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黒の魔王  作者: 菱影代理
第16章:天使と悪魔
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第281話 迷子

 ネル・ユリウス・エルロードは、冒険者として初めてクエストに向かう時と同じだけの緊張感と覚悟を持って、王立スパーダ神学校を出発した。

 実際、今の彼女は普段身につけているブレザータイプの制服ではなく、戦闘用の純白の神官服を纏う治癒術士プリーストとしての装いだ。

 おまけに、試合後にクロノがお腹を空かせても大丈夫なように、ここ数日で完璧にマスターしたお手製タマゴサンドが詰まったランチボックスも携えてある。

 今日の自分はどこの闘技場に行っても恥かしくない見事な回復役ヒーラーであると、ネルは根拠のない自信に満ち溢れていた。

「待っててくださいねクロノくん、今行きますよっ!」

 おー、と一人で気合をみなぎらせて、ネルは正門から一歩を踏み出した。

呪物剣闘大会カース・カーニバル』が始まるのは夜から。こうして授業が終わった後に向かっても、時間的な余裕は十分にもって到着できるだろう。

 もっとも、選手であるクロノは一足先に開催場所である『大闘技場グランドコロシアム』についている。

 筋金入りの方向音痴なネルにとって現地集合というのは何とも不安のある方法だが、流石にかの有名なスパーダの『大闘技場グランドコロシアム』である。彼女自身もその道のりは十分に知りえていた。

 もっとも、スパーダで一番大きな通りを真っ直ぐ歩いて行けば自然に行き当たるのだから、道順もなにもないのだが。初めてスパーダを訪れた観光客でも迷う事はありえない。

 ただ、一応は自身の方向音痴を理解しているネルは、よくよく注意をしながら歩こうと考えていた。つい、五分ほど前までは。

(うふふ、お友達の為に回復役ヒーラーを務めるなんて、なんだか楽しみです)

 いざ目的地に向かい始めると、そんな浮ついた感想ばかりが湧き上がってくるのであった。

 無論、今日の昼休みにクロノへ特別なお守りを手渡したように、命の危険がないよう細心の注意と、もしもの時を考えての不安もある。

 謙虚な性格のネルではあるが、己の治癒魔法の実力だけは希少な加護持ちということもあって大きな自信を持っている。

 あの『心神守護の白羽根アリア・ガードフェザー』はまだまだ若年である自分の加護を用いたとは言え、アヴァロンの宮廷魔術士数十人もの協力と貴重な素材を惜しげもなくつぎ込んで製作された、手作り、というよりも、完全な一品物オーダーメイドと呼ぶべきハイグレードな魔法具マジック・アイテムである。

 もっとも、完成品はネルの翼をそのまま使った一枚の羽根のみという状態なので、鑑定眼を持たない者からすると、そこにどれほどの素材と手間がかかっているか推し量る事はできない。

 もし正確に鑑定すれば、その価格は一千万クランを確実に上回るだろう。

 だが 遠慮せずに受け取って欲しいという配慮と、自分の羽を使って作られたアイテムをクロノに持っていて欲しいという二つの感情から、ネルはプレゼントするにあたって余計な情報をあえて伝えることはしなかった。

 結果的にクロノが『心神守護の白羽根アリア・ガードフェザー』を装備してくれたので、ネルの不安は大いに減じ、友人の為に活躍できることを喜ばしく思う気持ちの方が勝っているのだ。

 おまけに、パンドラ大陸の女の子においては、素敵な男性剣闘士グラディエイターの世話をする女性回復役ヒーラーという構図は非常に憧れるシチュエーションであった。

 それはアヴァロンのお姫様であるネルとて例外ではない、彼女も一人の乙女として真っ当な感性を持っているのだから。

 剣闘士グラディエイター回復役ヒーラーの素敵なラブストーリーは古代から数えて幾つもあるが、その‘最新作’として現スパーダ国王レオンハルトと第一王妃の馴れ初めがある。

 四年に一度開催されるスパーダで最大の剣闘大会である『バトルオリンピア』にて、若き日のレオンハルトは身分を隠して出場した。

 優勝者にはスパーダ国王が一つだけ願いを叶えてくれるという特別褒賞があり、過酷なトーナメントを勝ち抜き見事に優勝を果たしたレオンハルトは、国王、実の父親に、その大会で回復役ヒーラーを務めた女性治癒術士プリーストとの婚約の許しを求めたという。

 そんなドラマチックな話を実際に本人から聞いたことさえあるネルが、より強い憧れの気持ちを抱くのも無理からぬことだろう。

(も、もしもクロノくんが婚約を求めてきたら……そんな、いけませんクロノくん、きゃーっ!)

 今大会は勝利してもファイトマネーと呪いの武器が貰えるだけで、そもそもトーナメントですらないので優勝も何もない。勿論、国王が願いを叶える云々など全くこれっぽっちも関係ない。

 クロノの意思とは無関係の完全なる妄想だが、それに突っ込みなどは入るはずもなかった。

 そうして、年頃の乙女らしい気になる男の子との甘い青春の妄想を繰り広げながら、ちょっと怪しい足取りでネルは歩き続けるのだったが、

「うわぁ~ん、お兄ちゃぁ~~ん!」

「ば、ばかっ! 泣くなよ……」

 不意に、幼い子供の泣き声が耳に届き、ネルは夢から覚めたようにハッとして注意を向けた。

 そこには、十にも満たない年齢と思われる人間の兄妹の姿がある。

 ぐずる妹をあやす兄、だが、その兄の顔にも妹が泣き出したという以上の不安が浮かんでいる。

 道行く人々は視線こそ二人に向けはするものの、特に何か犯罪行為が行われているわけではないと即座に理解できるため、そのまま気にせず通り過ぎていくばかり。

 どうせ近くに親がいるだろう、誰もがそう思うはずだ。

 しかし、ネルはそのまま立ち止まって見ているのだが、一向に親が登場する気配は見られない。

「もしかして迷子、なんでしょうか……」

 街中で幼い子供が不安そうにしている、そんな状況があったとすれば、誰でも真っ先に思いつくだろう。

 放っておけない、善良な者ならば即座にそう考え、行動に移す。

 そしてネルは、そんな善良な者の代表を名乗れるほどに心優しい性格をしている。少なくとも、彼女を知る人はみなそう思っている。

 さらに兄妹という関係はダイレクトに自分の境遇と重なる。

 自分も幼き日は、兄の手に引かれて遊び歩いたものだ。

 迷宮のようなアヴァロン王城内、美しく整えられた大庭園、親善に訪れたスパーダ、アスベル山脈の別荘――王族として色々な場所にいった。

 そして、優秀ながらもやんちゃな兄は、何処に行っても大人の目を盗んで遊びに抜け出す。ドジでノロマだが、可愛い妹を連れて。

 兄との思い出は、少し目を閉じればいくらでも浮かび上がってくる。

 いや、それは未だ過去のものではない。スパーダに留学した今も兄は自分の手を引いて進んでくれているのだ。

 麗しき兄妹愛、それは自分達だけのものではない、こうして目の前にいる小さな二人の間にもそれは確かに存在している。

 何としても、あの幼い兄妹を助けなければ、不安で泣かせてはならない、今日という日を、楽しい思い出の一ページにしてあげたい。

 ネルの心は、一点の曇りもなくその善意を実行することを主張している。

 それを疑うことなく、体もまた動き出そうとした、その時である。


「ありがとうネル、もしもの時は、頼む」


 脳裏を過ぎるのは、信頼の言葉を返してくれた友人の姿。

 これから命懸けの戦いに臨む、自分の助けを必要としてくれる、かけがえのないお友達。

「ど、どうしましょう……クロノくん……」

 もし、ここで迷子の面倒をみたならば、『呪物剣闘大会カース・カーニバル』の開催時間までに間に合わないかもしれない。

 このまま歩いていくには十分な時間はあるものの、寄り道をするほどの余裕はないのだ。

 ただ遊びに行く約束であれば、後で事情を話せば理解は得られるだろう。だが、事は危険な剣闘に関わっているのである。

 回復役ヒーラーの自分が遅れた所為で、もしも取り返しのつかないことになったら……そう思うだけで、踏み出そうとしたネルの足は凍りついたように動かなくなった。

「私、どうすれば……」

 危険な『呪物剣闘大会カース・カーニバル』とはいえ、これで出場するのがクロノではなく兄のネロだったら、恐らくネルは迷う事なく迷子を助けに行っただろう。

 彼女はそれだけネロの実力を信頼していた。

 勉強も運動も魔法も、おまけに天運にも恵まれた兄ならば、自分の到着が少し遅れただけでどうこうなるとは思えない。

 それは翻って自身の無力感を覚えるほどに、兄は優秀に過ぎたのだ。

 恐らく、兄だけではなく、自分が所属する『ウイングロード』というパーティメンバー全員に感じているところでもあった。

 スパーダの第三王女にして親友とも呼べるシャルロット・トリスタン・スパーダ。剣の申し子カイ・エスト・ガルブレイズ。魔眼持ちの天才死霊術士ネクロマンサーサフィール・マーヤ・ハイドラ。

 あの三人は誰も劣らずパンドラの黒き神々に愛されたとしか思えない才能を持っている。

 それは、自分が『天癒皇女アリア』の加護を授かったというプラスがあっても尚、埋められないほどに。

 つまるところ、『ウイングロード』に自分はいてもいなくてもどちらでもよいのだ。

 その背中から生える純白の両翼から『ウイング』の名をとったパーティ名に、その本人が必要ないとはお笑い種である。

「でも、クロノくんは……」

 だがしかし、クロノは違う。

 彼は兄のように完璧な人間ではない。それこそ、自分でも魔法を教える余地があるほどに。

 逆に、遠慮することもなく料理を不味いと指摘してくれるし、料理の仕方そのものも教えてくれる。

 その互いに足りないところを補いあう関係は、ネルの思い描いた正しい友情のあり方にピタリと当てはまった。

 それが真に運命的な出会いと呼べるのか、それとも、ネルが気づかないだけで、この世界ではありふれた友人との出会いなだけなのか。

 どちらにせよ、ネルは自分の助けを本当に必要としてくれる友人の為にこそ、力を尽くしたかった。

「わぁ~ん、もうやだぁ~パパぁ、ママぁ~どこぉ!」

 思考の渦に囚われていたネルの意識を現実に引き戻したのは、いよいよ声をあげて泣き出した幼い妹の声であった。

(ごめんなさいクロノくん、私、やっぱりあの子達を見捨てることなんてできません!)

 クロノのことが心配なことには変わりはない。

 だが、今目の前で泣いている子供に手を差し伸べないという選択肢を、ネルにはどうしてもとることは出来なかった。

 そしてようやく、ネルの足は動き始める。

 可哀想な迷子の兄妹を助ける、ただそれだけの為に。

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