第221話 初デート(3)
ふふふ、異世界の出身であり、かつパンドラ大陸でしか生活したことのないクロノさんは、婚約の証として送られた指輪を左手の薬指に嵌める、という十字教の慣習など知らないでしょう。
私は十字教を信仰しているワケではありませんが、シンクレア共和国に住んでいたので、その文化・風習にまで根付いた宗教的な儀式を常識として持っています。
よって冠婚葬祭のイメージといえば十字教のスタイルですし、この婚約指輪の慣習も、乙女なら一度は憧れる類のモノです。
ええ、私は勿論、リリィさんと敵対したくは無いですし、クロノさんに対して思うところは何もありません――しかしながら、17年の人生の中で出会った最も素敵な男性であるクロノさんから指輪をプレゼントされれば、思わず左薬指につけてみたくなるのは私も女性である以上は仕方の無いことですよね。
「ふふふ……」
「何だフィオナ、えらく上機嫌だな」
「いえ、クロノさんの馬術が順調に上達しているようなので、嬉しくなっただけです」
「そうか? でもまだそんな褒められるほどのもんじゃないと思うんだけど――」
私は今、クロノさんへプレゼントした黒馬ことメリーに二人乗りをして、スパーダ郊外の広い草原を駆け回っています。
手綱を握っているのは勿論クロノさんで、乗っているだけの私は、これ幸いにと彼の腰へ手を回し、その広い背中へこの身を預けます。
毎日スパーダの公衆浴場に通うほど清潔好きなクロノさんですが、ここまで密着すると男性の匂いが私の鼻をくすぐります。
思わず身震いしてしまうほどゾクゾクとした感覚を覚える、彼が今も身に纏っているローブに包まれた‘あの時’と同じように、いや、彼の体を直接感じることの出来る今の方がずっと刺激的ですね。
おまけに、シチュエーションとしても素敵です。
左手の薬指に指輪を嵌めて、男性の駆る馬へ乗せてもらうなどとは、まるで新婚を記念する旅行へ向かう夫婦のようです。
「でも、何か悪いな、わざわざ練習に付き合ってもらっちゃって」
ボウっとした夢見心地、しかしクロノさんの声にはいつもの調子でしっかりと答える。
けど、もしかしたら今の私は変に顔がニヤけているかもしれない、こうして背中に抱きつく格好となっているのは幸いですね。
「いえ、こういう事は時間のある時にしておかねばなりません」
元々はクロノさんの黒魔法用の杖と防具を探しに買い物へ行く予定でしたが、食事中にした話の流れで、急遽予定を変更し、こうして乗馬の練習をすることとなった。
すでにそれなりの距離は馬で走った経験を積んだクロノさんは、リリィさんがいなくてもある程度は安定して操ることができるようになっています。
「そうだな、でも、さっき昼食とったばかりだけど、大丈夫か? 凄い揺れるし」
「問題ありません」
今日は気分が良かったので、いつもよりも沢山食べることが出来ましたが、それで腹具合がどうこうなるほど軟弱な胃袋はしていませんよ。
一方、クロノさんは食事中に少しだけ顔色が悪かったようですが、今はもうすっかり回復したようです。
「そういえば、神学校には乗馬の授業とかあるんだろうか」
「ずっと冒険者をやっていくならば必要になる技術ですからね、冒険者コースを名乗る以上は、カリキュラムに組まれているでしょう」
少なくとも、エリシオン魔法学院でも乗馬は習った。
「なるほど、それじゃあ乗馬スキルも、学校に行ったら磨いてみようかな」
「クロノさんならきっと魔法騎兵のようになれますよ」
「エクエスマージ?」
それは読んで字の如く、魔法を扱う騎兵のこと。
騎馬で戦場を駆けるのは騎士の専売特許では無い、魔術士が馬に乗って戦うことも当然ある。
「ただ魔術士が馬に乗るだけで名乗る場合もありますが、基本的には騎乗しながら使いやすい改良型の魔法系統を習得していますね」
「アルザスの時にはいなかったな」
「騎兵そのものを繰り出してこなかったので、一つくらいの部隊はあったかもしれませんよ」
確かに、と頷くクロノさん。
こういう話をする時はとても真剣です、いえ、決していつもふざけているというイメージを持っているわけではありませんよ。
「そういえば、天馬騎士はペガサスに『速度強化』をかけてたってリリィが言ってたな。
魔法騎兵ってのも同じように強化魔法を使うなら、もしかして普通の騎兵よりも速かったりするんじゃないか?」
「一概にそうとも言えないですよ、訓練された騎兵は魔術士でなくとも強化魔法を習得したりしますし、共に訓練を積んだ愛馬ならば『疾駆』のような武技も行使しますね」
「そうなのか、正に人馬一体ってヤツだな」
もっとも、そこまで高い精鋭レベルの騎兵部隊を、アルザスを襲った占領部隊が所有していたかどうかは分かりませんが。
しかしながら、クロノさんが十字軍との戦争に身を投じるというのなら、その精鋭部隊を相手にすることもあるでしょうね。
「というか、馬って武技使えるんだな」
「馬は天馬や一角獣などの派生型モンスターがいるように、動物の中でも比較的高い魔力を持つ種族ですからね。
自分の魔力を馬に流し、同調させたりする訓練を繰り返すことで、体感的に武技を習得させる、というのを聞いた事があります」
流石に私はこんな騎士専用の訓練をしたことは無いので、あくまで伝聞の知識、詳細は分かりかねます。
「魔力を流す、か、それだけなら俺でも出来そうだな」
「黒化するんですか?」
「いや、生物に黒化は出来ない、アレは付加であって強化じゃないからな」
「そうですね、でも、クロノさんの黒色魔力を流すだけでも、何か変わってくるかもしれませんよ」
単純に武技の習得、というだけでなく、騎手と騎馬の一体感を高めるのに、魔力を流し同調させるという行為は有効な手段の一つ。
私も、今は厩舎でお留守番となっている騎馬のマリーへ何度か魔力を流してちゃんと馴らしている。
「そ、そうだったのか……」
「すみません、クロノさんは魔法が無い世界の出身でしたね」
ほぼ常識と呼べる乗馬の訓練法だが、魔力が存在しないのでは、こういった当たり前の発想も指摘しなければ気づけないのでしょう。
クロノさんは自分で魔法を使う分には全く問題ないようですが、こういう部分では大きく知識に欠けているようですね。
でも大丈夫です、そこは私が教えてあげれば良いだけです、リリィさんでは無く、この私が。
「それじゃあ、ちょっとやってみるかな――黒化!」
「あ、結局黒化って言うんですね」
「いや、気合入れて魔力流す時はつい」
「そうですか、でも全力でやらない方が良いですよ」
「なんで?」
「クロノさんほどの魔力量なら、まず間違いなく馬がビックリして暴れます」
そう指摘した直後、馬が大きく嘶くと同時に凄まじい勢いで跳ね回る。
私とクロノさんは二人で仲良く宙を舞いました。
ドライブはデートの定番ですよね。二人乗りって素敵。
今回は話が短いので、二話連続更新です。