第252話 悪魔VS吸血鬼(1)
相手の実力を見誤った。
凄まじい魔力の気配と、現実に顕現した魔法を目にした時、ルドラはそう己の迂闊さを省みた。
刀一筋に生きていこう、そう決めた遥か昔のあの時より何十年と経た今の今まで、それなりに研鑽を積んできたという自負はある。
斬った人は数知れず、その中には当時の自分よりも格上と思われる強敵も含まれている。
その長年の戦闘経験を経て尚、自分はクロノという青年の実力を見誤ってしまったのだ。
(黒魔法使いだと? くくっ、そんな装備で魔術士クラスを名乗る者など、初めて見る)
それでいて、並みの戦士を越える剣技を誇り、なにより呪いの武器を使いこなしているのだ、狂戦士には見えても魔術士にはとても見えない。
だが、現実にクロノは魔法を使って見せた、剣士クラスが補助的に覚える強化魔法などの類では無く、相手を殺すための攻撃魔法を。
左手にする赤い刀身の山刀には黒い炎が灯り、右手には『銃』と呼ばれる珍しいタイプの魔法の杖。
体の周囲に浮かぶ無数の黒い弾丸と十本の黒い長剣は全てこちらを向き、今にも襲い掛からんと魔力を迸らせている。
どれもこれまで見たことの無い不思議な魔法、恐らく原初魔法なのだろう、だがそれは間違いなく一流と呼ばれる魔術士が行使する魔法と同じだけの殺傷力を秘めていることを、肌で、直感で、ひしひしと感じられた。
(良いだろう、受けて立つぞ、クロノ!)
そうして、ルドラに向かって黒魔法がついに解き放たれる。
「魔弾全弾発射」
最初に動いたのは無数の弾丸。
暗闇とは異なる黒光りする閃光と共に、轟音を響かせてただ真っ直ぐルドラに向かって撃ち出される。
だが、それは作り出した弾丸の全てが同時に動き出すのだ、さながら黒い壁が迫ってくるかの如く、つまり、逃げ場が無い。
「硬身っ!」
避けられない以上は、防ぐしか方法は無い。
ヴァンパイアの強靭な肉体の上に、体内で練り上げた魔力を纏い全身を硬質化する防御系武技『硬身』を併用しダメージに備える。
「疾っ!」
無論、ただ正面から受け止める愚は冒さない、頭部や心臓などの急所をカバーするように刀でもって高速で飛来する弾丸を受け流す。
矢の雨を受けても全て弾き返す自信のあるルドラだが、弓矢を放つだけでは到底実現できない密度の高い弾幕を前に、急所に当たらないよう捌くのが限界であった。
肩や脇腹、脚などに鋼鉄のように硬い弾丸をかすらせながらも、肉体と武技のお陰で何とかダメージを受けずに防ぎきる。
「貫け、魔剣」
弾丸が発射されてから着弾するまでの僅かな間をおいて、即座にクロノの追撃が行われた。
今度は浮遊する十本の剣が、弓から放たれたような勢いでもって飛んでくる。
「百里疾駆」
だが、弾丸のカーテンはすでに通り過ぎた、盾を持つ騎士や戦士のように防御特化ではない侍のルドラからすれば、攻撃の多くは回避するに限る。
すでに両足には新たに練り上げた魔力によって、常人から見れば瞬間移動に等しい高速を宿す武技が発動している。
達人級の武技『百里疾駆』は、たかだか十本程度の射線から脱すことは容易い、だが、クロノの攻撃がただ‘剣を飛ばすだけ’などという、芸の無い魔法であるとルドラは安易に考えなかった。
(自動追尾――いや、直接操作か、やはり、それくらいはしてくるか!)
吹き抜ける疾風のように林の間を駆け抜けるルドラだが、放たれた剣は背中を追いかけるように、あるいは先回りするように、十という数を生かして包囲するように宙を泳ぐ。
ルドラは高速移動するそのままの勢いで、まずは前方に回りこんだ三本の剣に向かって刀を振るった。
目前に迫る剣は頭、胸、腹、をそれぞれ狙う縦に並んだ配置、
「朱一閃」
軽く地を蹴って飛ぶと同時に、刀を真っ直ぐ武技の威力を持って振り下ろす。
流石にこの十本の剣は呪いの武器では無く、魔力を付加しただけのものであるらしく、『吸血姫「朱染」』の真紅の刃にかかり、黒い魔力と破片を撒き散らして両断された。
「疾っ!」
狡猾にも着地のタイミングを見計らったように、背後と左方から新たな剣がそれぞれ三本ずつ飛来。
ルドラを交点に二方向から迫る剣に対し、今度は純粋に剣の受け流しと体捌きで対処する。
両断とまではいかないが、受け流し、あるいは弾くと、剣を覆う黒い魔力のコーティングが剥がれ、一瞬だけ鋼が煌いた。
(魔力の付加が剥がれれば、操作不能になるのか)
一本だけ強かに弾いた剣は、一気に半分ほどの魔力を散らすと、そのまま浮力を失ったように地面へ突き立ったまま動かなくなる。
他の剣は、回避されれば慣性を無視して即座に反転、とまではいかないが、旋回し再び襲い掛かってくる。
なんと地面や木に刺さったものさえ独りでに抜け、すぐに戦線復帰する様は僅かながらルドラを驚かせた。
(厄介な魔法だ、全て壊さねば狙われ続けるか)
脳天目掛けて頭上から落ちてくる十本の内の最後の一本を回避し、地面に突き刺さった剣が抜ける前に刀を一閃し叩き折る。
あと何秒もしない内に、壊し損ねた剣が再び自分目掛けて飛来するかという時、つい先ほど聞いた魔力の弾ける轟音を聞いた。
「魔弾掃射」
『銃』という魔法の杖から黒い閃光を連続的に瞬かせ、地を抉るようにして弾丸が襲い掛かってくるのを目と耳と肌で感じ取った。
(同時発射では無く、連射もできるのか)
黒い一本線のように見えるほど連続的に撃ち出される弾丸はその勢いと発射の轟音も相俟って、まるで嵐のようである。
(防ぐか、いや、連続攻撃なら避けるより他は無い!)
一斉発射を防ぎきった『硬身』だが、発動時間は短く、攻撃を受ければ身を守る魔力のコーティングは削れ、さらに短くなってしまう。
最初の何十発かは防げても、次の弾を防ぐ事は叶わないと即座に理解できる、そして、如何に強靭なヴァンパイアの肉体といえども、これほどの威力の攻撃を何十何百と喰らえばあっという間に戦闘不能になることも。
故に、回避。
幸いにも、同時発射されるよりかはまだ回避する余裕がある
もっとも、この黒い弾丸だけでなく、背後からは残った剣が再び狙いを定め動き始めている。
未だ『百里疾駆』の効果を宿す俊足で、クロノを中心に円を描くような軌跡で走り回避に専念するが、
(これは攻撃が途切れるのを待つよりも、仕掛けた方が良いな)
魔術士を相手にする場合に、先に相手の攻撃をやり過ごしてから攻撃に転じる後の先の戦術は有効だ。
基本的に、魔法は詠唱や儀式を介して発動させるため、剣を振るのに比べれば攻撃の発生は圧倒的に遅い。
無論、そのデメリットを補って余りある強力な力が魔法にはあるのだが、逆に強力であればあるほど発動には時間がかかるもので、外した時のリスクは飛躍的に増大する。
だが、そのセオリーは今あっさりと覆されてしまっている。
クロノの初手である弾丸の同時発射、普通の魔術士ならば、これの後に新たな攻撃をするには数秒の詠唱を要するだろう。
だが、間髪いれずに飛んでくる十本の剣、しかもこれは全て壊すまで敵を狙い続ける厄介な継戦能力を持っている。
それと同時に行使するのは、弾丸の連続発射。
これがどれくらいの時間発射していられるのかは分からないが、十秒や二十秒で‘弾切れ’を起こすとはどうにも思えなかった。
もし、魔術士が途切れる事無く攻撃魔法を撃ち続けることができたなら、永遠に後の先は成立しない。
あえて言うなら、ルドラが初手をやり過ごした後、回避に専念するという選択は誤りであった、もっとも、それはクロノの魔法を体感した今だからこそできる反省だが。
そして、今は反省よりも、この状況を覆す行動こそ求められる。
(何発か喰らうのは、覚悟せねばな)
すでにして無傷で勝利できるほど甘い相手ではない事は重々承知、むしろ血みどろにならねば勝てないほどの強敵こそ望むべき者。
クロノに対し回りこむように走っていたルドラは、一転、真っ直ぐ向かっていく。
残像を伴うほどの高速で左右にブレるような回避運動は、ほとんどの弾丸を避けていくが、やはり正面きって突き進むと断然命中率が上がってくる。
(頭にさえ当たらなければ、どうとでもなる)
ルドラとて防具に無頓着なワケでは無い、ちゃんと身を守るに相応しいものを装備している。
この一見するとボロいだけの黒コートだが、『黒鉄織り』と呼ばれる魔法の金属繊維を編込んである、魔法防御を宿す立派なハイグレード防具だ。
クロノが放つ魔力を高密度で押し固めた弾丸を正面から受けても、貫かれない程度の防御力はある。
(このまま押し切――)
行ける、と思った瞬間、
「黒炎」
クロノが左手に持つ赤い山刀を一閃、轟々と猛る黒い炎が眼前に広がった。
ルドラの視界180度には一面、暗黒の高熱が映る、だが、
(押し切るっ!)
一瞬の躊躇もせず、そのまま突っ切ることを選択。
黒き灼熱の渦へと身を投じる。
「ぐあっ!」
肉体を苛む火炎の痛み、多くの種族は全身火達磨になる激痛には耐えられないだろうが、ヴァンパイアの生命力ならば、やってやれないことはない。
ルドラの動きを今すぐ止めるには少しばかりこの炎では火力不足だったようだ。
地獄の業火を潜り抜ければ、もうクロノまでの距離は5メートルも無い。
この勢いのままあと一歩踏み込めば、刃の届く間合いに至る。
しかしながら、その逸る心をこのタイミングで制御しきったルドラは、流石と呼べるだろう。
(やはり、ここで仕掛けてきたか)
黒い炎で視界を塞ぎ、それを潜り抜けた瞬間、つまり今、この時、クロノはさらなる攻撃に出るのだった。
右手に持つ『銃』は真っ直ぐこちらを向いているが、いつの間にか弾丸の連射が止んでいる。
ただ並んだ二本の銃身が、黒々とした銃口を晒しているのみ。
と同時に、ルドラの背後から壊し損ねた剣が向かってくる気配を察した。
バズンっ!
爆音と呼ぶべき強烈な轟きと閃光が、ルドラの目の前で弾ける。
この至近距離において、銃から‘何か’が撃ち出されるだろうというのは予測していた。
分かっていれば、
「きぃえええええいっ!!」
ルドラの腕をもってすれば、迎え撃つのは不可能では無い。
銃口から僅か5メートルほどの距離だが、裂帛の気合と共に振るわれた刃は、迫る二つの弾丸を確かに捉えた。
幸運だったのは、この弾丸が爆発などの追加効果を持たない、目標を貫くことだけに特化したシンプルな攻撃力しかない事であった。
ひたすらに直進するしか無い弾丸は、ヴァンパイアの超人的な反射神経と直感でもって捕捉され、手にする刀で進行方向を逸らされる。
二つ並んだ弾丸の間へ、斜めに斬り込む様に挟まれた刃によって、滑るように飛んでいく方向がズレた。
ルドラの胸のど真ん中に当たるはずだった二つの弾は、片方は左肩をかすめ、もう片方は脇腹をかすめるように軌道を逸らされ、『黒鉄織り』のコートと肉体を僅かに抉り、少しばかりの出血を強いるに留まった。
弾丸を弾いた直後、背中に向かって飛んでくる剣に対処するべく、ルドラは刀を振るった勢いのままその場で反転。
「ぇえええい!!」
迫る剣を一閃で全て叩き落す。
敵の眼前で一瞬とはいえ背中を晒すように一回転するのは致命的だったが、一歩踏み込まねば鉈の刃は届かないギリギリの間合いと、ヴァンパイアの運動能力の限界を突破した超高速の反転は、クロノが攻撃するに足る隙にはならなかった。
事実、再び前へ向き直ったルドラに対し、クロノの刃が振るわれる事は無かったのだから。
クロノは銃を撃った時と同じ体勢、半身になって銃を握る右手を突き出した格好のまま。
かくして、ルドラはクロノを仕留めるべく、そのまま攻撃に移った。
(我が最強の武技でもって、決めさせてもらう)
武技は魔法と違って、発動に要する時間は短い。
先の『硬身』のように溜めを必要とするものもあるが、だからといって威力の高い武技に、必ずしも溜めが必要になるとは限らない。
その武技は、これまで数えることすら無意味に思えるほど刀を振るった鍛錬の末に身につけた、ルドラにとって必殺技と呼ぶべきもの。
必要なのはただ己と刀のみ、魔法のように長い詠唱も高価な触媒も特別な儀式も必要としない。
故に、その発動は最速にして、威力は最強。
愛刀『吸血姫「朱染」』はいよいよ鮮血に似た不気味な赤いオーラを激しく迸らせ、ルドラの求めに応える。
それはつまり、刀にとって唯一にして絶対の‘斬る’という機能を極限まで追い求めた武技である。
「――斬天朱煌!」
天を斬る朱い煌き、その名の通り虚空に輝く朱色の軌跡を描きながら、敵を一刀両断するべく必殺の武技が放たれた。