第223話 初デート(4)
ちょっと落馬をしてしまったりというアクシデントもあったが、まぁ良い練習になったことには変わりないだろう。
夕暮れで空が茜色に染まる頃に、俺は愛馬であるメリーを厩舎へと返した。
まるで双子のように同じ黒毛と体格をした、フィオナの愛馬であるマリーも、メリーが帰ってきて嬉しそうに見えたのは、俺の目の錯覚だろうか。
しかし本当に二頭は似ている、リリィに聞いてみないと見分けがつかないほどだ。
「それじゃあ、宿に戻るか」
この時間帯になれば、流石にリリィも目覚めているだろう。
今日はリリィを放っておいてフィオナと遊びほうけていたワケだから、夕食くらいは連れ出してやった方が良いかな、と考えながら帰路に向かって歩き出す。
「クロノさん」
「どうした?」
しかし、一歩を踏み出したのは俺だけで、フィオナはその場で立ちすくんでいる。
「少し、遠回りして帰りませんか」
このスパーダで生活を始めて、早くも一ヶ月が過ぎようとしている。
生活の拠点となる『猫の尻尾亭』を中心に、その地理をある程度は把握できている、故にこの厩舎から宿へ帰りつく最短ルートをとろうと俺は歩き出したのだ。
フィオナの申し出はそれを否定するものであるが、
「そうか、それもいいかもな」
特に断る理由も無い。
フィオナの気まぐれに付き合って、少しばかり遠回りして散歩がてら帰路につくのも悪くないだろう。
「ありがとうございます」
「いいって、それじゃ行くか」
二つ返事で応えた俺は、まだ通ったことのない方向へ、フィオナと並んで歩き始めた。
満開の小さな青い花で彩られた並木道を、クロノさんと並んで歩く。
ここスパーダには四季にあわせた花が咲く四つの並木道があり、シーズン毎に満開のところを楽しむのだそうです。
夏真っ盛りの今は、爽やかな青い花を咲かすこの道が見ごろということになります。
いつだったかリリィさんと訪れた妖精の情報屋が渡してくれたスパーダのオススメデートスポット情報が役に立つとは思いませんでした。
私もリリィさんと一緒に目を通していて良かったです。
ごめんなさい、先に私がクロノさんとデートコースを歩ませてもらいます、と、心の中でリリィさんに僅かばかりの謝罪をしながら、静かに彼へ寄り添ってこの青い道を歩き続ける。
「この道を抜ける頃には、完全に陽が暮れそうだな」
「そうですね」
本来は晴天の下でこの青い花を眺めるのが正しい鑑賞法だとか、なので、この夕暮れ時となっては歩く人の姿は疎ら。
つい先ほどすれ違った人間の男性と猫獣人の女性の摩訶不思議な異種族カップルを最後に、私たちの行く先に人影は見えません。
カップルと言えば、今の私たちもそのように見えるのでしょうか。
先ほどの異種族カップルのように「君の毛並み、とっても素敵だよ、モフモフしたくなる」「もう、エッチなんだから」みたいな甘い会話が私とクロノさんの間にないのが少々残念ですが。
言葉数は少なく、でも、この沈黙は嫌じゃないです。
時間がゆっくり流れる、まるで暖かな春の日差しの中でまどろんでいるような心地よさ、それはきっと、私の隣に世界で一番素敵な男性が、クロノさん、貴方がいてくれるから。
「なぁ、フィオナ」
「はい、なんですかクロノさん?」
彼が私の名を呼んでくれる、うっとりするような聞き心地、ああ、もっと呼んでほしい、もっと、私を求めて欲しい。
「今日は、楽しかったか?」
曰く、食事をして、乗馬の練習をした、終わってみればそれだけの内容であったことを、クロノさんは少しばかり気にしているようだった。
「はい、とても楽しかったですよ」
だから、私は嘘偽り無く、心のままに応える。
楽しいです、貴方と一緒なら、何もかもが、世界の全てが変わって見えるほどに。
「そうか、それは良かった。
俺も楽しかった、また、こうやって遊びに行こうか――」
そう言って微笑むクロノさんの顔を、私には直視することが出来ませんでした。
それはあまりに眩しくて、魅力的で、そんな顔を向けてくれたら……欲しくなってしまう。
「――今度は、ちゃんとリリィも連れてってやらないとな」
続けられたその一言に、思わず足が止まりそうになった。
それだけじゃない、つい先ほどまで私の全身を包んだ甘い熱が急速に引いていくのを感じた。
「はい……そう、ですね」
不自然に間を空けず、すぐに応えられた自分を褒めてやりたい。
いいや、そもそも私は何にショックなんて受けているのでしょうか。
クロノさんと私とリリィさん、三人でいるのが当たり前、なぜなら私たちはパーティなのだから。
そもそも、二人きりの恋仲を望んでいるのはリリィさんであって、私はそれを邪魔する意志など毛頭ありません。
結ばれるべきなのはクロノさんとリリィさんの二人であって、私じゃない――いや、おかしい、私とクロノさんが結ばれる、なんて考えを少しでもしてしまうのがすでにおかしい。
だって、私はクロノさんに対して、あのリリィさんのような恋愛感情なんて持っていない、持っていないはず、持っていてはいけない……本当に?
「どうした、フィオナ?」
どうやら、私はあまりに思考に囚われすぎていたようです。
少しばかり反応は上の空になってしまい、余計な懸念を抱かせてしまいました。
「いえ、なんでもありません、少し考え事を――」
そんな言い訳を口にした時だった。
「ちょっと! 何よ貴方っ!?」
すぐ道の先から、そんな尋常では無い様子の女性の声が響き渡ってきた。
その声の主は木陰から飛び出し、いきなり私たちの前に現れたような状態。
見れば、スラリとした女性として理想的なプロポーションを持つ、白いケープを纏ったエルフの女性。
キツイ口調とは裏腹に、あきらかに怯えていることが、その腰が引けた様子から一目で分かる。
彼女の視線はこちらでは無く、道の脇に立つ青い花を咲かせる大きな樹へと向けられている。
どうやら、その視線の先に何者かがいるようであった。
「フィオナ」
「はい、分かってます」
この距離において、木陰に潜む‘何者か’の尋常ならざる気配――いえ、もっと率直に言ってしまえば、隠すことの無い禍々しい魔力の気配と殺気、平和な街中では無く、血で血を洗う戦場か危険なダンジョンの深部でしか存在してはいけない、そんな異常な気配を察した。
「ひっ!?」
短い悲鳴をあげて、女性が地面へへたり込むのと同時に、彼女へ迫る‘異常者’がその姿を現した。
一目で猫獣人の冒険者であると分かる、革鎧姿の男性。
猫獣人らしく、細くしなやかな体つきはしかし、それなりの年月を鍛錬に費やしたであろうことが見れば分かるほどに引き締まっている。
恐らく、猫獣人の視点から見れば美男と呼べるだろう顔と肉体を持つ男だが、その両の瞳に宿る禍々しい紅い光と、血で赤黒く汚れたままの巨大な剣を携えていることから、完全に正気を失っていることが分かる、というより、理解せざるをえない。
なるほど、アレが近頃スパーダを賑わせていると噂の連続殺人犯ですか。
その手に握る大剣から呪いの武器特有の赤黒いオーラを纏っているのを見れば、呪いにとり憑かれた所為で狂ったのだとすぐ分かります。
しかし、あの大剣にはどこかで見覚えが――
「行くぞ」
クロノさんのその声で自身の記憶を探る思考を中断する。
わざわざ説明も説得もする必要はありません、クロノさんがあの呪いの大剣にとり憑かれた男と刃を交える覚悟を決めたことを、私が分からないはずない。
ポーチから長杖『アインズ・ブルーム』を引き抜くと同時に、
「يعمل من خلال سرعة ――『速度強化』」
鉈を振りかぶり、駆け出す彼の背中に向かって、私は強化をかけた。