第310話 白金の月21日・白光教会孤児院(2)
「魔族をっ、殺せぇええええあああああああああああああ!!」
一度戦いの幕が切って落とされると、武装した子供信者達は狂ったような声をあげ、猛然とリリィへ迫ってきた。
ただ一直線に床を走るだけではなく、軽々と長椅子を飛び越え宙を舞い、中には身軽な盗賊クラスのように壁を蹴って斬りかかって来る者までいる。
人間の子供にしては明らかに異常な運動能力。恐らくは、その凶器を握った細い手に宿る腕力も大いに増大していることだろう。
「『支配』で肉体制御まで解除できるのね、凄いじゃない」
呑気な感想を漏らすリリィは、事実、この状況下に全く危機感を覚えてなどいなかった。
脳が制限をかける身体能力のリミッターを解除し、100%の身体能力を発揮する小さな相手が三十数名――たったそれだけの敵が相手ならば、幼女リリィでも倒すに難はない。
前方には幼い容貌を狂気に歪めながら迫る信徒達、手にする刃はもうあと少しでリリィの体へ届こうかという間合い。
だが、すでにリリィも迎撃の準備は整え終わっている。ようするに、十字架を吹っ飛ばして見せた光の弾を、今度は一つではなく無数に妖精結界の周囲へ形成してあるのだ。
愛するクロノが得意とする魔弾と同じように、リリィの光弾は一斉に全弾発射された。
「ぎっ――」
襲い掛かる子供の姿も声も掻き消して、白い閃光の嵐が吹きぬける。
現代魔法でいう所の光矢の複数同時発射であるが、リリィのそれはただ体に突き刺さるだけでなく、着弾すれば爆発する凶悪なデフォルト仕様。
もしも頭に一発でも喰らえば無惨な首無し死体ができ上がるという事は、ついさっき証明されたばかり。
ひとしきり閃光と爆発と吹き荒れる熱風が収まると、そこには四散五裂した子供のバラバラ死体――があると思われたが、
「うん、まだ誰も死んでないわよね? ふふ、スラムの子供は頑丈でいいわね」
確かに生きてはいる。
だが、全員が片足か両足を吹き飛ばされており、中には手足の全てを失いかろうじて息をしているといった者も少なくない。
リリィがクロノやフィオナよりも優れているのは、攻撃に自動追尾能力を付加させることができるほどの精密な制御力である。
小さく、細く、柔らかい子供の手足を破壊するには大した爆発力も必要ない。より攻撃のコントロールに意識を割けるので、同時多数を相手にしても、息の根を止めずに狙い撃ちすることはリリィにとってそう難しいことではなかった。
かくして、たった一度の攻撃によって子供の大半は自ら作り出した血の池地獄に沈むこととなる。
四肢を欠損した瀕死の子供が無造作に転がるこの凄惨な光景を見れば、一体どんな悪魔がこんな所業を仕出かしたのかと誰もが思う。
幸いなのは、『支配』の作用によって、彼らが悲痛に泣き叫ぶBGMだけはかかっていないことだろう。
リリィの耳に届くのは、獣染みた呻き声と、途切れ途切れの聖句のみ。
「逃げたか……まぁ、こんな奴らと心中なんて御免よねぇ?」
歪んだ微笑を浮かべるリリィの視線の先には、つい先ほどまで偉そうに壇上でふんぞりかえっていた少年司祭の姿は映らなかった。
信者をけしかけると同時に、自分は女と守護戦士と呼ぶ護衛を引き連れてさっさと退散したのだ。
正面の入り口は妖精結界全開のリリィが仁王立ちで立ち塞がっているので、逃げた先は無論、裏口ということになる。
しかし、リリィは身を翻らせて追撃に移らず、十人ほどにまで数を減らした子供信者の相手をする構え。
焦る必要はない、こんな雑魚など時間稼ぎにすらならないのだから。
「キェエエエエエイ!!」
圧倒的な攻撃魔法を見せ付けられたにも関わらず、生き残った子供達はやはり武器を手放すことはなく、未だ殺意を向き出しに吼える。
そうして再び勝ち目のない突撃を敢行。
そういえば、アルザス村に攻め寄せた十字軍兵士達も進んで必殺の十字砲火に飛び込んでいた、なんてことを思い出し、その無様な末路を重ねるのだった。
だが、次の一撃で終幕とばかりにリリィが光のフルバーストを見舞う直前。
「あら、貴方もしかして『支配』にかかってない?」
狂った雄叫びをあげながら攻め寄せる子供に混じって、一人だけその目に理性の輝きを残している少年を見つけた。
他でもない、彼こそはクロノへ石を投げつけた、オレンジ泥棒の少年だ。
特別に何か抵抗反応も見られなかった。恐らく、純粋に精神の防御能力が高いのだろう。
リリィは『支配』の光を、何の事はない、ただ妖精結界が備える防御能力だけで防ぎきったに過ぎない。
この光り輝く妖精の防備は、実は物理防御よりもこういった魔法・精神攻撃にこそ高い防御力を発揮する。
宝玉だけに魔法発動を頼りきる少年司祭では、結界を越えてリリィの精神を蝕むことなど不可能。いや、きっと熟練の呪術師であったとしても、妖精の中でも類稀な固有魔法を誇るリリィに『支配』をかけることはできないだろう。
それでも、生まれ持った精神防御だけで耐え切った少年は、凄い才能だと賞賛されるべきものだ。
だが、今この時において、その特殊能力は彼に幸運をもたらすとは言いがたい。
「ふふ、いいわ、貴方だけは残しておいてあげる」
大人しく操られていれば、リリィの気に留まることもなかっただろうから。
そうしてリリィが少年に目をつけた頃には、身体能力を限界以上に引き出され下手な速度強化よりもよほど速いダッシュを可能とする子供、否、すでにして立派な少年兵によって、光矢を炸裂させるだけの間合いを詰められてしまっていた。
戦いにおいて一瞬の躊躇、油断が生死を分ける――なんて反省は、勿論、リリィには全くない。
「光刃」
ただ行使する固有魔法の種類を切り替えれば良いだけの話である。
同じ白光でありながら、弾から刃へとその形態を変化させたリリィの攻撃魔法だが、それによって引き起こされる結果は全く同じものを導き出す。
発生した光刃は二本。妖精結界の丸い表面を滑るように光のブレードは稼動し、的確に迫る敵を迎撃せしめる。
彼らが手にする凶器を正しく子供の玩具だといわんばかりに、巨大で圧倒的なリーチと威力と熱量を誇るリリィの二刀流はいとも容易く手足を切り裂いた。
爆風で吹き飛んだのではなく、高熱の光によって切断されたせいでその傷口から血は噴き出ず、新たに床を汚すことはなかったということだけが、光弾で仕留めた時との違いだろうか。
どちらにせよ、身動きできない状態での瀕死に追い込んだ十数名の敵のことなど、リリィはすでに眼中にない。
今は青い彼女の双眸が注目するのは、唯一『支配』の効果にかからなかった件の少年である。
理性を失うことはないが、同時に身体能力も強化されないままの彼は、かなり遅れてようやくリリィの元までたどり着く。
手にするちっぽけなナイフで、どうやってこの光刃に対抗しようというのか。
よしんば高熱の二刀を奇跡的に掻い潜ったとして、果たしてリリィの全身を完全無欠に覆い隠す妖精結界を突きぬけ、刃は届くのか。
無茶、無謀、それでも信仰の為に決死の攻撃を繰り出す幼い信者に、
「とりあえず、これで許しておいてあげる」
神は決して、救いの手を差し伸べることはない。
「うぁああああっ!!」
リリィは手元で作り出した威力を抑えた光弾を、ほとんどゼロ距離で少年の胸元で炸裂させた。
妖精結界に守られるリリィは、そこで発した爆風に髪の毛一本たりとも揺らす事なく佇んだままでいられるが、何にも守られるものがない少年の小さな体はあっけなく吹き飛んでいく。
放り捨てられた人形のように宙を舞った少年は、そのまま受身も取れず強かに体を血で汚れた床に叩きつける。
「ぐぅ……クソぉ……魔族、め……」
そんな、唯一人正気でありながら、他の狂った信者と同じような台詞を漏らす少年の下へ、リリィはゆっくりと歩み寄った。
交差する二つの視線。見上げる少年、見下すリリィ。
両者の距離は、近くて遠い、さながら人と神の如く。
「くそっ、くそぉ! またお前らのせいかよ! お前らがいなければ――」
「私のこと覚えていてくれたのね、嬉しいわ」
話が早くて助かる。
もっとも、彼にはただの皮肉にしか聞こえなかっただろう。
この、クゥアル村出身の農民の子から、スパーダの難民となり、果てはアヴァロンでエセ宗教に引っかかった哀れな少年には。
「ねぇ、もしクロノに謝ると言うのなら、助けてあげてもいいのだけれど」
それは悪魔の気まぐれか、それとも真実、子供に対する哀れみの感情を持っているのか、リリィはそんな提案を口にする。
「く、ろの……あの黒いヤツか……ふざけんな、アイツが全部悪いんじゃねぇかよ!」
「ただの勘違いよ、クロノは冒険者を率いてよく戦った。それでもダメだったのは、それだけ敵が強かったというだけのこと」
「嘘だっ! 嘘だ、嘘だ、アイツが悪いんだ、アイツが村を捨てるように皆をそそのかしたからこんな事になったんだ!!」
はぁ、と小さく溜息をつきながら、リリィは呟いた。
「クロノが喜んでくれると思ったんだけどなぁ……」
それが例え、嘘偽りだとしても。
クロノが喜んでくれるなら、自分の怒りなどいくらでも水に流そうというリリィの寛容な心遣いは、どうやら少年には届かなかったようだ。
いや、彼の心がすでに取り返しがつかないほどの恨みを向けてしまっていることに、強力なテレパシー能力を誇るリリィが分からないはずがない。
要するに、何を言ったところで無駄、というのが判明した。
「それじゃあさようなら。ああ、もしあの偽司祭と地獄で会ったらこう言いなさい――」
そうして、リリィは漆黒のワンピースの裾を翻らせ、少年へと背を向ける。
後には、宙に浮かんだ複数個の光弾と、手向けの言葉を残して。
「よくも騙したな、ってね」
「もう、なんなのよアイツぅ!」
「今夜仕掛けてくるとは、ツイてないな」
首尾よく礼拝堂の裏口から脱した司祭と少女は、そんなやり取りを口にしながら早足で進む。
空には大きな満月が浮かんでいるが、彼らが歩む孤児院の裏庭はどこまでも暗い。
「あの子達だけで大丈夫なの?」
「五分持てばいい」
その口ぶりからいって、子供の信者をあの危険な妖精少女へけしかけたことに対する後悔も、彼らの身を案じる気持ちもないことが窺えた。
「すでに新たな守護戦士を動かす準備は整っている、聖堂までたどり着けば――」
そこまで言いかけた時、行く手を遮るように一つの人影が現れた。
「信者を犠牲に自分だけ逃亡ですか。教祖というのは何処でも同じことをしますね」
そんな皮肉を口にするのは、黒いローブに黒い三角帽子、そして長杖を手にした一人の少女。
宙に浮かんだ灯火が、眼鏡の似合った美貌を照らし出す。
「今度は魔女か、どこまでも邪悪なメンバーを揃えている」
司祭も妖精少女一人ではなく、はじめから冒険者パーティだと予想できていたのだろう。
新たな敵の出現にそれほど動じる事なく、そんな聖職者らしい言葉を返した。
「黒魔法も使える狂戦士もいるんですが、今日は別行動なもので。ご期待に沿えず申し訳ありません」
その一目で魔女と呼べる衣装に身を包んだ少女が、そんなどうでもいい内輪の事情を漏らしつつ距離を詰めてくる。
「守護戦士を二体つける、任せてもいいかい?」
「勿論、私の炎で邪悪な魔女を火あぶりにしてあげるから!」
威勢の良い台詞と共に喜んで足止めを買って出たのは、魔術士の少女。
その赤い髪と瞳、そして真紅の結晶がはめ込まれた短杖を手にする姿を見れば、言葉通りに炎の攻撃魔法を扱うだろうことが冒険者なら誰でも推測できるだろう。
ついでに、彼女が身にまとう帝国学院の制服が本物であるならば、魔法の実力もそれなり以上であることまで予想はつく。
そして、魔術士に必須の前衛を勤める屈強な戦士、文字通り守護戦士を名乗る鉄化面の巨体が無言で前へ進み出た。
己の実力によほど自信があるのか、守護戦士が頼もしいのか、あるいはその両方か、少女の表情に恐れの色は全く浮かんでおらず、むしろ喜色満面といったところ。
「頼んだよ」
「うん」
大きな護衛の背後で、少年と少女が別れの口付けをしているのが、恐らく魔女にも見えただろう。
だが、幼いながらも愛し合う関係である二人の邪魔をしようというほど無粋ではないのか、キスを終えて司祭が走り去るまで魔女は黙って佇んでいた。
「その歳でもう恋人関係ですか?」
「そうよ、羨ましい? 羨ましいわよね、そんなだっさい眼鏡かけてる根暗な魔女にカレシなんてできるわけないし! きゃはは!!」
完全に女として見下した視線を向ける少女に、対する魔女は眉一つ動かさない無表情を貫いている。
「……爆発させてあげますよ」
だが、そんな明らかに恨みの篭った呟きを漏らすのだった。