第313話 白金の月22日・イスキア村
「ふぁ~あ」
と、大口を開けて堂々たる欠伸がグスタブの口から漏れる。
ランク5パーティ『鉄鬼団』を率いる頭は、未だにイスキア村に滞在していた。より正確にいうならば、冒険者ギルドの酒場席でふんぞりかえっている。
彼の足元には死屍累々と転がる冒険者たち。匂い立つアルコールの臭気、苦しそうな呻き声、ようするに、酔いつぶれているのだ。
ギルドの酒場席は、端から端まで料理とツマミの残骸と、空になったか、転がっているかしている酒のグラスが散乱している。
「なんや、もう朝やないの……」
窓から差し込む眩しい朝日に照らされて、グスタブがつぶやく。
「ほんなら、この辺でお開きっつーことで」
この惨状から一目瞭然ではあるが、昨晩はグスタブ主催で大宴会が開かれていた。
アヴァロンの第一王子にして、噂のランク5冒険者ネロと喧嘩をした翌日になって、いよいよ入荷された大量の酒で、空振りに終わったグリードゴア討伐を忘れるように飲み始めたのだ。
その場にいた冒険者達にも浴びせるように麦酒をくれてやる大盤振る舞い。噂通りの豪胆さ。そしてこの有様である。
「んもう、そんなの誰も聞いてないわよん、お頭」
椅子に座っているよりも、床に伏せっている人数の方が圧倒的大多数なのだ。グスタブの無意味なお開き宣言にツッコミを入れる声は、妖艶な女の声音――ではなく、野太い男の声だった。
「こういうんは、カタチが大事なんや」
「変なところで律儀なんだから。でも、お頭のそういうところ、嫌いじゃないわよ?」
うふん、と投げかけられるウインクに、あからさまにうんざりした表情に鬼の容貌が歪む。
「徹夜明けで気色悪いもん見せんなや……」
酔いとは別の意味で吐き気を覚えるのも無理はない。
身長二メートル超の屈強なミノタウルス(♂)に、オネエ口調でウインクされれば誰だってそうなる。
「そういうデリカシーのないところは、嫌いよ。乙女心が傷ついちゃう」
茶褐色の剛毛に覆われた分厚い大胸筋の奥底に、その乙女心とやらがあるのだろうか。
彼の肉体は野生のミノタウルスよりも逞しく鍛え上げられた筋肉の鎧に覆われ、完全に牛と同じ頭には、雄雄しい双角が突き出す。
もしも彼がグスタブのように豪放な男らしい性格であったなら、それはもうミノタウルス(♀)にモテただろう。
しかし、彼がまとうのは無骨な鎧でも飾り気のない丈夫な衣服でもなく、目に眩しいショッキングピンクのフリル付きワンピースであることから、ソッチ系であることは明白だ。
グスタブと出会った頃から、そうだった。もう真性である。
「あー悪かった悪かった、ワシが悪かったから堪忍な、ダグララス」
「謝るなら、ちゃんとワタシのことララって呼んでちょうだい」
「そらあかん、パンドラ中のララちゃんが可哀想やんけ」
「お頭のバカーっ!!」
ダグララス、とギルドカードに書かれている名前は誤字かと思われがちだが、彼の名は本当にダグララスなのである。ララ、という愛称は誰も呼んでくれないため、単なる自称でしかない。
プリプリと怒りを露わにした女の子走りだが、猛牛の如き勢いでダグララスは酒場から退場していった。向かう先は、宿泊しているギルドの部屋だろう。
とりあえずグスタブは傷ついた乙女をそっとしておくという名の放置を決め込んで、もう一人のパーティメンバーに視線を向けた。
「おう、ゴンは起きとるか?」
向いのテーブルに佇んでいる巨体は、その灰色の皮膚もあいまって石像のようである。
しかし、彼が紛れもなく生物、それも人であるということは、パッチリと見開かれた単眼と、大口から漏れる言葉によって証明される。
「お、オラは、朝ごはんが、食べたいんだな」
「こんな時間や、まだ注文できんから、お前も部屋で待っとけ。後で適当に頼んどいたる」
「うっす、お頭、ありがとうごぜぇます」
そうして席から立ったサイクロプスのゴンは、そのグスタブよりも大きく、特に横幅のある体をのろのろと動かしながら、部屋へと戻っていった。
ダグララスも、ゴンの相手をしていればすぐに気が紛れることだろう。彼はグスタブに次いで面倒見の良い男、本人は姉御を自称しているが。ともかく、任せておけばよいのだ。
「さて、ワシも酔い覚ましにちょっくら朝の散歩でも行ってくるかぁ」
ギシリ、と大きく軋みを上げて、グスタブの赤い巨躯が立ち上がる。
「ゼドラ、起きたらでええから、片付けを手伝ったれ。あんまり酔いが酷いのがおったら、ポーション分けたっても構わん」
「了解デス、お頭」
グスタブの背後から、即座に答えが返ってくる。
振り返り見れば、そこには赤いモノアイを輝かせるゴ-レムが一体。
頭には兎のような長い耳のオブジェがついており、ずんぐりした図体も相俟ってプンプンを彷彿とさせる。その鋼のボディが白と黒のツートンカラーで塗装されていることから、世にも珍しい白黒カラーのプンプン亜種をモデルにしたデザインだと、モンスターに詳しい者なら見抜けるだろう。
ゼドラと呼ばれたゴーレムは、ついさっきまでは酒場席の隅っこでピクリとも動かず完全なオブジェと化していたのだが、お頭の命令を受けて起動したのだった。
「そんじゃ、任せたでー」
酒樽のような寸胴ボディをポンポンと叩いてから、グスタブはパーティメンバーを残して優雅に散歩へと旅立っていった。
外へ出れば、田舎の農村ならどこでも見られる長閑な光景が広がっている。
薄っすらとした白雲が漂う青空、眩しい太陽。その下で、イスキアの村人がまばらに通りを行き交う。
「あー、グリードゴア、どないすっかなぁ……」
早朝のイスキア村をのしのしと歩いていくグスタブは、爽やかな朝に反して眉をしかめて悩み事を口にした。
グスタブが拠点であるスパーダにすぐ帰らなかった理由が、このつぶやきに現れている。
食料などの物資を補給して、もう一度イスキア丘陵へ向かうべきか。それとも、やはり完全に諦めてスパーダに戻るか、悩みどころであった。
そしてグスタブは悩む、つまり、考える事が苦手である。見た目通りに直感と経験則で物事を即断するタイプなのだ。
いざという時において、その決断力の速さというのは何にも勝る利点となるが、じっくり考えて、メリットとデメリットの比較に確率論、その他諸々の要素を総合的に判断して、期待値の最適解を導き出すのは苦手というより、無理なのだ。
馬鹿の考え休むに似たり。ダグララスとゴンは自分以上に脳味噌が筋肉なので、聞くだけ無駄。
やはりメンバーで最も理知的なゼドラに聞くのが一番だ、とグスタブが丸投げの結論に至ったその時であった。
ゴォオーーン!
と、村中に響き渡る大きな鐘の音が鳴った。
「緊急避難やとぉ!?」
スパーダ人なら誰もが知っている緊急事態を知らせる鐘の音、無論、グスタブとて例外ではない。
平和な朝の風景が、俄かに騒然となる。
これから畑仕事に向かうと思しき農具を携えた人々が慌しく駆け出す。軒先で開店準備を始める商人が、急いで店内に戻る。親の手伝いだろうか、荷物を抱えた幼い兄弟が手を繋いで走り出した。
鐘はただ、日常の終わりを告げるように鳴り響き続けている。
「まぁええわ、なんのモンスターの群れが来てんのか知らんが、ワシが叩き潰したる!」
何が起こったのか詳しい事情はわかるはずもないが、簡単に予想はついた。
緊急避難の鐘を鳴らす最も多い原因が、突発的に起こるモンスターの襲撃であるということは、最早パンドラ大陸においては常識。
ダイダロスと隣接する首都スパーダならまだしも、友好関係を築く同盟国たるファーレン側にあるイスキア村の立地を思えば、隣国が突如として侵略を開始したとも思えない。
ならばセオリー通りに、村に迫る危機の正体はモンスターの群れと見て間違いないだろう。
そして、そのモンスターは最寄のダンジョンであるイスキア丘陵から襲来したという予測もすぐに立つ。
ならば向かう先は村の西門、直感的にそこまで答えを導きだしたグスタブは、ドシドシと足音を立てながら赤い巨体を疾走させる。
「おうおう、こっち来とるモンスターはなんや? ケンタウルスか? オークか、ゴブリンか?」
西門には、すでに鎧冑のスパーダ騎士と、自警団の面々が集合していた。
グスタブと同じように、すぐに異常を察知した冒険者達も、ちらほらと姿を見せている。
開口一番、グスタブが大声でスパーダ騎士へと質問を浴びせた。
そして、その解答は――
「全部だ」
「はぁ?」
勇猛果敢なスパーダ騎士がしてはいけない青ざめた顔で、そんな意味不明な答えが返ってきた。
「全部ってなんやねん」
まさかこの騎士は新人で、初めての実戦を前に緊張でもしているのだろうか、なんて思ったが、壮年の男の面構えを見ればそういうことではないのだと直ぐに分かる。
「イスキア丘陵に生息するモンスターが全て、村に向かって来ているんだ!」
一体何を馬鹿な事を――事情を知らない者たちはそう思っただろう。
「う、嘘やん……」
しかし、グスタブは開かれた門の向こう、ファーレンへ続く街道の先から、濛々と土煙を上げて迫り来る大軍団の影を捉えた。
2012年12月31日
今年一年、『黒の魔王』にお付き合いいただきありがとうございました。まだまだ完結まで長いですが、どうぞ来年もクロノ達をよろしくお願いします!