第280話 白羽根のお守り
「おお……本物よりデカいんじゃないのか、この闘技場」
本物、とは地球のローマにある円形闘技場のことであるが、この目の前にある『大闘技場』もきちんと現実の歴史と伝統を重ねてきた建築物である。
誇り高き生粋のスパーダ人に聞かれたらイチャモンをつけられそうな失言であるが、そんな間抜けな言葉が出てくるほど驚いたということだ。
海外旅行をしたことのない俺は、当然のことながら‘本物’を見たことはない。だが、東京ドームに代表される大きなドーム型建築は見たことくらいはある。
ソレと比べても全く遜色ない、むしろ一回り大きいのでは、と思えるほどに巨大な外観をしているのだから、やはり相当な大きさだろう。
そういえば、神学校にも闘技場はあるが、なるほど、これを元にしてデザインされたのだろう、同じ無骨な石造りをしている。
あのミアちゃんが魔王としてパンドラ大陸でブイブイ言わせていた頃からあるという『大闘技場』だ、これ以上ないほどに歴史的な建造物であるといえるな。
そもそも、今の俺が立っている上層区画そのものが、歴史のある建物、いわゆる名所旧跡などが数多く残る場所でもある。
普段活動する神学校周辺の下層区域も十分に異国情緒に溢れているのだが、第二防壁を一枚越えただけで、その雰囲気は比べ物にならないほどに増す。
ここへ足を踏み入れたのは二回目になるのだが、最初の一回目はほぼ心神喪失状態にあったスパーダ避難直後のことである。風景など覚えているはずもない。
改めて、俺は『大闘技場』を始めとした、異国情緒どころか異世界情緒に溢れる街並みに感心する。
うっかり忘れそうになるが、今日の俺は観光ではなく仕事の為にやって来たのである。
このまま大会の観客と思しき人の波に飲まれるわけにはいかない。
「ネルの前だしな、頑張らないと」
そう気合をいれると同時に、彼女から手渡されたお守りを思い出す。
『悪魔の抱擁』の胸の内ポケットに入れてあるコレを貰ったのは、今日の昼休みのことだ――
「クロノくん、あの、これ……受け取ってください!」
と言ってネルから差し出されたのは、ハート型にラッピングされたチョコレート、などでは断じてなく、一枚の白い羽根であった。
「くれるって言うならありがたくいただくけど、なんなんだこれは?」
「はい、これはお守りです」
しかも、単なる願掛けとしてのものではなく、『蒼炎の守護』と同じ、魔法の効果が秘められたものであると、触れた瞬間に感じた魔力の気配で察することができた。
俺の手のひらにフワリと乗る白い羽根は、よく見れば裸のリリィみたいにぼんやりと光っている。
「本当に貰っていいのか? これ、高価なモノなんじゃ――」
貧乏性なせいか、まず真っ先に値段を気にしてしまった。だが、ネルは全てを理解しているような笑顔で否定する。
「いえ、それは私の加護で作ったものなので、気にしないで下さい」
なるほど、手作りだったのか。それはそれで、むしろありがたさが増すというものだ。
「そうか、わざわざありがとう。ところで、このお守りはどういう効果があるんだ?」
「はい、それはですね――」
と、ちょっと自慢げにネルが説明してくれた。
『心神守護の白羽根』というのがお守りの名前。
フィオナにプレゼントしてあっさり散ってしまった『戦女神の円環盾』とよく似た響きを持っているが、実はそれと同じ『加護』を宿すタイプのアイテムであるらしい。
指輪は単純な物理防御用であったが、この羽根は名前の通り、精神を守る効果を宿している。
「クロノくんが呪いの武器を扱う才能があるのはわかりましたけど、でも、やっぱり心配なんです」
余計なお世話なんてとてもじゃないが言えない。
俺だって黒化のお陰で呪いの制御には自信を持っているが、『悪食』のように武器の特性によっては無効化されることがあるかもしれないし、そもそも純粋に制御不能なほど強力な呪いが存在するかもしれないのだ。
事実、現時点で最高の怨念を秘めている『絶怨鉈「首断」』は、あともう少しだけ呪いが強ければ、完璧に制御できる自信が俺にはない。
まぁ、二回も進化させたレベルの呪いなんて早々お目にかかる事はないと思うが、存在しないわけではないのだ。万が一ということは十分にありうる。
「これがあれば、どんな強力な呪いにとり憑かれようとしても、武器を手放すことはできると思います」
このお守りは呪いの制御には一切貢献しないものの、呪いの支配に抵抗する最後の命綱となってくれるようだ。
元々は呪いに対抗する専用アイテムではなく、魅了や混乱などの精神に作用する状態異常を防ぐものであるらしい。
呪いの効果は狂化をはじめ様々なタイプはあるが、その多くは使用者の精神を蝕む類のものである。それを防ぐにはうってつけのアイテムというわけだ。
「作ったってことは、ネルはアリアっていう神の加護を持っているのか?」
「はい、癒しと慈愛の女神『天癒皇女アリア』の加護を授かっています」
流石はランク5冒険者なだけあるということか、ネルもちゃんと加護を持っていたんだな。
その肩書きからいって、治癒に関係する力なのだと思うが、如何せん異邦人の俺には異世界の神に馴染みが全くない。
以前に受けた授業で、冒険者が多く持っている有名な加護の名前と効果、由来となった神々についてある程度学んだが、その中に『天癒皇女アリア』の名はなかった。
ということは、かなりレアな加護なのだろうか。
気になるので聞いてみると、彼女はどこか誇らしげに教えてくれた。
「そうですね、『天癒皇女アリア』の加護を持つ者はとても珍しいですよ。アヴァロンでも私を含め五人しか授かっていないですから」
レアどころか、超レアだった。
俺もパンドラ史上初らしい魔王ミア・エルロードの加護を授かっているので、レア度でいえば断然トップなのだろうが、何というか、未だにそこまでありがたみを感じないのが……いや、へそを曲げられて加護を取り上げられたら困るので、文句は言うまい。
「それで、どういう神様なんだ? 加護の能力は秘密、というなら詳しく聞かないけど」
「いえ、特に秘密ということはないですよ、『天癒皇女アリア』の加護は有名ですから」
「そうなのか?」
「そうですよ、なんと言っても、アリアはあの魔王ミア・エルロ-ドの姉ですからね」
「マジでっ!?」
俺の驚きぶりに、かえってネルも驚いている。
いや、すまない、まさか姉貴がいるとは思わなかった。
だが、考えてみれば、ミアちゃんだって元々は人間だ。兄弟姉妹の一人や二人、いたっておかしくはない。
「魔王は知っていても、その姉アリアの話はご存知ないようですね」
「ああ、スパーダにはまだ住んで日も浅いし、伝説とかについてはどうにも疎くて」
一応はウィルから話を聞いたり、授業を受けることで名前や断片的なエピソードなどは知っているのだが、俺の中ではまだまだ馴染みがないものばかりである。
まぁ、足りない知識は今のように人から聞いて補っていこう。
「アリア・エルロードは、凄い治癒魔法の使い手だったんですよ。ただ、自分が患った不治の病だけは癒すことができなかったようです。弟のミア・エルロードも、姉の病を治すために様々な方法を試したというエピソードが伝説の中にも残っていますね」
なんとも泣かせる話である。俺も姉貴が不治の病になったなら、死ぬ気で治す方法を探すだろう。
勝手に親近感と尊敬度と信仰心が上がるが、今は置いておこう。
ミアちゃんの伝説はエルロード皇帝としてパンドラ統一に乗り出してからが本番だが、実は皇帝になる以前の話、つまり、羊飼いの幼少期や学生時代、のことも僅かながら伝わっているらしい。
どうやら姉のアリアは、皇帝になる前の段階で命を落としており、伝説の中においてその存在が語られることは少ないという。
だが、彼女の存在が真実であったことは、今こうして加護を宿す存在がいることでこれ以上ないほどに証明されている。
同時に、その短い人生の中にあっても、神になれるほどの偉業を成し遂げたということでもある。
「その有名な伝説が、歴史上で唯一の死者蘇生を成し遂げたことですね」
死んだ者を完全に蘇らせるのは不可能であるというのが、この魔法のある異世界でも常識である。
だが、その絶対の真理を捻じ曲げたのが、治癒の女神として祭られることとなったアリアであるようだ。
「どんな方法を用いたのかは全くの不明ですが、それでもミア・エルロードを蘇生させたことは間違いないようです」
そして、奇跡の復活を遂げた人物が伝説の魔王であるというのは、何ともできすぎた話である。
だからこその伝説、ということかもしれないが。
「ミアはどうして死んだんだ?」
「皇位を廻るエルロード帝国内の陰謀に巻き込まれた、と記録にはありますけど、詳しい事情は明らかになっていないですね。ただ、アリアはこの死者蘇生の魔法を使ったことで、命を落としたようです」
「まるで自分の命を分け与えたみたいだな」
「はい、自分の生命力を全て他者へ与えるような魔法なんじゃないかという説は有力です。でも、ほとんど術式の解明できない古代魔法の中でも、さらに特別な蘇生魔法ですから、何もわからないのと同じことですね」
現代よりも進んだ魔法技術を誇っていたらしい古代であっても、死者蘇生は不可能だったのだ。
当時の技術に追いついていない現代の魔法使いが、さらなる高みへ一足飛びにたどり着ける道理はない。
死者蘇生は、この先もしばらく伝説として語り継がれることだろう。
「あ、でも、実はアリアは死んでいなくて、その後に登場する魔王の側近『黒魔女エンディミオン』が彼女だった、っていう説もあるんですよ」
魔王ミア・エルロードの伝説には様々な人物が登場するが、その中でも一際謎を秘めているのが、このエンディミオンなる魔女らしい。
要所でミアに対して陰謀や策謀を授け、悪質かつ残忍ながらも確実な成果を出して大陸統一に貢献したという、悪名高い人物だと聞いた覚えがある。正しく、悪役としての『魔女』に相応しい。
「でも、私は絶対に違うと思いますよ」
ほほう、それはまたどうして、と問うと、ネルはどこか嬉しそうに答えた。
「私が加護を授かった時に、ほんの一言だけですけど、声を聞いたんです。それはとても優しげで、温かくて……だから、その声を聞いた時に理解できたんです。本当に癒しと慈愛の女神様なんだと」
それは正しく、神の声を聞いた、という奇跡のような体験だったようだ。俺がミアちゃんとの出会いとは随分と違う、というより、本来はこれが正しい加護の授かり方なんじゃないかと思う。
「ですので、悪逆非道と名高い『黒魔女エンディミオン』は別人に違いありません。それに、この魔神の加護を得た人は、どれも歴史に名が残るほどの大罪人になっています」
記録に残る最新のエンディミオンの加護覚醒者は、沢山の子供を火あぶりにして生贄に捧げた罪で処刑された、ということらしい。確かに、とんでもない話である。
もっとも、こちらは『天癒皇女アリア』以上にレア、現在での加護覚醒者ゼロということなので、出会うこともないだろう。
「ところでネル、一つ疑問があるんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「ミアが弟、ということは、男で間違いないのか?」
ここで、ついに俺はミアちゃんの性別の謎を問いただす。
ウィルも言っていた、実の子孫であるアヴァロン王族であれば、この秘密の答えを知っているかもしれないと。
さぁ、どうなんだ、男なのか、女なのか!
「えーと、そうですね、有名な魔王ですし、当然、男であると伝えられてはいますが――」
いますが、って何ぞ? 男に確定でいいんじゃないのか?
「実は女の子だった、っていう説も根強く残っているんですよ。うふふ、伝説って面白いですね」
ちくしょう、結局どっちか分からないままなのかよっ! という理不尽な悔しさをネルにぶつけるわけにもいかず、表向きはクールな顔で「そうだな」とか言って必死に誤魔化す。
俺はその無念さを忘れるように、もうミアちゃんの話題からは離れて、元々の話に戻ることにする。
「ともかく、ネルが凄い治癒魔法の使い手であるところの女神様の加護を使って、このお守りを作ってくれたわけか。なんだか凄いご利益がありそうだな!」
「はい、私はこの『天癒皇女アリア』の加護を授かったことだけは自慢なんです。だから、このお守りはきっとクロノくんを助けてくれますよ」
ネルはさらに、本物の女神のような笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「それに、回復役として私もついていますから、クロノくんがどんなに怪我をしても、絶対に私が救いますから」
それは戦いに臨む勇敢な覚悟と同じほど、固い決意に満ちた言葉のように思えた。
癒しと慈愛の女神がネルに加護を授けたのも納得できた。寧ろ、彼女を差し置いて、一体誰が得られるというのか。
俺はこの時きっと、彼女に見蕩れてしまっていたのだろう。
「ありがとうネル、もしもの時は、頼む」
一拍の間を置いてから、無難な台詞が何とか出てくれた。
そして、これはいよいよ本気で、無傷で勝利してやろうという覚悟が固まるのであった。
ネルはあらたに『貢ぐ』をおぼえた!