第256話 盗賊討伐の目的、フィオナの場合
王立スパーダ神学校に通う騎士候補生の少女シェンナは、温かいベッドの中で夢を見ていた。
「うーん……エディはホントに……バカなんだからぁ……」
そんな寝言が聞こえてくる、その内容は随分と幸せなものであるらしい。
それから二言三言のだらしない内容の寝言を繰り返した後、彼女の意識はようやく覚醒に向かう。
基本的に寝起きがあまりよろしくないシェンナだが、今朝に限っては良い夢のお陰か随分とスッキリ目覚めることができた。
「うーん、朝かぁ……」
窓からは燦々とした日光が清潔な白いカーテンに遮られ、柔らかな光となって部屋の中を照らし出している。
その様子は起き抜けの頭であっても、今の時刻が朝であることを即座に認識できるものであるが、シェンナが違和感を覚えるのもまた同時であった。
「ん、んー、あれぇ……」
最初の違和感は、妙に部屋が広い、というものであった。
よく見るにつれ、どうやらこの部屋は自分が普段寝泊りしている神学校の女子寮ではない事に気づく。
「あれ、ここ……何処?」
見慣れない部屋で寝ていた、それに気づいた瞬間に、シェンナの意識は完全に覚醒した。
「め、眼鏡――」
とりあえず最初にとった行動は、入学と同時にお世話になることになった視力を矯正する相棒である眼鏡を探すことだった。
半ば反射的に辺りを探るように手を動かそうとした瞬間、
「すみませんが、眼鏡はありませんよ」
すぐ横から、耳慣れない少女の声が聞こえてきた。
「誰っ!?」
半ば悲鳴に近い声音を上げながら横を向くと、そこには黒い三角帽子とローブを纏った‘魔女’としか呼べない格好の少女が一人、椅子に座ってこちらを見ていた。
帽子から僅かに覗く淡い水色の髪と、黄金に輝く二つの瞳が印象的な美少女、同じ女であるはずなのに思わず目が惹かれるほど不思議な魅力を感じてならない。
心の内を見透かすような金色の視線に見つめられた所為か、シェンナはヒステリックに叫んで取り乱すことはせず、驚きながらも冷静に魔女へと問いかけることが出来た。
「貴女は誰? それに私、どうしてここに……」
その質問をすでに予測していたかのように、魔女はよどみなく即座に返答した。
「私はフィオナ・ソレイユ、ランク3のパーティ『エレメントマスター』に所属する冒険者です。ここはイスキア村の近くにある屋敷です、危険はありませんのでご安心を」
整然と答えるフィオナの言葉に、とりあえず危害を加えられることはないと察したシェンナはほっと一息つく。
「私はシェンナよ、王立スパーダ神学校の騎士候補生の二年」
相手が名乗った以上は、騎士としての礼儀に則ってこちらも名乗り返す。
「ではシェンナさん、驚くかもしれませんが落ち着いて聞いてください。貴女はクエストの途中で盗賊に襲われ攫われました、それを私たちが助けて今に至ります」
「え、攫われたって……え?」
語られた事情は、シェンナに全く身に覚えの無いものである。
だが、そのことも魔女は見透かしているように、構わず言葉を続けた。
「身に覚えがないのは無理もありません。貴女はここ数日の記憶を失った状態にあります、最後に覚えている日付は何時ですか?」
恐らく確認の問いかけなのだろう、シェンナは半ば混乱する頭で必死に自分の記憶を探った。
最後の記憶といえば、寮の自室でベッドに入ったことである。
その日の晩は、幼馴染であるエディが所属する同じクラスの男子パーティと合同でクエストに向かう出発日の直前。
ベッドに入るギリギリまでポーションなどアイテム類のチェックを行っていた。
エディは男子パーティのリーダーではあるが、ちょっとだらしなく抜けたところがあるのは長い付き合いでよく知っている、だからこそ、自分がしっかりと準備を整えなければ、なんて思いながら確認作業をしていたのはよく覚えている。
そうして作業を終えてから眠りについて、起きたら今の状況、というのがシェンナの記憶の流れである。
自分の記憶でいけば昨日にあたる日付は、
「え、えっと……紅炎の月20日」
「今日の日付は白金の月4日です」
シェンナの感覚では、今日は間違いなく紅炎の月21日のはず。
だがフィオナの口から出たのはそれから10日以上が経過し、月まで替わってしまっている日にちであった。
「え、そんな……嘘でしょ?」
「その様子では、綺麗に記憶は消えているようですね」
消えるも何も、シェンナには本当に身に覚えが無いのだ、この魔女が自分を謀っているというほうがよほど現実的に思えるほど。
だが、伊達や酔狂で一人の騎士候補生に過ぎない自分を何かの罠に嵌めることなど考えられないし、誰かの悪戯だとしても性質が悪い上に手が込みすぎている。
フィオナの言葉を全て信じるというのなら、自分はこれから向かうはずだったクエストには、もうすでに行っていて、その途中で盗賊に襲われ捕まる――
「え、待ってよ、それじゃあ私、いえ、他のみんなはどうなったのよ!」
シェンナとて子供では無い、学生といえども年齢的にはすでに成人、モンスターと戦える立派な大人の一人である。
そんな彼女が、盗賊に襲われ捕まるという事の意味が分からないはずが無い。
「盗賊は奴隷として売る為に貴女とメンバーの女子生徒を捕えました、貴女を含めて4人とも軽傷を負っただけですよ、すでに完治しているかと思いますが」
その言葉を受けて、シェンナは反射的に体を覆う白い布団を払いのけて自分の体を見た。
その時点で、初めて今の自分が裸であったことに気づく、少々恥かしくもあったが、体には痣の一つも見当たらなければ、痛みも全く感じられない。
完治と言えばその通りであるが、記憶の無いシェンナにとってみれば、昨日ベッドに入ってそのまま起きたのだから、異常が無いのは当然という感覚だ。
「あの、私のパーティは女子だけで4人でしたけど、一緒に男子4人のパーティがいたはずなんですけど」
「私たちはここに捕えられている女性を救出しただけなので、襲撃の経緯は全く分かりません」
シェンナの顔が一気に青ざめる、真っ当に考えれば、盗賊に襲われ敗北すれば男は殺される。
「今はあまり気にしない方が良いですよ、もう少しすればギルドから迎えが来るので、詳しい事はそれから考えるべきでしょう」
「あ、いえ……そうですね、すみません……」
まずは事の真偽を確かめるのが先決、なんと言っても自分には記憶が無いので、ギルドなど公の機関で情報を確認しなければいけない。
「失礼しますシェンナさん、少し外しますね」
と、フィオナは唐突に立ち上がった。
無論、止める意味など無いので黙って見送ることしか出来ない。
ただ、フィオナの手には淡く発光する水晶の欠片が握られていることをシェンナは目ざとく発見した。
「あれって……通信機?」
離れた距離でも言葉を交わす魔法具は存在している、騎士候補生では手の届かない高級品ではあるが。
自分の使う魔法だけでなく魔法具にもそれなりに精通している勤勉なシェンナは、水晶片を利用した通信機は仲間の誰かに精神感応能力を持つ者がいれば、それを介して短時間ながらも言葉を交わすことが可能になることを知っていた。
だとすれば、『エレメントマスター』というパーティメンバーの誰かから呼び出しがかかったと考えるのが妥当である。
五分もしない内に、フィオナは再び扉を開けて顔を見せると、
「シェンナさん、これから私の仲間がこの部屋へ眠りに来ますので、すみませんが見ていてくれませんか。ついでに、他の女性が目を覚ました場合も簡単な事情説明をお願いします」
いきなりシェンナに仕事を丸投げしてきた。
「え? ちょっとフィオナさん!?」
「仲間はリリィさんという見た目だけは可愛らしい女の子なのでご安心を、他の女性はこの部屋の隣です、鍵もかけてないので、適当に出入りしてください」
「え、適当にって、そんな――」
「それでは、よろしくお願いします」
一方的に押し付けて、フィオナは去っていった。
「え、えぇ……私、保護される側よね……?」
フィオナは地下室の分厚い木の扉を開く、リリィが鍵穴ごと吹き飛ばしたお陰で軽く押すだけであっさりと扉は動いた。
「うぅ……う~あぁ~」
中に入るとそんな唸り声が聞こえてくる、しかも、それは一つではなく何人もの人間が同じように発しているので、室内はそれなりに騒々しい。
「まるでゾンビですね」
昨晩までは盗賊行為を働くならず者たちは、今や檻の中で意味の無い唸り声をあげる変わり果てた姿となっている。
ゾンビ、知性の無い下等なアンデットモンスターであるが、フィオナの例えはこれ以上ないほど的確であった。
「そうね、気持ち悪いから早く処分してちょうだい」
まるで庭先に湧いた虫の駆除でも頼むような物言いのリリィ、盗賊たちをゾンビ並みの廃人に仕立て上げたのは他ならぬ彼女であるが、そこには一片の罪悪感もない。
そんなリリィの態度を見てもフィオナは特に嫌悪することもない、立場が同じなら自分もそうしただろうから。
酷いとは思うが、そんな感情的な理由だけで行為を止める理由足りえない、なぜならリリィもフィオナも、絶対に揺らぐことの無い至上目的を掲げている――そう、全てはクロノの役に立つ為に。
「はい、とりあえずお疲れ様でした、と言うべきでしょうか」
檻の中で蠢く男の姿などまるで見えていないかのように、フィオナはベッドタイプの拘束台に座るリリィへと歩み寄る。
「ホントに疲れた、次はもうちょっと時間に余裕をもってやりたいわ」
「一晩で二十人弱ですか、確かに結構な人数ですね」
檻の中にいる男は全員廃人状態となっているのは、誰一人としてリリィの魔の手から逃れることはできなかったことをこの上なく端的に示している。
「でも、有意義な実験ができたわ、成功といってもいいくらい」
「成功ですか? これで?」
「うん、使い方は何となく分かったから」
リリィの小さな手には白いリング、男たちを廃人に仕立て上げた凶器である『思考制御装置』が握られている。
人を意のままに操る強力な洗脳を可能とする『思考制御装置』だが、ただ装着するだけでは効果が発揮されない。
リリィの目的は、この悪魔の装置を完全に使いこなすことにある。
その為に人間に装着し効果の程を試す、人体実験は目的達成の為には欠かすことの出来ない重要なファクターだ。
そして、公に行うには憚られる人体実験であるが、今回の盗賊討伐のように相手を全員殺してしまっても咎められない状況こそ、実験を行うに絶好の機会。
クロノが盗賊討伐を決めた時にもろ手を挙げて賛成したのは、金の為でも、ましてスパーダの女子学生を助ける為でも無い、ただ実験するにうってつけの‘モルモット’が大量に手に入りそうだと思ったからに他ならない。
「では、もう使えるんですか?」
「残念ながら無理、私が使うにはちょっと改良しないとダメみたい、まぁ、あと何回か同じようにやれば完成できるわよ、たぶん」
恐らくは、また盗賊討伐かそれに準じるクエストに行かなければならないだろうことをフィオナは察した。
「それじゃ、後は宜しくね」
すでに自分の仕事は済んだリリィは拘束台から飛び降りると、そのまま扉へと向かう。
「そういえばリリィさん、女性の一人が目を覚ましましたよ」
「そう、どうだった?」
「紅炎の月20日以降の記憶は完全に失っているようです、見事な処置ですね」
フィオナはリリィの手並みを素直に褒め称えた。
リリィ曰く、それなりにアフターケアをしておかないと、アルザスの生き残りの時のようになって困るから、ということらしい。
そしてなにより、綺麗サッパリ無かったことにしておいた方がクロノも喜んでくれる、彼にはもう余計な責任感を背負って欲しくは無かった。
ついでに、彼女達にはみなそれぞれ思い人がいる、故にその恋を実らせてあげたいという実に‘妖精らしい’気持ちも多少はあるのだった、あえて、口にすることはないが。
「紅炎の月20日ね、うん、上手くいって良かった」
実は、どこまで遡って記憶を消せるかはリリィにとっても賭けに近かった。
キプロスの時は全ての記憶を消す勢いで容赦なくやったので、その辺の細かい配慮はせずに済んでいた。
いざ正確に時間を限定して記憶を消そうというのは中々に難しい、下手をすれば数年分も余計に消してしまう可能性もゼロでは無かったのだ。
だが、その不安はあえて言うまい、上手くいったのだから、リリィは全て自分の計算通りということにしておいた。
「あ、そうそう、ロバート、だっけ? 協力ありがとね、もう行っていいわよ」
扉に手をかけようという直前に、リリィは今更思い出したかのように振り返って、三人の協力者へ声をかけた。
「ひ……あ、ありがとうございやす……リリィさん……」
ロバートは震える声を発しながら、よろよろと立ち上がった。
彼らはつい先ほどまで‘実験体’を台に設置する作業に従事させられていた、それはつまり、仲間が苦悶の絶叫を挙げる様子を目の前で見せ付けられたということであり、また、その片棒を担いでしまったということでもある。
三人は精神的にかなり参ってしまったようで、一晩の徹夜で溜まる以上に疲労、いや、衰弱していると言った方が適切だろう。
それでも苦難に耐えてようやく掴んだ自由を目の前にして、立って歩き出すだけの力は沸き上がってくるようだ。
今の彼らには、扉の前で微笑むリリィも悪魔の子では無く新たな門出を祝福する天使のようにさえ見えたかもしれない。
「は、はは……やった……やったぞ、これで俺は――」
助かる、とでも言おうとしたのか。
だがその呟きは、突如として迸った灼熱によって遮られた。
「あっ、ぎぃやぁあああああああああああああああああ!!」
地下室に三人の男の絶叫が同時に木霊した。
「あぁああ、な、なんでぇええ、燃えてっ、がぁあああああ!」
気がついた時には、自分の両足には真っ赤な炎が絡みつき、耐え難い高熱に苛まれる。
無論、歩くどころではない、ロバートたちはその場で転げ落ちるように身を床に投げ出し、必死に足をばたつかせて燃える炎を消そうと無駄な試みをしている。
「なんで、って言われても、私は見逃してあげるって言ったけど、フィオナにそのつもりは無いみたいよ?」
全く悪びれもせず、相変わらず愛らしい微笑みを浮かべたまま、リリィはそんな台詞を口にした。
そして、それだけで悟ったに違い無い、彼女は始めから自分たちを一人も生きて帰す気など毛頭無かったのだと。
「そ、そんなっ、助け――」
それ以上の言葉を、リリィもフィオナも聞く気はなかった。
命乞いの懇願も、恨みの罵倒も、耳には聞こえてくるものの、それは僅かほども記憶に残る事は無く、勿論、彼女達の心に届くことも決して無い。
「それにしても‘生贄の儀式’だなんて、いよいよ本物の魔女らしいことするのね」
「私もやるつもりは無かったのですが――」
と、いつの間に取り出したのか、フィオナの手には一冊の古びた本が握られていた。
辞書のような厚みと大きさ、それを覆う黒一色の装丁はさながら本というよりも箱のような外観に仕立て上げている。
「クロノさんのお力になるために、覚悟を決めました」
その本は、フィオナが神学校に通い始めた初日から、ずっと図書館で探していたものである。
彼女はスパーダが長い歴史を持つ国であること、また、かなり立派な図書館であったことを踏まえ、自分の探しものがここにあるだろうと予想していた。
そして、その予想は見事に的中した。
「ふふ、加護を与えるのに生贄を求めるなんて、邪悪な神様もいるものね」
「そうでなければ、禁書指定なんかされませんよ」
フィオナがスパーダ自慢の大図書館の地下にある禁書封印区画から、十重二十重の結界を潜り抜けて持ち出したのは、『万魔殿へ至る道標』と題された一冊の魔道書。
そこには、実践するには憚られる邪悪な儀式によって加護を得る方法が書かれている。
そしてそれは、今のフィオナにとって必要となる‘力’を与えてくれるに違いは無い。
この盗賊討伐をするにあたって、リリィの目的が人体実験であったならば、フィオナの目的は神へ生贄を捧げることである。
だからこそ、リリィには生贄となるべき盗賊たちを殺して欲しくはなかった、裏を返せば、生きてさえいればどうでも良いということでもあるが。
「勝手に持ち出して大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ、使い終わったらちゃんと元に戻しておきますから」
そういえば、ネロだかエロだか言うクロノにイチャモンをつけていた愚かしいアヴァロンのナンパ王子が、大図書館案内の際にゴチャゴチャと注意のようなことを言っていた記憶が僅かながら残っている。
だが、やはり思い返してみても特に問題があるとは思えなかった。
こうして誰にも気づかれずに本を拝借し、それを正しい方法で使えるのだから。
「それでは、クロノさんが戻ってくる前に終わらせるとしましょうか」
そうしてフィオナは、生贄に捧げられる哀れな羊たちを無感動な金色の瞳で見下しながら、朽ちかけたハードカバーをはらりと捲り、禁断の儀式を始めるのであった。
「悪しき全ての神に捧ぐ――」