第351話 式典
体育館かってほどに広さも高さもあるくせに、殺風景どころか、この世の贅と職人技の粋を結集したかのように、壮麗な装飾が施されている。
右を見れば、古代の英雄を象ったと思しき勇壮な戦士像が並び、左を見れば、美しさと逞しさを兼ね備えた気高き戦女神の彫像が立つ。立ち並ぶ像、なんと石像じゃなくて水晶の彫像だ、その中に、マントに大剣装備の戦士像と長槍に全身鎧の女騎士の像が――ああ、そうだ、この二体は王立スパーダ神学校の正門に設置されているのと同じ姿だ。きっとスパーダでは特に有名な英雄なのだろう。俺はまだ名前も由来も知らないが。
一体ウン千万クランはくだらないだろう水晶像と共に巨大な壁面を飾り立てるのは、目に鮮やかな真紅の布地に、煌く黄金の糸で刺繍された剣と王冠の紋章。シンプルなデザインながらも、掲げられれば厳かな雰囲気が漂うスパーダ国旗だ。
ついでに、俺の足元に広がるのも、国旗と同じ真っ赤な布地の絨毯。一本の道のように細長く続いていく赤絨毯、その先にあるのは、真紅と黄金で彩られた巨大な座椅子。
すなわち、玉座。
そう、俺が今いる場所は、スパーダ王城の玉座の間だ。
「冒険者クロノ、前へ」
「はい」
あぶねー、今ちょっと緊張で返事の声が上ずってしまうところだった。心臓バクバク、冷や汗がそっと首筋を伝う。それでも何とかポーカーフェイスを維持。
まぁ、単純に強張って無表情なままにしかなれないってことでもあるのだが。パレードの時も似たようなもんだったし。
そうして、ナントカいうスパーダの大臣に呼ばれて、俺は前、つまり、この先の玉座におわす王の下へと歩みを進める。
緊張のあまり、後ろのリリィとフィオナに思わず視線を向けそうになるが堪える。ついでに、水晶像の前にズラリと立ち並ぶ騎士やら文官やらのお偉いさん方の様子も窺いそうになるのも耐える。
落ち着け、こういう時は真っ直ぐ前を向いて、如何にも「私は真剣にやっております」という体を貫くのだ。
まさか、ミアちゃんとの練習の成果がこんなところで発揮されることになるとは。
ああ、そうだ、こんなところってのは、何も場所だけのことじゃない。この玉座の間で執り行われている式典だ。
何を祝っての式典かといえば、そりゃあもう、一つしかないだろう。
「冒険者クロノ、イスキアにおける貴君の活躍は――」
と、長々と回りくどく、それでいて内容は薄めな祝辞をナントカ大臣が述べているように、俺のイスキア古城での勲功を讃えられているのだ。
今回ばかりは自分でも自慢にできるほどの大活躍だったと思ってはいたのだが、まさか、王城にお呼ばれされた上に、こんな大規模な式典が開かれることになるとは予想だにしなかった。
今日は蒼月の月6日。スパーダに帰って丸一日休んだその翌日に、イスキアでの戦いで大きな戦功を上げた者に勲章を授与する式典が開催されることとなったのだ。
ちなみに俺は、昨日の夕方にいつもの高笑いを上げながら寮へやって来たウィルに、この式典の話を聞いた。
いくらなんでも急すぎるだろ、とは思ったが、俺の一存でどうこうできるものじゃないし、面倒だからとすっぽかせるほど軽いイベントでもない。
というか、フォーマルなスーツとか持ってないんですけど。とりあえず、今は神学校の制服を着て出席している。まぁ、学生であるのは事実だし、ケチはつけられない。
「ふっ、喜べクロノよ、ついに黒き悪夢の狂戦士の実力を、スパーダが認めた、否、思い知る時が来たのだ! 背筋をも凍らせる、黒き戦慄の凱旋と共に、今、新たなる闇の英雄が誕生する――クロノ、明日の主役は、汝だ」
やめてウィル、そうやってプレッシャーかけるの。何を言ってるのかよく分からないが、それでも凄い期待されてること、注目されてるってのは理解できる。
そもそも、こんな公の場で讃えられるなんていう経験、当然のことながら、俺には今まで一度たりともない。
事は、甲子園出場を祝って全校生徒の前で応援される、なんていうレベルじゃない。
スパーダの国王陛下から勲章を賜るってことは、正式に国がその功績を認められたってことである。ウィルが英雄誕生なんて言ってたのも、あながち大げさではないのかもしれない。
しかし、理解はできても納得はそうそう簡単に伴わない。なんで俺が、というか、俺でいいのか。そんな困惑ばかりが頭を駆け巡って、昨晩はあんまり眠れなかった。
おっと、このタイミングであくびなんてするわけにはいかないぞ。気を引き締めて、集中しないと。
「――それではこれより、レオンハルト国王陛下より、此度の戦功を讃え、勲章を授与する」
おお、ついに来たかっ! そう思えたのは、大臣が厳かにソレらしい台詞を言ったからではない。ただ純粋に、俺が王の前までたどり着いたからだ。
スパーダを統べる王、レオンハルト・トリスタン・スパーダ。
その真っ赤な髪と煌く金色の瞳は、確かにウィルと同じ。だが、その風貌は全く似ていない。
俺と同じかそれ以上に大きな体躯は、如何にも王様というような豪奢な赤マント姿からでも、極限まで鍛え上げられているのが分かる。肩の筋肉の盛り上がりに、裾から覗く手首の太さ。
見た目だけじゃない、その立ち姿だけでも全く隙がないと察せられる。
もしここで、俺が鉈を手に不意打ちを仕掛けたとしても、レオンハルト王は対処できるだろう。というか、正々堂々と戦ったら、俺はこの人に勝てるだろうか……なんて、戦闘狂みたいなことを考えている内に彼の前まで至った俺は、礼儀として、事前に教えられた通りに、敬礼。
右手で軽く拳を作って、それを左胸にあてるのが、スパーダ式の敬礼である。
その次は、えーと、そうだ、片膝をついた体勢で平服するのだったか。
だが、そうでなくても、自然と膝を屈してしまいそうになる。それほどまでに、圧倒的な気配をレオンハルト王は放っているのだ。うーん、今の俺じゃ、やっぱまだ勝てないかも。
「うむ、冒険者クロノ、面を上げよ」
玉座から立ち上がったレオンハルト王が口を開くと共に、俺の緊張感もいよいよマックスに達するのだった――
レオンハルトは、クロノという男に興味を持っていた。イスキアでの活躍をする前から、である
最初にその名を覚えたのは、冒険者ギルドから提出された報告書。内容は、ダイダロスで発行された緊急クエストについて。
緊急クエスト・避難民の護衛
報酬・未定
期限・未定
依頼主・ダイダロス冒険者ギルド
依頼内容・全村民のスパーダへの避難が決定した。道中の実質的な護衛の役目は各村の自警団が受け持つので、冒険者諸君は最後尾にて敵を出来る限り抑え、村人が避難する時間を稼いで欲しい。敵に関する情報は人間の軍団であるという以外は一切不明、これまでに
ない危険なクエストだが君達に村人全ての命がかかっている、勇気ある冒険者諸君の参加を願う。
そして、その結果は『失敗』に終わったと記されていた。
首都ダイダロスを陥れた十字軍はその後、領内の各村へと非道な占領活動を開始。故に、スパーダへ亡命するために、この緊急クエストが発行されたという状況は、情報部でも裏づけがとれていた。
スパーダへの避難民は、資料によればダイダロス西部の各村全てを合わせた人口である約一万人。緊急クエストを受注した冒険者は百三名。
その中で、現実にスパーダへ生きてたどり着いたのは、僅か五十名の避難民と、四名の冒険者。失敗、という言葉が軽く聞こえるほどの大敗北である。
だがしかし、報告書に記された生き残りの冒険者の証言内容を全て信じるならば、全滅したとはいえ、クロノはたった百三名の冒険者を率いて、十倍以上の敵兵力を一週間に渡り退け続けたことになる。
それも、ガラハド要塞のような堅牢な防備を誇る城ではなく、アルザスという単なる田舎村で。
果たして、そんな事が可能なのだろうか。
いいや、レオンハルトはこう思う。自分には、この当時ランク1冒険者でしかなかったクロノと、同じことができるだろうかと。
考えすぎというより、戦闘狂の気がある己だからこそつい妄想してしまったと、それ以上は気にしないことにしていた。クロノの名も、その内に忘れ去るはずだった。
だが、レオンハルトは再びクロノという名前を聞くこととなる。
妄想王子と不名誉なあだ名が世間では通っているが、自身にとっては愛する息子の一人であるウィルハルトから。
兄のアイゼンハルトや妹のシャルロットと違い、神学校ではすこぶる不人気だと聞いていたが、ある日送られた手紙には、新たにできた命の恩人にして友人の話と、迫る十字軍の脅威について語られていた。
ウィルハルトは戦闘能力こそないが、自分を含めた家族の誰よりも頭脳明晰であると、レオンハルトは知っている。むしろ、戦いしか知らない自分から、こんなに頭の良い子が生まれるのかと信じられないほど。母親にしたって、まぁ、そんなに自分と大差はない、本人にはとても言えないが。
ともかく、あのウィルハルトに心許せる友人ができたことは、かなりの驚きであった。
その手紙が届いた直後に視察したガラハド要塞にて十字軍の気配を察したことで、クロノの活躍が真実であったと確信に至り、さらに驚かされることとなる。
クロノという男の実力の底は計り知れないが、ウィルハルトをランク5モンスターであるラースプンから救い出したということは、少なくとも、二十年前の自分と同じだけの強さは持っていると判断できる。
現実に討ち果たしたのは『ウイングロード』であるが、ラースプンと戦ったレオンハルトだからこそ、理解できた。
アレは、都合よく見逃してくれるほど甘い相手ではない。確実にラースプンよりも上回る力を見せ付けねば、決して逃げることなく、どこまでも追いかけ続けると。
クロノはラースプンに死を意識させるほどの強さがあったからこそ、退けることに成功したのだ。それは、最大の武器である右腕を切り落としたという話から確信できる。無論、その話もクロノの証言以外に証拠などないが、すでに疑う余地はないとレオンハルトは判断する。
そうして、二度に渡って驚かされたクロノという男に、まさか三度目があるとは――否、レオンハルトはこうなると予想していた。
これほどの実力を秘めた男が、いつまでもランク3の冒険者、それも神学校に通う学生身分に甘んじているとは思えなかった。その内きっと、彼と所属する冒険者パーティは、スパーダにその名を轟かせるだろうという期待、ではなく、確信が持てた。
驚きといえば、その時があまりにも早かったということだろうか。
かくして、クロノはついに、スパーダ王たる己の前に現れる。
「うむ、冒険者クロノ、面を上げよ」
良い面構えだ。それが第一印象。
一国の王を前にしても、その表情に僅かほども緊張や動揺といった色は見られない。
その黒髪と片方だけ赤い目から、親友でもあるアヴァロン王の隠し子か、と思わず勘繰ってしまうほど。そうであれば、密かに英才教育を施された結果として、この泰然自若とした態度を貫いていられるのも、納得できる。
もっとも、あのアヴァロン王の性格からいって、夫人たちの目を逃れて女を作れるとは到底思えないが。
「イスキアでの活躍、真に見事であった」
レオンハルトの瞳には、真っ直ぐに向けられるクロノの赤と黒の視線が映る。その鋭い眼光からは、如何なる感情も読み取れない。喜ぶわけでもなく、浮かれているわけでもない。
自分の実力からいえば、至極当然の結果だったとでもいうのだろうか。傲慢、というよりも、単に事実を認識しているだけという様子。
ならば、こんな式典など酷く退屈だろう。少なくとも、自分はそうだ。いや、退屈というよりも、余計な我慢を強いられるといったところか。
こんな男を前にすれば、今すぐ決闘を申し込みたくなるのだから。彼の気配は、ガラハド要塞で感じた白いのとよく似ている。
この場にいる誰にも見えはしないが、レオンハルトの目、そう、自身の加護の一つである『好敵手索敵』を宿す、この黄金の瞳には、はっきりと映るのだ――クロノの体を覆う、闇のような黒いオーラが。
彼は一体、どんな力を秘めている。不死馬を駆り、呪いの武器を操り、黒魔法を放つ。今までに見た事も聞いた事もない戦闘スタイル。そして、彼のまとう暗黒のオーラは、いかなる神の加護によるものなのか……是非とも、手合わせ願いたい。
そんな欲求を全て抑えこみ、レオンハルトはこのつまらない式典をさっさと終えるべく、厳かに定型句を口にした。
「そなたの功績を讃え、第五十二代スパーダ国王、レオンハルト・トリスタン・スパーダの名において、勲章を授ける――」