第309話 白金の月21日・白光教会孤児院(1)
「――白き光の導きがあらんことを」
その聖句が、まだ成人に満たない少年少女達の声音で一斉に唱和される。
揃いの白いローブに身を包んだ彼らは勿論、孤児院の住人であり、また同時に白光教会の信者だ。
ここは孤児院の中にある礼拝堂――といっても、それ専用に建てられたものではなく、あくまで寂れた孤児院の一室を改装して仕立て上げた、手作りの空間。
みすぼらしくはあるが、ここは神を信じる幼い信徒が作り上げた努力の結晶でもある。
それは本来あるべき信仰の形といえるかもしれない。神を崇めるのに、必ずしも壮麗な大神殿は必要ないのだから。
彼らは唯一つ、ここに掲げられた大きな十字架に向かって祈りを捧げる、昨日も今日も、そして明日も。
「これより、新たな守護戦士復活の儀を執り行う」
集った三十数名の信徒と向かい合う壇上には、彼らを文字通りの意味で導く、銀髪の少年司祭の姿。
その傍らには制服姿の赤い魔術士の少女が控えているが、今回ばかりは場の雰囲気を心得ているようで、ただ静かに立っているのみ。
そして二人のさらに両側には、守護戦士と呼ばれる鉄仮面の巨漢が二体、まるで石像のように微動だにせず直立不動で存在していた。
すでに陽は落ち辺りは夜の闇に、まして影の多い貧民街は尚更に暗い。
礼拝堂には点々と蝋燭の炎が室内を照らし出すのみだが、それがかえって厳かな雰囲気を醸し出している。
少年司祭の茫洋とした気配は、こういう場でこそより神秘的に映る。
その類稀な白い美貌と、それを物質で表現しているかのように、彼が持つ純白の宝玉『至天宝玉』が懐から取り出された。
「今宵、新たに九人の守護戦士が蘇る、さぁ、奇跡の復活を共に祈ろ――」
その静かな演説を遮るように、バンっ、というけたたましい音が響き渡った。
礼拝堂の両開きの扉が勢い良く開かれたのだということは、司祭含めここに集った少年少女の全員が咄嗟に視線を向けたことで明らかとなっている。
そして不敬にも神聖な儀式を邪魔するかのように音を立てて乱入してきた人物は、
「うぅ……た……たしゅけて……」
よく顔の知った、一人の少年である。
孤児院に住まう子供は五十人にも満たない。その全員が顔見知りレベルを超え、同じ信者という強い共通意識を持つ仲間。
彼はその中でも年長で、格好からいって如何にも不良少年といった風情だが、孤児院の幼い子供達を弟や妹のように可愛がって世話を焼いてくれる、良い兄貴分の一人であった。
そんな彼は呂律の回らない口ぶりで必死に助けを求める哀れな姿と成り果てている。
だが、そんな様子よりもっと痛ましいのは、彼の頭部に突き刺さる複数の針。
「あ……あぁ……」
深々と刺さったその針は、白光教会の信者が崇めるに相応しい白い光を放っている。
だが、それをありがたがる者など誰もいない。
この明らかに異常な状態に、本来ならすぐさま助けに駆け寄るべきだが、誰もが息を呑んでその場で動くことができない。
そして、その硬直は結果的に正しかった。
「あ、あっ、アァあ嗚呼あああああイヤぁだぁあああああああ――」
そう絶叫した瞬間、少年の頭が弾け飛んだ。
刺さった光の針が爆発した、冷静にそう認識できたのは、恐らく少年司祭だけだっただろう。
不運にも彼の近く立っていた子供達は、その白い衣装を赤黒い血と脳漿で汚すこととなる。
次の瞬間には、悲鳴と共に礼拝堂がパニック状態に――そうなるはずだった。
「こんばんは」
小鳥のさえずりよりも流麗な少女の声と、朝日よりも目に優しい淡い緑の光が礼拝堂に差し込んだことで、彼らの注目は再び開け放たれた扉へと集められた。
そこに立っているのは一人の少女。
声から想像する通り、いや、その想像以上に美しい、間違いなくその美貌には魅了が宿ると断言できるほどの、美少女であった。
彼女は子供達の祈りに応えた聖女アリアが遣わせた天使に違いない――少年の頭が吹っ飛んだ凄惨な一幕さえなければ、素直にそう信じられただろう。
そう、例え幼い子供でも、この美しい光を纏った少女こそ、彼を殺した張本人であると断定できる。
つまり、敵。
「その姿、妖精……魔族がこの聖なる場所へ何の用だい?」
最初に彼女へ声をかけられたのは、やはり代表である少年司祭。
その声音はいつもと変わらぬ平坦なものに聞こえるが、僅かばかりの憎しみが篭っていることに、魔術士の赤い少女は気づいたかもしれない。
「悪い子へお仕置きしにきたのよ」
「……冒険者か」
にっこりと麗しい微笑みを浮かべて冗談のような解答を述べる妖精少女。だが、それだけで凡その事情を少年司祭は察せたようだ。
「ふぅん、自覚はあるみたいね」
それを「鋭い」と言うよりも、いっそ馬鹿にするかのような台詞が妖精の小さな口から零れる。
つまり、信仰だなんだと語っていても、冒険者の討伐が差し向けられるほどの犯罪行為を行った自覚があったということ。
事実、先日に行ったエルフ商人夫妻の邸宅襲撃をはじめ、過激な行動に関わったメンバーは全員この場に揃っている。
だが、そのやり取りの真意に幼い信者は気づかない、同時に、司祭の細い眉が不快を表すようピクリと反応したことも。
「白き光の導きに叛く魔族は断罪されなければならない――」
最早、忌まわしき妖精と言葉を交わす余地などない、と言わんばかりに少年司祭は手にする宝玉を掲げた。
それがただの宝石ではないことを証明するように、純白の巨大宝玉はその内より仄かな光を明滅させる。
「我が意を成せ、『至天宝玉』」
その言葉、宝玉に秘められし魔法を解き放つキーワードを唱えた瞬間、それが正常に作動したことを示すかのように、眩い閃光が瞬いた。
これこそ聖母アリアが彼に与えた奇跡の魔法と信じられるほど、どこまでも白い輝きが礼拝堂を満たす。
その感動的な光も、過ぎ去ってみれば一瞬のこと。
再び蝋燭に照らされた薄暗い、いや、今は妖精が纏う球状の光によって明るさの増した室内に戻る。
だが、今とさっきまでとは、決定的に違う。
この仲間を無惨な方法で殺した妖精は、すでに少年司祭の意のままに操ることができる、そう、あの寄付を拒んだ愚かなエルフの商人のように。
自分の意識は保ったまま、だが、その体は決してコントロールできない。
この生まれて初めて見る、いや、人の人生の中でも一度お目にかかれるかどうかというほどの美少女が、果たしていつまでさっきまでのように生意気な口が利けるのか実に見ものである。
司祭に代わって、背後に立つ魔術士の少女は隠す事なく歪んだ笑みを浮かべていた。
「ああ、なるほど、『支配』を発動できるのね。厄介な能力、大抵の冒険者はそれだけで返り討ちにできるわ――」
でもね、と続けると共に、妖精は目の前に小さな光の球を中空に生み出す。
「――私には効かないわよ?」
見蕩れるような美しい微笑みと共に、光の球は、否、弾は一直線に飛び出していき、
「っ!?」
驚きに目を見開く少年司祭の顔の横を通り過ぎ、その背後で高々と掲げられている十字架のオブジェクトに着弾。
神の威厳を真っ向から冒涜するように白い光の爆発を起こし、音を立てて十字架が床へと脆く崩れ落ちる。
「な、何故……」
ようやく感情らしい感情を顔に表す少年司祭の様子に、満足したように妖精は笑って答える。
「うふふ、秘密」
だが少なくとも、『至天宝玉』が秘める『支配』という特殊な状態異常をかける魔法が、この相手には全く意味をなさない事は理解できた。
「この悪しき魔族を討ち滅ぼせっ!」
そう声を荒げると同時に、再び『至天宝玉』を掲げる。
またしても白い閃光が礼拝堂を包み込むが、それに対して「無駄なことだ」と妖精が嘲笑うことはなかった。
「魔族を殺せ」
「魔族を断罪せよ」
「白き光の導きがあらんことを……」
それまで事の推移を見守ることしかできなかった子供信者達が、口々に聖句か物騒な台詞を呟きだし、一斉に敵意の篭った視線を妖精へと向けた。
「子供にこんな酷いことさせるなんて、やっぱりロクな宗教じゃないわね」
「黙れ、忌々しい魔族は必ず断罪を受けさせる。それが信徒の努め――さぁ戦え、神の戦士達よ」
その激励に答えるように、子供達はローブの下から武器を取り出した。
死んだ不良少年が持っていたのと同じ大きなナイフもあれば、小ぶりなものもある。
ナイフ以外にも薪割り用の鉈や手斧、肉切包丁、特に小さい子はハサミやフォークでの武装だった。
常に凶器を子供に携帯させるのは如何なものか、というよりも、こういう事態を見越しての指示だということは、その刃を向けられる妖精本人は理解できたことだろう。
「子供が相手だから、泣いて謝れば見逃してあげようと思ったけど……ただの少年兵だっていうなら、容赦はできないわよ?」