第273話 黒のランチタイム
果たして『腕力強化』は発動した。
したのだが、
「まさか、効果時間が二秒で切れるとは……」
俺の腕力がラースプンもかくや、というほど爆発的に増大したのは、たったそれだけの時間。
あれほど集中し、魔力をつぎ込んで発動させた魔法が、僅か二秒間の効果しかもたらさないというのは、あまりに費用対効果が悪い。
そういえば、フィオナも強化系の魔法は発動こそ出来ているが、魔力制御が苦手な所為で通常の倍くらい消費していると聞いた事がある。
攻撃魔法と違って、魔力さえあれば強化効果に反映されるということはなく、本当にただのロスとなってしまう。
だからこそフィオナは攻撃魔法特化が本来のスタイルで、それでも得意じゃない強化魔法を使うのはパーティ内に使い手がいないからだ。
今更ながらフィオナの苦労が忍ばれる。ごめん、帰ったら俺、きっと寿司と天ぷらをご馳走するよ……
ともかく、今の俺もそれと同じで、しかも最低限実戦に耐えうるレベルにも無いということだ。
「はぁ、まだまだ改良は必要ってことか」
けど、これで一つ目の壁は越えたわけだ。
きっと他の冒険者もこうやって、加護の力をより強いレベルで使えるようになっていく
のだろう。
だから、ここは一歩前進できたことを、素直に喜ぼう。
「ありがとうございます。ネルさんのお陰で発動のコツ、掴めましたよ」
「いえ、お役に立てたようで、なによりです」
と、正しく天使の微笑みを見せてくれるネルさんの額には、玉の様な汗が浮かんでいる。
テレパシーで通じながら、間接的に『腕力強化』を発動させたのは彼女だ。恐らく、暴発気味だった魔力の余波に巻き込まれて消耗してしまったのだろう。
「すみません、体は大丈夫ですか?」
「ちょっと疲れましたけど、全然大丈夫ですよ!」
朗らかに応えるネルさんの笑顔に、どこまでも癒される気分になれる。
この癒されレベルは幼女リリィの笑顔に匹敵するぜ、恐るべしアヴァロンのお姫様。
そんな風に内心で和んでいると、
キュウゥー
と、可愛い小動物が鳴くような甲高い音が響いた。
発信源は、目の前で笑顔を浮かべるネルさん、その腹部。
「あっ、す、すみませんっ!」
次の瞬間、彼女の頬にはさっと朱が差して、この空腹を訴える生理現象を恥らった。
「いや、その――もうお昼時ですから、おなかが空くのは当たり前ですよ」
あはは、なんて適当な返事をしつつ、赤面するお姫様の可愛らしさに僅かばかり鼓動が高鳴る。
なんというか、恥らう女の子って破壊力抜群だな。ちょっと腹の虫が鳴いただけでこれだけのリアクションとは。
豪快に腹を鳴らして、
「お腹が空きましたねクロノさん」
と、何故か誇らしげに言い放つどこぞの魔女にも見習って欲しいところである。
さて、そんなことよりも、自分で言ったようにそろそろランチタイムを迎えるだろうし、腹の音について突っ込みすぎるとネルさんが泣き出してしまう可能性もあるので、ここは何事も無かったかのように、昼食の話題を続けるべきである。
「それじゃあ、俺は昼食の準備をしますけど、ネルさんはどうします?」
「あっ、そ、そうですね、私、いつも昼食は学食を利用しているんですけど――」
なるほど、学食で再会したのは偶然ではなく必然だったという事か。
てっきり、例に倣って今日も学食で、と言うのかと思ったが、
「私、今日はお料理します!」
「あ、そうですか。頑張ってください」
「あの、そうじゃなくて、クロノさんのお昼ご飯を、私が作ります!」
それは一体どういう論理の飛躍だろうか。
この流れからいって、一緒に昼食をとることになるかもしれないとは予想できたが、まさかネルさんが手料理を振舞うなんて言い出すとは。
「いや、そんな、いいですよ。そこまでしてもらうのは何だか悪いですし――」
「あっ、すみません……迷惑だったでしょうか?」
うわ、そこであからさまに悲しげな表情をするのは反則だろう。シュン、っていう擬音語エフェクトが目に見えるほどだ。
この顔をされて断れる男はそうそういないだろう、というか、ネルさんの申し出は冗談でも社交辞令でもなく、心からのものであると捉えても良いだろう。
「迷惑だなんてとんでもないです、是非ネルさんの手料理は食べてみたいですよ」
「まぁ、本当ですか! それじゃあ、私、頑張って作りますね!!」
そうして、ネルさんはもう何度目かになる頼みごとを引き受けてヤル気をみなぎらせる表情を見せた。
しかし、思わぬところで女の子の手料理が食べられる機会が廻ってくるなんて、なんだか今日はツイてるな。
と、浮かれていた時も、今は昔の話。
「はいクロノさん、遠慮せずにお召し上がり下さい!」
ニコニコ笑顔でネルさんに差し出されたのは、異臭を放つ真っ黒い不気味な‘何か’を挟んだサンドイッチ。
俺の強化された視覚と嗅覚と第六感がバリバリに警戒感を発している。今、目の前に出されているのは危険物であると。
本能がコレの威力を最も鋭敏に感じ取れる味覚に触れないよう、全力で拒絶の意思を発するが、
「さぁ、どうぞ!」
理性でねじ伏せる。
直感的にヤバいと分かっても、流石に一口も食べずにいるのは礼に失するというものだろう。相手が自分の為に腕を振るってくれたならば、尚更である。
しかし、どういう意思を篭めて腕を振るえば、あのマトモな食材達がかくも怪しい物体へ変質すると言うのだろうか。俺が黒化をかけたとしても、もうちょっとマシな見た目になってくれるはずだ。
だってコレ、どうみても炭化してる。フィオナの炎にやられたモンスターの死骸と全く同じ質感である。
それに一体ナニを加えたというのだろうか、甘いような酸っぱいような腐っているような、えもいわれぬ刺激臭が漂ってくる。
そんなモノを、ここだけは手の加えようが無かったといわんばかりに、買い置きしていたごく普通の白パンでサンドしているのだ。
バンズの部分だけはマトモなので、嫌でもコレが一つの料理であることを認識させられる。
ネルさんが料理と生ゴミを取り違えたという可能性は、万に一つもありえない。
サンドイッチ、この誰でも簡単お手軽に作れる料理ともいえない料理を、彼女はどうやってか死を覚悟させるほどの危険物に仕上げてしまったのだ。
「あの、食べないんですか?」
大人しくラウンジの食卓についている俺が、もう目の前に手料理を出されているにも関わらず一向に手をつけないのを心底疑問に思っているような口調で、プレッシャーをかけられる。
彼女のブルーの瞳はどこまでも澄んでいて、そこには一点の曇りも無い。
どうやら俺を嵌めようとしているワケでも、一般庶民には理解できないロイヤルジョークであるというワケでもなさそうだ。
ネルさんはただ純粋に、俺へ手料理を振舞ってくれた、ただ、それだけのことなのである。
「あ、あの、クロノさん?」
限界だった。
俺がこうして暗黒物質が挟まったサンドイッチと冷や汗を流しながらにらめっこしている時間も、もう終わりにしなければならない。
「ネルさん、いただきます」
覚悟を決める、恐らく、切腹に望む武士もこんな気持ちだったに違い無い。
俺は腹部を捌く刃の代わりに、内側から胃袋を破壊してくれるだろう暗黒サンドイッチを手に取る。
ええい、ままよっ! 俺は大口をあけてモノにかぶりつく――
「――クロノさん?」
「はっ、夢か……」
やべぇ、今ちょっと意識飛んでたよ。
いやぁ、それにしても恐ろしい夢を見たもんだ、あの天使のようなネルさんが毒殺する気としか思えない劇物を食卓に乗せるなんて、そんなことするはずがないだろう。
「サンドイッチを食べたら急にボーっとして、どうしたんですか?」
ああ、それはきっとネルさんが作ってくれたサンドイッチがあまりに美味しかったから意識が飛んじゃったに違いない。
そう、このアヴァロンのお姫様お手製の暗黒物質サンドを。
「あ、あれ……」
いや待て、そんな馬鹿な、暗黒物質サンドってなんだよ。これじゃあまるで、ついさっきまで見ていた夢が事実だったみたいじゃないか――と突っ込みたいのはやまやまだが、現物を目にすれば、否応なく事実は受け入れなければならないのだろう。
そう、つまり、俺の前には異臭を放つ黒い物体を挟み込んだサンドイッチが魔王の如き威圧感を持って皿の上にどっかりと鎮座しているのだ。
しかも、一体どこの勇者が一太刀浴びせたと言うのだろうか、一口だけ齧った跡がある。
そうか、俺、勇者だったのか。
「ふふ、もしかして、気絶しちゃうくらい美味しかったですか?」
彼女の可愛らしい物言いは、半分以上俺の頭に入ってこなかった。
これで本当に美味しかったら、いや、せめて可もなく不可もない無難な味であったなら、この見解に肯定意見を示すのもやぶさかでは無い。
だが、今この状況においてそんな事を言われても、流石に、
「さぁクロノさん、おかわりも沢山ありますから、いっぱい食べてくださいね」
いや、それ無理、マジで無理、絶対無理、死ぬ、これ完全に詰んだ。
「……ネルさん、ちょっと真面目な相談があるんですが、聞いてくれませんか」
俺は死刑宣告よりも残酷な真実を耳にした所為で、安易な現実逃避はやめて生き残るために全力を尽くすことに決めた。
そう、どんな卑劣な手段を用いても、俺は生きる、生き残ってやる。
「え、はい、なんでしょうか?」
俺は覚悟を決める、この天使のように優しく美しいお姫様を泣かせてしまうかもしれないことを。
「このサンドイッチ不味いです」
「ごめんなさい」
誠心誠意、謝罪の言葉を述べるのは、俺では無くネルさんである。
いや、俺としても一言謝るべきであろう。
魔法の練習に付き合ってもらった上に、料理までご馳走になったのだ。ここまで相手の善意を受けておきながら謝らせるとはどんな鬼畜の所業であろうか。
だが、モノには限度というものがある。俺は良心の呵責に苛みながらも、あえて悪鬼羅刹と化す修羅の道を行くことに決めたのだ。
つまり、料理が不味いと素直に申告した。
まぁ、そこから一悶着あったのだが、ネルさんが実際に暗黒サンドイッチを食したとこで、俺の訴えの正当性は認められることと相成った。
「本当にごめんなさい……私、こんなに料理が下手だったなんて……」
ネルさんの言い訳は少々不思議なニュアンスに感じるが、
「まぁ、誰も指摘してくれなかったんじゃしょうがないんじゃないですか」
どうやら、不敬にもアヴァロンのお姫様の手料理が不味いでござると諫言を述べたのは、俺が史上初であるらしい。
この衝撃的な事実を涙ながらに受け止めてくれたネルさんの態度を見れば、今すぐ極刑に処される事はなさそうで、一安心だ。
「いつもみんなが残さず食べてくれるから、とても美味しくできていると勘違いしちゃっていたんですね……うふふ、馬鹿みたいですね、私」
白皙の美貌を悲嘆にくれさせるネルさん、この表情を見れば世の男共はどんな手を尽くしてでも笑顔にさせてあげたいと思えるほどの儚さ。
だが、俺としてはこれまで彼女の料理を不味いと思わせないよう完食してきた英雄たちにこそ、敬意を表したい。
特に、このスパーダにおいてネルさんが手料理を振舞うというバイオテロを未然に防いでくれたのは、兄貴のネロをはじめとした『ウイングロード』のメンバーであるらしい。
今の俺は心から彼らが名実共にランク5の冒険者パーティだと認められるね、素直に尊敬できる。
だが、彼らの涙ぐましい努力も今、俺の手によって水泡に帰してしまった。
この残酷な現実をネルさんに知られまいとする彼らの心遣いは分かる。だがしかし、いずれ彼女も真実を知る日が来たことだろう。
そう思えば、他の誰でも無く、ただの冒険者である俺がリスクを省みず指摘することが出来たのは、かえって僥倖だったかもしれない。
ネルさんがどうであれ、アヴァロン国民だったら不敬罪に処されるかもしれないのだから。
しかし、自分の行いを正当化することに没頭するのもそろそろ限界である、なぜならば、
「こんな汚物を喜んでみんなに食べさせていたなんて……人として終わってますね……ふふ、終了……」
ネルさんがショックのあまり、ヤバい方向に自己嫌悪が全力疾走してしまっている。
このまま放っておくとリストカットくらいならしちゃうんじゃないかなという雰囲気だ。
心なしか、その青空のように澄んでいる瞳も暗雲が立ち込めているかのようにどこか曇って見える。
そんな今の彼女を一人にしてはまずい。ここは責任をとって、俺が何とか上手いフォローをしなければ。
だが、何と言うべきか。
食べられないほど酷くはないですよ? いや無理だ、コレはもう完全無欠に食物の概念を逸脱した物体になってしまっている。
じゃあクロノさん食べてくださいよ、と返されれば、俺は全力でNOと言わざるを得ない。
ちくしょう、どう頑張ってもこのサンドイッチのフォローは不可能だ……いや、待てよ、そうか、これはもう完全にスルーしてしまえば良いのだ。
「ネルさん、人は誰でも最初から料理が上手なわけじゃありません」
まぁ、料理未経験者の全てがこんな毒物を練成できるかどうかと言われれば、否であるが。
「今は料理が下手でも、これから上手くなっていけばいいじゃないですか!」
ようするに、今の惨状は忘れて、明るい未来を見よう! というテーマだ。
「でも私、小さい頃からお料理は嗜んできたつもりだったんですけど、こんなに酷いんじゃ、もう頑張ってもダメですよ……」
「ダメじゃないですよ、今まではちょっとやり方が間違っていただけで、また一から学びなおせばいいじゃないですか!」
「け、けどぉ――」
「出来る、出来る、絶対出来る! 頑張れもっとやれるって! 頑張れば絶対料理上手くなる! みんなに美味しい料理食べさせてあげよう!!」
畳み掛けるようにポジティブな言葉攻めをフルバーストする。
ここで退いたら後は無い、頑張れ俺、やればできるって!
「そ、そうですよね……私、今度こそお料理が上手に作れるよう頑張りますっ!」
よし、俺の熱い思いに応え、ネルさんは見事に持ち直してくれたぞ。曇っていた瞳も今や見違えんばかりに希望の光に満ちているような気がする。
「ところでネルさん、今までは誰から料理を習っていたんですか?」
「え? 我流ですけど?」
なるほど、それが諸悪の根源だったか……