第298話 白金の月19日・イスキア村冒険者ギルド(1)
「うぬぅ、結局ウイングロードに良いところを全部もっていかれてしまったではないかぁ」
「いいじゃん別に、好きにやらせておけばさ。こっちは楽できるんだし」
「しかしだな、この野外演習は集団的軍事行動を学ぶという重要な――」
「銃が撃てなかったからって、そんな拗ねないでよ。どうせ明日には撃たざるを得ない状況になるだろうし」
陽も暮れたイスキア村冒険者ギルドは、夕食と酒盛りを一緒に行う冒険者達の活気で満ちている。
ギルド内に併設されている一階食堂、その席の一角に、ひっそりとスパーダの第二王子が小さな友人相手に安酒を飲みながら愚痴っていた。
その特徴的な赤毛は羽織っている見習い魔術士ローブの深いフードによって隠れており、誰もその正体に気づく者はいない。
もっとも、すでにギルド内にいる冒険者はみな酔いが回っていたので、例え素顔を晒していても華麗にスルーされていただろう。
「もう、慣れない麦酒なんて飲みすぎると、悪酔いするよ」
「ふっ、良いのだシモン、今の我は一時だけの退廃的な悦楽に身を委ねる卑小な存在……くくっ、滅びよ、来たれ……」
「ちょ、ちょっと、トイレで吐いたりしないでよね!」
ふぁーはっはっは、といつもよりちょっとフワフワした感じの高笑いを上げるウィルハルトは、どうやらシモンに介助される気満々なようだ。
「はぁ……ウィルのワガママに付き合うんじゃなかった……」
あからさまに溜息をつきながら、シモンはしみじみそう思う。
そもそも、こんな場所でささやかな酒盛りなどをしているのは、つい数時間前、
「ふぁーはっはっは! シモンよ、この我と閉じられし牢獄世界を打ち破り、神々に捧ぐ聖なる清水を嗜みに行こうではないかっ!!」
「えーと、つまり、野営を抜け出してお酒を飲みに行こうって?」
「然り!!」
渋々ながらもこれにOKを出してしまったのがシモンの運の尽きであろう。
いや、シモンとて授業のサボリ常習犯ではあるものの、何も「反社会的な俺カッコいい」という思想に染まっている痛い子ではない。
二つ返事で了承したわけではなく、
「頼むっ! 友達ができたらこっそり抜け出して酒を飲みに行くのが我の夢だったんだよぉ~」
と、王族の威厳を一切合財かなぐり捨てた懇願をされてしまっては、付き合わざるを得ないだろう。
かくして、イスキア村郊外の神学生野営地よりこっそり抜け出してきた二人は、こうしてギルドの酒場へやってきたのである。
勿論、お目付け役たる護衛メイドのセリアには内緒で。
少なくとも、主たるウィルハルトだけは完全に目を欺くことができたと思っている、ウィルハルトだけ、は。
「本当にほどほどにしておいてよね、明日はついにダンジョン入りするんだから」
「ふはは、聞こえるぞ、凶悪なる魔の者共の呼び声が……良かろう、存分に食らわせてやろうではないか、我が滅びの銃弾をっ!」
白金の月14日よりスパーダを発ってから五日目の今日、目的地であるランク3ダンジョン『イスキア丘陵』に聳える古城の一歩手前にあたるイスキア村に到着している。
明日の早朝に村を出発すれば、昼前にはダンジョンの丘陵地帯へ足を踏み入れ、さらに夕暮れ時になればイスキア古城へ入城できるだろう。
いうなれば、ダンジョンへ入る前に村という安全地帯で寝泊りできる最後の夜なのだ。
ウィルのように野営地を抜け出して酒を飲みに行ったりするのは、実は野外演習において一部の神学生の間で恒例行事だったりもする。
勿論、表立って堂々とやればお叱りを受けるのだが。
「気合いれるのはいいけど、ホントにモンスターが大量発生とかは勘弁して欲しいよ。あんな数のオークが街道に現れるなんて、今のラティの森は荒れてるんじゃないのかな」
「ふむ、確かに」
シモンの懸念に、ウィルも真面目に返答する。
「ここ最近のラティの森の目立った動向は、一ヶ月ほど前から始まったスライムの大発生くらいだと思ったのだが、うーむ、オークの生息域を脅かすほどの影響になってきているのかもしれんな」
「スライムといえば、前にリリィさんが三百くらいラティの森で狩ってきたって聞いたよ」
「さ、三百だと、いくらなんでもそれは盛りすぎでは――」
「いやぁ、リリィさんなら余裕だよ」
どこか遠い目をして断言するシモン。
ウィルは神学校で『幸せの妖精さん』などと呼ばれる、愛らしい幼女リリィの姿しか知らないので、一体彼女が戦場においてどんな活躍をするかなど全く想像できない。
「あのリリィ君が……冗談、だよな?」
「ははっ、まさか、あの人は『エレメントマスター』の中で一番怖いんだよ」
完全に目が笑っていないシモンの顔を見て、ウィルはそれ以上聞くのを止めた。
この世には知らない方が良い情報もある、ということをウィルはよくよく理解している。
「とにかく、イスキア丘陵もどうなってるのか実際行ってみないとわからないんだからさ、気をつけないと」
「うむ、心しておこう」
と、ウィルが答えたその時だった。
「なんだとぉ、酒が用意できないとはどういうことだぁ!!」
酔っ払いたちの喧騒を一蹴するほどにデカい怒鳴り声がギルドのロビーに轟いた。
「うわ、なにアレ……」
「何やら職員と揉めておるようだが」
ひそひそと囁きあうシモンとウィルだけでなく、今やギルド中の注目を怒鳴った男は集めていた。
「おい貴様、わかってるのかぁ、これから来るのはランク5冒険者パーティ『鉄鬼団』のお頭なんだぞ。もし酒が足りねぇなんてことになったら、こんなド田舎ギルドどうなるかわからんぞぉ!」
どうやら喚き散らしているのは、小太りの人間の男であるようだ。
その体形と装備から、どう見てもランク5パーティの一員ではないだろう。
恐らくは、宿の手配やアイテムの補充などなど、雑事を引き受ける小間使いだと思われる。
しかしながら、小太り男は自分がランク5冒険者であるかのようなふてぶてしさで、酒の不足を訴える職員に脅迫ギリギリなケチをつけている。
こうしてギルド中からあからさまな注目を集めていても、全く気にした素振りを見せないのは、いっそ才能と呼べるかもしれない。
「『鉄鬼団』って聞いたことあるよ、スパーダじゃ結構有名なパーティだよね?」
「うむ、『鉄血鬼』の異名をとるオークの戦士、グスタブが率いる力自慢のパーティだな」
パーティメンバーの四人は、それぞれオーク、サイクロプス、ゴーレム、ミノタウルス、どれも腕力に優れたパワーファイターな種族のみで構成されている。
魔法など邪道といわんばかりに物理攻撃オンリー、遠距離攻撃といえば、ゴーレムが引く機械仕掛けの巨大弓だけである。
「だが、もう一つ有名なのは『鉄鬼団』の名を借りる構成員の多さだ」
どうやらグスタブという男は酷く面倒見の良い性格らしく、自分と縁のある者を積極的に取込んでいっているのだ。
それはすなわち、ランクの差があってもパーティメンバーとして迎え入れるということで、冒険者の常識からすれば何の得にもならない行為である。
それでも、金銭面や装備面だけでなく、実戦での指導などで、低ランクのメンバーを世話しているのだ。そしてある程度まで育ったら、立派に独り立ちしていくのだ。
もっとも、正式にランク5を名乗れるのは先にあげたグスタブ含むパワー種族四名で組んだ場合のみという、少々変則的な認定をされていたりもする。
ともかく、そんな一種の慈善事業とも呼べるような行動で、所属メンバーから慕われるのは勿論、他の冒険者からは尊敬を集め、ギルドも信用できる優良パーティと太鼓判が押されている。
「その割には、揉め事起こしてるみたいだけど」
「傭兵団並みの人数を擁しておるからな、問題のある者も少なからずおるのだろう」
そんなことを二人が話している間にも、小太り男は益々ヒートアップしていき、最早その怒声が店内BGMとなっているような有様だ。
流石にそろそろ誰か止めたほうがいいんじゃないか、という雰囲気が流れる。
「おいオッサン、いい加減黙れよ、酒が不味くなるだろうが」
と、誰もが望んだベストタイミングで、男への文句が上がった。
「ああ、なんだぁ、こっちはランク5パーティの――」
「ランク5が、どうしたって?」
男の前に立ちはだかったのは、一人の少年。
スラリとした長身は王立スパーダ神学校の制服で包まれ、その背には燃えるように真っ赤なマントが翻る。
伝説の魔王と同じ黒髪赤眼を持つ美貌は、あからさまな不機嫌で彩られており、秀麗な眉根が険しく寄せられている。
「うっ、お、お前は、まさか……」
だが、喚いていた男を一気に黙らせたのは、そんな彼の姿ではなく、その首元に煌く一枚のギルドカード。
銀よりも白く、黄金よりも華麗な輝きを宿す、その白銀は紛う事なくランク5を示すミスリルプレート。
そして、そこにはこう名前が彫られているはずだ。
「ネロ・ユリウス・エルロード……」
男も、騒ぎを近くで見物していた冒険者も、みな、息を呑んでそう呟いた。
「なんだ、アイツも飲みにきてたのか」
そして約一名、端っこの席で全く方向性の違う感想を抱く、幼馴染の王子様がいるのだった。