第248話 行けよ用心棒、目覚めよ冒険者
ルドラという用心棒の男は病人のようにやつれてはいるが、こうして階段をフラつくことなく下っている姿を見れば、彼が健常者であることがわかるだろう。
盗賊団、もとい奴隷商人たちの利用している館、その地下室へ通じる薄暗い階段を音もなく下っていく。
ルドラが地下室の扉をノックするまで、彼の接近を察した者は誰もいなかっただろう。
コンコンと響くノック音を聞き届け、室内から慌ててこちらへやってくる気配をルドラは扉越しにもはっきり感じ取っていた。
「先生、何か御用で?」
扉から出てきたのはこの一団を現場で率いる主のロバート。
上半身裸で汗を流したその姿を見れば、今の今まで何をしていたのかは考えるまでもない。
いや、考えようとしなくとも、この部屋の奥から響いてくる乱れた少女の嬌声と男の怒号の所為で、聞く者にどうしようもなく淫猥な想像をさせることだろう。
この仄かに鼻をくすぐる甘い香り――モルジュラの粘液を配合した媚薬を使用しているのだから、普通の男ならば想像だけでなく肉体的にも反応してしまう。
だが、ルドラにとっては全く気になるものではないようで、虚ろな瞳をした無表情のまま、淡々と伝言する。
「こちらへ向かってくる者がいる、逃げる用意をした方が良い」
その一言で、ロバートの顔には驚きの色が浮かぶが、取り乱すことなく冷静に事の仔細を問いただす。
「ファーレンかスパーダの騎士団が動いたんですかい?」
「いや、反応は三つ、恐らく冒険者だろう」
最悪の状況ではない事を察したらしいロバートは、一つ安堵の溜息を吐く。
「たった三人相手じゃあわざわざ逃げる必要はないんじゃないですかね?」
「ランク4以上のパーティならば、私も足止めするのが限界だ」
なにより、送り出したザックたちのグループが未だ帰ってこない、もしかしたら一網打尽にされた可能性は十分に考えられる。
それなりの人数を擁する彼らを撃退したのが現在ここへ向かってくる三人パーティなのだとすれば、並み以上の実力を持っていることになる。
「念には念を、ですかい」
即座にルドラの言わんとしていることを察知したロバート、こういう稼業は逃げ足が肝心、引き際を見極められないヤツはとっくの昔に断頭台の露と消えている。
「分かりやした、ズラかる準備をするんで、先生方は――」
「すでにガルダンが飛び出して行った、私も今すぐ向かう。敵は裏手から近づいているようだ、つり橋の前で戦えば、脱出する時間は十分に稼げよう」
「それじゃあ俺らは表から、へへ、今回もよろしくお願いしやすよ、先生」
黙って頷いたルドラは、身に纏う黒コートを翻し階段を駆け上がっていった。
盗賊団――奴隷商人と名乗っているが、盗賊団でいいだろう。そのアジトは、イスキア村からやや離れた小高い山の中腹に立つ館だという。
ザックから凡その情報を聞きだした後、俺たちはそのままアジトに向かっている。
なぜそんなことをしているのか、答えは簡単、俺たちが残りの盗賊を討伐しようというだけのことだ。
ちなみにザックはあの場で解放した、リリィが大丈夫だと保証してくれたので、報復に来る可能性は無い。
彼には是非ともこのまま真っ当な冒険者人生を歩んでくれることを願っている。
「グリードゴアはどうするんですか?」
暗い夜道の中、並走するフィオナが馬上より問いかける。
「これが終わってから探しに行く」
目撃情報からいって、すでに近くにはいない可能性の方が高い、今更一日二日の時間を急いだところで必ず見つかるということもないだろう、それほど時間が惜しいわけではない。
「もともと、見つからなかったらイスキア丘陵のモンスターを適当に狩って資金の足しにするだけだったし、盗賊討伐の報酬の方が稼げそうだろ」
「そうですね、あの殺人犯の懸賞金も結構良い額でしたし」
とりあえず『エレメントマスター』の方針としては、盗賊討伐に否やはない、決して俺が正義感を暴走させて独断専行したワケでは断じてないのだ。
盗賊討伐を決めた理由は幾つかある、敵の戦力は俺たちだけで十分制圧可能という点、スパーダの神学生が捕まっている点、これは今話した通りだが、モンスターをフリーで狩るよりは金になりそうな点。
まず一つ目の理由について、ザック曰く、用心棒として雇われたのは自分含めて三人、残りの内一人だけはかなり手練れの剣士だと聞いたが、もう片方はいいとこランク3かどうかという実力のゴーレムらしい。
他の盗賊団メンバーは、ついさっき俺たちによってバラバラにされた連中と同じような実力、つまり魔法も武技も無い純粋な身体能力しか持ちえていないただの人間だ。
用心棒の剣士にだけ注意すれば、余裕で盗賊団を壊滅させることができる。
二つ目、スパーダの神学生が捕まってる点について、これはどうにも聞き逃すことはできない情報だ。
ウィルが懸念していた、ファーレンの盗賊退治に向かったらしい妹、スパーダの第三王女であるシャルロット・トリスタン・スパーダが盗賊に捕まったという可能性は、幸運と呼ぶべきかゼロだ。
ザックに聞いたスパーダの女子学生の特徴は、どれも聞き覚えの無いもので、俺にとっては顔の知らない人物であることに間違いない。
ただ、同じ神学生が捕まっていることを知った以上、大人しくスルーすることは出来そうもない。
三つ目はフィオナに語ったとおり、お金目的であり、当初の予定だったグリードゴアともエンカウントできそうもないので、方針転換してもさほど問題ないというだけのこと。
『イスキア丘陵』の危険度ランクは3、そこで多く生息するというケンタウルスやサイレントシープとかいうモンスターを乱獲したところで、フリー討伐の報酬はたかが知れている。
それと、口にはしてないが、四つ目の理由もある。
「リリィとフィオナに手ぇ出そうとしたこと、死ぬほど後悔させてやる」
「声に出てますよ、クロノさん」
うん、なんだ、まぁ、そういう私怨もあるということだ。
いざ本人に聞かれると、ちょっと恥ずかしいな。
「クロノさん」
「なんだ?」
「死ぬほどっていうか、絶対死にますよね」
いや、そこはほら、何人かは生け捕りに出来るかもしれないじゃないか。
「盗賊行為は大抵どこの国でも死罪ですからね、先に殺してしまったほうが騎士の手間も省けるというものです」
さらりと言ってのけるフィオナがちょっと怖い、でも、これがきっとこの世界での常識なんだろうな。
江戸時代でもちょっと小銭を盗んだだけで打ち首とかされたみたいだし、刑罰の重さってのは国や時代でいくらでも変化するものだ。
「そうだな、全員生け捕りにしないと逆に殺人の罪に問われるなんてされちゃ、盗賊なんて相手にできないよな」
「え、もしかしてクロノさんのいた異世界では、盗賊を殺したら罪に問われるのですか?」
正しく盗賊と呼ばれる者は存在しないが……まぁ、強盗を返り討ちにした場合、正当防衛がきちんと立証されなければ罪に問われるかもしれない。
「ああ、そんな感じだ」
「そうなのですか……難儀な世界ですね」
酷く驚いた表情のフィオナ、なんか思わぬところでカルチャーショックを受けてるな。
色々と誤解もありそうなやり取りだが、日本についての正しい認識はその内話せばいいだろう。
「もうすぐだな、裏手のつり橋ってのは」
奇襲のアドバンテージはこちら側にある、それをわざわざ放棄して正面から堂々と乗り込んでいくメリットは無い。
もっとも、こちらも突発的な襲撃ではあるので、敵を欺く万端の準備を整えたというワケでもないのだが。
「起きろリリィ、馬を下りるぞ」
ここから先は馬では進めないほど狭い、下手に足を踏み外せば、崖下へ真っ逆さまといった具合。
まぁ裏道なのだから当然といえば当然か。
「ん、うー?」
俺の前でコックリコックリ船を漕いでいたリリィを揺すって起こす。
今は真夜中といえる時間帯、再び子供状態へと戻ったリリィにとってはオヤスミの時間である。
だが、これから盗賊のアジトにかち込みかけようというのだ、如何にリリィといえども心を鬼にして目覚めさせてやらねばなるまい。
「ほら、しっかりしろ」
「ふぁ~」
半目になって未だ夢見心地のリリィを抱きかかえて馬を下りる。
一応は自分の両足で地面に立っているが、なんだかフワフワした様子で俺の足に纏わりついてくる、見ていて非常に不安だ。
「目覚まし用ポーションでも飲ませましょうか?」
と、リリィの様子に見かねたのか、フィオナが帽子をゴソゴソやって内より一本の瓶を取り出す。
「シモンに飲ませたヤツか……」
「はい」
薬を作るとは何とも魔女らしい、だが、フィオナがやけに自信満々な様子を見てそこはかとない不安を感じるのは何故だろうか。
「どうぞリリィさん、これで一発覚醒です」
「ん、ふぁ~い」
俺の不安をよそに、リリィはフィオナから怪しい自作ポーションを受け取り、そのまま小さな口で飲――
「びやぁあああまじゅぃいいいいいい!」
「り、リリィ!?」
涙目になってポーションを噴出すリリィ、どうやら俺の不安は的中してしまったようだ。
「フィオナっ! 私を殺す気っ!!」
「おはようございますリリィさん」
しれっとそんなことを言うフィオナに悪気が全く感じられない。
「何か私に言う事はないのかしら?」
口元を拭いながらギロリと睨みつけるリリィ、凄い迫力だ。
「クロノさんが困っていたようなので、早く起こした方が良いかと思って」
えっ、そこで俺の所為にするのかよ。
「くっ……仕方ないわね」
しかもリリィ納得してるし。
「あーなんだ、まぁ目は醒めた様だなリリィ」
「ええ、お陰様で」
何も一気に大人の意識まで目覚めさせなくても良かったのに、とは言わない。
「しかし、そんなに不味いのかソレ?」
「止めてクロノ、そんなことしたら死んじゃう」
いや、まだ飲むとは言ってないけど。
「失礼ですね、ちゃんと死なないよう成分調整してあります」
成分調整しなきゃ死ぬような代物なのかよこのポーションは。
まるで血液がそのまま入っているかのようなドロドロとした赤い液体はお世辞にも美味しそうな色合いとは言えない。
だが、非常に気にはなる、一口くらいなら……大丈夫か?
「クロノ……」
興味本位でフィオナから新たな目覚ましポーションを受け取るが、リリィはまるで徴兵されて家を出て行く一人息子を見送る母のような眼差しを俺に向けてくる。
そ、そこまで覚悟がいるもんなのかよコレぇ……いや、ビビるな、一口なら大丈夫なはずだ、ええい、ままよ!
そして俺はポーションの瓶を一気に――