第288話 狂える魔眼(3)
「喰らえ、悪食っ!!」
左手の試作型銃と入れ替えるように、影空間から『餓狼剣「悪食」』を呼び出す。
柄を掴んで強引に影から引きずり出すと、その幅広い牙の刀身を盾のように構える。
俺が対応できたのは、そこまでだった。
「――くっ!」
視界が眩い紫の閃光に包み込まれ、瞬間的に前後不覚に陥る。
だが、体のどこにも異常は感じられない。
俺の腕は、脚は、まだ自分の制御下にあることをはっきり認識できる。
「ありがとなヴァルカン、助かったぜ」
ほどなくして、魔眼の結晶化光線がおさまる。
系統的には状態異常を起こす光の魔法なのだろう。
魔力を源にした攻撃であるというのなら、どんな魔力でも喰らう、という触れ込みの『餓狼剣「悪食」』で防げないはずはない。
予想は見事に的中、ヴァルカンが期待に応えてくれたってワケだ。
「ぁああああああああああ!!」
俺が水晶の像にならなかったことがよほど不満なのか、サイードは発狂したように、いや、最初から狂っているか、ともかく、あからさまに不機嫌な様で叫ぶ。
「悪いが、さっさと決着をつけさせてもらうぜ」
俺の体にまとわりついていた三体の死体は、モロに魔眼の光線を浴びて綺麗な紫水晶の像へと姿を変えている。
右足を踏み出せば、色男エルフの彫像は粉々に砕け散り、その拘束が外れる。
さらにもう一歩を踏み出せば、丸太のようなオークの両腕も脆く砕け、淡い紫の結晶を土の地面に撒き散らす。
三歩進めば、腰に抱きついていた女の上半身は崩れ落ち、原型を留めぬほどバラバラに。
未だ右手に握る鉈を振るうことなく、三体の束縛はあっさりと解除された。
これで俺を止めるものは、もう何もない。
あとはこのまま、呪いに狂う哀れな貴族を切り伏せればいいだけだ。
「行くぞ」
右手に『絶怨鉈「首断」』、左手に『餓狼剣「悪食」』、呪いの大剣を二刀携え、俺は真っ直ぐサイードに向かって駆け出す。
「しねっ、シねっ、死ねぇええええええ――ァアアアアアアアアアアアアアア!!」
サイードの絶叫と、薙刀から発する金切り声が不協和音の二重奏を奏でる。
呪われた一人デュエットは耳に不快なだけでなく、真実、人を殺すに足る効果を発揮する。
「喰らえっ!」
三度襲い来る魔眼の光線を、悪食を盾に防ぐ。
物質的に触れることができない光であっても、貪欲に魔力を求める牙は、一筋も俺へ漏らさず食い尽くす。
悪食の防御は完璧だ、問題なのは――
「オッ……オアァアアアア!」
切り裂いた脇腹から鮮血滴る臓器をこぼしながらも、無銘のハルバードを手に勢いよく起き上がるサイクロプスだ。
死者蘇生の魔法は現代でも古代でも存在しない、だとすれば、アンデッドとして復活したか、直接的に死体を操っているかのどちらか。
いや、綺麗に頭を切り落とした死体だけはピクリとも動かない、だとすれば、やはりアンデッド化だろう。
秘密は恐らく、黒い薙刀が鳴らす不気味な音。
まぁ、その音が如何なる原理でアンデッド化を起こしているのかまでは知らないが、どちらにせよ、腕ごとぶった斬るしか、止める手立てはなさそうだ。
「ガアアッ!!」
直進する俺に向かって、横からタックルを決めるような勢いで猛然とサイクロプスが突撃を仕掛けてくる。
その身長と横幅があれば、まるでトラックが突っ込んでくるかのような迫力。
だが、俺の右手には頼れる相棒がいる、恐れるに足りない。
「黒凪」
ただ筋力と重量だけにものをいわせた体当たりなど、『絶怨鉈「首断」』の武技で真っ二つだ。
これに耐えようというのなら、サラマンダー並みの巨体と硬い鱗で来い。
頭から股下まで綺麗に両断されたサイクロプスの死体を後ろに残し、ついにサイードまで肉薄する。
「いぁあああああああ!!」
薙刀を扱う武術を習得していないと、素人目にも分かる大振り。
だが、明らかに狂化の効果以上に腕力が底上げされている。
まるでドラゴンが尻尾を振るような高速でもって、その長大な薙刀が弧を描いて俺へと迫る。
だが、いくら速くとも、そこまで分かりやすい軌道ならば防ぐのは容易い。
すでに魔眼の発光も収まっている、この近距離で斬り合うならば俺に分がある――
「ぐおっ!?」
と、思っていました。
悪食で防いだ薙刀の一撃だが、想像以上に重い。
強引に振り切られた三日月形の刃に、俺の体が押し戻される。
「うぉおおおああああああ!」
さらにサイードの追撃。慣性の法則を無視しているんじゃないか、と思うくらいの速さと勢いで薙刀が切り返される。
「っと、危ねぇ」
そのままバックステップで逃れる。
空を切った漆黒の三日月刃は、地面に深くめり込む――どころか、完全に刀身が埋まった!? おいおい、どんだけ切れ味いいんだよ……
「くそっ、倒すには、あともう一押し必要か」
俺が数メートルの距離を置いたことで、サイードは再び魔眼を使おうというのか、身を乗り出すように視線を向ける。
いくら悪食で防げるとはいえ、遠距離にいたままでは埒が明かない。
どちらにせよ、近接攻撃で直接斬るより倒す方法はないのだ。
それでも腕力で押されるならば、こちらも腕力を上げればいい。
「ネルと特訓しといて良かった――」
体内を廻る黒色魔力は、火をつければ爆発するガソリンだとイメージ。
熱はそのまま力と成り、燃えれば燃えるほど、強靭なパワーを腕に与えてくれる。
燃えろ、もっと、もっとだ。
唱える詠唱は単純明快、完全無欠の原初魔法。
「俺に力を寄越せ――『腕力強化』」
両腕に力がみなぎる。
ただでさえ軽く感じる二刀が、さらに軽くなる。
今なら斬れる、一振りでヤツの体どころか、並みの金属以上の硬度を持つだろう薙刀ごと。
効果時間は約十秒といったところ、だが、今はそれだけあれば十分だ。
「はぁああああああああああああああ!!」
「がぁああああああああああああああ!!」
一歩踏み出せば、そこはもう呪いの刃が織り成す黒い剣戟の嵐。
大鉈と大剣と薙刀、三つの刃が火花を散らす。
サイードの原理不明な超絶腕力で繰り出される一撃だが、それでも今の俺なら片腕で抑え切れる。
鋭い、なんていうレベルをはるかに超えた薙刀の切先が鉈の腹を滑る。
間近で見るとデカい刃だ、曲刀と同じくらいあるんじゃないだろうか。
ただ、驚くべきなのは大きさではなく、刃が甲高い音を発しながら微弱に振動していることだ。
こうして刃を合わせて初めて気がつく。
薙刀の鋭さの秘密は、この高振動にあったのだ。
呪いの武器じゃなかったら、受けた刀身ごと真っ二つにされていたことだろう。
改めて呪いの武器の頑丈さに感心すると同時に、いや、そんなことを思える時点で、俺には僅かばかりの余裕があるということだ。
すでに勝機は見えた。
やはりサイード自身は、ジョートと違い武器の扱いに精通していないが故に、凄まじい膂力で押し切る以外に手がない。
その頼みの綱であるパワーで並ばれれば、これまで実戦で剣を使い続けてきた俺に分がある。
今度こそ、これで終わりだ。
「二連黒凪」
一撃目は左手に握る『餓狼剣「悪食」』。
餓えた狼が獲物へ喰らいつくように牙は疾走する。
捕えたのは相手の右手首、そこに装着されている分厚い鋼鉄の篭手ごと両断していく。
「があっ!」
狂化で痛みは感じない、恐らく、右腕から伝わる強烈な呪いの意思が遮断されたことで、反射的に声をあげたのだろう。
どちらにしても、次の瞬間にはそんなことも気にする頭はなくなるのだが。
二撃目は右手に握る『絶怨鉈「首断」』。
狙いは勿論、首だ。
すでに攻撃を受ける武器を持たないサイードに、この一撃を防ぐ手段は存在しない。
最後の足掻きとでもいうように、その爛々と輝く紫の魔眼でもって、俺を憤怒の形相で睨みつける。
結晶化の閃光が迸るよりも早く、鉈の刃は首を通り過ぎる。
「あぁっ――」
かすかに呻く様な声だけを残して、サイードの頭部はアリーナに転がり落ちた。
「……終わりだな」
一歩飛び退くと、首なし死体となった巨躯から噴水のように鮮血が撒き散らされ、足元の地面どころか、すぐ傍にころがる自身の頭さえ真紅に染めていく。
血塗れの頭部は、未だに深い恨みの表情をとり、俺を睨みつけ――
「あ……あっ……アアァアア嗚呼嗚呼ああああああああああああああああああ!!」
血に染まった魔眼から、これまでと比べ物にならないほどの眩い閃光が溢れた。
視線の先にいるのは俺。
嘘だろ、発動したっ!? ヤバい、このタイミングで回避は間に合わな――