第286話 狂える魔眼(1)
「今宵の『呪物剣闘大会』は、早くもクライマックスを迎えようとしております!」
今もアリーナに無惨な死体を晒す無銘の八人が現れた時と同じように、青い光の召喚魔法陣が地面に描き出されていく。
魔法陣のデザインこそ同じに見えるが、その大きさは段違い、直径が三倍の六メートルほどはあるだろうか。
そんなにデカいヤツが登場するのかと思うが、
「登場するのは、我がモルドレッド武器商会が現時点で保有している最凶の呪いの武器使い! 使い手はなんと、スパーダ四大貴族たるハイドラ家を追放された、狂える魔眼のサイード・マーヤ・ハイドラぁああああああああ!!」
眩い発光とアナウンスの絶叫と共に出現したのは、巨大な氷の塊だ。
アリーナの中央付近で、十メートルほどの距離を置いて相対しているが、俺のところまで凍てつく冷気が漂ってくる。
恐らくただの氷じゃない、これは氷属性の封印魔法なのだろう。
氷山の一角のように荒削りな氷塊、その内側に槍のような長柄の武器を手にした人影が見える。
不透明な氷の層に遮られその姿は判然としないが、俺よりも一回りは大きい。先ほど倒したオークと同じような体格に思える。
まぁいい、どんなヤツかなんてのは、どうせすぐに明らかになることだ。
魔法陣から封印の氷塊が完全に出現しきると同時に、ビキビキと音を立てながら表面に亀裂が走り始める。
「対するは、今大会で突如として頭角を現した期待のニューカマー! 黒き悪夢の狂戦士クロノぉおおおおおおおおおお!!」
だからその呼び方はヤメロ! と声を大にして言いたいところだが、砕けつつある氷の封印の亀裂から漏れ出す凄まじい怨念と殺気を前に、そんなことにツッコミを入れる余裕がない。
どうやら氷の内に眠るコイツは、さっき相手した八人とは格が違う。
流石はモルドレッド会長自慢の呪いの武器使いということか、ランク5モンスターを相手にするくらいの覚悟が必要だ。
けど、そういうヤツこそ、俺が望んだ相手。
「さぁ、両者はどんな死闘を見せてくれるでしょうか、間も無く、呪いの封印も解け――」
拡声魔法によって会場中に響き渡る音量のアナウンスをかき消すほどに、
オォアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!
強烈な咆哮が轟いた。
直後、縦横に深い亀裂が走っているものの未だに原型を留めていた氷塊が、木っ端微塵に吹き飛んでいった。
キラキラと氷の欠片がアリーナを照らす魔法光に当てられて煌く。
まるでダイヤモンドダストのように美しい輝きだが、その向こう側に佇む人影は、正しく地獄の底からやってきた悪鬼の如く禍々しい存在感を放っていた。
「なんとっ、解除の途中で自ら封印を突き破ってきたぁ! さぁ、これでもう狂える魔眼を止める術はありません、待ったなしの第六試合、スタートでぇーっす!!」
好き勝手な事を喚きたてる実況の内容など頭に入ってこない。
今、俺が全身全霊をかけて注意すべきことなのは『魔眼』とやらを持つサイードという異形の男である。
異形、というと少しばかり語弊があるかもしれない、姿こそ紛うこと無き人型ではあるのだから。
オークのように逞しい筋肉の鎧を身に纏った見事な逆三角形のボディは、そのシルエットを完全に隠さない軽装だ。
強化など何らかの魔法効果を発揮していると思しき紫色のラインが入った黒地のウエットスーツみたいな服が、首元から足先までを覆っている。
肘から先には鋼鉄の篭手、足には竜皮のブーツ。
その装備はやや珍妙に思えるが、確か盗賊クラスの系統では度々見られるもののはず。
もっとも、手にしている武器が盗賊のトレードマークでもあるダガーではなく、大きな三日月形の刃がついた漆黒の薙刀ではあるが。
だが、ここで一番問題なのは装備の見た目ではなく、屈強な肉体の上に乗っている頭がやけに線の細い顔立ちをしていることだ。
恐らく魔眼を封じているのだろう、目元は黒い金属のアイマスクみたいなもので覆われているものの、それでも凡その顔立ちは察することができる。
鮮やかな紫色の髪は無造作に伸びた長髪だが、そんなワイルドな髪型が似合うような面構えではないように思える。
吸血鬼の用心棒ルドラほどではないが、肌は青白く、頬もどこか痩せこけている。
どう考えても筋骨隆々のボディビルダー体形と見合わない、あまりにアンバランスな頭部。
これは呪いの武器となった魔眼の効果なのだろうか、単純な狂化だけでなく、肉体そのものも屈強に作り変えるだとか。
いや、それとはまた別に、俺と同じように薬物で肉体改造されたとか、あるいは、あの全身スーツが呪いの防具として機能しているのかもしれない。
ええい、何であれ、事前知識も鑑定眼もない俺には、現段階で相手の秘密を探ることなんてできないんだ。
だったらやることはいつもと同じ、全力で攻撃するだけだ!
「行くぞ――」
今回はいきなり鉈で斬りかかる様な真似はしない。
初手は魔弾と魔剣の波状攻撃だ。
装填済みの黒い擬似完全被鋼弾と、十本の黒化剣が瞬時に俺の周囲に出現。
弾頭と剣先は全て、目の前に立つ不気味な姿の大男サイードへと向ける。
「――魔弾全弾発射」
弾ける炸裂音と黒いマズルフラッシュ。
だが、この瞬間に響いた音と光は、俺が発したものだけではない。
「うぅ……あぁ……カぁ……かぁのジョをぉ……」
背筋が凍りつくような重低音で何事かを呟くと同時に、目元を隠すアイマスクがガラスのように砕け散った。
「彼女をカエせぇええええええ! うあぁあああああああああああああああ!!」
封じられていた魔眼が、ついに白日の下に晒される。
ある程度の距離があっても、俺にはヤツの両目、その妖しくも美しい紫色の瞳をはっきりと確認できた。
そして、その両の瞳はフラッシュをたくように眩い紫の光を瞬間的に発する。
両目の発光と、すでに撃ち出された弾丸が着弾するのはほぼ同時。
無数の魔弾に貫かれ、血飛沫を上げて倒れる――はずだったが、その予測はあっさりと覆される。
それは避けられたワケでも、防がれたワケでもない、魔弾そのものが着弾寸前に全て砕けたのだ。
「なにっ!?」
俺の黒色魔力で構成される擬似完全被鋼弾は当然、その見た目は黒一色である。
だが、その黒いはずの弾雨は俄かに色を失い、キラキラ輝く氷雨のようにライトアップされる宙を彩った。
一体、何が起こった。
見えない防御魔法で防がれた? それとも衝撃波で弾丸を砕いたのか?
ただ弾丸を砕くだけならまだ納得できる、しかし、弾丸の色そのものが変わった――否、黒色魔力の物質化そのものが変質させられたような、あの変化は何なんだ。
だが、ここで呆然とするほど俺は間抜けではない。
「貫け、魔剣」
間髪いれず、即座に追撃へと移る。
燕のように宙を飛び行く十本の黒化剣は、全て同一のロングソードだ。
いつもと同じく、正面、左右、背後、頭上、とそれぞれ死角をつくよう異なる軌道を描いて投擲する。
さぁ、今度はどう対処する。
「あ、ぁああああ、っくが、ボクはぁ、どぉじでぇえええええああああああああ!!」
サイードの両目から、再び紫の不気味なフラッシュが起こる。
その時、目前に迫った前方と左右、合わせて五本の黒化剣に異常が起こった。
「黒化が解けて――いや、違う!?」
魔力吸収によって黒化が強制的に解除されれば元の剣に戻るだけだが、今、俺の目の前で起こった現象は、そんな生易しいものじゃない。
剣そのものが変化した。
黒一色の刀身は瞬時に透き通るようなガラス――否、淡い紫色をした水晶のような物質へと変わってしまったのだ。
結晶化、とでも言うべきだろうか。
黒化の魔力どころか、元の鉄という成分さえ失った剣は当然、俺の制御を離れてあらぬ方向へ飛んで行くか、そのまま地面へ落ちるか、いずれかの選択肢を辿る。
「カえせっ! がえせぇえええぁあああっ!!」
叫びながら真上を向いたサイードの両目が光る、その視線の先には、脳天を貫かんと迫る黒化剣が一本。
それもやはり、一瞬の内に結晶化されあえなく撃墜される。
地に落ちた剣は、正しくガラス細工を床に落とした時と同じように甲高い音を立て木っ端微塵に砕け散った。
だが、俺の魔剣はまだ残っている。
獲物へ忍び寄る狡猾な狼のように、背後から三本の刃が走る。
キャァアアアアアアアアアアアアアアア
女性の金切り声のような不気味な音に紛れて、豪快な刃の風切り音が響く。
サイードが手にする黒い薙刀を振るっていた。
いや、薙刀自身が迫る攻撃に反応し、自ら動いたように思えるほどに、異様な体勢で回転切りが繰り出された。
不恰好ながらも薙刀の刃は勢いよく空を走り、ついには直前まで迫った黒化剣を迎え撃つに至る。
三日月形の刃は黒化剣を叩き落すどころか、完全に切断してしまっている、しかも三本まとめて、である。
「コイツはヤバいな、結晶化の魔眼に、あの薙刀も呪いの武器だぞ……」
この魔剣を捌いたサイードの反応によって、ある程度の能力が判明した。
まずは両目の魔眼、アレが発するフラッシュを浴びると紫色の水晶へと物質組成が変化してしまう。
ギリシア神話のメデューサの睨むだけで石になる目の伝説は有名だが、ハイドラの魔眼は、その紫水晶バージョンといったところか。
次に黒い薙刀、こっちは凄まじい切れ味を誇り、半ば自動的に反応するという、まぁ呪いの武器らしい能力を持っている。
だが、あの妙な女の叫び声みたいな音が気になる。
悪食のように、武器そのものに特殊な能力を秘めている可能性は高い。
それが何であるのかは、できれば知りたくはない、知る前に倒したい。
思うものの、それを許してくれるほど甘い相手ではないだろう。
「どこぉ、どこにいるんだぁ、ボクのっ、ボクがぁああ愛してるぅうああああああ!」
先ほどから彼女がどうとか言ってることから、恨みの源は恋愛がらみなのだろう。自分の女を盗賊に攫われたとか、そういうアレだろうか。
詳しい事情など知る由もないが、なんにしろ、強力な怨念に支配されているのは紛れもない事実。
右手一本だけで長大な薙刀を不恰好に構えながら、その紫に輝く魔眼で俺を睨む――って、ソレはヤバいだろっ!?
「死ぃねぇええええええええ!!」
俺を直視したまま、魔眼は眩い光を発する――
今回登場したのがサイード。ウイングロードにいるのがサフィールです。