、それは……いや、そうさな、ネル姫は誰よりも優しいが故に、その心も繊細である。やむを得ずに出てしまった犠牲者に心を痛めているやもしれぬし、あるいは、我らが思いもよらぬことに悩み患っているのかもしれぬぞ」
「確かに、それはありえるけど……じゃあ、どうすればいいんだ?」
「時が解決するのを待つ――と思ったが、汝とネル姫との馴れ初めを聞いて確信した」
おいウィル、今さらっと馴れ初めとか言わなかった? 馴れ初めってアレだよな、恋仲の男女の出会いという意味の言葉だよな?
「見舞いに行くがよい、クロノよ」
これぞ一発逆転の秘策、とばかりに自信満々に言い放つウィル。右目にかかった片眼鏡が、タイミングを見計らったようにキラリと光る。
「いや、俺もお見舞いに行きたいのはやまやまなんだが、面会謝絶なんだろ? それに、女子寮にいるんじゃ男の俺は近づくこともできないぞ」
「なぁに、心配はいらぬ。こんなこともあろうかと、すでに手は打ってある」
どうやら一発逆転の秘策ではなく、用意周到な姦計だったようだ。
ウィルがさっと手を掲げると、素早くセリアが一枚の封筒を渡す。打てば響く、見事な手渡し。そうして、スパーダ王家の紋章で封蝋された、飾り気のない白い封筒が俺へと差し出された。
はて、これは一体何なのだろうか。
「おっと、ここで開くでないぞ。ここを離れた後、必ず誰にも見られぬ場所で読むのだ」
「お、おう、分かった」
厳かに念を押すウィルの言葉に、黙って従うより他はない。とりあえず、大人しく影空間へ収納しておく。
もしかして、コレはスパーダ王族による紹介状みたいなものだのだろうか。こいつを見せれば、女子寮で静養中のお姫様のお見舞いも許可されるとか。
そう考えると、王族のお墨付きという結構な重要文書ってことになるな。よし、気を付けよう。
「ありがとなウィル、本当に助かるよ」
「なに、大したことではない。我が灰色の頭脳にかかれば、この程度の――」
続く煽り文句に、締めの高笑い。謙遜しているんだか自慢しているんだか分からないが、俺の感謝の気持ちは変わらない。
とりあえず、ネルに直接会えるのなら、どうなっているか分からずやきもきする事はなくなる。
それに、ネルには一つ頼みごとをしようと思っていた。リリィやフィオナじゃダメで、どうしてもネルでなければいけない。こればかりは、どうしても……
まぁ、それほど急ぐものでもないし、ネルが元気になってから頼むとしよう。
「時にクロノよ、本日いよいよシモンが帰ってくるな」
クールに言い放っているつもりなのだろうが、明らかに喜びは隠せてない。何かソワソワしてる。好きな女の子について話す男子中学生みたいな雰囲気だ。
かくいう俺も、久しぶりの再会にちょっとときめいてしまっているが。いや決して、解毒ポーションの口うつしのことを気にしているワケではない。断じて。
というか、あの一件は俺の心の奥底にしまっておこう。シモンだって、あんなに意識が混濁していたのだから、全く覚えていないだろうし。
「寮に戻るのは夕方くらいになるんじゃないか」
シモンが静養しているバルディエル邸には、そろそろ俺とウィルがお見舞いに行こうかと思っていたのだが、その直前に「8日に戻る」と手紙が届いたので、大人しく帰りをまつことにした。手紙にもわざわざ「気を遣って、お見舞いには来なくていい」なんて書かれていたし。
「ならば今夜は、帰還を祝って飲み明かそうぞ!」
「そうだな、シモンは祝勝パーティーには出席できなかったし」
さて、それじゃあ買い出しに行って用意をしておかないといけないな。午後の予定はそもそも買い物だったし、そのついでだ。あ、ついでといえば、ネルへのお見舞いの品も見繕っておかなければ。流石に桃缶は売ってないだろうから、何か考えておかないと……
「む、時間も押しておるな、そろそろ本題に入るとしようか?」
顔を合わせば色々と話題が出てしまい、随分と遠回りになってしまった。だが、俺は決してウィルと楽しい雑談をするためだけに、待ち合わせたのではない。
聞くには多少の覚悟はいるが、どうしても俺は知らなければならない。そう、それは一国の王がもたらすあらゆる褒美に勝る、情報だ。
「ああ、頼むウィル。十字軍は今、どうなっているんだ――」